第18回 道を外さば穴二つ

心して聞け。これは、地獄というにはあまりに大袈裟な、チクチクとしたしかし慢性的な痛みに苦しめられたFF10インターナショナル一プレイヤーの切実な叫びである。


毎度毎度斬新なシステムを提言、発表するスクウェア陣がFFシリーズ10作目の節目に当たるFF10において打ち出してきた新成長システム「スフィア盤」 それまでのRPGの王道を行っていたレベル制を完全撤廃し、スフィア盤と呼ばれる盤上にすごろく状に配置されたスフィアを発動する事によって各種パラメータを上昇させたり各種アビリティを修得したりし、もってキャラクターを成長させていくこのシステムにもまた、新たな試みであるものの宿命か不満の声が上げられている。

曰く、「スフィア盤は自由度がない」という。スフィア盤なるシステムは、自分の好きなルートを進み、自分の好きな様に成長させていく「自由度の高い」所が売りの一つであった筈なのにである。だがしかしそれは、確かに私自身も感じていた点であった。
スフィア盤は自由度がない。否、本当にない訳ではないが「プレイヤー自らがどの様に成長させていくのかを決める」という一番の醍醐味を潰してしまっている点は否めない。全キャラクター都合七人分のエリアが一つ盤上に集約されそれを全員が共有する、つまり戦士系キャラクターが白魔法を覚えたり魔道士系キャラクターが「盗む」を修得したり出来る様にした所までは良かったのだが、それら各エリアがスフィアロックによって隔てられてしまっているからだ。
これでは各キャラクターは、少なくともゲーム開始後しばらくの間について自らの置かれたエリア上を淡々と進んで行かざるを得ない。キースフィアさえあればスフィアロックを解除する事も出来るが、キースフィア自体そうそう手に入るものでもないからその恩恵を受けられるのは一部の人間に限られよう。「わいろ」等によって際限なくキースフィアを手に入れられる状況が整った所で時は既にして終盤。これの一体何処に自由度の高さを認める事が出来ようか。まさか、ここで言う「自由度」とはルート選択に幅があるという事ではなく、現在地直下にあるスフィアを発動するかしないかの決定権があるという意味だったとでも言うのだろうか。そんな馬鹿な話はないのだ。何となれば盤上に存在する如何なるスフィアにおいても発動させるデメリット、発動させないメリットは全く存在しない。
結局、各々のキャラクターは大抵の場合予め決められたレールに沿って予め決められた成長過程を辿らされ、それぞれがそれぞれの特色を持った、しかしプレイヤー間では殆ど差異のない能力を得る事となるのだった。折角多くの選択肢を持ち得る仕様にしておきながらこの現実とあっては、もう少し考え様があったのではないかと思いたくもなってくるというものだ。せめて、各エリア間にでもルートの分岐を持たせたり出来なかったものか。

しかしこういった不満点が現実に存在する一方でこういう意見も聞かれる。曰く「スフィア盤は自由度が高過ぎる」というのだ。自由度の高い筈がその実体は低いとされたスフィア盤が、やはり自由度は高く、それもただ高いのではなく高過ぎるらしい。一見どんな謎かけだと思われるかもしれないが、私はこの意見にも賛同せざるを得ない。
その「自由度の低さ」は、極めて普通に平凡にFF10というゲームをプレイし、クリアするにおいて表出するものであった。しかしひとたびプレイ方針を平凡でなくした時、その「過ぎた自由度の高さ」は顔を出す。スフィア盤における平凡でないプレイ、そう、スフィア盤マスターである。盤上にあるスフィアの大半を発動させたその時、全てのキャラクターの能力値は似通った数値を記録し、また似通ったアビリティを覚え、全員が似た様な、個性のない面々と化してしまうのだ。私もやった口だ。何度やったかって、三度もやった口だ。その内二回は不要な成長スフィアを消去してその上から「+4」上昇スフィアを設置し力以下の全パラメータを限界まで上げる位にまでやった口だ。だからこそ、この意見にもまた深く共感出来る。
もっとも、これはシステム上仕方のない事なのかもしれない。全員で共通のスフィア盤を利用している以上、それを利用し切れば全員が共通の能力を得るのは当然の事だからだ。だが、スフィア盤を完全制覇する事が極々一部の人間の自己満足の為だけにあるものなのだとすればまだしも、それはゲーム中に用意されているすべてを超えし者等の強敵を打破する為には殆ど必要な作業だというのだから話は違う。明らかに開発側はプレイヤーがスフィア盤を制覇する事によって各キャラクターの特色が著しく失われる事を予見出来ていた。ならば、何かしらそれを避ける為の仕様が用意されていても良かったのではないか。例えば、各キャラクターに対し個別に能力値の上限を設定する等されていても良かったのではないだろうか。

