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06/05/04(木) 第421回 漠然とした老い

ここ最近何かと言えば脳年齢だ脳年齢だと言われておりそろそろ正直辟易し始めなくもない頃合いな気がしているのだが、そういった文句を謳うどんなテレビ番組やら書籍やらよりも、私がその脳年齢なるものを意識するのはもっぱら、「一昨日の晩御飯、何を食べましたか?」及び「一昨日の晩御飯、思い出せるようになりましたか?」で始まる例のNintendoDS用ゲームソフトのCMである。
何の事はない。単純に思い出すのに苦労したりするのだ、一昨日の晩御飯をだ。
これは中々にショッキングな出来事である。よもやこんな形で己の脳の衰えをまざまざと実感させられる事になろうとは。それも本腰入れてゲームをプレイするなりにして脳年齢を測ろうとした上での結果ならいざ知らず何の前触れもなく「老い」という現実を突き付けられてしまっただけにその衝撃たるや。
一昨日の晩御飯すらも容易に思い出せないのは、単に日々を漫然と過ごしてしまっているからとも言える気はするのだが、二日前の晩御飯の事に固執するあまり毎食毎食メニューを注視しながら食してたんじゃあ二日後にそれを覚えているのは当たり前な訳で、そう考えると若い脳を持つ人というのは特に気に留めていなかろうと二日前の食事位の事はスッと頭から出てくるらしいという事になってしまう。いよいよ自分自身に対して警鐘を鳴らさねばならなくなってきた様である。
差し当たり、その時が暇でかつテレビで脳年齢関係の番組がやっていた場合、それを何となしに見る事から始めようか。

え? 「東北大学未来科学技術共同研究センター 川島隆太教授監修(後略)」? 買いませんが何か?
いやいや、アンチとかいう訳ではなくて、単純に今NintendoDSを買うだけの余裕がないのだ。



06/05/05(金) 第422回 ミッシングリンク

かねてからの予定通り、本日付けで貸してもらっていた「METAL GEAR SOLID 3 SUBSISTENCE」を返却した。あれだけ返す返すと言っていたのに土壇場になってうっかり忘れそうになっていて危なくズルズル返却期日を延滞してしまう所であった。今思えばそれは、もうちょっとプレイしていたいと願う私の最後の抵抗だったのかもしれないけれど。やっぱり買おう。一周しかしないのはやっぱりあまりに勿体無さ過ぎる。色々な隠し要素も満喫したいし。

話は丸っきり変わるが、FF8が無いのである。正確には、FF8の前半が無いのである。
サイトの性格上、何かしらあった時に過去シリーズをプレイして事実関係を再確認してみたりする事は多い。その時我が家では、ファミコンが未だ現役である事が幸いしてFF1をファミコン乃至プレステ、FF2も同じくファミコンかプレステ、FF3をファミコン、FF4,5,6をスーパーファミコン乃至プレステ、FF7,8,9,Tをプレステ、FF10,10-2,12をプレステ2、そしてFFT-AをGBAと、特にファミコン辺りの最近では中々使う機会のないハードを引っ張り出してくる事さえ厭わなければ所持している全てのFFについてすぐにでもプレイを始められる状況にある訳だ。
だが、そこには唯一の例外が存在するのであった。FF8である。このFF8の、DISC1とDISC2が手元に無いのだ。
紛失したのではない。所在は明らかである。しかしそれは我が家より数100km東方に佇んでおられる。ちょっとやそっとの事でどうにかなるものではない。
DISC1,2を貸しているのではないのだ。逆に、DISC3,4を私が借りている立場にあるのだ。だからこそ(こと性格上押しが強いとはお世辞にも言えたものではない私は)ついでにDISC1,2も貸してくれと中々言い出せずにおり、そして今に至るのである。
これは厄介な事態だ。何しろ、DISC1,2に収録されている各種イベント等の全てが再確認不能なのだから。セーブデータはあるのにだ。
この間も、(今日更新の小ネタ関係で)SeeD就任パーティー時のイベントをもう一度見てみたいなあと思い、そう言えばドール実地試験時のセーブデータがあるから丁度良いじゃないかなんて意気揚々とFF8を取り出そうとして、DISC1,2が無い事に気付いた。丁度良いタイミングのセーブデータがあってくれてもしょうがないのだ。私はそこに、あたかも空高く聳え立つかの様な、努力だけでは決して超えられ得ない壁を見た。
大分前の話になってしまうが、サイファーがG.F.をジャンクションしなくても炎魔法らしき魔法を放てるのは何でだっていう議論があって、その中で出て来た「オープニングムービーにおけるスコールとサイファーのバトル訓練のルール」に関しミメットの野菜さんが「『FF8 最速攻略本 for beginners』という本の中に(それに関する事が)書かれています」と仰っていた。で、ようやく最近になってそれを私の目で確認出来たもんだから、「よーし、ようやっと文章に起こせるなあ」なんてちょっとした感慨に浸りつつその前にいっちょオープニング時の二人の対決を見とこうかな。そしてまたもや、どう足掻こうが当該オープニングムービーを見る事が出来ないという現状に、私は絶望したのであった。

