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07/12/13(木) 第931回 クサイ

………?
何か妙だ。変に臭う。それに…どうもいつもと雰囲気が違うな……何がおかしいんだ…? まあいいか。

さて、明日から地獄の一週間が始まります。一週間後の木曜日、12月20日をもってここの所忙しくしていた全ての元凶から解放される為に身と心を捧げるのです。
かくなる上はこの間、まともな更新が出来るものかどうか分かりません。「その日」が近付くに連れ確実に追い詰められていくであろう中である段階から一段落つくまで更新を完全にストップする事もあるかもしれません。その旨予めお知らせしておきます。

さ、気合い入れてくとするかー。
ってかそれにしても臭い…何が臭ってんだ…?



07/12/14(金) 第932回 クサツ

ここは地獄の一丁目。草津。
温泉に浸かってさっぱりしたら謎の臭いも落ちたので、心機一転課題に邁進する。



07/12/16(日) 第933回 クサミ

このまま930回台を臭い系列ネタで押し進めてしまうかどうか…ここが運命の分かれ目だ…!
でもまあ、代案も思い浮かばないので取り敢えずこれまでの流れを汲む事にする。

臭い事が売りの食品が存在する。例えば納豆とか、鮒寿司とかである。あまり詳しくないが、豆腐ようなども臭みが強いと聞く。後、ロマンシングサガシュールストレミングの事も忘れてはならない。
こうした食品を好んで食べる人は決まってこう言うのである。「この臭みがいいんだ」と。つまり仮に「臭くないくさや」なるものがあったとしても、彼等はそれをくさやとは認めないのである。しかも間もなく必要以上に「臭くないくさや」の事を非難し始める。何だったらその「臭くないくさや」を食す人間すらもくさし始める。くさやだけに。下らん。
彼等は「臭くないくさや」を前にしてつまり食通振る訳なのだが、私は言いたいのだ。そこまで臭い臭いと言われるイレギュラーな食べ物「くさや」を喜び勇んで積極的に食すお前達の方が実は異質なのではないのかと。くさやが食品として満たすべき最低条件を満たしてないと言っているのではない。ましてやくさやは食べられるべきものでないとは言っていない。だがこれを喜んで食べるとはどういう事か。貴方はまるで慣例の様に「この臭みがいい」と言いはするが、その実長年食べてきた経緯からくさやの臭みに舌が慣れてその強烈な風味を感じられなくなっている可能性がないと言い切れるのか。くさやが作られ始めた経緯に塩が貴重であったなどの時代的背景があった事くらいは知っている。つまりくさやは、昔においては作られなくてはならなかった食品だと言える。だが今は時代が違う。我々は(それが必ずしも良い事であるとは言わないが)極めて多岐にわたる食の選択肢を持つ今、敢えて臭みの強い食べ物を選ぶ必要性に迫られてなどいないのだ。だのに何故。架空の相手との架空の議論は、しかし平行線を辿ったまま、お互いがお互いの意見を言い合うばかりでいつまでも決着しないのであった。

反論はあるだろう。もしそうなら、上記の「くさや」の部分を全て「シュールストレミング」或いは「ホンオフェ」に置き換えて戴くと共感出来るかもしれない。それでも反論がある場合は「彼等」に当たる部分を「腐った食べ物でも平気で食べるおかん」に変換して戴くと共感出来るかもしれない。つまり、

「彼等」=「腐った物でも食べるおかん」
「この臭みがいいんだ」=「少しくらい腐ってる方が美味しい」
「『臭くないくさや』などくさやではない」=「むしろ腐ってない食べ物はまだ食べ頃じゃない」

という事である。おかん恐るべし。



07/12/17(月) 第934回 開け、鼻。もしそこにあるのなら

そうか、私は極めて重要な点を見落としていた。くさややシュールストレミングを平気で食せる人は舌や味覚がおかしかったのではない。鼻だ。味の半分は鼻で感じると言われるが、こと、今問題に上がっているのが「臭い」という事なら、議論すべきが最初から鼻であった事は自明である。つまり件の人々は鼻が正常でない、言い換えれば正常な鼻を持っていない、更に言い換えれば鼻が機能していない、重ね重ね言い換えれば鼻が無い……? これは!?

