過去ログ54へ  過去ログ56へ  最新の雑文へ戻る  過去ログ一覧へ  トップページへ


06/10/14(土) 第541回 - - - - -立ち上がれ- - - - -

確認してみた訳ではないので推測であるが、例のニュースが流れてからというもの、今のウェブ上には「あの事」に関するネタがわらわらと湧き出している事と思う。「『KAT-TUN』というグループ名について」だ。
ご存知ない方の為に簡単に説明すると、メンバー六名の名前の頭文字を取って繋げた「KAT-TUN」というグループの内、赤西仁メンバーが語学留学で芸能活動を長期休業するとの発表があり、よもやこのまま脱退という事になればグループ名は一体どうなるんだ、という事である。で、真面目に憂慮する人もいれば冗談めかしてネタにする人も沢山であるがとにかく今世の中を賑わしている関心事の一つだろうってな事なので、私も乗っかろうという訳だ。

一般に言われる所では多分、「KAT-TUN」から「A」を抜いた「KT-TUN」辺りがベタな線だろう。だが私は、今をときめく(書くにも恥ずかしいぞ)アイドルグループ「KAT-TUN」に突如として降り掛かった未曾有のピンチを救う為にも、次の名を提唱したい。

KlTTUN

「A」が抜けたからそれを取り除くのは私としてもやぶさかでない。しかし、「A」を消せばそれだけでいいのか、それだけで十分なのか。いや、違う筈だ。(よくは知らないが)活動も概ね順調だったであろう状況の中で、一人だけがまるで暴走したかの様に外国へ行くと言い出したのだ。流石に公の場でその気持ちを吐露する事はなかれど、残る五人からしてみればその行為は裏切り以外の何物でもなかったに違いない。そんなグループ結成以来最大級の事件は、ともすれば今後の彼等の活動をも危うくさせ得るかもしれないのだ。
だからこそ、そんな一大事であるからこそ、立ち上がるべきはファンの人達なのではないか。グループ名にある「-(ハイフン)」が表すと言われる「KAT-TUNファン達」が一致団結し、決起して、そう、「立ち上がって」彼等の力になるべきではないのか。だから私は声を大にして言うのだ。あの「-」をピンチの今こそ立たせ、いなくなった「A」の穴を埋める事でよりメンバーとファンとの関係を密にし、そして再起を誓えと。

さあ、「-」の者達よ、今こそ立ち上がるのだ。ただ、立ち上がった所でハイフンの縦に当たる文字がないから、当座は小文字のエルで凌いでもらう事になるがそこの所はとやかく言うな。分かったな。
せめて大文字のアイにしたいとか言うなよ? 君達はあくまでファンなのであって、彼等メンバー達と同列にして扱う訳にはいかないんだから。



06/10/15(日) 第542回 KlTTUN解散

K「つーかさ、あんたらが出しゃばってからなんだよね。色々とやり難くなったのって」

l「え? 何の事ですか?」

T「しらばっくれてんじゃねーよ」

T「そうそう、君ら俺達を支えるとか言って勝手な事してくれたけどさ、正直言ってウザいんだ」

U「本当は迷惑かけてるとも知らず、『良い事してるなあ』ってな感じで満足してらっしゃるんでしょ〜ね」

N「この偽善者」

l「いや…そう言われても何の話だか…」

K「グループ名が『KlTTUN』になってから名前が言い辛くてしょうがねーんだよ!」


この物語はフィクションです。
実在の人物・団体とは一切関係ありません。




06/10/16(月) 第543回 過疎化で廃線

そういう訳で当面の難敵であった資格試験を昨日やっつけた。結果が出るまで一ヶ月かそこら。長えな。自己採点してみたら必ずしも余裕だった訳じゃないからこの分だとこの先一ヶ月はすっきりしない生活が続いてしまうではないか。それでなくたって、当該試験はマークシート方式によるものだったのだが普段はすこぶる慎重派なのにも拘らず何かの願書とか履歴書とかを書く様な「ここぞ」という場面で重大なミスをしでかしがちな私がまたもや、マークミスとかマーク位置ずれとか受験番号記入し忘れとかいう正に取り返しの付こう筈もない失敗をやらかしちゃってたんじゃないのかという事が不安で不安で仕方ないと言うのにだ。

