以前「百年に一度の奇跡」において私は、ユウナ一行が百年に一度起こるか起こらないかという程に難関を極めるこの旅を成功させた背景に「魔物の増加」や「パーティーメンバーの究極的なバランスの良さ」があると述べた。
ただ、私はそれが原因の全てであると考えている訳ではない。彼等が旅を完遂出来た要因の一つには、過去に召喚士の旅を経験し、実際に成功させた実績を持つアーロンや、失敗に終わりこそしたもののやはりその経験を持っているワッカ、ルールーの、己の体験をもとにした助言や力添えが間違いなくあっただろう。
しかし、この事自体に疑問を持った人も多かったのではないか。そう、過去に召喚士の旅を経験しているにしては、彼等三人は「弱い」のである。三人共、仲間入りした時点のスフィア盤ではスタート地点にいて、まるで成長した形跡が無いのだ。発動された成長スフィアが、時間と共に元の状態に戻ってしまう事がない事は、実際にゲーム中でどれだけの時間を他の事に費やしていてもスフィア盤に一切の影響を与えない事から明らかなので、これだと彼等三人は、過去の旅の道中をずっと初期能力値のままで過ごしていたという事になってしまう。特にアーロンについては、初期状態でザナルカンドにまで到達してしまっている事になるのだ。
確かに、初期状態の能力で旅を決行する事も、その果てにザナルカンドにまで到達する事も、全く以って不可能な事ではないという事は、FF10が発売されてから今日までの間に一部のプレイヤーによって証明されてきた。「百年に一度の奇跡」で述べている様に、彼等が経験した過去の旅では目立ったボスが存在しない為、「初期能力値プレイ」はやや楽なものであるかもしれない。しかし、例えそれを加味しても疑問は拭い切れないだろう。そもそもワッカとルールーについて考えると、万が一過去の旅を初期能力値のままで行っていたとしても、近々ユウナと共に旅に出る事が決まっていた二人が、いざ出発の日を迎えるまで一切の特訓を行っていなかったとは流石に思えない。やはり彼等がスフィア盤のスタート位置にいた事は紛れもない謎、矛盾なのである。
何故、この三人はパーティー入りするまで「初期能力値」だったのか。今回はこれを考察する。

ここではまず、ルールーについて検証してみる。一つ目にポイントとなるのは、ルールーの一度目の旅、召喚士ギンネム一行の旅についてだ。ここで重要になるのは、ルールーとギンネムの二人以外に、何人のどの様なガードがいたのかは不明な事と、旅の終わりにギンネムが予期せぬ死を迎えてしまっていた事である。
ギンネムが旅の途中、盗まれた祈り子の洞窟で非業の死を遂げてしまった事は、同地を訪れたプレイヤーなら知っている事だろう。「命を投げ打ってでも召喚士を守る」というガードとして最低限の使命すら守れなかった過去がこの二年間、彼女を苦悩させ続けてきた事を覗えるイベントである。
ここが、謎を解く一つのポイントだという事にどれだけの人が気付いただろう。召喚士は死亡し自らは生存したというこの状況を、ゲームに当てはめて考えてみて戴きたい。例えば、実際のバトルを想像すると、どんな輩の、どんなに強力な一撃をまともにくらってしまったとしても、その人物は戦闘不能に陥るに留まり、死に至る事はない。直後に逃走したとしても、その人物は歩けるどころか普通に走れるだけの体力が残っているのだ。また魔物の方も、戦闘不能状態の者には全く目もくれず、ひたすら立ち向かってくる者だけを標的として襲いかかってくる。
これが意味するものとは何か。つまり、バトルにおける「死」とは、戦闘に参加している面々全員が戦闘不能になってしまう以外の状況ではあり得ない、という事を示しているのだ。
これに「三人以上のパーティーの場合、一部の状況を除きバトル参加人数は三人に固定される」事を加味して考えると、召喚士ギンネム一行は四人以上のパーティーを組み、かつギンネムの死の際には、ルールーは戦闘に参加していなかった事が分かるだろう。
