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05/03/19(土) 第141回 横断歩道の足の印

実際の所は知らないんですが、あまりにも都会のイメージとはかけ離れてるんで多分田舎地方にのみあるものなんでしょう。とか思ってたら実はここら一帯でしか見かけないものだったりして。
今日は横断歩道前にある黄色い足型の印について。

見た事がないと言う方の為に簡単に説明しましょう。この印は横断歩道の手前にあるもので、色は黄色、形状はまず横断歩道の線に平行な線分があって、その線分の横断歩道とは逆側に、横断歩道側へ向いた靴のシルエットが両足分描かれているというものです。用途としては「横断歩道を渡る際には必ずやここで一旦止まるべし」みたいな事を訴えかけているのでしょう。
つまりは安全対策の一環という事なんですが、これがどうもその役割を果たしている様に思えないのです。足型のシルエットと共に線も引いてあるとなると、「そこで止まれ」という意味に受け取れるんですが、実際にその線を越えない場所に止まってみるとどうでしょう。思いの外車道が近くにあります。まあ、幾ら何でも危険が及ぶだけの至近距離でないとはいうものの、しかし大人の裁量でそれを決めてはいけないというものです。何となれば、そうして足型の印を用いる事による事故防止の主なターゲットは子供達にこそあるからです。

それが大人であるなら、その印に沿う場所に立つなんていう無意味な行動を敢えて取る事はないでしょう。しかし相手は子供です。子供というのは、それが如何に無意味で、危険で、馬鹿馬鹿しく、デメリットしか見出せない行為であろうと己の好奇心一つさえあればどんな事だって実現しようと画策、行動します。何を隠そう、私こそが昔、己の好奇心一つでその足型の印に足を合わせて立とうとした子供でした。それによって何度となく「危ない」という忠告を受けた事をよく覚えています。実際客観的に考えてみれば、子供ながらにも安全とは言い切れないなあ、と感じた事も。
その対象が子供であるなら、その印はもう少し歩道側へ寄せてあった方がいい様な気がするんですがねえ…

余談ですが、私の住んでいる家では、玄関を出ると横断歩道でもないのにその印が出現します。って事は別に横断歩道前限定の印じゃあないって事か。
田舎の中では交通量が多い地域にある家で、車の往来はそれなりにある訳なのでまあそれはいいんですが、それにしたってその印が刻印されている場所が坂状になっている点は戴けません。ここで足を印に合わせて立っちゃおうものなら、やや前につんのめった状態になってその危なさは一般横断歩道で同様の行為に出る事の比ではありません。
繰り返しますがそれが自宅前にあったものですから、私としては律儀にも危険を冒してそこに立ちたくなってしまった時期があった訳でありまして…そこに立ったからって視界が良好な訳じゃないからもう少し前のめりになって左右を確認しないといけないしなあ…ホントに危ねぇ。

そんな訳で、事故防止を目的としているんだったら、実はこの印を取り払ってしまった方が効果的なんじゃないかと思っている今日この頃です。
つーか、私の自宅前にあるアレだけは本当に何とかしないと。あれって受け取り方によっては、坂状になっている所で止まれって言ってる様にも聞こえるでしょ。そもそも一体だれが付けたんだろ…



05/03/20(日) 第142回 謎の女現る

出来如何は別として、こうして連日少なからず文章をパソコンを用いて書いていると、どうしても誤変換の発生を避ける事は出来ません。
特に限られた時間内で多量の文章を書く事が求められている場合は一回一回の変換について十分な確認作業が出来ませんので、後で見てみるととんでもない間違いを犯している事も珍しくないですね。

誤変換と言えば、その代表的例としてよく「確率」と「確立」の違いが挙げられます。これまで何度となくこの間違いをしてしまっている人や、この違いを指摘する人を見た事がある位混同し易いものらしいので、避けられない誤変換の一つとして単発的に発生するだけならまあいいとしましょう。ただ、そうではなく本人が完全にこの両者の意味を誤って捉えていて、随所に同じミスが見られる場合はどうも気になって仕方なくなります。特に「確率」の方は「〜の確率は何々、そして〜の確率は何々」という風に幾つか連続して使う場合もよくありますから、そういった人が「確率」を「確立」と履き違えて理解してたりなんかすると目も当てられません。

