05/11/18(金) 第291回 もっともっと速さに着目してみる
一昨日、そして三日前と同様 、今日も時間的に折り合いがついていたのでテレビにて観戦していた。先程日本がブラジルに敗れたのを見た所だ。これで今大会において日本の優勝はなくなったとか。残念な事である。男子の方に期待しよう。男子の方をこれまでの様にテレビで見られるかどうかは分からないが。
さて、昨日日誌に書いていた通りで、今日もサーブの速度表示を少し気にしていたのだが、よくよく見てみれば全てのサーブについて表示されている訳ではない事が分かった。つまり何故か表示される時とされない時があって、じゃあ一体全体何故そうなのかと言われても分かる訳もないので何とももやもやした感じを持ちつつバレーボールを見ていた事になる。気になるなあ。気になるお陰でただただサーブだけを見ていた様な気もするのだけど、いいのかな。
昨日も言った通りバレーボールにおけるサーブの速度表示というのはまだ馴染みのないものであり、定着するとすればこれからなのだろう。ただ一旦定着してしまえば、野球の投球速度がそうである様に、それによる盛り上がりというものも新たに生まれる筈である。どうも女子バレーに対して陰が薄い感のある男子バレーも、サーブの勢いが数値として表されるとその威力の程がこれまでに増してよく分かって、ダイナミックな面白みみたいなものも感じ取り易くなったりするかもしれないのだ。「サーブの速度世界一!」みたいな話題も出て来るかもしれないのだ。
そこで思った。バレーボールだけじゃなくとも、もっともっと色々なスポーツで速度を表示してみてはどうだろうかと。そうして他のスポーツでもどんどん活性化を狙っていくのだ。一例を挙げておくので関係者各位は参考にされたし。
サッカーのPKの速度
卓球のスマッシュ時の速度
相撲の突っ張りの速度
アーチェリーの矢が飛んで行く速度
カーリングのストーンの速度
綱引きの綱を引っ張る速度
バトントワリングのバトンが回る速度
「カバディカバディ…」と言う速度
今やスポーツと「速度」とは不可分の要素同士であると言ってもいいかもしれない。あらゆるスポーツに積極的に「速度表示」を取り入れ、いざその競技を盛り上げていこうではないか。
05/11/19(土) 第292回 二年目の決断
このサイトも一般公開を始めてから九ヶ月の時が経った。と言ってもそれは一般公開からの期間に過ぎないのであって、これを「サイト開設から」とすると二周年を控えているという事になる。
二年。結構やっている。その期間の割に、生み出したものは決して多いとは言えないが、まあそれなりに満足している。
ただ、
ただ、このサイトについて最近とみに気になる事が出てきた。背景色である。
当サイトの背景色は<Body BgColor="aqua">で指定している通りでつまり水色という事になっているのだが、この色がちょいと明る過ぎるのである。
貴方は思われるかもしれない。二周年を控える様な所までやってきて今それを言うのかと。貴方がそう思われるのも無理はない。何となれば私だってそう思っている。
当サイトは文章と文章と文章によって織り成されているテキストサイトの端くれである。だのにだ、背景色がこれでは文章が甚だ読み難いではないか。これであの長い文を読んでたら目が辛い辛い事になってしまうではないか。何故私はサイト開設を計画していたその時これに気付かなかったのか。悔やまれる所である。
そんな訳で、近々サイトの背景色を変更する予定である。この作業を終えた時、このサイトは真の意味で息吹きを上げるのだろう(遅)
05/11/20(日) 第293回 二年目の決行
昨日の宣言から一日足らず、早速背景色を変更してみた。見易いか見難いかは分からないけども、少なからず前の色よりは遥かに見やすくなった事と思う。まあまだこれで最終決定という訳じゃないから、より適切な色があったら臨機応変に対応していくつもりである。それにしても随分地味になったなあ。派手なのよりは幾らもましだろうけど。
