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07/10/10(水) 第871回 大会の過酷な裏側

この間ルービックキューブの世界大会で日本人が優勝したというニュースがあったが、ルービックキューブの大会と言えば一つ気になる事があるのだ。
私はその大会の委細をよくは知らないから間違っているとも限らないのだが、パズルゲームの大会というからには完成までの時間の短さを競うものなのであろう。それで、多数の参加者は一つ以上の、ちぐはぐな状態のルービックキューブを目の前にそれを可能な限り速く完成させようとするのであろう。そして最も速いタイムで全ての面を揃えられた者が優勝という事になるのであろう。大会規模によっては複数回の予選を経るかもしれないが、大筋としてその概要はこういったものである筈である。
そこで気になるのが、課題として参加者に与えられるルービックキューブの仕様である。大会中に解かれるルービックキューブは一体どれだけ全参加者に対して公平になっているのだろうか。
ルービックキューブは相当の知識と経験を持った人でもなければ幾らやってようとストレスが溜まるばかりで攻略出来る可能性も極めて低いが、しかしこれはあくまでパズルであり、故に突き詰めれば、どんな状態からもそこから完成に至るまでの最適操作手順、並びに最速手数を計算する事が出来る筈だ。また、初期状態によって完成までの最速手数に違いが生じるという事はつまり、「すぐ解ける状態」と「時間のかかる状態」というものが存在すると思われる。だとするなら、もし仮に大会に使用されるルービックキューブの初期状態が選手毎に違っていたとすれば、素人目にはいずれも十分バラバラに操作されたキューブであるかの様に見えても実はプロにしか分からないレベルの差が既に生じている事になる。何秒の記録を叩き出せるか、コンマ1秒、或いはそれ以上の領域での戦いを繰り広げる彼等にとってこれは間違っても無視されてはならない問題である。事によっては、不運にも完成に時間を要する初期状態のキューブに当たってしまい、その瞬間優勝の道を閉ざされてしまうなんて事もあり得るかもしれないからだ。
世界中の選手が集まり、また正式な世界記録も存在する様な大会にあってその様な不条理不公平はあってはならない事だ。現在、ルービックキューブ早解きのトップクラスに位置する者は一個のキューブを11〜12秒程度で解くらしいが、そんな大会でああいったアバウトさが認められるのならば、世界記録が10秒程度の陸上100m走のスタートラインが明らかに手書きのふにゃふにゃな線だったりしても構わないと言うのか。それは違うだろう。

まさかそんな事がまかり通ったりはしてないだろうと思うから、私は勝手にこう思っている。ああした大会はその大会毎に共通の課題が用意され、開会前に全てのルービックキューブを全く同じ状態に揃えているのだ、と。勿論、大会中は他選手の競技の観戦を禁止。更に先に競技を終えた選手についてはキューブの初期状態に関する情報の外部漏れを防ぐ為、当然厳重な隔離措置を取るだろう。
随分過酷だなと思うかもしれないが、選手に関してはまだましな方だ。大会の円滑な運営の為に前日から大量のルービックキューブを同じ状態に揃えるスタッフ達は、やはり情報漏洩対策として翌日の大会終了まで会場の外へ出る事を一切禁じられるのだから。



07/10/11(木) 第872回 大会の腹黒な裏側

そう言えばルービックキューブというとこんな話を聞いた事がある。その道の熟練者達は少しでも早くキューブを回転させる為に油をさして滑りをよくしているのだと。確かに言われてみれば、テレビで見る様なルービックキューブ早解き映像の人はやけにクルクルクルクルと回転操作を加えているのである。指一本で弾く様に回転させたりするのもよく見られる。じゃあってんで、家にあるルービックキューブを手に取って見様見真似でやってみても指一本じゃ動きもしないのなんのって。そんな所に、プロ達の工夫を感じるのであった。
さて、ここで気付いた。昨日の話の続きであるが、上記の様な対策を行うのがスピードキュービングの世界では一般的だと言うのなら、大会に出場するレベルの選手達は当然「マイキューブ」なる愛着の深いルービックキューブを所持している筈だ。「手に馴染む」という言葉があるが、正にそれだ。人によっては、自分のルービックキューブでなければ思う様な記録が出ないなんて事も十分あり得る事である。
それで行くと、先だっての大会運営方式では何かと不都合が生じる事になりそうである。何しろ運営側で勝手にルービックキューブを用意してしまっては、一部の選手から「今更あのガチガチに固いキューブなんて使ってられっかよ」という抗議の声が殺到してしまうからだ。やむなく運営側は、不正が行われてないかどうかの検査を実施するとした上で各選手に「マイキューブ」の持参を許可するだろう。
しかし問題はそれだけではない。選手にルービックキューブの持参を認めた事で、前日に済ませておく筈だった競技用キューブ(特定の手順でもって崩したもの)の準備を当日に行わなければならなくなったからだ。スタッフは短い時間でルービックキューブを崩さなければならない。どれが誰の選手のキューブなのかを確実に把握しながらである。時間的に大きな制約を受ける中で、これはどうしてもギリギリの大会運営になってしまう事は避けられまい。そこで運営側は仕方なしに、キューブ崩し作業の可能な限りの効率化の為、大会参加者に向けて異例の発表を行うのだ。「大会に使用するルービックキューブを持参の方は、必ず6面全て揃えられた状態で会場入口の受付担当者にお渡し下さい」
だが、何分大会本番も迫りつつあった中での突然の発表だった事もあり、そんな事など露知らずバラバラな状態のルービックキューブを受付で差し出してしまう者も何人かいる。すると受付担当者は、最早これ以上余裕のない大会運営状況を鑑みて言うのである。

