07/10/21(日) 第881回 争わば、死
FF6の崩壊後の世界にはアースプロテクタというモンスターが登場する。HP1という貧弱に過ぎる体力に加えどうも周囲の環境と体質とが合わないのか、出会った傍から地形効果によるダメージで次々と倒れていくどうしようもない奴である。
ある時私はこのアースプロテクタというモンスターについて、とある疑問を持った。今も世界の何処かで1の地形ダメージを喰らって死んでいっているのであろうアースプロテクタであるが、そうして放っといても個体数を減らし続ける中で、どうして彼等は絶滅してしまわないのだろうか。
一度に生む子の数がマンボウの産む卵並に多くて繁殖のスピードが固体減少のスピードを大きく上回っているのか、とは思ったのだが、バトルを通して見る限り彼等の寿命は明らかに1ターンに満たない。当然、親が親なら子も子で崩壊後の自然環境にはそぐわない体質をしているのだろうから、それからすれば仮に1体の親アースプロテクタから3億体の子アースプロテクタが生まれたとしたって、数秒としない内に子供達は死滅してしまう筈なのだ。そして後に残るのは1体につき1乃至2の値が積もりに積もった3〜6億の経験値のみ。悲劇の死を嘆く母は、我が子が残してくれた経験値を糧に涙を拭って強く生きていくのかと思いきやその母もまた死去。やはりどう考えても、彼等が、少なくとも少し歩き回っていれば簡単に出会える程に繁栄出来たとは思えないのだった。
しかし、ここで私は一つの事実に気付く。アースプロテクタがひとりでに息絶えてしまうのは地形ダメージによるものだったが、地形ダメージはバトル時にのみ喰らうものなのではないかという事を。我々で言う所のスリップ状態がバトル終了と共に解除されて通常の状態に戻る様に、アースプロテクタも普段は(最大HPこそ1ながら)ごく普通の暮らしを送っているのではないか、そう思ったのだ。
だとするなら、彼等が絶滅の危機に陥らないのも不思議ではない。だがしかし、同時にこうも思った。彼等は確かに普通に生活出来ている様だが、返して言えば彼等は、ひとたび何者かと戦う事になった瞬間、死ぬ運命にあるのだ。
これはかなりの恐怖ではないか。自身が望むか望まざるかに拘らず、戦いに巻き込まれようものなら、死ぬのだ。大抵の相手を前にどうあっても勝つ術のない彼等が己から戦いを仕掛けるなどという事はあり得ないだろうから、普段、不意に天敵と遭遇しない様、常に周囲への警戒を怠る事の出来ない実情が浮かび上がる様だ。いつもは何処ぞの穴ぐらか何かで静かに隠れているのだろう。だが、ただただ隠れ続けてもいられない。彼等も生き物である以上、何かしら栄養を摂取しなければ戦わなくとも死が訪れてしまうからだ。餌を得る為、どうしても定期的に外界へと繰り出さなければならない。勢い危険は増すだろう。どうか、誰も俺の前に姿を現さないでくれ。しかし、そんな願いも虚しく彼は、この荒廃した世界を闊歩する物好きな冒険者と出くわしてしまうのであった。
しまった――
全てが、遅かった。彼の頭の中に、これまでの人生の思い出が走馬灯の様に駆け巡る。親父からは何度も言い聞かされてきた。揉め事には関わるな。不穏な空気を察知したらすぐにその場から消えろ。逃げるが勝ちだ。さもなければ、死ぬ。逃げるんだ。とにかく、逃げろ。弱虫だって言われてもいい。死んでしまってはどうしようもない。全ての争いから逃げて、逃げて、逃げ続けろ。そして生きるんだ。
親父は毎日、自分達家族の為に外で餌を取って来てくれた。夜、「ただいま」と帰って来るのを毎日楽しみにしていたものだ。しかしある日、親父は帰って来なかった。次の日も、その次の日も、親父は自分達の下へ帰っては来なかった。お袋はただ、「お父さんはもう帰って来ない」と――
しばらくして、何処ぞの冒険者が、俺達の持っているラストエリクサーを狙って、集中的に狩りの対象にしているという噂を聞いた。どうやら親父も、運悪くその冒険者と出くわしてしまった様だった。それもそうだ。戦いに巻き込まれたら死は免れないとは言うが、俺達アースプロテクタも立派なモンスターなのであって、そんな俺達の天敵なんて風変わりな人間を除いて他にそういるもんじゃない。俺はそいつらを憎んだね。憎んだとも。何度この手にかけてやろうと思った事か、そしてその度に、そうは出来ない現実に涙した事か知れない。
