05/10/28(金) 第271回 左右反転文字
「トイザらス」というおもちゃとか子供用品の専門店があり、私は常々この「ら」がどうして平仮名なのだろうかと疑問に思いつつ、だからってろくに調べたりする事もなく最近まで生きていたのであるが、先日期せずしてその理由を知る事となった。
そもそもトイザらスはアメリカの企業であり、当然その名称は英語で表記されていた訳なのだが、その表記と言うのが「TOYS“R”US」(Rは左右反転文字)であった。何で反転文字なのかっていう部分の詳細な件こそ省くが、その「TOYS“R”US」が日本に上陸する際、日本語でもそのニュアンスを上手く表現出来ないかと検討した結果、「トイザラス」の「ラ」を平仮名で表し「トイザらス」とする事になったのだそうだ。
これを知った私は正しく「へーっ」と思ったものだ。ちゃんと意味があったんだなあと。
ところで、左右反転文字と言えば思い出されるのが「ABBA」(一文字目のBが左右反転文字)である。このABBA、日本語で表記する際には「アバ」となるのだが、折角何かしらの意味があってわざわざ一文字目の「B」を反転させているのだ。ここはその意思を日本語表記する際にも汲んであげるべきではないだろうか。
とは言うものの、話はそう単純ではない。「トイザらス」同様一文字を平仮名にすればいいのかとは思うが、だからって「アば」ではいけないのだ。何となれば「アば」の「ば」の部分即ち「BA」の部分は反転表記でもなんでもないんだから。
しょうがない、こうするしかないかな。
「アっバ」
05/10/29(土) 第272回 ここ最近口を開けば忙しいという話ばかりですまない
とまあ、タイトルで謝るというこれまで私がやってこなかった手法をとれば今回位は皆さんも許してくれるだろうという訳ではないのですが、と言いながら実はそういう訳なのですが、とにかく忙しいのであります。
おいどうした、今年一番忙しいのは年度が始まってから三、四ヶ月と、年度末位になる予定だったんじゃないのか。何だ今のこの状況は。お陰で10日以上もゲームをプレイ出来てないでやんの。うへー。
いつの間にやら私という人間のキャパシティーが限界に近付きつつあるのだ。今日なんて特にそう。休みなんてのは名ばかりで、ただ家から出ないだけでやってる事は平日と変わんない。ちょっと起きる時間が遅いだけの平日である。
で、今日一日かかってとある一つの作業をこなしていたのだが、今現在、まだ八割程度しか出来ていない。そりゃもう大変である。泣きそうである。変にテンションが高い。かなり壊れ始めている。精神が危ない。
この荒れに荒れた心を癒すべく、明日は、明日こそはロマサガMSをプレイするんだ。だから今日はちょっと遅くまで起きてても頑張らなければ。
以前「木曜日はヘコむ日」ってな事を書いたが、ここの所は順調に事が進められ始めていたんだ、こんな所で挫けてどうすると言う。
という訳で、今日は筆を置く事とする。また明日、今度は元気な姿で、「ロマサガMS四周目をクリアしました」なんてセリフを引っさげつつ登場したいものである。
教訓:心を癒してくれるのがゲームだけなのは寂しいからもっと趣味を持て
05/10/31(月) 第273回 そいつは無茶だvodafone
2005年10月31日 11:58…
「あ〜あ、今日も一日終わりだよ。つーか最近忙し過ぎだって……ん?