さて、昨日は日曜日。世間的には勿論本来なら私にとっても休日であったという事で出かけるのすら億劫であった極度の出不精であるが、一つだけ休日ならではの良い事もあった。朝のいわゆる通勤ラッシュに巻き込まれずに済んだのだ。
無論、私の言う所の「通勤ラッシュ」が、その「本場」からすればラッシュと言うにもおこがましい程平和で平穏なものである事は否定しない。過去に一度だけ、雪の影響で大幅にバスが遅れた時に、通常なら二便に分散して乗る人々が一台のバスに集約してしまったせいでとんでもなく人口密度の高い状態になっちゃって、まともに身動きも取れない中「ああ、満員電車っつーのはこういう感じの事を言うんだなあ」なんて事を感じた経験はあるが、確かに電車内にてそれ程の環境に置かれた事なんてのはない。
だけれども、人ごみそのものがあまり好きでない私にとってはサラリーマンと学生とが行き交うあの程度の喧騒さですら時にはうっとうしかったりするのだ。だからこそ、あのガラガラ感は爽快だったんだねえ。

ただ、早朝だった事も手伝って人がとにかく少なかったのはいいのだが、行きの電車内で私が乗った車両に、始終私の姿だけしかなかったってのはどういう事か。
あれだけ顕著に少なかったのはあの時間帯だけだってのは分かるけれども、あまりの採算の取れてなさ具合にちょっと本気で先々を心配してしまったじゃないか。



06/10/17(火) 第544回 貨物扱い

昨夜、例の奴とのリターンマッチが開催された。が、私が相手の存在を認識したのが既に一旦寝た後の事。哀れ私の身体はまたもや耐え難い痒みと鈍い痛みによって苦しめられる事となったのであった。例によって同じ奴かどうか知らんけど、一体この前のと合わせて何ヶ所刺されたんだろう。

そんな事はさておき、今日は昨日の話の流れを汲んで電車関係の話。
一言にJRと言ったって地域によって状況は様々であろうけれども、こと田舎のそれとなるとどうしても諸々の管理体制に穴が生じる事を完全には防げ得ない様である。一つに、改札業務が人の手によって行われているというそれだけで、どうしてもモラルない人々の「タダ乗り」が発生する可能性は消し切る事は出来ないのではあるまいか。
私がいつも利用する鳥取の鳥取駅なんてのは県庁所在地駅でありながら自動改札が導入される気配も何もないのであるが、そこは言っても県庁所在地。特に朝方七時八時程の時間帯には少なくない人間でごった返す訳であって、その人波が次々に差し出す乗車券特急券を二人程の駅員さんが捌いていく様はある種圧巻である。けれども、それは随分前に指摘した事のある通り一つ一つの切符をしっかりと確認してる訳じゃないから本気でやろうと思うなら不正乗車だって出来なくはないのだ。
今日の話である。今日も今日とて私は特急電車に乗って鳥取方面へと向かっていた。しかし今日はいつもとは一つだけ状況が違っていた。時間的余裕のなさから、特急乗車前に特急券を購入出来なかったのだ。とは言え、勿論特急券は電車内でも車掌さんに言えば普通に買える。そうした事も何度だってある。当然今日も、車掌さんが切符を拝見しにきた所で「鳥取までの特急券を」と言って事無きを得る筈であった。だのに、気付いたら私は鳥取に着いていた。いや、でもそれはまあ寝ていたからであっておかしな事でも何でもない。でも、私の手には特急券がない。しばし私は困惑した。
考えられる可能性は二つであった。一つは、普段なら切符拝見時に眠りこけていれば起こしてくる車掌さんが、何かの手違いで「この人の切符は確認済みだ」となってわざわざ起こされなかったケース。もう一つは、起こされた事は起こされたが頑として私が起きず、終いには車掌さんが折れてしまったケース。そのどちらが起こったのか私には分からない。何しろ私は一度だって起きる事なく、例の奴のせいで幾分か阻害された睡眠時間を必至に貪っていたのだから。
で、ここからが問題なのであるが、事実として私は特急券もなしに特急電車に乗り、更に降りてしまった訳である。それに加えて、前述の切符捌きの駅員である。これは、どうだ、それとなくしれっと定期券だけ提示して通って行ったら改札を抜けてしまえるのではないのか? そんな事を考えたのである。100km幾許の移動にかかる1000余円の支出を本気で拒むのなら、あの後快速か普通電車が鳥取に着くのを待って、それら後続の人々に紛れて行けば100%不正はバレなかったのではなかろうか。

