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04/06/09(水) 第31回 勝敗の行方は如何に

先日言っていたこの勝負の結果が遂に今日出ました。
一点だけ大丈夫かどうかが微妙なラインという事でしたが、見事にギリギリのところに留まってしまいました。
今日聞いた話に寄れば私の場合、大体はこれでいいけれども、もう一回位詰めの作業をするかもしれないとの事。まあ失敗した際に取りかからなければならなくなる「挽回」作業に比べれば全然ましなものですが、それでも面倒臭い事には変わりない訳ですから、出来る事ならこのままで終わって欲しいなぁ…とは思っているのですが…

もし詰めの作業をするという事になった場合、どういう形でお達しが来るのだろうか。
面と向かって直接言われるのだろうか。そうなると私は、今回の事に関わっていそうな人々を避けていかねばならないではないか。
それともなにか、メールででも通知されるのだろうか。それでは今後しばらく波風が落ち着くまでメールボックスを覗けないではないか。
それともあれか、何処か目立つ所に掲示するとかいうシステムなのか。となると最早私は外出する事すら許されないではないか。

何だか「追って連絡がある場合はメールする」とか言っていた様な気もするが…油断してはならない。何しろ「詰めの作業」である。折角終わった作業をもう一回振り返ってみなければならない事から非常に面倒臭がるであろう事を見越して、口では「メールで」と言っておきながら実は突然思いも寄らない所から姿を現わそうとしているその魂胆は見え見えである。

…という訳で、私は明日からしばらく人間不信に陥りそうなのであった。



04/06/10(木) 第32回 睡眠貯金

昨日は帰宅時間がいつもより早くて、しかも今日の外出する時間がいつもより遅いという状態が重なったものですから、昨日は「ようやく大幅に進められるか!?」と、既にネタフリから二ヶ月が経過してしまったメネに関する妄想に意気込んで取り組んだんですが、少し考えをまとめようと布団に寝転がって構想を練っていたら、ふと気付いた時には深夜三時位になってしまっていました。
勿論それからやる気が出よう筈はありませんから、そのまま諦めて眠りにつく事に……結果、休日を除いては久しぶりに、合わせて八時間近くの睡眠を取る事になりました。
しかし、それでも行きの電車内では眠気に襲われてしまいます。
結構寝た筈なのに…何故でしょうか?

そう言えば先日、何で見たかは忘れましたが、「必要な睡眠時間を削って、それで体力的に大丈夫だと思っていても、それは未来へのツケを溜めているに過ぎない」という様な言葉に出くわしました。
現在では、それまでに比べて睡眠時間こそ減っていますが、意外と事前に思っていたより体力的負担は小さく、帰宅した時に疲れている事はあっても、それは寝てしまえば殆ど回復します。ただ、自分では回復していると思っていても、実際は八時間寝ていて尚更に寝たいと身体が訴えかけている訳ですから、確かにこれは合っている事かもしれませんね。
だとすれば、数年先には大変な事に?そうでなくても数ヶ月もすると徐々に無理が生じてきてしまうのでしょうか…?

必要な睡眠時間の欠乏が未来へのツケであるなら、現在の生活になるまでの必要以上であった事明らかな眠りが貯金として作用してくれてもいいんじゃないかと思うんですけどね〜…
そうすれば今頃はメネの妄想もめでたく完成していた事だろうに…

いや、別に睡眠時間が少なめな事が妄想が出来上がらない原因だと言っている訳ではないです…
ないですってば。




04/06/11(金) 第33回 160円一区間の怪

今日の帰りのバスでの出来事である。
予定時間から数分遅れて到着したバスはその時点でそこそこ空いていましたが、私の乗るバス停から乗車する人が結構いましたので、瞬く間にバスは数名程座れない人が出てくる位に。
そんな中私は無事座れましたので一安心しつつバスは出発したのですが、程無くして、本当に十数秒かそこらだったと思いますが、バス内に「お降りの際はこのボタンを押して下さい」のボタンを押した時の音が響いたかと思えば、次いで「次、停まります」のアナウンスが流れたではありませんか。

