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06/07/19(水) 第481回 rの呪い

取り敢えず、最初に言っておく。驚かないで戴きたい。
この事についてこれまで特別語った事はなかった。あまり普通ではない事だから、それをカミングアウトして周りに騒がれたりするのも、好ましくないと思っていたからだ。
だが、言う。そうと決めた。

私には、

見えないものが見える。


恐ろしい事である。本来なら、そこに存在する筈のないものが、見えるのである。
私がそれを見始めたのは、五、六年程前だったろうか。当時、いよいよ家にもやって来たパソコンにはまって夜更かしをする事の多くなった私は、今思えばその頃から恒常的に「それ」を見ていた。
しばらくは、それが普通でないという事すら分からなかった。それが異常なのだという事を知ったのは、本当に、ここ一、二年の話だった。
真実を垣間見た瞬間、私は慄然とした。そこにない筈の存在そのものを恐ろしく思ったのではなく、むしろそれまで、ない筈のものを当たり前に見ていた自分自身に恐怖を感じたのである。

恐ろしい事だ。何しろ私は数年もの間、「McAfee」を「McAfree」と読んでいたのだ
存在しない筈の「r」 これが見えていた頃の私が、誰かに「マックアフリー」等と言って恥をかく事がなかったのは幸いであった。



06/07/20(木) 第482回 上辺だけの自由人

「McAfee」が「McAfree」に見えてしまう今日この頃、如何お過ごしでしょうか。私はと言えば、

「皆様にお断りとご連絡申し上げます」

もうこの言葉が恐怖にすら感じそうです。


「皆様にお断りとご連絡申し上げます」

この言葉は怖い。これが一回出て来る度に、私が家へと帰り着く時間が10分〜1時間程度延びるのである。
何を言っているのかと言えば、電車に乗っている時の車掌さんのアナウンスである。
今日もそのセリフが満載の電車内であった。大体に折り返し発車となる電車が相当時間遅れるらしい事を聞き、やむなく一本分遅らせざるを得なくなってからというもの気分が落ち込み気味であったが、それから三十分程経ってようやくやって来た電車に乗り込みさあ発車だという段になったと思ったら、早くも車掌さんは例の合図を出したのだった。「皆様にお断りとご連絡申し上げます」
今週は梅雨前線の影響によってもたらされた豪雨に翻弄されっ放しである。火曜日酷い目に遭ったのは一昨日書いた通りだし、昨日はと言えば一見あんな下らない事を書いているから平凡な一日だった様に見えるのだが、その実大雨の影響が火曜日以上に色濃く出ちゃったお陰で電車が完全運休、強制休日になっていたのだった。無論、意図しない休日がとてつもなく嫌なものであるという事は以前書いていた通りだ。本当、辛いんだって。
で、今日だ。今日は随分と早く帰れる予定であったのに、また長時間帰宅時間が押してしまったのだ。まあ今日に限って言えば丸っきり雨のみのせいでそうなった訳ではないのだが、一昨日の一件を早くも上回って7時間押しという記録を打ち出してしまったのである。7時間はないわ。流石にもうちょっとやり様があったろうに。
つーか、火曜日は雨が酷かったので早めの帰宅、今日は雨とは関係なく早めの帰宅、水曜日はやむなく休み、ついでに言えば月曜日が海の日だったんで、期せずしてスケジュール的に随分スカスカの一週間を過ごしている私である。
勿論スカスカなのはあくまでスケジュール面においてのみの話な訳で、見た目空き時間の様に見える所で随分電車に揺られているのであるが。
だのに、このスカスカスケジュールは来週、鬼と化して私を苦しめるのだ。
早く梅雨明けてくれって。



06/07/21(金) 第483回 新候補擁立

「麻垣晋」じゃあ何かと語呂が悪いんで、ここは一つ新候補を立てて「麻垣晋一」にしよう。
(政治情勢完全無視)

