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07/07/13(金) 第801回 禁じ手:ネタ要点解説

一昨日は何を書こうか悩む内、ほぼ即興的に長野県在住の4、5歳位の男の子を登場させてみた所、昨日になってその男の子が掲示板に現れていたもんだから盛大に吹き出してしまったものであるが、その匿名希望君の疑問それ自体は、昨日の様に世の中の道理を諭しまくりさえしなければ極めて簡潔に回答する事が可能である。あるネタの「つまらなさ」を理論的に説明するにはつまり、

そのネタの「面白さ」を論理的に説明すればいい

のだ。
それもただ「ここが振りになっていて、ここが落ちになってます」みたいな一般的説明じゃなく、例えば一昨日のネタを例にするなら「まず質問者の平仮名による書き込みを見せて読者にこの投稿者が小学校低学年か、それ以下の年齢の子だとする先入観を植え付け、その上で『りろんてきに』とか『つねづね』とかいうおよそ子供じみていない言葉遣いをさせる事で極端なギャップを生み出しそれが笑いを誘発する起爆剤になっている」だとか、或いは「『ブログを荒らす』という、褒められた行為ではなくともそれを企んでいるのが小さい子供だと判明した段階で不思議とどうでもいい問題に成り下がるこの件に、私怨の例えとして殺人並びに殺人罪という極論を持って来るという構造が、基本的には殺人を犯す程の悪人ではないとされる読者の道徳心をくすぐり、彼等に『大袈裟だろ流石に』的な、いわゆる『突っ込み系笑い』を無意識的に喚起させる仕組みとなっている」の様な詳細解説(特に出来る限り褒めちぎっているもの)であると好ましい。

…ほら、一昨日のネタが見る見る内に下らなくなってきたろ。



07/07/14(土) 第802回 台風4号に注意

とんでもない勢力を保った台風が接近中という事で、特に太平洋側にお住まいの方々はさぞ緊張感のある三連休初日をお過ごしの事と思われますが、でもそんな台風もひとたび「最強クラスの〜」とかいう文句で表現されちゃうと途端にゲーム臭がしてリアルな危機感を感じられなくなってしまうのは何でかね。まあ実際日本海側に住む人間としては今回の台風4号に関して特別な危機意識を抱いている訳ではないけれど。
でも、こうした至極真っ当なニュースで「最強」という言い方が用いられる事に何処か違和感を感じる人はいる筈だ。勿論間違ってはいないのだが、あまりにゲーム(特に子供向けの)やはたまた漫画(特に子供向けの)の中で乱用され過ぎた表現の為か、その二文字にそこはかとない子供っぽさを見てしまうのだ。それは単に私がそういったゲームや漫画に多く触れて来たから思う事か? うーん、分からん。
もし私が、「最強」という言葉を紋切り型になるまで使い古してない様な、或いは「最強」とは全く無縁な世界ばかりに興味を持ったまま今日という日を迎えたとしたら、ニュースから聞こえてくる「七月としては最強クラスの台風」なんていう言い回しをどう捉えたろう。そんな事は想像にも及ばない。何故なら、「最強」という言葉を初めて見聞きした時の感慨なんぞ、とうに忘れてしまったからだ。でも、例えば今日まで私がほぼ関わって来なかった世界特有の言葉でもって台風を表現したりしてみれば、「『最強』に馴染みのない人が『最強クラスの台風』を耳にした時」をシミュレーション出来るかもしれない。やってみた。
「最強」の何たるかをシミュレーションするどころかそれからは遠ざかるばかりだが、こうしてみると、台風にも色々とある様で興味深い。
皆さんも、ただただ風害だからと忌み嫌うだけでなく、たまには見方を変えて、視点を変えて、彼等の本質に迫ってみませんか。



