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10/05/30(日) 第301回 迷える子羊に永遠の救いを

なんてこった。理想郷はこんな所にあったんだ。

まず初めに推論を述べる。多分、恐らく、巷に溢れるFF13の感想の中でもとりわけネガティブなものにこういう類の意見があるだろう。「FF13は一本道だ」
ここで言う「一本道」とは、「プレイヤーに行動の判断を委ねるような自由度が極端に低くただ用意されたシナリオをなぞっているだけ」という意味ではない。文字通り「道が一本」という意味である。第1章でオープニングムービーを見終えハングドエッジでキャラクターを操作可能になってから下界の異跡、ビルジ湖、ヴァイルピークス、ガプラ樹林と渡り歩いてきたが、街中も郊外も屋内も屋外もどこもかしこもスタート地点からボス地点まで、更にそこから章の終了地点はたまたエリアの終端点に至るまでほとんど分岐もない一本道で構成されているのである。勿論本当に脇道もない曲がりくねっているだけの道が延々と続いている訳ではないが、あったとしても大抵どちらが行き止まりなのか画面右上のナビマップ上で十分確認可能なレベルの分岐なのだ。その上、稀に本物の二股の分かれ道が現れたりしても、話の流れ上パーティーが二分されて互いにそれぞれの道を歩み、ご丁寧に一方のパーティーの操作中は他方のパーティーが進んだ道の方へ行けなくなっていたりするのだ。こうした傾向はFFシリーズで言うとワールドマップが撤廃になったFF10頃から少しずつ出て来始めていたのかなとも思ったのだが、しかし序盤だけを見てもFF10のキーリカの森は狭いながら交差点が3つ4つとあるマップだったし、FF12のダルマスカ周辺に至ってはむしろ自由度が高めだったくらいである。そこから今作のこの変貌。FF10-2を含む直近の3作で何があっても外せないツールとして明らかにメインの映像よりも注目を集めていたナビマップはもはや無くても支障がないであろう存在へと成り下がり、プレイヤーはかつて皮肉の意味で使っていたはずの「敷かれたレールの上を走るだけ」という言葉を本当の意味で体感することとなった。ダンジョンにつきものだった「どちらが正解のルートか(さもなければどちらに宝箱があるか)」に頭を悩ませるプレイヤーの姿はなくなり、エリアの出口付近で全体マップを見返してみたところでただただ細長い道が長々と記録されているのを見せられるだけで「このマップは隅々まで踏破したぞ」という感慨に浸れたりするなどということもない。私はこんなゲームを4日間もプレイしてきて、そして思ったのであった。なんてこった。理想郷はこんな所にあったんだ。
話は変わらないのだが、私は極度の方向音痴である。どの程度方向音痴か、ということについては幾つかのエピソードを過去にご紹介したが、まあ簡単に言えば目的地とは180度違った方向へ歩くなんてことは日常茶飯事なくらいの方向音痴だ。この特性のせいで、社会人になってからは殊更に苦労することが多くなった。立場上他社へ出向することがよくあるが、初めてそこへ出向く時に全く迷わなかったことはこれまでにない。一回目の顔合わせで遅刻というのは新人レベルの人間としてはかなり致命的な失態の内に入ると認識しているので前日の内に地図で予習はするのだが、いかんせん頭の中の地図と現実の風景との対応が取れてくれない。特に駅の構内図ともなると、毎日利用している駅のものですらどの部分がどこに当たるのかなかなか分からなかったりする。悪いことには、新天地へ赴く際の基点となるのが大概は駅ということになっているので、何事もなくすんなりと目的地に到着できる確率はぐんと下がるのだ。幸い今まで本当に遅刻してしまったことはないのがせめてもの救いだが。
さて、上記の事実を踏まえて考えるとどうか、このコクーンという世界は。そこにあるのは、今自分が目指すべき地へ向けて真っ直ぐに伸びている「前」という道と、そこから遠ざかる方向へやはり真っ直ぐに伸びている「後ろ」という道だけ。この世界には「迷子」という言葉がない。というか恐らく「迷い」という概念さえ存在しない(ただし心理的精神的意味での「迷子」「迷い」はその限りでない)。そんな世界に触れて私は思ったのだ。こんな魅力溢れる世界があっていいものだろうかと。そして勿論、そもそもが人にとって快適であるコクーンの住み心地やパージ政策の恐ろしさなどを全て抜きに考えても、是非に住みたいものであると。だってそうだろう。さしものコクーンも「次にどこへ行くべきか?」の問いにまでは答えてくれないから先々のプランそれだけは自分で組み立てていかなければならないのだろうが、いざ進む道さえ決断すれば、後は世界が私をそこへ導いてくれるのだから。道中泣きたくなるくらいの分かれ道もあろうけど、コクーンにかかればその時々で崖崩れなり橋の崩落なりが起きて正解以外の全てのルートは封鎖されるだろう。時には袋小路に迷い込んだりすることもあろうけど、そんな時には必ずや目の前の壁を乗り越えられる運転機械の類が脇に乗り捨てられているだろう。極め付きにはコクーンは、時に来た道を引き返そうか考えあぐねている私を見て後方の道を封鎖させ「前に進むしかないんだ」と背中を押してもくれる。ここまでの条件を提示されて、コクーンへの移住を思い留まる人間が果たしているだろうか。

え? 「でもゲームとしてはつまらない」? いや違うだろう。よいか、私は今「プレイヤーの探究心や冒険心をくすぐるような探索要素がまるでないゲームというのは是か非か」などという陳腐な話をしているのではないのだ。「仮に今後の人生、未来永劫永久的に道に迷うことがないと保証されるとしたらそれはどんなに素晴らしいことか」を説いているのだ。
はあ、勝手に論点をずらすのは止めてもらいたいね。まったく。


進行状況:4日目



10/06/06(日) 第302回 いつか乗り越える壁

何と言うか、あまり声を張り上げて「わーい、やったやった」だの「やっぱり俺はやる時はやる男だよなー」だのと言ったりするのもみっともないと思ったので触れなかったのだが、実は前回の第5章をゲームオーバー0回で乗り切っていた。道中、何度か油断からリーダーのHPを0にしかけたりはしたが、その都度発揮される思わず目を見張るような判断力でことごとく難局を乗り切り、ボス試作騎ユイジンシャンまできっちりと初見撃破してみせたのだった。なかなか今作のバトルシステムも板に付いてきたか。熟練ゲーマーkemkamの快進撃はここから始まる。

