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10/02/17(水) 第291回 変態亀亀亀

おかしい。こんなはずではなかったのに。
ことのついでに主人公と魔法使いの2人を上級職にさせてからツォの浜へ辿り着いた私は、ほどなくして信じられない光景を目の当たりにしていた。ついさっきまでは至って普通の旅人だったはずの4人の若者がいつの間にかカメのこうらを背中に背負っていたのである。年端の行かぬ(ように見える)少年少女が何を思ったか揃いも揃ってカメのこうら。突如として浜辺に現れた「一列になって規則正しく走り回る4体のカメ」の光景は、まだまだ世の中を知っているとは言えない若造の私には非常に衝撃的なものであった。お前ら、いつのまに亀仙人に師事していたんだ。
はて、一体何がどうしてこうなってしまったのか、よくよく思い出してみよう。ツォの浜に着いた我々は何はなくとも装備を整えるために店へと寄って、いつものように「その店で扱われている部位ごとの最強装備」を物色していた。そうである。その結果ここで買える最強の上半身用防具が「カメのこうら」で、ちょうどいいことにこれが全員装備可能だったので、私は何も考えず4人分を買い揃えたのであった。その安易な決断が招く深刻な結果も知らず。
「カメのこうら」と言えばDQ6で登場した時には「かっこよさ」が下がる防具であったことをよく覚えている。まあ「かっこよさ」なんてものはコンテスト出場のときに気にしてさえいればいいパラメータだったので当時は何をためらう必要もなく進んで甲羅を背負っていたが、そうでなくても私の中では「そんなに言うほど甲羅背負うのって格好悪いだろうか?」という思いがあった(そのような人格を形成するに至った過程でどれだけ亀仙人及びDRAGON BALLの影響があったかは定かでない)。だがDQ6当時ドット絵上には決して表されなかった「カメの甲羅を背負う人間」の姿を今この目で見て、遂に私も知りたくなかった現実を知るのだった。「カメのこうら」は格好悪い。
ここで断わっておくが、私はDQ9の「自作したキャラクターを自分好みの衣装で着飾らせられる」という側面についてほぼ全く魅力を感じていない。見た目よりも実用性重視なのだ。いくらパーティーメンバー達がおしゃれになってくれようが、実戦で使えなければどうしようもないのだ。が、メンバーが必要以上に格好良く或いは可愛くなることに興味はなくても、必要以上に格好悪くなることは許せないのだなということがこの度よく分かった。外見から作り上げたキャラクターだから、その分だけ思い入れも強いのだろう。実際不思議なもので、ゲームプレイ中全くと言っていいほど自己表現をしない彼らへの愛着は過去シリーズのキャラクター達と比べ明らかに深かった。思い返せば、DQ8の竜神装備もこれまたなかなかどうしてというものだったが、私は臆面もなくこれを主人公に装備させ、あまつさえそのままエンディングを迎えさせたりしていた。これが愛の差か。本当の意味での「自分の分身」「自分の子供達」にはあんな可哀想な格好、させられる訳がないのである。
ただ、ご存じのようにDQ世界のお金はかなり貴重だ。1度買ってしまったものを即座に売ってまた別の物を買うなんて贅沢な振る舞いはそうそうできない。「カメのこうら」4つで6200G。これだけのゴールドを溜めるのにどれだけの時間と労力が必要か。私にはそれがよく分かっているから、今更甲羅を捨てることなどできなかった。仮にも今時点での最強装備である。私は次に鎧を買い求める機会があるまで、この忌々しい甲羅を背負い続けなければならなかった。
移動中も戦闘中も視界の中に入ってくるファッションセンス0の人間達に否応なくモチベーションを奪われ続けながらそれでも何とかこの村でのごたごたを解決すると、何を血迷ったのか、ある村の少年はそんな我々の活躍を見てこう言ったのであった。

「ぼく、がんばって大人になるよ。そんで、ぼく、旅人さんみたいになる」

悪いことは言わない。やめておきなさい。カメだぞ。それが一糸乱れぬ隊列を組んで歩いてるんだぞ。本人達はどう思ってるか知らんが、周りの人間からは確実に不審な目で見られるんだぞ。それに、しかも、今の今まで黙っていて悪かったが、4人のカメ連中の中でもリーダー格の主人公はあろうことかブーメランパンツ着用なんだぞ。
お願いだからやめておけ。もうこんな悲劇を生んではならんのだ。


進行状況:6日目



10/03/15(月) 第292回 蘇れ勇者

ビタリ山の山頂付近にいた男から本プレイ初となる宝の地図をもらった。実のところプレイ7日目当時私は宝の地図についてあまり詳しく知っておらず、漠然と「歴代DQのラスボス勢が出てきたりするダンジョンに行けるアイテム」くらいの認識でいた(まあ今でもその程度の認識だけれど)。歴代のボス、ということは、シナリオの本筋から外れたおまけか、もしくはシナリオだけじゃ飽き足らないやり込みプレイヤーのために用意された要素なんだろう。だから、とっくに盆休みも終わってしまった今(注:これは2009年8月〜9月にプレイしたDQ9一周目の回想記のようなものです)、無理に時間を割いてこの地図の示すダンジョンの下へ行く必要はなかったのだった。だが、ビタリ山のイベントを終えた後、私は地図の導きに誘われてダンジョンに潜り込んでいた。仮にも全DQをプレイ、クリアした過去を持つ人間である(モンスターズを除く。剣神を除く。スライムもりもりを除く。少年ヤンガスを除く。モンスターバトルロードを除く。他色々除く)。ここで思いがけずいつかの宿敵と再会できると聞いて、ただ時間がないからとすごすご帰ってしまうようでは男がすたるのである。
そんな訳でやって来ました「うす暗き獣の地下道」 入ってみると中は非常に簡素な造りで、比較的広めのフロア内にあるのは中身が不確定の宝箱が幾つかのみ。なるほど、宝地図とそれに対応するダンジョンがランダム生成されているとよく分かる。初めての地図ダンジョンだということとその奥に待つであろうボスに対する期待感が少々先行してしまっていたのでこのことには若干の物足りなさというか呆気なさを覚えてしまったのだが、これはまあ仕方がない。そんなことよりここのボスが誰なのかということの方がよっぽど気になっていた私は、それでも一応全フロアを一通り回ってそこいらの宝箱の特別素晴らしくもない中身を回収しながら、足早に最下層を目指した。
して最下層。さすがはボスの間だけあってまずフロアの雰囲気からして違う。それまでのだだっ広さはどこへやら、ただ画面手前から奥へと道が続いているだけのシンプルなフロア構成はかつてのエスターク、ミルドラース、DQ以外で言うならエクスデスかサルーインを思わせる佇まいで、確かにラスボスの威風を感じさせるようであった。更にマップにもはっきり「BOSS」と書かれればもう盛り上がらざるを得ない。地図ダンジョンで迎える初めてのボス、さて誰が待ってるかな? やはり一発目ということで竜王か。いや、本当のラスボス勢はもうちょっと後に取っておいて、ここではハーゴン、バラモス、ゲマ辺りのランクの奴らがお目見えするという流れも十分あり得る。次第に期待感を高めつつ私は、フロアを一歩一歩奥へと進みながら、年甲斐もなくこれまでプレイしてきたDQシリーズ作品のことを思い出していた。レベル27まで上げるという盤石極まるプレイの結果世界の半分をちらつかせる卑劣な罠も世界初となる変身の披露も全て一蹴され散っていった竜王。その慎重なプレイの結果やはりあっさりと倒されてしまったハーゴンに、ベホマという最終手段を持ちながら主にローレシア王子のスマートさの欠片もないパワープレイになす術なく敗れ去ったシドー。DQ3は、一度はダーマ神殿に着いたくらいのところで放置したっけ。結局初クリアはSFC版でだったから実のところFC当時の、オリジナルなゾーマの雄姿をよくは知らない。それからしばらくDQとは距離を置いたから、4もかなり後年になってからのクリアになったんだったか。でもこっちはしっかりFCでクリアしたからあのエスタークの気持ち悪い多段変身を堪能これでもかと言わんばかりにしたけれど。5は、発売日を首を長くして待った初めてのDQということで思い入れが強くて、その分だけ熱中したものだ。シナリオ上の扱いが違い過ぎてミルドラースよりもゲマを倒した時の達成感の方がよっぽど大きかったりするのも今となってはいい思い出。だがそんなミルドラースの体たらくを嘆いてなのか随分凶悪な仕様になって目の前に立ちはだかったデスタムーアばかりはさしもの私も「あの日の思い出」として美化することができない。思えばDQ6のエンディングって2回くらいしか見たことない気がする。まあそれで味わった苦労と溜まった欝憤は続くオルゴデミーラ相手に十分過ぎるほど晴らしたけどね。アルテマソード万歳。ラプソーンはデブ。そんな、やや懐古趣味なきらいのある回想の数々に浸っている内に、いよいよその時はやってきた。準備は万全だ。戦闘態勢という意味での準備は勿論、心の準備も万全だ。思いがけずやってきた山場に一人湧き立つ私をそこで待っていたのは――

