06/10/24(火) 第551回 これから一年と半年
前に書いた事があった。私は一つのネタに一年かける事も惜しまなかったりする、と。
昨日書いた「再来年のエイプリルフール」ネタなんてのは正にそれだ。普段から「これは面白そうだなあ」っていう案は温存して温存して中々表に出さないという悪い癖のある私であるから、一度思い付いたネタを一年半一人で企み、企んではほくそ笑み、ほくそ笑んではまだ来ないその日を待ちつつずっと放出しないままでいる事位は何でもないのだ。たまーに待ちに待ち続けた結果そのネタの最良公開時期を見事に逸して思いきり無駄にしてしまう事があったりもする事を除くのなら。
ある人はこう言うかもしれない。「いやに簡単に『一年半位なんて事ない』なんて事言ってくれちゃうけれども、折角そうして一つのネタを大事に大事に温め続けてたって、もしかしたら一年半後にはサイト自体がなくなっちゃってるかもしれないじゃないか」と。いやでも、お言葉を返す様だけれども、このサイトは2008年4月1日になってもしぶとく残ってると思うんだね。勿論、その日までこれまでみたいに毎日更新が続くかと言われればそればっかりは保障出来ないしするつもりもないけれども、でもこの先一年半位の未来までであれば「更新完全停止」までにはなってないんじゃないかとも思う。
最近思うのである。人間たるもの、「自身でもよく把握出来ていない自分の事」が幾つかあるものであるが、「向き不向き」なんてのはその中の一つであるなと。誰かに勧められて、或いは最近流行っているから、はたまたある日突然何となしに、ちょっと新しい事を始めてみたけれど、しばらくして「ああ、これ自分には向いてないなあ」と気付かされた経験、もしかしたら貴方にもおありではあるまいか。最近何かとよく聞くから「ブログ」なんてのを自分も始めようかな、と思って開設してみたら、何が何が、毎日なんて全然続けてらんねーよ、やーめた、と思った事のある方、おられるのではあるまいか。
その意味で私は幸せである。ある日やはり何となしに始めたウェブサイト作成や、更新ネタがない事への急場凌ぎとして始めた日記、つまり文章を書くという作業が、(技術や能力とかは別にして)少なくとも「不向き」ではなかったのだ。仮に向いていなかったとすれば、2004年当時、一般公開もされてない頃に殆ど誰も見る人間のない状況でそれでも何故か続けていた半年近くの日記更新なんてやってられた筈もなく、そのまま公開の夢も自ずと絶って、今ここにこの文章をしたためる私はいない筈だ。にも拘らず、公開開始までの一年ちょい、そして公開してからの一年半ちょいをあまり精神的に揺らがずに続けてこれたこれまでの実績は、この先一年半程度だったらまだ持ってくれるだろう。多分。
この「雑文」も、しぶとく続けて遂に500回だ、でも500回だからって特別書く事もなかったからこんな事やってたのがこの間の事だと思ってたら、いつの間にか500回台も折り返しだと言う。速いもんだね。この感じで1000回を目指したい。
いやでも、「もう折り返しだ」って事は、その分だけゲームしてないっていう事でもある訳か…正直言うとねえ、全然ゲーム出来てないっていうこの状況に「サイト更新の時間がなかったら余裕で今頃FF12二周目なんて終わってるんだろうなあ」とか思わない事もないんだよねえ…
ってかおいおい、十分精神的にも揺らいじゃってるじゃねーか。あー、駄目だ駄目だ。やっぱり自分の事でも分かってない事って一杯あるね。この分だともう一年半続けるよとか言ってたのも怪しいから、今の内にそれ撤回しとこう。もしかしたらゲームのやりたさ一心に来月当たりにでも更新止めちゃうかもしんない。連日更新なんてもっての他。「雑文」1000回なんてそんなの無理無理。持って630回が関の山じゃないかな。エイプリルフール? 何それ? 嘘なんか全然付かずにしれっとスルーしちゃうよそんなもん。
よし、こんだけ言っときゃどう転んでも無責任とは言われんだろ。
06/10/25(水) 第552回 インフォシークが潰れた後にもう一度読みたい