今、目の前にいるのが親父を殺した冒険者なのだろうか。俺には分からない。でも、もしそうでなかったとしても、たかがラストエリクサー如きで俺達の平穏な生活を奪った人間共に一撃だけでも喰らわせてやれるかと思うと、俺は本
今日も、アースプロテクタは何も出来ぬまま死ぬ。
しかし今日出会ったアースプロテクタは、何処か満足気な表情を浮かべていた様に見えた。
え? 資格試験の手応え? 聞くなよ。
07/10/22(月) 第882回 輝かしい歌い手人生への道
三日前に、カラオケに行ったというだけの話を1,200足らずもの字句でもって話してしまった私であるが、歌と言うと思い出すのである。小学校時分、合唱部に所属していた事を。
元々、歌う事が好きでもなく嫌いでもなかった私は当時、まさか自分がそんな部に入るだなんて思ってもいなかった。その前にそもそも、合唱部の存在すら入部当日まで知らなかった。その部は、正規の部でないと言うと随分な語弊が生じそうだが、しかし年度初めに選択する部活動一覧の中には確かに存在せず、基本的に複数の部の掛け持ちが許されていなかった中で合唱部+他の部という形態だけは許可されており、それが証拠に学年の殆どの女子が参加していたという、一風変わった扱いの活動であった。
そんな部に何故私が関わる事になったのか。話は入部数時間前の音楽の時間に遡る。その日の授業の内容はクラスの一人ひとりがとある課題曲を、先生のピアノ演奏に合わせて独唱するというものであった。目立ちたがりでない私の苦手とする授業である。どの様な順で歌っていったかは覚えていないが、その内に自分の番が来て、前へ出て、まあそつなく歌った。すると先生が言ったのであった。「ちょっと音階を上げてみるから、もう一度歌ってみて」 全く不可解な申し出であったが、前述の通り頼まれると断る事の出来ない私は先生に押し切られるがまま、いわゆるキーの一つ上がった状態の課題曲を歌った。記憶の限りではその後同様の措置が取られた生徒はおらず、私だけが二度歌わされたという若干の不満をもって授業は滞りなく終わったのであった。
その意味が明らかになったのはその日の放課後の事である。当時、人生において最も「一日の中でテレビゲームに費やす時間」の多かったであろう私はその日だってゲームをする気満々でいた事と思うが、そういった訳で気分も晴れやかだった所を突然先生に呼び止められて言われたのである。「合唱部に入ってみる気はない?」と。
それはあまりに突拍子もないお誘いであった。何しろ私は合唱部の存在すら知らなかったのだ。戸惑う私に先生は合唱部の何たるかと自分の他に二名の男子が参加している旨を説明してくれたが、そんな情報とは関係なく頼まれると断れないタチの私は半ば流される形で入部を決意する。それどころか、「(放課後の練習に参加しては帰りが遅れるから)ひとまず今日は帰るか」と聞かれたにも拘らず、その問いに関してだけは完全に自分の意思で「今日の練習から参加する」旨先生に告げた。何という行動力。何という決断力。今の私にそれがあればどんなにかしっかりした大人になっていたであろう。
かくして、秋のコンクールに向けた練習の日々は始まった。
要するに事実上のスカウトだった訳だが、相手はあくまで小学生。生徒間でそれほどの歌唱力差があったとは思えず、今もって何故あんな事になったのか解せずにいる自分がいる。
あの時私はどんな歌声を先生に届けていたのだろうか。今はもう、その課題曲すら覚えていない。
07/10/23(火) 第883回 全てを捨て我が道を行く男
そういう訳でそれまで普通の部活動すら参加するのを億劫に思っていた向きのある私は週三程度の合唱部放課後練習に参加する運びとなった。
事前に聞いていた通り大勢の女子に対して男子は自分を入れて僅かに三名というバランス崩壊も甚だしい構成。正直片身は狭い。後の二人は、どちらも顔見知りだったが、これまでよくやってこれたもんだなと思った。結局は慣れの問題だから、すぐどうという事はなくなったのだけれど。
