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04/07/02(金) 第51回 小学生とバリアフリー

往々にして帰宅時のバスと電車のタイミングは合わないものだから、その日もいつもの様に駅で時間を持て余していました。
すると、上りエスカレーターの降り口付近で下を見下ろしつつデジカメらしき物を持って佇んでいる人を発見。私の視点からではエスカレーターの下にどんな光景が広がっているものなのかを知る事が出来ませんから、時折写真を撮りつつ下を見ているその方を見て、どう良く見ても「不信だな〜」と思ってしまったのは恐らくしょうが無い事で、多分その光景を思い浮かべて戴ければ誰しもそう思うものであると思われるのですが、まあそれが失礼千万な話であったという事が判明したのはその少々後の事でした。
不思議な事と言えばもう一つ、幾らその方が不信に映ろうが、エスカレーターに乗る時点の人々にとっては、その方を視認する為にはエスカレーターに足を踏み入れる少し前から既に上を見上げていなければならない筈で、もしそうしていたなら、その不信感からわざわざ予定を変更して隣の階段を使用する事も考えられるかもしれませんが、大抵においてそれはありえない事ですよね。その大抵の場合はと考えればエスカレーターも中盤辺りに差しかかった所で初めてその方を認識する訳なので、引き返すわけにもいかず…なんていうシチュエーションが考えられたのですが、その方がエスカレーター降り口付近に陣取っている間、下からそのエスカレーターを使用して上って来る人は全くいなかったのです。
その代わりに、ゆっくりゆっくりと駅員さんの姿が見え始めたかと思えば、次に車椅子に乗った方が上って参りました。あぁなるほど。例のデジカメの人こそ依然そこにいる理由は分かりませんが、数分間に亘ってそのエスカレーターを使用する人がいなかった理由がこれで判明したというものです。
ところが、次にデジカメ持ちの方の謎を解こうとしていた私は次の瞬間、信じ難い光景を目にする事となります。先程エスカレーターを使用して上ってきた車椅子の方の年齢はと言うと、見た感じ小学校低学年位とお見受けしたのですが、その小学生が、さっきまで確かに車椅子に乗っていた筈の小学生が、それを乗り捨てて平然と歩き始めたではないですか。何だったら無邪気にも少し跳ねてた気もします。

何だ何だ、何が起こっているのだ?
車椅子を乗せている時のエスカレーターは構造的にはどうなっているのだろうという些細な疑問もあったのですがそんなものは何処へやら。
そうして混乱していると、下からもう一人、また小学生と思しき子供が車椅子に乗って上って参りました。
「まさか…」
その時点ではまだ、さっきの光景はただ単に別人と見間違えただけかもしれないとも思いつつ、しかし何かの予感を感じながら、今度は注意深くその子供の行方を見守っていたら……やはり彼もエスカレーターを上り切ると車椅子から降りて普通に歩き始めたのです!! 何だったら少し跳ねてた気もします、無邪気にも。
その後も続々と、車椅子に乗って、或いは普通に上って来る小学生達面々。そしてどうもそれを先導しているらしき方が二人。その二人の内一人は例のデジカメの人です。で、駅員さんは何やら小学生に対して色々と説明をしている模様。
ここまできて、ようやく分かりました。これはあれですね。社会科見学だったのですね。「鳥取駅のバリアフリー対策がどうなっているかを調べよう!!」みたいな事だったのでしょう。で、例のデジカメの人は引率の先生だったのですね、多分。いやはや、「不信だな〜」なんて思って申し訳ありませんでした。

社会科見学ですか。勿論私にも経験はありますが、既にその殆どは忘却の彼方ですね。
それを思い、「折角の彼等のこの体験も、いつしか大半は忘れてしまうんだろうな〜、でも、全員が全員全てを忘れる訳ではないし、この経験は間違い無く何かの糧になるんだろうから、無駄であろう筈が無い」とか考えていました。
が、
バリアフリーがどうの、田舎の方の駅での対策はどうのと駅員さんが熱心に説明してくれているのに、ある生徒は全く関心が無いのか
「あ、きしゃがきた〜」
である。
彼は恐らく将来この日の事を忘れるのだろう。決め付けは良くないけど。
又、もし彼が既に「汽車」とか「来」という漢字を習っていて、それが書けるのであれば、こう平仮名で表記した事は彼に対して失礼であり、申し訳無く思いますが、そう聞こえてしまったのだからしょうがないのだ。



