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09/10/03(土) 0日目 生みの苦しみ

さあ困った。どうしよう。
無論、これをご覧の貴方には、私がいきなり何に困らされているのかお分かりだろう。主人公命名である。
思い返せば、私にとってのDQとは主人公の名前に悩まされることの歴史であった。初めてプレイしたDQはFCの1で、これは友人と共同でプレイすることになった関係でその友人の名前を付けていたのだが、今思えばすでにここに「名付けの放棄」の片鱗が見えていたとも言える。その後のシリーズは全て1人でプレイしたが(別に泣くところではない)、ゲームの主人公に自分の名前を付けるのがどうしても恥ずかしく感じられてしまう私は、しかしその頃にはもう自身のネーミングセンスの無さを痛感してもいたから、例えば2では仲間2人の名前が変えられる裏技を知ってはいてもわざわざ大変な作業を増やすこともないとそれを行使することはなかったし、3とか5とか、ちょっとでも主人公にゆかりのありそうな名前があるとなれば、特に深く考えることもなくただ安直に「ろと」「トンヌラ」などと名付けていたのだ。6、7では珍しくデフォルト名が付いていたから実に有難いと思ったものだが8にてそれもまたなくなり、その8での苦悩についてはかつてここに書いていたからまあ今更ぶり返さないけれどもともかくそのような経緯があり、今再びここにその壁との再会となったのである。
壁。5年振りに私の前に立ちはだかったその壁は、実に強大な存在となって帰って来てくれた。そう、今回プレイ前にプレイヤーが設定しなければならないのは名前だけではない。本作にはキャラクターメイキングシステムが採用されているからだ。即ち主人公の目、髪、そしてそれらの色や背格好に至るまでさまざまなパーツをカスタマイズすることができる。私は年甲斐もなく戦慄した。無論、それ自体が目新しい訳ではないキャラクターメイキングにではなく、下手をしたらいつまで経ってもDQ9が始まらないかもしれないことに。
これではダメだ。こんなことでは。思い出すんだ。今この手にDQ9が渡るまでの、あの紆余曲折の道のりを。ここに辿り着くまでに味わった、苦難苦渋の連続を。国民的RPGの最新作プレイ開始日を盆休み9連休に合わせられたのは、偶然の賜物ではないだろう。これは起きるべくして起きた。合うべくして合った。忘れるな。連休中にDQ9を始められるよう、半ば急かされてプレイされることになった聖剣伝説4のことを。結果として私の中で神ゲーとなったあれを、心ゆくまま気の向くままにのんびりプレイすることができなくなってしまったあの悲劇を。今ここで、たかがキャラクターメイキングなどで1日2日と時間を潰してしまうようでは、聖剣4が浮かばれない。
という訳で、決めた。何のことはない。相手がWiiとかならまだしも、今回はDSである。容量的にもそんなに幅は持たせられないはずで、実際やることはカスタマイズではなく幾つかのパーツについて幾つかの選択肢の中から気に入ったものを選ぶだけ。数分後には、私の分身にしてはよくできた顔立ちの、でも少しだけ頼りなさそうな男が誕生することになったのだった。問題の名前もまあ、いつもの私に比べればかなり収まりのいい感じだと思う。勿論ここでは、私にしか通用しない名前を使って皆様に無用な混乱を与えないよう、という名目のもと、恥ずかしいのでわざわざ書かない。

DQ9最大の難関は過ぎ去った。後は黙々とプレイしていれば、見込みでは4〜50時間後くらいにエンディングが見られるだろう。
だが私は知っていた。遠からぬ未来、今ようやく乗り越えた壁が今度は3枚一挙にやってくる運命を。