11月1日までに、あなたの一番愛している人をひとり決めておいてください。 vodafone
「え? ん? えーと? あなたの一番愛して…11月1日までにぃ!? ちょ、お、おい、今日10月31日だよな、後1日しかねーじゃん。つーか今何時だよ!? おいおい!! もう11時59だぞ!! ちょ、待てよ!! えーと、えーっと、あなたの一番愛している人だろ。えー誰だ? あ、あ、ほら、あいつ…は違う違う!! えーっとな、えーっとな…やっぱりここは…いやいや逆に…つーか時間ねーんだって!! 早いとこ決めないと、早いとこ決め――
チーン 00:00
「あ。あああああ…
05/11/01(火) 第274回 小ネタとは何ぞや
先だって、FFの謎及び矛盾に対しての私見を掲載する「Fantasy」のページ に「小ネタのページ」なるページを新設致しまして、現在その「小ネタのページ」には初々しくもたった一つの謎が掲載されておるのみなのですが、設置三日目、早くもあのページはその存在意義を探して迷走する羽目になっている気がします。
と言うのも、丁度昨日掲示板にも書いた事ではあれ一応もう一度ここに書くなら、「小ネタ」と「大ネタ」のどちらになるかという判断基準は謎そのものが些細なものであるかどうかに拘らず、それについて書いた文章が長いか短いかという点なんですが、実際これまで私が書いた文章群を見て戴いた方ならばお分かりの通り、そもそも私は何を書くにも必要以上に回りくどく書いてしまう人間でありまして、そうとなると大抵のネタは「大ネタ」扱いになってしまう事になりはしないかという懸念が、まあある訳でございます。どーすか、この一文の長ったらしさ。
とどのつまり、大抵の謎が「大ネタ」の方に吸収されて、折角作った小ネタのページが閑散となってしまわないだろうかと、そういう訳であります。
現在、「小ネタのページ」への掲載を検討しているネタが五つ程度。しかし内二つまでが、上述のくどい言い回しによって、隙あらば「大ネタ」へと化けようとしております。恐ろしい事です。
いや、まあ「大ネタ」化するだけなら別にいいんですけど、「小ネタ」を想定していた場合に比べて完成までの時間は当然長いし、その分、かねてから書きたかった「大ネタ」を書く時期はどんどんどんどんずれ込んでいくという弊害はありますね。
何か考えんと。ま、取り敢えずゲームも一段落した事だし、まずはちょっと落ち着くか。何をやるにも、まずゆっくり腰を落ち着けないとね。
…なーんて、周囲全ての人間はゆっくり腰を落ち着かせてもくれないんだけどな(泣)
05/11/02(水) 第275回 ラジオナラーアラナウンサー
訳あってNHKラジオをよく聞く生活をしており、その中で地元ローカルのニュースや交通情報、及び天気予報等を聞く事があるのだが、これらの情報を読んでおられるとある女性アナウンサーの事が最近気になっている。何が気になるってこの方、よく言葉をとちるのである。世俗的に、或いは舞台用語で言うと「噛む」のだ。しかも結構な頻度で。
たまに噛むんだったらある程度はしょうがない事であるし、こちらとしても許容するにやぶさかではないのだが、一日に何度か噛まれるとこれはちょっと問題である。そりゃま、言葉を噛む位許してやれよという声もあろうし、私だってあんまり細かい事に楯突いてばかりいてはただ疲れる一方であるからあまり事を荒立てたくはないが、しかしその日やけに疲れていたり、体調が悪かったりするとそんなちょっとした事でもいちいち気にしてしまうものなのだ。
いやしかし、ラジオのアナウンサーが言葉を噛むってのは正直致命的な事だと思う。テレビアナウンサーだったらまだ、っつーかそれはそれで大っぴらに賛成しちゃいけない事かもしれないけど、それでもまだテレビを通して視聴者の視覚に訴えるパフォーマンス等々が出来る可能性は残っている。でもアナウンス技術に欠けたラジオアナウンサーに明るい未来は無いぞ。今の所は頻繁にお声を拝聴させて戴けてるけど、年度が変わったら途端に聞かなくなった、なんて事がないとは限らないんだぞ。
ところで、私は現在某県と某県との県境近くに居を構えているのであるが、それが災いしてか、NHKのローカル放送は隣県の局のものが流れている。つまり、ニュースにしろ、交通情報にしろ、天気予報にしろ、まずいの一番に隣県の情報が流れるのだ。殆どがさして重要でない隣県の情報を噛まれながら伝えられるこのやるせなさ。 貴方に分かりますか?