実際には、そんな大それた事やれる様な度量もないし自分では最低限のモラルを持っている人間のつもりであるので、精算所へ駆け込んで「特急券買えなかったんですけど」というあり得ないセリフを吐く羽目となった。
上のリンク先ではバスの定期券を誤って提示したまま改札を通過しようとしたら止められたエピソードも書いてあったけれど、それからしばらく後にバス定期券を見せつつ完全通過出来てしまった事もあったし、ある程度客との信頼関係が前提となっている仕組みもそれはそれでいけなくはないけれども、無人駅じゃあるまい、しかもそこは鳥取県の玄関口じゃないか。もうちょっと何とかしなきゃならんのじゃないか? 改札業務は百歩譲ってある程度仕方ないにしても、車掌業務の方は何とかするべきだと思うぞ。考え様によっちゃあ寝てる私を公的に鳥取まで運んじゃったって事だろう。
寝不足気味だった私の気分を知ってか知らずか起こさないでいてくれたその気持ちだけは受け取っておこう。でももう二度と同じ徹を踏むなよ。いいな。



06/10/18(水) 第545回 少年はその扉を開けて大人になる

いやー、しかし毎日毎日さあ、よくもやってくれるもんだよ。

とかいう文章を書く時に、最近ふっと手が止まったりする事がある。
具体的には、

いやー、しかし毎日毎日

ここまで書いた所で、ふと頭にあのフレーズがよぎってしまうのだ。
あのフレーズ。

僕らは鉄板の

そう、あのフレーズ。
いつだったか書いた事であるが、文章を書くのは遅い方だ。「雑文」を書いていても「妄想」を書いていても「歪曲」を書いていてもその途中でタイプする手は頻繁に止まる。そしてその度に頭の中には次の言葉をどういった感じにするかといった事で一杯になる。
だがある時ある瞬間に、その直前の文章ともその直後に続ける予定の文章とも一切関わってこない、往年の名曲の一フレーズがあまりに自然に浮かんできてしまうという意味とは? それを考えた時、私の頭に一つの言葉が浮かんでしまうのだった。

オヤジ化

いや! いやいやいや! そうじゃない! 確かに「毎日毎日」から「僕らは鉄板の」に繋げてしまいたくなる症状ってのは限りなく一般に「オヤジギャグ」と言われる類のものに近いかもしれない。でもだ、私はそういった不名誉な言葉を連想してしまいはしたけれども、決して

いやー、しかし毎日毎日、僕らは鉄板の、じゃなくて毎日毎日よくも

とかいうサムいフレーズを口にしたり文字にしたりしたことはないぞ。この「実際に言葉として具現化させてしまう」という最後の砦だけは守っているぞ。だから私はオヤジじゃない。誰が何と言ったってまだオヤジじゃない。違うってば。



06/10/19(木) 第546回 大人はその扉を開けて何になる

いやー、しかし毎日毎日、君に手紙を書いているんだけど、何故か出せないままでいる。何かと世の中、回るのが早くて、昨日書いたものが、今朝にはもうしらけて映るんだ。急いで君に伝えたい事がある訳じゃないし、君が元気なのを僕は知っている。ただ、こうして便箋にペンを泳がせ、行間でお茶を入れては、日々の生活の隙間を埋めている。生きているから時間が過ぎて行くのか、時間を潰すために生きているのか、時々それが判らなくなる。たまぁに、人の顔が動物に見える時はないかい?