進行状況:0日目



09/10/12(月) 1日目 認定

プレイ開始初日、物語の盛り上がりは早くも本作のピークを迎えた。

今回の主人公は天使である。空の向こうの天使界から人間達を見守る彼らの命は「守護天使」として人間界に降り立ち、困っている者の手助けをし、悩んでいる者の道を拓き、時には死してなお現世に捉われる者の無念を払い人々の感謝の想いの結晶体「星のオーラ」を集めること。そうして集められた星のオーラは天使界にそびえる世界樹に捧げられ、世界樹がオーラで満ち溢れたとき、その樹には女神の果実が実るとされる。天使達は、天使界に代々語り継がれる「世界樹に女神の果実が実るとき、神の国への道は開かれ、天使たちは永遠の救いを得る」との伝えを信じ、今日も弱きを助け、弱きを救い、より人間に感謝される存在となるべく邁進しているのだ。もっとも、天使として生まれた者がおしなべて守護天使に任命されるのではない。守護天使を目指す天使はそれぞれ特定の師匠の下に付き、師からの教え、修行を通してその心得を学んでいき、それを乗り越えて人間達を任せるに足る素質を身に付けられたと認められ初めて星のオーラを集める任に就けるのだ。言わばそれでようやく一人前。我々人間で言うところの社会人に当たる身分となる訳だ。
さて、そうした経緯の末、遂に主人公は師匠イザヤールから守護天使として働くことを許可された。往々に守護天使は一人が一つの集落を担当として受け持つが、彼は今日までイザヤールが守ってきたウォルロという名の村を任されることとなる。今日から「ウォルロ村の守護天使」として、村が感謝の心で満たされるよう尽力していくのだ。
守護初日。主人公、つまり私はまだよく知りもしない村の情報を集めるため、まずは一通りの人間から話を聞くことにした。とは言ってもこちらは天使。人間にはその姿は見えず、基本的には彼らの会話などから個人個人の背景を推し測るところから始めていく。しかし人間も様々。自身の悩みを開けっ広げに口外する者がいる一方で決して恨み辛みを外に出さず内に溜め込むタイプの者もいたりする。そうした人々にも平等に救いを与える為には、時に、心の隅では悪いことと思いながらも、その人の個人的空間・時間にずかずかと踏み込まざるを得ないこともある。即ち、民家に無断で立ち入ったり、決して他人には聞かせられないであろう独白を盗み聞きしたりといった行為のことである。だが誤解してはならないのは、決してそうしたことをやりたくてやっている訳ではないということ。無論胸は痛む。胸は痛むが、延いてはそれがその人自身の救いに繋がり、それが同時に自分達天使の救いにも繋がるのなら、それは目をつぶらなければならない現実でもある。そう自分に言い聞かせ、私はまるで舐め回すかのように村の隅々までを隈なく探索した。道端、家の中は勿論のこと、家の裏、井戸の中、はたまた誰のものとも知らぬ部屋のタンスの中まで。そうする内、私はある一つの事実に気が付くのだった。おかしい、タルや壷を割ることができない。
私が己の愚かな間違いに気付いたのは、まさにその「おかしい」と思ったすぐ後のことだった。割れないのではない。割らないのだ。天使は幽霊などとは違って実体を持ってはいるからその気になれば手を出すことはできた。だが彼は敢えて割ろうとはしないのだ。何故なら、割ってしまうということは自身の存在を村人に示すようなものだから。天使が、故人を除く人間にその存在を知られることはご法度である。彼は師の教えを忠実に守り、守護天使の名に恥じない天使であるよう努めていたのである。
逆に、恥じなければならないのは私であった。いつの世にあっても他人の空間を蹂躙し他人の財産を強奪し思うがままに私腹を肥やしてきたDQの主人公達を見る中で、当然それは許されてしかるべき行為なのだと思ってしまっていたことを、彼に気付かされたからだ。ある天使は言うのだった。「なぜ自分達天使が愚かな人間なんかを守らなければならないのか」と。市井の人間である私はだがしかし思ったものだ。それはさすがに言い過ぎなのではないかと。確かに我々は至らないところだらけ欠陥だらけの生き物ではあるが、しかし天使達との間に絶対的な隔たりや格差が存在するとは思わないなと。それは、過去少なくとも5度、人間が世界を救ったという歴史からくる1つの自信であった。だのに、その信念を揺らがせ、心無い天使の言葉がその実もっとも真に迫ったものだと証明したのは、誰でもない私自身だったのだ。画面の中の主人公が、物言わずとも雄弁に語る天使の偉大さと人間の浅はかさ。例え天使の身だとしても、姿が見られない以上器物を破損してもそれが「天使の仕業」と悟られることはほぼあり得ないのだから別に壊したっていいだろうと考えてしまった私の心のいかに汚れ切っていたことか。決して誘惑がなかった訳ではなかろうに、タルや壷の中身を改めたい衝動を遂に最後まで抑え切った彼を見て、私はもう涙の出る思いだった。そして誓うのである。自分も生まれ変わろう。もっと真っ当に生きよう。あんなにも心の奇麗な天使に見守ってもらっていると知って、一体どうしてこれまでの人生の過ちを悔い改めずにいられるだろうか。
だが運命とは、神とは無慈悲なものだ。こんなにも真摯になって守護天使の任に就いている彼へ、大きな試練を与えようというのだから。
主人公がウォルロ村でひとしきりのお勤めを終え一旦天使界に戻ると、何やら周囲が慌ただしい。話を聞けば、いよいよ世界樹に果実が実りそうだというのである。長老の命を受け、今しがた持ち帰った星のオーラを世界樹に捧げる主人公。すると遂に、オーラで満ちた世界樹が黄金に輝く女神の果実を実らせた。これが全ての天使達の悲願。何百年と続いた使命を全うした瞬間。しかし感慨に浸るが早いか、空の彼方からお迎えはやってきた。言い伝えによれば、自分達を神の国へと導いてくれる天の箱舟が現れたのだ。伝説は本当だった。いやが上にも高鳴る鼓動。神よ、今あなたの御許に参ります…
だがその時。
突如として雷撃走る。雷は箱舟を襲い、箱舟は目の前でバラバラになって地上へ落ちた。そして事態を飲み込む時間すら与えられぬ内に禍々しい光が下界から天使界を貫き、まるで世界の終わりを思わせる激震に襲われる中、不意に足をすくわれた主人公は天界から下界へ落ち……
目を覚ました時、彼はウォルロ村にいた。しかしそれは、この村の人々を守るための天使としてではなく、頭の光輪を失くし、背中の翼を失くし、人の目にも触れるようになった見た目には一介の人間として。彼は奇しくも、本当なら自分が救いの手を差し伸べていくはずだった人々から逆に助けられることとなったのであった。そして間もなく、彼は非情な現実を目の当たりにする。昨日は天使として回った村を、今度は人として回る。すると、思いのほか自身に対しての風当たりが強いことに気付くのであった。ある者は彼をその格好だけで旅芸人などと称し、またある者は話しかけると露骨に訝しげな表情を浮かべる。中にはさっさと村を出て行ってほしいと言わんばかりの拒否反応を示す者までいる始末。だがしかしそれもそのはず。村人からしてみれば彼は、突然空から降ってきた奇抜な格好をしている得体の知れない人間なのだ。よっぽど好奇心旺盛か物好きな人でもなければ、冷たく当たったり避けたりするのも無理はないというものだ。だが彼の頑張りと彼の真摯さを知っている私は、それがまたもや人間という生き物の下劣さを物語っているように感じられてならなかった。いや、私だけではない。これには少なからず当人にも思うところがあったのではないか。たった一日ではあれ、心から彼らのことを考えて行動したのにそんなこととは露知らずこんな風に扱われるようでは全くもって浮かばれない。それどころかあまりの身勝手さに腹立たしさすら覚えてくる。純粋だった彼の心は次第に荒んだ。こんなことなら守護天使になんてならなければよかった。やはり人間なんて守る価値のない下等生物だったんだ。これまでの人生を全て否定されたように感じた彼はその時、この世の全てに失望していたことであろう。彼はおもむろに民家へ踏み入ると、片っ端からタルと壷を割って回ったのであった。

おめでとう。これで君もDQシリーズ主人公の仲間入りだ。


進行状況:1日目



09/11/22(日) 2日目 DQ9はプレイヤーに強制的制限プレイを強いる不親切なゲーム

2日目。遂にサンディ御大が華々しいデビューを飾る。
実を言うと、この手のキャラクターが今作に登場することを私は前情報として知っていた。このことは、先入観なしで初対面したときのとてつもない衝撃を味わうチャンスが失われたと残念に思う一方、ある意味では「これで良かった」と思わせる一面もあった。何故ならば、何も知らないまま御大登場のシーンを見せつけられてしまっては、あまりの飛ばしっぷりにやや引いてしまう可能性があったからである。さらっと言いはしたが、「DQで引く」ということがもしあるとすればそれは相当のことだ。「FFで引く」のならまだしも(何も私はFF10-2のことを槍玉に挙げている訳ではない)、「DQで引く」なんてことは絶対にあってはならない。あれだけ保守に徹してきた長年のシリーズがその既成概念を派手に打ち破って、しかもそれが大幅に悪い方向へ転んだ光景を目の当たりにしたそのとき、いよいよ私は「世代交代だな」という言葉を残し今作をもってDQシリーズから卒業してしまったかもしれないのだ。それを考えれば、御大の存在を事前に知り心の準備ができていたことはむしろ良かった。私はすんでの所でDQファン群からの脱落を免れたのであった。