話は少し変わるが、実はこのサイトの中で「ここは変えたい」っていうのはもう一点あって、何かと言えばそれはトップページの事なんだけれども、あれをもっとコンパクトに出来ないかと、具体的にはもっと縦の長さを短く出来ないものかと常々思っている。
「だったらやればいいじゃないか」 貴方はそう思うかもしれない。それも無理はないだろうか。何となれば、やっぱり私もそう思っている。
実際、やれば簡単な事だとは思う。ただ、どうしても少しばかりの時間を費やしてしまう事だとも思う。だったらその時間を費やしてまでやるまでの事でもないかなあ、そんな風に考えていたら本当に何もしないまま何ヶ月もの時間が経ったのであった。
皆様方の中にどれ位自分のサイトをお持ちの方がいるのかは分からないし、その方々がどういうスタンスでその自サイトを運営されているのかも分からないのだが、私のこのサイト運営におけるスタンスというのはコンテンツの公開さえ出来るのなら後はまあどーでもいーよなー、という感じであるからして、コンテンツの中心たる文章を見易くする措置は出来る限り取るつもりだが、一方で「全体的に見栄え良く」とか「格好良い感じがいいなあ」とかいう事には無頓着なのだ。
そんな訳で、トップページのレイアウトを変更するのは果たしていつになるやらだがそれはともかく、サイト開設から690日目の今日、背景色を地味目に変更したその瞬間、晴れて当サイトは本当の意味で動き出したのである(バカ)。
まだまだサイトとしてやりたい事は一杯ある。それらを少しずつ形にしていきたいものだ。
05/11/21(月) 第294回 遂に成し遂げた偉業
唐突だが、貴方の目の前に一人の人間がいるとする。今、貴方はその人間の出身地だけが情報として与えられているものとする。さて、貴方はその人の名前を言い当てる事が出来るだろうか。
言っておくがなぞなぞではない。私が突然おかしな事を言い始めた訳でもない。
単純に考えて、これは無理である、不可能である。この日本に、出生地と関係する名前を授かった人間がどれだけいるだろう。せいぜい、その地方に多い苗字の可能性がやや増える程度の絞り込みしか出来ないだろう。しかもそれだって日本中の苗字傾向を知っていなければ役立つデータは得られない訳だから、今回のケースにおいて現実的に活用出来るものではあり得ない。
では人間では流石に難しいから、対象を動物としてみるとどうか。動物なら、その種類によって人間のケースよりも遥かに対象を狭く絞り込め得るだろう。例えばそれが犬だったら「ポチ」が有力であるし(無論、「ポチ」という名の犬は実際にはそうそういない)、例えばそれが猫だったら「タマ」が有力であるし(無論、「タマ」という名の猫は実際にはそうそういない)、例えばそれがビアンカによって名付けられたキラーパンサーだったら「ゲレゲレ」が有力である訳だ(無論、「ゲレゲレ」という名のキラーパンサーは実際にはそうそういない)。
とは言うものの、依然としてそれは困難を極めると言えよう。幾ら対象が動物であったとて、やはり候補は一般的なものに的を絞っても軽く十個は超えてしまう。こんな状況で、相手の出身地だけをヒントに名前をズバリ言い当てるなんて事、出来る筈がない。貴方はそう思う筈だ。
しかし先日、私はそれをやってのけたのである。上記の条件の中で、かつ何一つ卑怯な手段を用いる事もなく、あくまでも正攻法でとある動物の名前をビシッ!! と言い当ててやったのだ。
その名も「ナカちゃん」 先日、徳島県那賀川町の那賀川で発見されたアザラシである。
いやしかし、発見された当初はまだ名前すら付けられてなかったろうに、そのニュースを目にした瞬間、私は確信していた。「名前、絶対に『ナカちゃん』だな」
不思議な事もあるものだ。
05/11/22(火) 第295回 アザラシ=大根
