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06/10/04(水) 第531回 精神的底なし沼

さて、少年時代の消したい過去を洗いざらい吐き出した所で、続いてはDQ5での「割かしいい所まで進めたのに不慮の事故でデータ消失」事件を語っていこうと思…え? いい加減もういい? ああそう。
…よーし、これで都合四日分のネタを稼いだぞ。精神状態が必ずしも良好でない時は姑息にやっていきましょうねえ。

と言っても、流石にこれだけじゃ何なんで久々にネタ完全排除の日記でも少し書く事とする。
いやー、今ね、中々身の回りが大変。ここ二、三年の努力が実ったかこの八月か九月か辺りから多少楽な生活を送れているのだが、その分かどうか知らねど一日一日がほんの少しずつ厄介な奴と化している。ほんの少し億劫な日ってのは嫌なもんだねえ。それが毎日毎日続くって言うんだ。休日こそ精神面での休息に充てられるとは言っても五日間の心労を完全に癒してくれるものではないし。つーか、どうせ二日もしたらまたほんのちょっと厄介な日が来るもんだと考えたら土曜日だろうが日曜日だろうが憂鬱だよ。
それとは別に近々某資格試験を受ける事になっており、目下鋭意学習中である事が疲労感とか余裕のなさを増大させている。これが全然捗らないんだねー。得意分野は面白い位頭に入っていくのに、苦手分野に差し掛かった途端ブツブツ途切れるあの集中力は何だ。苦手分野のゲームだったら「ゲームだから」という理由だけで持続する集中力がいざ勉強というフィールドに立つと消滅してしまうのは何故だ。こんなんで受かるんかね。何かと「取れよ」と言われてるから落とすといよいよ日常がかつての賑わいを取り戻してしまうと言うのに。
そんな中でゲームは進まない。ただでさえ今年はプレイしたゲームの数が少ないってんで焦ってる傾向が強かったもんだから別にゆったり構えてりゃいい問題であるにも拘らず不思議と焦りが生まれる。またストレスだ。それらストレスのはけ口は仕方ない、定期的な買い物に求めるしかない。お金が舞うねえ。我慢しないと。したらストレスが溜まる一方。我慢しなけりゃ別の意味で危機的状況になって結局ストレスは溜まる一方。何だこの悪循環。
一個一個片付けていかんとね。取り敢えず差し当たっては某資格試験で上々の結果を出す事からだね。もしかしたら、それまでゲームはお預けになるかもしれん。

つーか、あれ、姑息にやっていく筈が、こんなに長くなってしまった。



06/10/05(木) 第532回 くれぐれもお風邪等引きませぬ様

雨が降ると思って傘を持って行ったら上手い事雨雲を避けて雨には遭わず。
雨の予報ではあったが傘を持って行かなかったら雨に遭遇。
朝晴れてたから疑いもなく傘を持って行かなかったら警報発令クラスの雨に遭遇

うへえ、久し振りにずぶ濡れになった。だからさあ、ただでさえ疲れがちな所に土砂降りでびしょ濡れは厳しいって。天気が天気だから乾かないしねえ。つーか、大体に私が例年風邪を引くこの時期にこんな洗礼に遭っちゃっちゃあ本当にやられるぞ。昨日も言ったけど資格試験が近いんだってば。こんな所でやられてる場合じゃないんだってば。