04/07/03(土) 第52回 人の流れに身を任せ

田舎、つまり私の住まう地域辺りでは無かったのだが、四月からやや都会の地へ出向く様になり、しばしばその光景に出会う事になった。
駅前アンケート、というやつである。
これは一部の人にとってはとてもタチが悪いと言わざるを得ないだろう。何となればアンケートを取っている方達は、駅に出入りする人に例え時間が無かろうとも語りかけて来かねないからである。勿論彼等だって、あからさまに急ぎ足だったり明らかに表情に焦りの色が見えていたりすれば、わざわざそんな人にまで話し掛ける事はないであろう。しかし、わざわざアンケートに答えている暇の無い方々が全て明らかに急いでいる様子を見せているとは限らず、実際私もそうであるが、傍から見れば一見普通に歩いているかの様な様子を見せている人は多いのだ。(少なくとも私の場合は)走る程急ぐ必要は無いのだから。ただ、勿論単純にそれらアンケートを忌み嫌う人も多いであろう。

こういったアンケートは、一〜数人の人間が駅の入り口付近で少々離れた位置に立っており、駅に出入りする人間を今か今かと待ち構えているものが殆どだが、極稀にテレビカメラらしき物を担いでいる人とインタビュアーと思しき人が一組となって駅前を右往左往している光景が見られる事もある。
後者の場合は特殊な例であり、その特殊さ故に、自己顕示欲の旺盛極まりない人々が自ら進んでカメラの前に立ち塞がる事がしばしばある訳であるが、同じくこういう形で日々感じた事をWeb上にて発表している点で自己顕示欲が旺盛だと言えるであろう私は、こういったアンケート類はあまり好きではない。前者後者含めてである。
しかし、行きの時は実際時間が無い訳であるからしていいとして、帰りの場合は電車を待たなければならない為にお世辞にも時間が無いとは言えないので、もし彼等が私に尋ねかけてきた場合、私には正当な理由でもってそれを断る手段を持たなくなってしまうのである。
そもそも正当な理由がある朝方であっても、話しかけられた所を半ば無視する感じでズンズンと歩き去るとやや心苦しいというのに、日によるものの三十分近くは時間を持て余す事が分かっている上で尚それを決行する事はおいそれとは出来ない、私には。どうも自分を美化して書いている様な気がしなくもないが。
でもアンケートは好きではないのである。困ったものだ。
そこでだ。どうすればいいものかと考えれば、結論は一つしか出ない。相手に話しかけられないままに駅構内へ入ってしまえばいいのだ。
そうとなれば始まってしまう、戦いが。奴等は見事に駅の出入り口を塞がんとする位置に佇んでいる。勿論だ、駅に入る人だけではなく駅から出て来る人をも解答者候補の範疇へ入れるのならば、それは最適な判断であろう。しかしそれは返して言えば、相手の動き自体は安易に読めるという事である。これは相手にとっては致命的であると言わざるを得ないだろう。
しかし、だからと言って、少し離れた位置から駅の方を凝視して機会を伺っていれば、昨日の話ではないがそれは誰の目にも不審者に映ってしまう。幾ら何でもアンケートの答えたくなさが原因で不審者のレッテルを貼られ、あまつさえ「ちょっと来なさい」と言われたくはない。何処に連れて行かれるというのだ、勘弁してくれ。
それを避ける為には、ややゆっくりめでもいいので、駅へ向かって歩き続ける事だ。歩き続けながらも、前方を歩く奴等のターゲットと、そのターゲットの方へ歩み寄る奴等の動きを注意深く、しかし凝視しない様に配慮しつつ追っていけばいいのだ。
そして、奴等の少なくとも一方がターゲットの方へ歩を進めた瞬間、チャンスはその時である。それによりやや開ける事となった駅の出入り口に向かい、さっきまでとは打って変わってやや早足で中へ潜り込むのだ。
中へ入ってしまえばもう奴等が追って来る事はないだろう。奴等に勝利した瞬間である。