本日はサンレス水郷を通行。これまでになくのどかな雰囲気の大自然フィールドをずんずんと進んでいくと、途中でこのようなインフォメーションが表示された。

この先に現れるスケイルビーストは強敵です。2人で立ち向かうのは困難でしょう。
全ての敵と戦うのではなく、時には戦闘を回避することも重要です

私は瞬時に悟った。なるほど、つまり「1回戦ってみてね」ということだな、と。
RPGにおける「燃える展開」「盛り上がる演出」というものはいくつかある。勿論人によってそのツボは異なる所だが、私にとってそれは例えば「親族、親友の弔い合戦」だったり「かつて仲間だった者との敵対」だったりする。そうした中に「初めは全く歯が立たなかった相手を修行の末に倒す」というパターンがあるのだが、これがまた私の心の琴線に触れるのだ。達成感、征服感もさることながら、まだ弱かった昔の自分を思い出して感慨に浸れるのが良い。初めの負けっ振りが派手であればあるほど、より分かり易くキャラクターとプレイヤー自身の成長を実感できもする。また負けてから最終的に勝つまでの期間が長かったりすると、その分だけそのゲームのプレイ史を総ざらいできるから結果としてゲームそのものへの思い入れが増したりすることもある。この手の演出の最たる例はDQ5のゲマか。FFではゲマほどのカリスマ性を持った「絶対に勝てなかった強敵」はいなかったように思うが、FF2のくろきし、FF6のガーディアン、FF7のミドガルズオルム辺りも十分効果的に私を盛り上げてくれたものである。
さて、スケイルビーストであるが、こいつはこの手のモンスターなのではないかと思った訳だ。だとすれば、今戦いを挑んでみた所で勝てる見込みは万に一つもない。ただただ分かり易い、その気になれば簡単に避けられた、これから先のプレイにおいて何の益にもならないであろうゲームオーバーを1回積み重ねるだけ。しかしこの時、私の中で「スケイルビーストを避けていく」という選択肢はなかった。今が、前章を全滅0で終え、その記録を「連続2章」へと伸ばせる(もしかしたら最後かもしれない)チャンスなのだとしても、安全策を取ろうなどとは考えなかった。何故か。それは、本当に大事なのは目先の勝ち負けにあるのではないと分かっていたからだ。ここで重要なのは、「スケイルビーストに手酷くやられた」という記憶を頭の中に刻みつけることにこそある。いずれ、プレイ時間にして2、30時間か経った後、満を持して帰って来た私がスケイルビーストを倒した時に、「それまで一度も戦ったことがない奴を倒した」のと「一度は敗れてその力の差を体感していた」のとでは胸に迫る思いに天と地ほどの差があるからである。捉え方を変えればこれは先々のプレイで大きな充足感を得るための投機とも言えるだろう。ことによれば、この件ひとつで私のFF13に対する評価が急激に上昇するかもしれないのだから。そんな可能性を前に「全滅回数が1回増える」などといった下らない意地とプライドを優先させることがどれだけ愚かな行為であるかはお分かりいただけることと思う。ゲームの面白みをゲームのみに求めない、「そのゲームの面白さを自分から探していく」とはつまりこういうことだ。そして私は、ほどなくして現れたスケイルビーストに喜び勇んで突っ込んだ。勝った。
……あれ?
勝った。勝ってしまった。どうやらスケイルビーストは上述したような強敵でも何でもなく、本当に単なる「避けていった方がいい厄介なモンスター」でしかなかったようだ。拍子抜けもいいところ。と言うか、ただがっかりするだけならまだしも「ここは1度負けといた方が〜」云々と大層なごたくを並べてしまったためにあまりにも格好が付かない。2、30時間後の盛り上がりまで想像しておきながら2分で勝ててしまって1人取り残されたこの気持ちをどうしてくれる。

実に納得の行かない気持ちの悪い感覚を引きずったまま先へと進むと、今度はあからさまに中盤〜終盤に出てきますよ的オーラを放つ巨大ドラゴンの姿を見かけた。
私は瞬時に悟った。なるほど、つまり「1回戦ってみてね」ということだな、と。
RPGにおける(中略)そして私は、そのドラゴンに喜び勇んで突っ込んだ。勝った。
…………

