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05/02/16(水) 第131回 振り込め詐欺

「オレオレ詐欺」という名称が「振り込め詐欺」に改められて、正確には「オレオレ詐欺」が「振り込め詐欺」という、詐欺の一種の形態を表す総称の一つとなって久しい。
「オレオレ詐欺」の手口が多様化してきてからというもの、「振り込め詐欺」という名称が出て来るまでの間、私は常日頃「オレオレ詐欺」という呼び方を疑問視してきた。
理由は単純だ。ちっとも「オレオレ」じゃないではないか。「オレオレ」の「オレ」に当たる人物が何らかの形で登場するのならまだいいかもしれない。だが、もしかしたら肝心の「オレ」が何処にも見当たらないケースというのもあったのではないか。恐らく、同様の事に憤慨していた人も多かった事だろう。

大体にして、「オレオレ詐欺」という名称はよく考えてみれば、相当限定的な状況を表した言葉である。勿論、この手の詐欺が登場し始めた頃はそれで良かった。そうである事が恐らく最も合理的であった。ところが、少し違う手口の詐欺が登場した時、そこに「オレオレ」というセリフが無かったにも拘らず、「オレ」が登場人物に名を連ねていた事でそれを「オレオレ詐欺」と同じ括りにしてしまった事から何かがおかしくなったのだ。
この手口は「オレ」がいるから「オレオレ詐欺」だ。あの手口も「オレ」がいるから「オレオレ詐欺」だね。こっちだって「オレ」がいるから「オレオレ詐欺」じゃん。
思うにそんな感じだったのではないか。嘆かわしい事である。
初めに「オレオレ」というセリフが登場しない詐欺を「オレオレ詐欺」に分類したのが誰かは知らないが、その人物の、安易で愚直だったと言わざるを得ない行為は「オレオレ詐欺」の定義を曖昧とし、結果「オレオレ詐欺」の無法時代を築くに至った。

その後「オレオレ詐欺」は「振り込め詐欺」という総称で呼ばれる事となった訳だが、あまりにも「オレオレ詐欺」という言葉が浸透してしまったからか、初めに「振り込め詐欺」という言葉を聞いた時に違和感を感じた人は多かった事と思う。誰あろう私がその一人である。前述した通り私は「オレオレ詐欺」という呼び方を疑問視していたにも拘らず、だ。何とも身勝手なものだ。

ともあれ、これだけの氾濫を起こしたそもそもの切っ掛けとなった、「オレオレ詐欺」加害者第一号の人の罪は重い。
…いや、言葉の氾濫を起こした張本人は「オレオレ詐欺」と命名した人間か。いやいや、「オレオレ」というセリフが登場しない詐欺を「オレオレ詐欺」に分類した人間こそが張本人か。
まあ誰でもいいや。



05/02/17(木) 第132回 私の記憶と通信網との関係性

とかく時間を無駄にする性分で困っている。
手を付けなければならない事は挙げればキリが無い程あって、幾ら片付けても減らないというのに、どうにもやる気が起きなくてダラダラとしてしまい、折角取れた貴重な時間を殆ど潰してしまう事も珍しくない。
今日もそれが顕著に見られてしまった日でした。手を付けなければならない事とは即ちDQ8の二周目を開始してしまうとペースが鈍りかねない「妄想を文章にまとめる作業」なんですが、その為に割いていた筈の時間はやる気が起きなくて満足に進められないまま「無駄」と化してしまう始末…休みじゃないんで一日の殆どを無駄にしたという訳ではなくとも、こういう日を過ごしてしまう度に自己嫌悪に陥ってしまいます。で、それがより一層の「やる気の出なさ」を誘発してしまう悪循環です。