かかる具合に、たかがFF8のDISC1,2のみの話ではあるけれど、しかしその二枚の不在は確実に当サイト運営に対しチマチマとダメージを与えているのである。
DISC3,4を借りている立場という事は、最終的にここからはFF8そのものが消えてしまう事になるのだから、だったら今の内にFF8そのものを買っておくべきかなあ。
でもMGS3>FF8だよなあ、どうしても。

ある日の若人の悩みであった。



06/05/06(土) 第423回 あな恋しメタルギアソリッド

ある程度予想していた事ではあったが、昨日MGS3を持ち主へと返却して以降、無性にMGS3がプレイしたくなってきてしまった。ちなみに言うと昨日は、それまで借りていたMGS2も一緒に返す事になったのだが、一通りプレイを終えた筈のMGS2でさえ今日になってやりたくなってきた始末であるから手に負えない。
やっぱり、買いたいのであった。買い揃えたいのであった。欲を言うなら、今持ってるMGS1は英語版の即ち「INTEGRAL」なので、2以降の日本語ボイスに惚れ込んでいる私としては通常版の方も手に入れたい所である。更に更に言うなら、この間のMGS3一周目のエンディングで一気に爆発したMGS曲熱をある程度冷ます為にも、サントラも欲しくなっている。
無論、ゲーム三本にサントラ三作に今ならしかもMGS3の攻略本をお付けしてお買い得特化価格でご奉仕なんていう上手い話がある筈もなく、NintendoDSかつ「東北大学未来科学技術共同研究センター 川島隆太教授監修(後略)」のソフトを買う余裕がないと言及したばかりである事からも分かる通りで現在私にはそんな余裕なんてないのだ。
ただでさえ、近々にはFF12のサントラと、FF12アルティマニアの購入が確実な予定として組まれている。更に今日知った所によれば、今年の2月18日に開催された「VOICES music from FINAL FANTASY」がDVDとして、6月に発売になるそうなので、それも網羅しておきたいというものだ。何て敬虔なスクエニ教信者なんだ、私は。
ちょっと前からだろうか、何が理由か欲しいと思ったものはあまり躊躇せず買う様になっており、これはいかんなあと自覚し始めている所である。

この傾向が顕著になってきたのはやっぱりamazonを利用し始める様になってからかなあ…そもそもが出不精の私は、前々は趣味面の支出が随分少なかったもんだけど、ネット通販なんつー便利なものに触れ始めてからは「外出」という名のストッパーが外れた結果欲求が殆どセーブされずに垂れ流されちゃってるって事だもんなあ。一応欲しいものがあったら即購入する、っていうのだけは我慢して、amazonを利用するのも二月に一度程度のペースを保ってはいるのだが、最近になって一回における購入量並びに代金が増加傾向にあるのをひしひしと感じている。勿論、本当は故意犯である。
それじゃ駄目じゃないか。そう思ってはいるのだが、でも結局ちょっとずつ買い揃えていってしまうのだろう。まず手始めにMGS3+その攻略本。次に未だ日本語版未プレイのMGS1通常版。そして止めにMGS2。んでもってその三作品、事によっちゃあMGとMG2を併せた計五作品を、きたるMGS4の前哨戦として一挙プレイしたりするのである。