しかしまあ、一言にまだまだ長い事サイトをやっていくつもりだとか言っていて、実際出来るもんなら後半はもう惰性ででもいいから5ヶ年計画或いは10ヶ年計画を練って行く事も辞さないのであるが、現実に即して考えてみるとそれにはある一つの重大な問題が潜んでいる事にこの間気付いた。
勿論、やる気が続く可能性が万に一つのもないかもしれない事や、それ以前の問題で放置せざるを得なくなる危険性はあるという前提の上で、そこにはこれまであまり深く考えてもいなかった、しかし長期的に見れば必ずや課題として降り掛かってくるであろう問題があったのだ。
それは環境や状況の変化、また更に言えば規格の変化である。例えば、今このサイトはインフォシークから無料レンタルしているサーバーに置かれているが、このサービスが10年後も継続して行われているかどうかなんて事は分からない。よもやインフォシークが潰れるなんて事になれば、こちらの落ち度の有無には関係なくしてこのサイトも共倒れの運命である。まあ、10年程なら倒産とかいう可能性もあまり考えられないかもしれないが、更新を止めてもサイト自体を消す事はせず記録として残しておく(そう出来る為の、そうするに値するだけのものを更新持続中に作り上げる)というのを大きな目標として持っている私が、仮に更新停止後10年と言わず20年も30年もその姿を止め続けようとするなら、その間ずっとインフォシーク安泰だ、とは流石に言い切れまい。つーか、そんなにまでやりたいんだったら自宅にサーバー構築でもしてやりなさいよとか仰る方もおられるかもしれないが、いやしかしそこはそこで、自サイトを用いてのお金儲けには走らない代わりにサイト運営にはビタ一文払わんという別の信念というか意気込みというかがあるので譲れない。
とは言ってもだ、それは別に大した問題でもないかもしれない。もしインフォシークがコケそうになったら速やかに別のレンタルサーバーを見付けて移転すればいいだけの話である。それよりもっと深刻な問題になりかねないのは、HTMLとかの、ウェブサイトに広く用いられている言語規格が段々と新たなものになっていくケースだ。
もしやHTMLだの、XHTMLだのいうものとは全く異なる、それでいて優れた言語が開発されでもしたらどうなるよ。それでもってしかもHTMLが段々衰退していって、否でも応でも新規格への移行を迫られる事になるんだとしたらどうするよ。インターネットが一般に普及してまだ10年余り、HTML自体もその歴史は10何年とまだまだ浅い。これからそんな次世代言語が生まれず、一生HTML辺りでやっていける保障なんてのは勿論ないのだ。
もしそれが現実のものとなるとすれば、また一から知識を学習し直さなければならなくなるかもしれない。HTMLでさえエディタに頼り切った適当記述で、経験自体は三年近くあるけどそれが知識として蓄積されたかと言われればそれは怪しく、事実ソースをご覧戴ければ分かる通り厳密に文法を守っているとはお世辞にも言えない構造のものを書いてしまっている身だと言うに、そこからまた振り出しに戻らされるだなんて。それは厳しいもの。
いつか言ったな。このサイトはブログにするつもりはさらさらないと。でも、いつか今の体系でサイトを維持、更新する事が困難になってしまった時、どうしても「サイトを更新する為に」という目標では一つの新たな言語を習得するだけのやる気を出せ得ないと悟った時、知識もなくして一定水準以上の「枠組み」がすぐにでも、しかもタダで得られるブログ的なサービスってのはそりゃもう魅力的に映る筈である。
だからさ、もしこのサイトが明日突然ブログに移行しちゃってたりとかしても、そこを卑しくも指摘して「話が違うじゃねーか」とか言っちゃあいけないよ。いいね。
よーし、これでまた無責任人間への可能性を一つ摘み取ったぞ。
06/10/26(木) 第553回 もっと学校へ行こう
「馬鹿な高校もあったもんだなあ」位にしか思ってなかったのに、いつの間にか全国的な問題になってしまっていた。高等学校の履修問題である。調査が進むに連れ割と近場の高校でも同様の問題が発覚したりするケースもあり、これは何とも大変な事になってきたなあと思っているばかりだ。