という訳で、如何にして「やる気」を出していくかという事が常日頃課題としてある訳ですけれども、そう言えば、とふと考えてみますと、問題の「やる気」とは全く関係無い部分で時間を無駄にしている事もよくある事に気付く。
インターネットとは情報の海であり、大概の事は調べられるだけに、何か分からない事、判然としない事が突如現れた時には「インターネットで調べよう」と思う事が多々あります。
そう思った時、首尾良くインターネットを利用出来る状況に自分がいたとすれば、何ら問題はありません。すぐさま調べてやろうじゃありませんか。Yahoo! JapanであるとかGoogleであるとかの検索エンジンに件のキーワードを放り込んで「検索」ってなもんです。
しかし、自分がインターネットを利用出来る状況にいなかったとなるとそうはいきません。そうなると「後で調べよう」という事になりますが、いざパソコンを立ち上げ、インターネットに繋ぐ時には往々にしてその事を忘れ去ってしまっています。
これがいけない。何しろ「後で調べよう」と思った瞬間はかなり気になっていた事が確かなのですから、おざなりにする訳にもいかない。だから懸命になって思い出そうとするんだけれども、何故かどうしても思い出せない…そんな「無駄」な時間を過ごす、なんて事もあります。
稀に思い出せる事もあるものの、圧倒的に思い出せないまま記憶の彼方に葬り去られる事が多いので、恐らく私の中には相当量の未解決問題が蓄積されているのだろうと思うと何だか気持ち悪いというかムズ痒いというか…しかもそういった疑問を、インターネットが即座に使えない状況にいる時に限って前触れ無く思い出しちゃったりするもんだから堪りません。

さて、これまで私が未解決のままにしていた疑問にはどんなものがあったかな、と、この機会に思い出そうとはしてみるものの、何しろ今はインターネットが使えてしまう状況。誰の陰謀か、容易にそれをさせてはくれません。
ああ、何だったんだっけ。ええっと、ええっと…



05/02/18(金) 第133回 インターネット依存症

100の質問辺りで少し書いていますが私にはゲームの他に取り立てて趣味が無いという困った一面があります。
趣味、と言えば一般的には何が挙げられるでしょうか。読書? ふむふむ。音楽を聴く? ほうほう。インターネット? 成程成程。
そうと言われれば、私だって本を頑なに読まない訳じゃないし、音楽を聴くのが嫌いな訳でもないです。数こそ多くないものの本はよく読んでいますし、音楽もよく聴く方です。ただ問題として、その対象がゲーム関連に殆ど絞られてしまっているだけで。
いや、例えゲーム関連の本及び音楽にしか触れなかったとしても、積極的に関わっていく対象があるだけましなのかもしれません。問題はインターネットです。
勿論、本や音楽と同様、インターネット上にはゲームに関わる多くの情報が溢れています。量的には本、音楽といったメディアの比ではないでしょう。が、ここで私の特異な性格が影響してきます。
「プレイする予定があるか、今現在プレイ中のゲームの情報は極力避ける」
これです。対象が本や音楽ならば、単にクリアするまで購入しなければいいだけの事。クリア前に購入したとしてもクリアするまで開封しなければいいだけの事です。幸いにも私には、そのどちらも可能にするだけの自制心があります。ところが、一度情報の掲載対象がインターネット上となるとそうはいきません。不用意に未知のホームページへ足を踏み入れでもしてしまえば、その瞬間に(私にとって)不要な情報が飛び込んで来てしまう場合があるのです。大抵の場合「最新情報を取り扱っています。ご注意下さい」なんていう、甚だ私よがりの注意喚起がトップページで成されているサイトなんていうものはありませんしねぇ…(あるべきでもありませんし)
さて、そんな事情もありまして、根っからのゲーム大好き人間でありながら私は、ゲームに関するサイトに足を運ぶ事があまりありません。しかも他に趣味が無いとなると、インターネットの利用価値というものは薄くなっていってしまうばかりで…
この状況は、一応はこうしてサイトを運営する事になった現在においては憂慮すべき事態でありますが、しかし返して言えば、私がインターネット依存症になってしまうのを効果的に防いでくれているという見方も出来るという事です。