黒竜丸が あらわれた!

えっ? あ、あー、そうですよね。そりゃー、過去作品のラスボスという特別ゲストキャラとそんな簡単に戦えちゃったりなんてしないですよねー。

こうして私のお宝ダンジョン初探索は幕を閉じた。ちなみに黒竜丸には2度の敗北を喫した結果まだ適正レベルに達していないと判断して逃げ帰ってきた。あーあ、これまで全滅0回だったのになあ。こんなつまらない奴相手に負けることになるなんてなあ。勿体ない。


進行状況:7日目



10/04/28(水) 第293回 私はこうして金塊依存症を克服した

そう言えば、本編とは全く関係ないことで1つ気になっていたのだが、今作は宿屋の人に話しかけた時の「宿泊するかどうかの確認ウィンドウ」表示のタイミングが若干おかしいような気がする。何が、と言われるとはっきりとは分からないのだが、従来に比べて1テンポ遅い? ような感じがある。あとこれまでの作品ではあった筈の、ウィンドウ表示時の「ピロリロリッ」という効果音が無くなっているのも気になるところ。気になるというか、明らかに他作品と選択肢表示のタイミングが違っているので、「いつもの間隔で選択肢が出てこない」→「一回Aボタンを押してセリフを送らないといけないのかな」→「Aボタンを押そうとしたときに選択肢表示」→「勢い余ってAボタンを押してしまう」→「休みたくもないのに宿泊決定」というコンボを何回かやってしまっているのである。長い歴史によって刻み込まれた習慣というものの何と恐ろしいことか。というかこれは、各地の宿屋経営者達による全世界的な陰謀のようにも思えてくる。実際この罠にかかったプレイヤーって結構いたんじゃないのかな。仮にそうだとしたら、いつもは寡黙な主人公達もさすがに抗議の声を上げた方がいいような気がするんだけれどもどうかな。まあ、言ってみたところで「本当は休みたくなかったんならその場で『間違えました』と言えば済む話じゃないか」と反論されたらそれまでか。くそ、宿屋が無くなって困るのは押し並べて冒険者だろうと足元見やがってからに。

さてさて、本編ではいよいよ船が手に入った。してこれからどこに行くのか。またしばらく途方に暮れるのかと思いきや、出航港のすぐ傍の島にこれ見よがしに建っていた灯台で次の目的地情報を呆気なく入手する運びとなった。時代も変わったものだなあ。かつての世界に足りなかったのは、これから見も知らぬ大海原へ漕ぎ出そうとしている旅人に対して目先の指針を示してくれる親切な人間の存在だよね。いやそれよりは、大海を股に掛ける旅になろうかというのに地図1枚だけもって(場合によっては地図すら持たず)前知識ゼロで船出しちゃう新人船乗りの方がよっぽど問題だったか。よくもまあ、今まで漂流による行方不明者を1人も出さずに済んでたもんだね。
ほどなくして新天地へ到着すると、そこはやはり新天地。そこかしこにこれまで見たことのない新手のモンスターが顔を見せる。そしてその中で、私は遂に彼を見付けたのであった。いつの世も私の味方であり続けた、彼によって享受された恩恵は数知れない、今や世界を飛び回る冒険者にとって無くてはならない貧乏人の心の友、ゴールドマン。かのゴールドマン様がここグビアナ砂漠の地で闊歩あらせられていたのである。ゴールドマンと言えば、実は「いつの世も」というほどお馴染みのモンスターではないが、少なくとも前作DQ8でかなりのお世話になったことは記憶にも新しい。特に一周目時分は攻略情報収集禁止令が生んだ「錬金の有用性知らず」という状況によって中盤以降の装備品調達用軍資金をほぼゴールドマンだけに頼るという悲惨なプレイだった。そして今回も、プレイ8日目にして錬金に手を出したのは僅かに1回。私は彼を見て心踊ると共に、またひたすらゴールドマン狩りなどという退屈な作業に何時間も費やす生活が始まるのかー、と少し気落ちしてもいた。狙ってゴールドマンと戦えるだけ前作より随分ましになるかとは思ったが、それでも単純作業がそれなりに苦痛なのは変わらないのだから。
しかしそんな私の覚悟はあっさり無かったことになった。これがその理由である。

ゴールドマンを やっつけた!
505ゴールドを 手に入れた!