さて、ルイーダを救出して舞台が次の町セントシュタイン城へ移ると、お待ちかねのルイーダの酒場が開放になった。さあここからが大変だ。私はこれから、都合3人分のキャラクター作成に勤しまなくてはならないのだ。主人公1人作るのにあれだけ頭を悩ませたと言うのに。
しかし今回ばかりは、名前だの容姿だのと下らないことに時間を使っている場合ではない。職業を決めなければならないのだから。そう、今回の仲間システムはほぼDQ3に準拠したものになっていて、登録するキャラクターの初期職業を選べるようになっているのだ。
戦士、武闘家、盗賊、魔法使い、僧侶、旅芸人……ここの選択は即ち今日以降のDQ9一周目の難易度選択である。当然バランス調整がされているものとは言えどうしても個々の使いやすさ、使いにくさは特徴として出てきてしまう以上、使いやすい職業を選べばこの先の旅は楽になるし、使いにくい職業を選んでしまえば最悪攻略不能な事態に陥ることもないとは言えない。ここで「まさかいくら何でもそんな」などと思った人にはFF1白魔術師×4プレイでもお勧めしておくことにしよう。また、パーティー人数1つ取ってもただ闇雲に手数が多ければいいというものとも限らない。ロマサガ1などでは6人編成よりも4人くらいでいた方がやりやすかったりすることもあるように、少人数の方が小回りが利いて有利になる場合もあるのだ。
ただ、実際どうしようかということを決める前に、私は感じていた。確かに仕組み的にはDQ3に近い職業システムということになっているが、実際のところ今回はDQ3と比べるとかなり自由度に欠けている気がするなと。何故だろう。選択肢が少ないから? いやあ、DQ3だって確か勇者と賢者以外で7種類だったはずでそうは変わらない。それにその減った1種類というのも当時の商人に相当する補助系とも言い難い職業でそもそも私のプレイスタイルにおける選択肢に含まれていない。そうするとあれか、シリーズを通してお馴染みになった顔ぶれを見て今や「商人、盗賊、遊び人みたいなのは端からいらない」と決めてかかってしまうことが選択肢の少なさを実感させているのだろうか。うーん、DQ3の初プレイはFCでやったクチだが、当時からそこらは眼中になかったと思うけどなあ。
あれこれ考える内に、私は1つの答えに行き着いた。諸悪の根源は主人公にあると。つまり、強制的に初期職業が決められてしまっている主人公の存在が、プレイヤーに若干の縛りを与えているのではないかと。勿論反論はあるだろう。何故ならば先ほどから何度も引き合いに出しているDQ3も主人公の初期職業は勇者で固定だからだ。だがポカパマズさんの息子と辺境の村の守護天使にはある1つの決定的な違いがあった。それはカンダタの色違いのご子息が「勇者」であったのに対し、今目の前にいる男は「旅芸人」であるということ。勇者と旅芸人。安定して生計を立てるのが難しそうな職業だという点では似たようなものとも言えるこの両者だが、魔物と戦う旅路の中での「戦力」という観点で言えばこの二者には絶対的な隔たりがある。あちらさんは勇者。力任せの攻撃ができて呪文も使える攻守ともにバランスの取れた存在だというのは例え未プレイだろうが容易に想像が付き、だからこそ残りの編成は僧侶を1人でも入れていれば後は何を選んでも概ね安泰だろうと見通しが付く。だがしかしこちらは旅芸人。私もできれば人を色眼鏡で見たくはないものだが、しかし残念ながら戦闘術にかけて戦士や武闘家に劣るのは明白。呪文はそもそも使えるようになるかどうかが怪しい。職業を一覧にして見たとき、明らかにかつての「遊び人」に当たる位置付けだと分かるのも気になる所で、今はまだ他と比べても遜色ない戦いっ振りを見せてくれてはいるがレベルが上がるに連れ次第にプレイヤーの命令を無視して一発ギャグを披露するようになることも予想される。初め、主人公の初期職業が旅芸人だと分かったときは「なかなか珍しい展開だなー」くらいの感覚でしか捉えていなかったが、こうした「お遊び的キャラ」が既に確定で1人いるというのは思った以上の制約であることを痛感した。何しろ、これから作ろうとしている3キャラクターの内の1人でも「お遊び的キャラ」にしてしまうと、それだけでパーティーの半分が「お遊び的キャラ」になってしまうのだ。旅芸人が遊び人と同等であると仮定すると、単純に考えてパーティー全体の戦力は半分。記憶によればDQ9は攻略サイトなどの存在を考慮したバランスになっているらしいので、今回も自力プレイがモットーの私にはそれが致命傷になり得る可能性が十分にある。詰まる所私は「仲間の職業を自由に決められる」という触れ込みの中で、しかし既に「魔法使い」と「僧侶」と、あと「戦士と武闘家のどちらか」という編成を義務付けられていたのであった。
かくしてパーティー編成終了。僧侶と魔法使いと武闘家が加わった。今後ダーマの神殿に到着し次第主人公を戦士に転職させ、戦武魔僧の黄金パーティーを完成させる計画である。ちなみに危惧されていた名前の方は、気に入っているドラマの登場人物名から1つ、ファンタジーの世界観でも通用する日本人名を2つ付けた。これがなかなかどうして、いい感じにはまってくれる。自画自賛かもしれないが。しかし新参の3人全員に対して現実によくある名前を付けたことで、1人特異な響きの名前の主人公が「普通の人間ではなく天使である」雰囲気を出すようになったのは、全く狙ったつもりではなかったが気に入っている。

さて、メンバーも固まり、ひとまずレベル上げをしつつ周囲のマップを散策していたら油断してシュタイン湖へ足を踏み入れてしまい僧侶のMPが切れかかっていたにもかかわらずそのまま謎の黒騎士戦へ突入してしまったことに焦りながらも事前に購入していた大量の薬草に助けられ辛くも初の全滅を逃れた所で、ようやくDQ9も本格的スタートと言った所か。プレイ2日目も終わるという段になってやっと本番という現実に、「ああ、今回も結構時間がかかりそうかなあ」などと思っていたが、そんな私の心情を知ってか知らずかサンディ御大はこう言い放つのであった。

「アンタそこいらのザコと戦いすぎ。もっとサクサクプレイしろよなウゼー」(意訳)

きっ、貴様っ……人が気にしていることを…
頭の中に、いつかのトロデ王の言葉を思い出しつつ、成長しない自分への不甲斐無さに少し失望しながら、私はDSの電源を切った。


進行状況:2日目



09/12/20(日) 3日目 景気回復の兆し

恐ろしいことに、ここ2回のプレイ日記が一部の「妄想」を文量換算で上回る。1日で一息に書いた訳ではなくて暇があるときに少しずつ書き溜めていったものだとはいえこのことは、その気になりさえすれば3年振りの「妄想」新作を2、3週間程度で用意できなくはないということを意味しているような気はするが何のことはない、それは思い違いである。まあでも、日記自体はもっとあっさりめにしよう。でないといつまで経っても終わらん。

さて、不況不況と十数年か言われ続け、でもここ2、3年は本気で危機感を覚えるくらいの情勢になってきた感のある今日この頃。私も先日支給された賞与がそもそも減り気味だった前回よりもさらに減っていたことにショックを受けつつも、「賞与」という形式で受け取れるだけまだましなのだろうかなどと思っていたのだが、その「一億総不況」の日本にあってテレビゲーム業界のそれもDQシリーズというごくごく一部の世界だけはそんな世相もどこ吹く風といった感じだったそうで、ああ確かに2日で230万本出荷しただか売っただかしたってニュースを聞いたな、DQさんだけはまだまだ元気というか底力みたいなものがあるな、と他人事のように感じていた。他人事。それもそうである。ご多分にもれずその「DQ9景気」の一端を担った私であるが、それで潤ったのはあくまでDQ9を開発、発売したスクウェア・エニックスを初めとする業界の内側の人達なのであって、どんなに販売本数が記録的であろうがそれは利用者、消費者たる我々にとって少なくとも現段階では無縁の特需なのだから。そう、我々は、この程の売上が次回以降の作品の品質を底上げしてくれて初めて間接的にその恩恵を受けられるのであって、今はまだまだ直接何がどうこうするといった段階ではないのだ。いや、ないのだ、と、思っていた。
その認識にどうやら間違いがあることに気付いたのは、実はプレイ初日、ウォルロ村近辺で1匹のスライムと戦っていたときのことだった。今回も作品中最弱モンスターとして冒険者達に狩られ続ける運命のスライムを我が剣の錆にしてくれると、このようなメッセージが表示されたのである。

スライムを やっつけた!
4ゴールドを 手に入れた!