成績表を偽装するとかいうのはもってのほかだが、そうでないケースについてこの一件は何とも複雑な問題をはらんでいる。これまで見過ごされてきたのに何故今年「発覚」したのか。いよいよ受験シーズンも終盤に差し掛かろうかというこの時期に卒業する為に必要な授業時間を取っていてはかなりの影響を及ぼすのではないか。だが当該授業を履修させずして卒業としてしまえばそれはそれで、しっかり定められた教科を履修した上で卒業を迎えた人間が何処か馬鹿を見ている様ではないかという声も上がりかねない。というか上がるだろう。そして規定の履修カリキュラムを修めないまま高校を卒業していった者達が多数存在するという事実。よもや過去卒業生の卒業証書を返してもらうなんて事が出来る筈もなかろう。本当にどうするんだろう。
このおかしな習慣の煽りをまともに喰らう事になった現役高校生は災難だなあとは思うが、一方で自分の出身高校に履修システムの不備があったと今になって知らされた卒業生もそれはそれで災難だし、可哀想だ。本来なら自分は高校を卒業出来ていなかったという事である。仮に現時点での最終学歴が高卒だったとすれば、本当は中卒だったという事になってしまうのだ。もう関係のない話だろうからと一笑に付す人も多かろうが律儀な人とか真面目な人とか細かい事にこだわる人とかはしばらくグッスリ眠れないないかもしれない。でも安心しなさい。貴方は確かに高卒だ。保障はせんが。
そんな私は、であるが、当方高校には通っておらず大学入学資格検定略して大検(今は「高等学校卒業程度認定試験」ていうのになってるのか。知らなかった。それもそうだが)を経由して大学へ入っていった人間であるので、実を言うと今回の騒動も、近隣高校で問題が発覚したと言われてすら全然身近に感じないし、「ふーん」といった所である。すみません。
でもなあ、高等学校における学習は義務教育じゃないんだから(っていうこの切り口は本来は生徒本人に向けて言うもんじゃないけれど)本気で大学に入るつもりがあって、尚且つ学習に割く時間はその為の勉強にだけ費やしたいって言うんなら予備校なりに行く方が幾らも有益だと感じるのだが…まあ、費用の問題とかがあるから簡
単に言っちゃいかんわな。
まあ、とにかく、頑張れ。冬休みとかに補修が行われる事になっちゃった人達も頑張れ。こんな所で落ち込んでちゃあ……って、おっと、禁句か。
06/10/27(金) 第554回 北海道に迫る危機
つーか、大検はあんなんじゃなくてもう少しばかりはレベルを引き上げた方がいいと思うぞ。あれで高校卒業程度の学力って言うのはちょっと無理があるんじゃなかろうか。今はその辺り改善されてるか知らんが。
それは別にして、もうちょっとだけ昨日の話。
まだこの騒動が、ちらほらと他県にも見られる様になったとは言え全国的にまで広がりを見せていない頃、巷にはこんなニュースが流れた。
新たに23校で判明 必修科目履修漏れ、17道県93校に
つまり、これである。全国47都道府県の内、発端となった富山県以外では唯一北海道が群を抜いて目立ってしまっているのだ。このニュースを聞いた多くの人は思ったのではないか。「ああ、『北海道では』不正があったんだなあ」と。そして少なからず北海道に対する心象を下げてしまった筈である。
昨夜の時点で当該問題は35都道県だかにまで拡大し、ここに来て東京都が参入したので北海道の目立ち加減は幾分か和らいだ事は和らいだが、しかし本質的には何ら変わっていない。北海道が唯一の「道」であるという現実は、全高校数における問題発覚高の割合で論じるなら私の在住する県の方がよっぽど深刻であるという事実をいとも感単に隠蔽してしまうのだ。
プロ野球で日本ハムが日本一に輝いたのはおめでたいが、しかし道民よ、浮かれる事なかれ。今回の件で再確認できた通り、やはり貴方達は他県と比べると特定ニュースにおいて人々の心象が多少なりとも動かされ易いという特殊な環境下にいるのだ。そして、「〜の道県で」とか「〜の都道県で」とかいう表現を用いるのは得てしてニュース番組なのであり、尚且つニュースというものではおめでたい話よりか事件性のある話題を取り扱う事が多いだろうから、必然道民の、延いては北海道そのもののイメージは悪い方向へ向かってしまいがちになるだろう。考え様によっては、唯一の「都」(まあ「都」が唯一なのは当然だが)である東京都の必ずしも良いとは限らないイメージもこうして作られたものなのかもしれない。
