06/07/29(土) 第491回 ただただ馬鹿馬鹿
突然ながら最近、人工知能という分野に興味を持ち始めており、その辺りの分野を勉強してみたいなあと思っているのだが、はて困った事になっている。
一言に「人工知能」だ「AI」だと言ってもピンからキリまで、今や随分と意味の広い言葉になっている様な気はするが、ここでは特に「教師なし学習」とか「強化学習」とかのいわゆる、人間においては生きていく上で自然と行っている学習、その学習能力をコンピュータで実現させる「機械学習」に関した分野に特化している。
ところがまあ、これが困った。学んでみたいはみたいでいい。基本的に積極的な意識というのは私としては珍しいものであるし。ただ、どうもそれに本格的に取り組むだけの時間が取れそうもないのだ。
以前に伊能忠敬についての回で「新しい事を始めるのに、遅過ぎるなんて事はない」旨の事を言っていたが、だがそれとこれとは事情が違うのである。私はみっともない事この上ない言い訳を垂れている訳ではないぞ。何しろ伊能忠敬が齢50を過ぎてから測量の為の学を身に付けられたのは、一重にそれを決意して以降、勉学一筋に生きたからなのではないか。私は違うのだ。「人工知能を勉強したい」ばかりに、今抱えている全ての事を投げ出してそれだけに打ち込むなんて事が出来る筈はないのだ。貴方だってそうだろう。貴方が学生なのだとすれば大学を即刻退学して、貴方が勤め人なのだとすれば会社を即刻退社して、己のやりたい事に没頭出来る様には、現在の日本の社会はなっていないのである。私は、どうしたって本来なさねばならぬあんな束縛やこんな呪縛から解き放たれる事もなく、それですらどうしてもと言うのであれば片手間に頑張らなければならんのである。
うーん、もうちょっと、具体的に言えばこのサイトを作り始めた頃は今よりも相当多い自由時間があったものだから、その頃にでも興味を持っていればなあと、そう思うのであるが。
まあ、この日本に暮らす一人の大人として仕方のない事である。つっても、勉強してみたい事はしてみたいので、幸い今は本を読む時間だけには恵まれているし、今度二冊ばかり買い求めてみるか。
買うとすれば、amazonか。じゃあそのついでに、今シリーズ全作品網羅を目指している最中の某作品DVDを二枚と、それにMGSのサントラも二枚程…
って、それがいかんのだって。
06/07/30(日) 第492回 2006年の梅雨明け
「テルーの唄」が何故だか頭から離れない。諸々の事があって集中しなければならないのだがしようとすると流れてくる。集中出来ない。くそぅ「ゲド戦記」め許すまじ(違)
しかし、こんだけ頭に刷り込まれてるって事は、「ゲド戦記」の宣伝戦略は概ね上手くいったんじゃないかって事ですなあ。宮崎吾朗監督許すまじ(違) こうなったら「ゲド戦記」は見に行ってやらん。元々見る予定もなかったが。元々この夏一回でも映画館まで足を運ぶ予定だってなかったが。
さて、気象庁の発表によれば今日までに東北地方を除く全ての地域で梅雨明けになったそうで。今日の天気の不安定さが梅雨前線の接近によるものだったってのにそれで梅雨明けというのは何ともしっくりこない所があるけれども。
しかし今年の梅雨はやけに長かった気がする。ただそれはもしかしたら、平年に比べて梅雨明け日が遅れたという事実だけからそう印象付けられてしまっている可能性は否定出来ない。言われれば、今年の梅雨入り時期は平年よりも遅かった記憶もある様な。
つー事で、この「雑文」の記録内において確認出来る範囲で調べてみた。
2004年:45日間
2005年:38日間
2006年:53日間
長かったじゃねーか。