ねーよ。


という、昨日のネタに被せてみようとした挙句にみすぼらしい突っ込みまで入れてみたはいいが、もう10年は前の曲、どれだけの人が元ネタを知っているんだろうね。
というか、これは最早オヤジギャグですらないな。



06/10/20(金) 第547回 大人の世界の大人の事情

ピンポーン

kemkam(以下k)「はいはいはい」

ガチャ

k「どちらさんでし…」

?「あ、どうも、こんにちは」

k「こ、こんにちは」

?「お忙しい所すみません、こちら、kemkamさんのお宅でしょうか?」

k「はあ…そうですが」

?「お時間の方、大丈夫でしょうか?」

k「ええ…大丈夫ですが」

?「えーとですね、わたくし、JASRACの山内(仮名)という者です」

k「ジャスラックの山内さん…ですか」

JASRAC山内(以下J)「はい」

k「で、そのジャスラックさんが、今日は何でまたウチに」

J「ええ、本日はお宅に著作権料の徴収に参りました」

k「は?」

J「いえいえ、ですから、著作権料の徴収に」

k「いやいやいや」

J「いやいやいや」

k「いやいやいや、じゃなくって、何で」

J「何でって、ご存知ない?」

k「『ご存じない』も何も、何が何だか」

J「そうですか…ではご説明させて戴きますが…kemkamさん、貴方、ご自分のホームページをお持ちでいらっしゃる?」

k「ええ、まあ、一応」

J「割と頻繁に更新なされる方で?」

k「まあ、そういう事になると思います」

J「ちなみに…どういったホームページを?」

k「いやまあそんな、下らない趣味のサイトですよ」

J「毎日更新となると、やはり日記を? あ、日記中心のホームページ? ブログとか」

k「いや日記中心って訳じゃないんですけど……」

J「いやね、最近若い子なんか何かにつけてブログだブログだと言うでしょう? 最初は『なーにがブログだよ』とか思ってたんですけどね、最近私も挑戦しようかなんて事を思っちゃったりしましてね、この前ヤッホーブログとかいう所でブログを開設してみようと思い立ったんですよ。知ってます? ヤッホーブログ。ウチの息子がそこでブログやってるんですけどもねえ、傍から見てると何とも楽しそうなんですよねえ。ですから私も、という事だったんですけど、いざ作ろうとしてみると中々そうもいかない。何でだか分かります? だって貴方、ブログするにはまずブログのタイトル決めなきゃならないって言うじゃないですか。これから何を立派な事書いていく訳でもないのに、いっちょまえにタイトルですよ。ハッハッハッ。おかしいですよねえ。ハッハッハッ」

k「………」

J「でね、ブログするのにタイトル付けるなんて事知りませんでしたから、迷った訳ですよ。私もねえ、優柔不断な性格でねえ。こういう仕事してますとね、時には非情にスパッと割り切った、『竹を割った様な性格』って言うんですか? ああいった風になるのが求められるんでしょうが、人間中々変われるもんじゃないですよ。ねえ、この性格が祟って、これまで何人の方から門前払いに遭った事か。一時は本気で自己啓発セミナーとかああいう所に行こうかとか、精神的にも参ってしまって病院に行こうかと悩んだ事もありましたもんですよ。あ、いや、別にこんな所で愚痴ろうって訳じゃないんですが……えーと、何の話でしたっけ……? ああそうそう、ブログですよね。私もブログするのにタイトルを付けるもんだって事なんて知りもしませんでしたから、迷いに迷った訳ですよ。折角付けるなら格好良い名前の方が良いに決まってるじゃないですか。だから息子にも相談しましてね、やっとこさ決まった名前が『山内誠司 47歳の日常』に決まったんです。やっぱりシンプルが一番ですよね。覚えやすい。それに初めて見てくれる人にもすぐに私の人となりが分かってもらえる。ナイスアイディアでしょう? 息子のアイディアなんです。あの子はいつだって人様の一歩先を……って、あれ? 何だか妙に釈然としない顔をしてらっしゃる。あっ、すいません、そうですよね、おかしいと思われるのも無理はないと思います。とても47歳には見えないでしょう? 私。よく言われるんですよねえ。歳を言うと皆が皆驚いて、口々に『山内さんって30代かと思ってました』とかって言うんですよ。30代は言い過ぎですよねえ。ま、私もそれを聞いて悪い気はしてないんですけどね。ハッハッハッハッハッ。笑う所ですよ。ハッハッハッハッハッ」