もし私が、ゲームの新作の情報を得る事に何ら抵抗を感じない人間だったとしたらどうなっていたでしょうか? それだけで、私が有用だと感じるサイトの数が膨大な事になってしまいます。あらゆる情報を取り込む為に多くの時間をサイト閲覧に費やす事でしょう。何しろゲームが大好きなもんですから、その探究心は尽きる事がありません。その結果どうなるか。そう、インターネットにのめり込むあまりに、ゲームをプレイする時間が少なくなってしまうのです。
そういう点で、趣味に割ける殆どの時間をゲームに費やす事を可能にした私のこの性格には感謝したい所です。
…インターネット依存症にしろ、ゲーム人間にしろ、屋内に篭りっきりという極めて不健康な状況という意味では何一つ差は無いんですが…



05/02/19(土) 第134回 貢献度五千円足らず

いよいよ本日は散髪に行ってきました。
「いよいよ」というのは、髪を切るのが実に半年振りの事でありますからして、バッサリと切ったので随分スッキリとしたのであります。
さて、半年間髪を伸ばした、というのは別に今回に限った話ではなく、大抵において私はそういうサイクルで髪を切っています。理由はと言うと基本的に面倒臭いであるとか、お金がかからないであるとか、そういった単純なものなんですがそれは今回はおいておくとして、半年分伸ばした髪をいっぺんに切るといささか困った問題が発生するものです。

髪を切ったのが夏だったなら問題はありません。それまで半年間かけて伸びに伸びた髪が相当鬱陶しくなってくる時期で、尚且つ暑いですから、それを一気に取り払った時の爽快感と言ったらありません。
しかし一度冬となるとどうでしょうか。そうです、それまで毛髪によってガードされていた冷気の直撃を受けてしまう事となり、特に首筋辺りが寒い寒い事になってしまいます。時節柄、急激な環境の変化によって風邪を引いてしまいかねません。そう言えばここ数日鼻水が出る傾向にある様な。気を付けなければ。

さてさて、そんな訳で私が半年に一回、一年でたったの二回しか利用していないお店の方には何とも払拭し切れない疑問点があったりします。
私が利用させて戴いていて、今日も見事に断髪して下さったお店は何と言っても仕事が早い(多分)。なのであるからして客の回転も早い(恐らく)。その上更に価格も安い(※比較対象が僅か一店である事に注意して戴きたい)。ただ、ある点で無駄が見受けられるのです。
それというのも椅子の事です。店内には五つ程度の、あ、待合室からは死角になる部分にも三つ位あった筈だから多分合計では八つ程度の椅子が備わっているんですが、その内機能しているのは三つか四つ程度。待合室には例えば今日だったら私が入店した時点で私を含め五人の客が待っていたというのに、実際散髪中の客は三人程度でした。つまり五つ程の椅子には誰も座っていない状況なのです。
これは一重に従業員が、多くて同時に四人程度しか相手に出来ない位の人数しかいない事が原因です。何でしょうか。やはり不況の煽りとかいうやつなのでしょうか。
でもなあ、立地的には随分良い所だと思いますから、従業員を増やして余計に客の回転率を上げた方が一層評判的にも上がっていく気がするんだけどなあ…
なんていう、素人意見も甚だしい事を、空席の椅子を殆ど正面に見つつ、両隣の人が煙草を吸っていた事も影響してあまり気分良くない状況で考えながら、自分の番を待っていたのでした。

うーむ、それにしても、一年間で五千円も使わない客の言えた意見じゃなかったなあ。



05/03/13(日) 第135回 FF10とかFF10-2とかやり過ぎ

FF10とFF10-2と言えば、インターナショナル版を含めると合わせて九周、記録として残っていないものまで含めれば計1000時間近くプレイした事になる二作品ですが、やはりこれだけの時間をかけて繰り返し繰り返しプレイしていると、どうも思考とかがそれに侵食されてくる様です。それもそうでしょうか。一言に時間にして1000時間とは言うものの、期間で言えば四年以上にわたります。その間ずっとFF10シリーズをプレイしていた訳ではなくとも、アルティマニアを読んだりであるとか、妄想をまとめたりするとかいう事でFF10シリーズと関わっていた時間だって相当のものがありますから、正確に言えば1000時間でもかなり少なく言っている筈です。どれだけ深く付き合ってきたかを思えば最早人生の一部と言っても差し支えないのではないかと。