505ゴールド。なるほど多い。金塊男の名に恥じぬ財テク振りだと思う。だが思ってたより持ってないなあ、というのが初めの正直な印象であった。実際のところ、「カメのこうら」のくだりでも力説したようにDQにおけるゴールドの貴重さは今作でも健在である。そんな世界情勢下にあっての505ゴールド。これは言うまでもなく大金である。それでも、同様に以前スライムの所持金の件で述べた好景気のことと併せて考えると「もうちょっと持っててしかるべしだったんじゃないのか」と思わずにはいられないのだ。スライムは旧作比で3倍のゴールドを持っていた。前作比で言えば4倍である。対してゴールドマンは前作比2.6倍止まり。言わばこれは怠慢ではないか。この、いつ終わるとも知れない不安定なバブルが訪れた今、これを機に誰もが貯蓄に励もうとしている中でその努力を怠るのは「自分はもう十分に金持ってるんだから今更貯金なんてしなくてもいいよ」という金持ちの思い上がりではないか。一応増えてはいるその金も、かねてから持っていた潤沢な財産をいつもの調子で運用していたらそれが今の景気の回復軌道に乗って2倍ちょっとに増えたというだけなんじゃないのか。だとすれば、汗水垂らして働くことも知らないお坊ちゃんとの、生まれの良さだけで人生勝ち組になった気でいる世間知らずとの、永遠に変わることがないと信じられていた心の友としての関係を解消することも考えなければならないのだ。悩む決断であった。言っても貴重な金づるではあるのだから。しかし寝ていても利回りだけで食べていける実質的ニートに養ってもらうことになるのかと考えると、最後には私のプライドが勝ったのである。
さようならゴールドマン。次にまた会う日がもし来るなら、今は常識の「じ」の字も知らない君も、その時にはもう少し真摯な男になっていることを心から願う。

こうして私はグビアナ砂漠を後にした。
ん? 女神の果実? 女王のペット? ああ、そんな騒動もあったっけ。


進行状況:8日目



10/04/29(木) 第294回 私が探偵です

ベホイムスライムが あらわれた!

一瞬戸惑った。ベホイミスライム? いいや、ベホイ「ム」スライムで間違いない。何だこいつは。かつてDQ4で一度だけ登場したベホイミスライムとは別種の新スライム系モンスターということでいいのか。方言とか訛りが入ってるのか。
などと思っていたら、そのうち僧侶がベホイムという呪文を習得したので疑問は氷解した。なるほど、ベホイミとベホマの間にヒャダイン的呪文が新設されたのか。こんなに「今回限りの活躍」感満載の呪文もそうはないな。新ホイミ系呪文の登場に合わせてわざわざ進化してくれた君には悪いが、これは時代と製作者の気紛れだったと思ってベホイムと一緒に死んでくれ。

――――――。

前回エルシオン学院にてどこぞの探偵と間違われ有無を言わせぬ勢いにも気おされて事件捜査の前金2000Gを受け取ってしまった主人公一行。近年何かと人間の腹黒さをフィーチャーしてきたDQさんのことだから、これまた今回も事件解決まではいいように使っておきながら後になって本物の探偵じゃなかったと分かるや否や手の平を返して「金返せ」だの「大嘘つき」だの「泥棒」だのと喚き出され最後にはこちらから折れざるを得ず結局タダ働きさせられる羽目になるのかなと思っていた。今も脳裏に焼き付く、カボチの村民の侮蔑とレブレサックの村長の保身とキドラントの町長の居直りっ振り。また歴史は繰り返されるのか…
しかしそこは人間。先に挙げたようなのを筆頭とする性根の腐った者共もいればそうでない者もいたようで、ここの学長は我々が本物の探偵でないと知ってもなお「いずれにしても事件は解決したんだからいいじゃないか」と言い後金3000Gまできっちり支払ってくれた。それはそれで、一定の集団をまとめる立場の人間としてはいい加減で責任感のない軽率な行為言動だと批判されたりするんじゃないのかとは思ったけれども。いやしかし何を隠そう私自身が「結果良ければ全て良し」を信条とする人間なものだから、本当なら受け取る義理なんぞなかったはずのその捜査料は当然のものとして財布に収めさせていただいた。最後に事の真相を知った現学長はともかく捜査の過程で出会った初代学長は最後まで我々を学院の生徒と勘違いしたまま昇天していったが、何分「結果良ければ全て良い」ものだからそんなもう死んじゃってる人の思いなんてのは深く考えない方針とさせていただいた。あと、何か学院からの去り際に本物の探偵らしき人がちらっと見えたような気もするが、何しろ「結果良ければ全て良い」ので通りすがりの冒険者風情にあっさり仕事を奪われるような誰にだってできる仕事しか選べないようなクライアントに顔の一つも認知されていないような影の薄い存在感の薄いいてもいなくても変わらない人のことも気に留めてはいけない決まりとさせていただいた。いやあ、やっぱり人助けをすると気持ちが良いよね。

さて、これにて女神の果実回収作業が終了に。明日は10日目、物語も一区切り付いて新展開に入ろうとしているので、ここで一度今日までの9日間のプレイを総括しておこう。サンディ御大、よろしくお願いします。

ちょっと戦いが多すぎるんですケド?

う、うるさいうるさいうるさい。


進行状況:9日目



10/04/30(金) 第295回 異性を射止める☆ゴツかわ系ファッションコーディネート

先にベホイムスライムの話をしたが、そう言えば今作にはノーマルタイプのスライムの新種も登場していた。青、赤、緑のスライムが積み重なっているその名もスライムタワーだ。土台となる下段にオーソドックスなスライム、中段にスライムベス、上段にスライムナイトの下の奴を配置した豪華3段構造のモンスターである。初めてお目にかかったときは、なるほど影の次は縦かー、と妙な感動を覚えてしまった。いいよね、スライムタワー。それぞれはよく見覚えのある面々なのに、単純に3体の能力を合わせただけじゃ決して届かないはずの能力を備え、また経験値、ゴールドを持ち合わせているっていうのにも好感が持てる。「自分達はいつまでもDQ最弱モンスターの座に甘んじてなんかないぞ」っていう強い意志と努力の跡が見られるし。
しかしだ、同様にメタルスライムが縦に3体積み重なったメタルブラザーズ、お前達は許さん。サンマロウの洞窟だったかで「この洞窟には例のアイツを狙ってメタルハンターが棲みついている」なんて情報を聞いたから「これは遂にはぐれメタルの登場だな」とか思ってたら実はお前らだったときの失望を私は忘れてないぞ。なーにが「ブラザーズ」だよ。スライムタワーだって色違いのスライム3種が寄り集まって出来てるんだからお前らもさ、メタルキング+はぐれメタル+メタルスライムの3段構造になれとは言わないからさ、せめてメタルスライムS+ドラゴメタル+メタルスライムくらいにはなれよ。色違いで個性を出すことができないんだったらせめてもの努力としてさ。ただメタルスライムが3体集まったの見てて一体何が楽しいって言うの。経験値も単純に3倍、所持ゴールドも単純に3倍で何の面白味もない。言ってみれば単なるメタルキングのなり損ないってことじゃないか。見た目が可愛いからってただ重なっただけで「いやー、今日もいい仕事したなー」なんて気分になれると思ったら大間違いだぞ。DQマスコット業を甘く見るんじゃない。
とは言えまあ、今日のプレイでようやくはぐれメタルに出会えたことだし、この件は水に流そうか。ずっといがみ合ってても仕方がないからね。ただ私はお前らの甘ったれた考え方の問題点をきちんと指摘したからな。これで次またただ積み重なっているだけの姿で私の前に現れようものなら、そのときは最後の覚悟だと思っておけよ。