「誤る」と「謝る」の間違いも時折見かけますね。「確率」と「確立」の違いには日頃から気を使っている私ですが、これは見落としている事が何回かありました。もしかしたら今もこの日誌の過去ログの何処かに間違っているままの状態のものが残っているかもしれません。探すの面倒だから直さないけど。
んでもって、「容量」と「要領」もこれまた鬼門なんですよ。「確率」と「確立」は一文字目が一致していて、「誤る」と「謝る」は一文字目の部首が一致しているからまだいいとしても、「容量」と「要領」を間違えるとは何ぞや、と言われかねない様な間違いですが、実際に間違って使用してしまっていたのを見付けちゃった以上はしょうがありませんよね。きちんと修正したかどうかは忘れましたが。

とまあ、この他にも色々ありますが、先にも言った様にこれらのミスは単発で出現する位なら十分許容されるべき範囲内ですよね。特にプロでもない我々が書く文章であれば尚更の事です。
ですが、プロでないとは言えこうして自分の書く文章を外部に公開している身であるのなら、あまりの誤記乱発はやはり避けるべきです。さっきの話じゃありませんが、「確立」を確率確率と連呼されるのは少々戴けないと思わなくないですし。とは言え、その一つ一つのミスはやはり些細な者なのですからそれをあげつらっていちいち指摘する好意は何とも容量を得ません。となれば表記の謝りがあった時には読む側こそが的確な自己解釈をして読まなければいけないのか、となるとそれはやっぱり違うだろうし…
まあ何だかんだ言っていますが、結局最終的には文章を書く側が出来る限り誤変換をしない様に注意すべし、という結論に至るのでしょう。
異常をもちまして、今日の所は終わりたいと思います。美奈さんはこれについてどうお考えになるか、ご意見があれば是非お聞かせ下さい。

「美奈さん」
それは誰。



05/03/21(月) 第143回 ゲームプレイ率33%

これまでこのサイトでは、ゲーム日誌をプレイしたゲーム別に分けて扱っていたんですが、全くネタバレを気にしない人からすればこの日誌の様にゲーム日誌だけをまとめたページがあった方が良いだろうという事でこれまでのゲーム日誌をまとめてみましたら、いつの間にか100回近くに達しようとしていた事が明らかとなりました。
まあねえ、ゲームを題材とするとあまりネタには困りませんからねえ。書き殴った文章の量に比べてやや注いだ力が少なく済んでいたという事なのでしょう。
ですがこの事は、ゲーム日誌を始めてから今日までの約七ヶ月半の間に、僅か100日足らずしかゲームをプレイ出来る日がなかった、という事を意味してもいます。実際あのゲーム日誌の中には攻略本を読んだ日にそれについての事を書いてあるだけの場合もあるので、それを除けば大体75日位になってしまうでしょうか。
つまりおよそ三日に一回程度のペースという事です。本音としてはもっとゲームに割く時間を多くしていきたい所なんですが…
何と言ってもこれに関して一番問題なのは、プレイを保留しているゲームがあるにも拘らずゲームをプレイしない期間が結構なものになってしまっている事です。そう、正に今の様な…
勿論やる気が無い訳ではないんですが、プレイ速度が遅い上にプレイし始めたゲームはなるべく途中で保留にせずに、一気にクリアしてしまいたい性分なものだからタイミングが中々取れないんですよ。
以前に言っていた期間限定で借りている「ゼルダの伝説 ふしぎのぼうし」についてもこのままだと一度も起動させる事すらないまま返却となってしまいそうな雰囲気が漂い始めてきました。

あーあ、ホントどうしよっかなあ。
四月から忙しくなるぞなるぞって言われてるけど実際の所どれだけ厳しい現実が待っているのか分からないんだよなあ。
こうなったら四月に入って忙しくなるまで待って、今後の予定が立て易くなってから色々考える事にしようか。そうする場合は残念ながら「ゼルダの伝説 ふしぎのぼうし」は返さなければならなくなるけれども…まあどうせ最初から二回以上はプレイしたかった訳で、例え借りたソフトで一回はプレイ出来ても二度目以降をプレイしようと思ったら結局買わざるを得なくなる所だったと思うからいいんだよ、それは。
…しかしやっぱり、比較的多めの時間をゲームに割け得る今の状況を捨てる様な行為に出るというのは、あまりにも勿体無いよなあ…