とか何とか言ってもね、その言葉は余す事なく昨日天気予報を見なかった自分と、傘を持って行かなかった自分に返ってくるんだよね。折り畳み傘さえ持ってなかったんだからそれ以上反論も出来ないもの。しかも何で折り畳み傘すら持ってなかったんだとお思いか。「かさばるから」だ。言い訳なんてしたら罰が当たっちゃうもの。
さ、昨日は予定になく長くなったんで、今日はこの辺でおいとまさせて戴きたいと思いますよ。今日はゆっくり寝ないと。私の引く風邪はしつこいからねえ。今引いちゃったら間違いなく試験当日を中心に前後一週間位までは押さえられちゃうものねえ。いや、何であんなにしつこいんだろうか。いつか書いた事があるけれど私の風邪は鼻からで、風邪となると止めどない鼻水に見舞われる訳だが、あの粘膜と言うかアメーバと言うかの物質は幾らティッシュペーパーで除去したって何処からか再出現してくるんだよ。それでもティッシュがある時はいいけれどもさ、手持ちのティッシュがなくなった時の絶望感と言ったらないよ。奴は往々にして空気が読めないからティッシュがなくなったからって全然その勢いを止めようとはしてくれない。考えてもみたらだよ、これは道理にも叶ってないんじゃないかい? ティッシュがないのに鼻水が出ちゃってもらわれちゃあどうなるか。そうだ、いよいよ鼻すすり頻度の多くなってきた私に対して要らぬ周りの注目を引くだろう。しばらくしたら鼻腔内に留まっていられなくなった鼻水が溢れ出してくるだろう。したらばどうだ、鼻から鼻水を垂らす私の姿を少なくない人間が目の当たりにする事になるよ。鼻水を垂らしっ放しの人間ってのはいつの世も格好悪いもんで、必然私の社会的地位は下がる事になる。人間関係はギクシャクしていく。いよいよ立ち回りが利かなくなる。もう誰も信じられない。引き篭もり・ニート化。収入激減。生活出来ない。もう駄目だ。
って事で出したい鼻水も出せなくなっちゃいかねない訳でしょう。鼻水の奴にはそこの所をもう少し理解して、ティッシュがなくなった時には自制して貰ったりしたいもんだね。

寝る。



06/10/06(金) 第533回 こんな駄文読んでるなんて、暇なんだなあ(褒め言葉)

褒め言葉って凄いなあと、思う事があるのだ。
勿論、相手に対して「素晴らしい」とか「よくやった」とか言う実際の「褒め言葉」は、その相手に様々な好影響を与えるという意味で、今更私が取って付けた様に言わなくたって素晴らしいものである事は分かり切っている。だがここではそういう事を言っているのではなく、「褒め言葉」という言葉そのものが凄いと言っているのだ。
「褒め言葉」は凄い。それはこうして文章を文字にして表す際に、更に括弧書きで尚且つ特定の文面や単語の後に付加させる事でその威力を発揮する。一つ例を見てみよう。

○○さん馬鹿だよな(褒め言葉)

もうお分かりだろう。即ち、任意の言葉の後ろに「(褒め言葉)」と書く事によって、その言葉がたちまち褒め言葉へと変化してしまう訳である。似た様な言い回しに、口頭でも通じる「良い意味で」なんてのもあるが(用例:「○○って馬鹿だよな、良い意味で」)、「良い意味で」が何ともはっきりせず、何処かはぐらかされている感もあるのに対して「(褒め言葉)」の方は直接「褒め」って言っちゃってるもんだから直前の文言の意味是正能力に長けているのだ。上記例で言えば、元より良い意味で使われる事もあるが一般的にはあまりそちらの方向に取られる事がないであろう「馬鹿」という言葉を、良い意味に取れる様に矯正しているという訳である。
と、この様に誤解を招きかねない表現を使用する際には便利な「(褒め言葉)」であるけれども、一つだけ注意しなければならない点がある。それは、

○○さんは凄いね(褒め言葉)

とかいう風に元々褒める意図が含まれている言葉に「(褒め言葉)」を被せてしまう場合だ。これをやってしまうと、それぞれの部分にはこれっぽっちも悪意が秘められていないにも拘らず、そこには何故か裏がある様な気にさせられてしまうからだ。こうすると場合によっては○○さんは気分を損ねるだろうし、ともすると単にけなした場合よりもよっぽど嘲り笑われた気になっちゃうだろう。貴方はそれまで○○さんとの交流で築き上げてきた人間関係を失い、ニート化して死ぬ(一部省略)。