一方本編では、黒いドラゴン対策のために訪れたドミールの里でビッグボウガンが売られているのを見付けた。ビッグボウガンと言えば、個人的にDQ終盤を象徴する武器であるが……終盤? そう言うにはちょっと早いような気がする。でも一つの見せ場であることは確かなようで、復活した闇竜バルボロスを倒すべく、かつて闇竜と戦った英雄グレイナルと主人公とが共闘するという熱い展開となっていた。竜の背に乗って共に闘う。何ともあのロマサガ3のビューネイ戦を彷彿とさせるではないか。とまあ、実際の話ビューネイはグゥエインとの共闘イベントでは何度やっても勝てなかったから普通にダンジョン潜って5人で袋叩きにした過去を持つ私が知った風な口を聞くのだけれど、それはともかくストーリーは盛り上がりを迎えていた。
しかしこのイベント、グゥエインの時と比べて少々勝手が違う。まず前段階としてグレイナルのもとに一人で来るよう要請される。他の3人はプレイ2日目に加入して以来初めてとなるルイーダの酒場での留守番である。更にいざ決戦という段になってグレイナルから「竜戦士の装具」なる装備一式を貰う。話によればグレイナルは過去の戦いで翼を負傷しており一人では飛べないが、この装具を身に付けた者を背に乗せることで飛べるようになるのだという。やけに面倒臭い制約があるなあと思っていたが、実際にイベントが始まるとすぐにその謎は解けた。グレイナルとバルボロスとの決闘シーンがムービーで流れたのである。ああなるほど、今作はキャラメイキングシステム採用だからプレイヤーごとに異なる主人公の容姿、背格好がこういう場面に影響しないようにしなければならなくて、だから全身完全防備の顔すら見えない防具を装備させたのか。思い出してみれば主人公が下界に落ちるDQ9タイトルムービーのときも主人公視点にするとかしていたような気がする。ははあ、考えましたなあ。
でもこれってつまり、今後もムービーが挟まりそうだという流れになるとその時々での正装を着用しなければならないということか。いやいや、文句はないんだよ? ただ一つだけ、その時に身に付けなきゃならないのがどうにもこうにもセンスの感じられない見てくれでさえなければ。いやね、グレイナルを悪く言う訳じゃないけど300年前の英雄だけあってやっぱり300年前のセンスだったんですよねー。

でも私はこれだけは言っておきたい。
前作の竜神装備よりはマシだったと。


進行状況:10日目



10/05/01(土) 第296回 はぐれのさとり

そう言えば仲間を酒場に預けたままで牢獄に入れられちゃってたから、もうしばらくは一人で戦わなきゃならんのかと思っていたのだが、さあ脱獄するぞという段になって戦闘準備を整えるためにルーラで一旦外の世界へ出ていけることになろうとは思わなかった。えっ、それはいいのか。確かにルーラは設定上一般には存在しない呪文だから牢獄がルーラ対策されていなくても不思議ではないのかもしれないが(屋根が無いだけで結界自体は張ってあったのかな)。って言うか、これもうわざわざ他の囚人のために帰って来なくったって一人だけ逃げちゃえばいいんじゃないの。親兄弟を助ける必要があるとか、長年の付き合いのある仲間を見捨てられないとかいう事情があるならまだしも、つい昨日今日出会ったばかりで牢獄内の説明をしてもらったくらいの人を命がけで助け出す義理なんてないもんね。
…だが私は、最後には彼らのもとへ戻ることを決意するのだ。酒場から仲間を召喚し、一晩ぐっすりと休んで、必要なら新しい武器や防具、アイテムを十分に揃えて、満を持してカデスの牢獄へ戻る。何故か? ほぼ他人と変わらない人達のために、何の見返りも期待できないであろうことのために、どうしてそこまで献身的になれるのか? 否、献身的になりたくてなっているのではない。私はいつだって献身的にならざるを得ず、私以外の全ての善人に無償の好意を与え続けなければならない。例えたった一日苦しみを共にしただけの仲なんだとしても、見捨てる訳にはいかないんだ。だって、ここであいつらの期待に応えてやらなきゃあ、この先いつまで経ってもイベント一つ進んでくれやしないんだよっ……

こうして牢獄を脱出した私は、いよいよ敵の本拠地、ガナン帝国城へ乗り込むこととなった。雰囲気的にラストダンジョンと言われてもおかしくはない佇まい。だが感覚的には「ここで最後」と言うにはまだまだシナリオ上の疑問が多くて時期尚早のような気がする。先日突然反旗を翻して女神の果実を根こそぎ奪っていったかつての師イザヤールの件とか、ここまでで何度か主人公達とすれ違っている謎の女の正体とか、神の国から忽然と姿を消していた神のこととか。ただ今作ではソフト発売後の配信シナリオによってその辺りのことに触れるという手も使えるからそこはあまり参考にはならないのかもしれない。シナリオの内容がどうこう、ということよりもビッグボウガンが出てきてるから終盤、ボストロールが出てきてるから終盤、という根拠の方がよっぽど信憑性ありか。
ということでいきなりラスボス戦となっても慌てない程度のテンションで帝国城へ乗り込むことにした。そしたらどうだ、あろうことかラスボスどころか誰がどう見ても中ボスと分かる扱いの奴に全滅を喫することになってしまった。シナリオ上ボスで初めて主人公達を教会送りにしたのはガナン帝国三将軍の一角、その名もギュメイ将軍である。初めの内は、特技を豊富に持ってはいるがどれもこれも物理攻撃系のものばかりだから「スカラで固めれば問題ないな」などと思っていたのだが、奴はしかしたった一つだけ極めて厄介な技を持っていたのだった。

