※赤い文字で書いているのは本編(「テラの民起源説」)と内容が同じ部分です。
読み飛ばして戴いても問題はありません。
まずは、チョコとの出会いである。先に参照として少し触れたが「メネΩ」ではモグネットを切っ掛けにしてメネとチョコは出会ったとあった。しかし、メネがモグタローと出会った今、メネにとってモグネットという情報網、そしてアルテミシオンの存在は必要無くなったので、彼はそれらを切り捨てたと考えていい。つまり、チョコとの出会いが全く異なるものになってしまうのである。
そこで、メネとチョコを引き合わせた切っ掛けとして浮上するのがモグタローだ。話は簡単である。上述したが、モグタローはデブチョコボが関わりを持つ唯一の「桃源郷外部の存在」であった為に、チョコの事をモグタローに頼んでいたのだ。これについては、モグタローが普通のモーグリではなく、召喚獣である事が明らかになった現状においても、特に変わり無く、問題無く言える事だろうと思われる。信頼度で言えば普通のモーグリである場合の比にはならない事だろうし。又、「モグタローはデブチョコボが関わりを持つ唯一の」と書いたが、モグタローと同様にチョコボ達が生み出した召喚獣であるメネやモグオについてはどうなっているのだろうかという謎も浮上する。これに関しては、メネやモグオは恐らく流石に桃源郷の存在を知っていたとは考えられるのだが、場所が場所であるだけに、そしてわざわざその地を訪れる理由が存在しない為に、どうやら一度も行った事が無いと思われるのだ。その点ではモグタローは、ヘルプ依頼があればいつでも駆けつける点で同地を訪れる理由を持っている。だからこそモグタローはデブチョコボにとって「唯一」だったのだ。
さて、となれば、モグタローがメネと出会って間も無く、メネはモグタローからチョコの話を聞く機会があったと考えられるだろう。更にはである。デブチョコボにその事を事前に聞いていたのか、或いはモグタロー自身が発見した事なのかどうかは定かではないが、恐らく既にチョコの穴掘り能力の事を知っていたモグタローは、この時にそれについてもメネに伝えていたと考えられるのである。
ここでメネは考えた。その能力を、何かに利用出来ないだろうか。勿論相手はチョコボである。「メネΩ」の時の様に何処かに売り飛ばそうとか、そういった悪い方向へ考えていた訳ではなく、純粋に自分にとって、それはつまりチョコボ達にとってもプラスになる様な利用の仕方が無いだろうかと考えたのだ。
という訳で取り敢えずはモグタローと共にチョコに会いに行き、その能力とやらがどんなものなのかを見極める事に。ここで後のパートナーとなるメネとチョコが晴れて出会う事になった。
ちなみに、メネとチョコの出会いに関して「メネΩ」では、モーグリという種の外見やモーグリに対する先入観から、チョコも割り合い早くメネと打ち解けた様だ、とあったが、今回の「チョコボ起源説」はその点でさえも揺るがす事になる。
何となれば、チョコボ達は別に「人見知り」だったのではなく、単に「人間嫌い」だったのだ。対象が人間でさえなければ、頑なに拒絶する事等は元々無かったのである。
さて、チョコと出会い、その能力の程を見知ったメネは、かねてからいればいるで役に立つであろう事からどの様にして得たものかと考えていた「人間のしもべ」を配する為に、その能力を用いて「ここほれ!チョコボ」計画を練り上げる事となった。
又も余談であるが、分裂出来るという能力を如何なく発揮すれば、世界各国から来る多数のヘルプ依頼をこなしつつも、モグタローがチョコと共に「ここほれ!チョコボ」計画を進める事も出来たであろうに、どうしてメネがこの計画を進めているのかといえば、それは「ここほれ!チョコボ」計画を発案したのがメネ自身である事に他ならない。
この事は、知識面に関しては確かにモグタローの方が遥かに上位に位置するが、戦略、策略、人身掌握術等といった知恵的な部分においては、メネの方が秀でているという事を示しているのではないだろうか。