これに加えて更に、当時のルールーの心情を考えてみれば、謎が解けて来る。そもそも彼女がガードとして旅に出たのは一重に、ユウナにその旅をさせない為であるからだった。あまりにも強い覚悟の下、召喚士の運命を受け入れて修行を続けるユウナから、少しでも『シン』を遠ざける為にと、皮肉にも後のチャップの自身に対する想いと全く同じ理屈で行動に出た彼女。しかし、当時の彼女には召喚士のガードとして満足な働きが出来る程の実力を持っていなかったのだ。スフィア盤には七つのエリアと、それぞれのタイプが存在する事を「百年に一度の奇跡」で触れたが、恐らく、ギンネムの連れていた少なくとも二人いる他のガードの中に、ルールーよりも能力の高い「ルールーエリア」の人間がいたのだろう。
しかし彼女には、ガードとしては全く活躍出来ないかもしれなくとも、旅に出る意義と必要があった。どれだけ強く反対しようとも、その決意の程を全く曲げなかったユウナ。そのユウナに、自分の想いが少しでも伝わってくれたら。「貴方を死なせない為に」 この、直接言葉で表さないからこそ強みを帯びる想いが、全力で捧げる万感の想いが、少しでもユウナの前進にブレーキをかけてくれたら。それを試行してみるだけ、ルールーには、足手まといであろうが、形式上旅に出る事に意味があったのだ。つまり、ルールーは全く道中のバトルには関わらなかったと考えられる。
結果、実力面においては何一つの成果上げられなかった二年前のギンネムとの旅。その彼女はもう一度、今度はワッカと共にガードとして旅に出る事になる。召喚士の名はズーク。ゲーム開始から半年程前の話だ。
既にユウナが従召喚士として修行を始めてから一年半。「大召喚士ブラスカの娘」という資質の面から考えれば、彼女が召喚士となり、ビサイドを旅立とうとするのは時間の問題である。ワッカとルールーにとってこの旅は、ユウナの前進を止めるラストチャンスだっただろう。
しかし、旅に出る直前の二人に、とある訃報が舞い込む。ジョゼ海岸防衛作戦でのチャップの死。ワッカにとって弟であり、ルールーにとって恋人であった彼の死はあまりにも大きかった。現にワッカは、その事に対する無念が頭から離れず、旅に集中出来なかったと語る。あまり口にはしないがルールーも同様の気持ちだった筈。そんな二人が、ガードとしての仕事を満足に務める事等出来る筈もなかった。
また二人は、ズークが召喚士としてビサイドを訪れた際に、彼に頼み込む事でその旅に同行させてもらっている。これからすると、ズークがそれ以前の旅路を一人でこなして来たとは考え難い為、他に腕利きのガードが同行していたと考えられる。その為、やはり基本的に二人がバトルにおいて活躍する場面は無かった様である。思うにズークは、二人の「ユウナを止めたい」という思いを汲み取り、ガードとして役に立つかどうかとは関係無く二人を旅に同行させたのではないだろうか。
また、召喚士の旅を終えたズークが、後にベベルで僧官を務めている事から、彼がベベル出身だと仮定すると、ベベルからビサイドまでは既に通過してきた道だという事になるので、自然と復路はハイペース気味になり、それがワッカとルールーの二人にとっては旅の短縮化=バトル参加機会のより一層の減少、とみる事も出来よう。
結局の所この旅も、ナギ平原で頓挫してしまった。原因としては、ズークの召喚士としての迷いか、それとも元々彼のガードだった者が不慮の事故で死んでしまった、等の理由で旅が続けられなくなってしまったのか。どうであれ、またも実力面では何の変化も無いままに、二人はビサイドへ帰還する運びになってしまったのである。

さて、ここまでの時点で、二人が旅の道中、スフィア盤を発動する事がなかった事は明らかになった。では、ユウナのガードとして旅をする決意をした後はどうだったのか。流石にユウナが召喚士になるまでの間、のうのうと過ごしていた訳ではないだろう。恐らくは来るべき出発の日に向けて何かしらの訓練を行なっていたのだろうと考えられるのだが、では何故、スフィア盤は依然としてスタート地点のままだったのだろうか。今度は、二人がズークとの旅を終え、ビサイドに帰って来てからの半年の事について考えてみよう。
