07/11/22(木) 第911回 排泄物論
今日からまた日本のあちこちでクリフトが大活躍するんだね。
「クソゲー」とはつまり「糞ゲー」の事であり、それはつまり「糞ほどの価値しかないゲーム」を意味するゲームへの最大の誹謗な訳だが、考えてみると、こうした意味合いで使われる「糞」がゲーム以外の媒体にくっ付くケースを思い付かない。
もっとも「クソ映画」とか「クソ音楽」とか「クソ書籍」とかいう言葉は存在するのかもしれない。だがそれらはすべからく「クソゲーム」→「クソゲー」の様に略語の域に達してはおらず、広く一般に定着したものではない事がうかがえる。
私はかねがねそれを疑問に思ってきた。映画、音楽、書籍等々、ゲームでなくたって日本には多くの娯楽が用意されており、言われなくたって我々はそれらを淡々と食い潰すし、気に入らないものに対しては一丁前に批判さえ展開させるのに、どうしてその中で「クソ○○」はゲームにしか付されなかったのだろうか。
しかしその疑問は、実際自分で映画なり音楽なりに「クソ」を付け足してみる事で瞬く間に氷解した。やってみよう。「クソ映画」→「クソ映」、「クソ音楽」→「クソ音」 ただしここで、「クソ」派生元の「クソゲー」に倣い評価対象を英単語で表現するとこうなる。「クソムービー」→「クソムー」、「クソミュージック」→「クソミュー」
いかがか。「クソムー」「クソミュー」である。とどのつまり、まるで可愛いのだ。どことなく小動物の姿を臭わせる、否、匂わせるこれらの言葉には、「クソ」と銘打たれるだけの作品が持つべき殺伐さに著しく欠けるのだ。それはちょっと大袈裟では、と思われるのなら実際に比較してみよう。「クソゲー」 何と言うか、毒々しさに溢れた雰囲気だ。濁音が秘めるパワーはやはり凄まじい。発言者がどれだけそのゲームを苦々しく思っているかがよく分かる言葉である。またその背景には、映画や音楽よりも一作品に支払う対価が比較的高額な傾向がある。この点も、この言葉への恨み辛み憎しみ妬みを深く感じさせる重要な要素の一つなのだろう。対してこちらはどうだ。「クソムー」 毛皮に覆われた動物の姿がイメージされる。ではこれは。「クソミュー」 猫かな。
かかる具合に、映画や音楽は「クソゲー」同様に略してそのクソっ振りを語るには少々不都合のある言葉だったのだ。確かに、何らかの映画について侃々諤々の議論を交わしている最中に「あの映画はクソムーだよ」などと言われでもしたら折角の盛り上がりも興ざめである。仮にそれが立場を違える者同士の論戦ではなく、例えばある歌手のアンチ同士の会話と言えども、その途中で「分かる分かる。確かにあれもクソミューだよな」などと言いでもしたら、むしろそれは可愛さの点で貶してはいない風に聞こえるかもしれないのだ。これらの言葉が世に広まらなかったのにはやはりそれなりの理由があったという訳だ。
ところで、「クソ書籍」について本論で言及しなかったのは実際やってみると少々怪しい臭い、もとい匂いが漂い始めてしまうからである。
よいこのみんなはマネしないでね。
07/11/23(金) 第912回 無条件降伏せよ
NintendoDS対PlayStationPortableの戦いは最早戦況を口に出す事すらはばかられるほどPSPに対して可哀想な感じになっているが、この度、遂にその虫の息のPSPに止めが刺される運びとなった。「進研ゼミ」でお馴染みのベネッセコーポレーションが来年、DS向けの学習ソフトを発売するらしいのだ。
これによって、2004年以降3年にわたって続いた次世代携帯ゲーム機競争は幕を閉じる。これを期に、これまでに増して勢い付いたDS勢が、先日発売になった軽量化新型PSPに一縷の望みを賭けていたPSP勢を完膚なきまでに叩き潰すからである。
しかし、ただそう言われてもいまいちピンと来ない方も多いかもしれない。ベネッセがDS向けの学習ソフトを発売する事が何故そんなにも凄まじい影響をもたらすのか、その関連性を見出せず疑念を抱いてしまう方もいるかもしれない。だがそう感じている方は失礼だが世の動向というものを見極められていないと言わざるを得ない。ベネッセが日本の市場に与えている影響は貴方が思うよりもずっと大きいのだという事を知るべきである。