07/07/15(日) 第803回 千の位に一が立ち

この程何事もなく雑文の連載が800回を越え、いよいよこのコンテンツも更新回数4桁の大台が現実的なまでになってきて、さてどうしようかと思っている。というのも、掲載回数が4桁を越えると、その掲載回数にちなんだネタが作り難くなってきてしまうと思われるからだ。
掲載回数にちなんだネタとは、例えば今年だと「777」とか「666」とか、少し前なら「404」とかの事を指す。今日までの都合802回の中でこの種のネタは8回登場した。第733回の「337リターンズ」も含めれば9回だ。概ね100回に1回。書こうと思ったがやめたネタも幾つかあるから頻度としてはもうちょっと多いかと思う。そしてこういったネタは、掲載タイミングに関してあれこれ悩む事がない上に最初から論旨も固まり切っている事が多いので、書く側としては非常に有難い箸休めならぬ筆休め的なものになってくれるのだ。
それだけに、これは由々しき事態と言わざるを得なかった。一介の雑文書きが100日に1度味わってきた心のオアシスが、今後毎日更新し続けられたとすれば7ヵ月後には、消えこそせずともとんでもなくその規模を狭めてしまう。厳密に第1000回からの1000回分や、或いは9000回分について掲載回数ネタが幾つ作れるだろうかと思案してみた訳ではないから本当にその頻度が減る事になるのかどうか正確に分かっている訳でもないのだが、桁数が増えれば増える程「何か特別な意味のある数字」の頻度が減る傾向にある事は3桁の数字と10桁の数字とを比較してみれば当然の事であり(1000000000〜1000001000の間にどうして10や15もネタ化出来そうな数字が紛れ込んでいるものか)、やはりこれは一般則として3桁の数字と4桁の数字とに当てはめても問題ないと考えられるのだ。
という事で、困っている私なのであるが、実際の所4桁の意味ありげな数字って何があるだろう。「1024」で2の10乗とか、「1999」でノストラダムスとか? ああ、自分の人生における西暦と被ってくるから、それに合わせて人生史みたいなものを書くのは面白いかもしれない。前に「576」で俳句(字余り)ネタをやったから、それに続いて「7775」でどどいつネタなんてのも出来るかもな。そこと近い「7777」なんてのはもう今から「オール7フィーバー」ネタで、「777」みたいなテンションでやるんだろうなとは思っているが、まあ「7775」にしろ「7777」にしろ、そこまで続けるのは流石に無理だな。まあ、そこまで行かなくても、1000〜2000の間には年号の語呂合わせで頭にこびり付いている数字が幾つかあるから、この区間に限っては色々とネタに出来るかもしれないね。「いい国作ろう鎌倉幕府」とか。

あれ、その語呂って今は変わっちゃったんだっけ。じゃあ使えないじゃないの。新しい語呂なら使えるかもしんないけど、馴染みも何もないのにネタにしろとか、それはちゃんちゃらおかしいよ。「1185」は一昨日来やがれ。



07/07/16(月) 第804回 「雑文」800回台も絶好調

昨日の掲載回数ネタに関する話を読んだ人の内、実際ウェブサイトなりブログなりで日記やらネタやらを書いている(またはその経験があった)方は思ったかもしれない。「と言うかだ、100回に1回程度の頻度に過ぎなかった類のネタが減るくらい何ともないじゃん。それより100回に99回程度の頻度を占める通常ネタが尽きないかどうかって事の方を心配しろよ」と。
しかし私は、その点についてはさして心配に思っていない。もっともそれは、「ネタがなくなったら無理してでも更新を続けたりはしない」というスタンスを未だ貫こうとしているからでもあるが、それが理由の全てであるとしたらそもそも掲載回数ネタの減少そのものすら「ないならないで(=それによって出来ていた筈の筆休めが出来なくなり「雑文」を書く気が失せてしまったなら失せてしまったで)更新しなけりゃいい」となり、それを気にかける意味がなくなる事になってしまう。そうではなく、私はこう思っているのだ。「恐らく、『雑文』の更新回数が4桁の大台を突破しても、そう簡単にはここに書くネタが尽きる事はないだろう」と。
根拠はそんなに複雑ではない。既に800回も書いてこれたから。これに尽きる。この800回、ただの1回とて「ネタがない」を理由に休載した事のない更新履歴こそが、それを示すに足る一番の根拠である。以前「昔に比べて良質ネタが少なくなってきた」と述べていた通り、質に関して一切の保証は出来かねるが、量だけならまだまだしばらく、1000回台も折り返しを迎える頃まではこれまでと同等のペースで積み上げていけるだろうと言っておこう(時間的問題により休止、停止するケースを除くが)。