平年で言うと梅雨の日数はおおよそ45日と言うから、それからしてもやはり長かった様である。いやだってそりゃもう、今年の梅雨前線の挙動には苛々させられたものなあ。一旦北陸地方まで北上していったにも拘らず降りてきてここいらに停滞。それで終わりなんならまだしも太平洋高気圧が頑張ってくれなかったせいで前線は更に南下。再び北上してきて雨を降らせたかと思えばまた南下、とウロチョロウロチョロしやがってよう。
今年、九州地方を始め各地で甚大な被害をもたらした大雨は「平成18年7月豪雨」と呼ばれる事になったそうである。確かに今年は、と言うか今年も、降らない時には全く梅雨である事を感じさせない位に降らなかったが、一度降り始めるとそれはそれは大変な量の雨が降った。我が家近辺は浸水等の水害にはあまり遭わない地域である為そこの辺りを心配する事はなかったのだが、何しろ天性の雷嫌いであるので、水害を被らなけりゃいいという訳ではないのであって。
でも今年の梅雨を総括してみると、梅雨入りから一週間ちょっとで雷雨に見舞われた事が記録されているが、全体的に見れば圧倒的に雷発生量の少ない年だった。中でも、毎年私を悩ませる梅雨末期の荒れ様が全くなかった(100km間移動で上手く避けられたのも含め)のはもう私からしたら嬉しい限り。ねえ。結局最後の刺客だった昨日から今日にかけての天気の悪さも大事には至らなかったし、もう梅雨明け万々歳というものだねえ。
その割には、梅雨明け翌日の明日には早くも気圧の谷の接近だかで朝から夕方まで所により雷を伴うらしいけど。
「ゲド戦記」許すまじ(違)
06/07/31(月) 第493回 2006年の7月を総括してみる
七月お終い。今月は一体何をしていた? かねてから忙しい忙しいと言うには言っていたが、忙しさに気を取られて実のない一月を過ごしてしまったんじゃないかという気にさせられるのは珍しい様な気もする。
かつての私だったら、そんな事は一応思ってみたりしつつも、結局来月だって同じ漢字で一日一日を過ごしていってしまうのだろうが、今の私は違う。少なくとも今の私は毎日日記に準ずるものを書いているのだから、その日何をしていたかを振り返る事は少なくとも出来る。つまり、それを鑑みてみる事で来月の指針とする事が出来るという寸法だ。
そういった訳で、今月は一体何をしていたのか、実際に振り返ってみた。
7月1日:一生に一度のお願いをする
7月2日:FFのゲームシステムを振り返ってみる
7月3日:ステルス迷彩に思いを馳せる
7月4日:一枚の証明写真に思わぬ精神的ショックを食らわされる
7月5日:本格アクションゲーマーと自分との違いっぷりに唖然
7月6日:市長の回答を忘れる
7月7日:次こそはジョニーの腹を下させる事を決意する
7月8日:身内の素晴らしさに感激
7月9日:己の度量の狭さに辟易
7月10日:ゲーム攻略本は自宅で読むものなのだという事を実感
7月11日:うだる様な暑さに牛乳も不味い
7月12日:趣味がない事を痛感
7月13日:とてつもない罠に嵌められて不当に忙しくなり始める
7月14日:海の日の存在に気付く
7月15日:バス内部にホイホイ発見
7月16日:「ゴキブリホイホイは、FINAL FANTASYを応援しています」
7月17日:結局すぐ終わった三連休に気分も沈む
7月18日:帰り電車遅延四時間超
7月19日:McAfree
7月20日:スカスカスケジュールに恐怖
7月21日:「麻垣晋一」提案
7月22日:変なEのカミングアウト
7月23日:でも書き順間違いは気持ち悪い
7月24日:そしてオッケーは恥ずかしい
7月25日:スベスベの剥がれを報告
7月26日:スベスベマンジュウガニの剥がれを報告
7月27日:スベスベマンジュウガニには毒がある事を報告
7月28日:メール初挑戦の親との奮闘
7月29日:伊能忠敬と自分とは違うんだ
7月30日:「ゲド戦記」許すまじ
うーん、よく分からん。
つーか、スベスベマンジュウガニの事とかを書いといてそれを「日記」扱いして振り返ってみようなんざ考えた私が間違っていた。
