第13回 マニュアルターゲット機能
「斬新だ」
FF1、それもFC版のFF1を、しかしFF9の後になってようやくプレイしたという中々に異色の経歴を持つ私が、そのFC版FF1に対して感じた事がこれであった。
勿論、FF1正式には「FINAL FANTASY」という名のこのゲームは、発売当初から名実共に「斬新」であった。私の知る限りではバトルシーンにサイドビューを取り入れたのはFFが初めてだったんじゃないかと認識しているし、オープニングデモがオープニングイベントの後に挿入されるという演出もしかり、プレイヤー自らがジョブを自由に選択出来るというシステムも斬新以外の何者でもなかった。
しかし、それらはすべからくFC版FF1をリアルタイムでプレイした人達の感慨である。私は違った。何せPS2移行前の、つまりPSラストとなるFF9を一通り味わい切った後でのプレイだったからだ。グラフィックは3D化し、主要イベント時には極めて美麗なCGムービーがストーリーと兼ね合って感動をもたらし、音楽は実演奏と比べてもかなり謙遜のないレベルにまで達した後での、ファミリーコンピュータへの回帰だったからだ。メニュー画面の表示は△(X)ボタンといった事や、バトルシステムはATB等、流石に九作も作られるとある程度決まり事として定着するものがあったが、シリーズ一作目たるFF1にそんな決まり事なんてものは存在しない。「ファミコンだったから」という事もあろうが、現在のFFでは考えられないルールも中には存在した。それを体感するにつけ、私は「斬新だ」と思う様になったのである。
今や考えられないルール、それを考えて真っ先に挙げたいのが「非オートターゲット」だ。FC版FF1・FF2にのみ存在した魔の決め事である。
説明しよう。例えば今、味方がA、B、C、Dというパーティーを組んでいて、敵a、bと対峙したとする。FF1、FF2はバトルシステムにちょうどDQシリーズと同様のターン制を採用しているから、ここでは味方全員が敵aに攻撃する事にしたとしよう。そして行動開始後、味方Aと味方Bの攻撃によって敵aを倒せたとする。
さてここからが問題なのであるが、次いで行動に出る味方C、味方D等が残る敵bを攻撃してくれないのである。では彼等が何をするのかと言うと、今やいなくなった敵aに対して攻撃しようとし、それを見事に空振りさせてくれるのだ。つまり、事前に決定された攻撃対象が自身の行動までに倒されてようがターゲットを自動補整する事なく、そいつへの行動を実行してしまうのである。
この際だから端的に言おうか。馬鹿ではあるまいか。いや、言い過ぎたかもしれない。しかし百歩譲っても彼等が間抜けである事だけは覆しようのない事実である。フリオニールも、マリアも、ガイも、レオンハルトも、ミンウもレイラもヨーゼフも、あまつさえクリスタルを持つ光の四戦士さえもが、馬鹿いや失敬間抜けだったのだ。
プレイヤーたる我々に選択肢は与えられない。幾らジョブの選択が可能であるとしても、その全員が例外なく間抜けなのだから。幾ら四人目のキャラクターが定期的に交代するとしても、その全員が例外なく間抜けなのだから。だから、我々はいつ何時だって無計画に攻撃対象を定めていてはいけないのだ。
モンスターと対峙したら、まず何はなくとも相手の戦力分析を行う事が必須である。奴等のHP、そして防御力と魔法防御力を正確に把握せずしてこの戦いに勝ちはない。パーティーメンバーの一人ひとりについて、誰がどの手段でどいつに対して攻撃をすると幾らのダメージが与えられるのか、それを概算するのだ。
しかる後、いよいよ攻撃対象の決定に移る。無駄な行動を徹底的に排除する為、どういった組み合わせで攻撃すればいいのか、人数的に過不足のなくなる状況を模索するのである。ただしここで重要なのはあくまでも「人数的に過不足がない」という事であって、「与ダメージ量に過不足がない」という事ではない。なるべくなら一ターン内に二体以上のモンスターを倒しておく事が望まれる状況でさえなければ、合計ダメージ量はむしろ対象の最大HPに対して若干の余裕を持っておくべきだろう。以前に「一昔前のゲームは難易度が高い」という話をしたが、FF1やFF2ではザコ戦であろうが割とシビアな戦いとなる事も珍しくないからだ。そんな状況にあって、与ダメージの無駄を気にするばかりに結局誰一人倒せなかったなんていう事になっては目も当てられない。
この様に、かつての勇者がことごとく馬鹿であられたせいで、我々プレイヤーは要らぬ苦労を強いられるのだった。まあ、そうして無駄のない攻撃手段を模索するというその戦略性自体が中々に面白いってのは否定しないのだけれど。
ちなみに、この仕様を少なからず「面白い」と思うせいで今度は「オートターゲット機能」を標準設定とするPS版FF1の「イージーモード」についてまた何やかやと文句を言いたくなってくるのだが、それはまた別の話である。