ともあれ、褒め言葉に被せなければ使える筈なので、皆様にもどしどし応用していってもらいたいと思いますよ。
つーか、気軽な冗談が通じそうにない位の間柄の誰かに下手したら罵倒されていると取られかねない言葉をわざわざ用いて賛辞するなんて事そうそうないとは思うけど。



06/10/07(土) 第534回 コロッと死んで生き返る

「死者を生き返らせる事が出来たら」

誰しもそんな事を考えたりする事があるものであるが、ゲームの中の世界ではその程度の事なら割かし簡単にやってのけられたりする。蘇生魔法だ。例えばDQならザオラルやザオリク、聖剣伝説2ならリバイブ、女神転生ならリカームやサマリカーム、ビヨンドザビヨンドならレイズ、といった様な魔法である。
死者をある程度簡単に復活させる事が出来るという性質上、どうしても「有難みも何もあったもんじゃねーな」と思わないではいられないのであるが、死者の発生により一気に傾いた戦況を即時逆転させる事の可能なこれら魔法には多くの人間がその恩恵を授かった筈であるし、これはこれで、ゲームならではの有難みを感じる事が出来よう。
だが私は、とある一つの作品についてのみ、この考えに異を唱えたい。ある作品、その名も「DRAGON QUEST 5 天空の花嫁」と言うものなのだが、この作品だけに関して私は、蘇生魔法に如何なる尊厳も、幾許の偉大さも見て取る事が出来ないのだ。
その理由は、効果音にあった。と言って、一体これをご覧の皆様の内、どれだけの方がザオラル乃至ザオリクを使用し死者が復活した時の効果音を思い出せるか甚だ怪しいのではあるけれども、ともあれ実際に使ってみるとこういう音がするのである。

コロッ

もしかすると「ポヨッ」かもしれないし、「ヒョイッ」であるかもしれないが、重要なのはそこではなくて、やけに軽々しい音が流れるという事実の方だ。
現実の世界では勿論、ゲームの世界ですら絶対的な悲哀の象徴として描かれる「死」が、呪文や魔法一つでなかった事になってしまうだけで、先に述べた様に若干アレであるのに、かてて加えて「コロッ」はないだろう。その瞬間、私が蘇生魔法に抱いていた僅かばかりの疑念は増大、確たる信念へと変貌するのであった。

もし今すぐにでもDQ5をプレイ出来る環境にあるのなら、実際に実践してみて戴きたい。
雰囲気を出す為には、相手はなるべく強い奴が好ましいであろう。戦闘が始まったら、しばらく手を出さずにおく。その内敵の猛攻によって仲間の誰かが死亡。この時、「○○○○はしんでしまった!!」のメッセージを噛み締める様に見、死んだその仲間の事を想っておくとより効果的である。で、次のターンにすぐさまザオリク詠唱。コロッ
これじゃああまりにも、だもの。こうして文字にするとそうでもないかもしれないけど、実際に映像として見てみるとこれが本当に呆気なく映ってしまうものなのである。バトルメッセージ表示速度を速くしてテンポを上げておくと、よりあっさり感が増して良し。

私自身は何か特定の神を信じるとか、そういった人間ではないのだけれども、でも流石にこれは生きているという事の尊さをまるで無視している様でもあって無視出来ないね。ほら、最近命の重さを分かってない人間の起こす犯罪とかが問題になったりしてるから、一層ね。
そんな現代社会の実情はともかくとしても、事実としてこうまでに命を軽々しく扱っている主人公一行は、仮にそれを神への冒涜と取られたりして全世界の教会を敵に回し、締め出しを食らったりする事になったとしても文句は言えないね。教会の復活時効果音はしっかりしてるもの。どうまかり間違ってもコロッとかじゃないもの。



06/10/08(日) 第535回 父の威厳

パパスはただジっとたえている!
ジャミのこうげき! パパスは26のダメージをうけた!
ゴンズのこうげき! パパスは23のダメージをうけた!