練習の内容についての事は殆ど記憶にない。最初に発声練習をして後は課題曲を延々と歌うという、音楽の授業以上につまらないものだったからなのだろうか。しかし相当量歌い上げた筈だってのに、今となってはコンクールで何を歌ったのかもはっきり覚えちゃいないというのは相当なものの様な気がする。嫌な思い出という訳では、全然ないんだがなあ。
嫌な思い出ではないとは言いつつも、嫌な思い出も勿論ある。事もあろうに、夏休み中も学校に出て練習しなくてはならなかったのだ。夏休み。それは世のゲーム少年にとって一年に一度やってくる掛け替えのないお祭り。ファミコンの登場以後、果たしてどれだけの子供が宿題も忘れてテレビの前に居座り続けそして身を滅ぼしたであろうか。一年で最も輝く一ヶ月。ともすれば、生涯で最も輝く一ヶ月。それを不意にしろとのお達しは、私にとっての死の宣告であった。仮に当時、今の様な長距離通学生活を送っていたのならば或いは、全休とまではいかなくとも半休くらいは出来たのかもしれないが、しかし我が実家から小学校までは小学生の足で歩いても徒歩10分あれば十分な距離にあった。少年kemkam万事休す。その年の夏休みが少し寂しいものになったのは言うまでもない…かと思いきや、やっぱりそれもよくは覚えていない。
夏休みが終わり二学期が始まると、いよいよ10月だかに迫ったコンクールに向けて練習にも熱が入ってくる様になった。私が入部した頃と比べ、明らかに和やかムードのなくなった風景。時に厳しい声を上げる先生。いやが上にもプレッシャーを感じざるを得ない生徒。そうして合唱部全体が徐々に余裕をなくしていく中、遂に事件は起こった。
それはある日の放課後、体育館で練習を行っていた時の事だった。音楽室でなく、わざわざ体育館で練習していたという事は、いよいよ本番がすぐそこに迫っていたのだろう。だと言うのに、歌っている生徒の中に、お世辞にも真面目に取り組んでいるとは言えない生徒が一人いた。たった三人しかいない男子合唱部員の内の一人であった。その男子は、大体に普段から真面目な態度であるとは言い難かったのだが、もうじき本番だという状況が遂にはそれまでの鬱憤を爆発させたのであろう。先生は語気も鋭く言い放った。「やる気がないんなら帰りなさい!」
男子は反論もせず、その言葉通り帰って行った。もしこれが漫画か何かだったなら、ここで誰かが「待てよ!」とか言って後を追いかけ、帰ろうとしていた男子を捕まえて「もう一度皆で歌おうぜ!」的な事を言って説得、再び合唱部の練習に戻った彼を全員が温かい目で出迎えるなんていう展開があったのかもしれないが、驚く事に、彼の帰宅を遮ろうとする者は誰一人として現れなかった。そして更に驚く事に、その日無言で体育館を後にした彼がその後合唱部の練習に姿を現す事もなかった。寒さもいよいよ厳しくなろうとしている秋のとある日の、夕方に起きた悲しい事件だ。
私以前に入部し、四ヶ月は下らない練習を一瞬の内にふいにした彼はあの時何を思っていたのだろう。その心中は最早永遠の謎である。
07/10/24(水) 第884回 生涯一度の晴れ舞台
活動も終盤、男子の一人が脱落してからは極めて平穏に事が進み、他にこれといって問題も起こらないままコンクール当日を迎えた。コンクールの事は例によってあまり覚えていない。記憶にある事と言えば、さして緊張感を抱いていなかった事と、自分の立ち位置が客席に向かって左端近辺だった事くらいなものである。出来も覚えていなければ、コンクールの結果も覚えていない。ただコンクールに出てとても嬉しく思った記憶もやはりないから、特別素晴らしい結果を残せたという訳ではないのだと思う。そもそも「コンクール」という認識自体が誤りで、実はただの発表会の拡張版みたいなものに過ぎなかったのかもしれないが。
本番も終わると、以降はぱったりと練習活動もなくなってこれにより私の人生唯一の歌による表舞台での活躍劇は幕を閉じた。