終わってみれば、第6章全滅回数0。
わーい、やったやった。やっぱり俺はやる時はやる男だよなー。


進行状況:5日目



10/08/15(日) 第303回 どこまでも駆け抜けて行けこの衝撃

5,6章で打ち立てた2章連続全滅0もどこ吹く風。第7章に入って再び順調にゲームオーバー数を上積みさせ始めた私は、だがしかしさほどその事実を悲観的に受け止めてはいなかった。全13章という私の見立てが間違っていなければそろそろ物語も後半に差し掛かり始める頃なのだからちょくちょく全滅するのはむしろ自然な流れに沿っていると言える。それにそもそもが2ヶ月振りのプレイだ。従来のシリーズに比べ要求される技術度が明らかに高い今作にあって2ヶ月ものブランクを与えられては、普通の人間なら1度は習得していたであろう操作のコツをまず間違いなく忘れ去ってしまいまるで「NEW GAME」を選んだら突然第7章から始まってしまったかのような状況に陥ってしまいだけれども決して容赦してはくれないモンスター共に引けを取るばかりで、しばらくはつまらない全滅劇を演じざるを得なくなるものなのだ。言い換えれば、2ヶ月もプレイを放ったらかしていたのに平然と中断前同等のプレイをこなしてみせるような者は普通の人間ではないということだ。要約すると人間ではないということだ。ここで、私が人間であるという命題は自明のため、以上により「2ヶ月置いての第7章でえらく簡単に死ぬ」ことは別におかしくも何ともないと証明されるのである。
そうして、すんでの所で保たれた私のプライドであるが、いつまでもこの論説を後ろ盾にしていられる訳ではない。プレイ再開したての頃にポンポンと死んでしまうだけならまだしも、例えば第7章も終わりに近付きつつある中でなお状況が改善しないようだと、さしもの私も立つ瀬が無くなるだろう。第7章を終える頃には完全復活していなければならない。即ち、章の大ボスにあたるモンスターを軽くいなすくらいでなければ、完全復活を謳うことはできない。そして訪れた飛空戦車グライフ戦。私は私のプライドと名誉を賭け、二十余年のゲーマー人生で得たものの何たるかを示すべく、この戦いに臨んだのであった。
飛空戦車グライフ。本体パーツにサブパーツ×4の計5パーツ構成。まずはサブパーツを破壊してから本体を叩いて倒すタイプの敵。サブパーツのHP、防御力から見てこれらは1度倒してしまえば2度と復活しない。ここまで分析した段階で、5パーツの一斉攻撃による戦闘不能者が出かけていた。なるほど、これまでのボス敵とはランクが1つ違うらしい。このままでは一気に全滅まで持って行かれる。危機を悟った私は、これまでのプレイでは自主的に封印してきたとある作戦を実行に移すのだった。
バトル中、リーダーの指示を耳に入れるだけ入れておいて後は好き勝手に行動するメンバーの自由奔放さを非難したのがプレイ2日目のこと。しかし私はそのことに否定的意見を述べつつも、同時にこう考えていた。「最も重要な行動をリーダー(=プレイヤー)が専任し、メンバーには軸が多少ぶれても大勢には影響しないような仕事を与えておけばどんな相手でもそこそこ安定するのではないか」と。具体例を出すと、リーダーがヒーラー専門になってひたすらケアルを連発し、残りの2人が攻撃と補助を切り替えながら立ち回ればいいのでは、と。今作には何やら各バトルに「このくらいの時間で全滅させましょう」という努力目標が与えられているが、そのことに一切目もくれなければバトル中で最も重要なロールはヒーラーである。何しろヒーラーは仲間の生殺与奪権を直接的に握っていると言ってもいい立場にいるのだ。バトル中どんなに傷付こうがヒーラー様に回復してもらわなければ成す術なく死んでいくのみ。ヒーラー様のご機嫌を損ねたりでもすれば、などということは考えたくもない。ところが実際には、HPが同程度減少しているリーダーとメンバーがいる時、回復を優先すべきなのが明らかにリーダーの方であるにもかかわらずメンバーの方にケアルがかけられたりして、これはヒーラーの個人的感情からくる意図的な差別なのではないのかと断罪したくなる場面を度々目にする。こうした行き違い、そこから来る仲違いを避けるためにも、最重要ロールたるヒーラーの任はリーダーに一任するべきだと考えた訳だ。対して攻撃役は、相手の吸収属性さえ使わなければ着実にダメージを蓄積させられる。期待通りの順番で敵を倒してくれなかったりはするが、ヒーラーがきちんと仕事をして味方が倒れなければいつかは勝てる。詰まる所、馬鹿にだってできる。適当に武器を振り回すか魔法を唱えさえしてくれれば、それが最低限の仕事になる。補助も同様で、効果が重複するような魔法をかけなければそれが最低限の仕事になる。何だ、だったらそれは、リーダーの私が敢えて買って出るような雑務じゃあないじゃないか。適材適所と言いますものね。この不況の世の中、無駄は可能な限り省くべきで、リーダーの資質を持つこの私がそんな雑用に手を貸しているだけの余裕なんて、ありませんものねえ。
先に「同時にこう考えていた」と述べた通り、私はかなり早期の段階でこのことを認識していた。にもかかわらずこれまで上述の戦法を取って来なかったのは、必ずしもその時々のリーダーがヒーラーになれるキャラクターであるとは限らなかったという事情もあったが、それよりも「ヒーラー専任になってしまうと最早鉄壁の布陣となってしまう」ことが予測されたからであった。つまり私にとって、前作における「逆転」状態、FF10における「カルテット99」、FF7における「ナイツオブラウンド」のような、ややルールを逸脱したレベルの(往々にしてゲームそのものの楽しみを奪い去る)戦法であるように感じられたのである。しかしそれもここまで。何しろこの戦いには私のプライドと名誉がかかっているのだ。この期に及んで四の五の言ってはいられないのだ。
そして私はヒーラーの封印を解いた。するとどうか、「なるほどなるほど、やっぱり楽だな。味方のHPゲージだけに集中してればいいんだもんな。ふーん」などという言葉は、何とただの1度も発せられることなく、リーダーのヒーラー時代は幕を閉じることとなった。あれ? おかしい。全然楽にならない。それどころか段々劣勢に立たされていく。これは一体どうしたことか。理由がコマンド選択に要する時間であると分かったのはそれからすぐのことであった。ケアルはただ「現在食らっているダメージ分を回復するだけかければ良い」ものではない(少なくとも直近の敵の攻撃を予測して若干余分にかけておくことが要求される場合がある)ため手動で行動を設定する必要があるのだが、これまでいつもいつも自動でお勧めの行動をセットしてくれる「こうげき」コマンドに頼り切りのプレイをしてきたことが祟ってなかなかスムーズにコマンドを決定できない。更に回復対象を誤る、回復回数を誤る、一旦決定した行動を誤ってキャンセルするなどした操作ミスが頻発する。結果回復は追い付かず、次第に追い詰められていく状況に焦って余計手先がおぼつかなくなるという悪循環を引き起こすばかりである。
仕方ない。私はヒーラーの権限をメンバーの一人に移譲した。するとどうか、見る間に戦況は安定し、パーツを2、3破壊してからはピンチに陥ることすらなくなり、そのまま勝利を収めてしまった。これは一体どうしたことか。理由がやはりコマンド選択にこそあると分かったのはそれからすぐのことであった。何のことはない、NPCたる彼らはコマンド決定の「速度」「正確性」にかけて天賦の才能を持っていたのだ。そこには、市井の人間であるプレイヤー即ちリーダーにはどうしたって越えられない絶対的な壁があった。
「攻撃は馬鹿でもできる」「適材適所」 ついさっき発した自分の言葉が何故か胸に突き刺さるようだが、まあ勝ちは勝ちだ。むしろあそこでヒーラーの責務にこだわらず引くべき時にきちんと引けたことを評価されるべきだよね。こうして、最低限の面目を辛うじて死守し、復活の第7章は幕を閉じた。

続く第8章は歓楽都市ノーチラスに到着したサッズ・ヴァニラ組のお話。どことなくゴールドソーサーを思わせる賑やかな雰囲気の都市を見て、劇中の2人と同様に沈んでいた私の心も少しは晴れるようだ。もっともFF7の時のようなミニゲームは多分用意されていないだろうと分かってはいたが、オープニング以降ずっと殺伐としていたことを思えばこれだって十分過ぎる静養になる。
と、ここでFFキーパーソンの一角、チョコボが登場。ああ、今作もテーマ曲は健在だったか、良かったなあ。ただ今作は乗り物としての活躍がもしかしたら前作以上に制限されてるんじゃないかってことが個人的には心ぱ「どーこまでも駆け抜ーけてー♪」

(゚Д゚)


進行状況:6日目



10/12/29(水) 第304回 指導者急募

(゚Д゚)

一瞬にして場を支配した「聞き慣れたメロディの聞き慣れない歌」に触れ、私はしばし放心状態であったが、少しばかり時間を置くと、この衝撃を落ち着いて捉えられるようになっていた。そう、ここは夢の街。こんな浮世離れした出来事だってここじゃ日常茶飯事なのだ。それに、近年不遇をかこってきたチョコボ達のことである。彼らにとっては、こういう形でスポットライトを浴びられるということが、正に夢のような話だったのかもしれない。
もう20年も彼らの成長を見届けてきた者としての、得も言われぬ感慨を覚えていると、観光客の一人からこんな声が漏れ聞こえてきた。

「明日から仕事かー、帰りたくないなー」

その瞬間、現実に立ち戻る私の心。否応なしに降りかかる休み明けの憂鬱と早起きの過酷さと仕事への抵抗感と時間的制約がもたらすストレスと将来への不安。FF13がリアルさを売りにしている作品なのは分かるが、こんな名もない一般人の何気ない一言まで現実っぽさを追求しなくても良かったろうに。

物語が9章に入ると、そろそろあることが気になり始めてきた。ザコ戦が長引きがちになってきている。これは、単純に厄介なモンスターが増えたからそうなっているだけなのか、それに加えて私の実力が追い付けなくなってきていることも原因なのか判断し難い現象である。しかし、敵パーティーの顔ぶれによっては目標タイム自体が既に10分を超えたりしているのは、さすがにどうかと思ってしまうのだ。1戦10分。FFTやファイアーエムブレムといったシミュレーションRPGでもないのにこの数字は異常ではないだろうか。私の20年少々になるテレビゲーム史を振り返ってみても最長クラスか、或いは文句無く「最長」だと明言できるレベルだ。ちなみにこれまでのトップは、エンカウントからバトル画面表示までで優にバトル曲が1周することも珍しくなかった「晩年のPSでプレイするFF9もしくはDQ7」である。それにしたって10分はないが。
私は、「ものづくり」の何たるかについて知った風な口を利けたものじゃない身でありながら、つい思ってしまった。「長過ぎるよ」と。常々、娯楽というものには小気味好いテンポが重大な要素になっていると思っているのだが、今FF13はその考えからあまりにも外れ過ぎていた。これがボス戦なら良かっただろう。押しつ押されつの緊迫感溢れる戦いが10分間なのか、はたまた圧倒的武力でひたすら攻め立てる一方的展開の10分間なのかは別にして、少なくともそれだけの時間を取られる戦闘はここ一番の時に限られるのだから。だがしかしこれはザコ戦。連中は倒せども倒せども無条件で再び私の前に立ちはだかる。もちろんその全てが10分超の戦いという訳ではなかったが、1フロアで4回ほど問題の組み合わせに遭遇するという実績も一方では作った。これだけで40分。なおそのほかに2〜5分レベルのザコ共も押し寄せてくることを忘れてはならない。いよいよ、1フロアの攻略に1時間かかりかねない状況にまでなって、つい憤りを感じてしまったのも仕方のないことだったと、ご理解いただければ幸いである。
だが、こんな仕打ちを受けても、私はこの現実を声高に批判することができない。何故か。それはこのゲームがシンボルエンカウント制を採用しているからだ。そう、本作は、DQ9ほど容易ではないが、それでも敵と戦いたくなければ戦わずに先へ進めるようになっており、なのに私はまたもや、ご丁寧にも各フロアに配置されている全モンスターを最低1度は相手にするという方針で今日までプレイしてきていたのだった。今回の議題になった10分パーティーでさえ、実はフロア上の特定シンボルを無視するだけでほぼ避けられたというのに、わざわざ1体ずつ相手にしていたのだった。だから言えない。「どう考えても何らかの調整に失敗してるだろ」と言えない。そう口にした瞬間、何度も何度も口を酸っぱくして「お前は無駄な戦いをし過ぎる」と指摘したトロデ王、並びにサンディ御大の顔が脳裏に浮かんでしまうからである。