ある意味では、である。一体にアザラシの全てが大根であると言っている訳ではなく、ある意味では「アザラシ=大根」なのだという事を、先日よく思い知らされた。
それはさておき、アザラシと言えば「ナカちゃん」である。思えばこのアザラシも不憫だなあ、そう感じるのだ。
徳島県那賀川町の那賀川に現れたがばっかりに、道行く人間から何度となく「ナカちゃん、ナカちゃん」と呼ばれるのである。この何と利己的な事か。恐らく、違う川に出没したのなら全く違う名で呼ばれる事となったのだろう。人間で言えば存在の証明の一つたり得る「名前」の扱いがそんなにも確かなものでない流動的なもので許されるとでも言うのだろうか。
アザラシと言えば思い出されるタマちゃんしかり、残念ながら名前を失念したのだが確かもう一匹いた筈の何とかちゃんしかり、この件から見えてくるのは「商売」の影である。
ご記憶の方も多いだろうが、かつて「タマちゃんフィーバー」なるもので世間が盛り上がった際、地元ではそれは数多くの便乗商売が登場した。くだくだしいのでいちいち書かないが、一例を挙げるなら「タマちゃん煎餅」とかである(適当に言っているのだが、恐らく本当にあったのであろう辺りがこの騒ぎの恐ろしい所だ)。
これは、件のアザラシの名が、初めてその姿を認められた多摩川に因んだ「タマちゃん」であったからこその盛り上がりだったろう。これが例えば全く違う名を付けられていたのであれば、全くもって盛り上がらなかったとまでは言わないが、少なくとも住民登録されてしまうまでの事にはならなかった筈だ。
つまり、元々はそんなつもりで名付けたんじゃなかったにしても、出没した川の名前を与える事で何処か「占有しているぞ」という雰囲気が出ていたと思うのだ。そういう「地元の(延いては自分達の)ものだ」という勘違いも甚だしい思いがあったからこそ、ああいった無遠慮な便乗商売の数々は生まれたと思うのである。そしてその流れに行政も乗っかっちゃうんだから、そりゃ収拾が付かなかった筈だ。
ところで、貴方は「ど根性くん」をご存知だろうか。ちょっと前にアスファルトから生えた大根の事が話題になったが、その大根の事である。
地元の人の話が何度かワイドショー等で流れた。曰く「逞しく生きる姿に感動した」だの「勇気付けられた」だのいうものだが、人間が大根に勇気付けられるなんて、数年前じゃ考えられなかった事ではあるまいか。
しかし、ただ勇気付けられているだけではないのだ。人間という欲深き存在が、この「思い掛けない所に生えた大根」を、ただのさばらせておく筈はなかった。そう、この大根ですら、タマちゃんよろしく、言い方は悪いが金づるとして利用される事になったのである。その証拠に、この大根が生えた町の町長は言った。「町のPRになった」
さしもの「ど根性くん」もタマちゃん程には可愛くないから、あれだけの騒ぎになる事はなかろうが、「うーん、結局そういう事なのか」と思ってしまう。こういう展開になると、つまづいたりして非常に危険だったりする可能性だってあるのにそれを無視して、話題にする為にわざわざあれだけ育つまで待ったんじゃないのかという邪推すらしてしまう。
真偽の程は定かでないが、ともかく私はこの一件を受けて思ったのだ。ある意味で、アザラシと大根はイコールであると。
重ねる事になるが、人間とは欲深い生き物である。貴方の町、村にも、ある意味でアザラシに似た何かがあったり、いたりするかもしれない。
05/11/23(水) 第296回 昨日の話だ
カップ焼きそばの湯きりをしていたら、
麺を流しに落としてしまったー!!
なんて話は時々聞く。
じゃあ貴方は、
コンビニのおにぎりを、
いざ食わんと開封している時に、
海苔を残した他の全てをゴミ箱に落とした経験はあるだろうか。
…自慢じゃないが、
私はあるぞ(泣)
05/11/24(木) 第297回 欠陥車両のお通りだ
いつもの様に乗って帰る予定だった電車の部品が落下してその電車だけ運休って何?