今思えば、色々と不可解な事の多い思い出である。全ての切っ掛けとなったスカウト行為の怪、本番直前での男子脱落の怪は勿論そうだが、この私がそれなりのやる気でもって練習に臨んでいたのも奇怪と言えば奇怪だ。しかし何よりの謎は、部を担当していた先生(私の担任でもあった)がどういった方針の基に部員を構成したのかという事である。何故男子を二、三人ぽっち入れようと思われたのだろう。あれだけ大多数の女子の中にほんの少し男子の歌声を取り入れてみたって全体に及ぼす影響なんてのは大概の人には伝わりようのないくらいに僅かなものだったであろうに。普通はもうちょっとバランスと取るものじゃないのかなあ。
そんなこんなで、まだ私が、この先の成長へ向けて大いなる可能性を秘めていた頃のちょっとした思い出話もここらで終わりである。最後に、コンクールに出場した翌年度の話をして締めよう。
合唱コンクールからおよそ半年が経ち、学年も新たにスタートを切った私は、間もなく合唱部に所属していたもう一人の男子と共に、前年度から持ち上がりとなった担任兼合唱部顧問の先生の下へ出向いてこう言った。「僕達、合唱部を辞めたいんですけど」 すると先生はこう返した。「どうして? そんな事言わないで今年もやらない? 実は一年下の子達にも話をしてて、『上級生も男子が二人参加してる』って紹介してるんだけど」
これが、私の合唱部に関する最後の記憶である。その後どの様な展開があったのか、何とそれも覚えてないのであった。
コンクールに二度出場した覚えはないから恐らくあれっきりで退部の運びになったのだとは思うが、だとすると、今にしてみれば、悪い事をしたかなあと思うのだ。あの数ヶ月間にわたった練習に嫌々参加していたのだろうかと思わせてしまったかもしれない事を考えると、少しいたたまれなくなる。
07/10/25(木) 第885回 現代社会はそろそろ白飯を神格化すべき
最近ますます食事に喜びを感じる様になってきた。食事を楽しみに一日の苦難を乗り切るなんて事は日常茶飯事である。同時に励みになるものが食事しかない事も日常茶飯事であり、趣味の少ない人生を歩んできたこれまでの自分を今更ながらに悔やむ思いでもある。
それはともかく、飯が美味い。何が美味いって、白飯が美味い。私は今ほど自分が米文化の国に生まれた事に感謝した事はない。世の中にブームというものが存在する様に個人の中にもいわゆるマイブームなるものが存在するが、それで言えば白飯が今の私のマイブームだと言える。と言っても食事は白飯だけで成り立つ訳じゃなくそこには当然おかずもあって、おかず一つとっても魚だ肉だ野菜だと多種多様にわたるけれども、今の私にはそれらおかずが全て白飯の引き立て役である様にしか思えないのだ。どんなおかずも白飯の美味さを引き出す要素の一つでしかない。言ってみればおかずとは白飯を支える縁の下の力持ち。白飯なきおかずはおかずに非ず。米料理なき定食は料理に非ず。全てのおかずは「如何に白飯を美味しく食せるか」によってその価値が決まるのである。
昔はラーメンなぞをよく好んで食べていたものであった。外食と言えばラーメン。それが私の規定する「食」というものであった。しかしいつしか、外で何を食べようかと考えるに当たって「ラーメンを食べようか」と思ったりすると何となく物足りなさを感じてしまう様になった。何故か。ラーメンはそれそのものに標準で白飯乃至米料理が付属していないからだ。炒飯を付けるという手はあるが、歳のせいかそれは近頃じゃ少々重い。ならば単なるライスを付けるという手もあるが、これは個人的な好みの問題で、ラーメンにライスは私の口には合わないのだ。餃子か何かを間に挟めばその限りではないが、結局それでは重い。そう考えていくと、ラーメンを食べるにはラーメン単品を食べる必要に迫られるのであって、故に物足りなさを禁じ得なくなってしまうのである。人生における貴重な一日の、貴重な一食を米なしに終えなければならないから。
ラーメンが地位を失うと、その代わりに台頭してきたのがカレーである。ここの所何かにつけてカレーカレーと騒いでいたのはこれが理由だったのだ。何しろカレーは、米が食える。それだけで私の評価は鰻上りである。
また、白飯の株が大きく上がった事で、ほぼ自動的に各種定食も存在感を増す事となった。秋刀魚定食だろうが豚カツ定食だろうが生姜焼き定食だろうが麻婆豆腐定食だろうがもう何でもいける。そこには必ずや私の舌とお腹を満たしてくれる白飯が鎮座しておられるからである。