と、この様に、スフィア盤は普通にプレイする分にも極めようとする分にも若干の問題点を含み持っている。しかしこれら問題点は、FFシリーズの慣例という奴でATBとアビリティシステム以外は世界観から何から滅多に再利用をしないという、やけにご自分に手厳しい信条をお持ちのスクウェア陣であるから、これから先ずっとFF10の中にだけ留まり続けていつしか過去のものになるのだろうなと思っていた。ところが、FF10が発売となってから半年後、私はその考えが誤りであった事を知らされる。FF10インターナショナルの登場によって。
実際にプレイした事のある方ならばご存知の通り、インターナショナル版には二種類のスフィア盤が存在し、ゲームスタート時にどちらかを選択する様になっている。一つは、日本版FF10のものをベースに、インターナショナル版で新しく登場したアビリティ等の為のスフィアを追加したもの。そしてもう一つが、インターナショナル版特有の、オリジナルとは全く異なる構造をしたものである。
インターナショナル版スフィア盤の大きな特徴は二つ。中心のキマリエリアを介してならスフィアロックの邪魔なしに他キャラエリアへ行く事が出来る点(リュックに限ってはキマリエリアとの間にLv.1スフィアロックがあるが、幻光河でリュックが加入する頃には「Lv.1キースフィア」を所持している)。そして、全員のスタート位置がスフィア盤中心付近に固まっている点。これによりプレイヤーは、各キャラクターを誰のエリアへ向かわせるのか、それをパーティー加入直後ならほぼ自由に決められる。ユウナエリアへユウナとルールーの二人を行かせる事も出来る。何なら、七人全員をアーロンエリアへ、等という暴挙も簡単に実現出来るのだ。日本版のスフィア盤ではいまいち活かし切れていなかった「自由度」という強みを持ったそれは、明らかにかつて存在した問題点を改良した結果であった。
だからこそ、私は思ったのだった。ここは一風変わった方法でプレイしてみようではないか。それはインターナショナル版のプレイが日本版のプレイを含めて三周目に当たる事から、日本版とは違うスフィア盤を利用するにも拘らずそれまでと殆ど変わらない成長過程をトレースする様じゃあまりに面白味に欠けるだろうと思ったからでもあったが、それよりも「事実上自由度がない」という問題点に対し一つの改善案を提示したスクウェア陣の意気にこそ報いたかったから。私は決意した。全員が全員、他キャラエリアを進んでみよう。ティーダが回復役を努める。ユウナが力任せに殴る。総合的には同じ成長を辿るのだとしても、キャラクター毎の担当が違えばかなりの新鮮味と共に三周目のプレイを楽しむ事が出来るだろう。
だがしかし、そうして三周目を開始した私を待っていたのは、プレイの端々を彩ってくれる新鮮さ等ではなく、ただただ私に煩わしさとストレスばかりを感じさせる現実であった。FF10のバトルは適切なキャラクターで攻撃する事により一撃で倒す事の可能なモンスターが多数存在し、その存在によって良いテンポが生まれているのであるが、それらモンスターを一撃で倒す事が何故か出来ないのだ。通常はアーロン担当の甲羅系モンスターを、アーロンエリアへ進んだユウナが攻撃しても一撃で倒せない。通常はルールー担当のエレメンタル系モンスターを、ルールーエリアへ進んだワッカが魔法で攻撃しても一撃で倒せない。それぞれ力や魔力は本来の担当キャラクターと同じだけ、スフィア盤によって成長しているにも拘らず、である。一体これは何故なのか。
鍵は、そのスフィア盤にこそあった。実際に極々普通のプレイをしていると分かる事だが、スフィア盤への各種成長スフィアの配置はかなり絶妙である。成長し過ぎず、しなさ過ぎず、一撃で倒されるべきモンスターを丁度一撃で倒せる位に成長させる。その為に相当の吟味が行われてきた事はFF10バトルアルティマニア内の開発者インタビューからもうかがう事が出来る。しかしその絶妙さこそが致命的だった。普通に成長してぎりぎり一撃で倒せる様になるという事実は、他キャラエリアへ踏み込むのに必要な数マスの移動によって生じる成長の遅れが為に一撃で倒せなくなってしまう事を意味したのだ。
貴方はご存知か。不用意に全員が他キャラエリアへ足を踏み入れた事によって、全員が本来の担当キャラクターの劣化版となってしまうその悲惨さを。オオカミを、トカゲを、鳥を、羽虫を、小鬼を、竜を、プリンを、エレメンタルを、ことごとく一撃で葬り去る事の出来ないそのストレスを。思ったより辛いぞ。特に「飛んでいる」モンスターとか、或いはプリン系とか、担当キャラクターでないと満足にダメージも与えられない様な奴が相手だと自身の不甲斐無さをフォローしてくれる人間さえ誰一人いないんだぞ。それだけじゃない。一撃で倒せないって事は必然生き残った相手からの攻撃を喰らう頻度が勢い高くなるんだけれども、その傷を癒す為のケアルがこれまた貧弱なんだぞ。しかも一旦他キャラエリアに入っちゃったもんだからもう出るにも出られない。この弊害に気付くのもゲームが少し進んでからの事だから一度止めるにも止められない。段々とテンポの悪いバトルに嫌気が差してくるけど戦わないと強くならないんだから逃げるにも逃げられない。ただただ目の前にあるのは通常よりも五割増の時間がかかるバトルのみというこの辛さよ。

勿論、この様な事態に陥ってしまったのは、私の思慮不足であったかもしれなかった。だがそれでも私は言いたい。そうまで作り込んだスフィア盤なら、どうして誰もが気軽にどのエリアにでも行ける様に、全員のスタート地点を中心のマスで統一しなかったのだ。「簡単に別エリアへ行ける」「自由度が高くなった」と言って、全員が数マス分でも各々のエリア付近からスタートしてしまっているのなら、結局キャラクター達はそのエリアへ進む事が最良の道であると決め付けられてしまっているではないか。スタート地点が同じじゃそれこそキャラクター毎に特色が表れないではないかと思われるかもしれないが、そんなものは初期ステータスに差がある時点である程度はもう出ているものだろう。
発想は悪くなかった。だがあまりに詰めが甘かったのではないだろうか。こんな中途半端に高くなった自由度を与えられるのなら、ほぼ強制的にレベル制的に決められた道筋を歩んでいく、従来のスフィア盤の方が幾らも良かった。

一度は現実となったまさかのスフィア盤システム改良。
しかし、その望みが叶う事は二度とない。


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