早っ…
と思ったのも一瞬の事。「あぁそうか、単にここまで乗って来ていた人が降りるのか。」
そう納得した次の瞬間、信じられない光景が私の目に飛び込んで来ました。
何と、今しがたこのバスに乗った筈の人が一人、颯爽と降りて行くではありませんか。降りたのは前方の方で立っていた方でしたから、私が乗った時点で既にバスに乗っていたとは考えにくいものがあります。
それよりも問題なのは実際にバスが走行した距離なのですが、私の乗るバス停から次のバス停までの距離は、一度歩いた事がありますが高々徒歩で三分程度です。両バス停間では少々の起伏があるので残念ながら出来ませんが、殆ど直線上にある為地形がなだらかなら、片方のバス停からもう片方のバス停も十分見える距離にあります。
更に重要なのは運賃となる訳ですが、どういう算出方法を取っているかというのは詳しく分かりませんけれども、実にそれだけの距離で160円も取られてしまいます。徒歩約三分、バスであればそれこそ一分かそこらの距離でです。

何故その方はわざわざこれだけの距離を移動する為に160円も払ってバスに乗ったのでしょうか?
ちょうどその時は結構雨が降ってましたから、雨避けの為に乗った?いやいやいや、その方が傘を持っていたかどうかは確認出来ませんでしたけど、もし傘を持っていたとしたら勿論その説は不思議であり、もし傘を持っていなかったとしたら、バス停に到着するまでの時点で既にかなり雨に打たれてしまっていますから、それでもやはり不思議に思えます。
ではほんの少しでも時間を短縮したい程の急ぎの用事が?それも違うでしょう。何しろそのバスは数分遅れて到着しています。そのバスを待つ位だったら、歩いて行った方が明らかに早く目的地へ辿り着けた筈です。
ならば、急ぎの用事があった上で、たまたまタイミング良くバスに巡り合えた?残念ながらそれも却下されます。バス内でその方が立っていたのが、一番前の方であった事から、偶然ちょうどいいタイミングでバスがあったから乗った、という訳でもないと思われるのです。少なくともその方の後ろに立っていた数人の方よりは早くにバス停に着いていたと考えられますから。

考えれば考える程、謎は深まるばかり…
もしその方が定期券を持っていたとするなら、160円という運賃が追加して発生する事は無いですから、定期区間内であればその方が一区間で降りようが全く構わない訳ですが…それでもやはり何故降りたのか、という理由は気になってしまうものです。
バスに乗ってから何か用事を思い出して引き返したんでしょうかねぇ…?そうであったとしても、次のバスは約一時間後になりますから、諸々の予定が一時間押すとしても成しておかなければならないその「用事」って何…?と思ってしまいますが…



04/06/12(土) 第34回 やけに落ち込んだ話

あれだけ、

あれだけ気を付けていたのに、

この間失敗したので相当気を配っていたのに、

決して急ぐ事なく注意して飲んでいたコーヒーで舌を火傷した。

普段は殆ど飲まないのにたまに飲もうかと思い立つとこれだ。

かなり自己嫌悪に陥った。



04/06/13(日) 第35回 電車の中で日本一非生産的な行動を取っている人間

以前この日誌で、電車に乗っていたら窓の外に広がる光景がFFTのバトルフィールドに見えてしまうという病気をカミングアウトした私でございますけれども、実は私の病気はこれだけに留まりません。
もしかしたら近々ようやく電車内で音楽か何かを聴ける状態になるかもしれなくなり、そうなったとしたらその後は滅多にその病気が発症する事は無くなると思いますけど、やはりこれまでの状況では、電車内でする事が何も無いので暇で暇でしょうがなかった事があるんですよね。 その暇さ加減が、客観的に見れば勿論の事、主観でもって見ても意義を見出せない行動を私に取らせるに至ったのでした。