…この様にして、完全な理論の上に勝利を掴み取った筈なのに、何処か陳腐な感じがそこはかとなく漂うのは何故だろうか。



04/07/04(日) 第53回 腹八分目とはよく言ったもので

食事の話。
私には食事において、満腹もいい所、やや苦しくなる位まで食べてしまう時があるという悪い癖があります。
もう二十年以上も生きているというのに、未だに目算で自分のお腹の減り具合との兼ね合い、見極めが出来る気配が無く、ちょっと油断しようものなら、最もいい気分でいられたであろう範囲を振り切ってしまうのです。それが自宅での食事であるなら、昨今では冷蔵庫という機器もどんどんと発達している訳ですから、暑さが際立ってき始めたこの時期であろうが次以降に残しておく事は容易であり、そうする事も度々です。
ですがそれが一度外食となるとどうでしょう。もしも残す事にでもなれば、それらが捨てられてしまう事は明らかですし、残った分はじゃあ次以降に、なんていう行動を取る勇気が無ければそんなツケ制度も勿論存在しません。更には、最近では明るい兆し明るい兆しと巷でテレビでよく耳にする様になりましたが、依然不況の影が色濃く見える現代社会の中に生きる一人の者として、ちゃんと相応の代金を払っておきながらにして、それを存分に堪能する事の無いままで食事という行動を終える事に多大なる勿体無さを感じるのです。
なのであるからして、おめおめと食べ物を残して去る訳にはいかないのであります。なのであるからして、食べ切る前に満腹感が出てき始めたとしても少し無理をして食べてしまうのであります。私自身、常日頃食べ物の有難さ、残す事捨てる事の勿体無さを心身共に痛感しながら生活している訳ではないので、ちょっとそれらを言い訳にしている感は否めませんが。それはいいとして、とにかく私はふとした時にお腹一杯食べてしまう事がしばしばあるのです。

そんな中、最近ある事実を知りました。
毎食満腹になるまで食べる人と、満腹になる前で食事を済ませる人では、後者の方が長生きする傾向にあるらしいですね。ご存知でしたでしょうか? 私が認知していないだけでしたかね?
しかし、考えてもみれば当然の話ではありますよね。実際満腹という状態は少なからず「苦しさ」を伴う訳なのですから。ただ、実際にそういう統計が出ている事を知り、少々ショックを受けました。食事内容自体、健康に良いとはちょっと言えない様な食生活を送ってしまっているのに、量的にも問題があるとなると、毎日の事だけに少し考えさせられますよねえ。あぁ、癌の原因としても「普段の食事」は高い割合を占めているんでしたっけ…
とはいえ食事というものは、食欲という強い人間の欲求を満たすものであるものである事も事実。食べ過ぎが身体に悪いという事を知りつつも、その傾向を抑えられる気配は一向に見られないのだった。まあ、元々判断違いによって食べ過ぎとなる場合が多かったので、簡単に抑えられるものでないとは思いますけれども。
…だが、だがである。その事実を知ってからというもの、食事中に満腹になってくるとどうも胃とかの器官に大きな負担をかけているのかなあ…と、結構気になってくるのであった。どうなのだろう、それは。



04/07/05(月) 第54回 会心の一文字

もう実に七、八ヶ月位前の、もしかしたら近々サイト(このサイトの事)を持つ方向へ動くかもしれない状況にあった当時のお話。
もしサイトを運営するとなったら、定期的な更新の為にと日記を付ける事になるだろうという事で、何事においても慎重に事を進める私は、果たしてどれ位の頻度で更新出来るものなのかを事前に知っておく為に、「仮にその日日記を書くとしたら何を書くか」をしばらくシミュレーションしていました。
その頃に、もし今現在サイト内で日記を書いているなら間違い無くこの事を書き綴ったのだろうなあ、という様な出来事が起こったのです。もしかしたら人生でもう二度と無いかもしれないその出来事にいたく感動した私は、実際にサイトを持ってからも、実際にこうして日記的なものを書き始めてからも、いつかこの話をしようしようと思いつつ、「話題(やその他諸々)が豊富なネタは出し惜しみする」という私のあの悪い癖のせいで、今まで日の目を見る事はありませんでした。
別段これと言って決意めいたものがあった訳ではありませんが、今日はその話を、あたかもその当時日記を書いていたらこう書いていたであろう感じで書きたいと思います。

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文字を書いていて、ふとした時に普段の自分からは絶対に考えられない様な、綺麗で均整のとれた一文字、「会心の一文字」を書いてしまった経験がある方は結構いるものと思います。
普段は間違っても人には見せられない程に雑な字を書く私でも、過去何回かはそんな経験をした事があります。それがどの文字だったのかは殆ど覚えていませんが、「し」とか「す」とか「ぬ」でそれをやった記憶はありますね。「し」なんて書こうと思えばいつだろうが綺麗に書けそうなものですが、どんなに意識して書いたとしても、その「会心の一文字」には負けてしまうのです。何となれば私は極めて書く文字が汚いのですから。一般的な話をしている訳ではないですよ、誤解無きよう。
で、その「改心の一文字」の神が、この間久し振りに私の元へ降臨したのです。
その文字とは…



結構な速さで文字を書いてたのでいつもよりも一層汚い文字がズラズラと並ぶ中、突然何の前触れも無く現われたこの文字に、我ながら惚れ惚れとしてしまいました。しばらく見入ってしまいましたし。あまりの綺麗さに、ちょくちょく振り返って見ては釘付けになってしまうものですから、作業の滞る事滞る事(笑)
何が凄いって、画像が少々悪いので分かりにくいですが、一画目の独特の書き出し、つまり
 ↓この部分

が、正にお手本通りに、まるで印刷したかの様に上手く書けた事ですね。
何の過言でもなく、まあ勿論周りの汚さもそうさせていたとは思いますが、本当にそこだけ判子を押してあるかの様に際立って、そして燦然と輝いて見えたのでした、否、今でも違える事無くそう見えます。
本当なら、画像の悪さをフォローする為に、周りの文字と合わせて見せるべきなのかもしれませんが、流石にちょっとそれは勘弁して下さい。今回改めて「ウ」の周りの文字を見渡してみて、その酷さに辟易してしまいましたから。

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さて、前々から書きたかった事も書けたんで、今日はグッスリ眠れそうです。



04/07/06(火) 第55回 貴方は鉛筆派? シャープペンシル派?