k「……………」

J「おかしい、いやおかしい。アーッハッハッハッハッハッ」

k「ハハ……」

J「ハッハッハッ……ハア…ハア…ああー、こんなに笑ったのは久し振りだといった所で本題ですが、貴方昨日更新の日記に1995年発売、THE BOOMの『手紙』という曲の歌詞を載せましたね?」

k「!!!」

J「我々の目はごまかせません。kemkamさん、貴方を著作権法の疑いで逮捕します。刑事さん!」

ドドドドド…

k「な なにをする きさまらー!」

ガチャリ…

J「kemkamさん…私は貴方に最後のチャンスを与えた。貴方は知っていたんでしょう? 昨日の記事が著作権法に抵触するという事実を…貴方が最初からそれを正直に言っていてくれれば、私としてもこんな力任せの行為になんか出ずに、規定の著作権料だけ戴いて帰るつもりだったんです」

k「う、う、う……」

J「まだ権利の失効していない曲の歌詞を無断でサイト内に掲載したという貴方の行いは犯罪です。紛れもない犯罪です。ですが、罪は償えます。罪は償わなければならないものですが、これは裏を返せば、罪は償う事が出来るものである、という事なんです。這い上がって来て下さい。失った信頼を再び勝ち取って下さい。厳しい道のりです。試練と言ってもいい。これから先、貴方を待っているのは、貴方がこれまでの人生で経験してきたどんな苦難よりも辛いものでしょう。でも、これだけは忘れないで下さい。この世の誰もが貴方を見捨てようとも、私は、待っています」

刑事「さあ、行くぞ」

ガチャ…バタン
ファンファンファンファン…




あー、大人の世界って怖えー。



06/10/21(土) 第548回 あるべき大人の正しい姿

JASRACと言われても、普段あまり音楽に親しみのない私からすれば「著作者に無断でアップロードしているMIDIファイル等に対しその使用量を徴収する事を多くの人から非難されている団体」位の認識しかないのであるが、実を言えば当該団体が音楽利用に際しての課金制度を始めたのが確か2001年4月の事だったらしいけどもその頃の私はインターネットの世界なんてない世界に生きていたものであるから、当時のMIDIサイト運営者に走った衝撃とかいう事をよくは知らないのだ。
だから憶測でしか語る事が出来ないのであるが、どうだろう、この制度が適用されて以降、ウェブ上からMIDIサイトは消えてなくなったかと言えば、全然そんな事はなかった。ウェブ上から法に抵触するMIDIファイルが粗方削除されたのかと言えば、そんな事も全然なかった。今もって、MIDIサイトは五万と存在しているし、MIDIファイルだってまだまだ数多くアップロードされ続けているという現実がある。
では、世の中の普くMIDIサイトはすべからくJASRACに楽曲利用許可申請をしているのかという話になれば、「当然」という言葉でもって修飾するに足る位、見事にそういう訳ではない。ここで、私は別に「そういうルールになってんだからちゃんと利用申請しろよな」とかいう事が言いたいのだとは思わない様に。仮にそうだとしたら、一昨日のネタにJASRAC管理曲の歌詞なんて引用という形ですら持って来ようなんて思わないだろう。

