「FINAL FANTASY 10」はテレビゲームである。RPGというジャンルである。それが揺るぎ無い事実である限り、他の一般的なRPGにも見られる様に、FF10では旅の道中何度となく眼前にモンスターが立ちはだかり、バトルとなり、そのそれぞれについて勝利と敗北がある。
あるのだが、これを「当然」だと思ってしまってはいけない。少なくともFF10という作品においては、これが「当然」ではあり得ない事にどれだけの人が気付いていただろうか。

オープニングからザナルカンド遺跡到着までの間が、ティーダの回想として語られるFF10の物語。そしてこれは結果論だが、オープニングで見られるシーンと、実際にザナルカンド遺跡に到着した際のシーンが同一であるという事は「ゲーム開始の時点で、正確にはゲーム開始よりも前の時点で既に、彼ら一行が『ザナルカンド遺跡に到着した』事を証明している」これを示しているのである。
そして、この事実に矛盾してくるものは何か、それは「全滅」だ。回想の旅の道中、不慮の事故で全滅、ゲームオーバーになってしまった人も多いだろう。かく言う私もその一人だが、これこそが大きな矛盾だ。ザナルカンド遺跡に辿り着いた筈の彼等の全滅、果たしてこの「回想中の全滅」とは、一体何を意味しているのだろうか。

そのポイントとなるのは、この回想の目的であろう。今回の冒頭でも触れた通り、この回想は、ティーダが、一秒でも、ユウナの究極召喚獲得の時から遠ざけ、その間にいいアイデアを、必死になって絞り出そうとしている苦悩の時間なのだ。その彼が、少しでも運命の時の訪れを先延ばす為、もはや苦肉の策として「例えば」の話を語ったのでは、私はそう考えたのである。
「例えば」あの時あの攻撃が命中していなかったら、とか、「例えば」あそこであいつの攻撃を避けられていなかったら、とか、そういう「例えば」という形として、パーティー全滅の話があったのではないだろうか。
状況から察するに、実際の彼の話はもう聞かせるだけの内容があるかどうか怪しい所だ。しかしそれだけに留まらず、「もしもあそこで全滅していたら」という仮定の話を持ち出してまでユウナをその場に留めておきたかったのだ。そして、そこにいる全員がそれを止める事無く、ただ聞き、あるいは自ら語って「運命の時」から目を逸らそうとしている姿は、想像するだけで痛ましく思えないだろうか。

またこれは、ユウナに関しても同様だ。最終的には「思い出話は……もう……おしまいっ」と、ティーダに深く突き刺さったであろう非情な宣告をした彼女だが、彼女自身もまた、ある部分で「運命の時」から少なからず目を逸らしていた一人だったのだ。「ある部分」というのは、死に対する恐怖、そして、自分には決してあり得ないと思っていた感情を共有した人との別れ、である。
そのユウナの気持ちの揺れを感じる事が出来る部分、それは、前述の「思い出話は……もう……おしまいっ」のセリフにもあるが、それよりもユウナ自身が回想に加わっていた事から読み取れる。ユウナの回想していた部分、果たしてゲーム中においてそれがどれだけ存在していたのかは不明だが、少なくとも「浄罪の路」において、他のメンバーと合流するまでの時点においては、彼女が回想していたと考えるしかない。
勿論、普通の回想ならば、ユウナの揺れ動く感情を感じ取る事は出来ないだろう。だがしかし、この回想中でも上記の「(例えばの)全滅」を迎える可能性があるのだ。そう、ユウナもまたティーダと同様に、意味も無い仮定の話を持ち出し得るのである。
はっきり言って何の意味も持たない全滅の話をするあたり、当事者である彼女にも、少なからず思うところがあったらしい事は推して知るべし、ではないだろうか。


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