この心象操作、北海道を疎ましく思う人間達の力によってこうなっている節もある。「夏に良い思いしやがって」という私怨か、はたまた「ジンギスカンキャラメル」への怨恨か…いずれにしろ、もしもそうだとするなら危険だ。何しろあまりに地道で地味な情報操作が故に、誰もその企みに気付く事はないであろうからだ。
油断は禁物である。身の回りで特に何か起こっている様でなくとも、貴方達を貶める計画は着々と進行しつつあるのだ。そう言われた所で、黒幕がどいつか分かろう筈もないから困り果ててしまうかもしれないが、差し当たっては道州制の導入に頑なに反対している人を疑ってみるのはどうだろうか。仮に道州制が現実のものとなればそれから北海道がいやに目立つ事もなくなって、イメージを低下させたりとかいう事も出来なくなっちゃう訳だから。
道民よ、鍵は道州制にあり、だ。
06/10/28(土) 第555回 「555」
「ファイズ」とは読めねーって、やっぱり。
……くっ、第555回の今日を待って突っ込むにはいささか無理があり過ぎたか。
06/10/30(月) 第556回 水 0円
そう言えば、いつの間にか「府」も履修不足問題に絡んできたんだね。ひとまず安心>道民
さて今日は、笑顔について。
某飲食チェーン店のメニューにはこんな事が書かれている、という話をよく聞く。
スマイル 0円
私は、その飲食店に行く事が殆どないし(身近に殆どない、と言い換えてもいい)、数回行った経験があるにしろ必ずしもそれは全国全ての店舗にあるメニューではないそうなのでこれまで実物を見た事がなく、そのせいもあってこの事を都市伝説の類だと思っていた時期すらあった。だが、実在するんだそうで。
勿論これは、わざわざ店員さんに向かって「これ下さい」と申し出る類のものではない。それは、実際の店頭で「『スマイル 0円』を頼んでみる」ってのがたまに何処かのサイトとかでネタにされる事からもよく分かる。また、そういったネタに付きものの「困惑の表情」とか「完全無視」とかいう店員さんのリアクションからもよくよく分かる。そうではなくて、あれは「普段から笑顔をもってお客様に接するのだ」という彼等彼女等の意気の表れなのであり、「我々は常に無償の笑顔を提供します」という意思表示なのだ。何と素晴らしい心意気であろう。顧客に対しての笑顔なんてのは最も基礎的基本的な(顧客自身すら知っている)事項であるという事をまず一旦ない事にしてからわざわざ規定し明記するという二度手間感。わざわざ明記する事で何処か漂う「我々は貴方達に見返りなしの笑顔を与えてさしあげてるんです」的な押し売り感。形式的にはその店の取扱商品という位置付けとして解釈する事も可能でありながら受け取り拒否が効かないという完全一方向性。あたかも売り物であるかの様に列記させておく事により、仮に態度の悪い店員が客に対してイラつき気味な表情で粗末な対応をしたとしても、ともすれば「いや、お客様が『スマイル』をお頼みにならなかったので」と言い逃れが出来なくもなさそうなそれは、何処を取っても他社にはない斬新なアイデアである。
これでいくと、多くの飲食店でサービスとして出される「水」なんてのは、如何に気配りがなってないか、ってのがよく分かるのではないか。
何しろ、まずメニューに載っていない。裏メニューでもなかろうに。そこの店の店主がどれだけ独りよがりな人か知らないが、その店を訪れる人は皆が皆常連客という訳じゃなかろう。一見さんも多いだろうに、それでは貴方の店に水があるかどうかという事が客からは分からないではないか。幸いにも現代の世、大抵の飲食店ではまず初めに水が出されるという不文律があるから、まあそう書いてなくても良かった様なもののだ。