まじん斬り

このあまりにも見覚え、聞き覚えのあり過ぎる特技が楽勝ムードをあっさりと吹き飛ばした。本来まじん斬りとは「命中率は低いが当たれば会心の一撃」という技であるが、我々のレベル不足が祟ったのかこの戦闘に限り「当たれば即死」という大技へと変貌を遂げていたからである。失敗すれば無害だが成功すれば死亡。事実上のザキじゃないかと思いながら初めの何回かは避けていられたのだが、その内に「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」の法則に従って被害者が出てしまうともう敗戦ムードは濃厚になっていた。最後は、体勢を立て直す前にもう一人死んだらアウトという状況の中、我がパーティーの誇る優秀回復役僧侶の華麗なザオラル3連続ミスが響いてどうにも立ち行かなくなり幕を閉じたのだった。
無念、無念。まじん斬りはずるいよ。でもそのまじん斬りに一度すら耐えられない戦力がまず問題なんだよな。でもなあ、ザオラルがちゃんと発動してくれてたらあそこからでも何とかなったんじゃないかと思うんだけどなあ。このとき私はついさっき聞いた賢者への転職法のことを思い出し、ザオリク習得のために僧侶を賢者にさせるかどうか悩んでいた。もしかしたらもうすぐラスボスかもしれない。もしラスボスなら今日にもクリアになっちゃうのかもしれない。そんな段階になって今更レベル1キャラクターの育成の手間を取ることは果たして妥当だろうか。しかし安全確実な蘇生呪文は他の何物にも代え難いほどの魅力。このさき少なく見積もっても2〜3回の大ボス戦が待ち構えているであろうことを考えると仮にギュメイ将軍を今の力で退けられてもそのうち手詰まりになってしまうかもしれない。そうなって結局ザオリクに頼るという話になるのなら今習得しておいても…
悩んだ末、結局もう一度挑んでみようということになり、即座に再戦を申し込んでみた。勝った。何のことはない、どこで判断を誤ったのか知らないが、奴が一回もまじん斬りを使ってこなかったので適宜ダメージを回復させているだけで苦もなく倒せてしまったのである。

げに恐ろしきはまじん斬りの凶悪さよ。
私は今日、普段冒険者達からそのまじん斬りで手当たり次第に斬りかかられるメタル系モンスターの気持ちを少しだけ知った。


進行状況:11日目



10/05/02(日) 第297回 最終回・想いは遠く空の向こうへ

今作は前作と違ってレベルアップ時に手に入れたスキルポイントを溜めておき、後々好きなときに使えるようになっているが、魔法戦士(元魔法使い)の最終的な使用武器を何にしようかパーティー加入直後からずっと悩んでいた結果、このほど貯蓄ポイントが100ポイントを超える事態にまでなってしまった。今ならどんなスキルでも一瞬でマスターできるということに。もっとも、生来の貧乏性が故にそんな豪快な行動には間違っても出られないのだけれど。

さて結局ガナン帝国城はラストダンジョンではなかった訳だが、堕天使エルギオスの向かった神の国へ赴いて、かつての面影を完全になくしたその光景を見て今回こそ完全に悟った。ここがラストで間違いないと。ここに来て真の黒幕的キャラ登場というストーリー展開しかり、神の国を舞台にするという演出しかり、DQシリーズのラストダンジョンにどこか共通して見られる禍々しい雰囲気しかり、今私の置かれている状況の全てがこここそクライマックスの地であると物語っていた。
更に、その考えを一層確かにする展開が起こる。ガナン帝国3将軍の復活(=かつての宿敵との再戦)。直前のダンジョンで倒したばかりの奴らがもう再登場したのには、さすがに間を置かなさすぎではないか、物語の進め方に行き詰った週刊少年ジャンプの中位連載漫画でももう少し「溜める」んじゃないか、などとつい思ってしまったが、まあ道中見も知らぬ中ボスに何度も何度も立ちはだかられるより燃える展開なのは間違いないところ。と言いつつ、またあのギュメイ将軍と戦わなきゃならなくなったことに内心では多少滅入っていたのだが。
まずはゴレオン将軍。力馬鹿の相手は楽なので順当に撃破…と思いきや、前回よりも威力の増した感のある怪力に押されて魔法戦士がやられてしまい、その状態のまま勝利してしまった。ああ、取得経験値に差が付いちゃうなあ、などといつもの下らないポリシーが曲げられたことに少しショックを受けていたら、ここで気付いた。そう言えば、本プレイで棺桶を見るのって初めてだ。そう、人が死ぬことはこれまでに何度かあったが、前述の下らないポリシーのためにきっちりとバトル中に復活させていたし、復活させる余裕がない場合はイコール勝てる見込みもない戦いということで全滅させられていたので、中途半端に1〜3人だけ死んでいるという状況になったことがなかったのであった。ということは無論ザオラルを使えるようになるまでは死者0。本人は全くそんなつもりもなかったが、どうもここまでかなり堅実なプレイをしてきたらしいことがうかがえる。御大に「慎重過ぎる」だの何だのとうるさく言われるのも故なきことではないという訳か。納得はいかないが。
続くゲルニック将軍は軽くいなす。あんたストーリー上では他の2将軍と違ってちょっと仕事したりしてたけど戦闘じゃパッとしなかったな。まあ落ち込むなって。呪文を駆使する知能型の戦闘スタイルが力任せに武器を振り回す単細胞な奴に劣るっていう客観的事実が証明されたのが悔しいのは分かるけど。
最後のまじん斬り将軍も頼みのまじん斬りがいまいち振るわなかったせいでリベンジの甲斐なくあっさり散った。やっぱり奥の手を一つしか持たないっていうのは弱みだな。結局まじん斬りが当たってくれることに賭けるしかない運次第の戦いしかできない分際でよくも将軍の地位まで上り詰めていけてたもんだよ。私だったら仮に将軍への昇進を打診されても身に余る評価だし、何より恥ずかしいから辞退すると思うな。と、まじん斬りが一撃でも当たったらザオラルによる運次第の復活に賭けるしかなくなる分際の私が言ってみる。勿論そんなことを臆面もなく言えるのはいつの世も勝者の特権だ。多分彼も昨日私達を全滅させたときには似たようなことを得意気な顔で言ってたんだと思うよ。
3将軍を退けると、見るからに最深部の見るからに神の玉座的フロアへ辿り着き、そこにエルギオスはいた。ひしひしと伝わる緊張感。ここまでは比較的楽に来れたと思うが、何だかんだでDQシリーズのラスボスには苦労させられた思い出の方が多いから油断してはならないのだ。思い出すんだ、デスタムーアに手も足も出なかったときの絶望、ラプソーンにこてんぱんにやられたときの放心、シドーにベホマを唱えられたときの衝撃、ゾーマに「光の玉」を使うまでの猛攻、何度倒してもその度に少しずつ姿を変えて再び立ち上がるデスピサロの執念、たった一人の人間に敗れた竜王の無念、魔王なのにしもべに頼ったミルドラースの小心、戦闘形態を4つも持っていながらアルテマソードの連発で成す術なく倒された史上最も惨めなオルゴデミーラの醜態……あれ?
私の気合いも虚しくエルギオスは倒れた。だがこのとき既に私とエルギオスの間にはある暗黙の了解があった。こんなことで終わるようではDQのラスボスじゃあない。持っているんだろう、全ての力を解き放つための変身を。するとエルギオスは、

ならば天使の姿をすて、完全なる破壊の化身と化そうではないか
私のあとを追ってくるがよい!

