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07/08/09(木) 第821回 特別出演・キートン山田

ああ、忘れてたが、今日がFF12インターナショナルの発売日か…久しくゲームショップなんて寄ってもないけど、今の心境だともし店頭で見かけたりしたらぐらついちゃうかもなあ。

ところで、西日本では昨日になってようやく収まったけど、一昨日までの天気の荒れ様と言ったら凄いものがあったね。南からは湿った空気、上空には寒気という雷様にはこれ以上なく快適な環境が揃っちゃってそらもう三、四日ひたすら暴れ回ってくれたもんである。
この程の雷雨劇に辟易した人間は多かった事と思うが、何を隠そう、私もその一人である。これまでの人生で雷に恐怖した経験は数知れない。だが、今回の一件はそんな中にあってもかなりのレベルのものであったと言えよう。いつ振りかすら正確には定かでない、外出時の雷雲に遭遇したのである。
ここ数年、私の外出時における雷雲回避スキルは不思議と高かった。過去「雑文」にも何度か書いてきた事だが、大気の状態が不安定だと言われながらカラッカラに晴れたりとか、雷が鳴り始めた直後首尾良くその地を電車で離れられたりとか、雷雨のせいで目が覚めたが出かける時にはもう止んでたりとか、家を出た段階では大雨洪水警報の発令されていた地域へいざ赴いたら到着時には晴天だったりとか、そういった事が度々起きて、一端(の筈)の生活を送っていながら直近数年に「雷雨の最中を歩く」とかいう苦痛を味わわされた記憶がないのだ。
だが私の悪運も何が原因か、尽きた様であった。ちょっとうざったかったからとあの人からのメールに返信しなかったからか、はたまた誰だったかから頼まれていたビデオ録画をうっかり忘れたあの一件が理由か、よくは分からない。最近になってゲーム人間に逆戻りしてしまった事について活を入れる意味合いがあったのかもしれないが、でもよくは分からない。何年前だかに貰ったキングダムハーツを開封するだけしてみて以降まともにプレイしないまま今日に至ってしまったのがまずかった可能性もないじゃないが、やっぱりよくは分からない。過去あれだけ奇跡的な雷雲回避をなしてきた私なら、今日も何となく無事に過ぎてくれるんじゃないかななどと虫のいい事を考えてしまっていたからという線もあって、でもよくは分からないと言いつつ一番の理由はこれなんじゃないのかと自身の行動における「裏目に出る確率の高さ」を嘆いてもみるが、つってもよくは分からない。だが、ともあれ三日前の月曜、それは起こったのである。
実にその二日前からしきりに「大気の状態が不安定」である旨聞かされていた者としては、もう前日から覚悟の上の外出であったが、しかし午前中の晴れ様を目の当たりにしてしまうとどうしても思ってしまう。「もしかしたら降らないんじゃないかな」 実際、前日の日曜日は逐一確認していた雨雲レーダーの映像によれば家の近辺でこそ降ったが出先の方にはちっとも雨雲がかかっておらず、「くそう、今日が日曜でなければ」などという無理のある望みを口にしていたのだ。青年よ、勘違いするな。お前がその日雷雲に遭ったのは休日のタイミングが悪かったからではなく休日であるにも拘らず何処かへ出かけようともしないお前に非があるのだぞ。