それから、水がなくなった時には店員さんに「水下さい」と頼む必要があったり、或いは最初からセルフサービスになってる所もあるがそれもまた不親切と言わざるを得ないだろうか。何をお客様にやらせているんだと。これでは、水がなくなってしまっても自分が良かれと思った、自分が「水飲みたいなあ」と思った丁度良いタイミングでしか水を注ぎに行く事が出来ないではないか。言っても「サービス」であるのだから、そこは店側の気配りがあってしかるべしではないのか。そりゃ時分どきともなれば店は多くの客でごった返す事にもなろうが、それでも全ての客の全てのコップに対して水の残量を把握し、底が尽きそうになった所ですかさず注ぎにかかってしかるべしではないのか。無論、そんな、店員が常に自分の事をジロジロ見てる様な店なんて金輪際行こうとも思わないが。
それからあれだよ、何処の店行ってもそうなんだけど、冷た過ぎるんだよ。仮にも対人間との触れ合い、コミュニケーションじゃないか。もうちょっと温かみ溢れる人付き合いをしなさいよ。ね、だからってぬるま湯なんか出してもみたら二ヶ月でその店潰れちゃうだろうけどね。
そんな訳でだ、世の飲食店経営者各位には、是非とも某M社の「スマイル 0円」を見習って、貴方の店で常日頃何となしに出している「水」の扱いを今一度考えてみてほしい。
06/10/31(火) 第557回 また一ヶ月延期してくれないかなー
「FF12アルティマニアΩ」の発売日が11月24日だという事を今日知った。もう一ヶ月もない。もしかすると、いやもしかしなくても、これは由々しき事態である。
具体的にどう由々しいかと言うと、それは「FF10アルティマニアΩ」の発売が決まった頃の事を思い返してみると顕著に表れよう。時は、ちょうど五年前頃の2001年秋。FF10の発売が同年の7月だったから、当時まだインターネットなる娯楽も知らず空き時間があればゲームにばかり没頭していた私は既にして二周目のプレイも終えていた事であろう。シナリオ・バトル両アルティマニアの発売が9月だったから、そこからひと月かかったとして10月と考えれば、当時の私が次に何を待っていたかがよく分かる。アルティマニア内に、大々的に「12月発売予定」と書かれていた「Ω」の登場だ。私は両アルティマニアの巻末に載せられていた「最終試練」にも果敢に挑戦、応募した口であった事も相まって、そりゃ必要以上に楽しみにしていたものだ。だが、そんな私の期待は一旦裏切られる事になる。FF10インターナショナルの発売に合わせる為、「Ω」の刊行が一ヶ月ずれ込む事になったのだ。何しろインターネット環境がなかった時代の話。尚且つゲーム雑誌をろくに見るでもない人間の話。当時スタジオベントスタッフのサイトで定期的に更新されていた「Ω」関係の話題から完全隔離状態にある私は、だからと言って自ずから積極的に情報収集しようともしなかった事が祟ってか、2001年12月17日時点では発表されていた発売延期の決定を一切知る所になかった訳だ。そんな目まぐるしく変わり行く世情なんて知る由もなく、ただただ三ヶ月か前の「12月発売予定」という古き情報を鵜呑みにするばかりの人間の愚かな事よ。こういった経緯があったものであるから、2月に入って(実際の発売日は2002年1月31日、同日FF10IN発売)店頭で「Ω」の姿を目の当たりにした時の感慨と言ったらもう。その情熱も冷めやらぬ内にそれを読み切った私は、早速インターナショナル版のプレイ、日本版から通算して三周目のプレイに勤しんだのだった。
そこで、改めて今回のケースを振り返り、そして比較してみたい。FF10時には、アルティマニア発売〜二周目クリアまでの期間がかなり短かったものと推測される。仮に一ヶ月としておこう。それが今回はどうか。アルティマニアの発売が7月7日。これを読破したのが8月22日。この時点で早一ヶ月半。で、FF12二周目のプレイ開始が9月3日。んでもって10月末現在、全59日中実際にプレイを進められたのが僅かに8日。目下ミリアム寺院に滞在中。アルティマニア発売からは間もなく四ヶ月だ。そいで、「FF12アルティマニアΩ」の発売がいよいよ24日後、と。
まだ頑張れば何とかなる範囲であるとは思う。あるとは思うが、しかし現実的には頑張っても何ともならない。ここまで酷いと、「クリア出来るか? さあどうか?」ってなハラハラ感もないからやる気が出るのを通り越して諦めムードすら漂ってきそうだ。否、漂っている。