「失格です」

ちなみにこうした対応を取った所各方面から批判の声が上がったので、翌年以降は「失格は失格だがその場で本人には伝えず一応形だけは参加させる様にする」方針に転換したのは言うまでもない事である。



07/10/12(金) 第873回 やっぱりバカ

日々サイト内日記やブログのネタに悩む貴方に先日バカになってみろとのアドバイスをした訳だが、しかしそう言われた所で「そもそも元からバカなネタすら思い付かない」人だっているだろうし幾ら理屈が通っていたって「やっぱりバカになるってのはちょっと」という人もいるだろうと思う。
そこで今日はそんな貴方へ、新たに画期的な「ネタに困らない秘訣」を伝授しよう。
まずパソコンを立ち上げる前に、国語辞典を一冊用意する。可能な限り厚めのものが好ましい。かかる後、目を閉じ、適当なページを開いて適当な箇所を指差すのだ。目を開けた時、貴方が指差している単語こそ、その日の貴方の日記なりブログなりを彩るネタのお題目である。
この方法は凄い。何しろ国語辞典を手にした瞬間、貴方は数万という数のネタ候補と巡り会っているからである。

そんなバカみたいな方法で、今や誰も使っていない様な単語に当たったらどうするんだとの声も聞こえてきそうだが、その辺りはご心配召されるな。風の噂では、その「バカみたいな方法」を実践して日々の更新ネタを稼いでいる猛者もいると聞くぞ。



07/10/13(土) 第874回 参る【まい・る】

「いざ参る!」などというとこれは時代劇か何かの格好良いシーンである。戦いへ赴くのを前にして自分や味方を奮い立たせるべく真田幸村辺りが言うのだ。「いざ参る!」
勿論ここで言う「参る」とは「行く」の謙譲語だか丁寧語だかである。だがしかし、この「参る」が実は違った意味で用いられていたとしたらどうなるだろう。つまり、「参る」には「行く」という意味の他に「降参する」とか「弱る」とか、事によると「死ぬ」という意味まであるが、そういった意味で発せられているとしたら。

真田幸村「いざ参る! ぎにゃああああああああ!!」

真田幸村ここに死す。
その時、歴史が動いた。



07/10/14(日) 第875回 老化傾向の顕著な武器商人

という訳で、だ。一昨日のを実践してみたのが昨日のであるのだが、やっぱりこれは無理があるな。何せ、一般に攻略本巻末のインデックスに掲載されている単語と言えば主に名詞のみだけれども、一般的国語辞典には動詞やら形容詞やらが平然として載っているのだから。有無を言わさぬ我が物顔っ振り。それもそうだ、国語辞典なのだから。
実際、動詞がテーマになってしまって少し困った。あれが「参上」の項を指していてそれがテーマになったのなら、「参上する」という行為に対してのネタか「参上」という字面そのものに対してのネタかについて少なくとも検討、選択の余地があったものであろう。だが「参る」では、もう参る気満々でいらっしゃるものであるからネタにするにしたって行為の方に限定されてしまう。字面に注目しようったって動詞では受身だの否定だのでどんどん形を変形させてしまうからだ。
そんなこんなで、もうやらない。でも一応、どんな単語からでもネタを作り出せる自信のある方にはお勧めの方法だと言っておこう。