仕方なく一本遅い電車で帰ってきた訳なのだが、それだけで一時間半も帰宅時間がずれ込む生活をと言うか、環境でと言うか、とにかく過ごしているのである。
いやしかし、こういう事は久し振りで参った。電車一本遅らせる事が即ち一時間単位での待ち時間増加という事になるのだが、とにかく今日はただ待つのだけでも辛かったのだ。
何となれば、昨日は大気の状態が不安定だとかで遠雷が轟いており、大の雷嫌いの私は中々寝付けなかったのに加え、いつもなら貴重な睡眠時間となってくれる筈の行きの電車内でも、現在引いている風邪の影響で洟が止めどなく溢れ出てきており、そのせいでどうにも鼻が詰まって眠れるに眠れなかったのである。ただでさえ(私にとって)短い睡眠時間がガリガリ削られていくというのだからこんなに辛い事はない。
だもんで、もう帰宅時には眠くて眠くてしょうがなかったのである。でも一旦寝ちゃうと万が一にも次の電車を乗り過ごしてしまうなんて事態が起こってしまわないとは言えないからそこは我慢だ…我慢我慢……Zzzzz……フガ!? うあぁぁぁ、いかんいかん、意識が飛んでしまう。後三十分だからもう少しの辛抱だ……Zzzzz…
こんな感じなもので、終いには駅員さんが電車の運休を伝えるアナウンスの際に再三言っていた「見送らさせていただきます」という言葉に「『見送らせて』だろぉがぁ」とイラついてしまう始末。相当限界だったと見える。
さて正確に言えば、この程の騒動は私が乗る予定だったのと同タイプの電車において部品が落下したという事らしいのだが、その落下した部品と言うのが聞く所によれば200kg位のものだとかいうからこれはただ事ではない。
そう考えると、そんな大それた部品が落下する危険性のある中で運行したり、或いは走ってる最中に外れたりする危険性だって十分あったかもしれないんだから、やっぱり何だかんだ言っても運休って措置は最適なものだったんだろうなあ。
でも一つ気になるのは、そのタイプの電車には昨日まで毎日の様に乗っていた、という事である。結局200kgの部品って言われてもそれが一体何なのかまでは知らないし、こんなんじゃ明日からは移動中におちおち寝てられないんじゃないのか。
まあ、気にしようがしまいが鼻詰まりが酷くて寝られないんだけど。
05/11/25(金) 第298回 私とファイナルファンタジー
FF4 ADVANCE -- \5,040
FF7 ADVENT CHILDREN(通常版) -- \4,800
FF7 ULTIMANIA Ω -- \1,995
Playonline/FINAL FANTASY 11 エントリーディスク(PS2版) -- \5,040
Xbox 360 発売記念パック(初回限定生産) -- \39,795
いよいよ先日、「FF7 DIRGE of CERBERUS」の予約が開始されました。価格は\8,190、amazonで予約した場合に\6,961だという事。15%OFFっていうのは確かにかなりなものだけれども、それだって先に挙げた様な事を考えると依然厳しい状況にさして変化はない。
何か、何かがこう、どういう風にか上手い方に転がって、
FF7における冥府の門番の哀悼歌な何か -- priceless
なーんて事になりはしないのかね。いや、これに限らずとも、
一つ前の作品を差し置いて二度目のリメイクを成し遂げようとしている何か -- priceless
限定版の異常な高価さにさしもの私も辟易せざるを得なかった何か -- priceless
本編の発売から既に八年も経っていて最早「攻略本」とは呼べなくなってしまった何か -- priceless
シリーズ中初めてオンラインシステムを採用した結果一部FFファンの反発を買うも、これまで二枚の追加ディスクを発表した何か -- priceless
電源ケーブルに火災の危険がある事が判明したハードの次世代機的な何か -- priceless
個人的にはどれでもいいよ。
05/11/26(土) 第299回 pricelessの真実
つーかだ、昨日の話はともするとだ、あーんな風にネタ化する方へ持っていかなくとも、
得られた感動 -- priceless
だの、
流した涙 -- priceless
だの、そういう風にした方が良かったんじゃないのかとただただ思っていたそこの君、それはちょっと待った。
感動がタダで買える? それは違う。そりゃ本を買うなり映画のチケット買うなりという出費さえすれば、後は別に何かしら出費を伴わなくてもそれらから得られる情報によって感動したり涙を流したりする事は可能だろう。
でもゲームじゃそうはいかない。ゲームをするとなったらテレビをつけるだろう? となれば必ずやそこには電気代というものが発生するではないか。ファミリーコンピュータなりスーパーファミコンなりプレイステーションなりプレイステーション2なり、或いはゲームボーイ各種なりゲームキューブなりはたまた…ってああっ、くだくだしいから後は省略するが、そういったゲームハードを起動させるのにだって電気代は否応無く発生するではないか。