そして時刻は修羅の午後へ。
後半へー続く。



07/08/10(金) 第822回 今夜も山田

午後。

いよいよ緊迫してくる時間を迎えても外はしばらくは明るかった。周囲の目を盗んで見てみた気象庁サイトの雨雲レーダーでも、家近辺でこそ強力な雨雲が形成されつつある事実をはっきりと映し出してはいたが、今自分がいる地域付近に関しては全く危険な様相を呈していなかった。私の中のかすかな希望が次第に膨らむ。「これは昨日のパターンだな」
だが、三時になろうかというタイミングになって事態は急変した。まず、いきなり雷が鳴る。私としては、不意を突かれた形である。まだ外は明るかった筈なのに。雨雲は100kmか西の方にあるだけだったのに。しかしこの時私は、自分が取り返しの付かないミステイクを犯してしまっていた事に気付いた。その部屋の窓は全てブラインドで遮断され、それが故に着実に暗くなりつつあった外界の状況を把握し切れなかったのである。それでも一応日の光を多少認識する事は出来たが、常にその動向を注視していたのならともかく少しばかり先行きに安心感を覚え本来なすべき活動に集中力を使いつつあった私にはその微妙な変化を感じ取るだけの力を余してなどいなかったのだ。ブラインドの罠。油断した。
一挙に増してくる緊張感。噴き出す汗。しかしここで思い掛けない援軍が付く。敵の接近の察知を妨げたブラインドが、敵襲のあったその瞬間から雷光をシャットアウトする防護壁の役割を担ったのである。「ピンチはチャンス」とはよく言ったものだ。今回の場合「ピンチ」は勝手に「チャンス」へと変貌を遂げた訳であるが。ともあれ、しばらくは音とだけ戦っていればいいという事実を受け、音よりも光の方がより嫌いな私は同時にやって来る恐怖と喜悦との間でおかしなハイテンション状態を迎えたりしていた。
それから二時間余り。「そのうち止むだろ」「そのうち止むだろ」と思いながら時折「ふざけんな鳴るんなら鳴りゃあいいじゃねえかよ」的な妙なテンションになりつつ恐怖と戦い続けていた私であったが、悲しいかな、雷雲がこれからまだ山場を控えてそうな雰囲気をありありと漂わせている内に帰宅時間となってしまった。
私は自宅勤務ではない。社宅とオフィスが一体となった建物に暮らしている訳でもない。だからと言って何処ぞのヤードラット星人よろしく瞬間移動の使い手である訳でもないし、機械狸と愛しの息子の好意で地下を掘って自分専用の通勤電車を開通させてくれたりするなんて事もない。帰宅となれば、必ずや屋外の経由を強制される環境に生きるごく平凡な人間なのだ。
普段の私なら、雷の鳴り響く、しかも落雷の可能性も濃厚な中をこの身一つで歩くなどという狂気じみた事は出来る筈もない。だがどうしてもやらなければならない切迫した状況に置かれた時、情けない事にウジウジといつまでも迷っているのではなく、不思議と思い切りの良い一歩を踏み出せてしまうのもこの私である。私は、自分が雷恐怖症である事を恐らく知らないであろう人々にいつもと変わらぬ顔でもってお先に失礼する旨告げた後、勢い良く外界へと飛び出した。
しかし、壁一つ挟まず雷の光と音を関知してしまう状況に立たされると、やはり恐いものは恐い。しかもその「恐さ」は、いつも感じる光や音への単純な恐怖心ばかりでなく、「自分に落ちたら多分死ぬ」という命の危機をはらんでいた点で普段のものよりもずっと強大な「恐さ」であった。雷が頻繁に鳴っているのに平然と外を歩ける人が一体どういう神経をしているのか、改めて実感した瞬間である。生身を晒して闊歩するだけで雷撃に狙われそうな予感がしてしまうというのに、その上あんなにも先端を尖らせた傘を頭上に高々と掲げていては「私の上に落として下さい」と言っている様なものだ。そして、その様な人間に一時的にでもなった事が、今になっても信じられない思いだ。
そうして雷に関する言わば究極的な恐怖に直面したせいか、その後、電車に乗って一時間ほどするまで雷に付きまとわれながら、私はそれを大きく気にするでもなくいつもの様に暇な移動時間を寝て過ごしたりしていた。そして帰宅後、いの一番に確かめた今日一日の雨雲の動きをおさらいしていて、驚愕の事実を知る。見た所、今日は一日通して家近辺で雨が降った様子はない。