つまりだ。メネはその強力な魔力を持っていながらにして極めて聡明ときているのである。となればこれは、もしかしたらモグタローも、知識とは別に大きな戦闘能力を持っているのかもしれない事を示している事になる。ただその知識とは別の能力というのは、既に何度も出ている「瞬間移動」能力の事であるかもしれないが。
さて、話を元に戻す。
「ここほれ!チョコボ」計画、つまり金に貪欲で金に弱く金の為ならその手を汚す事をいとわない人間に対し、明らかにこれ以上のサービスは成り立たない事を前面にアピールし、しめしめと人間を釣り上げる計画が立案された訳だが、ここで再びモグタローが、この計画を推し進める上で重要な役割を担う事になる。
石版である。「メネΩ」においてもモグタローと石版との関係について述べ、モグタローが、古の過去から埋まっていたと推測出来る石版のみならず、デブチョコボがチョコの為に用意した石版についてまでも知っている事についてそれは何故か、という事でその理由を語っていた。
「チョコボ起源説」においてそれらは、前者の石版については「不思議ではあるが」という表現を用いていた「メネΩ」とは異なり、彼が召喚獣である事が明らかとなった今となってはその溢れる知識の範疇であったとして不思議極まりない話ではなくなる。そして後者の石版については「メネΩ」と同様に、彼がデブチョコボからチョコの事を頼まれる際に教えて貰った事で知っていると考えていいであろう。
その石版の存在を知っているモグタローが、「ここほれ!チョコボ」計画を進めるに当たり、ならばこれも使えそうだとメネにその事を伝えたのだ。素人目に見ても大きな価値が渦巻いている石版、そしてその向こうにある金銀財宝である。メネがその事を知った上でそれら石版を放っておく筈もなく、喜んで利用する事にした。
そして更には、これまでの妄想で証明され、その後は議論される事が無かったあの事実までもが、「チョコボ起源説」の前に崩れ去る事になる。
今まではメネに騙されていて、何ら非を持たなかったチョコ自身が、メネに頼まれる形でだったのか、その計画に加担するのである。
チョコはゲーム中では唯一ジタン達を深く関わる事になるチョコボであるだけに、そして森や入り江や空中庭園や世界各地を走り回ってはお宝を健気にも探し続けてくれていただけに、信じ難い事実ではあるがしかし、考えてもみれば、チョコだってチョコボの端くれである。時代的にチョコ自身は人間にこき使われた経験は恐らく無いと思われるのだが、しかし周囲には霧が濃く立ち込めている為に、本能的に眠っていた人間への憎悪の念が強く表面化したのだろう。
という事で、「ここほれ!チョコボ」計画はメネ達の他チョコも加わる形で始まった。
そこでまずは盗賊団の集めたアイテムを森に埋め、そして乗り手の人間を見付ける事から始まる訳だが、このまま順調に人間の乗り手を見付ける事まで成功したとすれば、ある点で疑問を残す事になってしまう。
ゲーム中で実際にプレイ出来る「ここほれ!チョコボ」の事を思い出して戴ければ分かる事だが、途中にあったメネの助言が無かったとすれば、ジタン達が入り江の存在に気付く事は無かったであろう点を考えると、その入り江に、チョコが最終的に空チョコボへ進化する為の石版が埋められていたとは考え難い事である。ヒントが無ければジタン達がその存在に気付く事が無かったであろうという事は、チョコにとってもそうであると考えられるからだ。チョコボと人間との間にある確執を考えれば、人間にその姿を見られる事はあまりにも好ましくない為、精神的に強くなってもらう為に、との理由でガイアをあちらこちらと走り回らせる事もさせたりはしないだろう。つまり、少なくともチョコの為にデブチョコボが用意した石版は、元々は全て森にあったと考えられるのだ。
となれば、もしこのままの状態で人間の乗り手が見付かるまで計画が順調に進み、「ここほれ!チョコボ」計画が本格的にスタートする事になれば、メネ達にとってはこれ以上無く順調な事であり問題も無いだろうが、ゲーム中で実際に起きた出来事と照らし合わせた時、明らかに矛盾が発生する事となってしまう。そう、ゲーム中ではチョコが進化する為にある石版は、森と入り江に分けて埋められていた筈なのだ。つまり、元々森に埋まっていたそれらの石版を一旦は掘り返した筈なのだ。
