TVゲームがTVゲームである以上、今現在、すぐには絶対に離れられない要素がそこには存在している。
「ゲーム記号」。現実にはあり得ない、ゲーム特有の表現。
それはそこかしこに存在している。例えば、キャラクターはあれだけ走っているのに何故疲労が蓄積される様子を見せないのか、とか、街中では確かに三人の姿が見えていたのに、何故外に一歩出たら一人しかいないのか、とか、世界と街と人間の縮尺が明らかに矛盾しているのではないか、とか…挙げればキリがないだろう。
しかし、これらの謎、及び矛盾は、プレイヤーの目に止まる事は少ない。何故か。それは、こうでない限りゲームは「ゲームとして成り立たない」からである。
例えば、リアリティを追求するがあまり、長時間走り続けると蓄積される「疲労ゲージ」が実際に存在していたらどうだろうか。アクションゲームならいざしらず、FFの様なRPGにそんな要素を取り入れてしまえば、よほどその他のバランスを取らない限り、ゲームのテンポは悪くなって行くばかりだという事が容易に想像される。
例えば、ワールドマップ上でもパーティーメンバー三人の姿が確認出来るとすれば? 更にはモンスターの姿も見えているとすれば? いくらそれがリアル感を追求したものであろうが、それを実現させてしまっては、他の様々な面で妥協でもしない限り極度の処理落ちが生じる事は必至であり、明らかに逆効果であろう。
そこには極めて多くの謎がありながら、ほぼ暗黙の了解の様にそれらは通り過ぎて行っている。ゲームがゲームとしての形を保とうとするが故に。
しかし、そこには何らかの「事実」が、それに付随する各々の「真実」がある筈ではないか。殆どの人は、そうでないと「ゲームとして成り立たない」事を理由に、ゲームの外側に答えを見出しているだろう。しかし、そこにすら貪欲に目を付けて、ゲーム内に答えを見つけられるとすれば、また新たな光を導き出せ得るんだという事を、示す事が出来るのではないだろうか。
はっきり言って「ゲーム記号」という謎を解き明かそうとする事は、他の謎に向き合うよりも数倍難しいと思われる。
それでも今回、私が追及してみたいと思った謎とは「何故、我々の眼前には次々とモンスターが立ちはだかるのに、すぐ横を歩く一般人は襲われる気配が無いのか?」である。この矛盾を理不尽だと思った人は多いかもしれないが、真剣に不思議だと思った人は少ないのではないだろうか。ちなみに、上記の現象はシリーズを通してよく見られるが、今回私が考えるのはFF10に関しての事であり、他シリーズにも当てはまるものではないのでご注意戴きたい。


まず私が考えた事。それは「本当に自分達以外の人々はモンスターに遭遇していないのだろうか?」という事である。
ミヘン街道を例に取ってみよう。そこを歩み、あるいは佇む人の話を聞く限りでは、全くもって安全に大手を振って街道を歩ける様子は見受けられない。「いくら魔物が出ても人の往来が絶えない」とか「警備が大変だ」とかいう話が聞けるし、いざという時には瞬時に逃げられる様に、と特訓をしている幼い兄妹すらいる。
彼等は魔物に遭遇していない訳ではないのだろうか? 実は私達の知らない所で苦労しているのだろうか? しかし、いくら長時間をかけて熱心に観察しようとも、通行人が戦闘態勢に入る気配は無い。例えばエンカウントするその頻度が、著しくユウナ一行とは違っているのでは、と仮定する事は出来る。しかし、永遠に待っていようが彼等は魔物と対峙しないのである。
口では確かに魔物に苦労させられている、と言っておきながら、街道ではバトルにならない。一見完全に頓挫したかに見える状況だが、ここで、別の矛盾と合わせて考える事で、この謎の真実が明らかになって来たのだ。