ところで1000回台と言うと、今回の場合これは勿論1000回〜1999回の事を指している訳であるが、この様に1000回台、2000回台という区切りでなく1000回台、1100回台、1200回台という区切り方をする場合においても1000回台は同じ「1000回台」であり、紛らわしい事この上ない。一応文脈から見て取る事も出来るとは思うが、例えば今回の場合において読み手が「1000回台」の事を「1000回〜1099回」と解釈したとすると、つまり私は「更新回数が4桁を越えても1050回を迎えるまでは普通に更新出来るでしょう」と述べている事になる訳で、そのほんの小さな思い違いがこんなにも私を志の低い人間へと変身させてしまう。滅多といないとは思うが「1000回台」を「1000回〜1009回」と解釈し、私が「更新回数が4桁を越えても1005回を迎えるまでは普通に更新出来るでしょう」などというたわ言を口走る人間にすらなるかもしれないと思うと、もう。
という訳で、私の評価を不当に下げてしまう事のない様、こうした場合には「千ゼロ百回台」「千ゼロ十回台」と表現して区切り位置を明確にする事を提言する。折角珍しく強気になって「1500回までは何とかなりそうかなー」って言い切ったんだから。

つーか、今日はこれで終わるのだが、今回の話の導入部から結末を予想出来た人はどの位いるもんかね。



07/07/17(火) 第805回 バーカバーカ

昨日は話が途中であまりにも大きく脱線してしまったが、もう一度それを元に戻し、昨日前半の流れを汲んで今日はこれをご覧の皆様に「日記やブログのネタに困らない秘訣」を一つ、伝授しよう。
それを心得ておくだけで飛躍的に成果や効率がプラス方向へ傾く「秘訣」というものは得てして物凄くシンプルであったりするが、ネタとなるアイデアの数を飛躍的に増やすこの「秘訣」もまた、非常にシンプルな言葉でもって形容される。即ち、「体裁を気にしない事」だ。
普段我々は大なり小なり体裁を取り繕って社会を生きている。身だしなみがそうだ。口調がそうだ。マナーがそうだ。そしてその体裁は、家で一人きりになった時には大抵剥がれ落ちるものであり、かつ、「体裁」なき我々の真の姿はお世辞にもそのまま外部へ持ち出してしまってはいけないものだと思う。何を間違ってか、真実の自分を曝け出したまま近所のコンビニにでも出かけようものなら、通行人から軽蔑の目で見られるか、向こう七十五日にわたって近隣の住人にヒソヒソ話をされるとか(具体的期間についてはその時暴露した「真実」が住民にどの程度のインパクトを与えたのかを別途考慮)、酷ければその場で逮捕連行されたりする筈である。
しかし、その様に実生活中ではまかり間違っても捨てられない「体裁」だが、インターネットという虚実の世界の、しかも自サイトという極めて自己中心的なコミュニティ内でさえ無理に着飾っている必要はないと私は思うのである。だからこそ私は言うのだ。「体裁なんぞ気にするな」
別にこれは日記やブログに限った話という事でもないが、貴方は自分のサイトなりを持ってそこに載せるネタがないものかと考えあぐねている中で、無意識に自身の評判を貶める類のネタを排除してしまってはいないか? 或いは可能な限り自分をまともな人間である様に見せようとしてはいないか?
断言しよう。それは至って下らない事であると。どうせこの先10年、20年も続かない様なサイトの中だけで活躍する人格を高尚なものへと育て上げて何になると言うのだろう。そんな事にあくせくするくらいなら、実生活における自身の地位を高める事にこそ尽力するべきではないか。その意味で言えば、この言葉は実生活上の自分をサイト内に関連させている人(本名や顔写真を掲載しているとか、オフ会を開催しているとか)には無縁である。だが名前はハンドルネーム、住所は広域、年齢は不正確、誕生日は○月×日という明らかに特定可能なだけの情報を開示していない様な、ネット回線一つだけで外界と繋がっている様な、別のハンドルネームを名乗り始めるただそれだけの事ですぐにでも捨ててしまえる様な、そんな不確かな存在をわざわざ「優等生」に仕立て上げる必要はないだろう。いつの日かサイト内で「私はどこどこの誰々です」と自らの素性を公言するつもりでもなければ、それはあまりに無駄な投資である。

