小さな妄想 〜小ネタのページ〜


小ネタ一覧 (最も新しく追加されたネタには「New!」が付記してあります)

・FINAL FANTASY 5
-砕け散ったクリスタル全てを合わせた大きさと元のクリスタルの大きさがまるで合わない。(情報:ウィンドさん) (参照)
-カルナック地方で砕けたクリスタルの欠片を、クレセント地方に住んでいる黒チョコボが飲み込んでいた。(情報:ウィンドさん) (参照)

・FINAL FANTASY 8
-SeeD就任パーティーでリノアからダンスに誘われたスコールが、初めはおぼつかない足取りだったのに曲が変わった瞬間から突然上手くなった。(情報:レンさん) (参照) New!

・FINAL FANTASY TACTICS
-チョコボレース場で行われたレースで、出走するチョコボの数が少なく、更に単勝にも拘らず現実にはあり得ない程の高配当が出る(「ナナイ人生真書」)。

・FINAL FANTASY 全般
-なぜ主人公達は「たたかう」コマンドで一度に一回しか攻撃しないのか。(情報:ウィンドさん) (参照)



砕け散ったクリスタル全てを合わせた大きさと元のクリスタルの大きさがまるで合わない。(情報:ウィンドさん) (FF5)

バッツ達が壊れてしまったクリスタル一つから授かる「ジョブ」は高々六種である。また、クリスタルの欠片と「ジョブ」とはどうやら一対一対応である様なので、彼等は一つのクリスタルから多くとも六つの欠片を手に入れていた事になるのだが、画面上で見る限り、高々六つばかりのあれら欠片を合わせてみた所で到底元のクリスタルの大きさが再現される様には見えず、確かに壊れる前後での対応がなっていない様に思える。
しかし、クリスタルの欠片はバッツ達が手に入れたもののみに非ず。エンディングにおけるクリスタルの復活シーンを見るとよく分かるが、一つのクリスタルにおける欠片の数は明らかに五、六個程度の量ではないのだ。つまりバッツ達は、壊れたクリスタルの極々一部を手に入れていたに過ぎなかったのだ。

バッツ達が入手したクリスタルの欠片にはすべからく「ジョブ」の力が秘められていた。だとすれば、彼等の手にしなかった、他の欠片にも同様の力があったのかもしれない。惜しむらくはそれを確認する術がないという事か。



カルナック地方で砕けたクリスタルの欠片を、
クレセント地方に住んでいる黒チョコボが飲み込んでいた。(情報:ウィンドさん)
(FF5)

カルナック城の爆発は、一つの城が完全に崩落する程のものだったのだからその威力は筆舌に尽くし難いものがある。が、流石にその爆発だけでクリスタルの欠片がそこから、遥か南東の方向に位置するクレセント付近まで飛来していったとは考えられないと言えよう。一部とは言え、極々付近に落下した欠片もあるのだから、恐らくそれは確かな事である。
となれば、考えられる可能性は一つか。黒チョコボの、他の一般的チョコボとは違う特色がその飛行能力にあるのだとすれば、彼はこの時カルナックの付近におり、偶然目の前に飛んで来たクリスタルの欠片二つを飲み込んでしまったのだろう。

何故見た目からも食べ物と判断出来そうにはないクリスタルの欠片なんかを、しかも二つも飲み込んでしまったのか。それは分からない。
ただ一つ分かる事は、そんな明らかなる異物を飲み込んだせいで彼は、バッツ一人すら背中に乗せて満足に飛び回る事が出来なくなっていたという事実だ。ちょっとばかり話が飛躍するかもしれないが、クリスタルの欠片が原因で飛行する事に関し何らかの弊害が生じていたなら、まさかの事態もあり得なかったとは言い切れない。
どうやらこの世界で確認可能な黒チョコボは彼一匹のみである。黒チョコボが飲み込んでいたクリスタルの欠片を手に入れる事となったバッツ達は、もしかしたら自分達も知らない内に、貴重な生物種を絶滅から救っていたのかもしれない。



SeeD就任パーティーでリノアからダンスに誘われたスコールが、初めはおぼつかない足取りだったのに曲が変わった瞬間から突然上手くなった。(情報:レンさん) (FF8)

もしあれが、その場の雰囲気にある程度任せたアドリブによってこなされたものなのだとしたら、スコールのダンスというものに対する能力、才能はかなり抜きん出ていると言っていいだろう。そこに相当量の練習が積み重ねられれば、もしかすると世界でもトップレベルのダンサーに成り上がるだけの資質を持っているのではなかろうか(恐らく本人にその気が更々ないであろう事はこの際おいておくとしても)。掛け値なしにそう言えてしまう程、あの夜スコールが披露したそれは、リノアに突然誘われたのだと信じるにはあまりにハイレベルなものだった。曲が盛り上がってくる辺りまでは殆どなっていない足取りだったのに、という点がよりその疑念を増長させる。
ただ、一つ言える事は、例えスコールという人間がガーデン内において色々な意味で有名人であったり、多数の人間の尊敬を集めるカリスマ性を持っていたり、ガンブレードの扱いを始めとした類稀なるバトルへの才能に恵まれていたりしたとしても、彼はただの人間であるという事である。確かに普通のガーデン生よりは特殊な存在ではあろうが、しかし基本的には普通の17歳の少年なのである。
とどのつまり何が言いたいのかと言えば、それは次のスコールの一言に集約される事になる。