ジャミのこうげき! パパスは22のダメージをうけた!
パパスはおおきくいきをすいこんだ。
ゴンズのこうげき! パパスは24のダメージをうけた!

ジャミはラリホーマをとなえた! パパスにはきかなかった!
パパスはちからをためている。
ゴンズのこうげき! パパスは24のダメージをうけた!

パパスはみをまもっている。
ゴンズのこうげき! パパスは28のダメージをうけた!
ジャミのこうげき! パパスは27のダメージをうけた!
パパスはしんでしまった!


ゲマ「ほっほっほっほっ。 ずいぶん楽しませてくれました。
パパス「ううう……。
ゲマ「おや、まだ息があるみたいですね。
パパス「○○○○! ○○○○! 気が付いているかっ!?はあはあ……。実はお前の母さんはまだ生きているはず……。わしに変わって母さんを
(ゲマ、灼熱の炎でパパスに止めを刺す!)
パパス「ぬわーーっっ!!

「ぬわーーっっ!!

*「ザオリク!!


コロッ



06/10/09(月) 第536回 神がかり的演出

昨日のはまあ、例のコロッが如何に軽率かって事を示す打って付けのケースを一つ思い付いたからそれを書いてみた、という訳なんだけれども、考えてもみたらどうだ、幾ら蘇生時効果音がコロッじゃなくったってあの場でパパスに生き返られちゃっては感動もへったくれもなくなっちゃうからいずれにしろそうさせる訳にはいかんのだよね。幾ら教会での復活音はビシーッと決まってるからってね、じゃあ神父に頼んで復活させてもらったら万事解決か、って言ったらそういう事でもない訳でしょう。仮にあの状況でいきなり神父が登場なんていう不自然も程がある展開になってくれたとしてもだよ、おめおめと奴にパパスを復活させてもらっちゃ困る訳でしょう。泣けるものも泣けないもの。もっとも、どんな人を前にしたって金貰わなけりゃ門前払いが信条の彼は、状況上支払い能力のある人間が一人としていなかったあの状況じゃ何もしてくれなかったろうけどね。え、ラインハットの王子はどうなんだって? いやいや、何が。教会の神父っていう存在はね、相手が一国の王だとか伝説の勇者だとか、即金が無理そうだったら後々幾らでも利子付きで金を要求出来そうな人を相手にしたって、その場で支払いがないと一切の仕事をしてくれない現金絶対主義の人間なんだってこれが。そこにいるのはガキが二人。しかも二人共気絶しちゃってるって言うんだからあいつが何か気を利かせてくれたりする筈がないんだって。
神ってのは無慈悲だねえ。だけど見方を変えれば、何て空気の読める存在だろう。演出ってものを知ってるね。相当のドラマかもしくは映画通と見える。何しろ「こいつは死ぬな」っていうキャラクターには軒並み蘇生魔法が効かないからなあ。かなりの天才肌だね。
一方、FFのしかも2辺りの神様ってのはどうか。あの人はあの人で死んじゃう人間には容赦ないけれども、誰彼構わずポンポン殺し過ぎの感はあるね。だからと言ってFF4なんかでは「死んだと思っていたキャラクターが実は生きていた」のパターンを二度も三度もやられてウンザリさせちゃったりするし。彼はもうちょっと勉強した方がいいな。