さて、後はここ最近の近況などであるが、先日プレイを開始した「トルネコの大冒険3」をクリアした。終盤、一旦詰まってからそこを打破するまでやけに時間がかかってしまったが、それ以外はそこそこ順調だったかな。
プレイしていて気になる点は幾つかあった。まず、中盤以降のストーリー進行に絡む全てのダンジョンが事前の準備並びにアイテム持ち込みを前提とした作りになっていたという事。不思議のダンジョンの魅力と言えばやはり「倒れたらまた一から」というシビアさであるが個人的にはそれと同時に「倒れてもすぐに再挑戦出来る手軽さ」でもあると思っている。それがなかった、つまり不慮の事故で倒れて幾つかの重要なアイテムを失ってしまうとそれを新たに調達する手間を要してしまう点が、少々煩わしく感じられた。本作については1、2と比べて批判的意見も多く聞かれる様であるが、こういった所にその理由があるんじゃないだろうか。
後、地味だがしかし気になって仕方なかったのは武器防具の修正値が他作品に比べて強力でない様に感じられた事か。強さ10の武器とか防具とか装備してても外してる時とそんなに違いが感じられないってのはどういう事だ。しかもそれらを強化する「バイキルトの巻物」と「スカラの巻物」は私が関知する限りにおいては通常の方法で出現しないときた。尚且つ、ダンジョン内に登場する武器防具の種類もダンジョン毎に決まっているから最早ラスボスにはこの装備でもって挑むもんだと決められていた様なものだ。それじゃあ、残念ながら非難もされて仕方がないでしょうって。
上記問題がほぼ直接的に影響して、主人公である筈のトルネコが随分役立たずになっていたのも本作の問題点かと思う。今回の事実上の主人公はポポロだと解釈すればこれはこれでいいのかな、とも思うけども。
だがしかし、面白いと、そんな感じである。差し当たりクリア後のダンジョンの攻略に挑む事になるだろう。つーか、不思議のダンジョンシリーズに関してはクリアしてからが本番だからな。

それにしても、トルネコは不憫だなあ。DQ4時代には要らぬ存在と罵られ、それが「トルネコの大冒険」シリーズとして独立を果たす事で何とか払拭出来た所だったというのに、ここに来てまたあの暗黒の時代に逆戻りしてしまう事になるだなんて。
トルネコよ、勇者の取り巻きが嫌ならもっと精進しろ。



07/10/15(月) 第876回 流行との駆け引き

不思議のダンジョン絡みでもう少し話をするが、風来のシレンシリーズの外伝に当たる「女剣士アスカ見参!」(特にwindows版の方)が、ニコニコ動画の影響か何かで今品薄になっているらしい事を知った。
早速目ぼしいインターネットショップにて調べてみると、確かに何処を見ても在庫が見当たらない。数週間前に調べてみた時には割と簡単に見付かったのにである。また、amazonのユーズド商品として8000〜9000円の価格で売りに出しているユーザーがいた。ほんの1、2ヶ月程度前は2000〜3000円か、もう少し安い価格帯であったにも拘らずである。これがプレミアというものか。
この事実を知った時、少なからずショックを受けたというものである。最近になって急激に不思議のダンジョンに取り憑かれた私にとって目下の最終目標である、つまり現時点でシレンシリーズの最新作に当たる「アスカ見参!」が容易には手の届かない存在になってしまった状況にだ。よもや、私とほぼタイミングを同じくして、かつ私とは全く違う環境化におかれた多数の人間が同じ作品に興味を抱くとは。もう少し、食指の動くのが先行していればと思うと少々悔しい思いである。

という事で、その少しばかりの悔しさに任せてこんな愚痴を垂れようと思うのである。君達は、ニコニコ動画にでもアップロードされた動画を見て「アスカ見参!」を自分もプレイしたくなったかどうか知らんがだ、今とにかくそれをやりたいからというその思い一つで絶賛価格高騰中の「アスカ見参!」に手を出すのはややもすると浅ましい行為であると。突如爆発的に増加した需要に便乗する形で発生した転売目的利益第一の人間の思う壺になってしまう事が如何に愚かな行為であるか。転売目的人間の愚かさは承知の上で、だ。
君達「にわか」は「アスカ見参!」を見て熱を上げると「アスカ見参!」にしか興味が向かないから、それが品薄だと言われると目先の欲望に釣られて適正外のお金を出してしまう。その点私は「アスカ見参!」単体じゃなく「不思議のダンジョン」シリーズとして熱を上げてる訳だから今「アスカ見参!」が希少価値を上げているからと言ってすぐに禁断症状に見舞われたりする事はないのだ。何故なら「アスカ見参!」でなくたって他にもプレイしたい作品はあるからだ。今だったらトルネコ3の様にだ。
ってかまあ、あるシリーズ中のある作品をピンポイントで好きになるかシリーズ全体を好きになるかは最終的には個人の趣向による所が大きいからあまりとやかくは言わないが、とにかく今は我慢の時だと、そう言っておこう。ここでじっと待って、待って、待って、辛抱に辛抱を重ねた人間が、最後には勝つだろうと、そう言っておこう。