皆さんはこんな矛盾が気になった事はあるだろうか。「バトル突入前に目の前に歩いていた通行人が、バトル終了直後にも同じ場所にいた」。バトルにどれだけの時間をかけようとも、その前後では周囲の状況、環境に相違が全く見られないのだ。
もしかしたら「時間」がキーワードになっているのではないだろうか。そこで、私は一つの仮説を立ててみた。「バトル中は時間が経過していない」のだとすれば、上記二つの謎は解けて来るかもしれない、正確に言うなら「バトル領域内では時間が経過していない」となるだろうか。
この「領域」が今回の謎を解くポイントになる。ではまず、この仮説が正しいとした時の考えを説こう。
バトルに突入すると、周囲に特殊な領域が現れ、その内部では時間経過の概念が無くなるのだとすれば、バトル開始直前と終了直後の周囲の状況がまるで変わっていない事は納得出来る。同様にして考えれば、いくら目を凝らして眺めてようが、そこを歩く通行人がバトルをしている様を我々が見る事は出来ない事も納得がいく。領域外部から見る限り、バトルは時間にして「0」であるのだから。
これならつじつまは合う事になるが、勿論、何の根拠も無くこの様な仮説を立てた訳ではない。一応は、ここに辿り着くに至ったきっかけがある。
FF10のオープニング、夢のザナルカンドでのあるシーンを思い出して戴きたい。夢のザナルカンドを『シン』が襲い、人々が必死にハイウェイを逃げて行く中、ふと少年の声が聞こえてきたシーンを。ゲームをプレイした方なら分かるだろう。彼はバハムートの祈り子なのだが、重要なのは彼ではなく、彼が現れた時の周囲の状況にある。
実際にティーダがそれに対し驚くカットも挿入される為、覚えている人も多いかと思うが、バハムートの祈り子が眼前にいる時、周囲の人間は、まるで時間がストップしたかの様に、微動だにしなくなっているのだ。更に、彼が消えると、その瞬間から周りの人間も動き始めるシーンが描かれている。
この現象を「周りの時間が止まっている」のではなく「自分を含んだ領域内の時間が止まっている」と考えれば、上記の仮説と全く一致する事になるのだ。
状況から考えれば、この現象を引き起こしたのはバハムートの祈り子であろう。また、祈り子、というのは幻光虫でのみその肉体が構成された幻光体である。そして、幻光体という点においては、モンスターと共通するのである。もし、この「特殊な領域」が作り出される原因が、様々に不思議な現象を引き起こす幻光虫にあるとすれば、オープニングでのこの現象が、バトル時の状況にもそのまま当てはまるのではないだろうか?
しかし、これでは一つの謎が残ってしまう。例えば、目の前十数メートルの所に通行人がいる状況でエンカウントしたとしよう。しかし、実際のバトル画面で視線の先にその通行人の姿を確認する事は出来ない。が、夢のザナルカンドでの現象の方は、しっかりと領域外にいる人の姿を見てとれるのである。
特に前者に関して、これは何故起こるのだろうか? ここで私は、次の仮説として「幻光虫が空間にもたらす作用」を考えてみた。

今までの事から、幻光虫が時間という要素に深く関わり、大きな影響を与えている事は明らかだ。ならば、空間にも何らかの作用が働いているとは考えられないだろうか。
実はそれを証明する事は簡単に出来る。この事は恐らく多くの人が感じた矛盾点の一つだと思うのだが、それは橋上で魔物と遭遇した時に起こる。そう、確かに橋の上でバトルに突入した筈なのに、いざバトルになると足元にあった橋が見事に消えているのだ。それを訝しげに見る私達を馬鹿にしているかの如く、前方に橋が見えている場合すらある。
更に言おう。敵味方問わずバトルから誰かが逃走した時には何が起こるだろうか。これはカメラアングルにもよるが、視点の角度が角度ならその瞬間、逃走したキャラが画面から消えていく光景を目の当たりにする事が出来る。
以上の事より、幻光虫が空間に明らかなる作用をもたらしている事、更には幻光虫の作り出す「領域」が確かに存在している事が示された。