電車に乗っている人の中で、本を読むとか音楽を聴くとか、その他特に何もする事が無い人というのは往々にして窓の外に広がる景色を眺めているものだと思いますが、私は違うのです。否、私も例に漏れず窓の外を見てはいるのですが、何を見ているのか、が著しく異なるのです。
一般的には遠景を眺めるものでしょうから、山間やトンネル内を通過している時まで外を眺めている人はそうそういないでしょうけど、私はそういった地点においても外を見ています。凝視しています。しかも遠景ではなく、極めて近い点を凝視しています。

一体そんな所に何が見えると言うのでしょう?
想像してみて下さい。猛スピードで走っている電車の中から、すぐ傍を通過していく隣の線路であったり植物であったりガードレールであったりを見つめていると何が見えるでしょうか。
と言っても、何が見えるという訳でもありません。眼前を猛スピードでそれらが通過して行く訳ですから、そのそれぞれは形やらを認識させる事の無いまま通り過ぎていってしまいます。で、それが全てなのです。

何度も言ってますが私には絵に関する知識はありませんけど、スピード線というのが確かありますよね。疾走感とかを出す時に使われる線です。百聞は一見にしかずとは言っても「言葉で伝わらなければ実際に見てみて下さい」とは言いにくいものですが、実際に窓の外すぐ傍を見てみると、まさにそのスピード線が見えるんですよね。「で?それが?」と仰る方は多いと思いますが、そう思われた場合は、これ以上何かを期待されても何もありません。このスピード線が全てなのです。
1時間〜1時間30分をかけて100kmもの距離移動する中、平地、山間、トンネル内外を問わず、一切途切れる事無く直線が延々と続くのです。どうです?(オイ)

特に楽しいから見ている訳ではないのですが…誰が得するという訳でもないですし…目には悪そうですし…
それに、こうしてこういう事をカミングアウトしているこの行動もまた非生産的の極みですよねぇ…



04/06/14(月) 第36回 ここに英雄を称えようではないか

今日の帰りのバスでの出来事である。
この導入の仕方はつい最近何処かで見た事がある様な気がしないでもないがそれは捨て置いてともかく今日の帰りのバスでの出来事である。
週明けであるからなのか今日はかなり眠気が酷く、ようやく気を抜く事が出来るバス内において私はウトウトとしていました。その道中で、今回はたった一区間ではありませんでしたが、例の「次、停まります」のアナウンスが流れたのです。勿論それ自体は何ら不思議な事ではありません。私も全く気にする事無く夢と現実の狭間のやや現実寄りの所を漂っていました。
ところが…程無くしてバス内には「次は、○○です」と、次のバス停名を告げるアナウンスが。

(あれ?まだ停まってない様な?)

何しろ夢うつつであったものですから現状を把握出来ていません。単なる気のせいかとも思ったのですが、しっかり目を見開いてバス内の状況を見ると、バス内にある全ての「お降りの際はこのボタンを押して下さい」のボタンは赤く点灯したままです。その時点では「もしかして次で停まるのかな?」なんて考えていたのですが、バスは何事も無いかの様に次のバス停をも通過してしまいました。
当然の様にバス内に響き渡る「次は、△△です」のアナウンス。点灯したままのボタン。そして、二つ前のバス停で降りる予定だったと思われる「ボタンを押した人」が運転手に「降ります」とも何とも進言しないこの状況。

「このままじゃマズいよなぁ…」などと考えていますと、前方でボタンを押そうとしている人の姿が。その方は、停車する筈だったバス停通過〜次のバス停通過の間でボタンを押してはいなかった様である事から、始めにボタンを押した方とは別人の様です。で、その方はボタンを押そうとするんですが、既にボタンは点灯していますので、押してもこれ以上反応しません。私は「このままの流れだと運転手はまた気付かずに次のバス停も通過していってしまうんじゃ…」と、非常に不安に思っていたのですが、その方は次のバス停に到着する直前で運転手に「降ります」と言った模様で、無事にバスはそこで停まりました。
そしてバスが発車しようとした…その時!!「私も降りますよ」と言わんばかりに立ち上がった人が一人。