例えビサイド島という南国の極めて小さな島であっても、魔物に出会う機会は相当ある。例えばワッカは、ビサイド・オーラカのブリッツボール練習で村から浜辺へと向かう際に、村への坂と滝の道を往復する事になるだろう。ゲーム中でこの二つのマップを通過すると、平均して五度程度魔物に遭遇するので、いつもいつも奇跡的に魔物に遭わなかったとは考え難いのだ。
しかし、ここで今一度考えてみて欲しい、ユウナ達七人の究極の「バランスの良さ」を。確かにビサイド島に出現する魔物は、スピラ全土を通して最も弱い部類に上げられる。しかし、今まで豊富な実践経験が無く、かつ一点でもバランスを崩したパーティーとなると、そんな魔物達ですら苦戦を強いられる可能性は十分にある。
例として、ワッカが一人で、ディンゴ、コンドル、ウォータプリンの三体を相手にしたとしよう。コンドルに関しては全く問題無いとしても、それを相手している間にディンゴの一撃を喰らってしまう事はまず避けられない。更にウォータプリンに対しても、倒すにしろ逃げるにしろ少しでも手間取ろうものなら、手痛い魔法を使われてしまう。つまり、例え他の地に比べて魔物が弱かろうが、単独で実践訓練を行なおうとするのは少々無謀な事なのである。
またこれに加え、ワッカとルールー、二人の次の旅に対する思い入れが深く関わっている様にも思える。どうしても止めたかった今度の旅。しかし、今まで何としても止めて欲しかったからこそ、いざその時になれば、今まで以上の決死の思いで守り抜き、聖地へ辿り着かせなければならない。あまりにも過剰にそう思う二人は、必要以上に神経質になっていたのではないか。今まで間近でユウナの修行を見、もうすぐにでも召喚士になれるかもしれない現状を感じていた二人は、不要な問題、それはつまりガードとしての働きを困難にさせる上、当のユウナにも要らない心配をかけさせてしまうであろう怪我等の事態を極力抑えようとしていたと思われるのだ。
その為に二人が行なった事は何か。まず先の、ビサイド島内の魔物に関しては、相手が誰であるかに関わらず真っ先に逃げていた様だ。確率にして1/4の割合で逃走に失敗してしまう事はあるが、ポーションをいくつか持っていればまず命を危険に晒す事はないだろう。もしくは、常に「とんずら」のアビリティを覚えている人と共に行動していたのかもしれない。
次に実践経験について。既に触れた事だが、二人共、スフィア盤に変化が見られないとは言え、全く何もしていなかった訳では無いのだ。これは、ズークと共に旅に出る前にも行なっていた事だと思うのだが、スフィアモニタの「魔物情報」を利用していたのではないかと考えられる。
とは言っても、ビサイドにそれは存在しないので、ブリッツ関係の事でルカに行った際等に利用したのだろう。あれで行なえるバトルで負ったダメージ類は終了後に完全回復する上、万が一全滅を喫しても結局は擬似訓練、大怪我を負う心配が皆無なので、極めて安全な訓練を行なう事が出来るのだ。
そして、彼等が恐らくは最も重視して行なった事、それが「初期能力値の底上げ」である。これはどういう事か。
多くの人は、能力値を上げるにはスフィア盤の成長スフィアを発動させるしか方法がないと思っているかもしれないが、恐らく実際の所はそうではないと思われるのだ。
例えば、スフィア盤には全く関わらない一般人を例にとってみよう。もし能力値上昇の全てがスフィア盤によるものだとするとその一般人の能力値は子供から大人への成長時や、果ては年をとってまで一貫して同一の値を維持するという事になり、ここに明らかな矛盾が生まれてしまう。
私達の場合で普通に考えるなら、一概には言えないものの幼少期から青年期にかけて急激に体力が増加し、中年期、老年期に向けて徐々に衰退していくという流れがある。当然、スピラに生きる人々も基本はこの流れに則っているだろう。恐らくはこの一連の流れが、ゲーム中では彼等の初期能力値に当たると考えられるのだ。