しかし食事を自宅でとらない場合、「もっと白飯が食いたいんだがなあ」との思いに囚われてしまう事が多々ある。しかし定食を頼んでおいて我が物顔で白飯だけおかわりを願うなどよほどの厚顔でもなければ出来ない芸当である。ライスが単独でメニューに載っている場合はそれを注文すればいい事ではあるのだが、大概の場合新たに一杯というのは量的に多いものだから始末が悪い。
さて、そうなってくると勢い評価を上げてくるのがバイキングだ。所定の金額を支払いさえすれば好きなものを好きなだけ食す事が出来るシステム。つまり大好きな白飯を好きなタイミングで好きなだけ食す事が出来るシステム。何という白飯好きのパラダイス。こうした場に足を運ぶ事は滅多とないが、だからこそバイキングは「滅多と味わえない至高の食事形態」として私の中に燦然と輝くのである。
白飯。それは希望。
いや、むしろ、
希望、それは白飯。
07/10/26(金) 第886回 唯一神にも流派あり
私の白飯への情熱はたった一日ばかりで語り尽くせるものではないのだ。よって今日も白飯の話。
昨日は私が如何に白飯の事を愛しているかについて論じたが、こんな私でも白飯なら何でもいいと思っている訳ではない。世の中の全ての物事がピンキリである様に白飯にも好みの白飯とそうでない白飯が存在する。
貴方は、食事に出される白飯に対して何を一番に望むだろうか。銘柄だろうか。それとも炊きたてである事だろうか。はたまたレンジでチンしたものでもいいのでとにかく熱々である事だろうか。私は「食感」である。米の炊き具合に関する事だが、具体的には「固めに炊かれている事」を最も重視する。
私の親は、父、母ともに柔らかめの白飯を好む人であった。よって、家庭内の炊事担当である母は、恐らく私が生まれる前から、何ら迷う事もなく日々米を柔らかめに炊いて食卓に出していた。必然、私は幼少時からそうした白飯を食べていた訳だが、何が影響したか、その食生活は私の中に「柔らかい白飯は食事に欠く事の出来ないものである」との認識を持たせるには至らず(「お袋の味」という概念があるが、そこに定着する事なく)、逆にまるで反面教師であるかの様に私の味覚を形成したのである。つまり、ある時期から柔らかい白飯に対する強烈な飽きと、固い白飯への強烈な欲求が芽生えたのだ。
実際、我が家の白飯はやや異常なほど柔らかいものである様な気がする。湿気などのコンディションによって多少左右されるものなのかもしれないが、ある日などは、多分に水分を含んだ米同士がくっついてしまい、粒としての形状を保っていなかったりする。これでは米の良さと言うか、米の米たる特徴をわざわざ潰しているんじゃないかと思えてならない。また客観的事実として、外で食事をした時に我が家以上に柔らかい炊き方をした白飯に出会った記憶はない(家庭で炊かれた白飯含む)。だがしかし料理を作ってくれるのはいつだって母だから私としては自分の希望ばかりを押し通す訳にもいかず、だけれども柔らかい白飯への不満を正直に語る我が味覚は(悪い事にその傾向は年々顕著になっていった)時には「やった、今日は外での食事だぞ」などという不届きな思いを抱かせたりもした。
私の固めに炊かれた白飯への情熱に関してはこんな話がある。あれは確か、私が中学生の頃の事だった。私の通っていた中学校の昼食は弁当制であり、その日も母は朝も早くから起き出して私の為の弁当を作った。しかし私はその日、風邪だか何かで学校を休む運びとなった。しかし弁当は作られている。その弁当は昼食時、予定通り私が食べるという事になった。そして昼時、朝方よりは幾分気分もましになってきた私が食卓につくと、そこにはおかずのみが敷き詰められ白飯のあった筈の空間が空になっている弁当箱と、茶碗に盛られた温かい白飯とが用意されていた。朝、弁当に詰めた白飯を茶碗に取り出して更にレンジで温めた事を認識した私は開口一番言ったのであった。「何で温めちゃったの」 茶碗に盛られた白飯は、「折角弁当の中で冷えて固くなっていたのに」レンジで暖める事で本来の柔らかさを取り戻してしまったのである。勿論私も冷たい白飯よりは熱々の白飯の方が好きだが、固めの白飯への希求は時に白飯の温度の問題をいとも容易く凌駕するのだ。もっとも今思えばその発言は、「冷たいよりは温かい方がいいだろう」という一般的には至極真っ当な判断でもって白飯をレンジにかけた母親の親心を踏みにじったものであった。だがまだ精神的に幼さの残る中学生時分の私は、そんな思いを微塵とも感じないままにただただ眼前の「固い白飯を食べられるチャンスが潰れた」事実を嘆いたのだ。若さ故の、悲しい過ちである。