ベネッセの持つ力。その最たるものが進研ゼミへの勧誘漫画である。貴方も読んだ事があるのではないか。あの「テストで酷い点数を取る」→「クラスの知り合い(大抵の場合女子)から進研ゼミを紹介される」→「ふーんこんなのがあるんだー」→「知り合いによる進研ゼミの熱いプレゼン」→「これなら俺にも出来そうだぜ!」→「母さん! 俺進研ゼミに入りたい!」→「またそんな事言ってあんたは何したって長続きしなかったのに…」→「今回は違うんだ! 俺、本気でやってみたいんだ!」→「10日後」→「タカシー、届いたわよー」→「なるほど、テーマごとに大事なポイントがまとめられていて、分かり易いぞ」→「これで一通り終わり…と。え? これだけしか時間が経ってない」→「何かやる気が出て来たぞー!」→「そして試験当日」→「これはゼミで出た問題!」→「解ける、解けるぞ!」→「後日、結果発表の日」→「やった! 受かった!」→「皆も目標目指して頑張ろうぜ!」という展開でお馴染みの、そして何故だか塾通いの生徒があまりに報われない世界でお馴染みの漫画を。
つまり、ベネッセがDSに噛んでくる事が決まった段階で、この「特定年齢層に関して言えば日本で一番読まれている漫画と言っても過言ではない」進研ゼミ勧誘漫画にDSが登場する公算が高まったという訳だ。恐らく、これまでは思う様に学習出来なかった(故に漫画中にもあまり出て来なかった)通学中なりの電車内でDSを手にしているシーンが掲載されるだろう。前述の通り進研ゼミの漫画の読者は極めて多く、その販促効果は計り知れないと言える。そして重要なのは、その宣伝はこれまでゲームに何ら興味を示してこなかった類の人間の目にも止まるという事だ。そもそものゲーム好きなら今更DSとか言われても、という感じかもしれないが、さもなければ「何処ででもゼミの勉強が出来るツール」としてのDSにこの上ない魅力を感じる可能性はあるという事だ。
そして、あくまでゲームとしてではなく「学習教材」として発売するベネッセの姿勢がこれまた脅威だ。この確固たる意思は昨今の脳トレ紛いの軟派なゲームには見られない。IQが120幾らだから東大レベルだとかのたまっているバラエティ的お祭り騒ぎ的要素は微塵ともそこには存在しない。今度発売になる「得点力学習DS」のページに掲げられた「ゲームソフト取扱店での販売は一切行いませんのでご注意ください」の言葉がその毅然とした態度を裏付けている。この硬派さが、つまりは真面目に勉学に取り組みたいと考えている学生諸君の心を掴むだろう。
ベネッセの主要ターゲットは中高生である。そしてDSの主要ターゲットも、ゲーム機である以上中高生寄りだと言える。
それぞれの分野で強力なシェアを持つ両者が組んだその時、PSPは真の意味で終焉を迎える。
07/11/24(土) 第913回 麗しきゼミの想い出
そんな、並居る中高生の憧れの的進研ゼミであるが、私も小学生時分、このゼミの下に学習していた過去がある。
切っ掛けは何だったろうか。勉強嫌いだった訳ではないが勉強好きとはお世辞にも言えなかった私が自分から「進研ゼミやりたい」などという血迷った発言をしたとは思えないので親の意向で入会する事になったか、或いは我が家で既にゼミ加入者がいたのでその流れで自分も、という事だったのだろうとは思う。
ただ、そんな後ろ向き万歳な状態で始めた進研ゼミが長続きする筈はなかった。いや、それでも私の場合は律儀さのスキルを最大限発揮してそこそこ続けたし、届けられた問題集についてはコツコツやっていた方だと思う。具体的には三、四年続いた。しかし如何せん面倒臭かった。当時徐々に生活を侵食し始めていたテレビゲームへの欲求がついには学校以外での即ち必要とされてはいない学習時間を食い潰し始めたのだ。こう書くと私がとんでもない劣等生であるかの様に見えるので、一応小学校時分は学校での勉強だけでクラス上位の成績は取れたし、だからこそゼミなどという余剰の学習時間を割くのはどうにも気が進まなかったんだという証拠もなければ意味もない名誉回復を図っておこう。
で、次第に面倒臭くなってきたので、段々と机には毎月毎月送られてくる冊子が積まれていった。中には手付かずで空白だらけの問題が並んだ。赤ペン先生へ提出するテスト問題は最早冊子から切り離される事すらなくなった。挙句の果てには、急に連絡の途絶えた私に対してベネッセさんの方から「既に採点の終わった問題もまとめて送ってくれれば採点しますので」という旨の電話連絡を貰うにまで至ってしまった。だがそれでもなお焚き付けられる事のなかった私をついに見限ったか、ほどなくして親により私の会員契約は打ち切りとなるのであった。