ただこれは、転売目的人間の餌に釣られるべきではないという一般論を述べたものであって、私kemkamが上記言動に則った行動を取る事を保証するものではないと、そうも言っておこう。



07/10/16(火) 第877回 CM革命来たる

「続きはWebで」というのを少し前によく聞いて、あれと言うのは一体どのくらいの広告効果があるのかとの疑問を唱えている人を目にしたこともあった訳だが、私としてはあれは十分に効果のある手法だったのではと思うのである。大体に、元々興味を持っていた商品なり何なりのCMなら「続きを知りたいならその旨Webで検索して私共の会社のサイトまでやって来なさいよ」などと言われなくても自ずと検索しているだろうし、さもなければそうそうわざわざ時間を割いてまで検索の手間を取ったりはしないものだが、しかし、「続きはWebで」とのCMを見た正にその時パソコンが傍にあって、尚且つ暇を持て余している様な人、つまり「差し当たってしなきゃならない事があった訳でもないが特にどうしてもやりたい事もある訳じゃないから何となしにテレビをつけて何となしにパソコンの前に座り何となしにインターネットブラウザを開きぼやぼやとマウスをいじっていた人」ならさして興味を持っていなくたって続きをWebに求める可能性は十分にあるのだ。
ここで大事なのは、「続きはWebで」と言っていようといなかろうと「差し当たって(中略)いじっていた人」以外の人間への販促効果には全く影響を与えないという点である。つまり単なるCMの末尾に「続きはWebで」との文言を加えるだけで目立ったデメリットなく「差し当たっていじっていた人」をサイトへ呼び込む事が出来るのだ。なるほど、何処が始めたキャンペーンだか知らないが、初めてこうした手法が採用されて以降、複数の企業が同様の戦略に打って出たのも合点がいくというものである。
しかし、大抵の「流行りもの」がそうである様に、この「続きはWebで」にも否定的意見はよく聞かれる。あまりに色々なCMが二番煎じ三番煎じと次々に追随した為か、その内に「続きはWebで」というフレーズ自体が消費者の耳に付いてしまった感があるのだ。そうなってくると、最早それらCMに対し「うざい」「押し付けがましい」「『自社の製品・サービスを消費者に知ってもらう』という企業努力を忘れた会社の商品なんて誰が買うもんか」との声が上がるのは時間の問題である。そしてそれは実際に起こった。今となっては数ヶ月前と比べ「続きはWebで」のフレーズを耳にしなくなった感があるのもそうした理由があったからなのかもしれない。

そこでだ、今日はそんな消費者の不満の声に困っている企業CM担当者に一つ、画期的なアイデアを授けようと思う。ここでそれを公表してしまう事でそのアイデアは私独自のものではなくなってしまうが、しかしまだまだ好景気になったとは言い難いこの世の中、私の微力な力で多少なりとも市場を活性化させられるのなら、私は何ら惜しむ事なくこの知的財産を貴方の手に託そうではないか。
画期的なアイデア。ずばりそれはこうだ。「続きはRealで」 CMそのものはこれまでの「続きはWebで」形式と同様だが、その続きは実際に本社へ出向いてもらってお見せする。こうする事で、ウェブサイト上ではどうしても抑え切れなかった「企業と消費者間でのイメージの乖離」を、直接商品に触れてもらったり直にプレゼンしたりする事で限りなく0に近付けるのだ。勿論これは、「差し当たってしなきゃならない事があった訳でもないが特にどうしてもやりたい事もある訳じゃないから何となしにテレビをつけて何となしに部屋着を着替え何となしに外出準備をしぼやぼやと靴を履いていた人」の会社への呼び込みを可能とする一方それに当たらない人に対しての悪影響は皆無である。その上「会社にお越し下されば我々が直接商品のご説明をさせて戴きます」と言っている以上、CM視聴者から「企業努力」がどうこうと言われる筋合いもない。正真正銘、これまでどの企業も取って来なかった革新的戦略である。

「続きはRealで」
このフレーズが、近い将来新たなCM市場を席捲していくのは間違いないだろう。



07/10/17(水) 第878回 逢いに来て下さい

世の中は今、やれ亀田親子だ、やれ時津風部屋だ、やれミャンマーの反政府デモだと騒いでいるが、私kemkamがそんな時流には目もくれず、今最も注目している話題はこれだ。「TBS『アッコにおまかせ』の初音ミク特集に批判相次ぐ」
何と言ってもこれはねえ、初


続きはRealで!