白飯。それは希望。
だが我々は、同じ希望であれ固さ次第で見境をなくしてしまう人間もいるのだという事を、忘れてはならない。
07/10/27(土) 第887回 嫌な事から逃げ続けてちゃいけないんだ
こんなにも白飯を愛して止まない私にも、どうしたって箸が進まない飯ものもある。それが寿司である。
寿司が食べられない。それも殆どのネタが食べられない。それと言うのも、生魚全般を苦手としているからである。マグロが駄目だ。イワシが駄目だ。コハダが駄目だ。イカが駄目だ。卵だからってイクラも駄目だ。貝だからってホタテも駄目だ。ウニも駄目だ。トロも駄目だ。ネギトロも駄目だ。食べられるものはと言えばアナゴと玉子とカッパ巻きとしんこ巻きと、後はシーチキンだとかいう異端のネタくらいなもので、食べられるネタの方が圧倒的に少ないのであった。詰まるところ刺身が一切食べられないのだが、これについてこんな事を言われた事がある。「海の近くに住んでるのにそれじゃ勿体ないね」 その人は内陸の出身で、自身そんな風に思った事はなかったのだが、なるほど、確かにそうだなあと思わされた。
さて、そんな寿司嫌いの私であるが、にも拘らず先日寿司を食べた。勿論進んで食べに行った訳ではない。状況上断る事の出来なかった中で目上の人にご馳走してもらいに行ったのである。
寿司嫌い、と言うか刺身嫌いにとって改まった場所での食事とはどうしても及び腰になるものだ。それが和食であるなら必ずや刺身が出されるし、それが寿司であるなら地獄の様相を呈するのは言わずもがなで、しかも子供じゃないのだから好きなものだけ食ってりゃいいという訳でもないからである。こと寿司は、日本文化の中では高級なもの、豪勢なもの、何かの折にちょっと奮発して食べるものという認識がされており、つまりそれは日本人にとっての「ご馳走」であり、故に社会人として生きていく中では寿司を奢ってもらったりする事も何度かあるのではないかと覚悟はしていた。
そしてその時は遂に来たのであった。その日は私と、私以外に二人の顔見知りと、そして目上の人との集まりだったのだが、さて食事でもという空気になった頃から既に何となく嫌な予感がしていた私に構う事なくその人は言ったのであった。「今日は寿司でも食うか」 失礼な言い草にはなるが無論、断れなどしなかった。「日本人なら寿司が好き」という暗黙の了解はその瞬間成り立っていなければならなかった。私もどちらかと言えば空気は読めない方だと自覚しているが、残念な事に、その場でヘラヘラしながら「いや、自分寿司は食べれないんですよー」などとのたまう事がとんでもない展開を招きかねない事は分かったのであった。
して、寿司屋へ。まあ、最悪何とか食べられるものだけ無難に食べていればいいかなと思っていた私の思惑はそこで打ち砕かれる事となる。寿司が、ある程度バランスの整った布陣を組み、いわゆる一つのセット状で目の前に現れたのである。この瞬間、好きなものだけをごまかしごまかし食べ続けて切り抜ける事は出来なくなった。そして、目の前の寿司を一つくらいならまだしも半分以上残して「もう結構です」と言う事がどれだけ店の人とご馳走してもらっている人に対して失礼なのかという事をも、残念な事に理解していた。
という訳で、食べた。寿司は十貫ほどあったが、その内普段の私なら手を付けないネタは七貫ばかりかあった。だがしかし全部食べた。普通ならつい戻しそうになってしまうネタの連続だった筈だが、その日は「食わず嫌い王決定戦」ばりの演技でもって嫌な顔一つ見せずに完食した、筈だ。流石に全て食べ終えたのは最後だったし、やけにお茶の消費が良かった様な気もするが、全てのネタを平らげた私に対しいたずらに疑惑の目が向けられる事はないまま、その寿司の席はつつがなく終わりを迎えたのだった。