あの、電話してくれたベネッセの人が「赤ペン先生」という名目で電話していたかどうかは最早忘れたが、その人の「汚名を返上するチャンスを与えましょう」という進言に対し一度は「ありがたき幸せ」と前向きに答えておきながら結果としてその善意を裏切る形となった事は思い返す度に胸が痛い。だが赤ペン先生よ、私を恨むな。恨むなら私を虜にしたテレビゲームブームを恨んでくれ。
あっ、しまった。ベネッセさんは今度任天堂と手を組むから表立ってゲーム批判が出来ない…
07/11/25(日) 第914回 ゼミよさらば
もうゼミには関わるまい。確かにそう思った筈の私に転機が訪れたのはそれから数年後の事である。
進研ゼミの勧誘は、以前入会していた生徒に対しても構わず行われる。一度退会した以上再入会の可能性はそうでない人間に比べかなり低いと思われるが、にも拘らずである。この辺りに、退会経験のある人々への宣伝費用よりも再入会した人々からの契約料の方が上回るだろうというベネッセコーポレーションの強気な姿勢がうかがえる様である。
で、退会してからはご他聞に漏れず私の下にも新学期、中間試験、期末試験、年度末と要所要所で例の漫画が送られ続けた。しばらくはそれもまあ、一時の暇潰しくらいにしか思っていなかったのだが。
しかしある日を境に私の心持ちは一変した。私はまるで漫画の中に出て来た少年であるかに母へこう進言するのだ。「進研ゼミ入りたいんだけど」 どの様な顔で言ったかなど最早覚えていないが、非常に言い出し難かった事はよく覚えている。何しろ私は一度、怠惰が祟ってゼミを退会させられた経緯を持つ男である。自身、それを何とも思わなかった訳ではないから、心の内には、数年前に断ち切った筈のあの赤ペン先生に対する罪悪感が蘇ったりもした。
何事においても初めの思い切りは大事だが、議論においてもそれは言える。初めに主導権を握った方が勝つのである。その点で、心に迷いを持っていた私は既にして不利であった。私の言動に小さな戸惑いを感じ取った母は一気に勝負を決めんとして、早くも私に致命傷を与える攻撃を繰り出す。「あんた前に怠けて辞めたでしょ」 やや怒気を含んでいる様にも聞こえる声色がポイントである。そして母は更に続けるのだった。「どうせ入ると何か貰えるからとかそういう事でしょ。止めときなさい」
私は言いたかった。幾ら何でも失礼な物言いではないかと。まるで私が物に釣られる浅ましい人間であるかの様に表現するのは心外であると。だが言えなかった。図星だったからである。
私は何と卑しい人間だろう。ベネッセコーポレーションの仕掛けたあまりに分かり易い餌にかかってしまい、まるで彼等の思うがままに踊らされた。あまつさえ母からは、「物ででも釣らなければ自分から率先して勉強しない子」と思われていた。人間として最低限守るべき道は外さずに育ったと自分では思っていたのに。金品至上主義の人間には決してなるまいと子供ながらに思っていたのに。
母の僅か二言による論破でその日、私の常識、思想、人生観はことごとく崩壊した。
ちなみにあの時私を見事に釣り上げた進研ゼミ入会特典は確か分数計算も出来る電卓だったと記憶しているが、今となってはそんな劣化関数電卓ごときに何故そんなに熱くなっていたのかよく分からない。
07/11/26(月) 第915回 夢のエスカレーター式入社
事もあろうにまだ進研ゼミの話を引っ張るのだが、ベネッセコーポレーションは大学入試対策まででゼミを終わらせんじゃなくて、もっと先の人間を対象にした「就活生向けゼミ」を設ければいいのに。勿論大学3年の人間に向けた漫画「就職活動編」を作って。
具体的にはこの様な感じだ。
「取り敢えず有名どこの企業を何社かあたってみたが全滅」
→「学科の知り合い(大抵の場合女子)(既に内定獲得済み)(勿論大手企業)(その余裕が故に若干上から目線)から就活生向け進研ゼミを紹介される」
→「(チッ、偉そうな口ききやがって…)」
→「知り合いによる、要所要所に『このままじゃ一生負け組だ』との脅しを含む就活生向け進研ゼミの熱いプレゼン」
→「へー(これなら俺も大手に就職出来そうだぜ!)」