参照:「福田氏、総裁選出馬せず」



06/07/22(土) 第484回 E = L + - + -

そんな細かい事、と冷たくあしらわないで戴きたいのだが、アルファベットの「E」を書く時に変な癖が付いている。
普通の人であれば、「E」の書き順はまず縦棒を書いて、それからチョイチョイチョイと横棒三本を上から順に、計四画の方法を取ると思う。貴方も多分、そうだろう。だが私は違う。私は「E」の字を、三画で書く。その順序も少々変わっていて、まず一画目で縦棒と最下の横棒を、あたかも「L」の字であるかの様に書いた後、残った二本の横棒を上、中央の順に書くのだ。
何故こんな書き方をするのか、理由は簡単で、それは私自身が長い事その書き順を正しいものであると信じ切っていたからに他ならない。中学入学したての頃、書き順付きでアルファベットを学ぶテキストに、「E」はこういう風に書くのだと書いてあったのである。
無論、既にそれは優に十年は前の話であるから、今にして思えばそんな書き順が示してあったというのは私の勘違いである可能性が高い。私には小学校中学年時分に「飛」という漢字を、しっかり書き順込みで習った筈なのに羽っぽい部分二つ先に書いてしまうものだと思い込んでいた事があるし、小学校低学年時分には「顔」だったか何だったかの漢字を右の「頁」から書くものだというとてつもない勘違いをしていた事があって、それを親に指摘された時に「先生がこう書けって言ってたから」と、子供ながらに相手からするとはた迷惑もいい所な責任転嫁をしかけた経歴もあるし。
地が几帳面気質であるからか、字を書き順通りに書く事にこだわりを持っている所があって、「必」は上の点から書くし、「臣」も完璧に書ける。アルファベットで言っても「M」なんかはいちいち左縦棒、右縦棒、左斜め棒、右斜め棒の順に律儀に書いていたりするのだ。なのに、何故「E」だけこんなおかしな癖がついてしまったのか。いや、別に几帳面と一言に言っても「W」ははしょりにはしょって一画で書いてしまう程度のエセ几帳面な人間なので、癖は癖でそれを矯正しようとまでは思わないのだが、でも他人の見ている前でこれを露見するとどうしてもその事に触れられてしまったりするのがもどかしかったりするのだ。どうでもいい事なのに。

それでも、十年以上前のあの記憶が、万が一にも正しかったりすると嬉しいなあなんて事で、一応調べてもみたのだが、やはりと言うか何と言うか、「E」を「L」から書く様に取り決めている所はただの一つとして見当たらなかった。が、代わりにこんな文言を発見した。

アルファベットの書き順は、戦後英語を全国で教えはじめるときに、書き順が判らなければ教えられない、
という教師の要請があったため、文部省が急遽決めたもので、それ以上の意味はありません。


これが事実という事なら、別に私が「E」の字をどの様にして書こうが全く構わないんじゃないかと思うのだが、それでも私がああいう風に書くと、「変な書き方するね」と突っ込む人はどうしたって減ってくれないのである。放っといてくれよう。



06/07/23(日) 第485回 最早修正不能

昨日は「放っといてくれよう」なんて書いたのだが、よく考えてみると、自分が変な書き順で漢字を書いている人を見るとえも言われぬ気持ち悪さを感じるなあという事に気が付いた。
例えば、「年」なる漢字を書く時に、左上のはらいを書いた後、横線三本、縦線二本の順で書いているのを見たりすると、「うおっ」と思ってしまう。「田」を「日」を書いてから縦棒としたり、「口」を書いて「十」としたりしているのを見ると、「うおぉぉ」と思ってしまうのである。
とは言っても、「左」と「右」の一画目を取り違えていたり、ただでさえややこしい「淵」なんてのを間違えたり、ある程度致し方ないと思える様なものについては(基準は随分主観的かつ曖昧であるが)これと言って特別な事を思うでもない。ただ、それが酷い間違え方であろうがそうでなかろうが、昨日も述べていた様に私も間違った書き順を数多く記憶してしまっている人であるから、そういったミスを殊更にあげつらった揚げ足取りなんて事は勿論しない。字に書き順が定められているのは、そういう順序で書くのが最も字の見栄えを良くするからであると言う。だから、小学生位の年代の子供になら、書き順を矯正する様促すのはそれなりの意義があるし効果もあるんだろうが、既にその書き方を身体で覚えてしまっている大人に今更言ったってどうせ直りはしないのだ。多分直しもしないし。故に、「変な書き方するね」みたいな突っ込みはあまりに不必要な一言なのである。

だからね、私が「E」を「L」から書いてたってね、そりゃま、珍しい事でも何でもないとは言わないけれど、わざわざ「それはおかしいよ」とか言わなくてもいいって。
ただ一つ気になるのは、この間突然にそこそこ人のいる前で「WHERE」と書く機会があって、普段突っ込まれたくないばかりに人前で「E」を書く時だけは注意して普通に書く事を心掛けていたにも拘らず、ちょっと気を抜いていたのか二つの「E」を二つとも「L」から書いてしまったが、もしかしてもしかすると、やっぱりえも言われぬ気持ち悪さを感じさせてしまったのか。
だとしたら、すみません。と同時に、その時は全員が全員放っといてくれてありがとう。



06/07/24(月) 第486回 こね終わったぜオッケェェェェェェィ!