「メネΩ」においては、まず数々のアイテムを埋める作業の途中でメネが石版を発見し、その石版がお宝の在り処を示す物だと知るや次々に石版を掘り返してはお宝を発掘し続け、その最中にチョコの為の宝箱を見付けた事で桃源郷の存在が発覚、一転して今度は桃源郷へ行かんとしてお宝を探し続けた結果、チョコボ抜きでは桃源郷に踏み入る事が出来ない事を知り、ならばという事で、既にあった「人間の乗り手を見付ける」事に加えて「桃源郷へ向かう為」という理由を付加し、いざ手元にある石版も多数のアイテムと共に森に埋めて来訪者を待とうとした所、全ての石版を埋め終える前にジタンがやって来てしまったから仕方なく入り江や空中庭園を用いた、というくだりがあった。そこのくだりが、「チョコボ起源説」ではどの様に言えるのだろうか、という事である。
勿論の事、「ここほれ!チョコボ」の準備段階の一つとして、盗賊団を用いて集めたアイテム類を埋める作業がまずはある為、地面を掘り返す事自体は行わなければならない作業なのであるが、その工程において、元々森に埋まっていた筈の石版をわざわざ入り江や空中庭園まで持って行く必要性は存在しないから不思議なのだ。
大体、桃源郷の存在をはっきりと認識している上に、チョコボはメネにとって敵ではないので、一旦は桃源郷を訪れておく必要すら無くなるメネが、何故それでも尚人間の乗り手を獲得して、その乗り手に石版を掘り出させる事に固執したのかという謎も浮上する。本当なら人間の乗り手を獲得したその時点で「ここほれ!チョコボ」計画は成功であり、つまり実は多数のアイテム類すら必ずしも要る訳では無かったのに、である。
では何故そうしたのかであるが、そこに慎重極まりないメネの戦略が見え隠れする。いちいち必要でもない、数々のアイテムをお得価格で掘り出させる作業と、石版を掘り出させて世界各地のお宝を入手させる作業とを乗り手にさせる事の意味、それらは全て「ここほれ!チョコボ」の破格的サービス精神に起因、帰結する。
つまり、行く行くしもべにする上では、それまでにより多くの「種」を蒔いておく事で、より内容の濃い収穫が得られる様にしておこうとのメネの思惑からだったのである。幸いにもこの計画は全くもって急ぎで結果を出さなければならないものではない上に、計画を成功させる必要性すらないので、幾ら種蒔きの準備にかなりの時間を費やす事が分かっていようが、何一つ問題にはならなかったのだ。どちらかと言えばこの種蒔き作業は、今までのぬるい盗賊団ボス生活からすれば何倍も楽しいものであったかもしれない。
という、確実に成功させなければならないという緊迫性が無い割には綿密に練られているというものだった訳だが、とは言えだ、折角綿密に練られた計画ならば、完璧に遂行したくなるものだろう。冷静沈着で慎重至極で完全主義者メネとはそういう者である。
そんな彼が、アイテムと石版、特に乗り手側からすれば明らかにその存在が目立つ事になるであろう石版に関して、それを埋める際に考えなければならなかった事とは何か。考えるに、それは配置ではなかろうか。
元より、掘り出した石版に書かれている所にお宝が埋まっているという、上手い話である事この上ない展開が待っているのである。それなのに、石版があまりにも次々と簡単に掘り出せてしまったり、あまりにもある一画に集中して大量に埋められていたりしてしまうと、乗り手の性格にも寄るだろうが、その性格が性格ならば、疑念を買ってしまうには十分な材料が揃ってしまうのである。
大体にして森は広くはない。ここに決して少なくない量の石版を、不自然の生じない様にバランス良く、逆にバランスを良くし過ぎない様にとも注意しながら埋める場所を考えなければならないのだ。
しかし、別に焦る話ではないのだ。何となれば、繰り返すが時間に追われている訳ではないのだから。