そう言って外へ飛び出して行ってしまった。あれ、これは一度下界に帰って宿で一泊してきてもいいよということか。確かにここまでの3将軍戦とエルギオス戦での消耗はある。しかしゴールドマンとは違い真摯な人間である私は正々堂々と連戦を申し込むことにした。
だが絶望と憎悪の魔宮で待っていたエルギオスは私達に一瞥をくれるとこう言い放ったのであった。

……来たれ。闇竜バルボロスよ!

てっ、てめえ! 人が疲れた身体を押して正面から挑もうって言ってるのにそれは卑怯だぞ!
私は騙された。騙されたのだ。堕天使に飽き足らず正真正銘の悪魔にまで堕ちたとは言っても元は同じ天使だったのだからとほんの少しでも誠意を見せた私が愚かだった。奴めは、度重なる戦いを経て次第に劣勢に立たされる私達を見ながら自分だけはゆっくりと体力の回復を図っていたのだ。卑劣な策略にかかった私は、バルボロスこそ辛くも退けたが、最早十分に戦える体力を残しておらず、続くエルギオス戦でシナリオボス相手に2度目となる全滅を喫する。
そうか、そういうことか。ならば私も相応のやり方で奴に挑むとしよう。気付けば私ははぐれメタルを狩っていた。資金稼ぎではなく、転職直後の一時的修行でもなく、純粋なパーティー全体の戦力底上げという意味では何年振りになるか分からないレベル上げという行為にせっせと勤しんでいた。大人げない? 馬鹿言え。どう考えたって大人げないのはあっちだろう。多分今頃「人間など他愛もない」とか何とかしたり顔で呟いてるんだぞ。一度は負けた3将軍に加えバルボロスまで駆り出して、最後疲れ切っていた私達にただ追い討ちをかけただけなのにもかかわらずだぞ。そんなのを前にしたらこんなの卑怯の内にも入らないよなあ。こっちはいつだって他の誰の力も借りずにこの身一つで戦い抜いてるんだから。
そうする内に魔法戦士がバイキルトを覚え、僧侶がフバーハを覚えた。そして全員のレベルが42を超えた頃、私は重い腰を上げ、奴のもとへ舞い戻った。必要な力を得、十分な休息を取って再びやって来た私達が勝利の声を上げたのはその十数分後のことである。


そしてエンディングへ。
エルギオスはかつての恋人ラテーナの愛に触れ改心し、二人一緒に昇天していった。あのー、さきほどの非道に対する謝罪の言葉は…あー、行っちゃった。
女神の果実を実らせるという役割を終えた天使達は、夜空の星となった。女神セレシアは言う。彼らは星空の守り人として永遠に輝き続けるだろうと。永久強制労働そしてまた、エルギオスを倒すために女神の果実を食べて人間になった主人公は、これから人間界で人々を見守っていく役割があるとも。
御大とも別れの時。何やら御大は最後とても意味深なことを言いかけて主人公の下を去った。今だから言おう。御大のそのキャラクター、正直そうまで悪いとは思っていなかったと。
そして主人公は再び下界に降り立った。人間としての身体で、人間としての心で。天使として生きていた頃の友に会うことはもうない。でも彼は寂しくなんてなかった。この世界には、掛け替えのない絆で結ばれ合った人間の仲間達がいるのだから。
人々の悩みある限り、人々の迷いある限り、彼の使命は終わらない。かつて天使だった男は歩き出した。空に輝く星々にも負けぬ、人間界の守り人となるために。
主人公の冒険はこれからだ!

長い間ご愛読ありがとうございました!
kemkam先生の次回作にご期待下さい!!


進行状況:12日目



10/05/05(水) 第298回 老人排除令

うん、何々…?
「コクーンのパルスでパージのファルシが…」 ああ違う違う。
「パルスのファルシのルシがコクーンのエネミーだからコクーンがボーダムをパージしてサイコムがデストロイしたのでボーダムのノラのリーダーが…」

う、うわあああああーーーーーーっ!!


―――――。
発売から4ヶ月半、本日からいよいよFF13の一周目プレイを開始する。ここに至るまでの道のり、長かったなあ。思い返せば(以下略)
「発売直後にプレイしなかったFF」ということで言うと、これは1999年のFF8以来ということになる。だがこれは私の中でのFF愛が薄れた結果こうなったのではないということは初めに述べておきたい。では何がそうさせたかと言われると、やはりそれは時代か。私もこの10余年で当時とは比べ物にならないほどの社会的責任を背負う立場となり、おいそれとビデオゲームに興じてもいられなくなっていた。そしてPS3初のFF、ひいては私にとってPS3初のゲームという事実が「ハードも併せて買わなければならない」という重しとなって購買意欲の抑止になっていた。仮にこのどちらかでも違っていればこうはならなかった、つまり私がまだ社会人でなければ発売当日からプレイを始めていただろうし、社会人だったとしても既にPS3を持っていたならせいぜい正月頃にはFF13を買っていたに違いないのだ。この2つのタイミングが運悪く重なったからこそ、初めてこの4ヶ月半のブランクは生まれたのである。繰り返すが、私のFF愛は未だこれっぽっちも失われてなどいないのだ。先日だって(以下略)
このようにこんなにもFFのことを愛してやまない私であるがしかし、FF13はあろうことかそんな私をプレイ初日から精一杯突っぱねるのであった。その一つが冒頭の一節である。今作はとかく新語というかこの世界特有の言葉が多く、恥ずかしながら同年代の人間に比べて非常に頭の固い私にとっての最初の壁となったのだった。ちょっと油断すると言葉の意味を混同してしまう。なのにセリフはボイス演出だから止まってくれない。下手をすると誰もかもがとんちんかんな発言をしているように聞こえかねない状況である。ただそれでも上述の単語群は大体が今作においてかなり重要な要素であり、何度も繰り返し登場するもののためそのうち慣れはするものだ。
が、そうして立ち直りかけた私にFF13が追い討ちをかける。明らかに今後のプレイに大きな支障をきたす重大な問題がそこにあった。字が小さい。序盤のバトルに挟まれるチュートリアルやメニュー画面から辿れる「これまでの物語の粗筋」、Tipsなどの情報が実に見づらい。ちょっと複雑な漢字が潰れて読めず(「異跡」が読めない)、前後の文脈から何となく雰囲気を感じ取らなければならない。ここ最近視力が落ち気味の私にはこれがなかなか堪えた。必ずしも読まなくていい情報なのだからじゃあ読まなければいいじゃないかという話になるのだが、そこはそれ、これ見よがしにメニュー画面に「New!」的表記を表示されてはそれを1つずつ潰していきたくなるのが人間のサガというものではないか。だから私は読むのだ。今のところ全体の1〜2割くらいを雰囲気で判断しながらそれでも読むのだ。
さて、この2つの突き放し主義を見て思った。もしやFFというシリーズは、もう若者以外の人間を完全に主要購買層から外して見ているのではないか。つまりこういうことだ。「この程度の造語もすんなり覚え切れない人お断り」「これまでになかった新しい世界観を受け入れられない視野の狭い人お断り」「老眼お断り」 いつの間にやら20歳よりも30歳寄りの人間になっていた私はとても焦った。でも確かに「わーいファイファンの新作だよ」などとはしゃぐような歳ではなくなっているのである。そのことはよーく分かっているつもりなのである。でもこんな形でその現実を突き付けられるだなんて。あれほど待ち望まれていたFF13のプレイ初日は、予め想定できるはずのないような切り口から私という一プレイヤーに重大な影を落としたのであった。
もっとも、新語の話はともかく字体の大きさに関しては、我が家の14インチテレビの小ささに問題があるのではという見方もできる。でもそれはそれでFF13が「それなりのテレビを持ってる人でなければプレイするに値しませんよ」というスタンスを取っているように思えて、結局私にはショックだ。こんなところに格差の足音が。
映像の美麗さはしっかり伝わったことがせめてもの救いか。ただこのテレビではその映像についても100%の真価を発揮してる訳じゃ全然ないんだろうなあ、と考えてしまうとせめての救いも救いではなくなってしまう。