NintendoDS用ゲーム「しゃべる!DSお料理ナビ」 これが好調らしい。
「えいご漬け」が出た辺りからこの手のソフトは「流石に『脳トレ』に乗っかり過ぎで、そろそろ危ういんじゃないのか」とか思っていたのに、そんなDS未所持人間の意見とは裏腹に、好調らしいのである。最近続々と「これまでゲームをプレイしていなかった人達」を対象とした新市場の開拓に着手しことごとく成功させている任天堂の様子を見ると、「ああやるなあ」と思ってしまうというものだ。過去の遺産を効果的に利用した「ファミコンミニ」とか、DSの品薄からDS Lite発表の流れとか、件の「脳トレ」とか、最近メキメキ商売上手になってきている様にすら見える任天堂さんである。

ただ、思うのである。流石に、流石に「料理」と「ゲーム」は両立し得ないものなのではないのか、と。
勿論、これまで料理とゲームとは互いに相容れないものであった。大体に料理しながらゲームもしようなんて人がそもそもいないだろうし、あまりに飛び抜けた発想な事もあって両者が相容れない関係であるとわざわざ考えた経験のある人がまずいないだろうが。
「しゃべる!DSお料理ナビ」が「ゲーム」と呼べる性質のものであるかどうかは、ここでは議論を要する所であるかもしれない。しかし当の任天堂さんが「ゲーム」と仰っておられる様だし、料理中の待ち時間には往年の「ゲームウォッチ」を模したミニゲームも遊べるという事なのだからこれはゲームとして扱わなくては「しゃべる!DSお料理ナビ」にも失礼であるし、「ゲームウォッチ」にも失礼である。
それを踏まえ、改めて言おう。流石に「料理」と「ゲーム」は両立し得ないものなのではないのか。
料理と言えば、水を使う。しかるに、基本的にゲームハードとは水を一番の弱点とする機械である。嘘だと思うなら、お手持ちのNintendoDSにコップ一杯の水をかけてみて戴きたい。水をかけられたNintendoDSは、たちまちにして異常を示す筈である。もし示さなければ、10秒ばかりかお風呂に浸からせてみると宜しかろう。かかる後に電源を入れてみて、入浴前と挙動が違っていれば無事成功である。
問題は水のみにや非ず。私はゲームをプレイしている際、コントローラーが汚れるのを避ける為カルビーのポテトチップスを始めとしたお菓子の類を口にする事がない人間であるが、それが料理とあらばどうしたってある程度は手が汚れる、いや、この場合「汚れる」という表現は適切ではなかろうから言い換えると「通常状態から乖離する」事は避けられない。例えば「挽き肉を手でこねる」という作業をした後、次のステップへ進む為に何らかの操作をしなければならないのに、今おいそれとDSに触れてしまっては愛しのDSがネチャネチャの挽き肉まみれになってしまうのである。挽き肉まみれは嫌だ。
そんな、DS挽き肉まみれだけは何としても避けたい貴方には声で「OK」と言うと操作なしで次のステップに進んでくれる機能もあるらしいのだが、これはこれでどうだろう。だって、「OK」なんて、何とも恥ずかしいではないか。それが「オッケー」という発音なのか、「オーケー」で良いのか、或いは「オゥケェイ」位のネイティブ振りを発揮しないと認識してくれないのかは知らないが、それは別としても口で「OK」と発する行為は思った以上に恥ずかしいものである。嘘だと思うなら、日常料理をしているという方は実際にその要所要所で「OK」と言っている自分を、そうでない方はいつもご飯を作ってくれる人が要所要所で「OK」と言っている様を、それぞれ想像してみて戴きたい。なるべくリアルに想像してみて戴きたい。まあ、しっくりは来ない。感情表現が控え目な日本人気質というやつなのだろうか。そんな「よーし、次へ行ってくれ」という意思表示を、一工程一工程毎に言わされる苦痛。これは中々に耐え難いものであると言わざるを得ない。