「くそう、今日が日曜であれば」
無理のある望みを口にしつつ、だが密かに「恐怖に打ち勝った自分」に酔う、まる子であった。



07/08/13(月) 第823回 つーか円周率を3にするんだったら

つーか円周率を3にするんだったら、πにすれいいのに。
つーか円周率を3にするんだったら、3をかける担当、1をかける担当、4をかける担当、桁合わせする担当、それぞれの値を足し上げる担当を置けばいいのに。
つーか円周率を3にするんだったら、かけ算を314の段まで教えればいいのに。
つーか円周率を3にするんだったら、長さの基準を現行の約314/300倍に引き伸ばせばいいのに。
つーか円周率を3にするんだったら、これまでの学習に多大な貢献をしてきた.14のお別れ会を秘密裏に計画すればいいのに。
つーか円周率を3にするんだったら、これまで必要とされてきたにも拘らずあっさりと切り捨てられた.14はその悲しみを胸に、自分の為のお別れ会が開かれるとも知らず「3派」との全面決戦の様相を呈せばいいのに。
つーか円周率を3にするんだったら、.14は必死の抵抗も力及ばず、しかし何処か満足気な表情である程度納得しつつ表舞台を去ればいいのに。
つーか円周率を3にするんだったら、いなくなってしまった.14の事、時々でいいから思い出して下さい。
つーか円周率を3にするんだったら、.14「ボクの記憶を空に預けに行くよ」
つーか円周率を3にするんだったら、.14「3! お前のおじいちゃん…… 強かったぜ! 3! 恋でもしてちったあ女らしくなりな。 3! いつまでも動物をいたわる優しさを忘れるな。 3! お前とは一度…… 1対1で勝負したかったぜ!」
つーか円周率を3にするんだったら、.14「な、なにをする きさまらー!」



07/08/14(火) 第824回 ゆとり教育の弊害

今日は恒例の近所で花火大会につき不当に心臓に負担がかかる日。

という訳で本題であるが、どうして「学習」「勉学」に関する話題はこうも人々の心に強く訴え掛けるのだろうかと思うのである。普段はあまり何についても熱くなったりしない人も、ふとしてこうした話になると意見を挟みたがったり、声を上げたがったり、議論を吹っ掛けたがったりするのだ。学歴問題がそう。大学全入問題がそう。教師の質の問題がそう。英才教育の話題がそう。そして昨今の学習指導要領にまつわる、いわゆるゆとり教育問題(ここでは2003年から実施されたものを指す)がそうだ。ことゆとり教育に関してその傾向は顕著である様に思われるが、一体にこうした話題についての国民の反応はやや過熱気味であると言える。そうでないなら、ありもしなかった「円周率を3にする」話をまこと多くの人が語り草にする事はなかった筈だし、あまつさえありもしない教育方針が故に「今時の小学生はバカだな」(意訳)と言われてしまう事もなかったであろうに。
恥ずかしながら、私もこの話を知った当時、事の真偽も確かめないまま知人に対して(何処か得意気に)話題を振りまいてしまった人間の一人だ。今にしてみれば、その事について当サイト内でネタにしたりしなくて良かったなあと思うばかりである。さもなければ、真相を知ってしまったかかる後、速やかに当時の荒々しい声を事実に即したものへと差し替えるという言わば隠蔽工作、言わば捏造行為に及ばなければならなかったろう。
仮にその様な事になれば、昔からの熱心なファンであった人からいつ「あれ、この回の円周率ネタの内容っていつの間に変わりました?」と指摘されるかは分かったものじゃない。過去に犯したミスを隠したいからとつい出来心でやってしまった些細な悪事は、しかし一生当事者の心から離れてはくれないのだ。過ちを犯したなら犯したで、そもそもただの勘違いなのだからそんな発言はちょっと謝罪の意を表すれば何でもなくなる事なのに、その唯一のチャンスをふいにしてしまったのだ。何と、想像もしなかった事だが、適用の運びとなるやもう撤回されそうなゆとり教育のせいで人生を狂わせかねないのである。冗談じゃない。そんなのは自分の意思とは一切関係無くゆとり教育を受けさせられる事になった児童達だけで十分だっての。