で、それだけ濃い関わり合い方をしていると、私の中でFF10シリーズの占める比重がかなり大きなウェイトを誇る様になってきます。そもそも私の中でゲームというもの自体が大きな存在ですし。日産だったかの「TIIDA」のCMとか広告を見る度にピクッと反応する事を禁じ得なかったのもその一つでしょう。
でも流石にこれはどうなのだろうか。まずは以下の文字を見てみて下さい。



選ぶ、という字ですね。では、この文字から部首の「しんにょう」を除いた部分を見て下さい。それを見て、貴方は何を思うでしょうか。
ある人は「選」の一部分としか認識しないかもしれません。またある人は「己は己と共にある」と読んでみたりするかもしれません。またある人は「己は己と共にある…って訳分かんねーよ」と思ったり「己は己と共にある…当たり前じゃん」と思ったり「おのれ…おのれ馬鹿者共めが!!」と思ったりするかもしれません。「馬鹿者」が何処から出てきたのかは知りませんけど、まあ多分「しんにょう」の事でしょう。言われてみれば「しんにょう」って形といい名前といい「馬鹿者」って感じがするでしょ? 「しんにょう」って、「にょ」って。すいません。

さて、問題は私がこれを見て何と思ったかなんですが、出て来た解は驚くべきものでした。

アルベドシューターっぽいなあ…

どうですか、これ。この狂い具合と言いますか。アルベドシューターですよ。FF10のルカで、ユウナ奪還イベント時に戦うアレです。クレーンで持ち上げると足をバタバタさせる様が何だか無性に可愛くも見えるアレです。FF10を知らなければFF10-2のマキナシューターやマキナストライクでも構いません。
「共」の字の五画目と六画目が、あの本体部とのバランスが取れてなさそうな足に似ている様に見えてしまった訳です。「己己」がブリッツボールを射出する左右両側の回転してる部位に似ている様に見えてしまった訳です。こんな人、他にいるんでしょうか。

そんな発見をした事にささやかな感動を覚えてしばらく、更に私は見付けてしまったのです。先の文字に続く、第二のアルベドシューターを。
それがこちら。



何と言っても足のバランスの悪さの見事さと言ったらありません。しかも自筆だとますますバランスを悪く書いてしまうので余計にアルベドシューターと化す事請け合いです。

と、こうして言ってみた訳だけれども、流石に自分だけがこんな神経の持ち主だとなるとそれはちょっと…となりますから、万が一「私もそう思ってました」みたいな賛同者がいたとしたら教えて下さい。



05/03/14(月) 第136回 「ホームページ」事情

もう既に日本ではこういったページの名称が広く「ホームページ」と認識されていますが、本来「ホームページ」とはブラウザを立ち上げた時に表示されるページの事とかに対する名称だそうです。で、よく広義に用いられている「ホームページ」は正しくは「ウェブページ」と呼ぶとかどうとか。
まあそうですよね。ウェブ上にあるページであるから「ウェブページ」と呼ぶのは極自然な事であり、ブラウザを立ち上げた時に表示されるページ、これは思うに「大本の」みたいな意味で言っていると思うんですが、それを「ホーム」と表現するのも分かります。ウェブ上にあるありとあらゆるページが「ホーム」と称されているのも少し考えればおかしく思えてくる事です。
この「ウェブページ」という言葉、個人的には浸透こそしていなくてもまあ大体の人は理解に及ぶ範囲の言葉なのではないか、という私見を持ってたんですが、知人に対して何気無くこの単語を使ってみたら「何それ」みたいな返事が返ってきました。それが切っ掛けで「ウェブページ」という言葉の認識率ってもしかしたら私が思っていたよりもかなり低いのでは、と思った次第です。

そんな現代、もし「ホームページ」という言葉の定義をハッキリとしようなんていう運動が万が一にも、折角だから国家レベルで起こったとしてこれまで広義に用いていた「ホームページ」は一律「ウェブページ」という言葉に改める様に、とのお達しがあったらどうなるでしょう。
正直、「ウェブページ」という言葉の認識率が低いという事実はあっても、「ページ」という単語がそのまま残る以上、閲覧側がそんなに大きな混乱を起こすとは思いません。問題なのは「ホームページ」を「HP」と表記していた場合です。
国家レベルで「ホームページ」を「ウェブページ」とせよ、という命令が下ったのであれば「HP」という表記も改定を迫られる事となるでしょう。そしてこの場合、単語の頭文字を取っている方式に準ずれば改定後は「WP」というものになる事になります。