(これはまさか…)
もし今立ち上がった方が、運転手のせいでバス停二つ分も乗り過ごすハメになった方で、しかもそれについて文句を言う権利のあるその方がそれを遠慮無く如何なく行使なさったらどうなるのでしょう…?今日の私はと言えば、バスを降りてから電車までの時間が三十分以上あったとはいえ、その電車は快速ですから、確実に座席を獲得する為には少し早くからホームで待ち合わせる事が必要となりますので、もしかしたらこの後の展開によっては…
言い様の無い不安が私を包み込む中、望んでいたかそうでないかはこの際どうでもいいですがとにかくその一部始終に集中していた私は次の瞬間、その光景を見たのです。
「すいませんね」だったか、「ごめんなさいね」だったか、運転手の方の言葉が聞こえたかと思うと、先程立ち上がった方は何事も無かったかの様にバスを降り、降車予定バス停とは逆の方向へ悠然と歩いていったのです。

この瞬間、私は思いました。
何故その方が目的のバス停とは逆の方へ歩いていったのか、どういう事情があったのかは想像するに及びませんが、そんな事はどうでも宜しいです。とにかく私の中ではもう、こっぴどく文句を言う権利や道理が十分あったにもかかわらず、それを行使する事無く、まるで何でも無いかの様に降りていったその方は勇者、英雄そのものでした。
実際の所、こういう事態になった時において、バスが本来停まるべきだったバス停まで引き返す事があるのかどうかは分かりませんけど、もしもやむなく引き返していたらという事を考えると、何も言わず去って行かれたその方には、座席の件にこだわりさえしなければあまり重大な事態の起きる事は無い私ですら感謝してもし切れない位でした。

皆の者よ!!今宵ここに伝説を刻み込んだかの者を、英雄として称え、勇者として後世まで語り継ごうではないか!!

その英雄の名は!!!……知らないけれど。



04/06/15(火) 第37回 ぼやけた世界

昔の話なんですが、視力がかなり悪かった知人が言うには、「自分は視力が0.幾つだ」という旨の事を誰かに言うと、相手がおもむろにその知人の眼前でその時々によって違う幾本かの指を立てて「じゃあこれ幾つ?」と聞かれる事がよくあったそうです。
でもその知人は、単なる近視、つまり裸眼では極端にぼやけて見えるだけで、乱視の様に物がぶれて見える訳ではないのだから、流石にその指が何本であるか位は分かるよ、と、遺憾の意を表明していました。
確かにそうだよなぁ、と、やけに納得させられた私。何しろ私は当時両目共に1.5をキープし続けてまして、一度だけ右目で2.0を記録した事がありますので、ぼやけた世界とは無縁だったんですよね。
ところが、そんな私もここ数年で徐々に視力が落ちてきている模様。理由はと言えば…どう考えても、好きでそうしているかどうかは別にしてパソコンの前に長時間いる事なんだろうなぁ……でも、かつて両目で1.5を記録していた当時は、今現在パソコンを使用している時間に負けない位ゲームに没頭していた筈なのですが…当時は視力が落ちる気配すら無かったんですよねぇ…何故なのやら?
しかし、そんな事はどうでもいいです。もしこのまま視力の低下を甘受しなければならなくなったとしたら、その暁には私も、目が悪い事なんかとは無縁の人に眼前で手を掲げられて「じゃあこれ幾つ?」と尋ねられてしまうではないか。まぁこれだけの眼鏡大国日本ならば、大分周りにも眼鏡をかけていたり、コンタクトレンズをしている人が多くなってきていますから、そう簡単には言わせませんけどっ!!!
と、強く主張してみたりしても視力の低下は抑えられないのだ。これではいかん、どうにかしなければ。