ってか、あーっ、MGS4ってPS3じゃんか。おーい、そんなお金ねーってー。



06/05/07(日) 第424回 想像する、出来るという事

昨日、「歪曲」の方に第7回分となる「そして探求の旅は始まった」を追加した。そして同時にこれによって、FF1オープニングイベント(+ゲーム開始前プレリュード)の文章化が全て終えられたという事になった。
長い。今単純に思う率直な感想はそれである。ファミコンの電源を入れてから、パーティーメンバーを決め、コーネリアを訪れてガーランドを倒し橋を渡って北へ行くというただこれだけの内容が七回分もの文量になって、時間にして二ヶ月程度を要するものだとは、新規にコンテンツを始めた当初は考えもしていなかった事である。当初は、プレリュードで一回、カオスの神殿へ行くまでで一回、セーラ王女と共に神殿から帰って来て北へ旅立つのに一回の、計三回程になるかなと本気で思っていたのだ。それがどうした事か。第6回なんてのはただコーネリア城にいる透明な人物オブジェクトのセリフが神殿攻略前から変化したそれだけの事で成立してしまっているではないか。あな恐ろしや。
一つのイベントで都合六回分の更新となると、一体エンディングに辿り着くまでにはどれ程のものが出来上がってしまうんだと言われてしまいかねない状況であるが、まあ、今後はここまでに大袈裟な事にはならないだろうと思う。と言うのも、何故コーネリア関連の事だけで第2回〜第7回までを占拠してしまったかと言えばそれは私がオープニング近辺のイベントを何度となくプレイした事によりそれなりの愛着、思い入れがあるからである。例えば何か好きなゲームについて、オープニングから順々にイベントを思い起こしていくと、序盤の事は事細かに思い出せるのに中盤辺りから次第に記憶が飛び飛びになったりする感覚を味わった事のある方はそこそこいると思うのだが、それと似た様なものである。どうしても各イベントに対する思い入れというものはプレイ回数に比例するのであり、だから高々数回しか経験のない中盤以降のイベントについては言及する事も少なくなってくるものなのだ。

また、そうでなくたってこれから先、FF2、FF3と解説の対象を広げていけるとするならば、シリーズが進む毎にイベント単位文章量は減少傾向が顕著になっていく筈である。
何故か。それはシリーズが進むに連れ、想像の余地が少なくなっていっているからだ。FF1始めファミコン時代のFF、と言うかこれは何もFFに限った話という訳ではないが、そこにはゲーム内に描かれていない事をプレイヤーがあれこれと想像出来る余地が随分とあった様に思う。無論、今のゲームにそれが皆無という事ではないのだが、ハードの進化により演出の可能性がどんどんと広がっていった影響か、どうしてもそれは幅を狭めていく事となっているのだ。
ゲーム内から知り様のない事に対して公式に発表される設定にその答えを求めるのも一つであるが、そこを、もしかしたら真実とは事情を違えたものかもしれなくとも、世界観を己の頭の中に構築しそして自分で納得の行く解釈を得るという事。それこそ、かつて主人公とは自分の分身であったビデオゲームの原点なのではないか。
私は、ゲーム歴20年を迎えようとする今になって、ようやっと「ゲームを通して想像出来る事の喜び」や「往年のゲームの醍醐味」を肌で感じられた様な気がする。

その結果生み出されたものが「未来のコーネリア王」だの「浄霊」だのじゃ元も子もないけどな。



06/05/08(月) 第425回 じゅうふく

「重複」という言葉がある。同じ物事、事象が重なり合う事である。
私はこれをつい「じゅうふく」と読んでしまう。それは短くない期間この二字熟語の読みが「じゅうふく」で正しいと信じ切っていたからに他ならない。だが、正しくは「ちょうふく」なのであった。
私がパソコン、いやもしかしたらそれより以前のワープロを使用していた時代の事だったかもしれないが、「重複」という言葉を使う際「じゅうふく」とタイプして、それを変換してみた時に無事「重複」となってしまったのが悪かった。実際、「じゅうふく」は元々誤読でありながら最早今では正しい読みの一つ、いや更には「ちょうふく」すら押し退けて最優位の読みにのし上った存在ではあるのだが、しかしその経験はしっかと私の頭に「重複=じゅうふく」の方程式を組み立ててしまったのである。
いつかエベレストの話をした時に同様の事を述べていただろうか。一旦長期記憶に入ったデータはそう簡単に消えてくれるものではない。特に今回で言えば「重複=じゅうふく」の方程式が私の記憶の一辺となっていた期間は優に数年を下らないのである。
だから、私は今でも誰かが「重複」を「ちょうふく」と読むのを聞くと一瞬の違和感を禁じ得ない。本を読んでいても心の中では「じゅうふく」として読み進めてしまう。今日の様にそれ自体をテーマとし、着目している状況でさえなければこうしてPCでタイプする時も「ZYUUHUKU」である。ちなみに個人的には「JUUFUKU」ではない。どうでもいい事であるが。