「WP」 何だろうかそれは。これこそこの問題に関し閲覧者を著しく混乱させる最もたる要因となります。
「WP」 見れば見る程混迷は極まるのです。あまりに馴染みが無さ過ぎて「それは〜かよ」ってな突っ込みすら浮かびません。「技ポイント」っていうのが何かであった様な、位のものです。その点で私の様なゲーマーにとっては「ヒットポイント」として名を轟かせ、あまつさえ「ドラクエで言う『MP』は『マジックポイント』じゃなくて『マジックパワー』なんだよね」なんていうエセ雑学まで飛び出しかねない「HP」には遠く及びません。
辞書を引いてみると「weather permitting の略」って出て来ました。でも「weather permitting」って何。
もう一つあった。「word processing または word processor の略」 おお!! 世に言うワープロの事か。でもワープロは「ワープロ」であって、「WP」って表記されてるの見た事無いよ。

そんな訳で、「HP」という表記を用いている方は「WP」に変更せざるを得なくなって要らぬ混乱を招かない様、重々注意した方がいいかもしれませんよ。



05/03/15(火) 第137回 ぐるぐるぐる ぐるぐるぐる ぐーるぐる

この世界に体操は数あれど、「アルゴリズム体操」程見るものを不安にさせる体操は無いだろう。
アルゴリズム体操とは、NHK教育で放送している「ピタゴラスイッチ」という番組内で、お笑いコンビ「いつもここから」の二人が出演している一つのコーナーの事だ。
さてこの体操、とある歌に乗せて体操をするのだが、まずはその歌の歌詞をうろ覚えながらではあるものの書いておく。

こっち向いて二人でまえならえ あっち向いて二人でまえならえ
こっち向いて二人でまえならえ あっち向いて二人でまえならえ
手を横に あら危ない 頭を下げればぶつかりません
手を横に あら危ない 頭を下げれば大丈夫
ぐるぐるぐる ぐるぐるぐる ぐーるぐる
ぐるぐるぐる ぐるぐるぐる ぐーるぐる
パッチンパッチン ガシンガシン
パッチンパッチン ガシンガシン
パッチンパッチン ガシンガシン
パッチンパッチン ガシンガシン
すってはくのが深呼吸 すってはくのが深呼吸

こんな感じだっただろうか。ともかく、この歌に乗せて二人一組となって息の合った動きをする、というものなのだ。
各箇所でどの様な動きをするかについては割愛するが、とにかく私はこの体操をテレビで見るとえも言われぬ不安感に襲われてしまうのだ。
私は毎回欠かさず「ピタゴラスイッチ」を見ている訳ではないので、いつもいつもこのアルゴリズム体操を頭から見る事は少ないのだが、もしもそうなった場合、私の心情の推移は大体以下の様になる。歌詞の進行に沿ってそれを見てみよう。

こっち向いて二人でまえならえ あっち向いて二人でまえならえ
こっち向いて二人でまえならえ あっち向いて二人でまえならえ
私がアルゴリズム体操において最も美しいと思えるのがこの部分だ。アルゴリズム体操を継承したアルゴリズム行進の方にもこの動きが取り入れられているのを考えると、実際完成度の高い動きだったのではあるまいか。大袈裟か。

手を横に あら危ない 頭を下げればぶつかりません
手を横に あら危ない 頭を下げれば大丈夫
ここも特に問題ではない。この動きは手を横に動かす人がその手を動かし始めるのと同時に頭を下げる人がその頭を下げ始めるからこそ美しい動きとなろうものなのに、時折迫り来る手への恐怖心からか手がまだ動き始めていないのにいち早く頭を下げ始めてしまう人がいるのを見る事があるが、まあ許容の範囲内か。