「しゃべる!DSお料理ナビ」を購入した方々は、その辺りの事を分かって購入したのだろうか。そうでなかったとすれば、少々悲惨である。だが、その者達はいざ料理をする段になってようやく気付いた真実に戸惑いながらも、「OK」と口に出さなければならないのだ。
さもなければ、DSが挽き肉まみれになるのだから。



06/07/25(火) 第487回 愛しのスベスベ

割と以前からの事なのだが、二年前から使用しているノートパソコンが段々使用し辛くなってきている。
と言っても、三年目に突入、その使用率もそこそこ高いそれがいよいよおかしな挙動を示し始めたり、突如フリーズする事が多くなってきたり、怪しげな音を発するようになってきたりという事ではないのだ。一応、まだ目立った不具合をお示しになる事もなく正常に利用出来る。Wordの、強制終了の頻度が高くなっている気はするけれど。
ともあれそういう事ではなくて、目下問題になっているのはもっとユーザとの関係性が濃い部分である。具体的には、タッチパッドである。
ノートパソコンをご利用にならない方はご存じないかもしれないので説明すると、タッチパッドとはキーボードの前部(パームレストって言うんだっけか)に設けられている板状のセンサーで、これを指で触れ、なぞる事によってマウスポインタの操作をする事が出来るものである。これがある事で、マウスなしでも何不自由のない操作が可能だという訳だ。
指でなぞって使用するという性質上、このタッチパッドには二つの要件が存在する。一つは、平らである事。勿論である。「ツボ押し機能搭載!」とかのたまって勝手にデコボコ状にされては困るのである。そしてもう一つは、表面が滑らかでざらつきのない事。これも当然の事である。何を血迷ったかタッチパッド表面が鮫肌だったり、ワニ革を使用されてしまっては訴訟にも発展しかねない事態である。
無論、私の使用するノートパソコンにおけるタッチパッドも、購入当初はこの二大要件を軽々満たす仕様を有していた。だが、冒頭にもある様にその要件の一つが最近段々と崩れ始めてきているのである。
問題は後者だ。当該タッチパッドの滑らかさを保つ為のスベスベコーティングが、繰り返し使用する中で剥がれ始めてきたのだ。

貴方は、タッチパッドのスベスベコーティングの下がどういう感じになっているかご存知だろうか。と言ったって機種によっても違うかもしれないが、少なくとも私のは、その中からツルツル感のある面が姿を覗かせている。これが、見た目とは裏腹で指の滑りがとことん悪いのだ。
最初は、コーティングの剥がれも中央にほんのちょっとある程度で、たまに指がグッと引っ掛かったりはしたもののあまり気になるレベルのものでもなかった。だが、そういう状況になってなおマウスを使おうともせずタッチパッドを摩擦し続けたものだから当然剥がれの範囲は酷くなる一方であり、今となっては、パッドの中心から上下方向に全体の四割、左右方向には八割に上る程のものへと成長を遂げてしまったのであった。
これだけ巨大化してしまうと、最早スベスベ部分だけでマウスポインタを操作する事は不可能である。こと上下動ともなると指の引っ掛かりを避ける事はまず出来ないが、大体に私はタッチパッドに指を置く時には中央部に置く癖が付いてしまっているので真横移動の時だって容赦なく指は引っ掛かってくれる。こうなると気候や、自身のコンディションによる指側の変化も操作性に随分影響を及ぼしてくるものだが、これが最悪の状況ともなると本当に、まともな操作なんて一切出来なくなってしまう程である。

インターネットに興じてもいればたまにはゲームに勤しんだりする事もあるが、この症状が出て以降マウス操作によって進行していく類のもの、特にアクション性溢れるものなんかはもう駄目だ。開始してすぐにゲームオーバーになるという展開を、これまで何度味わわされた事か。
こりゃもうそろそろ、真面目にマウスの使用を検討しなきゃならんなあ。ってか、このパソコン買った時、ついでにマウスも買っててそれいつも持ち歩いてるんだけどなあ。
何故、それを使わないのか。理由はあまりに単純だ。一重に、鞄から取り出して接続するのと最後にしまうのとが面倒臭いからだ。
いや、でもこのタッチパッドもまだ何とか使えるって。