つまりだ、そこかしこを歩いている一般通行人は魔物と遭遇していなかった訳ではない。ユウナ達一行と同様に「数々のモンスターと出会っていた」のだ。
無論、そうなると新たに一つの疑問点が浮上してくる。本当に彼等は次々と襲い掛かる魔物達を次から次へと倒せているのかどうか、だ。
上述の通り、ミヘン街道には子供の姿も見て取る事が出来る。その子供達までもがバッタバッタとと並居る強敵をその手にかけているとは流石に考え難いのではないか。ミヘン街道にはボムやデュアルホーンといった魔物も存在し、一歩間違えばユウナ達一行の中から戦闘不能者が出る事も珍しくないのだから尚更だ。
更には、バトル中に全滅してしまい、死亡してしまうケースも考えられる筈なのに、街道を歩いている人々を見る限りそういった事態が起こらない事も疑問である。
ただ、よく考えてもみよう。街中にいさえすれば、『シン』は別にするとしても一般の魔物に襲われる事はそうそうない中で、敢えて危険を顧みず街道を徒歩で移動しているのだから、恐らく彼等はそれ以上無い程万全の対策を施しているのではないだろうか。どれだけ歩いても死者が出ないのだから、およそそう考えた方が自然だと言えよう。

では、その「万全の対策」とは何なのか。これは、ユウナ達が数多い魔物にただ一回の攻撃すらも許さず、100%確実にバトルを終わらせるにはどうすればいいか、を考えれば自ずと浮かび上がる。
基本的にどんなタイプの魔物に対しても有効な対処手段を持つユウナ達であればともかく、独りで歩いていると思しき一般通行人や幼き兄妹が、確実に全ての魔物を一度も行動させないまま勝利する実力を持っていると考えるのは不自然である事から、ここで最も有効になる対処方法は「逃走」だ。しかも25%の確率で逃げられない可能性をはらむただの「逃げる」ではなく、確実に危機を脱する事の出来る「とんずら」こそが最適である。
勿論それだけでは十分ではないだろう。相手に先制される場合がある事を見越し、「さきがけ」のオートアビリティがセットされた武器を装備してこそ完璧と言える。街道をのうのうと歩いている一般人達は、この様にして危機を確実に回避していたのだ。

つまり結論としては、「バトル中は周囲に時間の流れない特殊な領域が流れる」為、「バトルをしていないかの様に見える一般通行人はユウナ達と同様バトルを強いられている」のだが、「オートアビリティ『さきがけ』の効果と『とんずら』により確実に逃走を図っている」という事になる。
ただ、こう結論を出す事によって新たに三つの疑問点が現れる事となるので、そのそれぞれについて述べておこう。

まず一つは、「本当にミヘン街道等を歩いている人々が全て『とんずら』を覚えているのか」についてだ。
ユウナ達が難関を極める筈の旅路を全う出来た真の理由について書いた「百年に一度の奇跡」にスフィア盤のタイプについての記述があり、そこではスフィア版にある七つのエリアを「ティーダエリア」、「ユウナエリア」といった具合に分類している。
この考えからすると、「とんずら」の特殊修得スフィアを発動出来るのは主に「ティーダエリア」に属する者という事になるが、本当に街道通行人の全てが「ティーダエリア」に属している人間なのか、という事である。
これについて考えてみると、必ずしも「ティーダエリア」に属していなければ「とんずら」を修得出来ない訳ではない(他エリアからティーダエリアに入ったり、「絆」による繋がりでスフィア盤を共有している相手が「とんずら」を修得済みだった場合に「特殊スフィア」を使って発動させる、等々。「絆」とスフィア盤の関係については「百年に一度の奇跡」を参照の事)だけに、全ての人間が「ティーダエリア」に属していると考えるのは難しいが、しかしそれでも殆どの人間は「ティーダエリア」に属しているのではと考えられる。
何故か。それは、街道等を歩いている人間の数が少なく感じられるからだ。
ここでもミヘン街道を例にとるとよく分かるが、ミヘン街道は「通行人が絶えない」事でも知られる位、人々が利用しているらしい。しかし実際の街道を見てみるとどうか。確かに通行人の姿は絶えず確認出来るのだが、それは辛うじて絶えていないに過ぎないのではないか。その実、街道で同時に確認出来る人々の数は三、四人がいい所である。「ルカにはブリッツボール観戦に興じる人々があれだけいるのにも拘らず」だ。
もしも「とんずら」が誰にでも気軽に修得出来るアビリティであったなら、街道を通行する人の数はもっと増えたと考えられるだろう。なのに現実には辛うじて絶えない程度の人しか通行していないのは、気軽に通行出来る人間が殆ど「ティーダエリア」に属している人間に限られてしまっているからに他ならない。
「ティーダエリア」に属していなくても「とんずら」を修得出来る方法があるとは言え、それらの方法がことごとく安易に成せるものではないとなると、そういった「安易でない方法」で「とんずら」を修得した少数の人間を含め、ミヘン街道やその他の魔物出没地域を平気な様に歩いている人々はある種運のある人間だったという事である。