→「母さん! 俺就活生向け進研ゼミに入りたい!」
→「またそんな事言ってあんたは何したって長続きしなかったのに…」
→「そんな事言って俺のやる気を削がないでくれ! もし俺が就活に失敗したらニート化して一生この家に棲み付いてやるからな!」
→「10日後」
→「タカシー、届いたわよー」
→「なるほど、選考の段階ごとに大事なポイントがまとめられていて、分かり易いぞ」
→「『性格診断は適当に嘘を混ぜれば良し』……そんなもんか」
→「『GDで最も大切な事は空気を読む事』……それが難しいってんだろ」
→「『面接ではアピールが全て! でも出しゃばり過ぎちゃ逆効果。適度にわきまえつつ出る所は出てしっかり相手の目を見ながらでも見つめ過ぎない様に気をつけ言葉ははきはきとしかしうるさくならない程度にそして最後に何か質問はと聞かれたら必ず質問するのが鉄則だけど人によってはその時点じゃもう結果は出てるから元気良く本日はありがとうございましたと言うだけでいいというからそこの辺りはケースバイケースで判断して後はとにかく空気を読む事』……つまりどうすりゃいいんだと」
→「これで一通り終わり…と。え? これだけしか時間が経ってない」
→「何か受かる気がしてきたぞー!」
→「そして面接当日」
→「これはゼミで出た質問!」
→「答えられる、答えられるぞ!」
→「後日、結果発表の日」
→「な、何だと…『慎重な討議の結果、残念ながら貴意に沿いかねる結果となりました』だと…何故だ……ゼミにあった質問をされたから、ゼミにあった通りの答え方をしたというのに…」
→「俺はニート人生一直線だけど皆は目標目指して頑張ろうぜ!」
そして増加するニート。揺らぐ日本経済。
こんな日本に誰がした。酷いぞベネッセコーポレーション。
07/11/27(火) 第916回 号外
「街人に衝撃! 世界唯一のカジノが経営破たん」
エンドール通信によると、エンドール宿屋地下のカジノが26日、閉鎖したことが分かった。
負債総額は約300兆Gに上り、本日中にも破産手続きを申し立てる。
同カジノは1990年に設立。開設当初は順調に利益を上げていたが、
キャッシャーに不具合があることが広く利用客に知れて以降急激に経営を悪化させた。
オーナー「お客様の善意に任せてキャッシャーの不具合には対応しておりませんでしたが、
あまりに多くの方が838861枚のコインを4Gでお求めになり、
これ以上経営を続けていく事が困難になりました」
現在の所、カジノ再開のめどは立っていない。
オーナーは今後、従業員への再就職先確保に善処していくという。
07/11/28(水) 第917回 それが紳士のマナー
と言うかね、カジノってのは本当は一流階級の人間の嗜みであって、あわよくば一儲けしてやろうくらいに考えている観光気取りの人間が足を運んでいい場所ではないんだよ。
それが証拠に、そういった人間はすべからく自分の思うままに遊び歩くばかりで、ただただ自分の持ち金と勝ち負けとばかりを気にかけるばかりで、ほんの少しもディーラーに敬意を払おうとしない。勝てば勝ったと騒ぎ立て、負ければ肩を落として帰るだけ。全て自分の中だけで完結してしまっている。だがそれは著しい間違いだ。カジノとはディーラーとプレイヤーのやり取りによって初めて成り立つものだという事を知るべきだ。プレイヤーがいなければ勝負は成り立たないが、ディーラーがいなくともやはり勝負は成り立たないのだから。ポーカーやブラックジャック、或いはルーレットという勝負に身を置く中で、気ままな会話こそなかれどそこにはカードやチップのやり取りというコミュニケーションがある。はたまた一般的な勝負事とは違ってお互いに戦い合う対等な関係にはないが、しかしそこには互いの手の内、心の内を読む駆け引きがある。一時とは言え、そうした関係を持ちながら、勝負が終わればはいさようならというのはあまりに素っ気ないし、何より相手に失礼ではあるまいか。また、仮にディーラーとの関係をその様に捉えていなかったとしても、カジノという社交場で何らかのサービスを提供してくれた人に礼もなく席を立つなど、常識として考えられない行為である事はさしもの観光気取りにだって理解出来るだろう。