その余裕感からか、地面の掘り返しや石版の埋める位置の選定作業を進めている最中、チョコからある提案がメネに成される事となる。今回のこの計画では、必ずしも乗り手に積極的に石版を掘り返させようとはしていない為、もしかすれば計画が終了した段階で、自分は桃源郷へ帰れていない可能性がある。もしもそうなった時の為に、今の内に一回、故郷を訪れておきたいと言うのだ。
計画に参加している一員であるとは言っても、チョコが群れをはぐれたチョコボである事は事実。そう願うのは極自然な事であると理解したメネはその提案を了承し、だったらついでに自分も、言わば故郷である桃源郷に一度行ってみようと考え、更にはモグオも連れて桃源郷へ出向く事に。
ちなみに、チョコは勿論現時点で空チョコボに進化してはいないので、移動方法としては、モグオに運んでもらったか、もしくはモグタローの瞬間移動で連れていってもらったのだろう。その間の森での作業については盗賊団に任せておいた様だ。
そうして、メネ、モグオ、チョコの三人が桃源郷にてデブチョコボと初対面を果たす。一体そこで何が話されたのかは不明だが、メネを中心として今推し進めている計画の話をしたり、その先にある本計画、即ち人間への復讐劇についての決意を新たにした、といった所だろうか。
さて、故郷への一時帰省も終わり、森へと帰って来て作業を進めていたメネ達だったが、ここで問題が発生してしまったのだ。
どうやら、普段では滅多に人が来る事すら無いこの森に、誰か冒険者がやって来るかもしれない情報が入って来たのである。ここでいう情報源は誰あろうモグタローであり、情報そのものの根拠は、リンドブルム城にて、ジタンが望遠鏡でリンドブルム近辺の風景を見ていた時に、森に対して興味を示した事に起因する。
メネ達は慌てて掘り返していた地面を埋め立て始めた。万が一派手に掘り返している状態でも見られようものなら、折角あそこまで練りに練り上げた計画が、最悪の場合は「森で怪しい光景を見た」といった噂となってモグネットを介してガイア中へ駆け巡り、完全に失敗に終わる可能性も発生するからである。
しかし慎重派メネ、石版配置の完全性も譲れない部分である。とは言え、石版を全て掘り返させる必要は無いので、取り敢えず石版の事は後回しにし、まずは無事に計画を本格的に始められる土壌をしっかりと固めておく事にした様だ。
ちなみにその埋め損ねた石版については、モグタローとの協議の結果、入り江の存在をモグタローから教えてもらい、盗賊団をそこに派遣して、森と同様にアイテム類と共に埋めておく様指示をした様だ。が、結局その残った石版を全て埋め終わる前にジタンが森側に埋めていた石版を大方掘り返し、早くもチョコが川チョコボに進化してしまった為に、予定を変更してジタンを入り江の方へと誘導し、その間今度は森の方で石版を埋める作業をし、そしてまた今度はジタンが二度目の森で奮闘している間に入り江で作業、という感じで進められた。
そしてジタンが二度目の森での発掘作業を一通り終え、チョコが海チョコボに進化した時点で、石版は三枚残ったのだが、これを再び森側に埋めておくと、流石に「一度は念入りに探した筈なのに」との疑問を持たれかねないと判断したのか、最後は空中庭園に埋めておく事にした様である。その空中庭園では、幾らモグタローの瞬間移動能力を用いて多数の盗賊団を送り込めたとしても、彼等だけでは中々効率良く作業が進められなかったであろう事から、そこにいたオズマをも利用しようと画策し、見事に打ち破った末にオズマの魔法を用いて一挙に地面を掘り返した事等、これら「埋め損ねた石版」に関する一連のメネ達の行動に関しては、ほぼ「メネΩ」で述べられていたそれと一致すると考えていい。