って、何をどうしたらコロッから演出論にまで話が発展するんだ。



06/10/10(火) 第537回 馬鹿は誰だ

ちょっと前にツルゲーネフ著のロシア文学「父と子」を読んだのだけれどその事は「雑文」の何処かに書いたんだっけか。覚えてない。「何か一言」の所にちょろっと書いてたんだっけ。まあいいか。
私は文学作品の事には全然明るくないからツルゲーネフの名も最近まで知らなかった位で、何かのテレビ番組だったかでたまたま知り、たまたま気が向いたから何の気なしに、日々の退屈な移動時間が潤いでもしたらとその程度の気持ちで本を手に取った人間であるからこれといった思い入れも何もあったもんじゃない。でも、それ以来ロシア文学に興味だけは出てきたのでこの間かの有名なドストエフスキーの「罪と罰」を買ったのである。勿論、移動時の良い暇潰しにでもなれば位の思いでである。ただ、買った途端に身辺が忙しくなってきたせいで未だに我が「罪と罰」は一ページたりとも所持者の目に触れてはいないのだが。まあ、あれは「父と子」に比べて随分と長い話であるから、今おいそれと読み始めて中途半端な所で止めてしまう危険性がある中で無理に強行するよりかは、もうちょっと余裕が出来た時にゆったりと読むのが幾らも良いだろう。だがしかしそれは、今でこそ読もうと思えばすぐにでも読める状態にある「罪と罰」が、いつの間にか引っ張り出してくるにはちょいと面倒臭くなる場所にまで埋もれて、果てに何処に行ったか分からなくなるという悲しい末路へ向けて順調に進んでいる事を意味してもいる訳なのだが。

そんな「罪と罰」の事は取り敢えず置いておく事として、つい一週間か前、そのロシア文学繋がりで「イワンのばか」を読んだ。ロシアの文豪トルストイの書いた民話である。
「イワンのばか」そのものは有名であるし、著作権等々の関係上今ではウェブ上でも普通に読めるので具体的な内容の紹介は割愛するけれども、私がこれを読んで最も印象に残ったのはイワン王治める国の民が徹底して非暴力主義を貫いていた点であった(イワン含む国民がそれを「主義」という言葉で規定、認識していたかどうかはともかく)。ただただ労働によって日々の糧を得る事に従事する事、ただただ愚直に生きる事は、金と軍事力という一見絶対の力を持つかに見えるものをも凌駕するのか。私には考えも及ばなかった(実際かなり極端なものではあるけれど)思想に「なるほど」と思った。その一方で、我々日本人は金と軍事の内、金の方へ金の方へと傾倒して今に至った民族であるから(ちょっと語弊があるかもしれないが、過労死問題とかによく表れていると思うし、そういった問題がある以上少なからず正常ではないだろう)、今更それらの知恵を捨て去って「ばか」になる事は出来んよなあ、とも。
で、その矢先に、「軍事第一主義」の北朝鮮から核実験遂行のニュースである。何とタイムリーな事だろう。

作中では、軍事を第一に考えたシモン治める国家は、より大きな軍事力を持つ別の国家に滅ぼされた。仮に北朝鮮が核兵器を使用なんていう最悪のシナリオが現実のものになるとすれば、何処とは言わないがより強大な力を持つ国によって叩き潰される事になろう。随分と過激な話になる様だが、本当に最後のカードを切ってきたとするなら、それを放ってのさばらせておく訳にはいかんのだし。
ちなみにそれでいくと、金を第一に考えて栄えたタラス王国に当たる国も滅ぶ事になる(正確には国民がより裕福な統治者の下へ流れて行ってしまった)が、日本はどうだろうか。
流石にそれはないよ、と思うだろうか。いや、国債の発行額とかいう現状を鑑みると、思う程飛び抜けた話とも思わないのだが。何の偶然か、日本人ってのは他国に比べて「愛国心」ってのを顕著に持たない民族であるしね。



06/10/11(水) 第538回 蚊みたいな奴

ここ最近、ただただ「雑文」を書くばかりで他のコンテンツを更新していない様に見えて、更新していないのだが、何の事はない、早くも四日後に迫ってきた某資格試験対策に一杯一杯で一時的に「妄想」だ「歪曲」だとかいう事を行っていられないだけなのだ。いわんやテレビゲームなぞという道楽においてをや。
つー訳で15日を過ぎれば多少は落ち着きを取り戻すであろう。コンテンツ更新はそれからという事で、ゆっくりやっていきましょうねえ。