ぐるぐるぐる ぐるぐるぐる ぐーるぐる
出た。遂に出てしまった。アルゴリズム体操最大の難所「ぐーるぐる」
アルゴリズム体操をご存知の方なら知っている方も多いと思うのだが、とかくこの「ぐーるぐる」では二人の息が合わない。面白い程合わない。前半の「ぐるぐるぐる ぐるぐるぐる」の所は個人で行うパートなだけあって、そこでは洗練された完璧な動きが見られるだけに「ぐーるぐる」での落ち具合はそれはもう物凄い。

とまあ即ち、私を言い様の無い不安へと誘う張本人は「ぐーるぐる」なのである。アルゴリズム体操を見る度にこの「ぐーるぐる」が今日は合うかなあ、合うかなあ、と思わされてしまう訳だ。
勿論、二人の息が合ってこそのアルゴリズム体操なので、難所が他に無い訳ではない。「パッチンパッチン」の時に両方共下側へ手をやってしまってはそれ以上に恥ずかしい事はないし、「ガシンガシン」の時に一方は右腕を出したのに相手が左腕を出して来ちゃったりなんかした時の締まらなさ具合も相当なものだ。だがそれらは一様に、前もって二人で確認を取っておけば心配は無い事だ。しかし「ぐーるぐる」はそうはいかない。
最も美しくある為には、二人の腕が、その二本の腕で作り出す円周上における対極の位置にあるべきなのだが、二人の腕の位置が円周上の殆ど同じ位置にあったり、酷い場合は二人のぐるぐるするスピードが違う事で一方の腕をもう一方の腕が追い越してしまったりする事もある。二人の描く円の直径がそれぞれ異なるのも多少気になってしまう部分だ。

アルゴリズム体操。それを、単なる子供向け番組の一コーナーだと甘く見てはいけない。視聴する際は注意されたし。
また、もし何かの切っ掛けで実際にやってみる事になったとなれば、より一層気を引き締めてそれに臨んで戴きたい。こと「ぐーるぐる」の部分は入念に練習しておく事。



05/03/16(水) 第138回 一先ずDQ8が終わって

十三日間にかけ集中的にプレイしたDQ8の二周目が四日前に終わり、昨日までにその内容を極簡単にまとめた所で一段落したので、今日は久し振りに「ゼルダの伝説 神々のトライフォース」なぞをプレイしました。
と言うのも、謎・矛盾群に、FF、DQ以外では現在の所唯一名を連ねているこのゲームの謎を文章にまとめるに当たり、当該シーンを改めて見ておいた方が、より確実で説得力のあるものを書けるのではないか、と思い立ったからです。言わば調査プレイという事になりましょうか。
時間的余裕は相変わらず無いので、色々と制限を付けたりしてのやり込みを行わないどころか、首尾良く闇の世界にやって来た辺りで何故か放置してあったセーブデータがあったのでそこからプレイした訳ですが、それだって面白いものは面白い。これまで何度プレイしたか知れないと言うのに。
途中迷ってしまったり二度手間になる行動を取ってしまったりした辺りは流石に長期間のブランクを感じましたが、そこはまあこれまでのプレイ経験が物を言います。次々とダンジョンをクリアしていき当該シーンへ辿り着きました。
塔の最上階に待ち受けるアグニムを倒した後、ガノンを追ってリンクがオカリナを吹いた時に現れた鳥…闇の世界では普段現れないこの鳥のあり得ない登場は当時大きな波紋を呼んだとか呼ばないとか。まあ呼ばなかったにしても多くの人がこれに突っ込んだのは確かです。
この謎がようやっと解けた訳です。どれだけ説得力のあるものに出来るかは分かりませんが、近々文章にまとめ始めたいと思います。

さて、次にプレイするゲームを一体何にするかの選定を迫られています。
多分次に照準を合わせるのはFF12という事になるんでしょうけど、FF12がいつ頃の発売になるのかを知りません。一般に言われている「予定が延びに延びて」という意味じゃなくて、雑誌も読まないし公式サイトに行く事も無いしで現在の発売予定も全く知りません。
まあでも周りがまだあんまり騒いでないんでしばらくは余裕があるでしょう。となれば次に何をプレイするか決めなければ…