うーん、どうも、ネタにしたにしても上手くまとまらない。それもこれも全て私の心臓を今もって脅かす花火大会のせいだ。
何とか書いてみた所で完成度の高くもないものしか出来上がらないのなら、毎年この日は更新休みって事にしてもいいんじゃないだろうか。今、真剣にそんな事を考えている。



07/08/16(木) 第825回 ゆとり教育の尻拭い

正誤表
・「雑文 第824回 ゆとり教育の弊害」 第四段落第六文
  該当箇所備考
そんなのは自分の意思とは一切関係無く
ゆとり教育を受けさせられる事になった児童達だけで十分だっての。
 
そんなのは自分の意思とは一切関係無く
ゆとり教育を受けさせられる事になった児童達だけで十分だっての(意訳)。
意訳です。
意訳ですったら意訳です。


調子に乗っていたからか打ち上げ花火の方に気を取られ過ぎていたからか気付かない内に過去記事捏造どころじゃない不祥事をしでかしてしまっていたので早いとこ対処しとかないと。最近はブログの炎上だ何だと騒がれてますものね。いやー危ない。



07/08/17(金) 第826回 .14神話崩壊

ここ三回円周率についてのネタを書いていて思ったが、3.14だ3.14だと言っても、これだってやっぱり近似値である事に変わりはない訳である。もっとも近似値というものは実際の値に極めて近く、使用に際して問題はまず生じないとされる値ではあるのだが、はて、これは本当にそうと言えるだろうか。それが「直径3cmの円の円周を求めよ」といった問題に適用する場合なら確かに問題ないかもしれないのだが、ではこの場合はどうだ。「直径1000cmの円の円周は何cmか」
円周を求める公式は「直径×円周率」であるから、この問題は1000×3.14=3140(cm)と答えられる。しかしここはよく考えてみられたい。円周率3.14はあくまで近似値であり、その正確な値は私が暗唱可能な部分に限って書き出せば3.1415926535897932384626433832795028841971693993である事を。これに1000を乗じると先の問題のより正確な解が導き出せる事になるが、実際に計算してみるとその値は1000×3.1415926535897932384626433832795028841971693993=3141.5926535897932384626433832795028841971693993(cm)となる。そしてこれと先の近似円周率によって出された解とを比較すると、実に約1.5926535897932384626433832795028841971693993cmもの誤差が生じている事が分かるのだ。
1/100cm単位の長さを極めて微小なものとして無視するにしても、何だったら小数点小数点以下の値を同様に無視してしまうにしても、1cm以上も誤差がある事実は流石に見過ごせまい。「直径1000cm」という部分を「直径10m」とすれば誤差分が小数点を超えてくる事はなく一見誤差の現れていない様に見せかける事も出来るのではないかと考えたりもするがさにあらず、問題文の最後には「何cmか」と単位の指定がなされている為、その様な姑息な手段には打って出られないのだ。

そしてこれは、問題として取り上げられる円の規模が大きくなれば大きくなるほどより深刻な事態を生み出してしまう事を意味してもいる。正直直径1000cmにおける円周1cmの差なんてものはどうでもよかったかもしれないが、ならばそれが直径1kmなら? 100kmなら? 100万kmなら?
数字で100kmだ100万kmだと言ってもあまり実感が湧かないかもしれないので、実例に即した問題で考えよう。「地球を二つに割った時に断面となる円の円周は」 (ただしここではなるべく小学校時分の問題である事を想定する為地球が正確な球体でない事から何処で二つに割るかによって解答に著しい誤差が生じてしまう点や「二つに割る」という行為が正確に定義されていない点などについての議論を省略するものとする)
地球の直径を赤道直径である12756.3kmとすると、まず一般的な答えはこうだ。12756.3×3.14=40054.782(km) そしてより正確性を追求した場合の答えはこうなる。12756.3×3.1415926535897932384626433832795028841971693993≒40075.098(km) ※小数点第四位四捨五入
違いは一目瞭然だ。何と、十分な近似値とされていた筈の値で計算した結果と比べ、約20.3kmもの誤差が生まれてしまったのである。地球の円周が20.3km違うという事が実に大変な事態であるのは自明である。何しろついこの間、件の赤道直径を精密に測った所、従来の値よりも5.1mm短かった事実が判明した事に大騒ぎしていたくらいであるから(まあ実際重大な事だが)。

