私は以前に、「何故我々のすぐ横を歩いている一般人は魔物に襲われないのか」について考察し、実はその一般人も普通に魔物と遭遇している事、魔物とのバトルの際には「時間」と「空間」に関する特殊な「領域」が作られる為に、領域外からは原則戦いの様子を見る事が出来ない事、といった結論を導き出した。それらの詳しい所については「不公平の極み」を参照の事。
しかし、その結論は新たな謎を生み出す事となる。確かに、そこいらを歩いている一般人については「領域」の存在に触れる事で説明出来た。しかし「不公平の極み」では、その「領域」について突っ込んだ話をしていなかった。それ故に「殆どのザコ敵が遭遇するまでその姿を視認出来ない中、何故ボス敵を始めとしてバトル開始前からその姿を視認出来る魔物も存在するのか」という謎が浮上したのである。
そこで今回は、「不公平の極み」で明らかとなった「領域」についての話を掘り下げ、この謎について考えていく。

ここではまず、先に挙げられた謎について考える前に、ザコ敵と「領域」の関係に関する不可思議について触れておきたい。
一般にザコ敵はバトルに突入するまで姿を確認する事が出来ない。これは、ザコ敵が「空間」に影響を与える「領域」内にいるからだ。つまり、この「『空間』に影響を与える『領域』」が存在しないと仮定すれば、人間も魔物も普通に街道なりを闊歩している光景が想像出来る訳だが、実際にはそれだと疑問点が生じる事になる。
それと言うのも、もしも魔物が人間と同じ様にそこいらの道を歩いているとしたら、静止している人間が突然魔物と出くわしたりする事もあるだろうからだ。しかし、実際の所そんな事は起こり得ない事がゲーム中に示されている。つまり、バトル中でない普段の魔物はどの様に動いているのか、という疑問が生まれた訳だ。
魔物が静止している人間を避けて動いている、という考え方はそれそのものが既に疑問でありながら一応考えられる理由の一つだが、これは恐らく違う。何故ならば、「空間」に影響を与えている「領域」内からは、基本的に「領域」外にいる人間を見て取る事が出来ないからだ。これは以前に「不公平の極み」でも触れていたが、眼前に誰かしら人間がいる状態で魔物と遭遇したとしても、バトル中はその姿が確認出来ない事実から明らかな事だ。
だとすると、普段の魔物はどうやら普通に動いてはいない様だ。ならば静止しているのか、とも考えるものの、これもおよそ正しくないと言えよう。エンカウントするか否かは非常にランダム性の高い事がやはりゲーム中から明らかに分かる事で、全く同じ状況下の中、全く同じコースを辿って動いてもエンカウントする場所には少なからず違いが生じる。つまり魔物達は普通に動いてはいないが、単に静止している訳でもないのだ。
では、普段の魔物、及びそれら魔物達の作り出す「領域」はどの様に動いているのか。やはり静止している人間のみ、気配なりを察知しながら避けているのか。だがそれではやはり、動いている人間と立ち止まっている人間をわざわざ区別する理由が見出せない。
この様に、目に見えない現象であるだけに中々の難題だが、解決の糸口はあった。実は「魔物がどの様に動いているのか」を視覚的に認識出来る場所が一箇所だけ存在したのだ。
ゲームをクリアした方ならば必ずやその地を訪れただろう。その場所とは「『シン』の体内・悪夢の中心」である。この場所では地面から突き出る光の柱を避けながら、光の結晶を十個集めるという作業を行う訳だが、この「光の柱」こそが、魔物達の動きを象徴しているのではないかと思われるのだ。
光の柱の出現箇所は基本的にランダムな事から、エンカウントのランダム性についてはこれで説明出来る。また、光の柱は絶えず地面から突き出続けているが一定時間後には消えてしまう為、同じ状況下で同じコースを辿って歩いた時に、特定の箇所でエンカウントするかどうかに違いが現れる点もこれなら納得がいくだろう。柱に接触して起こるバトルを終えた直後は一旦全ての柱が消えている点は、バトル直後のエンカウント率が低めである事に関係しているのかもしれない。
ただし、「『シン』の体内・悪夢の中心」では一定の場所に立ち止まっているとその内足元から柱が突き出てきてバトルに突入してしまう点や、「『シン』の体内・悪夢の中心」においては避けようと思えばバトルを回避し続けられるのに対し他の場所では歩き続けているといずれはどうしてもエンカウントしてしまう点を考慮すると、あの光の柱は魔物達がああいう風に動いているという一つのイメージに過ぎず、実際はあのままではなく、多少違った動き方をしているものと思われる。
とは言え、バトルに身を置いていない魔物達及び「領域」は出現と消失を繰り返し、出現している間はその場を動いていない、という事は確かに言えそうである。