次に二つ目の疑問点は、「一般人が『さきがけ』をセットしてある武器を入手出来るのか」だ。
相手に先制されて尚一手目に行動出来るというオートアビリティ「さきがけ」は、強敵渦巻くこのスピラを安全に旅するにおいては最早不可欠と言ってもいい程有用なアビリティだが、その「さきがけ」がセットされている武器は一般人が容易に手に入れられるものなのだろうか。
これについても、オオアカ屋が「さきがけ」をセットしてある武器を取り扱っていた事があった事や、改造で「さきがけ」をセットする為に必要な「リターンスフィア」がブリッツボールでのリーグ戦一位並びに得点王の商品として貰える場合があったりする事を考えれば、一般人がそれを手にしていたと考えても不思議ではなくなる。もしかしたら街道を歩いている人々は、過去にブリッツボールのリーグ戦で優勝するなりしてリターンスフィアを貰った経験があるか、親族にそういった人がいるのかもしれない。
ちなみにその場合、一般人が武器の「改造」を行えるのかという疑問も出てくる事になるが、これは特に問題ではない。何故ならば、「改造」というのはアルベド族のみが行える特有の技術ではなく、簡単なレクチャーさえあれば誰でも出来る(「改造」の仕方をリュックから教えてもらった後、リュックと別行動になっている時でも「改造」を行える事から明らか)事だからだ。

そして最後は、「ミヘン街道を歩いている人々も普通に魔物と遭遇しているのであれば、某少女が『魔物が出たらすぐに逃げられる様に』とランニングしていたのは一体何だったのか」という事である。
街道を歩いている他の人々と同様、幾ら時間をかけてそのランニング風景を眺めていようが、不意に亡くなってしまうという事態が発生しないという事は、この少女も「さきがけ」と「とんずら」により数々のバトルから逃げてきた経験を持つ言わば歴戦の猛者である。その逃げっぷりはもう一人前と言ってはばかられる事のないものの筈なのだが、何の為に彼女は走り続けているのだろうか。
ここで私はこう考えた。どうやらこの少女も「さきがけ」と「とんずら」の恩恵に授かっているらしい。そしてそうである限りもう普通の魔物は敵ではない。しかし彼女は走り続ける、「魔物が出たらすぐに逃げられる様に」。という事は、彼女は「普通でない魔物」を相手と想定したトレーニングをしているのではないだろうか。
「普通でない魔物」とは何か。それはつまりボス敵の事を意味している。具体的にはどういう事か。これを説明しようとする時、先に述べていた「領域」が重要な要素として再登場するのだ。