そんな議論を小学生の頃にした記憶があります。それぞれの班でどちら派かに分かれ、それぞれにおける利点を挙げ、如何にそれを用いる方が有効か、という事を議論するというものでしたが、もしも班内部で意見がどちらか側に偏った場合はどうしたのだろうか? と、今になってふと考えてみる。いや、大事なのは「議論する」という事を学ぶ事でしたでしょうから、無理にでも半々位に分かれる様に言われてたかな? まあそんな事はどうでもいいですが。
偶然かそうでなかったかは別として、上手い具合に半々に分かれた我が班でしたが、私は鉛筆派の方に付きました。そして、「鉛筆は折れにくい」とか言ってシャープペンシル派と意見を戦わせた覚えがあります。
しかし、時代の流れというのは時に無情なもので、当時私と共に鉛筆派として戦った友も、他の班で同様に鉛筆派としての意見を出していた者達も、時が経つに従い、徐々にシャープペンシルの有用性に気付き、それを多用する様になっていたのです。ただ、だからと言って、誰が彼等を責められようものでしょうか。それもそうです。繰り返しますがあの議論で重要だったのは、単に「議論をする」という事そのものだった訳で、つまりもしかしたらあの時鉛筆派に身を置いていた者達の中には、「私は本当はシャープペンシル派だったのに、無理矢理こっちに来させられたんだ」という人だっていたかもしれないのです。それよりもそもそも、人というものは時と共に移ろい行くものですしねえ。

ところがです。周りが続々とシャープペンシルを使い始めていく中、私は何時まで経ってもそれを使おうとは思いませんでした。それは勿論あの議論が頭にあって、自分だけは頑として、なんて事を思っていた訳ではなく、ちゃんとした別の理由があったからです。
その理由と言うのも、私は非常に筆圧が高いんですよね。自分で書いていながら、しばらくすると手が痛くなってくる程です。一応は自分で意識して多少は抑えられますし、最近ではかなりましになってきていますが、それでもふと気付くと渾身の力を込めてしまっている時があり、そんな感じなものですから、シャープペンシルを使うと頻繁に芯が折れてしまいかねないんですよね。実際に使った事があまりないので分かりませんが。それでも多少はある経験を元に言うと、鉛筆を使っている時とは比べ物にならない位の神経を力の込め方に使うものですから、書く事に中々集中出来ないという弊害もあります。
しかしまあ、筆圧が高くても、手の疲労が普通より大きい以外は別段問題も無いんじゃないの? と思われる方もいるかもしれませんがさにあらず。考えてみて下さい。それが横書きならば、確かに他には問題が無いと思います。ところがそれがひとたび縦書きになってしまうとどうなるでしょう。
こんな経験は無いですか? 例えば小学校の時に作文か何かを書いていて、左から右へ手を動かしていく訳ですから、どうしても手の小指側が擦ってしまって黒くなってしまうという…そしてそんな中、それを全く気にする事無く悠然と筆を進めている左利きの人を羨ましがるというそんな経験。書写の時間の様に、お手本を元にして綺麗に書く事を目的とした授業の時は、手で擦らない様に紙を一枚ひいていた人もいるかもしれませんね。
私は右利きですから、その例に漏れず手が黒くなる人だったのですが、如何せん筆圧が高いものですから、まず基本的に濃いです。しかも悪い事に、私は物を書く時に手を完全に横に寝かせて書いてしまうという悪い癖があるものですから、つまり手の小指側全体が紙を擦っていく事になります。そうなると、一通り作文を書き終わった後には……というのは想像に難くないというものです。友人に「うわああぁぁぁ」とか言われた記憶もあります。

という訳で、私は今でも「鉛筆派」で通っているのだった。
まあ最近ではペンであったりパソコンであったりを使う事が多く、鉛筆を使う機会は結構減りましたけどね。
しかし侮るなかれ、わずか七、八ヶ月前に書いた「会心の一文字」は鉛筆によって生み出されたものなのだ。
私と鉛筆の縁は相当深い。