一見いつもの勝利メッセージに見える。しかし過去シリーズの経験者であればこれがどれだけ異常な内容か、よく分かるはずである。即ち、スライム1匹が4ゴールドも持っている。
スライムごときを倒して得られるお金はせいぜい1ゴールドか、多くて2ゴールドというのがこれまでの慣例であった。なのに今作ではその記録を易々と塗り替えての4ゴールド。バブル。その瞬間私の頭にその言葉が浮かんだ。だって、スライムという、DQモンスター界では永遠の下っ端であり、万年落ちこぼれの代名詞であり、時に「自分よりもっと弱い存在がいればいいのに」と夢を見つつも現状から脱却する努力を怠るダメ人間であり、容姿の愛くるしさただそれだけで誰からももてはやされるあまり一丁前にゲームの主役を張ってみたりしちゃううぬぼれ屋なんぞが、他の時代の同類と比べ平均して3倍ちょっとのお金を持っているというのだ。これがどれだけ凄いのかということは、あなたの財布の中に普段入っているお金がおおよそ3倍程度になって、しかもそれが普通の感覚になっていると考えれば分かり易いだろう。あ、いや、何もあなたがこの日本における一番の下っ端だと言っている訳ではなくて。
ともかく、バブルは現実世界のDQ9周辺のみならず、このDQ9の世界の中にも訪れているらしいことが分かった。さすがにどいつもこいつも従来シリーズの3倍近くお金を落としていってくれるという訳ではないが、しかし全体的に所持ゴールドが多めになっている傾向があるのは確かだった。これまで散々「DQは物価に対して戦闘ごとの収入が少な過ぎる」と言われ続け、新装備が登場する度にそれを買い揃えないと気が済まない性分の私を長年に渡って苦しませ続け、前作でついにそのポリシーを曲げさせた世界に今、新時代が到来したのである。

ところで、金が溜まり易くなっているということは装備品調達のための資金稼ぎに最も時間を費やしがちな私のプレイにおいてプレイ時間の大幅短縮が狙えるという非常に大きな意味を持つが、その割にこの日も御大から「戦い過ぎ」だの「テンポが悪い」だのと罵られているような気がするのは無論思い違いである。
あと、プレイ日記と言いつつ肝心のシナリオのことにほぼ触れようとしないのは、そろそろプレイ当時のことなんて忘れかけてきているから、というのも当然思い違いである。


進行状況:3日目



10/01/17(日) 4日目 抗えない男

エリザは言うのだった。夫たる彼は自身の研究にかかりきりで自分のことなんて気にもしてくれず、そのために命をも落としたというのに。しかし彼女は、最愛の人を失ったことに自責の念を抱き続ける夫を想って言うのだった。

「私の最後の頼みを聞いてください。彼をお願いします」
→はい
 いいえ

私も昔ほど純粋な人間ではなくなったから、この手の問いかけを見るとつい「いいえ」と答えたくなってしまう。だがそれはこれまでに極めて多くの人々の願いを聞いてきた経験が喚起させる意地悪い思いであった。つまり私は知っているのだ。ここでどんなに冷たく突っぱねたとしても、多分彼女は食い下がってくるだろうし、それを何度繰り返しても結局最後には「はい」と答える羽目になるのだということを。今でも振り返れば思い出す。旅にお供させてくれと勇者の子孫に願い出たラダトーム王女。俺の子分にしてやると息巻いたラインハット第一王子。己の願いを押し通すためなら天候を操ることすらいとわなかった故レヌール王の暴挙などは今でも鮮明に覚えている。そして今、また一人の若者が私を試そうとしているのだ。だから私は、最近この手の質問に出くわすとつい意地悪な返答をしてみたくなってしまう。
だが。その瞬間私の頭の中でもう一つの記憶が呼び覚まされる。モンストルの戦士アモス。ルーメンのチビィ。DQにおいて数少ない「選択を誤ることによって取り返しのつかない結果をもたらす」この2大イベントにおいて何とその両方で過ちを犯してしまった過去が私を悩ませる。「いいえ」と答えても構わないと思う、問題はないと思うが、でも万が一そのたった一度の発言でまたしても救われない結果に終わってしまったら? それによって、クリア不能に陥るまでのことはないとしても、彼女の夫が後追い自殺してしまうとかいうあまりにも後味の悪い結末を迎えてしまったら? 少しでもそういう可能性があると思ってしまうと、もう私には「いいえ」などというふざけた発言はできなくなってしまうのであった。頼まれれば、引き受ける。期待されれば、応える。そうすることでもしかしたら悪意ある人からは「何でも言うことを聞いてくれる都合のいい人間」と思われるかもしれないとしても、ただ何も考えずに動いてさえいれば少なくとも見た目には最も気持ち良い結果となるのなら、私は喜んで「いい人」として生きることを選ぼう。

ああ、私は何と弱い人間だろうか。やたら一本道一本道と言われる日本のRPGの、その決められたレール通りにしか歩けない現実を直視しながら、私はその無力感をこの日お目見えとなったメタルスライムにぶつけるのだった。
このやろ、このやろ。


進行状況:4日目



10/01/24(日) 5日目 クズ人間更生プログラム

驚いた。今日遂に旅の便利呪文「ルーラ」を覚えたのだが、その消費MPが0と表示されていたのだ。
これまではちゃんと呪文らしく消費MPが設定されていたはずなのに。DQ6くらいから露骨に「プレイヤーのための便利機能」化して消費MP1になったりはしても最低限呪文としての体裁は保っていたはずなのに。遂に無条件で使えるようになっちゃったか。私はこの事実に、DQ8でベホイミの消費MPがたった3になっていたことを知ったときと似た悲しさを覚えた。とかく近年のゲームは難易度が易し過ぎると言われるが、その例に漏れずDQもライトプレイヤーの方へ基準を置いているのだということに、20年来のファンは複雑な思いを抱いたのである。
つーか、そんな一プレイヤーの身勝手な失望は正直どうでもいいんだが、「キメラのつばさ」の利点がこれで正真正銘完全になくなったことについてはさすがに一声上げなければならない気がする。本作の「キメラのつばさ」は25Gだが、もはやルーラを唱えられなくなる危険性が皆無となった今、こんな物を25Gも出して買うなんてバカのすることではないか。まさか本作の「キメラのつばさ」は、ゲーム開始からルーラ習得までの短期間(今回、ルーラはイベント進行上このタイミングで覚えることになっている)にのみ的を絞って使うアイテムということになっているとでも言うのだろうか。私は、こんな時代になってもなお乱獲の限りを尽くされるキメラに心の底から同情した。そのうち人間には罰が当たるだろうな。一応本作のルーラは一般人には覚えられない訳で、その意味では世間的な「つばさ」需要はあるということになっているんだろうからまだいいが、これが次回作になっても唱え放題とかいうことなら、もう擁護はできんしな。DQ1からずっと沈黙し続けていたキメラ達が満を持して大反乱を起こしたとしても、人間側に加勢してやれるとは限らないからそこのところ覚えておけよ。