そればっかりじゃない。特にプレステやプレステ2やPSoneやPStwoやを起動させてもみなさい。今度は否応無く、その内部に搭載されているともっぱらの噂になっているソニータイマーが無情にもカウントアップ、いや、カウントダウンか、を進めてしまうんだぞ。それをして「得られた感動 -- priceless 」はないだろう。
つーかだ、1987年だか1988年だか購入の家のファミコンはまだ普通に動くのに1997年だか購入のプレステが最早虫の息ってのは何なんだろう。晩年とか凄かったなあ。天地がひっくり返るのは勿論で、たまに立ってみたり。
そういう意味ではどんなに読み込みが遅くなって、ハードとして危機的状況になっても、プレステ2購入まで買い換える事もなく、しぶとく現役でい続けたプレステの勇姿たるや、真に
得られた感動 -- priceless
であったのかもしれない。
あっ、電気代がかかってるや。
05/11/27(日) 第300回 さいごのカギを考える
「最後の鍵」というものがある。DQシリーズにおいて「全ての扉、宝箱を開けられる鍵」として、ゲームも終盤に差し掛かる頃に手に入るお馴染みのアイテムである。
全ての扉を開けられるのだから、それは凄いと思った者は数知れないだろう。同様に、「自分も欲しい」と思った者も数知れないだろう。しかし私は思うのである。もし最後の鍵が現実に存在したとしても、我々がその手にしていいものではないと。勿論だ、かようにも不完全なる我々人間がそんな道具を手にしてしまえば、何に使ったものか分からないではないか。少なくない人間が悪用する方向へと思考を巡らせる事だろう。
ただ、同時にこうも思うのである。だからと言って、DQシリーズの主人公達に持たせるのも、さあ如何なものかと。そもそもが、ありとあらゆる民家に見境無く侵入しては、タンスを物色し、冒険の役に立ちそうなものは1ゴールドとて見逃さず手中にし、最近ではツボだタルだを手当たり次第に投げ壊すという悪漢達なのに、そんな彼等に最後の鍵なんてものを渡してしまったらどうなると言えよう。そうなったが最後、例えどんな頑丈な扉で家の宝物を守っていようと、それらの物品は口をきく事もない無愛想な男に奪われていく運命にあるのだ。こんな酷い話が何処にあろうか。王族の特権だとでも言うのか。さもなくば世界を救う者の特権だとでも言うのか。だったらアルスはどうなる。
ところで話は変わるが基本的に「鍵」というものは「錠」と対になっているものである。ところが、件の最後の鍵にはその「対応する錠」が存在しない事に気が付いた。
例えば、「魔法の鍵」で開けられる「魔法の錠」なる錠は存在するのだろうし、「金の鍵」「銀の鍵」でそれぞれ開けられる「金の錠」「銀の錠」というものも存在すると思うのだが、「最後の鍵」で開けられる「最後の錠」というものは存在していてはおかしいのだ。何となれば、最後の鍵でしか開けられない錠って、それ単に「壊れて本来の鍵じゃ開けられなくなった錠」じゃねーかという事になってしまうからである。
最後の鍵で開ける事を念頭に置いた錠は存在しないんだなー、考えてもみれば当然の事かもしれないのだが、改めて考えてしみじみそう思ったのであった。全ての錠が最後の鍵で開錠出来るんだから、そう考えると普く世の中の錠が「最後の錠」であると言う事も出来るのかな。自分で何言ってるのか分かんないぞ。
ここで改めて最後の鍵の説明文を振り返ってみたい。「全ての扉、宝箱を開けられる鍵」
先の話を踏まえるとこれは厳密に言えば「全ての錠を開けられる鍵」という事になる訳で、「全ての扉を開けられる」という訳ではない。
実際、最後の鍵では開けられない扉も存在する。例えば鍵穴の存在しない扉がそうだ。幾ら最後の鍵が万能であろうとも所詮それは「鍵」である。使用する為には必ずや「錠前」が必要なのであって、内側からしか開閉できない扉や、あの世界にそんなものがあるかどうかは甚だ怪しいがカードキーによって開錠する扉等の前では無力と化すのだ。
そこへきて、呪文「アバカム」は最後の鍵の上を行くと言えるだろう。果たしてアバカムという呪文をどれだけの人が知っているかは分からないが、アバカムとは「全ての扉を開けられる呪文」である。
アバカムであれば、最後の鍵では成しえなかった内側からしか開閉出来ない扉を開ける事が出来るのだ。カードロックの扉を開ける事も出来るのだ。片や最後の鍵の体たらくは何だ。昨今のグローバル化を睨んで英語で言ってみるのなら「Final Key」か? 「Last Key」か? それとも「Ultimate Key」か? 開けられない扉が存在する分際で何をFinalだUltimateだと言っているのだ君は。
何かと出番は少ないアバカムだけど、本当は最後の鍵なんて目じゃないぞ、分かる人なら分かってくれる。
アバカム万歳。万歳アバカム。
惜しむらくは、DQ3を最後にその勇姿を見られなくなっているという事だが、ここは是非もう一度アバカムにスポットを当てて欲しい、またそうしてみてもいいのではないか、そう思っているのである。
ラシックス