格差…


進行状況:1日目



10/05/09(日) 第299回 独裁者急募

G A M E O V E R

あっと言う間の出来事に私は戦慄した。FF13の容赦ない現実が今日も襲いかかってくる。
今作のバトルシステムを簡単に説明しよう。基本はお馴染みのATBである。コクーンだパルスだファルシだ何だという世界間の中にあって実に取っ付きの良い、心の休まる存在であることに私は少し安堵したように思う。だがその実態は当初想定していたものとはまるで趣の異なるものだった。
まずATBゲージ一本=一行動ではなく、複数回行動が可能になっている。「たたかう」を初めとするコマンドにそれぞれATBゲージの消費量が設定されていて、それらを現時点のゲージ蓄積量の範囲内で組み合わせて行動するという訳だ。つまり単純に「何を使うか」だけでなく「どう組み合わせるか」の判断が必要になったということ。更にそれだけでなく、ゲージが溜まり切るまでの間にも「今すぐゲージを消費して単独攻撃するか」はたまた「ゲージが溜まるまで待って連続攻撃するか」の判断が要求されるようになった。新システム会得まで随分時間を費やしてしまう頭の固さに長年苦しめられてきた私であるが、ご多聞に漏れず今回もそうなりそうな予感がする。
次に、操作キャラクター以外の2人が完全NPC扱いである。プレイヤーはそれぞれのキャラクターに基本行動指針となる6種類の役割のいずれかを与えるだけで、後はその役割と戦況に応じた行動を個々のキャラクターが判断するのだ。広い意味では前作のガンビットと同じ系列のシステムとも言えるが、あちらが「行動のアルゴリズムを設定している」と言ってもいいくらいガチガチに規則を定めているのに対して、こちらは本当に指針を提示するのみ。「攻撃中心でお願い」「回復役に回って」とだけ言っているようなものである。しかし仲間とは言えどもそこは他人。リーダーの自分としてはこう動いてもらいたかったのに、向こうは向こうの基準で要らぬ行動を取ったりするのはままあること。従来のシステムならリーダー以外の私情の挟まる余地がなかったからこそ統率が取れていたのに、人権尊重だのそれぞれの持ち味を伸ばすだのということばかりが叫ばれ「個」を前面に押し出すあまり混乱をきたしているのだ。そこらのザコ敵を相手しているときにちょっと考えが食い違うくらいならまあいいとしても、これがある程度追い詰められた状況の中で起きるとそこからの体勢の立て直しは容易ではない。一丁前に自己主張する人間が増えた今の時代特有の問題だな。やはり一人ひとりの個性、個々人の意見なんてものは、少なくとも戦時下においてはもっと抑え込まれていなければならないのだろう。反論もあるかと思うが、それだったらまずピンチ時くらいにはリーダーからわざわざ役割切り替えの指示を貰わなくても独自の判断でケアルを使うとか、それくらいの柔軟性を持ち合わせてから言ってくれ。
そしてもう一つ、恐らく多くのFF13プレイヤーを震え上がらせたであろう驚愕のルールが白日の下にさらされる。「リーダー戦闘不能の時点でゲームオーバー」 近年のゲームには珍しくシビアな設定に私も例外なく狼狽した。だがそれ以上に憤りを感じた。リーダーが倒れたらそれで終わりって、そのとき他の2人は一体何をしているんだ。お前らが勝手に行動して勝手に死んでいく分については私にしっかりと尻拭いをさせておいて、当の私が倒れたらまだどんなに元気があってもすぐに諦めて全滅を甘受するのか。それとも自分らだけさっさと逃げて放置するのか。パーティー全体の共有物資であるはずの「フェニックスの尾」を1個たりともリーダーのためには使ってくれないのか。戦闘中の行動にはほぼ口を挟ませないでおいて、一方では「リーダーが死んだら終わりなんだからしっかりしてくれ」と重い責任だけ押し付ける身勝手なメンバーの姿がそこにあった。口だけは達者な面々を抱え頭を悩ませるリーダー。しかしそのリーダーでさえも、誰か他のメンバーにその座を引き継いだが最後、やはり全ての責任を丸投げするようになる。
ほぼ全員が成り行き上偶然に、かつ突然に集まったパーティーである以上仕方のないことかもしれないが、あまりに誰もが自分のことしか考えておらず、共に行動する人間を尊重しなさ過ぎるこの状況ではほころびが生じるのも時間の問題だったと言える。そしてそれは今日、早くも現実のものとなったのであった。私の認識では本編2体目のボスである重攻撃騎マナスヴィン相手にあっさり全滅。それも2度。更にダメ押しとして道中のザコ戦で1度。しかもその全てが、全滅とは名ばかりの「リーダーがやられちゃったから勝手にギブアップ宣言」によるゲームオーバー。相手の手数がちょっと多いかちょっと攻撃力が強いと、ほんの少し集中攻撃させられるだけで呆気なくHPが尽きてしまう状況を立て続けに見せられ、未だチュートリアルの真っただ中であるにもかかわらずついこの先のことを案じてしまった。前作も初回プレイ時の特に序盤は相当苦労させられていた記憶があるが、今となっては霞んで見えるようである。