04/07/07(水) 第56回 駅員を欺け!!(嘘です)

如何せん田舎であるからして、時折テレビで見かける様な電車におけるラッシュというものには、幾らピークの時間帯であろうが出会う事はまずありませんが、それでも相応の人々の流れは出来るものです。
同様に田舎であるからして、幾らそこが県庁所在地鳥取の名を有する駅であろうとも、自動改札というシステムはまだ導入されていません。
つまり、改札には駅員さんが一〜数人立っており、人によっては定期であったり、人によっては切符であったりをそのそれぞれについて確認し、通行を許可するとなるや「有難うございます」「有難うございます」と人々を送り出している光景が見られる訳です。
私が恒常的に電車に定期を携えて乗り始めてから早三ヶ月が経ちまして、その間私も颯爽と定期を駅員さんに見せるという作業を何度と無く行っていた訳ですが、ふと、こんな疑問が頭に浮かんだのでした。
駅員さんは時に雪崩の様に迫り来る人々が差し出す定期や切符を確認している訳ですが、こと定期に関して、果たして本当に十分な確認作業を行っているのだろうか? というものです。人の数がピークに達する時であれば勿論ですが、そうでなくても駅員さんが定期を確認する時間は極めて短いですから、不思議に思うときがあるんですよね。もし一つ一つ確実に確認しているのであれば、それはまあ仕事なのですから当然の事ではありますが、凄い能力だなあと思わされてしまう事ではあります。
ここでそれを考えてみるにあたり、定期に書かれている情報を整理してみますと、何箇月分の定期であるか、何処と何処間の定期であるか、何時から何時までの定期であるか、幾らの値段の定期であるか、誰の定期であるか、新規の定期であるか以前の物から継続している定期であるか、という感じになるでしょうか。そしてこの内、その定期の所持者が改札を通過する事を許可する為に必要な事項は、区間と期間という事になります。
まず区間について。定期には区間の両端の地名が書いてありますが、勿論その区間内での乗り降りも自由な訳ですから、まず駅員さんは完璧に路線図を把握している必要がありますよね。まあ、定期というのは、ある期間内で頻繁に電車を利用するから購入するものなので、例えば鳥取駅で利用される定期に何処か遠方の地名が書かれている可能性は非常に少ない訳ですが、私の様に100kmに亘る区間の定期を買う奴だっていなくはないですから油断は出来ません。後、定期を差し出す場所が、定期に設定されている区間のどちらかの端であれば、定期にデカデカと当駅の名前が書いてある訳なので判別は簡単にもなりますが、やはり私の様な、事情により日によっては区間両端より一つ内側の駅から乗るというイレギュラーを持った奴もいるので油断は出来ません。やはり路線図はしっかり極めておく必要性が生じるのです。
では期間についてはどうでしょうか。定期には、「何時まで」の部分は区間名よりも大きく表示されていますが、「何時から」というのは小さくしか書いてありません。私の認識が間違っていなければ、定期券の最短設定期間は一箇月であった筈なので、「何時まで」の日付がこの先一箇月以内のものであればその時点でその定期が有効期間内である事が言えるのでそれはそれでいいんですが、それ以外の場合、つまり「何時まで」の表示が一箇月以上先の日付となると、同時に「何時から」も確認する必要が出てくる事になります。
これらの事を考えると、あの一瞬の間に、それぞれについて完璧に判断出来ているとは思えなくなってくるんですよね。もしかしたら今より一箇月先〜二箇月先まで、の様に若干違う定期を差し出しても通してくれちゃったりするのでは…なんて思ったりして。

あくまでもそれを実験してみたいと思ったからではなく、ただ純粋にドジを踏んで、バスの方の定期券を提示して改札を通り抜けようとしてしまった事があります。次はその時の一コマ。

「はい、有難うございまし……ちょちょちょちょっ」

まあ正直な所呼び止められた事でやや焦りましたので、実際にこの様に駅員さんが喋ったかどうかは知りませんが、多分こんな感じでしたでしょう。
その時はすぐに私が定期券の提示し間違いに気付いたので事無きを得ましたが、もしもう少し気付くのが遅かったら、見事に「不法乗車疑惑」をかけられる所でした、と言いますか、既に立派にかけられていたかもしれませんがそれは置いておいて、この事実について考えてみると、「あぁ、駅員さんはちゃんと仕事をしてるんだな〜」と、感心の念や尊敬の念が湧いてきて、同時に疑念を抱いた事に対して申し訳無いという気持ちになったのですが、それも束の間。危うく騙される所でした。
まじまじと見てみなくても、電車の定期とバスの定期は色味からして別物です。一応どちらの定期にも、かたや「鳥取駅」という意味で、かたや「鳥取駅前バスターミナル」という意味で、それぞれ「鳥取」という共通した文字が刻印されているものの、間違い無く一目で見分けが付きます。
なのにも拘らず、駅員さんは危うく私を通過させてしまう所でした。つまりこの事実は、定期の確認作業というものが、少なからず流れ作業的に行われているという事を示していると思われます。
状況からすれば、それは当然とも言える事ですが、こうなって来ると、俄然先程の考えが気になって参りますね。電車とバスという全く違う定期券ですら、駅員さんの真横から人一人分抜け出す位は前進出来てしまった訳ですから、もしももっと微妙な、先に挙げた例の様な定期を用いたとすればもしかしたら…
流石に私にはそんな、一生を棒に振りかねない冒険をする勇気や一般常識は持ち合わせておりませんので、試してみようとも思いませんが。