そう言えば本作には、私のいつもの愚行を言い咎めてくれる良きアドバイザーがいない。今、真に求められているのは、未だ自分勝手さを律しようとしない主要キャラ6人をまとめ上げる独裁者の存在ではなく、プレイヤーの私自身を正しい方向へと導く指導者の存在なのかもしれない。


進行状況:7日目



14/08/23(土) 第305回 22年前

先日つつがなく終了した「ゼルダの伝説 神々のトライフォース2」初回プレイの模様その他を書こうと思ったのだが、その前にどうしても私の、前作「ゼルダの伝説 神々のトライフォース」への思い入れを述べておきたい。やはり本シリーズの話は、前作への愛なくして語れるものではない。実はその辺りの話は10年前に雑文の方で1度触れているのだが、今更ネタ被りなんて気にしていても仕方がないので堂々と同じ話をさせていただくことにする。

そもそも私のスーパーファミコンとの出会いは小学1年か2年のクリスマスであった。当時既にファミコンに嵌り込んで1日1時間にしなさいだの2日続けて遊ぶのは駄目だのという親の言い付けを度々破っていた糞ガキの私がクリスマスプレゼントにこれを所望し、なんと何一つ嫌な顔をされることなくプレゼントしてもらったのだった。本体と一緒に買ってもらったソフトは「スーパーマリオワールド」で、ファミコンからの進化具合にいたく感激したことをよく覚えている。
しばらくして、父親が「ゼルダの伝説 神々のトライフォース」を買ってきた。その頃の私はファミコンでの「ゼルダの伝説」「リンクの冒険」のことを全く知らなかったので、これは私がねだったりしたのでなく父が私のためにと買い与えてくれたものだろうと思う。そして初プレイ。隣で父に見守られながらだった私の華々しいゼルダデビューは、だがしかし苦々しい結末に終わる。ハイラル城1F死亡。それが私の初ゼルダの記録であった。囚われのゼルダ姫の元に辿り着くどころか階段すら踏ませてもらえず、緑色の兵士の前に倒れたのである。父はちょっと笑ってこう言った。「何してんの」 私はと言えば呆然としていた。確かに私は、「スーパーマリオブラザーズ」をクリアしたことはあるが「スーパーマリオブラザーズ3」を(主に1日のプレイ時間の制約的な意味で)クリアしたことがないくらいにはアクションに不得手な人間であった。しかしRPGにばかり傾倒していた訳ではなく、それなりにアクション系ゲームにも手を出していたはずではなかったか。それも「マリオ」に代表されるジャンプアクション物ばかりではない。「俯瞰視点でキャラクターを上下左右に動かしながら逐次敵を攻撃する反射神経勝負のアクション物」という観点で言えば「パックマン」のパクリゲーいや失礼オマージュゲーである「デビルワールド」辺りは随分遊んだものだ。にもかかわらずこの体たらく。「デビルワールド」には無かった斜め移動に不慣れだったことが敗因だったのだろうか。多分違う気はするが、定かではない。
これ以後の初プレイの思い出は、私の記憶の中からすっぽりと抜け落ちている。辛うじて「マントをまといし者にハートのかけらを」云々と書いてある立て看板の「まといし」の意味が分からなくて悩んだ記憶が朧げながらにあるくらいで、あれから一体どうやって剣の扱いに慣れ、弓の扱いに慣れ、デグテール大先生を退け、サルに110ルピー恵んでやらなければ先へ進めないことに気付き、地下牢の少女を日光にさらして正体暴露という難解な謎を解き、果てに銀の矢というほぼ隠しアイテムと言っていい武器まで無事発見してガノン討伐に至ったのか、不思議と何も覚えていない。だがどうやらこの作品は初クリアを果たす頃にはしっかりと私の心を掴んでいたようで、それ以降何度もプレイしてはクリアし、そのうち事細かな攻略手順を完全に記憶するまでになった。更に、ただプレイするのを退屈に感じた時は進んで制限事項を設けるという、私にしては珍しい遊び方もした。まずやったのはハートのかけら(+教会のハートのうつわ)封印プレイや、赤青のクスリ封印プレイである。この辺りはまだ、ちょっと慎重になるくらいで十分普通にやれる範囲だった。次にビン入手数制限プレイ。ビン無しでデグロックを倒す方法があることを知ったのが何年も後のことだったので確かビン1個でクリアしたのだが、これもまたさほど苦労はしなかった。ノーセーブクリアというのもやった。ただゼルダシリーズは死んでも特定のポイントまで戻されるだけで基本的にペナルティは無くリセットもされないので、これは単に「1日でクリアできるか」を試すだけの挑戦であった。緑の服クリア。悪魔の沼の洞窟辺りから如実に被ダメージが増え、最終戦などでは1撃につきハート4つが持っていかれたりして割と苦戦した覚えがある。Lv2マスターソードクリア。守りさえ固めておけばさほどの難易度でもないが、ガノンに回転斬りでしかダメージを与えられなくなるためにラスボス戦だけ異様に難しくなるのが、大変でもあり新鮮でもある楽しいプレイだった。そして、次にやる時はこれらの制限を複合した制限プレイを集大成としてやってみようと考えていた所で我が家のゲームハード情勢はプレイステーション時代へと移り行き、野望は野望のまま私の「ゼルダの伝説 神々のトライフォース」の歴史もまた幕を閉じたのであった。
一体「ゼルダの伝説 神々のトライフォース」の何がそこまで私を惹き付けたのかと言われると、実の所それはよくは分からない。プレステ購入以後、任天堂の据え置きハードとは縁遠い生活を送っていた私は、もっぱら携帯ゲーム機で後続のゼルダシリーズ(夢をみる島、ふしぎの木の実、ふしぎのぼうし)に触れてきたが、それらをプレイした今になってもなお、「ゼルダシリーズで一番の名作は?」と聞かれたら迷うことなく「神々のトライフォース」だと答えるだろう。これは、それ以前のゼルダや、未プレイの2Dゼルダや、名作と名高い「時のオカリナ」辺りの3Dゼルダを今後プレイすることになったとしても多分変わらない。そのような思い入れが培われた最大の要因はただの思い出補正なのではないか、という意見もあるだろうけれど、それももはや否定しない。実際、あの当時スーパーファミコン自体の衝撃も冷めやらぬ内に訪れた人生初のアクションRPGの衝撃は、何物にも代えられないものだったと思うのだ。もしかファミコン時代に初代「ゼルダの伝説」を知っていたら、今また違った思いを抱いているかもしれなかった。だがしかし、偶然「ゼルダの伝説」シリーズを知らないまま1991年を迎え、偶然父親が「神々のトライフォース」を買ったというこの巡り合わせが、私にとっての「神々のトライフォース」を不朽の名作たらしめた一番の理由となったのだと思う。
そして時は流れ、2013年冬。それは突如として私の目に飛び込んで来たのであった。