06/08/01(火) 第494回 読売ジャイアニズム
「ジャイアニズム」という言葉があるそうである。かの有名な「ドラえもん」に登場する主要キャラクターの一人、剛田武ことジャイアン(逆か)の持つ特有の思想を表す言葉である。
ところで、現在日本には「読売ジャイアンツ」なるプロ野球球団が存在しているが、ふとした時に思った。ジャイアンツとドラえもんは勿論ドラえもんが後発のものであるのだが、期せずしてジャイアンツは「ジャイアニズム」に則った行動をしているのではないか、と。
「ジャイアニズム」の最たる特徴、それはジャイアンのこの名言に集約されていると言えよう。
「お前の物は俺の物、俺の物は俺の物」
皆さんも聞いた事があるかもしれないこの言葉。考えてもみると、これは他球団に比べて相当に多い資金力を活用した他球団からの有能選手獲得補強の事を言っている様ではないか。断っておくが私は野球素人なのでここで本格批判を展開しようなんぞ考えちゃいないが、ちょっと調べてもみるとアンチジャイアンツの人々の、曰く清原、曰く工藤、曰くペタジーニと、その不平は尽きぬ模様。ただ、ジャイアンによればこれは「盗ったんじゃなく永久に借りておくだけ」だそうなのでジャイアンツに移籍した選手達も返って来ないとも限らないよ。あ、成績如何ではその年の内にですら解雇という話もある様だけれど、もしかしてそれの事か。ちなみにこれについては、過去(「コンピューターペンシル」だったかの回で)ジャイアンはこうも言っていたのを覚えているので紹介しておこう。「欲しい物は手に入れるのが俺のやり方さ」
また、「自分達の都合の良い様にルールを改正していっている」という意見もある。これも(事実だとすれば)ジャイアンの言う所の「正しいのはいつも俺だ」に通じている様で興味深い。やっぱり、「ジャイアニズム」に傾倒しちゃったのか、ジャイアンツ。
ジャイアンは「ジャイアンズ」なる野球チームを持っていたと記憶しているが、果たしてこれは「ジャイアンツ」から取ったものなのやら、はたまた「ジャイアン率いるチーム」位の意味なのか、或いは「ジャイアン」というあだ名がそもそも「ジャイアンツ」から来ていてその上で「ジャイアンズ」なのか。
仮に読売ジャイアンツが元ネタなんだとしたら、これは物凄い皮肉であると思う。もっとも、ジャイアン率いる「ジャイアンズ」が他の草野球チームから無理矢理選手を引き抜いたりしているのかどうかは知らないが。
もう一度言っておくが、私は野球に関してもっぱらの素人であって、この文章に書かれている事にもしや憤慨されたとしてそれに文句を言われても何と言う事も出来ないので悪しからず。
という事で今日は、ジャイアンズの試合中にジャイアンが言い放ったこの言葉でお別れ。
「エラーなんかしたやつは、ころしてやるから」
06/08/02(水) 第495回 野球界活性化策
昨日の話を踏まえた、現在低迷気味の野球界活性化策を提案するので、関係者各位は一読の事。
- ドラえもんのひみつ道具「きこりの泉」にジャイアンツを投げ入れる。
- 泉の中から出て来た女神が「貴方が落とした物はこの綺麗なジャイアンツですか?」と聞いてくるので、「いいえ」と回答する。
- ジャイアンツの代わりに「きれいなジャイアンツ」が貰える。
これで万事解決。ジャイアンツごと泉に放り込むのが無理そうなら、差し当たり渡邉恒雄読売巨人軍代表取締役会長を「きれいな渡邉恒雄読売巨人軍代表取締役会長」としても可。
それも無理そうであれば、映画化をお勧めする。映画の中だけではやけに男気溢れて格好良い事この上ないジャイアンツの姿を見られるだろうから。
06/08/03(木) 第496回 Gの方程式
「ゴキブリは、1匹見たらその30倍はいると思え」という格言がある。
昨日、2匹見た。
という事は、2×30で…
家には60匹のゴキブリが!?