とどのつまり何が言いたかったのかというと、円周率は3.14だ3.14だと声を上げる人も多かろうと思うが、3.14だってそれなりに誤差を生じさせる値なのであって、決して絶対的なものではないという事である。もう少し言うなら、円周率を3.14に固定してしまわず、それを適用する問題の規模に応じて有効桁数を増減させていくのが本来あるべき円周率の、無限小数であるが故のあるべき姿なのではと思うのである。
で、更にもう少し踏み込んで言うのなら、わざわざ有効桁数を柔軟に変えたり3.14以下の桁まで覚えたりするのが面倒臭い事この上ないから、やっぱりπに統一しちゃっていいんじゃねーのか、と思うのである。小数点以下を含む計算問題なんて円の存在がなくても幾らだって作れるしね。



07/08/20(月) 第827回 頭が働かない頭

先日、地元ローカルでない番組で家の近所が映るシーンがあり、大層テンションの上がった私である。
こういう所が田舎人なんだ。

さて、打って変わって今日はテンションが低い。夕食を終えてから急激に眠くなってきて、もし許されるのなら今すぐにでも寝てしまいたい状況であるからだ。
「眠い」と言えば、折りしも昨日、一昨日は日本テレビ系列にて恒例の24時間テレビが放送されておりその関係者の中には24時間起きていた人からそうでない人からいただろうが、ああいった番組を見る度思う。少々の眠気なんぞ吹き飛ばして己の仕事に従事出来る人って凄いなあと。ああ、でもこの二日間は殆どゲームとサイト更新に費やして今年は通算で1時間見たかどうかってくらいしか見てないんだよなあ。じゃあまあこの話はいいや。
「眠気を吹き飛ばす方法」として世の中に存在する手段は数多い事と思う。流石は三大欲求の一角を担うだけの事はある。でも思うのだ。結局どの様な方法にしろ己の身体に何らかの刺激を与える事で睡眠欲を散らすのなら、それを何度も何度も行使してしまっては次第に身体がその刺激に慣れてき始め、最後には全く眠気覚ましに有効なものでなくなってしまうではないかと。だから、眠気から逃れられる簡単な方法があれば今ここで試したいと思った所だったが、よくよく考えればたかがサイト更新作業に「眠気覚まし」の貴重なリソースを消費するだけの価値はないだろうから、じゃあまあこの話もいいや。
そう言や今日は夢で誰かの首を絞めるという物騒な事をしていて、目が覚めたらいつもの様に夢の内容は綺麗さっぱり忘れてたってのにふとして「首を絞めた」事だけを思い出しちゃってその瞬間異様な雰囲気になったんだけど、既にそれ以外の事は完全に忘れ去っていてこれ以上話を広げられそうにもないから、この話も別にいいや。
つーか、ああ、眠いせいで随分取り留めのない話になっちゃってる。でもまあいいや。
ってか、今気付いたが、眠気に逆らおう逆らおうとするよりか本能のままに従ったほうが、どうすればいいんだと無駄に頭を働かせる事もないし、幾らも身体には良さそうだな。