貴方の持つウェブサイトがもし、真面目でかつ正確無比な情報を常に載せている必要のあるニュースサイトの類でないのなら、私はここにこう進言する。バカになれ。
優等生は即刻廃業し、新たにバカな自分として生まれ変わり、これまでその「優等生」のフィルターで無条件に弾いていたネタの採用をバカになった貴方が許可するのだ。それが行く行くはバカ化した貴方のサイトの幅を広げ、バカな貴方にそれまでとは一味違った世界をもたらすだろう。
さあ変身の時だぞ、バカ。



07/07/18(水) 第806回 たわけのすゝめ

昨日は私とした事が、「体裁を気にしない」事の実例をただの一つも出さずにただサイト持ちの読者の事をバカにする発言で締め括ってしまっていたが、ならば、「体裁を気にしない」という事がどういう事か、どういうネタを書く事が即ち「体裁を気にしない」に繋がるのか、それを示そう。
「体裁を気にしない」とは、もう少し言えば「そのネタを掲載する事で読者にどう思われるのかを一切気にしない」事だと言える。例えばつい一昨日に書いたネタ。これはともすれば読者の皆様から「幾ら何でも話飛び過ぎだろこの馬鹿」と思われかねないものだった訳だが、「優等生」ならもうちょっと工夫したであろうそんな文章構造も気にしさえしなければ何でもない。例えばこの回なんてのも、読者から本気で引かれる可能性を考慮すれば優等生諸君には掲載する勇気なぞ出せまいが、これもただ反響を気にしないだけで何の苦もなく載せてしまえるのだ。
「雑文」以外で言うなら、丁度この前長野県在住のタケル君(5才・仮名)との微笑ましいやり取りを雑談掲示板にて交わした際の「このくそがきめ」も、優等生でなくなったからこそ成し得た投稿だったと言える。これが優等生なら、「もしかして誰にも気付かれないんじゃないか」「もしかして架空の少年にひたすら本気で相手をしている『頭の痛い奴』の様に見えるんじゃないか」なんて思いがよぎって「気付き」を誘う何らかのサインでも入れ込んでしまいがちだが、そんなものは一切排除して出来る限り不自然にならない様に仕立て上げるのである。何故そんな賭けに出られるのか。明らかなネタへ一見真面目に返答する事についての反響を気にしないからに他ならない。無論、その旨ここに書いてしまったという事は「うわあ、誰にも反応されなかったから自分でネタバレしちゃったよ」と思われる事もまた気にしてなんかいない訳だ。

とにかく、まずは掲載するネタに対してどんな反応があるかなんて気にしない事である。それには、定期的に優等生からは程遠いネタを織り込んでいく事で読者諸氏から「そういった事も書く人」だと認識される事が大事だ。かくいう私も、初訪問者やこのサイトに来てまだ日の浅い方からは文体の固さただ一つで「真面目な人」だとレッテル付けられるかもしれなくとも、ある程度の期間見守ってきて下さった方々なら少なからずkemkamという人格の「明らかに優等生ではない一面」を目の当たりにした筈である。もっともこれですらただの憶測にしか過ぎないが、でも、それだから私はアザラシと大根の話とか鍵の話とかじゃんけんの話とかジョルドリブスの話とかアンパンの話とかTsunamiの話とかスベスベマンジュウガニの話とか誰もが引くぐらいの下ネタの話とか糒の話とか乃至の話とかウルトラマンタケルの話とかFFTTの話とかエリミネーター・ワシントンの話とかを臆面もなく出来るのだ。
そうしていつもふざけていると、いざ真面目に振舞った時に「どうせこれも冗談なんだろ」と、まるでオオカミ少年であるかの現象が起きかねないが、私にとってはそれもまた気になる事ではない。