いやいや、待てよ…そうじゃないか…
今日は1匹も見なかったから、
という事は、0×30で…
なるほど。
我が家にはゴキブリはいなかったのか。
06/08/04(金) 第497回 笑ってもないのに泣かされる
唐突に、私はある重大な危機に直面している事を思い知らされたのだった。
お金が、ないのだった。と言って、いつぞやの様に財布そのものを何処かに置き忘れたとかいう話ではないのだ。それどころか、「お金は持っていた」のである。
何を言っているかてんで分からないので要点を掻い摘んで説明しよう。まず私はその事に気付いた段階で、二万円強のお金を所持していた。蛇足であるが、これは普段私が持ち歩いている額の優に1.2倍(当社比)は下らない程の大金である。しかしその2万円を構成する紙幣と硬貨の組み合わせが問題であった。手元にあったのは、一万円×2+ちょっとの硬貨であって、つまり私は千円札を所持していなかったのだ。
本日の晩ご飯は自宅にて取る予定であった。しかしひょんな事から帰宅が少しばかり遅れる事となった私は、仕方がないので何処か手頃な所で食事を済ませようと思った。しかしそこで思い出したのだ。今自分、細かいお金持ってないんじゃないのか、と。
そこで冒頭に繋がってくる訳であるのだが、さて、根が小心者の私である。高々数百円のものを食べて、それを一万円札で払うなんて大それた事が中々出来ない人なのである。この間も電車内で特急券を買い求める時、うっかり千円札を切らしてしまっており一万円札で支払わなければならなかった際につい車掌さんに「一万円札で宜しいですか?」と聞いてしまった。無論、宜しくあってくれないととても困る事になるのにだ。ある人は「別に無一文って訳じゃないのに、何を小難しい事言ってんだ」と仰るかもしれないのだが、いやいや何が、この問題は私にとっては切実である。
一万円札を崩すのがそんなに忍びないのであればやっぱり家に帰ってから食べる事にすればよさそうなものだが、しかし悪い事には、その事実に気付いた時点で既に私は晩ご飯を食べようとしていた食堂に足を踏み入れてしまっていたのである。食堂にいる。お金は、恐らく支出を顧みなければ本気食いしても使い切れない位ある。なのに何も食べないで、水だけ飲んで店を出る。そんなおかしな話があってたまるか。大体、一度堂々と入店しておきながらそそくさと出て行けるだけの根性があれば、私はとっくに一万円札を崩す決意を固めている筈である。
取り敢えず、私は小銭を幾ら持っているか確かめてみた。もしかしてもしかすれば、ギリギリ最安値レベルのものを食べられるだけのお金は持っているかもしれない。そこそこ腹が減っていて割としっかり食べようとしていてそんな食事だと随分物足りなく終わってしまう事は必至であったが、背に腹はかえられないというものである。この店の(ドリンク等を除いた)最安値メニューはカレーその他数品目の記録する250円。対して、私の財布にあった所持硬貨の全額は…
242円
神は無慈悲だ。この間の財布・携帯・定期総ど忘れ事件の時には10円工面出来ない事に泣かされた私だったが、今日は8円ぽっちの壁に泣かされようとは。
無論、後8円財布の中にあった所で、1円玉をジャラジャラ10枚も出して支払いを済ませる事には結局ある程度の罪悪感を感じてしまうんだろうがな。
06/08/05(土) 第498回 泣いたと思ったら笑わされる
これまでのあらすじ……2万円持っていたのに8円に泣く。
流石の私も観念せざるを得ない状況であった。私に残された選択肢は二つだ。一つは、しょうがないので四、五百円のメニューでも頼んでその代金を一万円札で払い、九千円超のお釣りを貰って帰る事。もう一つは、飲みたくもないコーヒーなぞを飲んで何とか代金を242円までに抑え、一万円札で支払いを済ませる事なく急場を凌ぐ事。無論後者の場合は、晩ご飯の時間帯が著しく遅れる方向へとずれ込む為に色々と身体的負担を伴える結果となる事は火を見るより明らかである。