05/03/22(火) 第144回 私だって悪い(一応フォロー)

ふざけんな、と言いたい。
でもそもそも相手が真面目に考えている事じゃない訳だからタチが悪い。ん? 真面目に考えている相手に「ふざけるな」って言う方がタチが悪いんだっけか? まあそんな事はどうでもいいですが。

数日前に交わしていた筈の約束が無い事になったのです。
勿論、単にそれだけの事ならこれまでの人生で何度となくあった事。しかし何一つの断りも無く、となるとそうはいきません。
状況としては、相手側の予定に合わせて、こちら側が少なくない時間を割いている訳ですから、立てられていた予定が突如無くなった形となった私としては堪ったもんじゃありませんよ。
とは言え、何らかの自分ではどうする事も出来ないトラブルだのハプニングだのに巻き込まれた結果、予定を崩さざるを得なくなり、加えて連絡も出来ず終いとなってしまったのなら私にこうして不満の意を書き綴る権限は何処にもありません。ですが今日どころか昨日も一昨日も結構日常的に対面している以上それが出来なかったとは考えられません。そうともなるとこれはもう無視ですよ。シカトですよ。だからこそ腹が立つのです。つーか昨日も予定を変更したとは言えそれは断りを入れていた上での事だったのに、何で今日は何も無かったんだ?

実際なあ…別にどうしてもやっとかなきゃならない事じゃないしなあ…だからこそ相手はあまり重大な事と思ってないのかもなあ…でも他人に自分の為の時間を割かせておいて無断でそれを無くすのは良くないよ、本当。
それは本当に「どうしてもやっとかなきゃならない事」ではなく、「どうでもいい事」と形容した方が的確である位なんですが、なのにも拘らず何故私がこう憤慨したり、ブツブツ文句を言っているのかと申しますと、誰あろう私自身がそれを楽しみにしていた訳です。もう随分と前から相手の都合により延々と伸ばされ続けてきた事の目処がようやく立って、最近良い事も悪い事も特にない平坦な毎日に一筋の光が差し込まれた所だったというのに、この最悪のパターンでのキャンセルです。遺憾の意を表明したくもなりますよっての。

何か一言言っておかないといけないだろうか、とは思うんですが、何せ「どうでもいい事」なもんでそこまでする様な事だろうか…と思ってしまいます。事実本当に下らない事なので、それをする事によって一時的にであれ紛争を巻き起こすよりは、このまま沈静化させた方がいい様な気がするのです。
でもそれだと、相手のわがままがそのまま通った形となってあまりいい気分とは言えませんわな。だもんで、諸々の事を大げさにした上でこうして一日分の日誌のネタにさせて戴く事により、無理矢理この一件において被った「損」を「得」に変換しときました。
でもこれ、一日だけだぞ。次は無いぞ。
その「次」は実は明日に迫っている事なんだけれども、今日シカトをしたのに何も言われなかった事に味を占めて明日は今日より堂々と無視されるかもしれないなあ。



05/03/23(水) 第145回 一日を締め括る戦い

人生には数多の勝負があって、その中には生きていく上で何度も、何度も何度も対峙する様な奴もいたりするけれども、そういった奴の中でも「紐を引くタイプの蛍光灯」の凶悪さと言ったら誰もが畏怖の念を禁じ得ない事だろうと思う。
奴は凄い。何となれば普段の佇まいからは一切の敵意も感じられないからだ。そう、普段の奴は淡々と眩き光を発し、他に何をするでもなく静かにしている。だからこそ人々はそんな奴に対して油断してしまうのだろう。そしてその油断が、時に奴の凶悪さを目覚めさせるのだ。

例えば貴方が日常的に使っている「紐を引くタイプの蛍光灯」が、「入(明)」、「入(暗)」、「切」の三段階で成り立っているとしよう。この時奴の一サイクルは三であり、紐を三回引っ張る事で元の状態へと戻る。
現在「入(明)」モードの奴が照らしている部屋にいる貴方は今寝ようとしている。そんな貴方をここでは「蛍光灯が煌々と照らされている状況でないと眠れない人」ではないとすると、貴方は消灯の為、奴から伸びる紐に手をかけ、それをリズミカルに引くのだ。一、二、と。
しかし、ここに悲劇が起こる。その消灯の為の作業は貴方にとって日々繰り返される事だった。それ故貴方は、その作業にいささかも注意を払っていなかったのだ。
その結果、貴方は本当なら二度引けば十分だった紐を、勢い余って三度引いてしまう。

カチカチカチッ!!