「本物」はその点違う。「本物」はディーラーにもきちんと敬意を払う。具体的には、あまりはっきりと口に出すのははばかられるが、チップという形でそれはディーラーに伝えられる。大きく勝った時には勿論気持ちよくその内の幾らかをディーラーに渡すが、負けた時にもサービス料だったと思って何枚かテーブルに置いていく。それが「本物」だ。それが紳士だ。
そこの所を、金儲け目当ての人間には理解してもらいたいね。もっともここのカジノはあちらさんの国とは違ってチップの習慣がないそうだから直接ディーラーにコインを渡すのはともすれば失礼に当たるのかもしれないが、それならそうとして別の形でカジノへの感謝の心を行動に表すべきだ。だから私は、いつも勝負の最後に200枚ほどわざと負けてカジノにお金を落としていく事にしてるよ。
200枚と言うとちょっとやり過ぎの様な気もするかもしれないが、そんな所でケチをつけててどうする。いつもいつも格安の値で838861枚のコインを買わせてもらってるんだから、その位の恩は返さないと。
いつまでも紳士として、礼だけは失したくないもんだね。
07/11/29(木) 第918回 それは差別じゃなくて、純然たる理論
人間、例えナルシストじゃなくったって「自分ってこういう所が格好良いよなー」とか思う事があるものである。それは「格好良い」に限った話じゃなく、人によって、またその時々で「粋」だったり「凄い」だったり「玄人」だったり「空気読めてる」だったり「分かってる」だったり「本質を突いている」だったり「プロフェッショナル」だったり「他人とは違う」だったりする。総じて自己陶酔している類の言葉である。
でもそういった言葉は、口に出したその瞬間形骸と化す。日本人は謙遜してしかるべしと思われているからなのかどうなのか分からないが、自分を称賛するその言葉が聞き手にとってはやけに耳に障るからだ。
ただ実際の所、ちょっと冷静になってみればわざわざ誰かに嫌な顔をされなくたって「自分ってこういう所が格好良いよなー」とつい口に出してしまった事に自己嫌悪してしまうものだ。ちょっと調子に乗って声に出してしまった事が、今は物凄く恥ずかしい。出来る事なら時間を数秒巻き戻してほしい。それこそが日本人としての美徳ではないか。しかしよく考えてみられたし。仮に独り言でも先の様な発言をしてしまう事で後悔してしまうのなら、本当はそれを心に浮かべた段階で形骸と化してしまっているという事を。ちょっと自惚れた思いにとらわれた自分が滑稽で、愚かで、浅ましく感じられてしまうのだ。
そう考えていくと、少なくとも日本人に限り、自身の格好良さというものは本人の認識と両立するものでは決してないという事になる。何かの切っ掛けで自分のどこかに格好良さを見出した時、一般的な日本人はすぐさまその考えを打ち消す事になる。そしてその限りでない人間は全てナルシストという事になる。ナルシストを悪く言う訳じゃない。これは二十余年の人生から得た経験に裏打ちされた理論であって、決してナルシストが異端だと言い切るものではない。例えマイノリティではあっても。
さて、一般的日本人におけるこの事実を貴方はどう受け取るだろうか。人生の端々で自らの能力をアピールする必要に追われる我々は自分自身の他者に比べて素晴らしい点を知っているに越した事はないが、そうしたポイントを探した所で見付けた瞬間それは失われる。日本人の自己主張下手は、根底にはこうした原因があるのではないだろうか。面接などにおける自己アピールが良い例だ。練習として何度も反復するなどした為に最早自分ではそうと思っていない事柄を喋るものだからどうしたって言葉は上滑りしてしまうのだ。
日本人として生まれたが故の運命。日本人として生まれたが為の呪縛。だが私はこの事を悲観しない。自分の凄い所を自分で認識などしていなくていいのだ。それは自分の中に何か優秀な部分が全くない事を意味するものではないのだから。逆に捉えればそれは、誰もが自分の気付いていない「格好良さ」を持っているのかもしれない事を意味するのだから。私も捨てたものじゃないね。貴方も捨てたものじゃない。
でもナルシストの人は既に自分の「格好良さ」を全部見付けちゃってもう他には残ってないかもしれない。
07/11/30(金) 第919回 失われたその先
地元ローカルテレビ局で放送されていたアメリカ製テレビドラマ「LOST」を、シーズン2以降が同様に放送される可能性が0に等しい中、仮に面白く視聴してしまえばまたもやDVD散財地獄に引きずり込まれてしまう事を重々承知した上で毎週楽しく見ていた事は6月頃にここに書いたが、その放送が先日終わった。