ク リ リ ン

そうだったのだ。あのくさやを嫌な顔一つせず食べる為に求められる必要十分条件はただ一つ。鼻が存在しない事。鼻がなければ臭い食べ物も臭くない。味自体は残り半分の味覚でカバー出来るから普通に食事を取る事も可能であり、その為世間的に目立ったりする事もなかったが、臭みの強い食べ物が我が物顔で流通し続ける背景には彼等クリリンタイプの人間の存在があったのである。
くさや好きはクリリンである。鮒寿司好きもクリリンである。シュールストレミング好きなどは、極めてクリリンである。だがこの真実が照らし出す本当の脅威はそこではない。我々は知らねばならない。納豆好きもすべからくクリリンなのだという事実を。
臭みのある食品は数あれど、納豆ほど日本の食卓に馴染んでおり、頻繁に食べられているものはあるまい。即ち、納豆好きである人間はくさや好きや鮒寿司好きのそれとは比べ物にならないだけの数存在しているという事である。クリリン大増殖時代。
更に納豆に関する一般論に、主立った消費は東日本の人間によるものという話がある。クリリンは東にあり。
また納豆の消費日本一は福島県である。福島県はクリリンの巣窟。
以上の事実が意味するものは一つ。東日本には数多くのクリリンが生息しており、特に福島県民はその殆どがクリリンであると言っても過言ではないという事だ。

クリリンが地球人最強の呼び声も高い人物である事は有名だが、その彼に準ずる人間がそんなにも大勢いるのなら、この日本はもう2000年は安泰かな。



07/12/18(火) 第935回 DBキャラ診断

Q1:臭みのある食べ物が好きだ。 Yes:A1へ No:Q2へ
Q2:グロテスクなゲテモノ料理も目を背ける事なく食べられる。 Yes:A2へ No:A3へ

それでは結果発表!(文字を反転して下さい)
A1 → クリリン
A2 → 天津飯
A3 → 戦闘力たったの5のゴミ



07/12/21(金) 第936回 振り返ればそこに山

終わった。取り敢えず今年の山はこれで全て乗り切った。明日はぼやぼやDVD三昧。

それにしても、よく終わってくれたなー、という思いで一杯である。道中無視出来ないレベルの妥協は幾つもしてきたが、それだってまさか20日までにまとめ切れようなどとは思わなかったものだ。
少し前に私は時間的に追い詰められる様になって初めて本来の力を発揮出来ると述べたが、正に今回がそれだった。運命の日を二ヶ月も先に控えていたあの頃。向き合うべき敵の大きさを思えば実はその状況でさえ割と切羽詰っていたが、しかしキーボードをタイプする手は遅々として動かず、ペンを持つ手はただただペンをくるくると回しているばかりで、頭の中にある事と言えば「LOST」シーズン2のDVDが欲しいって事か、早くまた異世界の迷宮に潜りたいなあって事か、さもなければカレーを食いたいって事。とにかくまだあの頃は、世界が平和に回っていた。
しかしそれが一ヶ月を切ってくるとさしもの私も焦り始めた。ひと月前に見た時とまるで見栄えの変わっていない、むしろ中途半端に現実を知ってしまった事でむしろ大きくも見える敵を倒すに当たり、この頃から日毎のノルマが設定された。それまでは、ちょっと進捗が芳しい様ならそのご褒美と言わんばかりに立ち上げていたPS2も完全封印した。だがそれですら、事態はよくならなかった。毎日達成されるべきものとして設けたノルマをこなせなかったり、色々と考えを巡らせている内に幾つか妙案が浮かぶ事がままあり、成果の質の向上の為にそうした案についても逐次考慮してたら予定としていた段階にまで事が進まなかったりしたからだ。
このままでは時間が足りない。期限に間に合わなければ、これまでの努力は正真正銘水の泡になってしまうかもしれない。かくなる上は。私はここで遂に人間の生み出した最大の英知、「妥協」の封印を紐解くのであった。
人間、一旦堕落するとそこから一気に転げ落ちるのは容易い事である。だが私はその事を知っている。一度の妥協を許して以降、私はそれまでになくそれまでになく気を引き締めた。これ以上の自堕落は罪である。一度の妥協は、一度限りの妥協を意味するのだ。止まる事のない邁進は始まった。
それから二度ほどの妥協を経て、期限一週間前、私はギリギリの所に来ていた。事前に立てた予定がどうしても少しずつ押してしまう。今の予定だって際ど過ぎて、このままでは「いよいよ詰めの作業だ」という段階でタイムアップとかいう悲劇が起こりそうな気さえしてきた。だが一度限りとあの日誓った禁断の妥協を既に三回も行使してしまった私に頼みの綱の天使はもう微笑みかけてはくれない。万事休すか…?
しかし一昨日、深夜0時過ぎ、「それ」は一応の完結をみた。追い詰められてから力を発揮する私の特性が、残り一週間になってようやく爆発してくれたのであった。慌てた分、あまりに穴の多い出来になってしまったのが心残りのため、思っていたほど達成感とか解放感とかはなかったが、まあそこの所は今後色々手を入れていけるので構わん事にする。