出る出る、ゼルダの伝説♪

あのCMを見た瞬間、かねてから気にはしていた「神々のトライフォース2」を3DS本体もろとも買うことが確定したのは言うまでもない。


進行状況:0日目



14/08/30(土) 第306回 泣けるゲーム

たすけて… …
たすけてください…
私は、お城の地下ろうに
捕えられています。
私の名前はゼルダ……
6人のイケニエが ささげられ
私が さいごの1人…
城にやって来た司祭アグニムは
イケニエを使い、7賢者の封印
を再び開こうとしています。
 … …
私は、お城の地下ろうの中…
お、お前は、姫の … …。

そんな声が聞こえてきたように思うが、気のせいだったかもしれない。ともかく、見知った家の見知ったベッドで目覚めた私は、テーブル脇に一瞥をくれてカンテラが置いてないことだけ確認すると足早に家を出た。
扉を開けて一歩足を踏み出すと、そこは朝の日差しが眩しい新世界。だが今日を迎えるまで事あるごとに旧世界を振り返っていた私にとってこの光景は、もはや懐かしさが湧き起こるものでもない。しかしながらやはり、DS様に生まれ変わったハイラルの風景を見ていると感慨深いものがあって、全くそんなつもりも前触れも無かったのだが、目の奥に熱いものが込み上げてきたのだった。
取り敢えず無意味にそこらを歩き回ってから仕事場に到着すると、ひとしきりの話があったあと兵士長の忘れ物の剣を入手。話の流れで他人様の剣を使っていくことになる辺り、やはり血は争えないのか。ゲーム開始直後いきなり死んだ(?)ことよりも、事切れる直前に残した言葉の意味深さの方がよっぽどプレイヤーの印象に残ってしまったおじさんのことが思い出されて、また少しじわっときた。
そしてここで本作の主要悪役キャラクター、ユガのお出ましである。もう見るからに悪い奴、という風貌で初登場のご挨拶がてら教会のシスター・セレスを絵に封じ込めて見せると、「壁画」が鍵になっている本作もいよいよ本格的な始まりを告げるようで、期待と興奮は高まる一方だ。更に、ここでの出来事をゼルダ姫へ報告に上がった折、ハイラル城内にかけられていた絵画を通じて前作の話が伝記として語られた時には、私の人生史に刻まれた数多くの戦いの記憶が蘇り、盛り上がり続ける気分も入り混じって遂には涙する思いであった。
舞台が東の神殿へ移ると、ここからが「アクションRPG・ゼルダの伝説」の本領である。とは言えまだ最初のダンジョンだ。中ボス、大ボスとも、ここは軽く退ける。ふー、何とか先代リンクの顔に泥を塗るのは避けられたか。という訳で、この後ハイラル城がユガによって襲われ物語も本番突入、となった所で初日のプレイは終了した。

さて、ここまで1時間足らず。Nintendo 3DSを置いた私はしみじみと思った。眼が痛い。3DSの3D機能が目に与える悪影響については発売当初しきりに騒がれていたように記憶しているが、残念ながら私の身体には優しくない仕様だったようだ。プレイ中にはあまり気になっていなかったが、そう言えば度々目の奥に違和感を覚えたり、涙が滲み出てきたりしたような気もする。
これが慣れと共に緩和していく問題であることを祈る。さもなければ、私の「ゼルダの伝説 神々のトライフォース2」は毎日が涙なくしては語れないプレイとなるだろう。