まず、何をもってボス敵が「普通でない」と言っているのかといえば、それは「逃げられない」事に起因している。その他一般の魔物からはことごとく逃げる事で対応してきたのだから、彼等にとって逃げる事を許してくれない魔物との遭遇は即ち死を意味するに等しい。だからこそ、不意にボス敵が現れた時、瞬時にそいつから逃げる為の能力を養っておく事は、あまりにも多く難題のあるスピラで生き抜く為にはとても大きな比重を占める要素たり得るのだ。だからこそ件の少女は、一般の魔物から逃げるという「特訓」を繰り返す事で、その能力を鍛えていたのである。
では、「逃げられない」魔物から「逃げる」とは果たしてどういう意味なのか。

ここでは、一般の魔物に対し、普通に走って「逃げる」場合を想定してみるとよく分かる。ちなみにここで言う「一般の魔物」は、バトル前からその姿が確認出来ているものとする。
例えば、まだバトルに突入していない状況で、目の前に魔物がいるとしよう。こいつから逃げる場合、どうしたらいいか。それは簡単だ。貴方はその場から振り返り、走るにしろ歩くにしろその魔物とは逆側の方向へ移動すればいい。まだバトルが開始された訳ではないのだから、相手が動かない限りは急ぐ必要すらない。ちなみに、振り返って移動した先でエンカウントする可能性はここでは考えない。
では次に、その場から振り返って逃げず、一歩進んでバトルが始まってから逃げる場合はどうなるだろうか。この場合「振り返って走る」行為はコマンドで言う「逃げる」に相当する事となるが、この行為は25%の確率で失敗に終わってしまう。
これらが意味するものは何か。つまりは、バトルに突入していない、即ちバトル領域外にいる時は確実に逃げられるが、バトルに突入済み、即ちバトル領域内にいる時は同じ逃走行為でも成功率に変動が生じるのだ。これもまた、「時間」や「空間」のみならない「領域」の特徴と言える。

そしてそうだとすれば、これはボス敵を相手にした時でも言える筈なのだ。
つまり、ボス敵の作り出す「領域」には、一度入ったが最後、永遠に逃げ出せない、やるかやられるかの戦いが始まる事となってしまうが、その「領域」に入りさえしなければ、普通に逃げられるという事なのである。
それを示す実例もある。件の少女が常日頃トレーニングをしているのはミヘン街道だが、このミヘン街道に登場するボス敵と言えば誰だろうか。そう、チョコボイーターだ。このチョコボイーターがゲーム中に登場したシーンの事をよく思い出して戴きたい。そのシーンでは、チョコボイーターに追われていたチョコボが見事チョコボイーターから逃げおおせる光景が見て取れるのである。つまりそのチョコボは辛うじてチョコボイーターの作っていた「領域」に入り込む事無く、無事に逃げられたのだろう。
また、通常一般の魔物はバトル前から姿を確認する事が出来ない為、領域内に入る前に意図して逃げる事は不可能に近いが、一方でチョコボイーターはどうだっただろうか。領域外にいたチョコボが無事に逃げ切れた事や、実際にゲーム中でバトルに入る前からチョコボイーターの姿を確認出来る事からも分かる通り、チョコボイーターは事前に姿を視認する事が可能なのだ。だからこそ、あの少女の特訓は意味あるものと言える様になるのである。
更に、これはチョコボイーターに限った話ではなく、全般にバトルに突入前からその姿を見て取る事が出来る、FF10のボス敵殆どに対して同じ事が言える。これは恐らく、大半のボス敵が作る「領域」は、空間に対して影響を及ぼしていない事から起こるものなのだろう。

以上で、「何故魔物達がユウナ一行しか襲わないのか」の謎に関する一つの答えとする。
勿論ながら、個人的にこの説は正しいと思っている。思っているからこそこうして文章にしたためている。
ところが今、この謎に対してもう一つの説が渦巻いている事を私は無視出来ない。もう一つ、可能性を見出し得る考えが存在するのだ。
ここまでで説いた説と同様に、このもう一つの考えもまた個人的には信憑性が無いと言い切れないので、ここからはこの謎に対するもう一つの考えを述べていこうと思う。