閑話休題。結局祈ってみただけでは天使の姿には戻れなかったので今度はオープニングムービーで下界に散らばっていった7つの女神の果実を集めに行くというドラゴンボール的展開になったところでいよいよお待ちかねのダーマ神殿が登場した。が、DQ6からの慣例によりどうもすぐに転職させてはもらえない模様。旅芸人主人公の旅はもうちょっとだけ続くんじゃ。
という訳で手っ取り早くイベントを進める。ここのイベントのボス、ジャダーマはこれまでのボスに比べると多少骨があったように思えたが、それでも死者0で突破した。何か途中でバギが暴走したとかあったけど、バギ如きが暴走しちゃうとか。ねえ。そんな低レベルな呪文一つ満足に制御させられないようじゃあ、まだまだ我々には敵いませんな。ま、元々戦闘向きでもなんでもなかった一介の人間が突然身に余る力を得たってことは考慮しなければならないのかもしれないけれど、仮にそのことを差し引いて考えたとしても、その暴れ狂った竜巻にできるのは「呪文の暴走」なんていう過去シリーズには無かった新概念で初見の旅人をうろたえさせることくらいだろう。え、うろたえちゃったの。
さて、ダーマ神殿が機能を復活させたところで早速主人公は旅芸人を卒業し、当初の予定通り戦士の道を歩むこととなった。ああよかった。これでようやくふざけた態度の人間がいなくなってくれた。ああいうのがいると周りの人間も迷惑被るんだよねー。士気が下がると言うか。それに、景気が上向き傾向にある(前々回参照)とは言ってもまだまだ経済情勢的にはお寒い状況が続くこの世の中、働き口があるということだけでも恵まれているのかなとは思いつつ、それでも旅芸人なんぞに雇われてしまった三人の戦士達のことを思うともう胸が痛くて堪らなかったものだ。でもまあ、そんな駄目オーナーの主人公君も今日から生まれ変わったつもりで頑張っていくということだから、皆には彼を許してやってほしい。今一度チャンスを与えてやってほしい。皆それぞれに言いたいことはあるかと思うけど、ここはひとつ、今日から旅が本格的に始まるんだと思って、ね。もうプレイ5日目なんですけどね。
という訳で、我々の新しい旅が始まった。まず初めにすることは、転職してレベルが1になった誰かさんのレベルを幾つか上げること。おいおいおい、この期に及んで変な手間取らせるなよー、とつい口にしそうにはなったが、寛大な心を持っている私はこれを許した。もっとも初めから戦士でいてさえくれれば発生しなかったはずの作業をただ黙って受け入れたのは、私の心が人一倍広かったことの他にもう一つ大きな理由がある。前日のプレイでメタルスライムの出現地を発見していたことだ。
シリーズとしては初めてシンボルエンカウント方式を採用した本作、実のところ戸惑いは結構あったが(戦いたくなければひたすら戦闘を避けられるだけにどこまで敵を無視していいのかの線引きに悩むという点で)、こうした「目的の敵とだけ出会いたい」という場面においてはこんなに素晴らしいシステムもないものだなあと感じたものである。何しろ、会う敵会う敵がどいつもこいつもメタルスライム。拳を交える機会の全てが1000超の経験値獲得チャンス。まあ実際やってみるとそのメタルスライムシンボル自体が他の敵シンボルに比べて出現しにくかったりはするのだが、それでも従来シリーズに比べればよっぽど効率良くレベルが上げられる(ような気がする)。詰まるところ私は今、レベル上げをすることに対してさほど大きな抵抗感を持っていなかったのだ。むしろ1度か2度くらいなら積極的にレベル上げをしたいとさえ思っていた。ふん、主人公も運が良かったな。世が世なら主人公と言えど容赦なく斬り捨てているところだ。

ところで、ダーマ神殿にいる人の話だと上級職への道もいくつかあるということなんだけれども、3人はその辺りどうだろう。希望があれば上級職解禁のクエストを受けてみようと思うけど。え? 転職したらレベルが1に? いやいや、そんなの気にすることないって。大体レベルが1とは言っても上級職のレベル1だからねえ。今になってようやくまともな基本職に就いた半ニートクズ人間とは訳が違うんだから。むしろそのクズ人間にレベル上げの時間を割いてあげてる今、一緒になってレベルを上げちゃうって手もあるよ。うん。


進行状況:5日目



10/02/17(水) 6日目 変態亀亀亀

おかしい。こんなはずではなかったのに。
ことのついでに主人公と魔法使いの2人を上級職にさせてからツォの浜へ辿り着いた私は、ほどなくして信じられない光景を目の当たりにしていた。ついさっきまでは至って普通の旅人だったはずの4人の若者がいつの間にかカメのこうらを背中に背負っていたのである。年端の行かぬ(ように見える)少年少女が何を思ったか揃いも揃ってカメのこうら。突如として浜辺に現れた「一列になって規則正しく走り回る4体のカメ」の光景は、まだまだ世の中を知っているとは言えない若造の私には非常に衝撃的なものであった。お前ら、いつのまに亀仙人に師事していたんだ。
はて、一体何がどうしてこうなってしまったのか、よくよく思い出してみよう。ツォの浜に着いた我々は何はなくとも装備を整えるために店へと寄って、いつものように「その店で扱われている部位ごとの最強装備」を物色していた。そうである。その結果ここで買える最強の上半身用防具が「カメのこうら」で、ちょうどいいことにこれが全員装備可能だったので、私は何も考えず4人分を買い揃えたのであった。その安易な決断が招く深刻な結果も知らず。
「カメのこうら」と言えばDQ6で登場した時には「かっこよさ」が下がる防具であったことをよく覚えている。まあ「かっこよさ」なんてものはコンテスト出場のときに気にしてさえいればいいパラメータだったので当時は何をためらう必要もなく進んで甲羅を背負っていたが、そうでなくても私の中では「そんなに言うほど甲羅背負うのって格好悪いだろうか?」という思いがあった(そのような人格を形成するに至った過程でどれだけ亀仙人及びDRAGON BALLの影響があったかは定かでない)。だがDQ6当時ドット絵上には決して表されなかった「カメの甲羅を背負う人間」の姿を今この目で見て、遂に私も知りたくなかった現実を知るのだった。「カメのこうら」は格好悪い。
ここで断わっておくが、私はDQ9の「自作したキャラクターを自分好みの衣装で着飾らせられる」という側面についてほぼ全く魅力を感じていない。見た目よりも実用性重視なのだ。いくらパーティーメンバー達がおしゃれになってくれようが、実戦で使えなければどうしようもないのだ。が、メンバーが必要以上に格好良く或いは可愛くなることに興味はなくても、必要以上に格好悪くなることは許せないのだなということがこの度よく分かった。外見から作り上げたキャラクターだから、その分だけ思い入れも強いのだろう。実際不思議なもので、ゲームプレイ中全くと言っていいほど自己表現をしない彼らへの愛着は過去シリーズのキャラクター達と比べ明らかに深かった。思い返せば、DQ8の竜神装備もこれまたなかなかどうしてというものだったが、私は臆面もなくこれを主人公に装備させ、あまつさえそのままエンディングを迎えさせたりしていた。これが愛の差か。本当の意味での「自分の分身」「自分の子供達」にはあんな可哀想な格好、させられる訳がないのである。
ただ、ご存じのようにDQ世界のお金はかなり貴重だ。1度買ってしまったものを即座に売ってまた別の物を買うなんて贅沢な振る舞いはそうそうできない。「カメのこうら」4つで6200G。これだけのゴールドを溜めるのにどれだけの時間と労力が必要か。私にはそれがよく分かっているから、今更甲羅を捨てることなどできなかった。仮にも今時点での最強装備である。私は次に鎧を買い求める機会があるまで、この忌々しい甲羅を背負い続けなければならなかった。
移動中も戦闘中も視界の中に入ってくるファッションセンス0の人間達に否応なくモチベーションを奪われ続けながらそれでも何とかこの村でのごたごたを解決すると、何を血迷ったのか、ある村の少年はそんな我々の活躍を見てこう言ったのであった。