06/07/26(水) 第488回 愛しのスベスベマンジュウガニ

割と以前からの事なのだが、二年前から使用しているスベスベマンジュウガニが段々使用し辛くなってきている。
と言っても、三年目に突入、その使用率もそこそこ高いそれがいよいよ前後に動き始めたり、突如仮死状態になる事が多くなってきたり、意味もなく口から泡を発するようになってきたりという事ではないのだ。一応、まだ目立った不具合をお示しになる事もなく正常に利用出来る。Wordの、強制終了の頻度が高くなっている気はするけれど。
ともあれそういう事ではなくて、目下問題になっているのはもっとユーザとの関係性が濃い部分である。具体的には、甲羅である。
スベスベマンジュウガニをご利用にならない方はご存じないかもしれないので説明すると、甲羅とはカニの背面(頭胸部って言うんだっけか)に設けられているキチン質の殻で、これを指で触れ、なぞる事によって往年のファミコン名作「さんまの名探偵」のカニカーソルを操作する事は出来ないが何処となく心癒されしかも生き物を愛でている自分に酔いしれる事が出来るものである。これがある事で、ペットなしでも何不自由のない生活が可能だという訳だ。
指でなぞって使用するという性質上、この甲羅には三つの要件が存在する。一つは、硬質である事。勿論である。「指へのフィット感満点!」とかのたまって勝手にゼリー状にされては困るのである。二つ目に、表面が滑らかでざらつきのない事。これも当然の事である。何を血迷ったか甲羅表面が鮫肌だったり、ワニ革を使用されてしまってはスベスベマンジュウガニ命名者を相手取った訴訟にも発展しかねない事態である。そして最後に、スベスベマンジュウガニ本体に付属している事。スベスベマンジュウガニなきスベスベ甲羅なぞに魅力はないのだ。あくまでもスベスベマンジュウガニありきでなければ。
無論、私の使用するスベスベマンジュウガニにおける甲羅も、購入当初はこの三大要件を軽々満たす仕様を有していた。だが、冒頭にもある様にその要件の一つが最近段々と崩れ始めてきているのである。
問題は三つ目だ。当該甲羅の存在意義を保つ為のマンジュウガニが、繰り返し使用する中で剥がれ始めてきたのだ。いやそうではなくて、甲羅がマンジュウガニから剥がれ始めてきたのだ。

貴方は、スベスベマンジュウガニの甲羅の下がどういう感じになっているかご存知だろうか。と言ったって種類によっても違うかもしれないが、少なくとも私のは、その中からカニ味噌感のある物体が姿を覗かせている。これが、見た目通りの感触で指の滑りがとことん悪いのだ。
最初は、甲羅の剥がれも下部にほんのちょっとある程度で、たまに味噌が私の食欲にグッと引っ掛かったりはしたもののあまり気になるレベルのものでもなかった。だが、そういう状況になってなお愛玩動物を飼おうともせずスベスベマンジュウガニを摩擦し続けたものだから当然剥がれの範囲は酷くなる一方であり、今となっては、カニの背面ほぼ全体にわたる程のものへと成長を遂げてしまったのであった。
これだけ巨大化してしまうと、最早カニ味噌を見ない様にしてスベスベに酔いしれているなんて事は不可能である。こと腹も減っているとつい食べてしまおうかとの誘惑を禁じる事はまず出来ないが、大体に私はカニを食べる時にはカニ味噌も美味しく戴く癖が付いてしまっているので満腹状態の時だって容赦なく舌は欲してくれる。こうなると気候や、自身のコンディションによる腹側の変化も食欲に随分影響を及ぼしてくるものだが、これが最良の状況ともなると本当に、食いたい一心でまともなスベスベなんて一切出来なくなってしまう程である。

スベスベマンジュウガニに興じてもいればたまには饅頭に傾倒したりする事もあるが、この症状が出て以降カニ下目に属する甲殻類のもの、特にカニ味噌溢れるものなんかはもう駄目だ。「いただきます」してすぐに味噌に手を出してしまうという展開を、これまで何度味わわされた事か。
こりゃもうそろそろ、真面目に甲羅の付け替えを検討しなきゃならんなあ。ってか、このスベスベマンジュウガニ買った時、ついでに予備甲羅も買っててそれいつも持ち歩いてるんだけどなあ。
何故、それを使わないのか。理由はあまりに単純だ。一重に、鞄から取り出して交換するのといらなくなった甲羅を廃棄するのと一旦私の前に晒された味噌を見す見す逃してしまうのが口惜しいからだ。
つーか、スベスベマンジュウガニって食えたっけ?