つまり、スフィア盤に頼らなくとも、日々の鍛錬によってある程度なら初期能力値の底上げが可能だと思われ、ワッカとルールーの二人、それに留まらずキマリやユウナはそれを目的として訓練を積み、結果としてスフィア盤とは関係の無い部分で一般人よりも高い戦闘能力を得られた訳だ。

以上が「以前にガードとして旅を経験した事があるにも拘らず、スフィア盤がスタート地点から全く動いた形跡が無いのは何故か」という謎の内、ワッカとルールーに関するものが解決した。
が、アーロンについては、上記の見方をするのは難しい。何故ならブラスカ一行は、ブラスカ、ジェクト、アーロンの三人だけで旅をしていた事が明らかであり、かつザナルカンドに到達して召喚士としての旅を、教えの範囲内において成功させているからだ。
ジェクトはティーダと同様、バトルに関する才能こそあってもやはり初心者であった事、そしてブラスカが「ユウナエリア」の人間であった事(「百年に一度の奇跡」参照)を考えれば、バトルの攻撃面におけるアーロンの役割はとても大きく、それ故彼が初期能力値のまま旅を終えたとはまず考えられない。アーロンは間違い無くスフィア盤を利用していたと思われるのだが、何故その彼ですら、ルカにおいてユウナのガードになった時点ではスフィア盤の位置がスタート地点にあったのだろうか。
実はこれと同様の謎はもう一つ、身近な所にも存在している。FF10の物語の二年後を描いているFF10-2において、確かに以前、スフィア盤を多数発動させて、あの『シン』に立ち向かえる程に強くなり、かつ多くのアビリティを修得した筈のユウナとリュック。だが、最早当然の如く、二人の能力値は見る影も無い状態になってしまっていた。これを疑問に思ったプレイヤーは相当多かった事だろう。これを、続編を製作する際に起こるどうしようもない矛盾だとしてしまってはいけない。このユウナ、リュックの謎とアーロンの謎には、全く同じ原因が存在していたのだ。

FF10-2の方で考えた方が恐らく分かり易いのでそちらを軸に話を進める。まず、何故ユウナとリュックの二人があれだけ弱くなってしまったのか、だが、それ自体の原因は極々簡単な事である。実際にプレイすれば一目瞭然だが、キャラクターの能力値に深く関わっていたスフィア盤が跡形も無くなっている事が、直接的な原因の一つだろう。
勿論、ここでは「何故スフィア盤は無くなったのか」という理由を考えなければならない。ここで私はこの謎に対し、鍵を握っているのは『シン』ではないかと考えた。何故ならば、この二年間であった世界的な変革、革命と言えば『シン』消滅位しかないからである。
一言に『シン』が鍵と言っても、外殻を構成している鎧としての『シン』は単なる幻光体に過ぎないので、これがスフィア盤に関わっているとは考え難い。また、仮に「先代の『シン』を倒した究極召喚獣」がスフィア盤に関係してくるとすれば、ゲーム中においてブラスカの究極召喚を倒した後、各召喚獣やエボン=ジュとのバトルの時点でパーティーメンバー各人の能力値に何らかの変化が現れる筈だがそれが認められない点から、これも違うと思われる。
となると、残るはエボン=ジュだ。恐らくこのエボン=ジュこそが、スフィア盤と密接な関わりを持っている。
ここで考えなくてはならないのは、エボン=ジュが、どの様にスフィア盤と関わっているかという事だが、やはりエボン=ジュ、つまりエボンという人物が召喚士だった事を考えると、スフィア盤を「召喚」していると考えるのが自然であり妥当だと思われる。そうであるとすれば、スピラに生きる人々全てに、共通のスフィア盤が与えられている事や、FF10-2においてスフィア盤が消滅してしまっている事にも納得がいくのではないだろうか。

では、召喚士エボンは何故、自らに脅威を、即ち故郷である夢のザナルカンドにも脅威を与えるスフィア盤というものを召喚しているのだろうか。