その時何が起こるか。そう、「紐を立て続けに三回引っ張ると、引っ張り始める前の状態に戻る」という蛍光灯の一般則に基づき、奴はもう必要もない光をその部屋に再び供給し始めてしまうのだ。
これの恐ろしい所とは何か? それは単なる「抑えられた筈の電力の消費」等という生易しいものではない。蛍光灯というのは室内において周囲が暗かった時、生活するに不自由しないだけの光を得る為に利用するものなので、基本それは夜間の使用となるが、この「夜間」というのは、室内で蛍光灯を使用しているか否かが外部から判別し易い時間帯でもある。
となれば、先程起こった事態も、外から「一旦明かりが消えたと思ったらすぐ付き直した」との認識で誰かに見られていた可能性も十分あると考えられるだろう。
そうなると、その光景を目撃した人は思うのだ。「何だ何だ?」とか「間違えて消しちゃったのか?」とか。それならまだいい。だが「何か怪しいぞ、泥棒じゃねーの」とか「呪術でもやってんのか」とか、根拠も無かろうのにそう思われてしまうのは大変である。不審人物扱いだ。
ただ、外の人間がどう思っていたとしても、貴方は明日への英気を養う為に眠りに就かなければならない。とは言え、間違えて付けてしまった蛍光灯をすぐさま消すのはどうか。もし殆ど間を置く事無く蛍光灯を再び消してしまえば、貴方は外の人からこう思われるのだ。「あ、アイツ勢い余って付け直しちゃったんだな」と。その瞬間、貴方は恥をかく事が確定する。

不審人物扱いされるか、恥をかくのか、どちらがまだましなのかは人によりけりであろうからここでは特に言及はしないが、それにせよ、「紐を引くタイプの蛍光灯」を消そうとする際には注意を払って戴きたい。



05/03/24(木) 第146回 セキュリティ云々の話ではない

諸々の事情が重なって今日は久し振りにゆっくりくつろげる日を過ごしているというのに、こんな日に限って猛烈に天気が崩れて下さるんですね。雨嫌いの私としてはこんなんじゃ気分も晴れんですよ…

ところで、人には誰しも他人には絶対に見せられないもの、というのがある事でしょう。それは身近な人にしか見せられないものであるかもしれませんし、或いは本当に自分以外の誰にすら知られてはいけないものであるかもしれません。
ただ、そういったものの大半は本人の厳重な管理の下、そう頻繁に誰かの目に入ったり、知られてしまったりする事はありません。しかし中には、ある程度の流出を覚悟しなければならないものもあるのです。

私はこうしてサイトを一つ運営している関係上、ここのアカウントにログインする事が頻繁にあるのですが、勿論その際には、ユーザーそれぞれが持っているIDと、それに対応したパスワードを入力しなければなりません。
と、こここそ今日の本題となる所なのですが、何も私はここでパスワードを知られてしまうとそれを悪用されてしまいかねないから、パスワードはなるべく英数字混合のものにした方が良いだの、パスワードをコンピュータ内に保存しておくのは止めましょうだのと言うつもりはありません。そういった情報は探せば他に五万とありますから、セキュリティ関係のエキスパートでも何でもない私が差し出がましくもそれを述べる必要はないでしょう。むしろ問題はID入力の方にこそあります。
当サイトのアドレスをご覧戴ければ分かりますが、ここのアカウントのメンバーIDは「bewildersmania」であり(05/03/24現在)、ログイン時にはこの文字列の入力を求められる事になります。勿論、ここは普通にそう入力すれば宜しかろう、とお思いになる事でしょう。しかし、悪魔は時にこんな所にも姿を現すのです。もし私がいざこのIDを入力しようと思った時に、入力モードが日本語入力になっていたらどうなるか。その時、我がPCのスクリーンにはこの文字が出現するのです。