いやしかし、スパートの猛追振りは今振り返っても凄まじかった。何しろラストの5日間で全体の20%を稼いだからな。
5日で20%。もっともそれは私の底力を証明するものなどではなく、むしろ残りの55日間余りにおける見るに耐えない体たらくさを如実に表している様な気がしないでもないが。



07/12/22(土) 第937回 哲学

「哲学は、神について言及できる唯一の学問である。
 だが高々人間の生み出した言葉によってそれを表現したつもりになっているなら、哲学は陳腐である」

kemkam



07/12/23(日) 第938回 異論反論オブジェクション

「誰の言ったどんな意見も、その趣旨に同意しない人間によって反論が可能である」という意味合いの言葉を何処かで聞いた。あらゆる議論における全ての発言は言葉によって言い返す事が出来、揚げ足を取るなどした本質的に議論とは異なる類の手段も反論の内に含めれば、あまねく人間に対して完璧な言論というものは存在しないのだという。
これを聞いた時に「ああ、なるほどなあ」と思った。確かに、例えば反対派を一挙に黙らせてしまう様な隙のない意見などというものは、ない。賛成派と反対派では価値観からして根本的に違うから一方では当たり前とされている事が他方では全然そうじゃなかったりして軸が噛み合わない、つまり「正当」や「正義」の根拠そのものが異なる者同士だからか。
「世間的に常識とされている事に関してなら反論を完膚なきまでに叩き潰す事が出来る」と思うかもしれない。例えば「罪を犯した者は罰せられるべきである」という意見なら。だが、仮にこの考えに反対する者がいたとすれば、その者との議論は容易ではない。

「罪人への刑罰は適当でない」
「何故か」
「人間に同じ人間を傷付ける権利はないからだ」
「しかし罪人は既に別の人間を傷付けた。貴方の意見に則るなら、その点で罪人は罪を与える側の人間と位を同じくしていないのではないか」
「罪人は何か理由があっての上で罪を犯した筈だ。つまり犯罪行為に走る前段階で被害者にも相応の、恐らく罪人に不利益を生じさせる様な過失があり、その時点で被害者は罪人に対して『同等』ではなくなっていた」
「ならば、貴方は理由さえあればどんな罪を犯してもいいと言うのか」
「それは極論だ。私は理由一つで犯罪の免罪符を貰えるのだと言っているのではなく、罪人に罰則を与える必要がないのではないのかと言っている」
「つまり具体的には?」
「単に一般社会との接点を持たない様に隔離措置を取ればいい。ただしそれ自体が罰にならない様、その中できちんと食事など最低限生活に必要な物を与える」
「それは刑務所という事か?」
「『身の自由を制限する』のが目的の刑務所と違う所は、その区域の中で比較的普通に生活を送る事が出来るという点だ。つまり、生活は我々一般人と特に変わらない。ただ、金輪際我々と関係を持たないでいてくれればそれでいい」
「だがそれでは、その生活欲しさにわざと犯罪を犯す人間が現れるのでは? 今だって刑務所暮らしを望んで犯罪に走る人間がいるというのに。ましてやノーリスクとなっては」
「『働かざる者食うべからず』じゃないが、いわゆる刑務所の様に一日三食きちんと出さなくとも、労働による賃金支給制度を導入すればいい」