これも以前に述べた事であるが、元々誤った解釈だったものが時を経て誤りでなくなったケースは多い。「消耗品」しかり「独擅場」しかりである。だから、今や誤りではなくなった「じゅうふく」の事を殊更に恥じる必要等微塵もないのだ、本来は。
だが、私はちょっとだけ悔しいのであった。「消耗品」が元は「しょうこうひん」である事を知っていて「しょうもうひん」と言うのは構わないし、同じく「独擅場」を、元々は間違いであった事を念頭に置いて「独壇場」と言う事も全く意に介さない。だが、「じゅうふく」が誤読である事を知らず、全く正しいと盲信してそう言っていたのであろう自分が、ほんのちょっとだけども悔しかったのだ。
無論現代においては正解と化した、しかし誤りから生まれ落ちた言葉というものは他にも色々あるのだろうし、今もって私がそれら言葉の書きや読みを自分では正しいと信じていながら使用しているケースだって五万とあるのではないか。
そう考えると、「本当はこうだったんだよ」って事を知るのは必ずしも当人にとって幸せでないのかもしれない。少なくとも事実を知らないのなら、それを悔しく思う事はないのだろうから。

世の中知らない方が良い事もあろうか。さながらコーネリア王の心境であった。



06/05/09(火) 第426回 重複

当然まだ定まっていない未来の話ではあるが、今年中にも500回目を迎えようとしているこの「雑文」 本日の段階で都合426回分に上る日記や愚痴やネタを書いていると、まあ色々な事があったりするもので。思い掛けない場所思い掛けないタイミングで突如これに使えそうなネタを思い付いたりね、そのせいなのかどうか身の回りのありとあらゆるものをネタたり得るかどうかで見てしまうなんて事が一時期あった様ななかった様な感じだったりね、それに過去に書いて既に完成されたとある回の文章が思わぬ形で役に立ったりしてね。

中には困ってしまう事もあって、例えば今日、或いは近日書こうと思っていたネタが、他の有名日記系サイトもしくは有名ブログで取り上げられていた時なんかはそうである。何しろこういったケースが起きた時は、対象のサイトさんが有名であるばかりにまこと多くの人がそのネタを目にしているという事になり、そこに被せる様にして被りネタを載せるとなると、偶然にもその有名サイトさんと当サイトの両方を見た方にしてみればともすると「こいつ、ネタパクりやがったな」的な事になってしまいかねないからである。
これまでの425回、「ゲーム日誌」も含めるのなら計646回、他の方が書いた文章から何らかのアイデアを拝借した事が一切なかったとは言わない。ただ、振りから落ちまでの流れとかいう「構造」そのものとか、論述している中身そのままを頂戴したという事はないと言える、つもりである。
だのに、「あー、書くネタないからパクったんだなあ」と思われてしまうのは少々心外だったりするのであり、故に近々書こうと思っていたネタが偶然にも有名サイトさんと被ってしまった場合、私はちょっとばかり困ってしまうのであった。
と、こう書くと色々語弊がありそうだから捕捉しておくが、一言に「他者を真似る」と言ってもそれは単なる参照だったり、オマージュだったりするものから盗作、剽窃と言ったものまで色々な訳で、そりゃ「パクリ」っていう言葉自体は相当悪い印象を与えるものだからまあ控えるべきではあるけれど、でも全てのパクリが一つ残らず悪って事じゃあ多分ないんだろうし、ああでも…

あああ、何かそんなつもりじゃなかったのにやけに小難しい話になってしまった。ま、他サイトさんとネタが被ったのを見た事なんてないから別にいいか。



06/05/10(水) 第427回 ラヴェイン家長男(知らんけど)

今年もこの日がやってきた。5月10日。FFTに登場する骸旅団の騎士の一人にしてティータ死去の最たる原因となったゴラグロス・ラヴェインその人の生誕記念日である。
つーか、お前の苗字って「ラヴェイン」ってのか。初めて知った気がするぞ。それもまあお前程の地位にいる人間ともなるとしょうがない所ではあるけれども。
それとさ、これ前々から言いたかった事なんだけどさ、苗字はそもそも知らないからともかくとしても名前の方だって「ゴラグロス」なのか「ゴラクロス」なのかが紛らわしいんだよなあ。改名を勧めたい。この際だからしちゃいなって。