いやしかし、週に何度も聞いているからか、耳馴染みがあるのは事実。
取り敢えず名前は伏せておきますが、応援しております。
05/11/03(木) 第276回 今日は文化の日だった
今日も普通に家を出て、遥か彼方の目的地へ向けて電車に乗ろうとしたのだが、今日はいつもと何やら空気が違っていた。
いやいや、何が「何やら」か。そんな些細な事じゃなくて、いつもいつも電車待ちでぞろぞろといる筈の人、人、人が、何故か今日はいなかったのである。実に電車がホームへとやって来るのを待つ人間は私を除いて僅かに二人。あまりにも閑散とし過ぎている。
と、この時気付いたのだ。「今日は祝日だったじゃないか」と。基本的に土日はきちんと休む生活を送れている私だが、この度の「文化の日」は休めない事がもう今年度初頭頃から決まっており、だから最早「休みなのに行かなくちゃいけないのか〜…」なんて事を思うのすら忘れていたのであった。そうかそうか、休みだったか。
「つーか、まだ朝早いとは言っても、ただ休みだからってだけでこのがら空きさ加減はちょっとまずいんじゃないのか」とか思いつつも、しかし今日ばかりは隣の人の迷惑にならない様に気遣いつつ寝るなんていう事も必要ない訳だし、こりゃもう目的地到着までの一時間ゆっくり寝かせてもらおうかと、思っていた正にその時である。
子供が乗り込んで来た。五、六人か。そして引率か何かの大人一名。やあ子供達よ、今日は休みだ、弁当でも持って遠足的な何かかい。瞬間的にそう思ったのであるが、しかしその直後、その子供が手にしていた物を見、私は戦慄したのだ。
何と、半数以上の子供はあろう事か浮き輪と思しき物を手にしているではないか。おい子供、今を何月と心得る。十一月だぞ。霜月だぞ。Novemberだぞ。季節は冬寄りの秋だ。セミの声なんざ縁もゆかりもない。あまつさえ今日は少し雨模様の天気で中々に肌寒いじゃないか。そんな時期に何だ、子供よ、お前等海水浴にでも行こうってのか?
その電車は特急だ。どう考えても「ちょっと市民プールまで」みたいなノリじゃないのは明らかだった。「何もわざわざこんな時期に…」誰だってこんな光景に遭遇したらその思いは禁じ得ないのではなかろうか。
ところで話は変わるが、そんな世間は休日真っ只中の一日だったってのに、私にとって今日という日はヘコまされる出来事が目白押しの日だった。
中でも、自分の考えを多数の人に主張する場に立つ事になった時、そらもう一所懸命に弁論したのに、その後一言、
「先が見えない」
これはキツかった。まあそこまではっきり言われた訳じゃないけど、そういう響きはあったろうなあ。しかもそれをそれとなく返せなかった自分がまた不甲斐無い。落ち込むばかりである。何も私一人の責任ではない訳だし、これから挽回する事だって十分可能な訳だからそんなに沈まなくてもいいかとは思うけどさ。
「あ〜、情けねーなー」
そんな、自分を責める言葉だけで心が一杯の状況で、私はその空気が篭り気味な閉鎖的空間を後にした。幾分いつもよりうつむき加減だったかもしれない。
そして何時間か振りに外へ出て、ふと空を見上げた時、気付いたのだ。朝方、空を厚く覆っていた雨雲が、いつの間にやらすっかり消えていた事を。
おい、子供。良かったな、晴れて。
05/11/04(金) 第277回 そいつはねぇぜ井川さん
少し前か、大分前か、実の所詳細な事は知らないのだが、「井川りかこ」なる人物からのメールが話題になった事があった。
結論から言ってしまえばこのメール、スパムメールであり、それを読んだ人間を出会い系サイトに誘導する類のものなんだけれども、他のスパムメールとは違ってある程度のストーリー性をはらんでおり、何通かに分けて送られてくるという点がやや巧妙な作りとなっている。まあ引っ掛からんもんは引っ掛からんけどな。
さてそんな「井川りかこ」メールなのであるが、もう五、六月も前の話だったか、私の下にも届いたのである。
内容についてはもう既にあまりにも多くの所で語り尽くされている事だから省くが、とにかくそれを見た私はそれがスパムであるにも拘らず、僅かに湧き起こる嬉々とした感情を抑えられなかった事を覚えている。遂に自分の所にも!! みたいな感じだったのだろう。あの当時既に私はそれ以降の展開を大体知っていたが、それでも次のメールの到着を少し楽しみにしていた気がする。