そうでなくて、純粋に「何でまだ普通にMIDIサイトが存在しているんだろう」と疑問に思ったのだ。ある人はこう言う。「JASRACが徴収した著作権料が定められた分だけきちんと権利者に分配されているのかとか、大体に組織そのものの実態が不透明だ。作曲家や作詞家の権利を守り、もって文化の発展に寄与するという名目において規制、課金しているにも拘らず、高額(しかもその料金設定に明確な根拠が感じられない)の料金を定めて既存楽曲の二次使用可能性を大幅に狭め、結果音楽文化というものをあまりに閉じたものへとさせてしまうその姿勢には断固反対だ。だから、抗議の意味も込めて自分はJASRACなんぞに申請するなんて事はしない」
実際そういう、料金の徴収方法、また料金設定はおろかその計算方法、果てには著作権法に関する理念からして高らかに意義を唱える者が、実際にMIDIファイル等を公開しているのかどうかには関係なくして何とも多い。私としては、そういった人達がいるというのは別にいいんじゃないかと思っている。私自身もJASRACに対して「んん?」と思う事は少なからずあるし。
ただまあ、そういった意思もなくして、ただ何となく楽しいからMIDIを作り、自サイト内にて公開している者もやはり随分いるのではあるまいか。私が警鐘を鳴らしたいのはそういう方達についてだ。
人間とは罪な生き物で、多くの人は(法的に)悪い事だとは分かっていたって「バレないだろう」或いは「捕まらないだろう」と確信出来る事については割かしやってしまったりするものだ。私で言えば一昨日の「手紙」が良い例である。ただ、JASRACさんは自身の行いに絶対の信念をお持ちであるから、貴方が勝手に引いたその一線をある日いとも簡単にまたいで来ないとも限らないのだ。三ヶ月前、JASRACが元飲食店経営の社長に対し、同店内で生演奏していた曲が無断であったとして1600万円の支払いを求める訴えを起こし逮捕に至った事件は私にはまだ記憶に新しい。

奴さんは本気だ。奴さんの「著作者を守るんだ」という並々ならぬ思いには、どうしたって頭が上がらない。貴方だってそうだろう。だからこそ、音楽に関連した著作権法にちょっとでも触れている方々は何卒ご注意を。


つーか、上手い事自分の口からははっきりとした非難を述べないまま締めた様だけど、こんな事書いててJASRACさんに目を付けられたらどうすんの。
一旦奴さんの目に止まったらもう逃げられんぞ。折角あのネタでは、一応一部の平仮名部を漢字にしたり、漢字を平仮名にしておいたりしたのに。



06/10/22(日) 第549回 ズバリ最後かもしれないわよ

昨日のJASRACの話ではないが、テレビを見ている時、それとは全く関係のない番組やCMであるにも拘らず、何処かで聴いた事がある様な曲が流れているなんて事がよくある。例えば、FFやら何やらのゲーム音楽がゲームとは一切関係ない番組内で流されていたりする事があるのだ。
最近だと、某夕方のニュース系番組でMGS3の曲を(北朝鮮関係の話題でよく聴く様だがやはり分かって使っているという事だろうか)、某パチンコ店のCMでFF8のボス戦を、某ローカル番組でクロノクロスの曲を耳にする。また、一昔前の某TBS有名占い師番組ではこれでもかという位FF10の曲が流れていた事は今もよく覚えている。
こういった場面に出くわすといつも思うのだ。曲が映像及びナレーションに全然合ってないな、と。曲の使い所とか、その曲の持ち味とかを全然活かしきれてないよな、と。何でパチンコ店にボス戦よ。いや、普段パチンコをよくよく嗜んでいる方からすれば「あれは紛れもない勝負だ、戦いだ」と仰るかもしれないが、いやいや、でも合ってないって。或いは安易。
それにもっと酷かったのは、もう番組名も出しちゃうけど「ズバリ言うわよ!」だよ。今でこそFF10の曲なんて微塵も聴かないけど、当時は何でもかんでもFF10みたいな所があったからね。私が当該番組を見ていたのはたまたまチャンネル合わせたらたまたまやけに耳馴染みのある曲が流れていたからというだけであって毎週欠かさず観ていたんじゃないから詳しいコーナー内容とかは知らないけれども、何かミニゲーム的な事をやってそれに成功したら「勝利のファンファーレ」とかを流されてもみなさいよ。原曲とそれの流れるシーンとを知っている人間からしたら不釣合いもいい所だもの。ゴルフのパターを入れて「勝利のファンファーレ」なんてそんなもん安易安易。ちょっとシリアスな場面で「ザナルカンドにて」を流した所で、曲が映像に勝ち過ぎちゃってるもの。それから場面は完全に忘れたにせよ「発進」だったか「襲撃」だったかも使われてた気がするけど、あれは曲の使い方とかそういうんじゃなくて、単に曲がうるさくて不釣合いだったからそもそもの選曲ミスだな。