でだ、FF10当時はその後「『Ω』→三周目」という流れがあった訳だけれどもだ、これでなおFF10の時の様に「『Ω』を読み終わったから三周目をプレイしよう」なんて気になりでもするのならば私はこれから誰に対しても胸を張って根っからのゲーム人間である事を誇れ、のみならず根っからのテレビゲーム依存症である事を恥じて生きていかなければならなくなっただろうな。お世辞にもそんな気にはなれない辺り、私はまだまだ正常という事か。
ちなみに「FF10アルティマニアΩ」→「FF10インターナショナル」以降2003年にかけてはFF10-2発売に備えた「FF10(日本版)三周目 FF10-2発売日にタイミングを合わせてクリア」なんつーイベントを勝手に設定してFF10の通算四周目を、プレイ目的に即して考えればシナリオ部分だけを追っていけばよかろうものを律儀にサブイベントまで全部が全部をプレイしていたけども、それだけのやる気をさて「FF12 レヴァナント・ウィング」で出してみろと言われた時にさあ上手い具合に出てくれるだろうか。
結論から言えば、それもやっぱり無理だろう。何しろ、レヴァナント発売時点でFF12二周目が終わっているかどうかすら…
06/11/01(水) 第558回 ガンビットの恐怖
目下、連日二ネタ更新中である所の「俺的事典」 いつか目標として言っていた1000ネタもいつの間にやら、何の感動もなくして突破したものであるが、今、このコンテンツに未曾有の危機が迫ろうとしている。
本コンテンツの更新の方法や手段やらは以前にも書いていた通りで、今も攻略本巻末の索引の適当な箇所を指差し、そこにあった単語について何かしら書くといった感じの追加更新である。
また、どの作品の攻略本から単語を選び出すのか、その選定については、FFシリーズの内現在手元に攻略本があるものに限った4,5,6,7,8,9,10,10-2,Tから二作品ずつを、十日間区切りで順々に回していく形を取っている。つまり、ある十日間がFF4,FF5の番だったとすれば、次の十日間はFF6,FF7から、という具合にである。
ところで、ここには何故か既に攻略本を購入済みの、のみならずとっくに読破済みのFF12の姿が見られない。或いはこの事に関連して、「俺的事典」を愛して止まないという奇特な方なら「何故FF12からの言葉は一向に掲載されないのか」なんて事を疑問に思った事もあったかもしれない。では、何故FF12の単語は更新対象にならないのだろうか。危機はそこにこそあったのである。
危機、それというのはFF12アルティマニアの正しく巻末、インデックスに潜んでいたのだが、とにかくこれを見た私は戦慄した。何となれば、そこにはこういった言葉の数々が列挙されていたからだ。
HP<10%の自分
HP<10%の味方
HP<20%の自分
HP<20%の味方
HP<30%の自分
HP<30%の味方
HP≧30%の敵
HP<40%の自分
HP<40%の味方
HP<50%の自分
HP<50%の味方
HP≧50%の敵
あまりにマニアックな単語に当たった時、一体何を書けばいいのか悩んでしまう事はある。しかし「俺的事典」を始めて一年半、幾度となく遭遇したそのピンチを私は何とか切り抜け続けてきた。だが、こうして並ばれてしまう個性も何もあったもんじゃない言葉達を前に、私がこれまでちまちまとでも積み上げてきた経験、実績はあまりに無力である。
こんなのもある。
もしHP<10%なら
もしHP≧10%なら
もしHP<30%なら
もしHP≧30%なら
もしHP<50%なら
もしHP≧50%なら
そんな仮定法一つ一つにそれぞれ違った、それでいて気の利いている言葉なんて用意出来る筈もないのである。