あれから、およそ半年の月日が経った。まだ、井川りかこさんからの二通目のメールは来ない。
おい、井川。お前のメールボックスに届いたエクセルファイルはどうした。ウィルスかもしれないから開かなかったんだろ。それはどうしたって言ってるんだ。予定ならパャRンに詳しい知り合いに聞いてみたりして調べる事になってるんだろ。その結果いたずらかウィルスじゃないかと言う結論になる手筈なんだろ。
おいおい、確かに一部の知人に対しては無趣味で通ってる私だけど、遂にスパムにまで見放されるのか…
05/11/05(土) 第278回 ニート志望
近頃何かと「ニート」という言葉を聞く様になった。「NEET」即ち「Not in Employment, Education or Training」の事で、「職に就いておらず、学校等の教育機関に所属せず、就労に向けた活動をしていない者」である。現在日本国内においてその数は70万人近くだという事らしいのだが、つーか英文の方には一丁前にコンマなんて付けてんのか。ニートの癖にか、ニートの分際でか。
まあコンマの話はどうでもいいのだが、そのニートに関連してこんな言葉もたまに耳にする事がある。
ニート志望
何と、社会の敗者と、ともすれば人生の敗者と言ってもいいかもしれないニートに自ずからなりたいと言う輩がいるのだ。嘆かわしい事である。不届きの極みである。
ただ、ちょっと考えて思った。ニート「志望」、つまりニートになりたいって事は、少なくとも今その人はまだニートではないのである。日々ニートになりたいニートになりたいと思っていながらも、しかし毎日勉学に励んでいるか、或いはアルバイトか何かに精を出しているか、さもなければどこかの企業で働いている人間なのである。そんな人間をつかまえて、すぐさま「嘆かわしい」だの「不届き」だのという言葉でもって非難を浴びせかけるのはもしかしたら間違っていたのではあるまいか。確かにその思想は嘆かわしいものであれども、これから何か心境の変化があって、結局ニートにならず終いなんて事だって十分に考えられるのだから。
さてそうとなると、先に「癖に」とか「分際で」とかいう言葉を使っておいてなんだが、私だって「ニート志望」という事になろうか。そりゃ一切勉強せずに、働きもせず、毎日自分のしたい事をして生きていけるんならそうしたい所だ。
ただニート諸君、よく聞けよ。そんな生活していて生きていける程この世の中うまく出来てない事位は分かってるだろう。綺麗事なんて言うつもりはないぞ、この現代を生き抜いていく上でまず必要になるものはお金だ。そのお金が、ただダラダラダラダラ毎日を過ごしてるだけで舞い込んでくる筈がないだろうが。だから皆、定番の事を言えば汗水垂らして働いてるんだよ。
親から生活費が貰えてるんだったら今はまだいいかもしれないけど、それがいつまでも続く筈がないって事も分かっているだろう。そうなった時一体どうするのか、是非当人達に聞いてみたいものである。
先日、知人との会話の中でこんな話題に触れた事があった。
団塊の世代の一斉退職がいよいよ再来年から始まろうとしている。かのベビーブームとやらが未曾有の出産ラッシュだった訳だから、これが未曾有の退職ラッシュとなる事はもう火を見るより明らかだ。
そんな中で、もしかすると「ニートを子供に持つ人の退職」なんていうケースも多々起こるのではあるまいか。そう、今日本は、就職する気もない人間に家計の一切を任せるという末恐ろしい家庭を、数多く生み出す前代未聞の危機に直面しているのだ。
2007年、それはいよいよやって来る。その時日本はどうなるのだろうか。
05/11/06(日) 第279回 この文章は嘘である
唐突だが、こんな言葉がある。
「この文章は嘘である」
これは「自己言及のパラドックス」と呼ばれており、この文章が本当であるか嘘であるかに拘らず矛盾をはらんでしまうというものである。