これを踏まえ、今回の本題に入る。
まず繰り返す事となるが、一般の魔物が普段姿を確認出来ないのは、その周囲に「空間」に影響を与える「領域」を作り出しているからだった。
しかし、このスピラに生息する全ての魔物が一概にそうと言える訳ではない。それを示す最も顕著な例はFF10-2 IN+LMでの『クリーチャークリエイト』で、これで見られる魔物人生エンディングの多くでは、バトル中でもない魔物の姿が普通に見て取れているのだ。
同じ魔物でありながら、何故『クリーチャークリエイト』での彼等は「領域」を持たないのだろう。そればかりではなく、彼等は「『シン』の体内・悪夢の中心」における光の柱の様に出現と消失を繰り返している訳でもなければ、自由に行動すらしている。
この違いは何か。何故『クリーチャークリエイト』で見る魔物達は普通に姿が見えているのか。この謎に対し、私はこう考えた。「『自我』が重要な要素となっているのではないか」と。
そもそも魔物達の周囲に発生する「領域」とは何が原因で作られるものなのだろうか。私が「領域」の概念を持ち出す切っ掛けとなったのは、バハムートの祈り子が夢のザナルカンドでティーダに語りかける時に起こった現象だったが、はっきり言って、この時バハムートの祈り子が起こした現象と同様の事を、ほぼ本能のままに行動するしか能のないあれら魔物達がやっていたとは考え難い。つまり、一般の魔物達が作っている「領域」は、バハムートの祈り子が作った「領域」とは、作り出している者が「幻光体」である事、その発生には「幻光虫」が関与している事、この二つこそ一致してはいるが、厳密には違うものだと思われ、更にあの魔物達が自らの意思でそうしているとは考えられないのだ。
ではそうだとした時、どうして魔物達の周囲には「領域」が存在するのか。恐らくそこには魔物達の精神や思考が影響を及ぼしていると考えられる。大体にして魔物発生のメカニズムとは、死者の生ける者に対する恨みや妬みといった想いが幻光虫と結合する事によって生まれるものであり、その並々ならない想いは魔物化した後も変わらず残っているだろう。そしてその想いは、魔物と化して他の思考が消え失せた事で、一層強烈なものとなっていたに違いない。それだけの強い想いが、本人の意思とは関係のない所で「時間」や「空間」にまで影響を与える「領域」を作っていた訳だ。
そしてそう考えるのならば、先に疑問点として浮かび上がった『クリーチャークリエイト』での魔物に関する謎も解ける事となる。実際に魔物人生エンディングを見ると分かるが、彼等の殆どは生ける者への恨みで満たされてはいないのだ。ある者は家族を想い、ある者は恋人を想い、ある者は生前の主君に忠誠を誓い、またある者は死して尚果てぬ夢を見る…彼等は魔物として生きる中でいつしか生への執着や怨念といった感情が薄れており、それが結果として「自我」を取り戻す事に繋がり、延いては「領域」の消失に繋がったのだ。だからこそ、彼等は普段からその姿を確認出来る。周囲の幻光虫に大きな影響を与えてないからこそ、そこらの魔物の様に出現や消失を繰り返す事もなければ、自由な行動も出来る。その辺りの事を考えると、これら「自我」を持つ魔物は言わば「魔物の姿をした死人」と言えるかもしれない。死んで直接死人となったか、それとも一旦は魔物になったか、という違いがあるのみで、その実彼等はアーロンやシーモアとまったく同じ存在だったのではないだろうか。