「ぼく、がんばって大人になるよ。そんで、ぼく、旅人さんみたいになる」

悪いことは言わない。やめておきなさい。カメだぞ。それが一糸乱れぬ隊列を組んで歩いてるんだぞ。本人達はどう思ってるか知らんが、周りの人間からは確実に不審な目で見られるんだぞ。それに、しかも、今の今まで黙っていて悪かったが、4人のカメ連中の中でもリーダー格の主人公はあろうことかブーメランパンツ着用なんだぞ。
お願いだからやめておけ。もうこんな悲劇を生んではならんのだ。


進行状況:6日目



10/03/15(月) 7日目 蘇れ勇者

ビタリ山の山頂付近にいた男から本プレイ初となる宝の地図をもらった。実のところプレイ7日目当時私は宝の地図についてあまり詳しく知っておらず、漠然と「歴代DQのラスボス勢が出てきたりするダンジョンに行けるアイテム」くらいの認識でいた(まあ今でもその程度の認識だけれど)。歴代のボス、ということは、シナリオの本筋から外れたおまけか、もしくはシナリオだけじゃ飽き足らないやり込みプレイヤーのために用意された要素なんだろう。だから、とっくに盆休みも終わってしまった今(注:これは2009年8月〜9月にプレイしたDQ9一周目の回想記のようなものです)、無理に時間を割いてこの地図の示すダンジョンの下へ行く必要はなかったのだった。だが、ビタリ山のイベントを終えた後、私は地図の導きに誘われてダンジョンに潜り込んでいた。仮にも全DQをプレイ、クリアした過去を持つ人間である(モンスターズを除く。剣神を除く。スライムもりもりを除く。少年ヤンガスを除く。モンスターバトルロードを除く。他色々除く)。ここで思いがけずいつかの宿敵と再会できると聞いて、ただ時間がないからとすごすご帰ってしまうようでは男がすたるのである。
そんな訳でやって来ました「うす暗き獣の地下道」 入ってみると中は非常に簡素な造りで、比較的広めのフロア内にあるのは中身が不確定の宝箱が幾つかのみ。なるほど、宝地図とそれに対応するダンジョンがランダム生成されているとよく分かる。初めての地図ダンジョンだということとその奥に待つであろうボスに対する期待感が少々先行してしまっていたのでこのことには若干の物足りなさというか呆気なさを覚えてしまったのだが、これはまあ仕方がない。そんなことよりここのボスが誰なのかということの方がよっぽど気になっていた私は、それでも一応全フロアを一通り回ってそこいらの宝箱の特別素晴らしくもない中身を回収しながら、足早に最下層を目指した。
して最下層。さすがはボスの間だけあってまずフロアの雰囲気からして違う。それまでのだだっ広さはどこへやら、ただ画面手前から奥へと道が続いているだけのシンプルなフロア構成はかつてのエスターク、ミルドラース、DQ以外で言うならエクスデスかサルーインを思わせる佇まいで、確かにラスボスの威風を感じさせるようであった。更にマップにもはっきり「BOSS」と書かれればもう盛り上がらざるを得ない。地図ダンジョンで迎える初めてのボス、さて誰が待ってるかな? やはり一発目ということで竜王か。いや、本当のラスボス勢はもうちょっと後に取っておいて、ここではハーゴン、バラモス、ゲマ辺りのランクの奴らがお目見えするという流れも十分あり得る。次第に期待感を高めつつ私は、フロアを一歩一歩奥へと進みながら、年甲斐もなくこれまでプレイしてきたDQシリーズ作品のことを思い出していた。レベル27まで上げるという盤石極まるプレイの結果世界の半分をちらつかせる卑劣な罠も世界初となる変身の披露も全て一蹴され散っていった竜王。その慎重なプレイの結果やはりあっさりと倒されてしまったハーゴンに、ベホマという最終手段を持ちながら主にローレシア王子のスマートさの欠片もないパワープレイになす術なく敗れ去ったシドー。DQ3は、一度はダーマ神殿に着いたくらいのところで放置したっけ。結局初クリアはSFC版でだったから実のところFC当時の、オリジナルなゾーマの雄姿をよくは知らない。それからしばらくDQとは距離を置いたから、4もかなり後年になってからのクリアになったんだったか。でもこっちはしっかりFCでクリアしたからあのエスタークの気持ち悪い多段変身を堪能これでもかと言わんばかりにしたけれど。5は、発売日を首を長くして待った初めてのDQということで思い入れが強くて、その分だけ熱中したものだ。シナリオ上の扱いが違い過ぎてミルドラースよりもゲマを倒した時の達成感の方がよっぽど大きかったりするのも今となってはいい思い出。だがそんなミルドラースの体たらくを嘆いてなのか随分凶悪な仕様になって目の前に立ちはだかったデスタムーアばかりはさしもの私も「あの日の思い出」として美化することができない。思えばDQ6のエンディングって2回くらいしか見たことない気がする。まあそれで味わった苦労と溜まった欝憤は続くオルゴデミーラ相手に十分過ぎるほど晴らしたけどね。アルテマソード万歳。ラプソーンはデブ。そんな、やや懐古趣味なきらいのある回想の数々に浸っている内に、いよいよその時はやってきた。準備は万全だ。戦闘態勢という意味での準備は勿論、心の準備も万全だ。思いがけずやってきた山場に一人湧き立つ私をそこで待っていたのは――

黒竜丸が あらわれた!