そしてそれに関して、一応補足として二点述べておく。まず、ジタンが森や入り江で発掘作業に勤しんでいる時に、それぞれ入り江や森で石版を埋める作業をしていた訳だが、もしこの作業に体力自慢のモグオが加わっていたとすれば、最終的にその舞台を空中庭園に移すまで長期化する事は無かったと考えられる。なのに何故モグオがこの作業に加わっていなかったのかと言えば、それは単にモグオがフィールド上のセーブやらテントやらの依頼に対応するのに忙しかったからである。そしてもう一点、わざわざオズマの魔法を用いなくても、メネのそれがあれば十分だったと考えられるだろう。しかしメネはそれをしなかった。それは何故かと言えば、メネ自身もジタンのお相手で忙しかった為に、あまり長い間持ち場を離れている訳にはいかなかったのだ。折角の未来のしもべである。丁重に扱っていかなければならないだろう。何度も言っているが、全ての石版を掘り返させる事は全くもって重要ではないので、ここでジタン達に付くという判断を下すのは当然の事なのである。恐らく、オズマという都合の良い存在が空中庭園にいなかったとすれば、残り三枚の石版は無かった事にしたのではないだろ
うか。
話は戻り、ジタン達が狩猟祭やらブリ虫を囲んでの食事会やらにかまけている間に無事地面を整え終えたメネ達。後はそれら人間共がやって来るのを今か今かと待ち、やって来たらば有り得ない程の笑顔と、この上なく懐くチョコボと、饒舌で巧みなるセールストークをフル活用して釣り上げれば計画の導入部は文句無く成功と言える。
そうして待つ事少々。モグタローの情報通りに人間は森に訪れた。最早いちいち説明する必要は無いだろうが、勿論その人間とはジタン…ではなく、言動こそ礼儀正しさを醸し出してはいるが小生意気よろしくて、な少女と、その少女を"姫さま"と呼ばわっていた動く甲冑、ではなくて武装さたくましい男の二人、つまりダガーとスタイナーの事である。
「メネΩ」では、チョコがダガーやスタイナーを気に入らなかったのか、もしくはメネがダガーを気に入らなかったのか、そのどちらかが理由でこの二人を乗り手とする事を断念しているが、「チョコボ起源説」においてはそれは異なってくる。何故ならばチョコ自身が計画に加担している為に、ダガーとスタイナーに対しても気に入った素振りを見せたと思われるからだ。
とは言え、流石に相手が悪かった。勿論それはダガーとスタイナーが捻くれていたという訳ではなく、二人のその当時の状況を思えばあまりにも当然の事だと言わざるを得ないだろう。例えメネにどう思われたとしても。まあ確かにメネとの会話内容を想像してみると、ダガーの言葉に幾分刺々しいものがあったかもしれない気はするのだが。
そんな感じで、残念ながら折角訪れた人間に相手にされなかった訳だが、そんな事は最早どうでもいいのだ。何故かは知らないが先程通り過ぎて行った二人よりも遥かに釣り上げ易そうに見えてしまうある男が、引き続いて森を訪れたからである。ジタンの事だ。
流石はメネである。彼のその目算は何一つ間違っていなかった。見事にジタンを「ここほれ!チョコボ」計画に引き入れる事に成功したのだ。ここで今一度強調しておきたい。スタイナー曰く「キゼンたる態度」でメネの巧妙なセールストークを退け、アレクサンドリアへの帰還を急いだダガーのこの判断、行為を「あまりにも当然だと言わざるを得ない」中、同様に先を急がなければならない筈のジタンは「ここほれ!チョコボ」に心を奪われ得るのである。何の疑問も持たないままに、喜んで60ギルを支払ってしまうのである。遂さっき戦争の悲惨さを力説していた筈なのに、お宝を掘り出しては喜ぶのである。何ともジタンという人間の器の小ささが見え隠れしてしまう事実ではないだろうか。
そしてジタンは、メネはおろかチョコにまで踊らされている事にも気付かないまま、石版を掘り当て、宝箱を掘り当て、果てに桃源郷の地を踏んだ。
ここではメネとチョコがあたかも初めて桃源郷にやって来たかの様に振舞い、周りのチョコボ達やデブチョコボまで交えてあたかも初対面であるかの様に振舞うのだが、これについては、ジタンが桃源郷に到着するまでの時点でどうやら口裏合わせをしていた様である。