そんな訳でまあゴラグロス君、今年も誕生日おめでとう。



06/05/11(木) 第428回 こんがらかられちゃ困ります

つくづく、「こんがらがる」という言葉には深く頷かされる。「こんがらがる」という言葉ほどこんがらがる言葉もないからだ。
「こんがらがる」は凄い。何たって否定形が凄い。「こんがらがらない」 ああ、こんがらがる。
「こんがらがる」は実は誤用らしい。正しくは「こんがらかる」らしい。ああ、こんがらかる。
「こんがらがる」が誤用であったという事はその否定形とした筈の「こんがらがらない」も実は誤用という事になって、こちらは正しくは「こんがらからない」となる事になる。こんがらがるにも程がある。じゃなくてこんがらかるにも程がある。
何でこんなにこんがらかるかと言えばやっぱり漢字表記が存在しない事に起因しているのではと思う。一般に平仮名ばかりの文章は読み難いものである。それが「こんがらかる」はその一言だけで平仮名を六文字も羅列してしまわざるを得ない訳で、こんがらかるこんがらかると書かれたら読む方だってこんがらからざるを得なくなるのだ。

余談だが、「胸糞悪い」という言葉にも深く頷かされる。「胸糞悪い」という言葉ほど胸糞悪い言葉もないからだ。
「胸糞悪い」は凄い。何たって否定形が凄い。「胸糞悪くない」

十分胸糞悪いじゃねーか。



06/05/12(金) 第429回 新しいクリスタルの物語

FFファンのみならず広くゲーマーたる者ならば、その殆どはここ二日、三日のあれやこれやに嬉しい悲鳴を上げたり悲しい悲鳴を上げたりしたのではあるまいか。
時期的な事も相まって今年は色々と、本当に色々とあった気のするE3。当サイトでも私に関連の深い事柄をぽつりぽつりと書いていこうか。

まずは何と言ってもFF13である。いや失礼、「FABURA NOVA CRYSTALLIS FINAL FANTASY XIII」だったっけ。ああ、空で書いてみたら綴りが間違っていた。まあいいか。
さてその、実に三種類も存在するFF13シリーズ(という事になるのか)であるが、どうだろう。私はと言えば今の所、「楽しみだなあ」とか「待ち遠しいよ」とかいう心情ではない。まだFF12の二周目すら終わっていないとは言えいずれは待望となる筈のFFシリーズ新作である。だのに何故。
一つには、三作の内の「アギト」が携帯電話コンテンツと言う事。今なお携帯電話が無くても何ら支障なく生活出来てしまう私にとってそれは、現時点でのFF7AC同様かなり遠い存在となってしまうのだ。つまり既に私は、前述のFF13コンピレーションを制覇出来る可能性がかなり薄くなっているのである。無論、やれるのならやりたいのに、である。
だがそんな事は正直些細なものである。少なからず、今こうしてFF7ACをプレイせずとも我慢出来ずウズウズしてしまわない程度には些細なものである。
私がこのニュースを割と冷静に見た理由、それはこの話題に何処か「やってしまった感」を見たからであった。どうだ、まだ発表だけだと言うにあまりにお腹一杯じゃあるまいか。このニュースに対しての大衆の意見はよく知らない。しかし私の聞く限りでは、あまり好意的な意見は耳にしない。
思うに、FFは今勝負所ではなかろうか。敢えて言い方を悪くするなら、正念場なのではと、そう思うのである。まあ、そんな事はもう随分と昔から言われていた。FF12も200万本超を売り上げたらしくそれをして何が正念場かと言う人もおられよう。だが、FFがかつて程の勢いを今、持っていないのもまた事実である。そんな中で、FF13がコンピレーションときた。さあこれがどう転ぶのだろうか。
私が危惧しているのは、三作セットという事らしいFF13をユーザが「面倒だ」と思ってしまうのではないかという事だ。FF12でより顕在化した様に昨今安くもないソフト、それを、三作プレイするという多少の面倒臭さを振り払ってでも買ってプレイする人が果たしてどの程度いるのか。三作はそれぞれ独立してでも遊ぶに十分であろうとは思うけれど、しかしそれは面倒臭さを払拭してくれるものでは恐らくない。かてて加えて、FF12に対する世間の感想はあまり芳しいものではなかった。巻き返しを図るべきFF13、そのFF13が「面倒臭さ」的なものによってもしもコケる事があったりしたら。
特に今回に関して言えば問題はFF側のみならない。皆様もご存知の事と思うけれど、今回はハードウェア側の事情もある程度考慮する必要がありそうなのである。それについては明日にでも書こう。