次に何のゲームをプレイするか。何故これを迷うのか? そこには、最近ゲームをプレイする時間が少なくなってきている事の影響で、プレイしないまま放置されているゲームが少し溜まり始めている現状があります。
取り敢えず当面の課題として「キングダムハーツ」と「FFT」の二周目が挙げられます。前者はかれこれ二年とちょっと、後者も一年少々と、やろうやろうと思いつつ相当の時間が経ってしまっています。また、先日遂にGBAを手に入れた以上、以前本体入手前に購入したファミコンミニの「ゼルダの伝説」と「リンクの冒険」を含めない訳にはいきません。まだ購入してはいないものの「FFTA」だってプレイしたい所です。「キングダムハーツ」をプレイするとなれば当然「キングダムハーツCOM」はプレイしたくもなるでしょうし…
これに追い討ちとして、以前からプレイしたいと思っていた「ゼルダの伝説 ふしぎのぼうし」を知人から期間限定で借りる事になったもんだから大変です。遅くとも四月の初め辺りには返さなければならないんで次はこれに手を付けるのが有力ですが…
そうして、現在プレイに踏み切れていないゲーム達が日の目を見る日がまた延びていくのか…FFの発売日じゃないんだから。

…つーか、ゲームに割ける時間が少なくなっている以上、実はFFの発売が延びるのを好都合だと思う部分もあるにはあるんだから、それを例えに引き出しちゃいかんかった。



05/03/17(木) 第139回 DQシリーズの城の曲

DQシリーズと言えば一つに城の登場が恒例となっています。それに連動して城専用の曲の存在も最早恒例となっています。
私はこの「城の曲」が作品を問わず好きで、いずれの作品のものも全編通して歌える位なのですが、シリーズ中ただ一つDQ6での城の曲だけは何故か忘れ切っていました。
DQ6と言えば街の曲は分かるのに、戦闘曲は分かるのに、フィールド上での曲は分かるのに、洞窟での曲は分かるのに、城の曲が思い出せない…そんな苦悩を抱く事しばらく、昨日「ゼルダの伝説 神々のトライフォース」をプレイする機会があったんでそれを良い事に、それがどんな曲だったのかを確認致しました。
おぉおぉ、こんな曲だったなあ…なるほどなるほど。プレイ当時は紛れも無く「好きな曲」として聴いていた訳ですから、出だしの部分さえ分かれば思い出すのは難しくありません。そしてこれにより私はDQシリーズ全8作の城の曲を真に全て把握したと言い切れる事となります。今日はそれを記念して、DQ1〜DQ8までの城の曲をこの場にて歌ってみる事にしましょう。何々、苦しゅうない苦しゅうない(オイ)
ただし、もしかして明らかに間違えている様な気がする点を見付けてもそこの所は速やかにスルーする事。

DQ1「ラダトーム城」
テレレレレレレレー テレレレレレレレー テレレレレレレレーレーレーレレレーレレレーレーレー
テレレッテレレッテレレッテッ テレレッテレレッテレレッテッ テレレレレレレレラリルララリルラ
テレレッテレレッテレレッテッ テレレッテレレッテレレッテッ テレレレレレレレレテレレレレレレレ
(初めへ戻る)

DQ2「王城」
テーン テレレレレレレー テレレレレレレー テレレレレレレー テレレレレレレレーレーテレレーン
テレレーン テレレレレレレー テレレレレレレー テレレレレレレー テレレレレレレレーレーテレレーン
(以下二行目繰り返し)

DQ3「王宮のロンド」
タッタッタッターン タララララララララララララララララララッタッ
タッタッタッターン タララララララララララッタッターン
タッタッタッタッターン タッタッタッタッターン タッタッタッタッタララッタララッタッタララッタッターン
タッタッタッターン タララララララララララララララッターン ターン
タッタッタッターン タララララララララララララララッターン タッ
ターン ターン タララララッタッタッタッタッタッタッタッ
タララララララララララララララララララララララララララララララララララララララララララララララララララララララララーン
(初めへ戻る)


分かんねぇよオイ!!