胸を張って健康とは言えないもののあからさまに不健康でもない私が、一日だけ晩ご飯の時間帯をずらすからと言ってさあどうなる訳でもないのだが、腹が減っているにも拘らず何故それを不当に我慢せねばならんのか。いよいよ多額のお釣りを受け取る方へと折れかかったその時、私は現在自分のいる食堂に関するある事に気付いた。
プリペイドカードだ。この店では現金支払いの他、事前に店内に設置されている販売機にてプリペイドカードを買い求め、それで支払う事も出来る様になっているのだ。私自身もこの食堂に通い始めた頃は何千円分かのプリペイドカードを購入し、それでもって支払いを行っていたものである。が、いつの頃からかそのカード販売機が故障したかで店内から姿を消してしまい、以降カードの購入は店員さんに申し出る必要がある様になってしまった事で、それだったら普通に現金で支払うのと殆ど煩わしさも違わねーじゃねーかという訳もあり、ある時からカードは財布の中にしまわれっ放しになってしまっていたのである。
私は閃いた、このプリペイドカードであれば。例えば一万円分としてカードを買うのなら、そこに釣りは発生しないのだ。私はこの上なく気持ちよく支払いを終える事が出来るだろう。尚且つ何の気兼ねもなくたらふく食える(つってもその食堂だと食べて500円そこそこがいい所か)。一万円分のカードを買うってのは割と勇気のいる行為であるとも思うけれど、足しげく通えばさして長い期間を取らずとも消化してしまえる程度のものだ。
よし、カードで行こう。そう思い、私は傍にいた店員さんに一声かけようとした。だが、まさかここにきて更なる衝撃の事実を思い起こす事になろうとは。
以前まで私は食事代金を件のプリペイドカードで支払っていた。プリペイドカードは、大体三千円とか五千円単位で買っていて、定期的に追加していたと思う。重要なのは、千円単位で購入していたという事実である。対して食事代金はどうかと言えば、こちらは例えば470円だったり、520円だったり、100円単位のキリの良い数字に収まる事はあまりない。
そうだ、この条件化で言えば、あるプリペイドカードを、ちょうど0円になる様に使い切るのは難しいのだ。事実、かつては行っていたカードの追加購入の際に、カードには130円とか150円とか、中途半端な額だけ残っていた事をおぼろげながらに記憶している。
尚且つ私は、ある時期から「カード販売機がなくなってしまったのでやむなく」プリペイドカード支払いを止めたのだった。だとすればもしかしたら私が最後に使用していたカードには、上手く残高調整が出来ず中途半端に残ってしまったお金が僅かばかりでもあるのではないか。
私は、先程硬貨が242円入っていた事を確認した財布を再び手に取り、カードを取り出してみた。そしてそこにはあったのである。140円というはしたのお金が。
瞬間、私の脳裏に浮かんだものは何だったか。それは、もしかすると、250円以上の値が付くカレーライスではないメニューに手が出せるのではないかという希望であった。繰り返すが、私は腹が減っていたのだ。ただのカレーライスでは少々物足りないのだ。せめてカツカレーが食いたかったのだ。そしてそのカツカレーの当該食堂における値段は…
380円
足 り る
プリペイドカードに残された、これまで使うに使えなかった140円に手持ちの242円。合わせて382円。8円に泣いた後、2円に笑う。何たる神様の憎い演出。
かくして、無事に腹も満たされ、小額を一万円札で支払う事の罪悪感にさいなまれる事もなく、しかも今日まで財布の中でくすぶり続けていた140円のプリペイドカードを使い切った上で店を後にした私。
その時の財布の中身、20002円。私はそこに、奇跡を見た。
06/08/06(日) 第499回 飲み込ませろ一万円