えっ? あ、あー、そうですよね。そりゃー、過去作品のラスボスという特別ゲストキャラとそんな簡単に戦えちゃったりなんてしないですよねー。

こうして私のお宝ダンジョン初探索は幕を閉じた。ちなみに黒竜丸には2度の敗北を喫した結果まだ適正レベルに達していないと判断して逃げ帰ってきた。あーあ、これまで全滅0回だったのになあ。こんなつまらない奴相手に負けることになるなんてなあ。勿体ない。


進行状況:7日目



10/04/28(水) 8日目 私はこうして金塊依存症を克服した

そう言えば、本編とは全く関係ないことで1つ気になっていたのだが、今作は宿屋の人に話しかけた時の「宿泊するかどうかの確認ウィンドウ」表示のタイミングが若干おかしいような気がする。何が、と言われるとはっきりとは分からないのだが、従来に比べて1テンポ遅い? ような感じがある。あとこれまでの作品ではあった筈の、ウィンドウ表示時の「ピロリロリッ」という効果音が無くなっているのも気になるところ。気になるというか、明らかに他作品と選択肢表示のタイミングが違っているので、「いつもの間隔で選択肢が出てこない」→「一回Aボタンを押してセリフを送らないといけないのかな」→「Aボタンを押そうとしたときに選択肢表示」→「勢い余ってAボタンを押してしまう」→「休みたくもないのに宿泊決定」というコンボを何回かやってしまっているのである。長い歴史によって刻み込まれた習慣というものの何と恐ろしいことか。というかこれは、各地の宿屋経営者達による全世界的な陰謀のようにも思えてくる。実際この罠にかかったプレイヤーって結構いたんじゃないのかな。仮にそうだとしたら、いつもは寡黙な主人公達もさすがに抗議の声を上げた方がいいような気がするんだけれどもどうかな。まあ、言ってみたところで「本当は休みたくなかったんならその場で『間違えました』と言えば済む話じゃないか」と反論されたらそれまでか。くそ、宿屋が無くなって困るのは押し並べて冒険者だろうと足元見やがってからに。

さてさて、本編ではいよいよ船が手に入った。してこれからどこに行くのか。またしばらく途方に暮れるのかと思いきや、出航港のすぐ傍の島にこれ見よがしに建っていた灯台で次の目的地情報を呆気なく入手する運びとなった。時代も変わったものだなあ。かつての世界に足りなかったのは、これから見も知らぬ大海原へ漕ぎ出そうとしている旅人に対して目先の指針を示してくれる親切な人間の存在だよね。いやそれよりは、大海を股に掛ける旅になろうかというのに地図1枚だけもって(場合によっては地図すら持たず)前知識ゼロで船出しちゃう新人船乗りの方がよっぽど問題だったか。よくもまあ、今まで漂流による行方不明者を1人も出さずに済んでたもんだね。
ほどなくして新天地へ到着すると、そこはやはり新天地。そこかしこにこれまで見たことのない新手のモンスターが顔を見せる。そしてその中で、私は遂に彼を見付けたのであった。いつの世も私の味方であり続けた、彼によって享受された恩恵は数知れない、今や世界を飛び回る冒険者にとって無くてはならない貧乏人の心の友、ゴールドマン。かのゴールドマン様がここグビアナ砂漠の地で闊歩あらせられていたのである。ゴールドマンと言えば、実は「いつの世も」というほどお馴染みのモンスターではないが、少なくとも前作DQ8でかなりのお世話になったことは記憶にも新しい。特に一周目時分は攻略情報収集禁止令が生んだ「錬金の有用性知らず」という状況によって中盤以降の装備品調達用軍資金をほぼゴールドマンだけに頼るという悲惨なプレイだった。そして今回も、プレイ8日目にして錬金に手を出したのは僅かに1回。私は彼を見て心踊ると共に、またひたすらゴールドマン狩りなどという退屈な作業に何時間も費やす生活が始まるのかー、と少し気落ちしてもいた。狙ってゴールドマンと戦えるだけ前作より随分ましになるかとは思ったが、それでも単純作業がそれなりに苦痛なのは変わらないのだから。
しかしそんな私の覚悟はあっさり無かったことになった。これがその理由である。

ゴールドマンを やっつけた!
505ゴールドを 手に入れた!

505ゴールド。なるほど多い。金塊男の名に恥じぬ財テク振りだと思う。だが思ってたより持ってないなあ、というのが初めの正直な印象であった。実際のところ、「カメのこうら」のくだりでも力説したようにDQにおけるゴールドの貴重さは今作でも健在である。そんな世界情勢下にあっての505ゴールド。これは言うまでもなく大金である。それでも、同様に以前スライムの所持金の件で述べた好景気のことと併せて考えると「もうちょっと持っててしかるべしだったんじゃないのか」と思わずにはいられないのだ。スライムは旧作比で3倍のゴールドを持っていた。前作比で言えば4倍である。対してゴールドマンは前作比2.6倍止まり。言わばこれは怠慢ではないか。この、いつ終わるとも知れない不安定なバブルが訪れた今、これを機に誰もが貯蓄に励もうとしている中でその努力を怠るのは「自分はもう十分に金持ってるんだから今更貯金なんてしなくてもいいよ」という金持ちの思い上がりではないか。一応増えてはいるその金も、かねてから持っていた潤沢な財産をいつもの調子で運用していたらそれが今の景気の回復軌道に乗って2倍ちょっとに増えたというだけなんじゃないのか。だとすれば、汗水垂らして働くことも知らないお坊ちゃんとの、生まれの良さだけで人生勝ち組になった気でいる世間知らずとの、永遠に変わることがないと信じられていた心の友としての関係を解消することも考えなければならないのだ。悩む決断であった。言っても貴重な金づるではあるのだから。しかし寝ていても利回りだけで食べていける実質的ニートに養ってもらうことになるのかと考えると、最後には私のプライドが勝ったのである。
さようならゴールドマン。次にまた会う日がもし来るなら、今は常識の「じ」の字も知らない君も、その時にはもう少し真摯な男になっていることを心から願う。

こうして私はグビアナ砂漠を後にした。
ん? 女神の果実? 女王のペット? ああ、そんな騒動もあったっけ。


進行状況:8日目



10/04/29(木) 9日目 私が探偵です

ベホイムスライムが あらわれた!