04/07/08(木) 第57回 この不届き者めが

「うわ〜い涼しいな〜」
今日はとにかく暑かったものですから、朝バスに乗り込んで、天国にも感じられる内部の心地良さにそんな事を思っていました。
今は良いけど、バスを降りたらまた地獄なんだろうなぁ、とか考えつつ、バスの発車を待っていたのですが、発射予定時刻直前になって運転手さんが運転席横の出口の扉を開けたので、何だと思って見てみますと、どうやら仲間の運転手さんと会話している模様。
運転手さん同士が世間話であろう会話をしている光景は時折見られるものなので、それだけなら何ら問題は無かったのですが、その直後です。何と運転手さんが、運転席を離れて、話しかけてきたもう一人の運転手さんの所へ話しに行ってしまったのです。
私の座った座席から窓越しに見える時計(秒針付きのアナログ式の物)を見ると、出発予定時刻までもう一分を切っています。とはいえ、その時計が秒単位まで正しいものであるかどうかを証明する術は無いんですよね。もしかしたら一、二分進んでいるのかもしれませんし。携帯電話も持っていましたが、現時点で少なくとも一分は時計が進んでしまっている事が分かっていますし、元より何秒であるかまではそれでは分からないので、やはり今現在の正確な時刻を知るには至りません。
結局、一分かそこらで運転手さんは帰って来て、普通にバスは出発しました。窓越しに見えるアナログ時計は、出発予定時刻を数十秒位回っていましたが、恐らく予定時間通りに出発したのでしょう。そうでなければ幾ら数十秒だとは言っても、世間話(多分)の為に発車を遅らせたのでは洒落になりませんから。

という訳で万事事無きを得たのですが、
しかし、
目的のバス停を降りる予定時間と、
「遅刻」のレッテルを押されるボーダーラインの時刻との間にはそれなりの間があったので、
別段焦るでもなくその光景を傍観していた私が、
完全にネタとして成立するから、
どうせだったら二、三分位遅れて出発しないかな
なんて密かに思っていたのは秘密だ。



04/07/10(土) 第58回 聞きたいものだ第一声

一昨日の話になりますが、「今日も一段と暑いな」と、目も虚ろに覇気も無く考えながら歩いていたら、ふと蝉が鳴いている事に気付きました。今年初めての事です。
毎年毎年そうなんですが、どうしても蝉の鳴き声に気付くのは「ふと」であったり「そう言えば」であったりなんですよね。一旦気付いてしまうとうるさくてしょうがなくなる場合すらあるのに、ふとして気付くまでは何ら気にかからないのが不思議です。
少年の頃の遥かなる思い出を振り返ってみれば、躍起になって何匹もの蝉を捕まえては虫かごに入れて、夕方頃になったら一斉に逃がしたりしていた事もあります。
その当時を思い返したり、あらゆる「自然」から遠ざかっている今を思ったりもしながら、是非一度は、その第一声を聞いてみたいものだなあ、と思う私であります。

話は変わって昨日の事。駅前で某党の方が演説をしていました。
我が党はアレコレだ、どうこうだとアピール出来るのは後二日だという事もあってか、結構言葉に力が入っています。こんな猛暑にも拘らずそんな大声を張り上げて熱く語って大丈夫なのだろうかと思わされます。
しかし、幾ら何でも導入部、つまり挨拶から入るのだと思われますがその部分から熱く語っている訳ではないですよね。それは朝であるかもしれないのに。大声で「宜しくお願いします」やら「是非貴方の一票を」やらと大声で叫ばれては近所迷惑もいい所…と、私情が入ってしまいました。
こういった演説は流石に「ふとした時に」気付くものではありませんがしかし、考えてもみれば、自分から進んで演説を聞きに行こうとした事が無いので、私がその光景を見かける時は決まって途中からである点で、先の話との共通点はあります。
という訳で、この「演説」というものの第一声も聞いてみたいものだなあ、と思う私であります。