だってねえ、「優等生」役は実生活で散々演じてきたから。



07/07/19(木) 第807回 地球の皆は心の友

ジャイアンリサイタルでジャイアンが披露する歌と言えば「オ〜レ〜はジャイア〜ン!」であるが、特に歌詞が明記されない場合(=歌詞が明瞭に聞き取れない場合)、その歌声は「ホゲェ〜♪」と表現される。
捕鯨。食用としてクジラを捕獲するその行為は日本では縄文時代から行われていたという。こと戦後には国民の蛋白源として重用されたクジラであったが、乱獲が行われた事で数が減少し深刻な問題となった。結果、日本は1988年をもって商業捕鯨から手を引く。しかし生態調査と称した捕鯨は続けた為に、その点が捕鯨反対国から非難される事となった。
捕鯨問題。確かに難しい。捕鯨賛成国が「クジラは数としては増えている。むしろ増え過ぎているから適度な捕鯨は全く問題がない」と言う一方で反対国は「クジラは絶滅寸前だ」と言い議論はそれぞれが自国の立場を主張するだけの堂々巡り。種としての衰退繁栄という観点以外にも「知能の高い生物を食べるのは倫理に反する」「豚の知能も一定水準以上だ。なのに何故クジラは悪くて豚は良い? そもそも知能が低ければ殺しても構わないという事か」 はたまた「クジラ以外の海洋生物は獲るのにクジラばかりを禁漁するのでは生態系に悪影響を及ぼす」「だからさっきから言ってるがクジラ自体が減っているのだからそのクジラが捕食する魚の数も減っており問題はない」と、一部には根拠とも言えない根拠の渦巻く不毛な議論が展開されている。
生態系の問題に関しては、地球に影響を与える最大の種族である我々人間が一致団結してより良い方向へ導いていくべきなのに、この有り様ではこの先10年、20年と意見を闘わせ続けようとも和解に至る事はないだろう。
そうする内にも、クジラは、着々とその数を減らしていくか、或いは、増加の一途を辿るクジラによって今度は小型の魚がこぞって海から姿を消していくだろう。人間よ、目を覚ませ。もっと手を取り合って、共に未来を切り開こうではないか。

ジャイアンは、そんな思いを歌に託し、今日も身近な人間からとメッセージを伝え続けている。



07/07/20(金) 第808回 大改造!!劇的ビフォーアフター「クジラを愛する男」

Before
ジャイアン「ホゲェ〜♪」

After
きれいなジャイアン「捕鯨の問題はもっと皆、身近な問題として真剣に考えるべきだと思うんだ。確かに今、僕達は鯨肉を食べる機会がほとんどない。だけど『食べないから獲らなくていい』とか、『可哀想だから獲るべきじゃない』とかそういう単純な発想でこれを非難するのは良くないと思う。捕鯨反対国はそれをしちゃってるんだよね。一方捕鯨賛成国の日本は、個人的には、反対諸国よりかよっぽど科学的理論に基づいた根拠を提示してると思うけど、今年国際捕鯨委員会からの脱退を臭わせる発言をしたりとか、少し意固地になっちゃってる所があるのが気になる。長年訴え続けてきた捕鯨再開の声がことごとく不毛な議論によって斬り捨てられる事への憤りは僕もよく分かるけどね。でも、ただでさえ一部の環境保護団体との軋轢が生じてて、例えば最近ならつい一年半前に調査捕鯨中の捕鯨船と講義行動を起こしていた某団体のボートとが衝突する事故が起きたけど、こうした背景もあってますますこじれている関係を、IWCからの脱退をほのめかす事でより険悪にしてしまうのは良策じゃあないと思うんだ。だから、じゃあどうすればいいのかはよくは分からないけど、でもまずは、ただ自分の意見を主張して相手の意見を否定するばかりでなく、相手国の歴史を知り、文化を尊重し、そこに生きる人々の思想を理解しようと努める事から始めるべきじゃないかな。僕に言わせれば、この問題について議論していると言う人達は本当はまだ議論のテーブルに着いてすらいないよ。初めから相手の腰を折らせようとしている人達同士が話し合った所で、双方共に納得の行く結論なんて出る筈はないんだから。捕鯨問題を知って、僕は思った。これは確かに、一朝一夕に答えの出る様なものじゃないかもしれないけれど、他国の文化や考え方に触れる良い機会であるとも言えると。ますますグローバル化が進んでいくであろうこの世の中で、どうしたってこれから接触せずにはいられなくなる外国文化の事を一度深く考えるまたとないチャンスなんじゃないかと。僕は、多くの人にこの問題の事を知ってほしい。そして考えてみてほしい。だから僕は定期的に、捕鯨問題について問うシンポジウムを開催し、来てくれた人達にその重要性を説いているのです」