さて話は変わるが、今私は蚊に悩まされている。実に二日前からずっと、蚊に悩まされている。
勿論、蚊の本分は夏に活躍する事にこそある。となると、今は多少本シーズンとは時を違えているかもしれない訳で、それからすると奴は蚊ではないのかもしれない。いやでもそれ以前に、一言に「蚊」と言ったって、私が知っているいわゆる「夏に発生」する種だけではもしかしたらないのかもしれないから、それからするとやっぱり奴は蚊なのかもしれない。まあ、ここでは便宜上「蚊みたいな奴」として話を進めるとしよう。
で、その蚊みたいな奴に私は悩まされているのであった。私が奴の存在を認めたのは一昨日の夜の事だ。

ィィィィィン……

あの独特の羽音。最初は、もう大分寒くもなってきたし、まさかなあなんて思いながらさして気にもしていなかったが、程なくして足がやけに痒くなってきた。見てみると、やられているではないか。
臨戦態勢発動。だが、血を吸って満足したか奴さんは中々姿を現さない。戦闘態勢解除。だが、しばらくすると今度は左親指をやられてしまった。仮にもパソコンの前に座っていて、親指の上にいた蚊みたいな奴に気付かなかったとは何事だろう。
で、この左親指のやられっぷりが酷かった。構ってもないのに腫れ上がる患部。最初の内は痒かったが、その内痛みを伴う様になってきた。おい、何だ? これって蚊の唾液がどうとかいう事じゃなくて、単に指された部位が腫れて痛いっていう話なんじゃないのか? やっぱり蚊じゃなかったんかなあ。
結局その日はそれ以降見かける事もなかったんでそのまま寝た。だがそれは、奴に長時間にわたって己の無防備な身体をさらけ出すという事をも意味した。翌日、案の定新たな腫れを二、三発見。
願わくば、これで終わりにしてほしいものであった。昨日のトルストイ主義じゃないか、私も無益な殺生を好んだりする人間ではない。私が家を空けている何時間かの間に、俺の部屋から消えるんだ。悪い事は言わないから。
だが、奴はいた。勿論昨日の奴と同じ個体なのかどうかなんて知らない。だが、昨日私を苦しめた「蚊みたいな奴」と同種の輩は明らかにそこにいた。当然、あれだけ小さな体躯の奴の事をこちらが初めから認識出来ていた筈はないのだ。そう、この日だって先制攻撃は奴からだったよ。
私の慈悲深い心もここまでである。蚊みたいな奴許すまじ。この世に生まれて二十余年、生物に対してこれまでに明確な殺意を抱いた事があっただろうかいやない。
戦いは始まった。しかし悔しいかな、幾ら蚊みたいな奴退治に意気込んだって奴が私の視界上に躍り出てくる瞬間を待つ他に私に打つ手はないのである。だがそんなそんなにずっと集中力も持ってくれないからそこそこの内に一時休戦へと持ち込まざるを得ない。奴、急襲。
そんな事を二度か、三度か繰り返した結果、結局昨日も奴を仕留める事は出来なかった。我が身はもうあちらこちらが痒み痛みでボロボロである。ううう…蚊みたいな奴の分際でナメやがって…いいもんだ。明日朝早いからもうさっさと寝ちゃうもんだ。夜中に見る予定だったテレビ番組があったけどもういーよ畜生。
だがしかし、本当の戦いはむしろここからにこそあった。寝たという事は、やっぱり奴は遠慮もなく無抵抗な私の血を貪るのだけれど、この日は前日に比べてかなり攻撃がしつこかったのだ。いや、単にしつこく刺されるだけなら全然良かった事なのかも知れなかったが、悪い事には、足の指を刺されて出来た嫌な感じの痛みが度々睡眠を阻害したのだ。そこに来て例の「ィィィィィン…」である。周りが静まり返っているだけあって羽音がよく聞こえる事聞こえる事。羽音がよく聞こえるっつー事はその音の途切れる瞬間までよく分かるという事であって、つまり私には奴が恐らく私の身体の何処かに着地したその事実を認識してしまえたのである。
幾ら寝てる間に刺されるのが致し方ない事だと言ったって、これから刺されようかとしているのにおめおめとそうさせるなんて事が許される筈はないでしょうよ。大体に、もしこのまま刺されて腫れたその部分がまた鈍い痛みを発し始めると本当に寝られなくなってしまう。蚊みたいな奴が何処に止まっているのかまでは分からないから潰す事は出来そうにない。しょうがないから身体を少し揺すって奴を何処かへ追いやる。奴、程なくして再着陸。追っ払う。再トライ……てな感じで定期的に身体を動かしていたら結局中々寝付けなかった。酷い悪循環である。お陰で今日は一日中眠かったぞ。