進行状況:1日目



14/09/06(土) 第307回 通過儀礼

通過儀礼とは、人が、特に人生の節目を迎えるに当たって執り行われる催しのことである。元々の意味ではこれに「義務」や「強制」などの意味合いは含まれていないはずだが、「節目を超えて次なるステップへ進むために通過しなければならない儀式」といった、試練的な捉え方をすることも実際にはよくある。
例えば私はこの言葉から、アフリカかどこかの民族の成人を迎える男子へ課せられるバンジージャンプの儀式を第一に連想する。子供から大人になるため、また色々な責任を背負えるだけの肉体的精神的成長を遂げたと証明するため、高台から自ら飛び降りることによって己の勇敢さを示すのである。話によればそもそもバンジージャンプの起源がこの儀式らしいので、ご存じの方も多いだろう。しかし、これを「たかがバンジージャンプ」と侮ったりしてはいけない。何となれば、我々が、経験の有無を問わず知識として持っているバンジージャンプの「スリル」「爽快」「興奮」などといった、十分な安全対策に裏打ちされる「娯楽」の片鱗はこの儀式には存在しない。まず飛び降りるためのやぐらは地元の人間によってその儀式のために建てられるものであり、これが既に安全とは言い難い。そして足に結び付けるのは伸縮性に富んだゴムとは程遠い植物のつたであり、これが伸び切った時に身体にかかる衝撃は大衆娯楽のバンジージャンプの比ではない。そのうえ飛び降りる先は川でもなければクッションマットなどであるはずもなくただの地面であり、つまりつたの長さを測り誤ることはそっくりそのまま死を意味する。これらのことからお分かりの通り、この儀式は決してお遊び的要素のあるものではなく、文字通り命懸けで、だからこそ大人になるための試練の意味を与えられているし、またそれを成した者達は確かな自信を得ることができるのだ。
勿論このほかにも、試練的意味の通過儀礼というものはあらゆる所、事、物について存在する。我々にとって身近な出来事を例に取ってみるだけでも、3歳児検診、はじめてのおつかい、中学デビュー、高校受験、大学入試センター試験、大学入学直後のコミュニティ形成戦争、就職活動、入社後新人歓迎会での一発芸、結婚前の相手親への挨拶など枚挙に暇がない。先のバンジージャンプの例に比べるといきなり格が落ちたようにも思うが、しかしこうした出来事を通して一歩ずつ成長し、そして今の我々があるのは紛れもない事実。やはりこうした、壁となる物事が要所要所に設けられていることは、人として成熟する上で大事な要素なのだ。
さて、では、目下プレイ中の「ゼルダの伝説 神々のトライフォース2」における通過儀礼とは何か、と考える。その答えは、前作を踏まえて考えれば自明である。そして私は今、並々ならぬ緊張と覚悟を胸に、ヘラの塔の最上階へ足を踏み入れようとしているのだった。そう、デグテール戦である。
通過儀礼であるということは、万人に共通して与えられる試練で、かつ何らかの節目に当たることなのは大前提として、加えて象徴的な存在であることも必須条件と言えるが、ここで「神々のトライフォース」においてこれを満たすものは何かと前作プレイヤーに質問したとしたら、多くの人はヘラの塔のボス、デグテールを挙げるだろう。私もその例に漏れない。デグテールはゲーム上では単なる3番目のダンジョンのボスに過ぎず、シナリオ上でもそれ以上の役割が与えられている訳ではなく、「節目」という観点で考えるなら次の「表の世界の大ボス」である司祭アグニムの方がよっぽどそれらしいと言えなくもないが、しかし実際に「通過儀礼」として相応しいのはどちらかと言われれば、それはデグテールの方である。それも圧倒的にデグテール大先生の方である。それまでに、大先生の偉大さは絶対的なのである。では一体、奴の何がそう思わせるのだろうか、下記にその理由を述べよう。
まず、ごり押しでは絶対に勝てないということ。ここまでのボスは、デグアモスなら矢の連射で、ラモネーラなら飛び出しざまの斬り付け連打ででも倒せはするが、デグテール戦は「下の階に落とされたら1からやり直し」というルール上どうしても一定のテクニックを問われる戦いであり、力だけでは乗り越えることができないのだ。さすがは知恵の紋章の守り手と言ったところか。この点、続くアグニムはビームを跳ね返せることにさえ気付ければ馬鹿でも勝てる相手であり、「試練」の名に値するとはどうしても言えないのだ。
次に、図体が巨大な点。言ってしまえばラモネーラと類似の風貌であるデグテールの一番の特徴は、何と言ってもその巨大さである。だからこそ、その姿は多くの前作プレイヤーの記憶に深く刻み込まれることとなった。これを目に焼き付けてしまった後では、せいぜいデグアモス大でしかないアグニムの姿はどうしても見劣りせざるを得まい。
また、リンクと1対1の構図になる初めての戦いということも無視できない。デグアモス、ラモネーラは数の暴力を振りかざしてリンクと戦ったが、対してデグテールは己の身一つで、姑息な手段に訴えることなく我々の前に立ちはだかった。この威風堂々さが、デグテールを「単なる強敵」から「リンクの好敵手」という存在へと押し上げ、この戦いを更に印象付けているのだ。この点で言えば、アグニムも己の身一つでリンクと戦ったことには違いないのだが、悲しいかな、前述の図体の貧相さが相まってか画面からはやや寂しさすら感じられてしまうのであった。しかも後の再登場シーンでは自ら3体に分裂して結局数の暴力に頼ってしまい、最終的に「司祭アグニム」の人間的価値や魅力を貶めてしまったのもいただけないところである。
まだある。先に巨大さについて触れたが、見た目のインパクトということならそのつぶらな瞳も実は見逃せないポイントだろう。強いボスキャラが、ただ強そうな外見だったとしたら、それはそういうものとして認識されるだけで終わるものである。しかしデグテールのこの、強さとは裏腹な、ある種愛嬌溢れると言ってもいい顔のギャップは、既に良きライバルとして強く掴んだあなたの心を、今度はマスコット的側面から奪ったはずである。
つまり、試練、節目、象徴的、存在感、好敵手、唯一無二、ありとあらゆる点でデグテールは「通過儀礼」の称号を冠するに相応しい。だからこそ私は、この「神々のトライフォース2」のプレイ前から、例え他のどのボスが差し替えになっているとしても、デグテールだけは必ずや登場するだろうとの確信があった。そしてそれは今、現実の出来事として目の前に現れようとしているのだった。
思わず息を呑む。扉を開けた先にあるのはただのボス戦ではない。ここに待つのは、リンクがこの先へ進むに値する人間かどうか、私自身がこのゲームをプレイし続けるに足る人間かどうか、それを問う命懸けの試練である。私は知っている。この上に待つボスの強さを。私は知っている。この戦いが一筋縄ではいかないことを。そして想像する。この試練を乗り越え、一回り大きくなった自分の姿を。
ヘブラ山・ヘラの塔。大きな不安と、少しの期待と、全てを飲み込んでしまいそうな重圧の中、私は意を決して扉を開けた――


進行状況:2日目



14/09/13(土) 第308回 死の代償

デグテール戦はノーダメージ勝利でした。

それにしても、死ぬのが怖い。ちょうど最近そんなテーマで雑文を書いたが、それとは全く別の理由で今、私は死の恐怖に怯えている。というのも、今作のゼルダにはゲームオーバー時のペナルティが設定されているのである。
そもそも従来のシリーズ作はゲームオーバーになってもただダンジョンの入り口か何処かに戻されるくらいで、最終セーブデータからのやり直しになったり所持金が半分になったりすることのない、比較的緩めな取り決めになっていた。しかしながら今回は各種アイテムがダンジョン内での入手ではなくお金を払ってレンタルすることになっている関係上、いつもとは違う事情が発生している。そう、死ぬとレンタル品が剥奪されるのである。
このルールを初めて知った時はなかなかに衝撃を受けた。各ダンジョンにそこのテーマとなっている「攻略上の必須アイテム」が設定されているのは本作も変わらないので、死んでアイテム返品となるとその都度何度でも借り直しに行かなければならなくなるということなのだ。つまりこれは言い換えれば復活の有料化である。もうちょっと捻くれた言い方をすれば「前セーブからのやり直しになりたくなかったら金払え」と言われているということである。むぐぐ、近年ちょっとしたゲームのプレイ時間を捻出するのすら気軽にとはいかなくなった一社会人の足元を見おってからに…
このような無情非情なシステムを作り上げたのは、今作の主要登場人物の1人である謎の覆面男ラヴィオである。この男、確かゲーム開始から間も無くリンクの家に現れて「宿が無いのでしばらく泊めてほしい」と言ってきたんだったが、軽い気持ちでそれを了承してしまったのが運の尽き、しばらく経っても一向に家を出て行こうとしないどころか、そのうち家主に無断で家を道具屋へと改装してしまい、そして前述のレンタルシステムを提案してきたのであった。何やら始終調子の良い口振りで、一見下手に出た話し方をしてはいるが、その実強引に話を進めてこちらの意見なんて聞いてはいないようで、全て自分の思う通りに事を進めていく。こういう手合いの輩は総じて厄介だ。ただそれでも、居候までならいくら居座ってくれててもまだ大目に見ただろう。しかしさすがにショップ開店の狼藉は見過ごせない。ここはガツンと言わなければならない。今すぐ出てってくれと。どうしてもここにしか場所が無くて、もう準備も整えてしまったことなのでどうかどうか、と言うのなら考えてやらなくもないが、ならばそれ相応の場所代、業界用語で言う所のショバ代を払え。掃除とか、家屋のメンテナンス関係の雑務は勿論お前の仕事だ。そして当然売り上げの何割かは私へ還元されるんだろうな。
だが、テナントショップの貸主として当然主張されるべきだったこれらの権利は、ラヴィオの次の言葉によって無と化した。

「でもボクの商売道具、役に立ったでしょ?」
「ボクねぇ……他にもいろんな道具……持ってるんですよ」
「これから先の冒険で必要なんじゃな〜いかナァ〜」

もはや私は、泣き寝入りすることしかできなかった。私は勿論、奴も知っているのだ。ここに並んだアイテムの手助けなくしてこのゲームはクリアできないということを。

そういう訳で、死ぬのが怖い。このことが、今回のプレイの緊張感を高める一因となっている。先だってのデグテール戦が異様に盛り上がったのも、通過儀礼であること以上に「絶対に死ねない」というこの構図がそうさせていたと言えるだろう。
そうなのである。私は今、このルールが「ゼルダの伝説 神々のトライフォース2」初回プレイを一層楽しいものにしているのだと痛切に感じている。だのに、この言いようのない悔しさは一体何なのだ。
目を瞑ると今日も、人を小馬鹿にしたようなラヴィオの顔が浮かんでくる。