この日本に存在する多数の平仮名の中には、どうにもこうにも格好悪さを醸し出してしまうものも幾つかあるものですが、中でもこの「べ」の間抜けさと言ったら他の追随を許しません。
一応ブラインドタッチが出来る手前、ここで一旦入力を止める事になるのですがこれがまた良くない。日本語入力モードで打ち始めてしまったのならそれはそれで、「べうぃlでrsまにあ」まで入力してしまってからF10キーで半角英数字に変換した方がまだ格好も付こうというのに、「べ」一文字は如何ともし難いものがありますよね。
更に追い討ちの様に、それを誰かに見られてしまったとあらばどうなってしまうでしょうか。その時私は嘲笑の対象にすらなり得ます。何しろ「べ」だもんなあ。もしこのミスをやらかしてしまった時、身近に誰か人がいたなら、その人の顔をそっと覗いて見てご覧なさいよ。多分僅かに顔が緩んでいるでしょう。頬の辺りがヒクヒクしてるかもしれません。

そう言えば私はこことは別にWebメール用のアカウントを持っていて、そのIDは「di」で始まるので、それにおいて上記のミスが発生するとこうなってしまいます。



「ぢ」は宜しくない。「べ」も相当なもんだけど「ぢ」もそれに匹敵する位宜しくない。

という訳で、ID入力の際は日本語入力に気を付けろ、というもっともな結論が導き出される訳ですが、それはもしかしたら私にしか当てはまらない事なのではないかという点については考えない事とする。



05/03/25(金) 第147回 モノの数え方

とかく日本語は難しいもので、モノの数え方一つ取ってもその種類はかなりあります。
軽く挙げてみると、一個、一枚、一台、一回、一頭、一羽、一尾、一匹、一本、一冊、一色、一球、一分、一秒、一時間…とまあ、この他にもまだまだあるでしょう。
これら単位の全ては、どの対象について使われているのかが明確に決められていますが、中にはどう数えたらいいのかよく分からなかったり、間違った数え方をしてしまうものもよくあります。
数え方が分からないものとしてよく例に挙げられるのは、タンスですね。これは一棹(さお)、二棹と数えるんですが、もっともタンスの場合はクイズ的なものを主にしてちょくちょく耳にする事があるので今ではそれなりに知られているのかもしれませんが。
ややこしいものと言えば、鯨が一頭、二頭であったり、ウサギが一羽、二羽であったりとかいう所でしょうか。馬、牛、羊あたりを「一頭」と数えるのか「一匹」と数えるのか、というのも紛らわしく感じますね。ウサギは「匹」でもいいとか、馬、牛、羊あたりは「頭」でも「匹」でもどちらでもいいとかいう話を聞く事もありますが、それが尚更混迷の度を深めてしまっています。

そんな訳で、一部のものはどう数えたらいいのかよく分からない場合があり、でも日常においてそんなに正確性を求められる場面というのもないから、そういった場合は適当な単位をくっつけちゃえばいいとは思うんですが、人によってはその間違いに気付いたとなると得意気に「それはこう数えるんだよ」と要らない忠告をしてきますから、なるべくなら単位の間違いは減らしていきたいというものです。
そこで私は本日、「一体これはどう数えたらいいのか分からない」という場面に遭遇した時にはどう対処すればいいのか、その対処方法について一つの提言をしたいと思います。
例えば貴方が今、どうしてもタンスの事を話題に出さなくてはならなくなったとしましょう。しかし貴方はタンスをどう数えたらいいのかが分かりません。前にテレビか何かで「個」とかじゃない事は知ったんだけどそれが「棹」である事が思い出せない…仕方ないから「タンス一個」って言おうかと思ったその時、今にも得意気に己の知識をひけらかしそうな眼鏡をかけた(己の知識をひけらかす人というのは往々にして眼鏡をかけているものなのです)青年が貴方の目に入ってきました。もしここで貴方が「タンス一個」等と言おうものなら、青年はそれを聞くや否や、やや早口気味に「タンスは一棹、二棹って数えるんだよ、一個、二個じゃないんだよ」と言うでしょう。ウゼえぇぇ。
そこで私は提唱します。こんな時にはこう言いましょう。