よし寝る。



07/08/21(火) 第828回 日本沈没

改めて見返してみると昨日は思ったよりもずっと支離滅裂な内容の文章をお届けしてしまったなあ。眠気恐るべし。

それはそうと「テンションが低い」と言えば、「ローテンション」にはくれぐれも注意していきたいものである。
勿論私は、テンションが低くてはただでさえその陰鬱な雰囲気が周囲にまで伝わってしまうだけでなく周りから敬遠されがちになるとか、それが延いては以後の人間関係に大きな影を落としてしまう事になるとか、果ては孤独な余生を送る事に繋がってしまうであるとか、そういった理由で注意するべきだと言っているのではない。私が言いたいのは、「ローテンション」という言葉を口述するに際して細心の注意を払ってほしいものだという事なのである。
「ローテンション」 あまり聞き慣れない言葉である。まるで「ハイテンション」の対義語として作り出されたいわゆる造語であるかの様に、一方のメジャーさに対してあまりにマイナーだ。しかしそれも考えてみれば、当然の事ではある。「テンション」とは原義では精神的緊張を指し、また原義から離れれば気分の盛り上がりを表す事の多い言葉であるが、「緊張感」とか「盛り上がり」とかいう言葉がそもそも、わざわざ緩い緊張感や憂鬱な気分を伝えたりするよりも張り裂けそうな空気やら盛り上がった雰囲気やらの話をする方にこそよっぽど向いているのだから。そしてそのマイナーさが故、この言葉には口に出そうとすると決まってその人間を襲う、とある罠が潜んでいるのである。
まずは、実際に読んでみて戴きたい。「ローテンション」 世の中にはカタカナを苦手とする人が少なからずいるが、ちょっとそういった傾向のある人ならもしかしてこう読んでしまったのではあるまいか。「ローテーション」
そう、「ローテーション」である。「まーるは新品しかくは一回目、しかくが消えたら二回目のサイン、マークでお知らせ〜ぇ〜ぇ〜♪ ターイヤ長持ちローテーション♪」の「ローテーション」である。つまり件の「ローテンション」と、この「ローテーション」がかなり似通っているのだ。無論ただ似通っているだけではない。さもなければ我々は生きている限り常に「人間」を「いんげん」 「洗濯機」を「ケンタッキー」 「こんにちは」を「モンプチは」 「CD」を「シーデー」と読んでしまう危険に晒される事となってしまう。そうではなくこれは、「ローテンション」のマイナーさに対して「ローテーション」が「ハイテンション」に勝るとも劣らない地位を獲得していたからこそ起きてしまう非意図的言い換えである。その辺り、物を使い捨てる事ばかり考えずリデュース・リユース・リサイクルの三つのRで地球を救う文化を発達させ近年では「もったいない」という言葉をも世界に発信しようとしている流石の日本と言った所か。
そしてこれは大問題だと言える。ただでさえその言葉を発しようとしていた人間はテンションが低かったか、或いはテンションの低い人間を相手にそれを含む会話をしようとしていたと考えられるが、その矢先に起こしてしまった言い間違いはそれまでの勢いを見事にせき止め、更なるテンションの下降、即ちモアローテンション化を誘発するには十分だからである。しかも、これだけフィーチャーしている中で読んでも事によると「ローテーション」化してしまう「ローテンション」だ。それが日常生活中にふとして現れた時の誤読率は計り知れない。つまり今日本では少しずつ、しかし次第に、「ローテンション」による鬱が蔓延しつつあるのだ。
残念な事に、この流れを止める有効な手段は現時点では存在しない。私には、ここにこうして「ローテンション」の持つ危険分子を書き示し、これを読む人々に注意を喚起するくらいの事しか出来ない。将来的に、「ローテンション」という言葉が「ハイテンション」並の市民権を得られればこの様な失態を犯す者も劇的に少なくなろうが、そうした時代が訪れるまでにも「ローテーション」がそこかしこに現れこの社会を人知れず蝕んでいくのは確かで、恐らくそれは気付いた時にはもう取り返しの付かないレベルにまで進行してしまうのだ。今我々は、未曾有のローテンション蟻地獄に陥ろうとしているのである。

全ては、安易に日本語英語を用いる方向へと傾倒してしまった日本人の過ち。大体に情熱的とは程遠い民族が、軽々しく「テンション」などという言葉を使ってしまったが故の失態。
ローテンションによる一億総鬱時代。それは着実に近付きつつある。