割かし簡単な事で睡眠を阻害される傾向のある私は、これまでに地震、雷、台風、大雨、将来に対する漠然とした不安、等で寝付けなくなった事はあったが、まさかこの歳になってたかが蚊みたいな奴如きに眠りを妨げられるとは思ってもなかった。何故仕留められなかったのかという事も含めて、不覚に思う限りだ。
ただ、不覚に思ってばかりもいられんぞ。もしかしたらこの部屋には今も、例の蚊みたいな奴が潜伏しているかもしれないのだから。つーか、さっきチラッと目の端をかすめた様な気もするのだけれど…



06/10/12(木) 第539回 何気ない話

結局昨日も蚊は仕留められず。でも今日は全然見ない。もしかしたら、いよいよ殺気をはらんできた私の気迫に押されて逃げて行ったか。ははははは。世間ではこれを勝ち逃げされたとも言うがな。はははははは。

いやしかしね、毎日毎日こうして雑な文を書いていてね、今みたいにゲーム出来るのも月に一度みたいなのが冗談でもなくなる様な状況でさえ連日の更新をしている割には意外と「今日は何書こうか」なんて事で悩んだりする事も多い事が、例えばコロッに始まるDQ5ネタ三日分とかいう所に表れていたりするのがよく分かる。
ただ、定期的に日記系のコンテンツで「ネタがない」と書かれているのをよく見るけれども(こと最近はいわゆるブロガーなる人も増えてきた影響もあるのかな)、そういった事でお悩みの方に私は言いたい。よくよく考えてもみようじゃないか。よくよく考えてもみれば、思いの外身の回りにネタってあるものなのだ。まあサイトの方向性的に身辺の生活観溢れるネタを載せ難い場合は仕方ないけれども、そうでなければ今一度自らの生活を振り返ってみては如何だろうか。貴方の何気ない日常の中で起こったあんな出来事やこんな出来事をクローズアップすれば、これまで自分自身も気付いていなかった側面が見えてくるかもしれない。それはやがて一日の、乃至は二日、三日にまたがる貴方のサイトのネタへと昇華し、果てに貴方の人生そのものにさえ潤いを与えてくれる事だろう。
「振り返ってみたって何もないよ」と言うなかれ。何しろ何処かの誰かさんは、自室に蚊みたいな虫が現れたというただそれだけの事を殊更に騒ぎ立てて、挙句には普段の五割増し位のネタに仕立て上げたんだから。貴方の身の回りにも、必ず何かある。