07/10/19(金) 第879回 社交活動に従事して来たよの巻

昨日は予定通り社交的集まりに参加してきた。社交的集まりと言っても何の事はない。顔見知り数人が集まってのカラオケである。
私がこういった集まりに参加するのは、こと最近では極めて珍しい事である。ここ数年、こういった誘いは殆ど全てお断りする方向で動いてきた。また、私はそうした、一見「素っ気ない応対」をする事を許された人間であり、その事を周囲も重々承知していた。忘れてはならないのだ。私が今もって、日々片道100km超の移動生活に身を置いている人間であるという事実を。そんな状況にあって、ひとたび開催されてしまえばまず深夜帯までの拘束(こう言うと嫌々参加させられている様だが)を免れない催しものなどに参加出来る筈がない。大体に明日もあるではないか。「どっかに泊まれば」だ? 金がかかるだろって。とまあ、正直「参加するのも億劫だ」という気持ちが皆無であったとは言わないが、そんな素振りは微塵とも見せずに長距離移動生活の過酷さを雄弁に説いて私はそれへの参加を見送り続けていた。
がしかし、先週の事だ。先方は巧妙に巧妙に私を参加させる為の土壌を固めて、遂には私を折れさせる事に成功した。つーか、断れない事もなかったのだが、巧みに断り辛い雰囲気を作り出すタイミングで話を切り出されてしまった段階で、元来頼み事を断れない性格の私の勝ち目はなくなっていたと言える。最終的には、心底出たくないと思っている訳では全然ない事が決め手となってその要請を受諾した形となった。てかお前等、何でそう私を巻き込む事に固執したんだ。私が、その場にいる事で周りの雰囲気を大いに盛り上げる類の人間だったんなら分からんでもないが、何処を取ってもそんな面を持ち得ない人種だって事は君達こそがよく分かっている事だろうに。
で、昨日は七時前に集合の後簡単に食事を取ってそれなりにカラオケへ行ってそこそこ歌って、でもやはり結局の所あんまり遅くては翌日に響くだろうって事で早めの解散。でもやはり私だけ帰宅は深夜。まあでもたまにはこういう疲れもいいね。こんな理不尽な生活してなけりゃ、もうちょっとは気軽に動けるだろうに。

ちなみに、カラオケなんぞに行ったのはもう数年か振りになる事だったが、大体に普段大声を出す事のない性分であるからか、ブランク明けの歌唱行為には声域面で多分に難が見られた。低音がかすれる。低音とは渋みではないか。低音とは安定感の指標ではないか。くそ、この重厚な音を完璧に発生出来てこそのアッピールがこれでは台無しだ。
これは次回開催日までに何とかしなければ。ただボイストレーニングなんて馬鹿馬鹿しいし、もうちょっと音域の高い曲を二、三見繕っておけばいいやと安易に妥協する私である。

だって、カラオケで前面に出していく自己満足の為だけにトレーニングとか、どんなナルシストのする事よ。



07/10/20(土) 第880回 せめて爪痕を残してこい

嗚呼、何故人間は同じ過ちを繰り返してしまうのか。借金に苦しんだ人がまた金を借り、浮気で身を滅ぼした人が、また別の異性に惹かれる。官僚の不祥事は留まる事を知らず、食品偽装問題も後を絶たない。あるテレビ局などでは、まるで問題が起ころうとも謝ればそれでいいと考えているとしか思えないほど、次から次に問題が噴出する。
そして私は、嗚呼、何という事だ。またもや、明日に迫った資格試験を、ろくに勉強もせずに迎えてしまった。今回は前回の比じゃないくらい、対策なしに迎えてしまった。かくも、人間は反省を知らない生き物なのか。人間とは、地球上で最も知能の発達した生物ではなかったのか。もう私には分からない。

私は最早、修行僧であるかに無心の境地で戦場へ赴くのみである。
見事に散った私の様子はまた明日に。


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