さて、ここまで優遇させていれば、いざ復讐計画を本格的に始めようとする段になった時にしもべとして中々の働き振りを見せてくれ得るだろう。「ここほれ!チョコボ」計画は大成功に終わったのだ。危うくジタンを持ち帰られなくなりかけた事等些細なものに過ぎない。又これは「メネΩ」でも述べた事であるが、メネはこの問題に直面するに当たり、これまで何一つ疑問を持つ事も無く良い様に操られてくれていたジタンに対し、軽々と持ち帰る程度の力を隠しておく必要は無いので、メネが力の面に難があるのは事実なのである。
ちなみに、「ここほれ!チョコボ」計画はこれにて終了していいものであり、チョコは自身の役目を十分に全うし切ったので、この時点で全体の復讐計画の第一線から外れてもよかったのだが、結果としてチョコはメネの元へ帰って来た。これは、心底メネと意気投合した事によるものだろうか。それとも、引き続いて将来のしもべジタンを強固に繋ぎ止めておく為の処置であろうか…
ともあれ、メネ達は、そしてその後ろでチョコボ達は、いつ来るとも知れない「その時」を伺っている……
如何だろうか。これが「チョコボ起源説」の全貌である。
そして、ここで振り返ってもらいたい。ここまで長々と説明したにも拘らず私は、この「チョコボ起源説」を現時点において否定しているのだ。
そこで、何故この説が間違っているのだと判断したのか、その理由についてを述べよう。
「チョコボ起源説」においては、モグタローがメネとモグオの仲間である事は何度も触れている。そこで、これを前提として、メネ達を擁するチョコボ側と、ジタン達に代表されるであろう人間側との戦いを想像してもらいたい。
片や、どれだけ実力に磨きをかけようとも、オズマのメテオ一発だけで全滅し得るジタン達、片や、そのオズマを確実に倒せる上に、融合するともなればより一層強力な力を獲得する事になるであろうメネ達。又、その彼等を擁するチョコボ達には、メネ達召喚獣と比べれば多少劣るかもしれないが、それでも長年の怨念が込められており、並大抵ではないであろう実力を持つと推測出来るデブチョコボの存在がある事も忘れてはならない。
これらの点を考えると、何とも希望の無い話になってしまうが、最早人間側に勝ち目というものは無くなっているのではないだろうか?
たかがオズマを相手にした時でさえ、メテオという魔法の存在一つで常に全滅の危険性が付きまとっているのに、恐らくオズマの繰り出すそれに比べてダメージ幅が上を行く、つまりはオズマよりも9999ダメージを叩き出し易いと考えられるメネのメテオを相手にすると考えると、それだけで既に勝ちは見えなくなってしまう。いや、そんなメテオ等というダメージ量が不安定極まりない、一種の賭けの様な手段に打って出る必要はメネには無いのだ。例えば安定してダメージを与えられるジハードを用いれば、メネの魔力からすれば定常的に9999ダメージを与えられるかもしれないのだから。もしかしたらそれはファイガを始めとするガ系魔法ですら十分であるかもしれない。
しかも果ては融合である。例えこのガイアに、ジタン達以外のまだ見ぬ英雄が隠れているとしても、その英雄のHPの上限はやはり高々9999なのである。「勝ち目は無い」と表現するに十分足りてしまう事実ではないだろうか。
人間もチョコボと同様に、凶悪な召喚獣の伝承を語り出せば、もしかしたらそれはメネ達に対向する唯一の手段となり得るかもしれないが、伝承を創り出した所で、すぐさま召喚獣が生まれる訳では恐らく無いので、知恵の塊メネと知識の塊モグタローを相手とした時、まさか彼等が、召喚獣を誕生させるまでおめおめと状況を傍観している筈がないであろう事を考えれば、やはり人間側に勝ち目は万に一つも存在しないのだ。
否、何も最終的に人間が勝利するというシナリオのみを考える必要は無いのではないだろうか、と考える者もいよう。その通りである。ゲームにおけるエンディングというのは大まかに言ってしまえばその殆どが主人公側の勝利を描いているが、だからと言ってこの妄想すらそれを踏襲する必要性は無い。チョコボ達の完全勝利、人間の敗北、全滅を描いたエンディングを想定しても全く構わないのだ。それは確かである。
ところが、今回の一連の妄想に関して言えば、残念ながらその方向へ考えを進める事は出来ないと言わざるを得ない。