FF10についてはかなり極端な例であるにしても、思い入れのあるゲームってのは必然その曲も思い入れがある場合も多い訳だから、そういった曲が使われた時に違和感を感じるのはもうしょうがない事なんだろうかね。
ただ、それとは別にやっぱり気になってしまうのは、ああいった曲はきちんと著作権法関係の問題をクリアして放送網に乗っているのか、という点。前に何処かのサイトで呼んだ話によればJASRAC管理曲については、年単位で相応の額をJASRACに支払っているらしいので問題なしという事なのであるが、JASRAC管理曲でない楽曲についてはどうなのだろう。FF10の「勝利のファンファーレ」とかはJASRAC管理ではなかったと思うし、MGS3の曲も全部が全部JASRAC管理だった訳ではないと思うけれど。

上の二件の権利関係がどうであるかは知らないが実際、JASRAC管理ではない曲が、本来の著作者に対し許可が取られる事もなく放送されるケースは多いのだそう。
いやさ、そういう事になっちゃってる全ての原因がJASRACにあるとは流石に言わないけどさ、でもその殆どの原因はJASRACにあると思うぞ。そうでなくたってJASRAC管理曲のテレビ放送時使用に対して曲毎の個別使用料を計算する訳でないっていう点に著作者自身から不満が噴出する事もあると言うし、仮にも「著作者の権利を守る」とかいう名目で活動してるんだったら、もうちょっと諸々の事を見直すべきかと思うけどなあ。

期せずして三日も連続でJASRAC関連の話になってしまった。そろそろ止めとくか。
つーか、一昨日のネタを書き始めた時はこの今日までの三日間分を一日のネタとして書くつもりだったんだよなあ。何でこんなに肥大しちゃったかね。



06/10/23(月) 第550回 会心の一撃がかわされたみたいな

こうして日々ネタとして成立しているものからしていないものまで織り交ぜつつ毎日日記を書いていると、どうしたって書く事に困らない訳にはいかないんだから必然「これは」というネタを思い付いた時には嬉しさを隠せなくなってしまうというものだ。特に、世の普くサイト経営者共通の悩みである「エイプリルフール」ネタに適した案が浮かんだ時なんてのは格別なものである。
私もこの間、再来年のエイプリルフールに使えそうなネタを思い付いて一人嬉々としていた。まだ一年半も先の話だと言うのに、早い所披露出来ないかとその日が待ち遠しくもなったものだ。
だが後日、私をとてつもない衝撃が襲う。折角浮かんだそのネタを綺麗さっぱり忘却してしまったのだ。一旦構築されたものが音を立てて崩れ去った時のショックというものが、一般にはそれまでに感じていた達成感や愉悦感に比例して大きくなる事なんてのは容易に想像される。思い出そうにも思い出せない。一年半後に晴れて日の目を見て幾許かの人を騙す事が出来た筈の嘘は、自身のちょっとした油断によって水泡に帰したのだ。

「再来年の」という事だが来年のネタが既にして決まっている訳ではないので、多分2008年って事に掛かったネタだったとは思うんだけど…うーん、何だったっけか。


過去ログ54へ  過去ログ56へ  最新の雑文へ戻る  過去ログ一覧へ  トップページへ

ラシックス