*「これに懲りずに最後まで聴いてみるかい?
はい
いいえ



05/03/18(金) 第140回 たけのこの木の芽和え

いや何だか、昨日は何を思ったかDQシリーズの城の曲を余す所無く歌っちゃったりなんかして申し訳ありませんでした。曲そのものが分かる人ならともかく分からない人からすると異様な光景でしかないのだろう、位の気持ちで始めてみたら、実は曲を知っている人が見てもおかしくしか映らないものであるという事が分かった時はもう後戻りの出来ない所まで進んでしまっていたのですよ。ああ怖い怖い…
そんな訳で取り敢えずは、昨日のを見て「タラララタラララとか言ってんじゃねぇよ」とか思った方に謝罪の意を述べておきます。スイマセンスイマセンもうしません。多分。
あ、後、これが過去ログ行きになった後、「DQシリーズの城の曲」とかいうタイトルだけを見て興味深げに内容を見てみたらあんなだったので落胆を隠せないどころか何処となく気分が優れなくなってきてしまった方にも今の内に謝っておきます。スイマセンスイマセン。つーか「たけのこの木の芽和え」っていうタイトルに興味を持ってから見てみたらこんな訳の分からない事ばかりが書いてあったりなんかする事もあるかもしれないからそれも重ねてスイマセンスイマセン。

さて、それはまあさておいて、たけのこの木の芽和えである。先日、これが紹介されているのを料理番組で見た時、私の中に戦慄が走ったのです。
私にとってたけのこの木の芽和えと言えば、小学校低学年時代における給食に出て来たものを指します。一般的メニューだったのかどうかは知らないので、「給食メニューとして」どれだけの認知度があるかどうかは分かりませんが。
で、これが如何ともし難く不味かったのですよ。かなり昔の事であるだけに、もうどんな味だったのかは忘れてしまいましたが、とにかく不味くて仕方なかった事を強烈に覚えています。
視覚的に楽しむのも料理の楽しみ方の一つだとか言いますが、その見た目があまり宜しくない。実際はその緑色が映える所なんでしょうが、何せ相手は小学生のしかも低学年です。そんな事は知ったこっちゃありません。
私だけが嫌いなのであれば、それは私の中では単に「嫌いな給食メニュー」程度の認識でしかなかったでしょう。しかし、クラスの人間の多くがこれに拒絶反応を示してしまったのがマズかった。我慢して全部食べ切った人もいましたが、それだけの忍耐力を持ち合わせていない人はそのたけのこの木の芽和えを残飯処理する事になります。その結果、たけのこの木の芽和えがメニューに出る日の残飯は毒々しい緑色に染まり上がる事になる訳です。うげ。これも私に、たけのこの木の芽和えに対するトラウマを植え付けた要因の一つでしょう。
それが私のいたクラスに限らない話だったからなのかどうなのか、たけのこの木の芽和えは私が三年生になる頃には給食メニューから消えてしまう事となります。クラス内の多くの人間を苦しめ、颯爽と去っていったたけのこの木の芽和え…たけのこの木の芽和えの不味さを印象付けようとするなら、これ以上のシナリオは無いというものです。
実際、私のたけのこの木の芽和え嫌いはトラウマの様な感じに存在しており、私はこの「たけのこの木の芽和え」というフレーズそのものが嫌いになっているのです。言うなれば「たけのこの木の芽和え」と「たけのこを木の芽で和えたもの」は何となく違って聞こえます。後者は結構普通な感じです。
当時強烈なインパクトを植え付けられてからというもの、絶対に触れまいと思ってきたたけのこの木の芽和えですが、あの当時と今とでは味覚が全くもって違っている事でしょう。その今、テレビで見たたけのこの木の芽和えを食べたなら、美味しいと感じるなんて事はあるのかなあ…

って、ああっ、これじゃたけのこと木の芽と、ついでに和え物を身勝手に批判しているだけの文章になってしまうじゃないか。想像も多々含まれているというのに。
こんな時は取り敢えず謝っとくに限るな、うん。えーっと、たけのこや木の芽の好きな方と、たけのこや木の芽の生産者さんと、えー…和え物業界に携わる方々、ホント、重ね重ね、スイマセンスイマセン。


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