………

…スミマセン。

あ、いや、「蝉」と「演説」を比べてしまった事ではなくて…

やっぱり演説の第一声は聞いても聞かなくてもいいです。



04/07/11(日) 第59回 2004年の梅雨明け

ニュースを見て愕然とすらしましたとも。ここ中国地方は実に例年より九日も早く梅雨明けしたらしいです。
梅雨入りも今年は早めでしたので、期間的には例年と然程変わらず、といった所なのかもしれませんが、雨量に関しては身に染みて少ないと感じましたね。雨量が少ない事による水等への悪影響というのもチラホラと聞くので単純に喜んではいけないのですが、でも嬉しい限りだと思ってしまう自分勝手で駄目な私であります。

さて、梅雨明けしたという事で、六月五日の日誌を振り返ってみますと、その日私は、翌日から本格的にやって来る梅雨を憂えて「今年くらいは雷はお休みになってくれないかなぁ…と思ったりもしますけど…」と書いています。ここでの「雷」とは、梅雨明け間近に頻繁に発生する激しい雷雨の事ですね。
その「梅雨明け間近の激しい雷雨」は、今年はどういった顔を見せたのでしょうか。それを考察してみましょう。
昨日までのここ三日の事を考えると、確かに強力な雨が降りました。地方ニュースでも雷が発生している光景を何度も見ましたし。
私もその三日は緊張しきりだった気がします。何でわざわざ地元から100kmも離れた土地で雷に見舞われなきゃならんのかと。それに、人生初となる電車内で遭遇する雷というのも想像に及ばなくて、より一層激しく感じるのか、それとも電車の中だと実はあまり脅威に感じられないのか、と、不安七割期待三割位の感じで。

そんな不安の中、それは起こったのでした。
まずこの三日間の内の一日目、天気の崩れは帰りの道中で起こりました。電車に乗っていて外の景色を見ていると、南側に見える明らかに際立って黒い雲が段々とこちらへ近付いて来ています。電車はそれらの雲を横に見る形で走っていたにも拘らず全く振り切れる様子が無かったので、かなり広範囲に亘る雨雲だという事が予想出来た為に、その不安は一際でしたとも。途中で少し雨が降ったり、ちょっと光った様な気がしなくもありませんでしたが、本格的に深刻な状況になる前に無事自宅へ到着。で、自宅にて気象情報を見てみますと、何と上手い具合にここらの地方が雨雲の西端にあってくれていて、もう少し帰宅時間が遅かったらまともに雨雲にぶつかっていたでしょうから、これは幸運だったな〜、という感じでしたね。勿論それでその日は勝負が終わった訳ではありませんでしたけれども、結局それからも特に異常は無く戦いは問題の二日目へ。
二日目は更に大変だったのです。それはやはり帰り際の話。駅で電車を待っていますと、何だか徐々に徐々に薄暗くなっていく感じがしたのですが、その時はまだ殆ど危機感はありませんでした。というのも、雲は背中側から近付いて来てましたので、最も危険な雲が目に入っていなかったんですね。どちらかと言えばまだ大丈夫だろうとすら思いつつ電車を待っていたのですが、電車が来る数分前に、ズーン、かもしくはドーン、といった感じの音が薄っすらと耳に入ったのです。「これはもしや…」と、その時になって初めて実は危機的状況にあるのではないのだろうかという不安感が出て来始めたのですが、それも数分。いざやって来た電車に乗ろうとしたまさにその時、やはり薄っすらとでしたが、ピカピカッと光るのが確認できてしまったのです。電車に乗って座席に座り、そこで初めて先程まで背中越しにあった南側の雲を眺めてみますと、ちょっと洒落にはならないであろう黒い雲が……もしかしたら聞き違いだったのかもしれないという期待混じりの薄い不安感は、一気に爆発したのでした。
電車が発車して間も無く、大粒の雨が激しく降ってくる事に。もう早くこの雲を振り切ってくれ、という感じでしたね。ただ、実際に雨が降り始めてからは、どうも何かが吹っ飛んだのか、ちょっと気分が高ぶって、あまり不安は感じていなかった気がします。電車内だと多少なりとも安心するんですかね? 途中で対向の電車を待つ為に停車した時には不安感が見事に復活してましたし。結局の所その雨雲は、前日の黒雲とは違って、程無くして振り切ってくれたどころか、地元へ近付くにつれて晴れ間すら覗いてくる位に。天気予報を元にした私の予想では、電車で地元に近付くに連れて天気が崩れるとみていましたので、取り敢えず一安心する事になりました。
ただ、そのまま特に大事も起こらないまま自宅へ帰り着いた後、前日と同様に気象情報を見た時、私は正に愕然としてしまいました。何と僅か二時間前までは普通にいた鳥取地方に、極めて強力な雨雲が、明らかに雷鳴ってんだろオイ、という雨雲が、レーダー上では最も強い雨雲を示す赤色の表示を大々的に湛えている雨雲がかかっていたのです。しかも程無くして鳥取地方に大雨洪水警報が発令される始末です。
その日はいつもより早く帰宅の途に着いていましたので、普段通りの帰宅時間だとしたらと考えるとゾッとしますね。もしそうであれば、恐らくあの雨雲に遭っていたでしょうから。
ところが、幸運はそれだけではなかったのです。その日の地方ニュースを見てみると、ここ地元周辺で昼前から昼過ぎにかけて雷を伴った激しい雨が降ったとの事。つまり、その雨を鳥取にいる事によって避ける事が出来、更にそれとは別の、鳥取で降った激しい雨も、上手いタイミングで帰って来た事によって見事に避けたのです。前日の雨の回避劇と言い、これはちょっと幸運では済まされませんかね。奇跡と呼ぶべきものかもしれません。
翌日の三日目は休みであり、その日は寒気の影響があって雷雨が降ってしまいましたが、それも私が懸念していた午後では無く午前止まりで、しかも雷にのみ関して言えば、二、三回程しか確認せずに済みました。一方、私の懸念していたその午後はと言えば、鳥取の方に強力な雨雲がかかり、またしても大雨洪水警報が発令していましたので、もしその日が休みで無ければ、今度こそ間違い無く雨雲に当たってしまっていた事でしょう。そうなのです、ここでも奇跡的に最悪の状況を避けたのです。