進行状況:3日目



14/09/27(土) 第309回 闇の娯楽部

今日も朝起きて、仕事をし、夜寝て終わるだけの一日。日々のパンを得るため額に汗して働くことは大事ではあるけれど、毎日がこんな調子では身体も心も壊れてしまう。この息苦しい資本主義社会を生き抜くべく、我々にも適度な息抜きが必要なのだ。
という訳で、やって来ました闇の世界。闇世界、裏社会、地下組織、Welcome to Undergroundなど、普段我々に縁のない世界を指す言葉は様々だが、この手の世界に共通する魅力の一つとして「娯楽」が挙げられることは多くの人に同意していただけると思う。法の手の届かない世界では人間の欲望がより直接的に表出し、表社会で種々の規律により適切な制限が加えられている娯楽の類は主にギャンブル性の面で一層過激な方向へ変貌を遂げ、それがどうしようもなく人間の射幸心を煽るのである。そして人は、一度その味を知ってしまったが最後、二度と普通の娯楽に満足することはない。後は更なる刺激を追い求めて深みへと嵌っていくのみ。そうして闇世界の引力に抗えなくなった者は過去数え切れないほどいるだろう。そう、私もその一人である。前作の闇世界で存分に「本当の娯楽」の何たるかを味わってしまった私には、日の光の当たったそこらのゲーム施設なんて子供のお遊びにも等しい。やはりゲーム、ことにギャンブルというものは、勝てば思わず声を張り上げ心躍り、負ければ放心ししばらく動けなくなるくらいでなければ物足りないのだ。ハイラルの地に何年か振りに帰って来た日から、実はデグテール大先生との再会よりもよっぽどこっちの方を楽しみにしていた私は、ロウラルに到着した感慨もそこそこに、七賢者の救出はひとまず置いておいて何はなくとも「息抜き」に奔走するのであった。
それではここで、世間に溢れる子供のお遊びに飽き飽きしている方にも自信を持ってお勧めできるロウラル屈指の娯楽場を幾つかご紹介しよう。

【宝箱屋】
15個の宝箱の中から好きなものを3個開けるゲーム。開けた宝箱の中身がそのまま賞金・賞品となる。
内容自体は前作でも馴染みのあるゲームだが、何と言っても1プレイ200ルピーという価格設定が目を引く。生半可な軍資金では即破産もあり得るという容赦なさだが、これが逆に我々賭博依存症患者にとって魅力に映るのは言うまでもない。
リスクばかりが目に付くようだが、リターンの方も半端ではない。何しろルピー以外の賞品(クスリ素材とハートのかけら)を外れとみなしても1プレイの獲得金額期待値は193.2ルピーなので、実質のところ還元率100%超の優良ゲームなのである。更にハートのかけら獲得後はその枠が300ルピーと入れ替わり、期待値は253.2ルピーとなって文句なしの「資金繰り用ゲーム」と化す。こうなってはもはや手持ちのルピーを減らすことの方が難しくなり、ギャンブルに「儲け」を求めている人は諸手を挙げて飛び付くだろうが、「ひり付くような勝負」を求めている人にとってはむしろ興ざめか。無論、生粋のギャンブラーなら後者であるべき。

【オクタ球場】
野球を模したゲーム。フィールドに並べられたツボを狙ってボールを打ち返す。
次々とツボを割っていくという野蛮さがかなりなことのように思えるが、よく考えたらリンクの日常と大差なかった。ただ、時おり上空を横切る鳥に躊躇なく打球をぶつけるのはさすがに擁護不可能だぞ。あの鳥はモンスターではあるが、無害無抵抗だったのも事実。動物愛護法的な観点で何か問題になったりするのではないのだろうか。
この場所で動物と言えば思い出す。かつてこの広場で、動物にオカリナを吹いて聞かせていた少年がいたことを。何の因果か闇の世界に引きずり込まれ、元いた世界に帰ることもできず、いつかの広場の光景と動物達の姿を懐かしんでいた少年の姿を。最後にオカリナの音色を聞かせると、安心した表情を見せて朽木と化したあの少年の悲劇を。彼も泣いていることだろう。そんなこととは露知らず、通りすがりの鳥に打球を当てて20ルピーだ20ルピーだと喜ぶ畜生の姿がここにある。だがそのアウトローさが、この現代において闇の娯楽を享受するに最も相応しい人間像なのか。

【ギリギリルピー】
30秒ルピー取り放題。店主に話しかけた時点でゲーム終了となり、終了時の残り時間が3秒以内なら賞金が2倍に、1秒以内なら3倍になる。ただし経過時間が30秒をオーバーするか、残り時間が10秒以上だった場合は獲得ルピーが全て没収される。
全額没収は痛い。このゲームはハイラルにもあるが、あちらが1プレイ50ルピーなのに対してこちらは100ルピーに設定されているからなおさら痛い。実際体験してよく分かったが、100ルピーがたった30秒であっさり溶けて無くなるのはなかなか堪えるものなのだ。しかしだからこそ、ギリギリの時間で収められたときの高揚感は他のゲームの比ではないと言える。100ルピーという参加費も、タイムボーナスを狙わないと勝ちにまで持って行くのが困難という点で絶妙な調整具合と言え、これもまた面白さを強調する要素の一つである。
勿論画面上に残り時間は表示されないので、姑息なプレイヤーは携帯電話か何か、外部ツールのタイマー的機能に頼ってこのゲームをプレイするのだろう。私は、その姿勢自体は否定しない。仮にも闇の世界のゲームである。こちらが使える抜け道は幾ら行使しても構わないのだ。否があるのはむしろ、そのような抜け道を排除できなかったオーナー側の方なのだから。
だが、今一度考えられたい。そうして安全確実なタイムボーナスの恩恵を受け、ただの「ルピー拾い」と化したその単純労働に果たして「楽しさ」はあるのか。ゲームのゲームたる、ギャンブルのギャンブルたるその片鱗はあるのか。あなたが賢明な人間なら、ここで思い直すはずである。そう、真の勝負師ならば、決してこれを履き違えたりはしない。ただのゴミ拾いに価値は無いのだ。己の体内時計と周囲の雑音をものともしない集中力によって自力でもぎ取った勝ちにこそ意味があり、全額没収のリスクと隣り合わせにあるという状況にこそ「楽しさ」が生まれるのだ。ギャンブラーかくあるべき。目先の金にばかり執心して、人としての大切な何かを失うことにだけはなりたくないものである。

この他ロウラルにはまだ、デスマウンテン方面に何とか道場という施設もあると聞く。機会があればいずれ行ってみることにしよう。
それにしても、遊び過ぎた。遊びにうつつを抜かし過ぎているせいか分からないが、本業の方でピンチになる頻度が次第に増えてきた気がする。ついにこの間の砂漠の神殿ボス戦では、手持ちの妖精2人の力を借りた上でハート残り1つというところまで追い詰められてしまった。アイテム強制返品の日も近い。