今回のFF関連ニュースを聞いて思った事、それは「本当にこれが最善の形だったのか?」という事。
皆様方はどう思ったのか分からないが、私はやや満腹感を禁じ得なかった。FF13の「ヴェルサス」や「アギト」がFF13の後発だとするなら、嘘でもまだ隠し玉にしておけなかったのか。流石にこれは言い過ぎなのかもしれないが、ともするとマイナスプロモーションだったんじゃないかと思ってしまった位である。
そもそもコンピレーションとする必要は? なんて事も言いたくなるのだが、それは実際に制作された作品をプレイする事でしか判断出来ないだろう、我々には。何だかんだと憂えてはいるがそこはFF狂の私であるからそれ以上の期待をしているのだ。
願わくは何年か後、「アギト」がプレイ出来ない状況にある私がその事に苦悶する毎日を送らん事を。



06/05/13(土) 第430回 素晴らしい体験:priceless

62790円である。あまつさえ、その後ろにはオープン価格の60GB搭載モデルが更に高く聳え立っているのであった。
PS3。その価格を「妥当だ」という人はあまりに少なく感じられる。だが、その発売日及び価格の発表を終えた直後、SCE社長兼CEOである所の久夛良木氏は自信たっぷりにこう言った。「安過ぎたかも」
勿論私も馬鹿ではない。この言葉が技術面とか、コスト面に即したものである事位は分かっている。だがしかし、残念な事にそれは安過ぎはしないのであった。
価格について久夛氏は更に言う。「ゲーム機として、という括りでは考えてほしくない」 だがしかし、我々が欲しいのは「ゲーム機」なのであった。
「DVD再生機兼ゲーム機」であったPS2は、DVDプレイヤーを兼ね備えているにしては確かに安かった。同様に、6万円だの7万円だのいうそのお値段は、「ブルーレイディスク再生機兼ゲーム機」の価格としては安いのかもしれない。と言うか実際安いのだろう。だが、「DVD再生機兼ゲーム機」たるPS2が売れに売れたのは何故だったか。それはDVDというメディア媒体の需要が高かったからなのではなかったのか。それを鑑みた時、そして今年の年末時点で世の中にブルーレイディスクへの需要がどれだけあるかを考えてみた時、いよいよPS3にブレーキがかかってしまうのではと思わざるを得ない。ようやっとDVDプレイヤーやレコーダーが一般家庭にも浸透してきたという所で、次世代DVDなんてものは「まだ」求められているものではないんじゃないかと思うのだ。ただでさえHD-DVDと規格争いだので色々ある所であるし。
だとするなら、PS3にユーザーが求めるのはあくまでも「ゲーム機」としての側面である。そしてそうである以上、やはり「PS3は高い」という事に落ち着いてしまうのだった。

久夛氏は続ける。「例えば、高級なレストランで食事をした時の代金と、社員食堂での食事の代金を比べるのはナンセンスですよね?」 確かにそうかもしれない。高級レストランと社員食堂というものはそれぞれ別のものなのであって、両者を並列に比べるのはナンセンスなのかもしれない。だがしかし、食事の際にあらゆる食事処の選択肢の中から自然と高級レストランを除外して考える人は恐らく少なくないぞ。例えば私の様な相当のゲーム人間つまりこの話に合わせると相当の食通であるなら「いずれ一回は食べてみよう」なんて事を思うんだろうが、食事にさしたる興味もない、即ちこれからゲームデビューしようかという様な人々の心を掴むのは難しいんじゃないのか、そんなに敷居が高いんじゃ。
この程のニュースを耳にするまで私は、今回も何だかんだ言ってPS3の一人勝ちなんだろうと思っていたのだが、もしもこれでWiiとの価格差がダブルスコアなんて事になりでもしたら…よもやプレステ独走時代の幕切れなんて事にもなり得るのだろうか。
個人的には、FF13が出るってだけでもいずれ購入する事になろうハードではあり、しかし価格以上に初期不良の類があまりに怖いので早くとも発売後一年程は保留して色々と傍観する事になろうけど、いやまあともかく、FF13共々注目している次第である。業界内で切磋琢磨もたまにはいいけど、それが祟ってコケない様。


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