さて「メネとアルテミシオンの癒着」に関し、その裏をとったところで、話を元に戻そう。
いつもの様に、メネはアルテミシオンの持って来る各地のお手紙を読み、モグオは盗賊団と共に盗みを働いていたある日の事。メネの元に、あるお手紙が届いた、当然メネに届いたものではないが。
その内容は、ゲーム中で言うチョコボの森近辺で、群れからはぐれたチョコボが一匹いる、というもの。
ゲームをプレイした人なら分かるだろうが、FF9には、チョコボの個体数が少なく感じられる。はぐれている、という事は普通なら群れを成しているという事だろうが、実際にゲーム中でチョコボの群生を見る事は不可能だ。唯一チョコボの桃源郷には、多数のチョコボが確認出来るが、一般の人々はその地の存在を知らない。
つまりこの世界では、はぐれている状況なら勿論、そうでなくてもチョコボと遭遇する事がまず珍しい事で、それ故モーグリ達の話題に上ったのではないかと考えられる。チョコが極度の人見知りだという事はゲーム中の、ジタンとチョコの初対面シーンで確認出来るが、もしこの"人見知り"が、チョコ特有のものではなく、FF9におけるチョコボという種の特徴だと仮定すれば、群れを成しているにも拘らず、極端にその姿を見る事が出来ない事も説明が付くだろう。
その、物珍しいチョコボが、よりにもよって単身で、更に都合のいい事には盗賊団アジト近くにいる。これをメネが見逃す筈は無かった。当然この時点では、ただのチョコボが計画に大きく関わって来るとは考えもしなかっただろう。恐らくは、その珍しさから高騰するであろう市場相場を見越し、トレノのオークションか何処か、とにかく売り飛ばすつもりだったメネは、早速とばかりにチョコボの元へ向かった。
しかしそこは流石のメネ。ただ単に捕獲しに向かった訳では無い。チョコボが付近にいるという事は、元々そのチョコボのいた群れも近くにいる筈だ。ここは一つ、すぐに売ってしまわずにおけば、何らかの展開があるかもしれないと考えたのだ。
しかし、盗賊団内でチョコボを飼育する事は、折角売れば金になるのに、と反発し出す団員を発生させる結果を招く。そこでメネは、盗賊団とは全く関わらない部分で、そのチョコボを一時飼おうと決めた。
しかし、予測するにそのチョコボは孤独感から来る恐怖に満たされ、苛まれている。となれば、一時とは言え、チョコボを留まらせておくなら、自身が四六時中監視する事が適わない以上、相当慎重に、これ以上無い程友好的に接しなければならない。
ただ、メネが危惧していた程実際は大変な事では無かった。それもその筈。モーグリのメネとチョコボの間での意思疎通は可能な事であり、それに加え、果たしてチョコボの目にはどう映っているのかは定かではないが、恐らく可愛らしく映ったであろうメネの姿。更にモーグリに対する、敵対する可能性のある存在では無い、という先入観も加わり、そのチョコボはさほど時間を要さずして、メネと打ち解けていった。
この時メネは、そのチョコボが"チョコ"という名だと知る。これに関しては、後の、桃源郷統治者デブチョコボの、「チョコよ(後略)」というセリフから、"チョコ"という名が、メネが命名したものではなく、元より付いていたものだという事が分かるだろう。
その後二人は、ゲーム中ではチョコボの森と呼ばれている場所でチョコと暮らす事となる。ちなみに、チョコをチョコボの森へと連れて行ったのは、外部はモンスターが多く、外に出られない状況であるから、つまり、自分がいない時にチョコが独断で何処かへ行ってしまわない様に、加えてチョコに、自分がいないと生きていく事も困難になる事を感じさせる様に、との措置である。
又この近辺は、盗賊団の活動の拠点である為、冒険者の往来がある。最終的には売り飛ばす事を考えれば、当然出来る限り人目につかない場所であるに越した事は無いのだが、チョコのその極度の人見知りは、メネがあれこれ画策しなくとも、勝手に人目を避けてくれる様なので、メネは特に気にしていなかった様だ。
これ以後、メネは基本的にチョコと一緒にいる事になり、盗賊団アジトにはいない事が多くなった。それは、これまでの時間で築いた団員からの厚い人望があるから大丈夫だ、との確信があったからだが、万一の不測事態に備え、モグオに団員の監視を密かに命じ、何か不穏な動きがあったら知らせる様にと言ってあった様だ。実際はそんな不安を感じる必要は無かった様だが。
さて、メネとチョコが森で暮らし始めてから少し経った、が、元々メネが策していた"チョコのいた群れを見つけ出す"事は出来なかった。まあ後々のデブチョコボの「お前が"帰る"日を楽しみに待っている」というセリフからも分かる通り、チョコは桃源郷に帰るべきチョコボらしい為、この時点では勿論ながら桃源郷の存在を知らないメネが、どれだけ必死になろうと群れ等見付けられる筈も無かったのだが。
が、しかしだ。この時期にとある事実が明らかになり、これによってメネの計画が、彼も予期しなかった方向へ動き出す事となる。
その事実とは、チョコの"地中にある物を感知し、掘り当てる事が出来る"能力の事だ。この能力の事を知ったメネは、最終的に「ここほれ!チョコボ」で金儲けをする事を思い付くのだが、実はこの「ここほれ!チョコボ」には、単なる金儲けを遥かに凌駕する別の目的があったのである。
前回の「ここほれ!チョコボ」に関する真実をまとめると、金儲けが前提にあり、最終的には自分を桃源郷に導かせる為の駒として巧みに策していた、といった所だ。
しかしここで、最前提にあった筈の金儲けに関して、少し考えてみて欲しい。そこに埋めてある数多くのアイテムは盗賊団を使って盗ませた物なので、その諸費用はかからない事は既に触れた。つまり、「ここほれ!チョコボ」での収入は全て手元に残る事になる。だが例えば、自らを桃源郷に導かせる為に、多く考えて三百回近く「ここほれ!チョコボ」をプレイしたとしても、得られる収入は僅かに18000ギルにしかならない。稀に10000ギルが現金で埋まってたり、その他諸々の、アクセサリー類を始めとした品々が埋まってたり、ポイントを集めれば賞品で還元してくれたりする事を考えれば、明らかに満足な金儲け等成立しない。
前回の妄想で、桃源郷到着という目的達成の暁には、乗り手役も我が手にかけて、今までくれてやった数々の、ありとあらゆる物品金品を回収する手筈だった事は書いたが、例えそれを加味したとしても、わざわざ多数のアイテムを地中に埋めたり、"あの"人見知りのチョコが気に入らなければならない人物を探したりといった、煩わしさ加減の限界を迎えそうな手順を踏んでまで、18000ギルぽっちの、将来的にははした金になる事明らかな小金を稼ぐ事に意味は、メリットはあったのか、という疑問が残る。又、晴れてジタン達が桃源郷に到着した際の、デブチョコボの「本来なら他者の手を借りない事が望ましかったのだが」的な発言が示す通り、別に無理に乗り手を見付ける必要は無い訳であり、何故にメネが乗り手を見つけ出す事に固執したのだろうか、という疑問が募る。
つまり元より「ここほれ!チョコボ」には、18000ギルとは別に、その面倒臭さ甚だしい準備をしてまで、やっておいた方がメリットに働く何かがあったのだ。それを踏まえて、前回の中心部だった、チョコの能力を知ったメネの桃源郷到達までの壮大な計画と、その経緯を明かそう。
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