06/07/27(木) 第489回 スベスベ思考破壊

一応断っておくが、スベスベマンジュウガニには毒があるらしいのでおいそれと食さぬ様に。
つーかね、昨日のを書いた後気になってきたんだけどね、昨日初めてこのサイトにやってきて「雑文」のページを開いた人は一体何を思ったんだろうね。あの第488回というものをそれ単独で見てみてもみなさいと、何処をどう取っても訳の分からない事しか書いてないじゃないのさと。私は今日ほどこのコンテンツの名前を「日記」だの「日誌」だのにしてなくて良かったと思った事はないよ。私なんかは何処かのサイトに初めて行った時はどうしてもまず「日記」から見ちゃうもんだけど、普通の人がそうであるかどうかはともかく基本的には「その人の本音が最も出る場」だとの認識が濃いであろう「日記」にあんな事を書いてちゃあこれはいけないから。大人のする事じゃない。子供にはまあ出来ないのに。
ともかくね、私はただただ「こいつ頭おかしいんじゃねえか」と思われたんじゃないかってのが気がかりでね。嘘ですけどね。

さてさてさて、懸案を一つ片付けた所で、取り敢えず明日を乗り越えたら小休止、もうちょっと気合入れていかんと。



06/07/28(金) 第490回 携帯電話新機種立ちはだかる

親が新しい携帯電話を買ったとの事だ。前の携帯電話はバッテリーがいよいよ駄目になってきたからという事だった。
前のは、もう何年使っていたか知らないが、Eメール機能がなかったと言うから結構なものであった事は想像に難くない。
で、そのメール機能をいよいよふんだんに使うぞ、という事になったそうである。まあ、それも時代の傾向に沿った当然の流れであったのかもしれない。
しかし私が既に成人しているというから、私の親もそこそこの年である。一般に年齢を重ねれば重ねる程機器の扱いは苦手になっていくものと思われるが、かの人もその例に漏れる事はなかったのだった。メールを送信する為に私やそのほか何人かの、まずはという事で近しい人間に対しメールアドレスを聞きそれを入手したのは良かったのだが、いざ送信しようかという段になってみるとどうすればいいかがよく分からない。取扱説明書は、そんな時の頼みの綱である事はあるだろうが如何せんあれ程に分厚いものだから、それを見たってやっぱり分からなかったらしいのだ。

そこで出番なのが、家の中においては一応一番の若手である私である。ある時、その者は買って間もない携帯電話を片手に私の前に現れ、そしてこう一言呟いたのだった。「メールはどうやって送るの」
ただ、その者はとてつもなく大きな過ちを犯していた。再三言う様に私は携帯電話を持たずとも意に介さない人間である為に、携帯電話に関する知識は一般の若者とされる人々の足元にも及ばないのである。いわんや私の知る所にない新機種(それですら最新のものという訳ではないが)においておや。
パソコンの事だったら幾らでも聞いて戴きたい。そんなそんなにずば抜けた専門知識がある訳でもないがお父上やお母上のやりたい事位であればたちどころにして答えを導き出す事が出来よう。それとはちょっと関係ないけど毎年年賀状書いたりね。それから、随分と敷居は低くなる様であるが ビデオデッキの時刻合わせなんかは是非任せて戴きたいもんである。
が、携帯電話は如何か。私は内心ではちゃんとメール送信の手順を教えてあげられる自信がなかった。だが、私も「分からない」と言いたくない困った性分であるから、取り敢えず考えてみる事にしたのである。
厄介な事には、既に奴さんは送信する為の(それも短くはない)文章を書き終えた後であった。これが何を意味するかお分かりだろうか。先に「年齢を重ねれば重ねる程機器の扱いは苦手になっていく」と述べたがそれと同様の事で、お年を召してくるとどうしても携帯電話で文章を打つ速度は落ちるものである。加えて奴さんはメール初挑戦。現在画面に表示されている文章を打ち終えるまでに、相当の苦労があった事は容易にうかがえよう。それが、私の不用意な一言による不用意な操作でない事になってしまったら。奴さんはこういった事では怒ったりイラついたりしないものであるから、それが余計私に罪悪感を感じさせるであろう。失敗は許されなかった。

まあこの所の携帯電話が、メール作成画面で入力した文面を一切の警告なしに消してしまうなんて挙動を見せない事は流石の私でも分かっていたから、その実際は言う程緊迫したものでもなかった訳だが、ともかく二分程の後、何とか無事にメールは送信出来た。
我が家における目下唯一の電子機器類専門家の面目躍如と言った所か。取り敢えず当面の体裁は保てて良かったと感じるばかりである。

オイ、そこ、やけに低次元な話だなあと呆れない。


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