タンス一個体

そうです、取り敢えず数え方が分からないものについては「一個体、二個体」と数えましょう。これなら間違いではない…筈。
この「個体」という言葉の素晴らしい所は、何も使用対象をタンスのみに限らない事です。鯨一個体、ウサギ一個体、ヒラメ一個体、羊一個体、コップに水を一個体。
つーか随分と怪しいものもありますが、後の対応は個々人に任せる事とします。「一個体って何?」と聞かれてしまった時は、取り敢えず「個体」の定義「他と区別され独立の存在を保つもの」を答えておけば、後は勢いで何とかなってくれるでしょう。
一つ問題があるとすれば、例えば「タンスってどういう風に数えるか分かる?」みたいな事を聞かれた時に、答えが分からないからって「一個体、二個体」なんて言ったら、場の空気が瞬時に冷めてしまう可能性が濃い事でしょう。人間関係は一筋縄じゃあいきません。よってこの使い所も、個々人に任せたいと思います。



05/03/26(土) 第148回 そこにゼルダがあったから

DQ8の二周目が終わってからというもの、次にどのゲームをプレイするかについて考える時には常に知人から借りている「ゼルダの伝説 ふしぎのぼうし」が候補に挙がっていながら、どうせ二度以上プレイするとしたら結局は自分で買わないといけないんだからという理由でそれのプレイを諦めたのが五日前の話、だったんですが、今日になって突然、明日からこれをプレイし始める事に決まりました。
と言うのも、最大の問題となっていた「どうせ二度以上プレイするとしたら結局は自分で買わないといけないんだから」が解決する運びとなったからです。
四月もすぐそこ。四月になればかなり忙しくなってくる事が知らされている身としましては、もう比較的ゆったり出来る日はもう少ししか残されていません。そこで今日は久し振りに本なぞ、ゲームなぞを求めて外へ足を運んだ訳です。
当然ここは田舎。時間や移動距離を短く済ませたいとあらば品揃えの面で大きく妥協せざるを得ない店にしか行く事が出来ない様な所ですからあまり何を期待するでもなく、どちらかと言えば気分転換気味に行ってみた訳ですが…品揃えが少ないばっかりに、それはあまりにも早く私の目に飛び込んで来たのです。同時に、品揃えが少ないばっかりに、もし今日何かを買うとするならそれ位しかなかったのです。
結果、今現在私の手元には二本の「ゼルダの伝説 ふしぎのぼうし」があります。一方は知人から借りていて四月上旬あたりまでには返さなければならない事が決定しているもの。もう一方は、本日私に悪魔のささやきを仕掛けてきたもの。\4280也。目の前に二本並べてみると心から「馬鹿だなー」って思いますね。

まあそんな訳です。買っちゃったものはしょうがない。プレイしなければなるまい。つーか、こうして自分で買ったからこそ責任あるプレイが出来るってなもんですよ。ゲームとはそういうものです。何もゲームに限った話でもない。音楽もそう、映像もそう、文章もそう。自分でお金を払って一定のリスクを負ってこそ、ようやくそれは娯楽として100%楽しめる資格を得られるのだと思いますよ。
…勿論それは、こうして「ゼルダの伝説 ふしぎのぼうし」を目の前に二本揃えちゃうという愚行を少しでも正当化しようとする為の言い訳なんだけれども(泣)
いいやいやいや、でもでも、安くはないお金を支払って得たとなれば躍起になってでもそれをプレイしてクリアまでこじつけなければ完全な無駄と化してしまうだけに、私は「プレイしなければ」との思いに駆られる事になるでしょう。そうして、私にプレイを決断させる後押しとなってくれるのは少なくとも確実であり、それだけでも私としては十分なんですよ。そういう事にしといてくれ。
まあ実際の所、プレイしようかどうか迷っているゲームを勢いで購入する事によって、プレイへの意欲を確固たるものにするというのは有効な一手ではあると思います。…あれ? でもそうだとしたら、実際に勢いで購入して、今となっては普通にプレイ可能な状況になったのにプレイされてない「ゼルダの伝説」だの「リンクの冒険」だのはどうなったんだろ?