普く魔物共は何もユウナ達ばかりに襲い掛かってきている訳ではない。これは恐らく正しい。あれら魔物達が対象を選り好んでいると考える方が不自然だ。
先の考えでは、次々と遭遇する魔物に対する「万全の対策」として、「さきがけ」と「とんずら」による確実なる逃走を挙げていた。しかし、本当に対策はこの方法しか無いだろうか? いや、違う。あらゆる魔物に対して確実に無傷でいられる方法はもう一つある。
オートアビリティ「エンカウントなし」を利用すればいいのだ。このアビリティがセットしてある防具をただ装備していれば、それだけで後は何の気兼ねも無く気ままに歩いていればいい。勿論、そこがミヘン街道であるならチョコボイーターの存在にだけは気を配っておく必要があるだろうが。

この方法ならば「さきがけ」と「とんずら」での対策では問題になっていた「ティーダエリア」云々の話は何でもなくなる。「エンカウントなし」のアビリティは、その人物がスフィア盤でどのエリアに属しているかを問わないからだ。「魔物が出たらすぐに逃げられる様に」と走り込んでいた少女が「エンカウントなし」を利用していたと仮定しても、何故それをして頑なに特訓し続けていたのかについては先に述べた事がそのまま通用する。
では、「一般人がアビリティ『エンカウントなし』をセットしてある防具を入手出来るのか」についてはどうだと言えるか。「さきがけ」をセットしてある武器については、オオアカ屋が扱っている場合がある他、「改造」でセットする際に必要なリターンスフィアもさして貴重なアイテムではない事からそれは十分可能な事だった。しかし「エンカウントなし」についてはそう簡単にはいかない。
まず、初期状態で「エンカウントなし」がセットされている防具を売っている店はこのスピラ中の何処にも存在しない。ギルさえあれば最も簡易な方法として挙げられる「購入」という手段に頼る事は出来ないのだ。
ゴーストやレイス、デビルモノリスといった魔物が落とす場合も無い訳ではないが、魔物の脅威から身を守る為に魔物と戦わなければいけないのでは本末転倒もいい所である。ゴースト以外に関しては一般人が出会う事すら不可能だろう。
となれば、残る手段はやはり「改造」となる。防具を改造して「エンカウントなし」をセットする為には「清めの塩」を三十個集めなければならない。そこで「清めの塩」はどうすれば手に入れられるのかを調べ、そのそれぞれについて考えてみよう。

「それぞれについて考えてみよう」とは言うものの、その入手方法は極めて限られている。まず竜種族に属する全ての魔物を各四体以上捕獲した時に、モンスター訓練場のオヤジから99個貰えるというものだが、これを成しえる人材がゴロゴロいる訳ではない以前に、訓練場のオヤジがティーダ達に魔物の捕獲を依頼したのは訓練場から魔物が逃げ出したからである為、ティーダ達がそれらの魔物を捕獲した後はもうその作業は必要無いと考えられ、それ即ち万が一ティーダ達の後に同様の作業を行い、完遂した誰かがいたとしても、その人物が清めの塩99個を同じく貰えたとは思えない事からこれは除外される。
同じく訓練場のオリジナルモンスターであるアバドンやホーネットから盗めるが、それには「盗む」あるいは「ぶんどる」のアビリティを修得しておく必要があり、まずその時点でそれを可能とする人物がかなり絞られてしまう。それだけでなく、ティーダ達が該当する魔物を捕獲し、アバドンやホーネットと戦える状況にしないままゲームクリアを迎えても、平然と魔物の出る地域を歩いている人間はいる訳なので、これも除く事になる。
霊堂僧兵からも盗めるには盗めるが、ザナルカンド遺跡までその身一つで辿り着ける様ならもう「エンカウントなし」等いらないのではあるまいか。
となると、残るは「僧兵から盗む」のみとなった。この場合相手は人間であり、場合によっては周りに魔物がいない状況というのも考えられるだろう。
そうとなるとこれまでで最も可能性の濃い手段であるという見方も出来るが…現実はそう甘くはない。「清めの塩」目当てとは言え、寺院の僧兵に対して戦いを挑んだらどうなるか、それを想像して見れば容易に分かるというものである。寺院こそが人々を統括し、絶対的な権力を誇示しているこのスピラで、僧兵に盾突くという事は、即して寺院への反逆行為と受け取られかねない。反逆者と見なされた者の生きる場所が存在しないこの世界だ。そんなリスクを負ってまで、「エンカウントなし」を追い求める者等いよう筈はない。