07/07/21(土) 第809回 見上げたプロ意識

ジャイアン「ボエ〜♪」

きれいなジャイアン「防衛庁が先日、防衛庁設置法(現・防衛省設置法)の改正に伴って防衛省へ格上げになったけど、具体的に日本の防衛事情やその環境が著しく変わったという訳ではない。しかし自衛の名目とは言え小規模でない戦力を持つ組織に個別独立した大臣のポストが設置されたという事実は国民の意識上の問題として――

ジャイアン「あ、いや、『ボウエ〜』じゃなくて『ボエ〜』なんすけど……」

きれいなジャイアン「……」



07/07/23(月) 第810回 2007年・梅雨明け

昨日は7時頃には起き出して8時にはFF12を開始してたっぷり夕方まで半年間の遅れを取り戻してやろうと思っていたのに、気が付いたら11時だったという寸法である。何とベタな失策。結局昼飯だ何だを挟んでプレイ開始は1時頃からだったから、実に5時間ものチャンスをふいにしてしまった事になる。5時間。昨日は昨日で「折角のチャンスを随分と無駄にしちゃったなあ」と思いつつ、でもあれだけ停滞していたFF12を進められたという確かな実績もあってそんなに深刻に捉えてはいなかった様に思われるが、夜も明けてその実績も過去のものになると、やっぱりこれは相当の損失だったよなと思わざるを得ないのだ。しかもその損失の代わりに得たものと言えば、余計に寝た分だけ当夜の睡眠を阻害し翌日に与える事となった若干の悪影響のみという救いのなさよ。
という事で、予定ならもうちょっと進めて、次回プレイでラスボス前までを終えいよいよサブイベント群へ、と思っていたのだが、そうなるまでには後二日分の時間が必要になりそうだ。という事は、これまでのペース配分を考えると、そうなるまでには後一年か? いやいやいや、かねてからサブイベントをやるって事が一番の楽しみであった二周目だから、それが着々と近付くに連れ次第にモチベーションは上がっていくものだと信じよう。という訳で次回プレイ予定は次の土曜か日曜! その日7時に起きられれば、当日中のサブイベント開始も夢じゃなくなるだろう。まあその見込みはないが。

さてさて、本日付けで中国地方までの梅雨明けが気象庁から発表され、晴れてここら一帯も憎き梅雨前線停滞地獄を一応脱した。ラニーニャ現象が起こると梅雨の期間は短くなるとの事だったが、実際はどうだったんだろうか。日数としては平年が45日間程度なのに比べて今年は40日間だったから短かった事は短かったけど5日間ばかりの違いがラニーニャの影響だと言ってしまって良いのかどうかはよく分からんし、去年と比較すると約10日も差があったけどそれは単に去年がやけに長かっただけの様な気がするし。
まあでも期間が短かった事より、例年私を悩ませる出梅直前の大荒れ天気が今年は顕著に現れなかっただけで個人的には万々歳であった。雷雨は12日木曜日午前中に遭ったっきりだったし、後は台風4号が暴風を吹かせまくって、それも過ぎてしまえば残りの一週間かそこらは軽い雨とかどんよりした雲とかがただただ私のテンションを奪い取るのみで、かと言って梅雨期全体を振り返ってみた時に降水量が著しく少なかった訳でもなし。非常に穏やかな良い梅雨でございました。
そうなってくると、心配な事は後一つだな。即ち、一度は去ったとされた梅雨前線が何事もなかったかの様に舞い戻って来てしまう可能性――

出梅2日目、明日の降水確率は10〜20%だったけど、来年の6月を待たずしてまたしても地獄を見る再入梅確率は幾つくらいですか? 気象庁さん。


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