長かった。大体に「LOST」シーズン1自体が25話と、一般のアメリカ製ドラマに比べて3話も多い上に、月初めはいつも別のローカル番組が編成されている為放送を先送りにしていたからだ。つまり丸24週間かかる所を、30週近くかけて見た事になる。1年は52週だ。随分かかったなあ。つーか特別にローカル番組を挟むなら挟むで、それより遅い時間帯に押し込まれてもいいから毎週放送してくれてよかったのに。
実際そういうスケジュールの下にドラマを見ると、2週待つのは中々堪えるものがある。何しろ2週間というのは14日もの長さに当たるのだ。それは更に言い換えればほぼ半月という長さに当たるのだ。つまりおおよそ1/24年を我慢して過ごさなければならないのだ。かつてよく日本のドラマを見ていた頃私は、1話見終わった後、次の放送まで1週間もあるのは待ち遠し過ぎて我慢ならないと1週間毎日最低1本のドラマを見たりしていた。こうすれば毎日欠かさず「次の1話」がやって来るからだ。そんな強攻策に打って出る事も辞さない人間にとって、2週間ものお預けを拷問と言わずして何を拷問と言えようか。
その2週間の中には2度のショックと3日の葛藤が存在する。まず、月末の放送後に表示される「来週は特別編成の為『LOST』はお休みします」の文字を見た時のショック。次に、そんな事はすっかり忘れた状態で迎えた1週間後、新聞のテレビ欄を見て「あっ、今日月初めじゃねーか」とショック。そしてその日から3日ばかり続く、慢性的な待ち遠しさと「こんな思いすんだったらいっそDVD揃えちゃおっかなー」という葛藤。最初から常に2週置きで、1年近くかけて放送する予定になっていればこうはならなかっただろう。だが月の変わり目だけにやって来る不定期さが、忘れた頃に襲い来る間の空き方が、4、5回置きに大きく脈打つあのバイオリズムが、私の自称常識人としての精神を狂わせるのだった。
辛い仕打ちであった。忍耐の日々であった。同時期に「24」とか「プリズン・ブレイク」シーズン2とかのDVDを見たりしていなければ乗り越えられない壁だったのかもしれなかった。だが私は耐え切った。これは称えられるべき偉業だ。いつかは「次の1話」を2日と待てなかった人間が、社会の荒波に揉まれながら今や14日も待つ事の出来る人間へと成長を遂げたのだ。これは躾のなっていなかった犬が種々の訓練の末「待て」と声を掛けられればいつまでだって待っていられる様になったのと似ている。私は犬である。社会の犬。何を言っているんだ。
詰まる所私が言いたかったのは、「LOST」の終わった今、次に放送する番組が「女帝」らしい地元ローカル局には愛想を尽かして、あの酷い「LOST」放送スケジュールを乗り切った私へのご褒美としてシーズン2以降のDVDを買っちゃってもいいかな、という事なのである。
実際、続編を放送しない前提としては終わり方が酷過ぎた。全ての謎が未解決のまま終わった訳だから。
日本の全てのテレビ局がそうだとは言わない。でもローカル局はアメリカ製ドラマには手を出すべきじゃないね。
07/12/01(土) 第920回 If もしも
ルイージブラザーズ
スーパールイージブラザーズ
スーパールイージブラザーズ2
スーパールイージブラザーズ3
帰ってきたルイージブラザーズ
スーパールイージランド
Dr.ルイージ
スーパールイージワールド
ルイージオープンゴルフ
ルイージペイント
スーパールイージカート
スーパールイージUSA
スーパールイージランド2 6つの金貨
スーパールイージコレクション
スーパールイージランド3 ワルイージランド
ルイージのピクロス
スーパールイージ ヨッシーアイランド
ルイージのスーパーピクロス
スーパールイージRPG
スーパールイージ64
ルイージパーティ
ルイージテニス64
ルイージストーリー
スーパールイージサンシャイン
ルイージ&マリオRPG
ルイージvs.ディディーコング
ペーパールイージRPG
スーパールイージボール
スーパールイージスタジアム
スーパールイージストライカーズ
Newスーパールイージブラザーズ
スーパーペーパールイージ
スーパールイージギャラクシー
マリオマンション
ラシックス