まず召喚士エボンは、1000年前の機械戦争において故郷の滅亡が必至になってしまった時、純粋に故郷を形として残すべく、住民全員を祈り子に変え、夢のザナルカンドを召喚し始めた。結果それは、己の存在に脅威を与える者が出現しかねない大都市を本能によって破壊する『シン』を生み出し、これに基づいて生きていればいずれ『シン』は消えるとした、人々の「希望」たるエボンの教えを生んだ。この「希望」が一つのキーワードなのである。
『シン』のいるこのスピラから希望が無くなってしまえば、最早この世界に未来は無いだろう。それ即ち、夢のザナルカンドの存続をも危うくする事を意味する。そうして起こるスピラの衰退を防ぐべく、このスピラには「究極召喚」という『シン』への唯一の対抗手段を授けている人物がいる。そう、最果ての地で召喚士を待つユウナレスカだ。
ここではその「希望」たる究極召喚について考えるが、この「究極召喚」は、祈り子となるガードの存在無くして語る事は出来ない。しかし、祈り子となる覚悟を持ったガードと、究極召喚獣となったそのガードを召喚する召喚士と、そしてその双方に絶対不変の「絆」さえあれば召喚した究極召喚獣で『シン』を倒せるのか、と言うとそれは少々安易過ぎると言わざるを得ない。あくまでも核になるのは祈り子となったガードだが、もしもそのガードが元々戦闘に長けた人物でない場合、例え究極召喚獣になろうともあまり力は発揮出来ないのではないだろうか。
何故なら、もし召喚士と祈り子と「絆」さえ存在すれば『シン』を倒せるのなら、ユウナレスカの放った試練としての二体のガーディアンは何一つの意味も持たなくなってしまうからである。召喚士に、そしてガードに戦闘能力を必要としないなら、このガーディアンはただ単に、目的地到達を阻むだけの魔物と化してしまい、ユウナレスカの語る「希望」のあり方や理想像からは果てしなくかけ離れる、矛盾極まりない試練となってしまうのだ。 つまり、究極召喚で『シン』を倒す為には祈り子となるガードにそれ相応の力量が必要だという事が分かる。
しかし、ここでもしもスフィア盤が存在しなかったらという事を考えると、その力量を得るのは困難を極める事となるだろう。それにより、もしかしたら『シン』を倒す事が不可能になってしまうかもしれないのだ。
スフィア盤が存在しない場合は、FF10-2を見れば明らかな様にEXPによるLvの概念が存在する事になるが、スフィア盤の概念がある場合は特定のスフィアを上手く利用すれば、バトルをする事無く成長スフィアの発動が出来得る他、武器や防具にセットされるオートアビリティを巧みに組み合わせて活用すれば、極めて安全にS.Lvを稼ぐ事も可能なのに対し、後者はひたすら戦う事でしかLv、すなわち能力値の増加を臨めない。更にスフィア盤は、老若男女ありとあらゆる者に対し公平に力を授けるという利点もある。つまり、少しでも打倒『シン』が身近なものに感じ得るスフィア盤の存在は、究極召喚のそれと同様に、また究極召喚と相互して存在する紛れもない「希望」なのだ。
これらより、エボン=ジュが夢のザナルカンドと共にスフィア盤を召喚している理由は、究極召喚が人々を絶望させない為に存在する「希望」であるのと全く同義であり、同時に究極召喚を発動して『シン』を倒し得る実力を、少しでも易くつけられる様に、という、エボンが故郷の存続の為だけを思って取った措置だったのである。

ここで余談となるが、「FF10 ULTIMANIAΩ」には、ユウナレスカが召喚士に究極召喚を授けていたのは、本当にスピラを想っての事だったのか、或いは「父」エボンの「故郷を形として残しておきたい」という願いを汲み取ってのものだったのか、という一つの疑問がある。これについて、ユウナレスカの授ける究極召喚とエボン=ジュが召喚するスフィア盤とが相互関係を持っているのならば、ユウナレスカが「希望」と称する究極召喚を授けている理由が、父エボンの想いを汲んでいるからこそだったという真実も見えてくるだろう。