…まあそれはともかくとして、明日から「ゼルダの伝説 ふしぎのぼうし」を始めます。



05/03/30(水) 第149回 電撃婚申し込み受付中

こんな文句を大々的にアピールしているウェディングプランか何かの広告を見た事があるんですが、「電撃婚」っていうのはつまり周囲すら予想だにしない位に突然の結婚という事であって、それの申し込みを大々的に受け付けるという事はアレか、何だかんだとドタバタしてて、変に気が変わったりしない内に手早く「結婚式」という一つの結果を出すだけ出して利益を得るみたいな詐欺的な事なのか、っていうイメージが咄嗟に浮かんじゃったんですけどそれは流石に考え過ぎというものか。
でもそうでなくても、「とにかく私達早急にまとまった結果を出さないといけないんですう」みたいな切迫感がある様な気がして、私なら電撃婚であろうがあるまいがそんな会社には頼みたくない。結婚への決断が「電撃」だとしても式自体の詳細な事はゆっくり決めさせてくれよ、と。でも早急に「式」という一つの形を迎えたい人にはお勧め。多分スタッフの「結果重視!!」とか「生活がかかっとるんじゃあ!!」みたいな嫌な感じの緊張感を伴いつつも、何処よりも早くその日を迎えられる事請け合いです。

つーか、お前らの会社はどいつもこいつもそんなにてんやわんやしたいのかと言いたい。言った。



05/03/31(木) 第150回 渦中の人が答える「竹島の日」制定について

「ハァッ? 何それ? 『先頃制定された竹島の日について話して下さい』ぃ? ちょ、ちょっと待ってよ。何で俺が? 『は?』じゃなくて、何で俺が!? 意味分かんねぇっつの。は? 『貴方が渦中の人だからです』って…俺島根県人なだけだよ!? 議会とか何も精通してねぇから!! はあ? 『普段島根県が全国的にクローズアップされる事がない分、今世間は島根県と言えば竹島の日、みたいに思ってるから大丈夫だ』って? おいテメェ自分で何言ってるか分かってんのか! つーかお前も島根県人じゃねぇかよ!! お前がやればいいじゃんよ!! おい!! オイ!! 『もうお客さんが集まってますんで』じゃねぇっての! 人の話聞いてんのかっての!! あれ、無視ですか、無視というやつですか。お前覚えてろよ! オイ! 何か言えよ!! オイ!! オイ!!

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「えー、本日は、えーと、お足元のお悪い中、こうして『渦中の人が答える竹島の日制定についての講演会』の方にお越し戴きまして誠に有難うございます。えー、私、島根県人というだけでこの場に駆り出された、ああっ、そうじゃなくてですね、『渦中の人』という事で本日話をさせて戴く所存でございます。えっと、早速本題に入りますけど、先日島根県議会が制定した『竹島の日』に関しまして、この所日韓関係が少々問題になっておりますね。何か具体的には、韓国側から都市間とか町村間とかでの友好提携を解消したい旨の動きが何か色々あるとかで、しかもそれ島根県内に限っての話じゃないみたいなんで、『島根県の癖に出しゃばったマネしやがって』みたいな意見が飛び出しちゃわないかとか、延いては『島根県人って空気読めないのな』みたいな雰囲気が韓国のみならず日本からも出ちゃわないかっていう事がちょっと気になったり致しますね。単なる島根県人としては…っじゃあなくてそんな声が一般島根県人の中から聞かれておりますです事よ。そんな訳で、今島根県は近年稀に見る注目を浴びているんですけれども、正直な所私そんなに興味は無い…あわわわ、そうじゃなくてですね、なにぶん不勉強なものでして、そんな私が身勝手な発言をしていいものかどうかという所なんですけれど、でも折角ですから敢えて言わせて戴くならば、『竹島の事を多くの人に知ってもらいたかった』っていう意図は分かるけれども、本当にそれが一番の理由だったのならもう一つか二つ段階を踏んでから制定に踏み切っても良かったんじゃあないかなあ、と思わないではないですねえ。普段全国的にクローズアップされる事が極めて少ない島根県が久し振りに注目を浴びていて、何だ何だと思ったら小さくない問題を起こしてた、って感じもしちゃいますよ。何か凄ぇ迷惑もん扱い、みたいな。どう責任取ってくれるんだ、みたいな。あ、あわわ、ちょ、ちょっと口が滑っちゃいましたが。あ、そ、そんな目で見ないで下さいよう」


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