満を持して訪れた我が人生最大の難局。これを無事に乗り切れた事は今後の私の強い支えとなるだろう。
だがしかし、今回の成功はもしかしたら白飯の助力があってこそのものだったのかもしれない。
だとすれば、真の敵は寿司から白飯を除いた刺身にこそある。私が刺身と対峙する時、それが本当の戦いの幕開けなのだ。
07/10/28(日) 第888回 ハハハ
ハハハ
ハッハッハッ
ハーッハッハッ
ハッハハー
ハッハッハ
ハハハー
ハハハッ
ハハハ…
ハハ…ハ…
ハーッ、ハーッ、ハーッ
ハア……ハア……ハ………
完
07/10/29(月) 第889回 更新の重みの均一化
まああれだ、今日もまたこういった書き出しをしているという事は、今日もまた特に建設的でもない話をぶつぶつとするのであるが、まああれだ、君達が言いたい事は分かっているつもりだ。つまり、端的に言って、「昨日のあれは一体何なんだ」という事だ。
しかし! しかしだ! 私にだって言い分はあるのだ。ひとまずは、それを聞いてくれ。昨日の事について君達が私を断罪しようとするならそれを止めようとは思わないが、そうするにしたって私の話を耳に入れてからでも遅くはあるまい。
私は思うのである。サイトを毎日更新していると、ある面でとても損をする様になると。例えば、数日か一週間に一度程度の頻度でしか更新しないサイトがあるとする。そのサイトは正確に何日置きとか、決まった曜日に更新を行うという訳ではない。つまり基本的には不定期だから、そのサイトのファンである人は頻繁に足を運ぶだろう。今日は更新されているだろうか。今日はどうだろうか。そして覗いてみた結果新たな記事が追加されていると、それを喜んで当該記事の精読に取りかかるのである。
ところが毎日更新を常としているサイトはどうだ。そのサイトのファンの人は、同様に毎日アクセスするのかもしれないが、しかし先の人とこの人とでは決定的な違いがある。この人はサイトを覗いてみる前から把握しているのである、今日もまた、そこが更新されているという事を。つまり、更新されているという事実そのものに対する喜びがそこにはない。毎日更新のサイトのファンはしばらくそこへ通う内に、いつしかそのサイトが更新されている事をそうであって当然の事と思う様になる。もっともそれはどうしようもない事ではある。私だって、基本的に毎日更新しているサイトに行って実際更新されていた所で「わーい更新だ更新だ」などとは思わないのだ。
だがしかし、やはり、不条理なものを感じてしまう。同じ更新でありながら、そこには喜ばれる更新と特別喜ばれない更新とがはっきりと存在するのだ。しかもそれは肝心のネタの内容には一切関係せず完全に更新頻度のみによって決まるものであり、喜ばれるのはサイト管理にかける時間が他方に比べて短い方の管理人なのだ。これでは浮かばれない。日々書き上げるネタが、時には「当然そこにあってしかるべきもの」とされ流されているのかもしれないとあっては、とてもじゃないが浮かばれない。
そこで考えた訳だ。爆弾だ。毎日サイトを更新するというこの習慣を変えるつもりは当面はないが、ならば、一日分の更新でありながらにしてその実ネタとしての体裁を殆ど整えていない事実上の休載日を設けるのだ。いつかテロリズム的「雑文」更新に関する話をした事があったが、正にそれに当たる昨日の様な爆弾ネタを時折投下しておく事で、そうでない更新に当たった時にはひとしおの有難みを喚起させるのである。
いやしかし、どうだろうねえ。そうは書いておきながら、心の何処かでは、「爆弾ネタで刺激はしつつ結局普通のネタを評価されたいだけの雑文書き」なんかじゃなく、むしろ「爆弾ネタの方を喜ばれる奇特な雑文書き」の方に憧れる節があるね。昨日みたいな更新を目にした人から「おお、久々の爆弾だ」「くっだんね(笑)」「やっぱここの『雑文』はこれがあってこそだよなあ」とか思われる様な。
という事で、次回第999回「ククク」をお楽しみに。
07/10/30(火) 第890回 ウミガメのスープ
男は一種の薬を服用した。ふむ、思いの外、飲み易い。
しかし男はそれによって酷く頭を抱える事になった。
何故か?
ラシックス