そうだ!!日々往復で二、三時間は乗っている電車内で遠くの景色を眺めていればかなり目にいいのではなかろうか!! という事でいざ実践してみようとするのですが、ふと気付いたら日本一非生産的な行動を取っているのだった。



04/06/16(水) 第38回 待ち遠しいったら待ち遠しい

アスキーストアさんへ浮気して植松氏著の「みんなそうなの?」と「楽して暮らしてぇなぁ。」を購入して久しいですが、この程、実に五ヶ月振りにamazonさんの元へと戻りまして、日曜日に少々お買い物を。幾ら土日の両日が原則休みだとは言っても、実際に出向く時間を作る事が難しい現状では、良いストレス発散になってくれますねぇ。 で、その品物というのがどうやら今日届くらしいという事で、今日は大変でした。とにかく早く家に帰りたいと思うがあまりに、いつもに比べて時間の経ち方が遅く感じられたんですよね。
体力面の躁鬱というのは気の持ち様で随分変わってくるものでしょうから、行きの電車内で時間の経ち方が遅く感じられた事に関しては、いつもより長く寝ていられた気にさせてもくれたと思われますので良しとしましょう。が、それ以降は地獄そのものです。事ある毎に「まだ二時か」「まだ四時か」とヤキモキし、何かにつけて「後七時間か」「後四時間か」とイライラするばかりでした。ようやく帰れるという段になっても実際に帰宅するまでにはまだ三時間近くの時間を要しますし。

この無駄に長く感じる時間というのは、どうにかして有効利用出来ないものですかねえ?
所詮人間なんて気の持ち様でかなり大きく左右される存在です。その「気」一つで多少長めに寝た気になれるのであれば、自分に課された役割、仕事、課題、その他諸々についても、同様に多少長めに取り組めたり、ただ実際に取り組む時間が伸びている訳ではないので、つまりいつもより「捗ったり」しないものですかねえ?
そこでです。常にかねてから欲しかった物を順次注文して、それらの商品の到着待ち状態をずっと保っていれば、難産を極めているメネの妄想も少しは捗ったりしてくれたりするのでは。
この提案の問題点は、

 ・実際に商品が到着してしまうと、一転してそっちに意識が向いてしまう
 ・そんなにお金に余裕がある訳ないだろう
 ・上では「長めに取り組めたり」と言い切ってはいるが、実際にはその気になっているだけである

…何だか結局時間がかかってしまいそうですね。むしろ逆効果の臭いがプンプンしてますね。


さて、上にもチラッと出ている新たなメネの妄想話ですけれども、既に発表から二ヶ月以上もの時間が経っているからと言って、それは単に文章にまとめる時間がなかなか取れないだけであって、別に「メネΩ」を遥かに上回る様な極端に長い文章を書いているから、という訳ではないです。悪しからず。
ちなみに文字数だけ言っておくと、現在の時点で約20000文字になっております(「メネΩ」は約27000文字)。何処まで増えるのかはまだ分かりませんが。



04/06/17(木) 第39回 Romancing Sa・Gaと私

そう言えば昨日書こうと思っていて忘れてましたけど、無事に昨日届いてくれた五ヶ月振りにamazonさんで購入した物というのは、「Romancing Sa・Ga Original Sound Version」と「Romancing Sa・Ga 2 Original Sound Version」と「Romancing Sa・Ga 3 Original Sound Version」というロマサガ三部作のサントラシリーズでございました。
いつだったか、FFシリーズのオリジナルサントラやピアノコレクションやアレンジ盤やその他諸々のCDを集めている内に、他のゲームのサントラも欲しくなってきたなぁ…なんて言ってましたけど、遂に手を出してしまいました…何もFF以外のサントラを購入したのは今回が初めてではないですが、一挙に三枚買ってしまったのはちょっと勢いが良過ぎたかな〜、と思ったりしているところです。でもそんなものは実際にCDを聴けば吹き飛びますね。