07/08/22(水) 第829回 一足先に俺沈没

予期せぬ出来事が起きた。昨日とある事情により「ローテンション」という言葉を多用していたら、逆に「ローテーション」を「ローテンション」と言ってしまいそうになるどころかこれまで普通に読めていた「ローテーション」が「ローテンション」に見えてきてしまうという弊害が発生した。この「雑文」を熱心に読むという奇特な方におかれては同様の症状を引き起こしてしまったかもしれず、ここに謝罪の意を表したいと思う。ドンマイ。

さて、雷がガンガン鳴っていて心底ローテンションになっているので本日はこれだけにて失礼。後は「俺的事典」の方でお楽しみ下さい。
既に「俺的事典」をご覧になられたかいつも「俺的事典」の方はご覧になられてないという方はまた次の機会にお会い致しましょう。それでは皆さんさようなら。



07/08/23(木) 第830回 しわとしわを合わせたくらいで幸せになんてなるものか

ひと月前、非常に地味な形で始まった「ゼルダの伝説 ふしぎのぼうし」の二周目が、再開されたFF12にハマる傍らでかなりちまちまとしか進められなかったり、再開されたFF12にハマっていたが為に一時プレイがかんぜんんストップするなどの紆余曲折を経て、本日ようやくクリアの運びとなった。一周目は三日でクリアしていた事からも、今回のスローペースっ振りがうかがえる。
しかし今、私は非常に憤っている。殆どおまけ的なプレイだったとは言え丸11ヶ月振りにクリアを迎えたゲームだったにも拘らずである。何となれば、本ゲーム中に登場する「カケラあわせ」をコンプリート出来なくなったらしい事が判明したからである。

「カケラあわせ」とは簡単に言うと「貴方の持っているカケラと私の持っているカケラを合わせてピッタリ合ったら起こる幸運な出来事を私が根こそぎ戴いちゃうからね」というものであり、全100通り行うとそのご褒美としてトロフィーが贈呈される。勿論、そのトロフィーは現実のそれと同様何らかの実用的価値がある訳でない一品であるが、でも貰えるものは貰っときたい。と言うより「サブイベントは制覇さるるべし」の信条の下に長年ゲームと付き合ってきた私にとって「カケラあわせ」をコンプリートしないまま終わるなどという選択肢がある筈もない。だからこそこの二周目のプレイに当たってはわざわざ旬もとっくに過ぎた攻略本を手に入れ、万全の状態でもって臨んだのである。否、その筈だったのである。
だが、それが無理という事になった。気付いたのは今日の事だ。理由は単純である。シナリオ進行によって一部エリアへの進入が不可能となり、そのエリアにいた筈のキャラクターとの「カケラあわせ」が併せて不可能になったのだ。これはショックであった。私はしばらくその衝撃的事実を認める事が出来なかった。ここで諦めてしまっては、つまり私は、一周目とほぼ変わらない様なプレイの為に一ヶ月間の内の幾らかを費やしたという事になってしまうからだ。そして、だとすると、本プレイの為にこそ存在した攻略本の立場はどうなるのか。その攻略本を、出版社への敬意も込めて実に定価1000円+税のままに購入した私の立場はどうなるのか。サブイベント制覇を断念するとは、即ちそういう事であった。
私は、こういった問題が起こり得る事について不注意だった私自身の他に、果たして誰を断罪すべきだろうか。問題の一件には小指の先ほども触れていなかった攻略本とその出版社エンターブレイン御中だろうか。それとも、コンプリート時の特典を設けているにも拘らずそれが達成不可能となってしまう事態に対して一切の救済措置も用意していなかったゲーム「ゼルダの伝説 ふしぎのぼうし」とその製作会社任天堂御中だろうか。それとも、極めて強い制覇欲のある様な人間に育てた父並びに母とそのご家族御中だろうか。一つ言える事は、その誰に対して恨み辛みを垂れようと、「ゼルダの伝説 ふしぎのぼうし」二周目にかけた時間と1000円+税は戻って来ないという事である。

失意の中、私はGBA本体を片付けた。
次に手に取るのがいつの事になるか、それは誰にも分からない。


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