とまあ、例えばこの様な感じで意見を戦わせる訳だ。一般的に言えば「罪を犯した者は罰せられるべきである」が真である事は自明だが、心底そう思わない人間を前に「それが当然だから」は通用しない。恐らく、この後も考えていけば延々と直前の言動に対する反論が積み重ねられ続けていく。それは議題が違っても変わらない。先のテーマよりもよっぽど常識的だと思われる様な、例えば「教育は必要である」「規則はないよりはあった方がいい」「人間は食べなければ生きていく事が出来ない」「沢尻エリカはもう少し愛想良くするべきだ」なども、(それぞれ反対だと言い張る人間がいればだが)全てにおいて言い返す事が出来るのである。それが「どんな意見にも反論が可能である」という事だ。

この事に気付いた時、私は議論する事の意味を見失ってしまった。何故ならば、どんな議論も、どちらかの意見によって相手を論破する事など出来ないのだ。論破していたと思っていた事はその全てが、相手の妥協だったり、(これ以上続けても埒が明かないからという)諦めによるものなのだ。説得力のある言葉によって相手を「納得」させる事は出来るかもしれないが、それも議論相手が自分の意見を理解しようと努めている人間でなければ成り立たない事である。更にその「納得」は決して相手の持っていた意見を否定する事によって辿り着く所ではない。結局それは自分の意見が相手の意見を説得力の点で上回った(と相手が判断した)だけに過ぎず、相手の意見が間違いである事を証明した訳ではないのだ。その為、自らが正しいと思って聞かない人間との話し合いはどうしたって終わる事はない。いつまで経っても互いの論旨そのものを否定出来ないその議論は話し合いを始めた時点で既に、自分が妥協或いは納得するか、さもなければ決着を見ずして時間切れとなる事が決定的なのである。
詰まる所ここから言える事は一つだ。議論に際しては、出来る限り相手の意見を尊重し、その理解に努める事。

しかしこれは言うほど簡単な事ではない。何故なら私は上記の議論の一例を書いている最中、常に「罪を犯した者を罰しないなどという事が許される筈はない」と思い込んでいたのである。



07/12/24(月) 第939回 英雄の力を貴方に

この度、Microsoft Officeの新シリーズ、Microsoft Sephirothがリリースされました。
新たに追加された機能は以下の通りです。

・メテオ機能(Word)
定期的にメテオを呼び、文書を虫食い状態にします。復元は出来ません。

・リユニオン機能(Excel)
セル内に入力した数値が勝手にセルA1に集まり合計されます。

・放火機能(FrontPage)
FrontPageを用いて作成したホームページが数日の内に炎上します。

・悲痛な問いかけ機能(Outlook)
不定期にセフィロスから「オレの母の名はジェノバ…『ジェノバ・プロジェクト』…これは偶然なのか? ガスト博士……どうして何も教えてくれなかった? ……どうして死んだ?」というメッセージが届きます。

・セーファ・セフィロス機能(Sephiroth系列全般)
エラー発生時に「片翼の天使」を流し、ユーザーに分かりやすくお伝えします。イントロから一通りお楽しみ戴けます(7分19秒)。




07/12/25(火) 第940回 神ネタ

事情により昨日はノイズが入ったが、一昨日の「議論」についての話には少し続きがあった。しかも更にその前の「哲学」話についてである。
話は単純で、全ての意見には反論が可能であるとすれば、普段哲学論を振りかざして神の存在を説いている人などはあの第937回に対してどの様な言葉でもって反論してくるんだろうかという事なのだが、はて。
何分哲学とは無縁の人生を送ってきたもので、神がどうだの、更に言えば人生がどうだの存在がどうだのいう事を達観した様子で考えたり語ったり出来ず、そういった人がどういう思考の下にあの2文を否定しにかかるものやら皆目見当がつかないのである。
「その認識は間違いで、そもそも我々は未だ神について十分な表現者であるとは言えない」と、論旨自体を覆そうとするだろうか。それとも「今広く用いられている言語形態は必ずしも進化による変遷の終着点にあるとは限らず、故にいまだ未熟な状態にある言葉を用いる事に満足するなどあり得ない」と、哲学や延いては哲学する人間全てを陳腐呼ばわりした事に強く噛み付いてくるだろうか。或いは「真理とは常に単純なものなのだ」と、分かる様な分からない様な弁論に始終するだろうか。

一つ分かっている事は、いずれにしても、そうした反論に対して次にこちらへ論述の番が回ってきた時に、

「ってかお前らあんなやっすい挑発に乗ってんじゃねーよプププププ」

などと言い放ったら半殺しじゃ済まないという事である。神様助けて。


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