今日のプレイ開始時には確か、週1回プレイするとして1日に1章進めるくらいのペースが基準になるかななどと思っていたのだが、そんなのは夢のまた夢だったという現実をかなり早い段階で突き付けられることになりそうだ。
とにかく今は、この自分本位な人間達を多少強引にでもまとめ上げてくれる者の台頭が待たれる。そう言えばまだ今回はシドが登場してないな。FF12プレイ時には「もしかしたらFF13かFF14頃には本当に主役を張ってたりするんじゃないか」と半ば冗談で言いはしたが…シドよ、期待していいか。


進行状況:2日目



10/05/23(日) 第300回 逃げる逃げるよ聖府軍から私から

買おうと思っていても、なかなか踏ん切りがつかないHDテレビ。
待ちに待った『ファイナルファンタジーXIII』の発売に合わせて購入するのはいかが?
そこで今回は、ゲームだけでなくBlu-rayのソフトを楽しむためのにオススメのテレビを大紹介しちゃいます!
最高級のゲームは、やっぱり最新のテレビで楽しみたい!
――「FINAL FANTASY 13」公式サイト HDテレビ購入ガイドより

へー。HDテレビねえ。やっぱ高いな。10万とか20万とか30万とか。たかがテレビに、それもたかがゲームのためにそこまでのお金は出せないよなー。テレビゲームも大層な娯楽になったもんだ。
ん、「PC用モニタータイプ」? あーそうか、何も必ずしもテレビを買う必要はないのか。勘違いしてた。ゲームさえできればいいんだから、それ用のモニタさえあればいいんだよな。ははあ…
一週間後、私の家にPC用HDモニタが届けられた。21.5インチの(その横に置いてあるテレビに比べれば)大画面モニタ。無趣味の社会人を甘く見てはいけない。普段は金を出し渋っているように見えても、本当に欲しい物のためには1万や2万くらいまでならポンと出すくらいの蓄えはあるのだから。
そんな訳で、私のFF13は本日本当の意味でのスタートを切ることとなる。まずPS3を起動させてみて驚いた。字がどうこうじゃなくて、画でさえ見栄えが違う。ひとしきりゲーム起動時のムービーを見直したのは言うまでもないが、せっかくだからとNEWGAME後のオープニングムービーを見直したのも言うまでもない。そして勿論、今回このモニタを購入した最も大きな動機であった字についても申し分ない読みやすさとなった。何しろ「下界」に振られた「パルス」というルビの「パ」の字の「゜」の穴の部分までよく見える。「バビブベボ」と「パピプペポ」を区別することはどうあっても避けられない課題として昔から日本のゲーマー達を苦しめ続けてきたと認識しているが、PS3で遊ぶ限りその苦悩からは解放されるという訳だ。素晴らしい。これが勝ち組の景色か。私はこの二十余年の人生で初めて、格差という名のヒエラルキーの上位階層に立って世界を見渡したのだった。もっとも上を見ると更に「40インチ以上」「高性能スピーカー完備」「地デジチューナー搭載」というこれまた桁違いの格差社会が見えてきてしまうので、常に下を見続けて己の虚栄心を満たし続けなければならないことには注意されたし。

本編再開。オープニング早々聖府に喧嘩を売ってからと言うものずっと軍から逃げ続けてきたのだが、今日もひたすら逃げて逃げて逃げて、その道中で各人の立場や思いや背景が少しずつ語られていった。
で、これは実は初日から思っていたことなのだが、今作のストーリーはどうも少々「飛ばしている」ように感じられてしまう。第1章でとあるメインキャラの母親が死に、第2章でとあるメインキャラの妹(その人物は同時にとある別のメインキャラの恋人でもある)が「事実上の死」と表現されるクリスタル化の運命を辿った。この時点で現在中心人物として登場しているキャラクター5人のうち3人が身近な人を亡くしているということになり、各個悲しんでいるのだけれど、何だろう、プレイヤーの私だけがちょっと冷静な心持であり、もっと踏み込んで言えば冷めた目で見ているのだ。このことは、最近仕事面での悩みが増え始めてきて心が荒みがちになっている現実から来ているものではないはずである。ましてや、そもそも私が人の死に対して何も感じない冷血人間であるという訳でもない。かつて、とあるメインキャラが死に瀕している場面で、それを回復させようと誰かさんが許可なくエリクサーを使おうとしたことに「勿体ないだろう」と思ってしまった過去が仮にあったとしてもだ。そうではなくて、あまりに早過ぎるのではないかと思うのである。近親の人の死をもって感動を扇動する手法それ自体はこれまでのFFで度々見られてきた。しかしその演出がプレイヤーに対して効果的に狙いを発揮するのは、それなりの前置きがあってこそなのではないのだろうか。エアリスが伝説になったのは、彼女がDISC1丸々一杯メインキャラとして活躍した経緯があってこそで、だからこそあの場面を目の当たりにしたプレイヤーは心の底から衝撃を受けた。ティーダだってゲーム丸々一本分を、乱暴に言えば前置きに費やしたからこそ、エンディングでの彼の言動が多くのプレイヤーの心に響いたのだ。無論メインキャラ自身が死ぬのとメインキャラに近しい人が死ぬのとでは重みというものが全くもって異なるが、それにしてもガーネットの育ての母親が不慮の事故で亡くなり全国のFF9プレイヤーを涙させたのだってDISC3になってのことである。このように泣ける演出というものは、それなりの時間をかけて作り上げた土台があってこそ成り立つものなのだ。
それに比べると、やはりこのほどの展開は唐突である。プレイを始めてまだ気分も盛り上がり切ってないのにいきなりクライマックスがやって来たように感じてしまう。そしてスノウの告白回想とか、今日あったライトニング革命決意とか、その後に起こる展開全てがそれらのイベントの上に乗っかっているので、私としてはこの3日間ずっと置いてけぼりを食らっている感覚なのである。思えばプレイ開始後最初に起こしたパージへの反乱行為がすでに従来作の中盤に位置してもいいくらいのシナリオだったが、そこからずっと全力疾走し続けているメインキャラ達にほんの少しでも遅れを取ったが最後、二度とプレイヤーは彼らの目線に立てなくなるのではないか。この不安が、3日プレイした今感じている率直な感想である。
本作はオープニング時点までの13日間の経緯がプレイ中に少しずつ明かされていくようになっているので(余談だが私はこういう演出に弱い)、ことシナリオ、ストーリー面においては、この13日間の出来事が明らかになった後すべての背景を把握した上で改めて見る「二週目」の方が楽しめるようになっているのかもしれない。一周目はバトルの方をとことん楽しむべきなのかな。でも二周目がプレイできるかどうか分からない状況の中で、半ばシナリオを捨てるかのようなスタンスを取るのは少し危険じゃないのかな。ここに来て私の心は揺れ出していた。

今日もまた、前振り無し召喚獣戦で2回、正二十面体連続集中自爆テロで1回ゲームオーバーになったのはそうした不安定な精神状態が故に起こったことだというのは、勿論言うまでもないね。


進行状況:3日目


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