でもね、これはただやろうったって中々出来る事じゃないよ。
そらそうだ。普通の人なら蚊が出た話だけを延々として更新ネタにする筈ないもの。



06/10/13(金) 第540回 百物語

さて、今日はちょっといつもとは趣向を変えて、一つ怖い話でもしてみようか。時期はやや外れている様だが、秋の夜長に背筋を凍らせるのもまた一興ではないか。

我が国に古くからある「百物語」は知っていると思う。何人かの人間が一つ所に集まって、部屋の明かりを消し、そして蝋燭なりで100本の灯りを灯して臨む独特の怪談形式だ。
ある夜、その男達は実際にこれを決行しようとして集まった。年の頃は大学生といった所か。勿論、彼等はただ興味本位で気楽に集まっただけであって、場には始終和やかな空気が流れ続けていた。
10話…20話…30話…次々に話される、各々の取って置きの怪談に場は次第に盛り上がった。しかし、それも50話を迎えずして終わる。その頃にもなるとそれぞれが知っている珍しい話も殆ど出尽くしてしまったのだ。何処かで聞いた事のある様なありきたりの話だけが淡々と語られる状況に、場は否応なしに白けていった。
だが、彼等は止めなかった。最早それは意地でしかなかったが、彼等は一度やると決意したこの「百物語」を、何としても最後までやり切ろうとしていた。その決意が、最後には凄惨な結末をもたらすとも知らず。

長い時間が経った。草木も眠る丑三つ時もとうに過ぎたろうか。儀式もいよいよ大詰め、後一巡で100話を迎えるという所まできていた。
本来「百物語」では、100話目を語り終えた後に本当に何事か起こってしまってはならぬと、99話目を終えた所で語りを止め、朝を待つのだと言う。しかし、彼等は99話目で止めるつもりなど初めからなかったろう。彼等は最初から、きっちり100話語る腹積もりでいた。だからこそ、順序的に100番目を飾る事が分かっていた者には、他の人間から大きな期待をかけられていた。また、当人もその事は意識していた。
男は思っていた。

怪談を100話語ったからって、どうせ別に何が起こる訳でもないんだ。

だから、せめて100話目という大役を務める自分が、最後に盛り上げねばならないだろう。そう、彼は自分が延べ100番目の語り部であると決まったその時から、この日の為に用意した数々の話の中でも最も怖いものを最後に残しておいたのだ。
疲労感もあってか随分と前からだらけた空気が漂っているが、いよいよ終わりという事で皆の士気もさっきよりは上がってきた。ここでこの話をすれば誰もがすくみ上がって、良い感じに締める事が出来る。ここに至るまで封印していたその「切り札」をいよいよ出せるとあってか、彼の気持ちもいよいよ高ぶる。
もう、100話目を終わって何が起こるかなんて事は、場の全員がどうでもよいと感じていたろう。しかし、異変は起こった。ただそれは、100話目を終えて100本目の蝋燭を消した時ではなく、何故か延べ99人目の者が99話目を話し始めた時に。それも、次に100話目を控え段々と待ち切れなくなってきていた彼だけに。
端から幽霊といった類のものを信用していなかった彼は、今回誰が話すどんな怪談にだって動じる事はなかった。にも拘らず、自分の前の人間が99話目を話し始めた途端に、その顔色は変わった。気分が悪いのか、見る間に顔を青ざめさせていく彼。次第に落ち着きもなくなり、そわそわし始めたが、しばらくすると微動だにしなくなった。
そんな彼の異変にも気付かず、99話目も終了。ここにきて久し振りに飛び出した傑作に、「ようやく終わりだ」との思いも合わさり、語り部には惜しみない喝采が送られた。

「さあ、いよいよ100話目だ」 誰ともなく、万感の思いを込めて彼に100話目を求めた。そして、そこにいた顔面蒼白の男は、答えたのだ。





俺のネタ、さっき言われちゃった。





想像してみてほしい。貴方が「百物語」の100話目という大役を任され、それに相応しい怪談を準備していたのに、突如、自分の前の奴にそれを横取りされてしまったその状況を。何か別の話を考えようともするがそんなすぐには思い付く筈もなく、平凡な話をすれば「100話目なのに」と呆れられる一方で「もうネタがない」と言った所で場が白ける事には変わりないというこの八方ふさがりの局面を。

あー、怖い怖い。


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