第3回 私達の事を、忘れないで下さい
「FFへの不満」だのいう仰々しい題目を掲げておきながら、あんまりにもチマチマした話ばかりでそろそろ「どうなってるんだ」と思われかねないので、ここらで一発ばかりでっかい話題を取り上げて、当面の間体裁を保とうと考えとりますよ。
今回のテーマは「FF7のエンディングでユフィとヴィンセントが何処にも見当たらない件」 これ。いいね、チマチマしてないね。さっきからチマチマしてるかどうかをやたらと気にかけてる私を除いたらさ。
さて、やっぱりこれはとてつもない問題な訳だ。だから問題の詳細はわざわざ書かないけれども、概略を書くとすれば、つまりはエンディングにパーティーメンバーの中でユフィとヴィンセントだけが登場しないって事だよ。
これは、かなり理不尽に感じた人が多かったと思う。FF7のエンディングと言えば、事の顛末があまり描かれないまま突然時を500年進めちゃう点についても納得行かなかった人は相当いたと思うけど、これだってそれに負けてないよ。ことユフィやヴィンセントが好きだった人にとっては歯痒い展開だったんじゃないかなあ。
理由ははっきりしてるんだよね。ユフィやヴィンセントっていうのは、ストーリーを進める上でどうしても仲間にしなければならない存在じゃないから、二人を仲間にしたプレイヤーもいればしていないプレイヤーもいるし、どちらか片方しか仲間にしてないプレイヤーもいる。そのそれぞれで別のムービーを用意するなんて事は容量的にどうしても無理だったと。って言うかあの二人って隠しキャラに近い存在だから、キャラクターを仲間にする少数のプレイヤーの為だけに特別な場面を用意するまでの事ではないだろうと。それは流石に言い過ぎか。
まあ、とは言うもののだ、私としては、それを理由に二人の出演シーンをカットしたのでは二人が少々可哀想だなあと思っている訳だ。
だってだぞ、考えてもみてくれ、例えばFF5のエンディングなんてのはどうだったかと。あれなんてのは、ネオエクスデスを倒した時点でパーティーメンバー四人の内、誰が生き残ってたかによって細かい分岐があるんだよ。一人一人が戦闘不能状態か、そうじゃないかの二通りが考えられる訳だから、合計すると2×2×2×2=16通りも。実際分岐は本当に細かいんだけど、でもその配慮が凄いじゃないの、嬉しいじゃないの。あの最後の戦いで力尽きた人間が無に取り残されるという展開があってこそ、ガラフの言葉により一層の重みが感じられるってもんだ。この際ガラフの言葉の重み云々は今回の問題とは全く関わらないけれども。
或いは、FF6のエンディングなんてどうだ。これはもっと凄いぞ。最初の各キャラ紹介みたいな所ではラスボスを倒した時点でパーティ内にいるキャラクターについてしか映像が流れないんだから。まあ、あの映像はがれきの塔から脱出する時のものだから、がれきの塔に踏み入ってもないキャラクターの映像が流れる訳はないんだけども、そのパターン数と言ったらどうよ。全14人いるキャラクター一人一人がパーティー内にいるかいないかで変わるんだから、FF5なんて比じゃないよ。ただ、ここで特筆すべきなのはその膨大なパターン数じゃあない。ここで重要なのは、隠しキャラであるウーマロやゴゴについても、その他のキャラクターと全く同じ扱いをされているという点だ。これはどういう事だろう。名実共に隠しキャラであり、ストーリー中に目立った活躍の機会もないウーマロやゴゴがエンディングでしっかり脱出劇を描かれている一方で、隠しキャラだとは言え専用のイベントが用意されており、ウーマロやゴゴなんかよりもずっと重要な存在として扱われていたユフィやヴィンセントがエンディングに姿すら見せない。一体この差は何なのだろうかと。
勿論これには、先にも言ったが二人を仲間にしているかどうかによる別々のCGムービーを用意する事に無理があるからだろうという意見がある事と思う。しかしだ、本当にそうと言えるだろうか? 他キャラと絡むシーンは流石に無理だとしても、何とかして単独ででも登場するシーンを作れなかっただろうか。特にインターナショナル版では、一部シーンに新たなCGムービーが追加されているんだぞ。それだったらまずは二人の事を最優先に考えるべきではなかったのだろうか。音楽との兼ね合いでムービーの流れを変えるのは難しかったかもしれないけれども、日本版の方で随分色々言われてた事は分かってただろうから。
折角FF5、FF6と、各キャラに細かくスポットを当ててきたってのに、その流れが台無しになっている感が否めないんだよなあ。
まあね、「何で姿がなかったのか」って点だけに着目すれば、単に二人が甲板に出てなかったからと考えればいいかもしれない。今正にメテオが落ちようとしている中で甲板に出てないって事は一見不自然だけど、ヴィンセントは性格があれだから、一人ルクレッツア…もといルクレツィアの事を想って黄昏れてた可能性は十分あるし、ユフィはユフィで、いつもの指定席で酷い飛空艇酔いに苦しめられていた可能性があるから、全くもって有り得ない話じゃないだろうし。
余談だけど、毎度毎度酔う事が分かり切ってるのに、これといって何を言うでもなく付いて来るユフィは凄いね。私も酷く乗り物酔いをする人間だけど、自分だったらこんな生活耐えられないと思うよ。だからこそ、そんな健気なユフィと、何かと悩みを抱えてるヴィンセントが、FF7のハイライトであるエンディングに登場しない事を悲しく思うって事でもある訳なんだよ。
さて、こうやって色々と書いた訳だけども、この件で感じる理不尽な想いっていうのは、近年やけに活発化し出したFF7関連の動きが進む中で解消されるかもしれないね。もしFF7ACでユフィやヴィンセントが登場するなら、ファンにとってみるとまずは満足だろうし。ことヴィンセントなんてのはFF7DCで主役だっていう話があるじゃないの。ヴィンセントファン冥利に尽きるだろうなあ。多分それが発売される頃には、FF7のエンディングに登場しなかった事なんて水に流されるんだろうね、完全に。
もし今後のFF7関連作品で、二人に関する後日談がきっちり描かれて、結果この事が水に流されるとなると、それからはこれについて文句も言い難くなるんじゃないだろうか。つーか、私が今回このチマチマしてない問題を取り上げたのって、実はそれが理由なんだけど。もしかしたらこれって、FF7ACが発売されるまでしか不満として成立しないかもしれないもんね。でもそれは内緒の話だぞ。
ああ後、FF5のエンディングの細かい分岐が16通りあるってのは嘘だからな。本当は15通りだぞ。騙されない様に。