こうして、三日連続で奇跡的な回避率を上げての本日、梅雨明けが発表されたのでした。
つまり、毎年毎年激しい雷雨に見舞われる事が嫌で嫌で仕方無かった中、今年は、「雷はお休みになってくれないかなぁ…」の願いが変則的で奇跡的とはいえ叶った形になったのでした。神様、本当に感謝します。
まあ、梅雨が明けたからと言って、これで安心してはいけないんですけれどもね。
それどころか、私は何やらこの梅雨に関して、もう一波乱あってもおかしくない様な気がしているのですが…いや、全く根拠も無いのに、滅多な事は言わない様にしましょうか。



04/07/12(月) 第60回 久し振りに晴れ間

今日は2004年の梅雨明け後初めてのの外出でございました。
天気こそぐずつき気味…と言いますか一時雨が降ってしまっていましたが、「梅雨明け」という事実があっただけで、気分的には格段に晴れやかに過ごせましたね。
そんな気分でいた事が良かったのか、ここのところ思う様に進みすらしてくれなかった例の妄想に、一つの妙案が降って来まして、それによって大きくそびえ立っていた壁を一つ壊してやや先を見る事が出来たという大躍進がありました。
その妙案によってもたらされた結果を文章にまとめる時間はまだありませんが、このまま行ければ、次の休みの時には勢い良く進めるかもしれませんね。もしかしたらようやく終わりが見える所まで行けたりするかもしれません。楽しみです。まあ、今までで何度と無くそんな自身の期待を自身で裏切っていたりもしますけれども……お二人はそんな私以上に憤りを感じていらっしゃるかもしれない訳でありますのでまたこれが申し訳無い所ですしねえ…

今回の妄想に関しては、以前に「余り説得力を持たない感じ推移してしまっている」と書きました。
「メネΩ」の時だって、今回と同様に以前の妄想を元にして考えを展開させているものなのに、どうして今回の方が説得力に欠けているかの様に感じるのかと考えてみると、もしかしたら文体がポイントなのかもしれないなぁ、と思う所があります。
今回は第一作の時の様に、「〜だと思われる」とか「〜であろう」とかいう風に、「私はこう考える」という事を前面に押し出していますが、「メネΩ」の方は何処か物語調になっていて、妄想であるにも拘らず考えを断言している部分が多々見受けられます。そんな自信が何処から出て来たのやら。
考えを断言する事は、有無を言わさぬ押し付けであるとも言えるかもしれませんが、何とも言えない説得力を醸し出すんですよね。中にはあまり根拠の無い様なものにまで「どうしてそんなにも強く言い切れるんだ」と言われかねない言い切り方をしているものもあったりするかもしれませんが。
とはいえしかし、一連のメネの話がここまで発展すると、最早説得力を重視してはいけないのかもしれないとも思うんですが。かなりゲームからはかけ離れてますからね。もう説得力を得る為の材料が無いというものです。とか言っといて第三弾を書いている今現在でありますが…
…と、第三弾をまだ公表していない中で、一人で勝手に両者を比べてちゃいけませんね。頑張って妄想に励みますよ〜。


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