つまりこれで、「エンカウントなし」がセットされている防具を手に入れる為の、全ての手段が絶たれた事になる。やはり一般人に「エンカウントなし」は高嶺の花だったのか? 魔物の出現する地域を安全に闊歩出来るのは「とんずら」を覚えられる人間だけに限られた話なのか?
いや、そうではない。本当にもう「エンカウントなし」セット済みの防具を入手する手段が無いのか? それは違う。
先に僧兵が「清めの塩」を持っているという事を挙げたではないか。ならばこの僧兵自身は、己の防具を改造する事によって「エンカウントなし」がセット出来ると考えても不思議ではないだろう。「改造」の技術が一般の人間にも容易く扱える既存技術であるという事は先に述べた通りだ。更に、全ての僧兵が「清めの塩」を数多く所持している事を、「僧兵からそれを『盗める』」という事から言う事が出来る(「百年に一度の奇跡」参照)。
そしてここからが重要だ。己が所持している大量の「清めの塩」は、何も自分の為だけに使う必要はない。誰か他の者に譲渡するなりすれば、その者は「エンカウントなし」の恩恵に授かる事が出来るのだ。
上述の通り「清めの塩」は貴重なアイテムである。そしてその貴重さに見合うだけの有用性を持っている。そんな「清めの塩」、或いはその「清めの塩」を用いて作った「エンカウントなし」込みの防具を民衆に配ればどうなるだろう。その時、これまで民の心を強く引き付けてきたエボン寺院への信頼は一層増す事になるだろう。それは民衆にとってのみならず、寺院そのものにとっても有益となる活動なのである。
ただ、寺院がそういう活動に出たと仮定すると、スピラ人民の大半が「エンカウントなし」込みの防具を手にしている事になるが、それにしては先にも少し触れた様に、ミヘン街道を通行している人の数が少ない様な気がしてならない。
つまりこれは、こういう事を意味しているのではないだろうか。

既にこれまでの経緯により、大衆の心を強く掌握した寺院は、この期に及んで必要以上に人々に対し良くしてやる事もなかっただろう。それ故寺院は上記に述べた奉仕活動に出る事はなかった。
とは言え、この「清めの塩」の希少さや、「エンカウントなし」の有用さは、全くの無駄とするにはあまりにも勿体無いものがある。そこで一部の僧兵達は、それらのアイテムを秘密裏に売り出し、私服を肥やしていたのではないだろうか。FF10-2 IN+LMの『クリーチャークリエイト』におけるセファロタスの魔物人生エンディングを見ても分かる通り、二年後、形式上エボン寺院が一旦解散した後ですらああいう人間が存在するのだから、この時期にそういう人間がいたとしても何ら不思議ではないのだ。
ただし、勿論ながらその事が外部に漏れれば、そんな有用なものを隠していたとして少なくない非難の声が上がるのは確実だ。
そこでその僧兵達は、かねてより寺院との「黒い」繋がりがある者に対してのみそれらの物を密売したのだ。
何と嘆かわしくも、こんな所にも寺院の裏の実態が潜んでいたのである。


…改めて、魔物が出現する地域を普通に歩いている人々を見てみてはどうか。
恐らくその内の大半は、「さきがけ」と「とんずら」の組み合わせを、如何なる理由にせよ運良く我が物に出来、全てのバトルから逃走している人間だろう。
しかし、中にはいるかもしれない。
さも自分は一般人だという顔をしていながら、実はエボン寺院と黒い糸で繋がっている人間が…


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