ダンスパーティーに紛れ込んでターゲットに近付く…そんな任務もあるかもしれない。
任務に役立つ技術なら何でも身に付けるのがSeeDだ


これは、後のティンバーで再会したリノアの「ね、SeeDはダンスも上手なんだね」との言葉を受けた発言である。即ち、SeeDたる者その資格を無事得る事の出来るまでにダンス技術を学ぶのは何ら不自然な事でないらしく、その養成過程に組み込まれているカリキュラムを経たスコールは咄嗟にあれだけの踊りを披露したという事だったのである。
流石は特殊任務のプロと言った所か。と同時に、世界トップレベルダンサーへの道が絶たれた事については当人に無断で何故か残念に思う次第である。

ちなみに、上述の発言をしているスコールはSeeD就任パーティー時、リノアからの誘いを受けた時に一度「踊れないんだ」とも言っているが、これは単にゼルをも避ける程に一人でいたかったのであろう彼があまり彼女にまとわり付いてほしくなかったからなのだろう。何しろそのお誘いの言葉というのが「私の事が…好きにな〜る、好きにな〜る」であるし。



チョコボレース場で行われたレースで、出走するチョコボの数が少なく、更に単勝にも拘らず現実にはあり得ない程の高配当が出る(「ナナイ人生真書」)。 (FFT)

主人公のタンゴが参加したレースは計三レースである。彼はそのそれぞれで、10倍、200倍、300倍という倍率が設定されたチョコボに所持金の全てを賭け、そして三度共見事に的中、最終的に元手の5000ギルを3000000000ギルにまで増やした。
ふと、ここに違和感を感じた。配当である。
タンゴが当てたチョコボの倍率は上記にある通りであり、これは例えば現実の競馬を引き合いにして考えれば全くもってあり得ない事だとは言えない。しかし、今回行われたレースに出走したチョコボはそれぞれ三頭、四頭、六頭である。無論、これは現実の競馬と比べるまでもなく少ない。即ち、賭ける側の選択肢が狭められ、その分一頭のチョコボに対する票の集中度が増す事になるのだ。
一般に、賭け票の数が多ければ多い程その対象に設定される倍率は1.0倍へと収束していく筈である。だとすれば何故、この時タンゴの賭けたチョコボはそのどれもがべらぼうな配当となっていたのか。

実はこれは、今一度この物語の設定に立ち返って考えてみれば分かる事である。何故、極めてギャンブル運のないタンゴがこの日に限って三レースも連続で一着のチョコボを当てられたのか、それを考えれば。
そもそも彼はこの日、ある特定のチョコボしか買わないと決めてこの一世一代の大勝負に挑んだ。特定のチョコボ、そう、彼はレースが始まるまでの間、事前に他人がどのチョコボを狙うのかを調査し、そうして最後まで一度も耳にしなかったチョコボのみに狙いを絞っていたのだ。何故ならば彼は午前中のレースにおいて、己が耳に入ってくる周囲の人間の予想に「唯一」挙がらなかったチョコボが立て続けに勝利するという――特殊能力とでも言うべき――法則に気付いていたからだ。
タンゴのギャンブル運の無さは折り紙付きだ。その彼がこの日は、午前中のレースも含めれば少なくとも十レース弱は連続して予想を的中させたのだから、この事は彼自身にか或いは周囲の何かになのか、ともかく特別な力が働いていたと考えるのが自然だろう。だとするなら、レース前に不特定多数の人間に対してどのチョコボに賭けるのか調査を行い、とある一頭についてのみ一度も名前を聞かなかった彼は、恐らく他のどの人間に聞いたとしてもそのチョコボの名前を耳にする事はなかったのではないか。つまり、タンゴ以外の全ての人間がすべからくレースで勝利する事になるチョコボ以外に賭けていたのではないだろうか。
見事各レースに勝利したチョコボ達に賭けていたのはタンゴのみだった。だとすれば、出走頭数の極端に少ないレースでのしかも単勝でもあれだけの高配当が出た事は不思議ではないだろう。

無論、タンゴにとって土壇場極まりない状況であったこの日に限って何故こういう現象が起きたのか、本腰を入れて考えるべきなのはむしろそちらであるかもしれない事は否定しない。
ただ、そもそもが書物の中の話(勿論ゲーム内である事が前提の)であるだけに全編ノンフィクションであるかどうかの確認が取れず、それ故そこを真面目に考える事に果たして意味は、意義はあるのかがどうも怪しいのも事実なのである。
願わくは、この物語が綴られている書物の著者、ナナイ氏に話を聞いてみたいものである。



なぜ主人公達は「たたかう」コマンドで一度に一回しか攻撃しないのか。(情報提供:ウィンドさん) (FF全般)

基本、ATBというシステムは一回何らかのアビリティを使用して自分のターンを終えると次のターンが巡ってくるまでカウンター系の行動を除くあらゆる行動、行為が行えなくなる。そのせいでゲーム画面を見ていると、かなりのんびりしている感じを受ける事も少なくはない。
しかし実際の所はどうか。こちらは勿論相手だって自身の命を懸けて戦っているのだ。そんな気迫と気迫がぶつかり合うバトルがまかり間違ってものんびりしている筈などない。
FF7とFF7-ACを考えると分かり易いかもしれない。片やATBで所々に間が生じるバトル、片やゲーム中の動きとは似ても似つかぬ俊敏さで敵と戦うバトル。同一の世界内で行われる同じバトルなのに、何故こうも戦う者達の動きが違うのか。
考えられる事は一つだ。恐らく、ゲーム内におけるバトル中ではある程度時間軸の挙動が実時間とは異なっているのだろう。見た目にはのんびりしている様に映るかもしれないあれらバトルは、その実全てがFF7-ACで見られる様な緊迫感溢れるスピーディーなものだったのだ。

ちなみに「乱れ打ち」のアビリティ等は一回の行動で四回攻撃している事になるが、上記の様に考えるとこれはかなり物凄い事をやってのけていると思われるのではないだろうか。


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