さて、スフィア盤がエボン=ジュの召喚したものであるとすると、FF10-2のユウナとリュックに関しては謎が解けた事になる。実はFF10のラスボス戦が終わった時点でスフィア盤もまた消滅していたのだ。が、肝心のアーロンに関してはどうなのだろうか。『シン』のいない期間、つまりナギ節とは、エボン=ジュそのものがいない期間という訳ではないので、ユウナとリュックの場合とは異なって来る筈。だがこれについても、そのナギ節時のエボン=ジュの状態を考えれば謎は解けていくのだ。
まず、ナギ節というのは、教えの上では『シン』がいない期間とされているが、厳密には異なる。実際のナギ節とは、究極召喚を発動させて『シン』の鎧を分解し、核となっている「先代の『シン』を倒した究極召喚獣」に勝利した結果、それを支配していたエボン=ジュが新たな拠り所として次なる究極召喚獣を支配し、新しくまとう鎧を構築するまでの期間を言う。
この状態はエボン=ジュにとっては危機そのものである。数ヶ月〜数年という時間さえかければ元通りになるとは言っても、もし鎧を再構築しているこの間に、それこそ『シン』を倒し得る程の実力を持った何者かに襲われたりしたら一溜まりもない。ただ、だからといって鎧の再構築に全精力を傾ける為に夢のザナルカンドの召喚を例え一時的にであっても止める事は、彼の信念が反したのだ。とは言え、予期せぬ事態によって己が滅ぼされてしまっては元も子もないだろう。
そこで彼がとった措置、それが、スフィア盤召喚の瞬間的な中止だったのではないだろうか。一旦今までのスフィア盤を消滅させ、新たに召喚する事で、今まで多くの人々が発動させ成長して来た過程を一挙にリセットしたのである。これにより、すぐさま自分を脅かす存在が現れる可能性を極めて低く抑えたのだ。
つまり、10年前ブラスカが『シン』を倒した時点でアーロンの能力値は初期値にまで低下していたのである。その上で、後に殆ど魔物の出現しない夢のザナルカンドに渡った為、ユウナのガードになった時点において、スフィア盤のスタート地点にいたのだと考えられる。ちなみにそう考えるとすると、究極召喚が現状の改善に全く繋がらない事実を知ったアーロンが、ブラスカとジェクトの無駄死にに対する無念を胸にユウナレスカに一矢報いようとした際、いとも簡単に返り討ちにあい、致命的ダメージを負ってしまった事も自然だと思えるだろう。あの時の彼にザナルカンド到達時の面影は無くなっていたのだから。


余談だが、およそ十年間、魔物とは関わり合いの無い生活を送っていたにも関わらず、各ステータスの初期値に衰えが見えないところをみると、実は影で特訓を積んでいたのだろうかとも考えられるのだが、夢のザナルカンドにやって来てからゲーム開始時、つまり夢のザナルカンドが『シン』に襲われるその時点まで、アーロン自身ティーダをスピラに連れて来るつもりでは無かった事から、それはないと思われる。では何故体力が衰えなかったのかについてだが、これはもしかしたら死人という存在が、体力の衰えとは無縁のものであったからなのかもしれない。また、もしそうだとすれば、アーロン以上に戦いに関わっていないティーダに関しても、同じ幻光体という意味で、初期値の成長、衰退とは無縁の存在だったと考えられる。
無論ティーダの場合は、究極召喚獣が祈り子の力を反映するのと同様、祈り子の実力が幾らか影響しているとも言えよう。ティーダだけではなくジェクトも含め、少なくともこの親子にバトルの才能があった事は、こういった理由があったからなのだ。
ここまで述べたのだから更にもう少し触れておこう。十年前ナギ平原でアーロンから、ユウナをビサイドへ連れていってくれる様に頼まれたキマリについて。
それまで彼がスフィア盤を活用していたかどうかは定かではないが、この時点では能力値の初期化がなされた直後であり、更に六歳の少女と一緒だった為に、道中まともに魔物を相手にはしていなかった様である。
またリュックについては、彼女だけではなく一族全般を通して、魔物対策には機械兵器を投入していた様なので、やはりスフィア盤とは縁が無かった様だ。


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