これまた以前一度だけチラッと言った気がしますが、私とロマサガとの相性はひたすら悪いです。三作全てプレイはしているのですが、一時期その全てを断念していた事がある位に、ロマサガのシステムとの相性が悪いです。ただ、性格上それが「そのゲームが嫌い」には繋がり得ないので、その取っ付きの悪さがもたらした努力と苦労というのは、一層ロマサガに対する私の思い入れを増加させているのです。
と言う訳で、その「Romancing Sa・Ga」という作品と私との歴史を列挙してみようか、とも思ったのですが、如何せん書きたい事が多過ぎる…サントラを購入したので、その一曲一曲に込める想いもまた並々ならぬものがありますので、言いたい事を全てこの日誌にて書き出すとすれば、十日やそこらでは多分終わりません。
別にこの日誌に書く内容に自ら制限をかける必要はありませんけど、ろくにゲームの話すらしていない中で突然ロマサガの話が溢れかえるのはどうかと思わざるを得ないところ。
取り敢えず保留にしときます。
どうしても話したいけどでもどうしても日誌に書き綴るのは抵抗感が…なんて事になったら、舞台を日誌に限らず何か別のページでも用意します。
そんなものがあって見る人にどんな益があるのかなんて事は気にしてはいけないのです。



04/06/18(金) 第40回 「植松ラヂヲ」休止のお知らせ

「そんなキュー、急に出されても分かんないじゃん?」
「みんなが見てる時にキュー出さないと!ソウシ君!ね?もう一回ちょっとやってみ、このまま全部流すからねコレ。」
……
……
「ちょっと今メモを…」
「ハッハッハッハッハッ!!全部流すからね、今回はね。」

という事で、サーバーの容量が許すならこれより三十分余りの出来事をズラズラと書いていきたいところですが、と言いますか、実際にはそれ位許されてますけど、一般的常識の観点からそこは自制をかけまして、これまでとしておきます。
ここのところの氏の多忙さ、というのは、コンサートツアーを始めとして表に情報が出ている分だけを取って見ても認識するに有り余る程のものでしたから、今回植松ラヂヲが休止するという運びになった事は致し方無いところではありますが…でも、以前は滅多に聞く事がなかったのに、この番組に出会ってからは隔週という高い頻度で聞けていた植松氏の声がしばらく聞けなくなってしまうというのには一抹の寂しさを感じずにはいられませんねえ。
なのに、

「という事でラジオ…」
「しゅ〜りょ〜…」

このくだりのこの感じと来たものです。流石です。

今回の放送では氏が冗談で「51回を記念して、これまでの放送をまとめたCDを発売します!!」なんて仰ってましたけど、もしそんなものが発売されたとしたら、即座に買ってしまいそうです。回によっては一回分がCD一枚に相当するので、時間的には勿論体積的にも価格的にも物凄い事になるでしょうけど…

是非いつか復活して戴きたいものです。私は勿論定期的にチェック致しますよ〜、植松氏。
自分の中では、ホンのちょっとだけ、再来週になったらいつもみたいに更新されてて、そこで「片山ラヂヲ」が流れてくれているんじゃないかという期待もあるのですが…
あれ?でもそれだと「植松氏の声がしばらく聞けなくなってしまう」状況には変わり無いのに狂喜するという矛盾が発生してしまいますね…
そ、それはあれですよ。植松氏がいつでも帰って来れる場所が在り続ける安心感から来るものですよ。決して「植松ラヂヲ」を聞く一番の理由がいつしか植松氏から片山氏へ移ってしまっていた訳ではないですよ。断じて違いますですよ。

…と、ふざけて書いてはいるものの、切実に本心からまたやって欲しいと思っているのだ。


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