さて、ここで浮上した「自我」の話は、何も『クリーチャークリエイト』における魔物のみならず別のケースにおいてもあてはまる事となる。
例えばボス敵。殆どのザコ敵が常時「領域」内にいる中でボス敵達の殆どはバトル前から姿を見せている事が多いが、これもボス敵がザコ敵に比べて「自我」を持っている事が原因と言えるだろう。これについては、そいつがボス敵であるから「自我」を持っている、という訳ではなく、何らかの切っ掛けにより「自我」を持てたからこそ、単に本能のままにしか動かないザコ敵には見られない複雑な行動パターンを会得したり、強力な技を修得したりして、その結果としてボス敵と化したのであろう。自制がききながらにして、尚戦いに生きる彼等は、その実力から言ってもザコ敵の数倍厄介だと言える。
また、ザコ敵であり、戦う事にしか能がない身でありながら尚且つ姿が見えている魔物も存在するが、彼等についても周囲の幻光虫に影響を与えない程度の「自我」は芽生えていると考えられる。そういった魔物がえてして普通の魔物よりも若干強めだったりするのは、ボス敵と同様にして本能だけでは体得出来なかった技や戦法を身に付けたからだ。一部には「自我」を持っているにも拘らずザコ敵と殆ど変わらない、或いは全く同じ能力しか持ち合わせていない魔物も存在するが、恐らく彼等は「自我」が芽生えてからまだあまり時間が経っていない者達なのではないだろうか。もしかしたらそういう存在も、今後ずっと戦いに身を置いて鍛錬に励めば、ボス級の魔物へと成り上がる日が来るかもしれない。
ちなみに、確かに彼等は「自我」を持ち「領域」を作り出してはいないが、一度バトルへ突入すると、生死を賭すという極限の状況であるからかその間のみ「領域」を作り出す事は珍しくない。一般にこういった魔物とのバトルでは逃げられない事こそがそれを示していると言えるだろうし、バトル開始前と開始後では周囲の光景が若干違って見える事もあったりする事と思われる。それは、極限状態にある眼前の魔物が「領域」作り出しているからなのだ。

以上が、「バトル前に魔物の姿が見えない謎」と、「バトル前から姿が見えている魔物も中には存在している謎」についての答えだ。姿が見えないのは魔物達が「空間」に影響を与えている「領域」を作り出していたからで、一方で姿が見える魔物もいるのは彼等が「自我」を持っていた事により「領域」を作り出していなかったからだったのだ。


さて、今回浮上した「何故多くの魔物はバトルが始まるまで姿が見えないのか」という謎についてここで述べた考え方はいずれも「幻光虫」の存在が重要な要素としてある為に、FF10及びFF10-2にしか通用しないものであり 、他のシリーズについて同様の事は認められない。
しかし「FF10-2 ULTIMANIA」に、シナリオライターの野島一成氏の「FF10の世界とFF7の世界が実は繋がっている」という趣旨の発言が掲載されていた事をご存知の方は多いだろう。そうだ、FF10の世界とFF7の世界は繋がっているらしいのだ。野島氏によれば、FF7の世界はFF10からざっと1000年位経っての話で、その舞台は別の星にあるらしい。
しかし、例え時間にして1000年の時を隔てていようが、スピラとFF7の舞台となる惑星が別々の星であろうが、両者が同じ宇宙に存在している限り、幻光虫の概念はFF7の世界においても言えるという事になろう。ライフストリームの存在がそれをはっきりと示している。そしてそうであるならば、上記の考え方はFF10とFF10-2の他に、実はFF7の世界についても言えるという事になるのだ。

FF7において「時間」や「空間」に関するおかしな食い違いが存在するとすれば、それはスピラで言う所の「幻光虫」が周囲に影響をもたらしていた事が原因である。ここに、悠久の時を越えて尚変わらない森羅万象の雄大さを、或いは感じられるかもしれない。


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