一瞬戸惑った。ベホイミスライム? いいや、ベホイ「ム」スライムで間違いない。何だこいつは。かつてDQ4で一度だけ登場したベホイミスライムとは別種の新スライム系モンスターということでいいのか。方言とか訛りが入ってるのか。
などと思っていたら、そのうち僧侶がベホイムという呪文を習得したので疑問は氷解した。なるほど、ベホイミとベホマの間にヒャダイン的呪文が新設されたのか。こんなに「今回限りの活躍」感満載の呪文もそうはないな。新ホイミ系呪文の登場に合わせてわざわざ進化してくれた君には悪いが、これは時代と製作者の気紛れだったと思ってベホイムと一緒に死んでくれ。

――――――。

前回エルシオン学院にてどこぞの探偵と間違われ有無を言わせぬ勢いにも気おされて事件捜査の前金2000Gを受け取ってしまった主人公一行。近年何かと人間の腹黒さをフィーチャーしてきたDQさんのことだから、これまた今回も事件解決まではいいように使っておきながら後になって本物の探偵じゃなかったと分かるや否や手の平を返して「金返せ」だの「大嘘つき」だの「泥棒」だのと喚き出され最後にはこちらから折れざるを得ず結局タダ働きさせられる羽目になるのかなと思っていた。今も脳裏に焼き付く、カボチの村民の侮蔑とレブレサックの村長の保身とキドラントの町長の居直りっ振り。また歴史は繰り返されるのか…
しかしそこは人間。先に挙げたようなのを筆頭とする性根の腐った者共もいればそうでない者もいたようで、ここの学長は我々が本物の探偵でないと知ってもなお「いずれにしても事件は解決したんだからいいじゃないか」と言い後金3000Gまできっちり支払ってくれた。それはそれで、一定の集団をまとめる立場の人間としてはいい加減で責任感のない軽率な行為言動だと批判されたりするんじゃないのかとは思ったけれども。いやしかし何を隠そう私自身が「結果良ければ全て良し」を信条とする人間なものだから、本当なら受け取る義理なんぞなかったはずのその捜査料は当然のものとして財布に収めさせていただいた。最後に事の真相を知った現学長はともかく捜査の過程で出会った初代学長は最後まで我々を学院の生徒と勘違いしたまま昇天していったが、何分「結果良ければ全て良い」ものだからそんなもう死んじゃってる人の思いなんてのは深く考えない方針とさせていただいた。あと、何か学院からの去り際に本物の探偵らしき人がちらっと見えたような気もするが、何しろ「結果良ければ全て良い」ので通りすがりの冒険者風情にあっさり仕事を奪われるような誰にだってできる仕事しか選べないようなクライアントに顔の一つも認知されていないような影の薄い存在感の薄いいてもいなくても変わらない人のことも気に留めてはいけない決まりとさせていただいた。いやあ、やっぱり人助けをすると気持ちが良いよね。

さて、これにて女神の果実回収作業が終了に。明日は10日目、物語も一区切り付いて新展開に入ろうとしているので、ここで一度今日までの9日間のプレイを総括しておこう。サンディ御大、よろしくお願いします。

ちょっと戦いが多すぎるんですケド?

う、うるさいうるさいうるさい。


進行状況:9日目



10/04/30(金) 10日目 異性を射止める☆ゴツかわ系ファッションコーディネート

先にベホイムスライムの話をしたが、そう言えば今作にはノーマルタイプのスライムの新種も登場していた。青、赤、緑のスライムが積み重なっているその名もスライムタワーだ。土台となる下段にオーソドックスなスライム、中段にスライムベス、上段にスライムナイトの下の奴を配置した豪華3段構造のモンスターである。初めてお目にかかったときは、なるほど影の次は縦かー、と妙な感動を覚えてしまった。いいよね、スライムタワー。それぞれはよく見覚えのある面々なのに、単純に3体の能力を合わせただけじゃ決して届かないはずの能力を備え、また経験値、ゴールドを持ち合わせているっていうのにも好感が持てる。「自分達はいつまでもDQ最弱モンスターの座に甘んじてなんかないぞ」っていう強い意志と努力の跡が見られるし。
しかしだ、同様にメタルスライムが縦に3体積み重なったメタルブラザーズ、お前達は許さん。サンマロウの洞窟だったかで「この洞窟には例のアイツを狙ってメタルハンターが棲みついている」なんて情報を聞いたから「これは遂にはぐれメタルの登場だな」とか思ってたら実はお前らだったときの失望を私は忘れてないぞ。なーにが「ブラザーズ」だよ。スライムタワーだって色違いのスライム3種が寄り集まって出来てるんだからお前らもさ、メタルキング+はぐれメタル+メタルスライムの3段構造になれとは言わないからさ、せめてメタルスライムS+ドラゴメタル+メタルスライムくらいにはなれよ。色違いで個性を出すことができないんだったらせめてもの努力としてさ。ただメタルスライムが3体集まったの見てて一体何が楽しいって言うの。経験値も単純に3倍、所持ゴールドも単純に3倍で何の面白味もない。言ってみれば単なるメタルキングのなり損ないってことじゃないか。見た目が可愛いからってただ重なっただけで「いやー、今日もいい仕事したなー」なんて気分になれると思ったら大間違いだぞ。DQマスコット業を甘く見るんじゃない。
とは言えまあ、今日のプレイでようやくはぐれメタルに出会えたことだし、この件は水に流そうか。ずっといがみ合ってても仕方がないからね。ただ私はお前らの甘ったれた考え方の問題点をきちんと指摘したからな。これで次またただ積み重なっているだけの姿で私の前に現れようものなら、そのときは最後の覚悟だと思っておけよ。

一方本編では、黒いドラゴン対策のために訪れたドミールの里でビッグボウガンが売られているのを見付けた。ビッグボウガンと言えば、個人的にDQ終盤を象徴する武器であるが……終盤? そう言うにはちょっと早いような気がする。でも一つの見せ場であることは確かなようで、復活した闇竜バルボロスを倒すべく、かつて闇竜と戦った英雄グレイナルと主人公とが共闘するという熱い展開となっていた。竜の背に乗って共に闘う。何ともあのロマサガ3のビューネイ戦を彷彿とさせるではないか。とまあ、実際の話ビューネイはグゥエインとの共闘イベントでは何度やっても勝てなかったから普通にダンジョン潜って5人で袋叩きにした過去を持つ私が知った風な口を聞くのだけれど、それはともかくストーリーは盛り上がりを迎えていた。
しかしこのイベント、グゥエインの時と比べて少々勝手が違う。まず前段階としてグレイナルのもとに一人で来るよう要請される。他の3人はプレイ2日目に加入して以来初めてとなるルイーダの酒場での留守番である。更にいざ決戦という段になってグレイナルから「竜戦士の装具」なる装備一式を貰う。話によればグレイナルは過去の戦いで翼を負傷しており一人では飛べないが、この装具を身に付けた者を背に乗せることで飛べるようになるのだという。やけに面倒臭い制約があるなあと思っていたが、実際にイベントが始まるとすぐにその謎は解けた。グレイナルとバルボロスとの決闘シーンがムービーで流れたのである。ああなるほど、今作はキャラメイキングシステム採用だからプレイヤーごとに異なる主人公の容姿、背格好がこういう場面に影響しないようにしなければならなくて、だから全身完全防備の顔すら見えない防具を装備させたのか。思い出してみれば主人公が下界に落ちるDQ9タイトルムービーのときも主人公視点にするとかしていたような気がする。ははあ、考えましたなあ。
でもこれってつまり、今後もムービーが挟まりそうだという流れになるとその時々での正装を着用しなければならないということか。いやいや、文句はないんだよ? ただ一つだけ、その時に身に付けなきゃならないのがどうにもこうにもセンスの感じられない見てくれでさえなければ。いやね、グレイナルを悪く言う訳じゃないけど300年前の英雄だけあってやっぱり300年前のセンスだったんですよねー。

でも私はこれだけは言っておきたい。
前作の竜神装備よりはマシだったと。


進行状況:10日目


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