ちょっと考えてみよう。もしこの文章が本当だとしたら、「嘘である」は真、つまりこの文章は嘘という事になってしまうので、これは矛盾。ではこの文章が嘘だとしたら、「嘘である」は偽、つまりこの文章は本当という事になってしまうので、これもまた矛盾。この様に、どちらであるにしろ矛盾が発生してしまうのだ。
私はこれを、何とも興味深いと思うのである。何せ、世の中の言葉には「本当」の事と「嘘」の事しかないものとばかり思っていたのに、この文章は「本当」でも「嘘」でもないのだから。何処か哲学にも通じている様で、ある種の美しさすら感じるではないかと、そう思うのである。
ところで、本日のタイトルにもある通り、今日の文章は全て嘘である。あ、違う、嘘をついているんだから本当なのか。あ、タイトルも嘘って事になるからやっぱり嘘なのか。
…結局の所、そうやって紛らわしい事書いて閲覧者を混乱させようってんだろ? なーんて事を思ったそこの貴方。ビンゴです、正にその通り。今日は「どっちだよ!」っていうネタなんです。嘘だけど。
05/11/07(月) 第280回 運動は不可能である
昨日の話に関連して今日は「ゼノンのパラドックス」というものについて話をしようと思う。
「ゼノンのパラドックス」 その概要はこうだ。例えば、貴方は今とある場所に立っていて、そこをA地点とする。そして貴方はそこからB地点へと移動したいとする。A地点からB地点まで移動するとなると、貴方はまずA-B間の中間地点を通過しなければならない。そこを仮にC地点とすると、貴方はまずC地点へ辿り着かなければならないのだが、そうする為にはA-C間の中間地点を通過しなければならなくなる。そこをD地点として…と、以下同様の事が無限に続いてしまう。よって結局貴方は幾らB地点へ移動しようとしても、動き始める事すら出来ない、故に「運動は不可能である」
同様のものに、「貴方は亀を追い越せない」とかいうものもあったろうか。ともあれ、言われて考えてみれば確かにこれはそういう事である訳で、しかし最終的に出た結論が矛盾している事も自明である為、何とも悩ましい問題である。考えれば考える程「ムキーッ!!」となってしまう。
似た様なのに、こういうのもある。y=1/xというグラフにおける曲線が、x軸に何処までも近付いていくのに絶対に交わらない、というものだ。何処までも、永遠に近付き続けるのに、決して交わる事はない。FFで有名な作曲家、植松伸夫氏はかつてこの事にいたく感動したという。
それに似た経験が私にもある。xy軸上の原点にある点aが、座標(1,0)へ向けてまずその半分だけ動く。次にその地点から点(1,0)までの中間点まで動く、そしてまた…という事を繰り返す時、点aは点(1,0)に向けて永遠に近付き続けるのに、永遠に点(1,0)には辿り着けないのだ。これを考えた時、私も植松氏と同様、途方もなく思えて感動した覚えがある。
さて、私は数学を専門としている人間ではないから、こうして数学の話を持ち出すと何処かにボロが出てしまっている可能性が大いにある。で、そんな文章がウェブ上に出る事となって、万が一にも数学にお詳しい方の目に入ってしまったとあらば、非常に手痛い突っ込みを戴く事になる場合も十分あり得る。
とは言え、もし明らかに間違っている文言があったとして、それがそのまま残されてしまうのは私としても本位ではないというもの。であるからして、もし私が何か致命的な勘違いをしてしまっているとか、「『ゼノンのパラドックス』と『y=1/x』とを似たものとして扱うのはどうか」みたいな突っ込みがあったなら、是非突っ込んで戴きたいと思うばかりである。
しかし残念だ。何となれば誰かに突っ込んで戴いたとしても、私にはそれへの返信が出来ないからだ。だって返信をするにはキーボードをタイプしなければならないのだが、この手でキーボードをタイプするにはこの手が現在位置からキーまでの中間地点を通過しなくてはならなくて、その点を通過するには現在位置とその点の中間地点を通過しなければならなくて、その点を通過するには…
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