駅の自動券売機で1260円の特急券を買う時に1310円を入れて買おうと思ったら(そうするとお釣りが50円となってあわよくばジャラジャラと10円硬貨を吐き出されずに済むからと考えての事なのだが、こういう事を考慮する人間対策なのかどうなのかいつだってその券売機は10円硬貨でお釣りを支払いやがってくれるのだけれども)、何を勘違いしたか310円、1000円を投入した後もう一枚1000円札を入れてしまい、結果お釣りが1000円以上になってしまうという失態を犯した事がある。その時は割と混んでいて当該券売機の後ろには幾人かの人もおり、何とも恥ずかしい経験をしたものである。何せ、直前に支払った二枚の1000円札の内の一枚がダイレクトに返って来てしまったのだから。勿論実際は同一の紙幣が返って来ている訳ではないのだろうが、だからじゃあいいのかと言われればそんなのは全然よくない。
さて、この人生における大きな汚点を受けて思ったのである。これが、ある特別なケースだとしたらどうなっていただろう、と。
今回の一件で重要なのは、指定した切符や特急券等の代金支払いの段において請求額を超過するだけのお金を投入しても、間髪入れなければ更にお金を追加する事も可能だという事実だ。ではこれを踏まえて、先の例では誤って1000札だったのが、10000円札であるとすればどうなるだろう。つまり、1310円に10000円を加えるのだ。
実際に計算してみると、投入合計額は11310円。特急券代金が1260円なので、お釣り10050円。ん、何だ、はぐれメタルか? それはともかくとして、ここで考えるのだ。10000円を超過する様なお釣りを出さなければならない場合、券売機はどの様に対処するのであろうかと。
通常、どんな額の買い物をする場合においても、お釣りが10000円を超えるというのは10万円記念硬貨なりを使用するか、或いはまあ私の様なおっちょこちょいをやらかさない限り起こらない事象である。お釣りを用意するのが高等な知能を有する人間という生物であれば、そこは臨機応変に顔には薄ら笑いを浮かべながら新規の10000円札をレジスターから取り出すか、或いは薄ら笑いを浮かべながらしかも声を若干震わせながら今しがた支払われたばかりの紙幣を「こちらは結構ですので」と言うなりして突き返す事も出来るだろう。だが自動券売機はどうだろう。あれら機械には、10000円以上のお釣りが生じた場合についての処理もきちんとプログラムされているのだろうか。
ここで一つ思うのは、10000円札をお釣りとして出力する事が普通はない事を理由に、もし全てのお釣りを1000円札で渡すという事になっていたとすれば、上手くやると10000円札を1000円札に両替する事も出来るじゃないかという事だ。つまり上記の11310円支払った例で言えば、投入した10000円札がその額のまま10枚の1000円札になって返って来る事になるのである。
つとに身の回りに両替機の姿がなく、定期的に尽きる1000円札の補充に困っていた私であったが、もしいつもお世話になっているあの自動券売機がそういう仕様であったなら、これからは代金を超過する分だけのお金を入れたらすぐに10000円札を投入する事によって1000円札への両替が出来る可能性が生まれたという事になった様である。ちなみにこの券売機、5000円以上のお釣りも全て1000円札で出て来る為、もしかしてこれは本当にそうであるのかもしれない。
うーん、でも、両替機でないものでしかも意図的に両替行為をするっていうのは、もしかしたら何かしらの法規に違反したりするのだろうか。
いやそれ以前に、普通では起こらない事をやらせようってんだから下手したら10000札を飲み込んだまま出て来なくなっちゃう可能性だって十分ある事を考えたら、私は決してそんな暴挙には出ないけどな。
06/08/07(月) 第500回 祝500回
第500回記念! ネタなし!!
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