何故かと言えば、FF9という物語には、時間軸にしてそれより後の、かつ然程離れていないと考えられるFF5という物語の概念があるからだ。ちなみに、FF5がFF9より後の話で、しかも時間的にあまり離れていないという点は、前にも少し触れたが、ギルガメッシュという存在を考慮すれば導き出せる。
では、その事を踏まえて、もしもチョコボ側が勝利したら、という事を考えてみよう。
簡単な事である。もしもチョコボと人間との最終戦争の結果、人間が敗北し、ガイア上から姿を消してしまっていたとすれば、FF5に存在する街の殆どにおいて、普通に生活している人間の姿を確認出来る筈が無いのだ。もし数少ない生き残りがいたと考えたとしても、それからチョコボや、何よりメネ達召喚獣の目をかいくぐってあれだけの数の集落を形成出来よう筈も無い。そもそも、万が一それら集落の形成が可能だったとしても、バッツとボコが共に旅をしている事、チョコボやデブチョコボが召喚獣として普通に人間が召喚出来る事、あまつさえそれらが「売り物」にされている事、等々の謎が浮上する事となる。
又、ギルガメッシュがいる世界という事は、ガイアはもしかしたらFF5における世界分裂後の第二世界に当たるものなのではないかとする考え方もあるかもしれないが、だとすれば、メネ達召喚獣はいなくなった様であるし、そもそもその第二世界ではチョコボの姿を見かける事が無いので、これは人間が勝利した結果なのではないかと考えられる事になってしまい、上述した「勝ち目の無さ」と明らかに矛盾してしまう。
更に別の考え方もある。チョコボ達が憎んでいたのは、直接自分達をこき使っていた「ガイアの人間」であるとすれば、そういった過去の無い「テラの人間」は敵視する存在ではない事になるので、「ガイアの人間を敵視する」という点でやや一致した両者が、ガイアの人間亡き後共存、繁栄した、というものである。しかしこれもおかしい。何となれば、FF5では「テラの人間」の特徴である、金髪、尻尾を持つ人間の姿を万に一つも確認する事が出来ないからだ。
以上より、チョコボと人間との最終戦争において、チョコボ達が勝利した後の世界というのは考えられない事なのである。しかし同時に、人間側が勝利する可能性も無いに等しい為、ここに大きな矛盾が生じる結果となってしまうのだ。
この矛盾、これこそ、私が「チョコボ起源説」を現時点においては否定している理由である。
ただ、チョコボも人間も勝つ事が出来ないのであれば、かのギルガメッシュとネクロフォビアの様に、同士討ちという結果に終わった可能性が浮上する事になるが、私はその可能性も無いものと考える。
例えば、首尾よく人間側の勇士が募り、その彼等の自己犠牲の上にメネ達召喚獣を倒す事に成功したとしよう。そうすると、勿論全ての人間の手を借りてその様な行動に出る必要は無い訳であり、もしもそうであるとしたら大半の人間はその案を却下しにかかると思われる事から、人間側が失う事になるのは、表現は良くないが少数であると言えるので、一見先に触れた「ガイア=FF5の第二世界」説に当てはまるかの様に見えるのだが、しかし、チョコボ側にはまだ少なくともオズマより幾許かは強いであろうデブチョコボがいるのである。更には、桃源郷にいる大量のチョコボをも手早く片付けないと、数年の内には又も凶悪な召喚獣を生み出されかねないのだ。
無論、幾ら自己犠牲を伴おうとも、たかが人間に、ああいった召喚獣を何体も倒す事の出来る逸材等そんなにはいる筈が無いので、同士討ちの結果、事が収まる可能性も無いと思われるのである。
これらより私は、人間だけに留まる事無く、チョコボ達やメネ達にとってまで未来を感じさせないこの説を否定するに至ったのだ。
しかし、この説を語るに当たり導入部で述べた通り、今後ほんのちょっとした新事実が明らかになった時、たちまちにしてこちらの説の方が真実味を帯びてくる事が十分に有り得るのではないかと考えている事を最後にもう一度記しておこう。
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