困った事には、こういった言葉はその性質上インデックス内にかなり固まって存在している事が殆どである。私も馬鹿ではないから、そういう厄介な言葉がたむろしているのが大体どこら辺か、すぐにでも把握してしまうだろう。必然、無意識にでも指はそこを避けたがるだろう。そうして、個人的にはこのコンテンツの重要な要素として考えられなければならない「公平性」は、いとも簡単に無効となってしまう事になるのだ。こうもなると数ある単語の中から何らかの一語をランダムに抽出してくれる様な仕組みが欲しくもなってくるが、というかそれ位のものであれば自分でも作れるだろうが、たかが「俺的事典」というコンテンツ一つの為にわざわざやる事ではないし、作ったとして対象単語の登録がいやに面倒臭いのでやりたくもない。
取り敢えず現状では、「二周目をクリアするまで保留」という事にして更新対象から外してはいるが、それだって長い目で見ればいずれは直面する事になる。と、言われても、じゃあどうすればいいのか、都合良く妙案も浮かんでくれる筈はないのであった。
うーん…やっぱり「無視」するしかないのか…
06/11/02(木) 第559回 文化のクソッタレ
まあさあ、別に妬みとかいう陳腐な感情でこういう事言う訳じゃあないんだけどさあ。
私はね、うん、つい先週の水曜日辺りまでは、勘違いしてたんだ。勘違いなんて初歩的なミスやらかしちゃってたんだから、そういう意味でも自分に非がないなんてこれっぽっちも思っちゃいないさ。
ああそうだ。私は何処で間違ったか、明日の「文化の日」って奴を世間一般の人々と同じ様に家でゆったりくつろげる日なんだと思ってた訳だよ。実は去年も休みじゃなかったってのにだ。
でも、その手酷い失態も一週間前まで。私はすんでの所でその日が平常日である事を知って、休みでもないのに休むという、悪気がない分単なるサボりよりも数段悪質な行為に出る事なく済んだのだ。そう、済んだのだ。この話はこれで終わったし、これで終わらせるべきであったのだ。
それから一週間経って今日、私が何の気なしに民法ローカル局のニュース番組を見ていた時だった。その終わり際、番組が気象情報のコーナーに差し掛かろうとしたその時、声も高らかにアナウンサーは言ってのけてくれたのである。
「明日から三連休…
「明日から三連休…
「明日から三連休…
非休日の真実を知ってしまってからの一週間、無意識下で避け続けてきた事実。ようやく心も鎮まり、何だったら本来休みだったって事を去年よろしく忘れ切ろうかという段階に至ってのこの、瞬時にして全てを思い出させる非情な一言。そりゃ、「雑文」に関して言えば10ヶ月振りにもなる赤字フォントだって使ってみたくもなろう。
畜生。君達は、私に出かける事への苦痛感をただ味わわせるだけ味わわせて、んでもって自分はその一日を好きな様に過ごすって言うんだな。ただ、負け惜しみで言うんじゃないが、仮にも文化の日ってのは国民の祝日の一つとして数えられる位なんだから、休みになったっていう人はただ休みだからって浮かれてるんじゃないで、この「文化」ってのをもう一度見つめ直してみるべきではないか。
そうだ、一年に一度の文化の日なんだから、明日が休日の貴方達は文化映画に感銘を受けて文化人の言葉を有難く聞き自分もいつか世に文化遺産を残す程の大物になってやると文化的野望を抱いてみるも文化科学に即して考えたらそれは流石に無理だからその手に日本文化センターで買った文化包丁持って文化祭にでも行って来なさいよ。来なさいよったら来なさいよ。
えーん。
06/11/03(金) 第560回 文化崩壊
必要以上に文化文化言ってたら「文化」でゲシュタルト崩壊を起こしてしまったじゃないか。(ゲシュタルト崩壊参照)
いや待て、でも考えようによってはこれっていうのはやっぱり文化というものがどれだけ脆く壊れ易いものであるかってのを示していると取れなくもないね。誰が何と言おうと取れなくもないね。
何百万、何千万とない人々の一人一人が何百年、何千年とない時間の中で積み重ね上げ、もって今日に至る無二のものでありながら、こんなにも容易く壊れてしまう文化。そうまで儚いものならば、いっそなくなってしまえばいいのだ。
そうだそうだ、文化なんてかしこまったもんなくしてしまっていいじゃないか。手始めに文化の日を平日にしよう。さもないと、来年も10月末辺りから沈みがちな日を送る事になっちゃうから、私が。
うえーん、ちくしょー。
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