進行状況:4日目



14/10/04(土) 第310回 一張羅太郎

むかしむかし、あるところに、
それはそれは、くさいろの服のたいそう似合う、
リンクという名の少年がおりました。
少年には、うまれたころから両親がいませんでしたが、
そだての親であるおじさんの愛情を一身にうけ、
おじさんゆずりのやさしい心と、つよい正義感にあふれています。

少年は、おじさんとふたり、平和な日々をくらしていましたが、
ひょんなことから、国のお姫さまをすくう旅へ出ることになります。
左手にはおじさんから託された剣を、
右手にはおじさんから託された盾を、
胸の内にはおじさんが残した熱い想いとおじさんがくれたあの眼差しをたずさえて、
つぎからつぎへと降りかかる困難をのりこえていくのでした。

ある日のことです。
氷でできた塔を探検していた少年は、
その中でみつけたひときわ大きなたからばこから、
仕立てのみごとな、そらいろの服を手にいれます。
聞くところによると、この服はまほうの力で
着ているもののけがを減らしてくれるのだそう。
もちろんそれだけでもうれしいけれど、
むしろ少年はこうおもいました。
なんてさわやかな色あいだろう。
そういえば、ずっとおなじ服を着ていたから、
そろそろおニューの服が欲しいと思っていたんだ。
少年はさっそく、そらいろの服にきがえました。
するとどうでしょう。サイズはぴったり。着ごこちバツグン。
まるで少年のためにしつらえられた服のよう。
これでまた、気持ちもあらたに旅をつづけることができます。
少年は、まんぞくげな表情でその場をあとにしました。

すると、そのときです。
とつぜん少年のあたまの中に、
誰ともしれない声がひびきわたりました。

『リンク…リンクよ……』

この声はいったい…あなたは誰なのですか?

『わたしは…任天堂カスタマーサポートセンターです』
『リンクよ…何ということをしてくれたのですか』
『あなたが安易なイメージチェンジを図ったおかげで、
私のところにはお客さまから多くの苦情と抗議の声がとどいています』
『いくつか読み上げますから、心してきくのです』

何がなにやらわかりませんでした。
しかし、こんわくしている少年のことも気にせず、
任天堂カスタマーサポートセンターは、
お客さまからとどいたのだという「苦情」を、少年に言ってきかせるのでした。

『あの緑色の服が良かったのに(埼玉県/20代男性)』
『緑じゃないリンクなんてリンクじゃない(富山県/10代男性)』
『黄色の帽子とか引くわー(広島県/20代女性)』

こ、これはどういう…
あまりに理不尽な罵声のかずかずに、声も出ません。

『いつもの服はもうすててしまったようですからもうどうにもなりませんが、
これにこりてもう二度とかってな真似をするのではありませんよ』

さいごにそう言うと、あたまの中の声はきえていなくなりました。
あとに残されたのは、そらいろの服があざやかに映える、まだわかい少年ひとり。
少年はその夜、ひと知れずまくらをぬらしたのでした。

それからいろいろあって、
敵の頭領、ガノンの塔へ足をふみいれた少年は、
その中でみつけたひときわ大きなたからばこから、
仕立てのみごとな、ほむらいろの服を手にいれます。
聞くところによると、この服はまほうの力で
着ているもののけがをもっと減らしてくれるのだそう。
もちろんそれだけでもうれしいけれど、
むしろ少年はこうおもいました。
やっとこのいまいましい服をぬぎすてられるんだ。
少年はさっそく、ほむらいろの服にきがえました。
するとどうでしょう。今度はかんぱつ入れず任天堂カスタマーサポートセンターがあらわれて、

『あの青色の服の方がまだましだったのに(秋田県/30代男性)』
『もうアイデンティティーのかけらも無いよね(香川県/10代男性)』
『紫色の帽子とか引くわー(広島県/20代女性)』

あとに残されたのは、ほむらいろの服がきらびやかに映える、まだわかい少年ひとり。
ど、どうしてぼくがこんな目に…
もうけっして服はきがえまい。
少年はなみだをこらえて、そうつよく心にきめたのでした。

ところで、突然素に戻って申し訳ないが、実際のところ「神々のトライフォース」以降の作品の全てで緑色以外の服が登場しなかったのかどうかは分からない。しかし少なくとも私がプレイした「夢をみる島」「ふしぎの木の実」「ふしぎのぼうし」についてはあの緑色の服しか存在しなかったはずで(ちょっと記憶が曖昧であるが)、とは言えこれは「そうやすやすと最大の個性を脱ぎ捨てさせまいとする任天堂のキャラクター商売上の戦略」として肯定的に受け止めていたものだった。だから今作にも青、赤の服は登場せず、最後までお馴染みの姿で居続けるのだろうと勝手に思い込んでいた。だが、謀られていたのであった。何と今作には、前作を踏襲する形で青い服も赤い服も用意されているというのだ。
これには心底驚いた。近年の時流に流されず、あくまで「神々のトライフォースの続編」であることを意識させるこの配慮に前作ファンとしてはまたもや唸らされざるを得なかったものだが、その喜ばしさとは別に、私はもっと純粋に驚いていた。と言うのも、この事実を知ったのがラスボスを倒した後の、攻略サイトを巡っていた時のことだったからである。
まさかそんな、そんなことが。いやしかし、思い返せば、どうりでデスマウンテン辺りから如実に被ダメージが大きくなってた訳だ。ラスボス戦なんて1ヒットにつきハート4つも持って行かれてたじゃないか。しかしそれを見て「バランス調整がおかしい。何か見落としているのでは」と勘繰りもせず、ただ「お、最近のゲームにしてはなかなかシビアな難易度設定だなあ」とすんなり受け入れてしまう辺りが、旧世代ゲーマーの悲しいサガか。と言うか、ダンジョン内の宝箱を全部回収することについては割と注意を払ってプレイしていたはずだったのに、服の宝箱だけ綺麗に2つともスルーしてクリアするなんてあっていいのか。
何より、ラスボスまで死亡0回だったのに最終的には5回を数えてしまった最大の原因が、私自身の不注意にあったのかもしれないことが最も悔しい。今作のラスボスはゼルダシリーズとしては珍しく剣のみ(+バトル中にゼルダ姫から託される光の矢)でダメージを与えていく相手だったから、ずっと懸念されていたアイテムの再レンタルの必要こそ結果的にはなかったけれど、その代わり回復薬調達のための出費が結局死ぬ度に生じていた訳で、もし、2つもあった服の宝箱の、そのどちらかにだけでも気付いていたらだいぶ状況は違っただろうなと考えてしまうと、やや心残りがある。
だが、こうも思うのである。これは、前作で緑の服クリアを成し遂げていた私が、幾年の時を経て再び辿った同じ道だったのだと。自分も気付かない内に制限やり込みプレイだなんて何とも間の抜けた話ではあるが、これも奇妙な巡り合わせと思えば、何やら合点が行くようだ。そう考えると、中途半端に青の服を見付けてしまうよりもよっぽど素晴らしい初回プレイになったと言える。

むかしむかし、あるところに、
それはそれは、くさいろの服のたいそう似合う、
リンクという名の少年がおりました。
国のお姫さまをすくったのち、
リンクはけっしてそのくさいろの服をてばなすことはなく、
そのすがたを見たひとびとは、
彼のことを「一張羅太郎」とよぶようになったとさ。

めでたしめでたし。


進行状況:5日目


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