04/08/07(土) 第81回 車のウインカー
ウインカーと言えば車が左折する時や右折する時や、或いは車線を変更したりする際に点灯させるランプの事だが、私はどうも車に乗っている時にこれが気になって仕方が無いのだ。
自分の乗っている車がウインカーを作動させると、ランプが規則正しく点滅する度に、やはり規則正しくカッチカッチと音が鳴るのは、自分で運転するかどうかに拘らず車に乗った事がある方ならご存知の事だろうと思う。
その時自分が、例えばその場が車の往来が多く、自分の乗っている車と同様に右なり左なりに曲がろうとしている車を多く見かける交差点にいたとしよう。すると自分の車と同じく対向車もウインカーを点滅させている光景を目にする事になる訳だ。
するとどうだろう。極稀に、車内で鳴っているカッチカッチという音と、対向車のウインカーのタイミングが偶然にも合っていたりする事はないだろうか。点灯消滅のタイミングまでもが合っていなくても、点滅する間隔さえ合っていればいいのであれば、結構起こる事である。いつもいつも対向車のウインカーを見てしまう私が言うのだから間違ってない筈だ、あまり。
しかし、例え目にした瞬間はタイミングが合っていた車を発見したとしても、非常に細かいタイミングまできっちりと一致していない場合、例えば長時間信号待ちする事になると、徐々に徐々にタイミングがズレてきてしまう。そして、見かける車と自分が乗っている車とのタイミングは、長くともしばらくすると往々にしてズレてきてしまうのだ。
その車を製造した会社によって違うのは勿論、同じ会社が製造した車であっても車種によってウインカーの点滅間隔が違うのは当然だが、そうは言えども高々ウインカーである。点滅間隔が早過ぎれば周りの運転手の目を必要以上に引いてしまい、危険を伴わせる結果となってしまうし、逆にそれが遅過ぎれば周りの運転手にこれから曲がるという事を知らせるというウインカーの仕事を果たさなくなってしまう危険性がある為、幾ら車種によって点滅間隔のタイミングに幅があるとは言っても、そんなには広くない筈なのだ。
なのに、一向にして運命の車と出会う事が無いのは何故だろう。何も自分側と相手側の車のそれに限らずとも、対向車線の車同士のタイミングを見計らう事もあるのだが、やはり見事にタイミングが合っている光景を見る事は無いのだ。
という事を考えたりする日々が続いていたのだが、いつだったか、ある事に気付いてしまった。
ある日の事、対向車同士のウインカーの点滅をいつもの様にして眺めていたら、いつになくタイミングがズレ始めません。だからと言って車種が同じ訳でもなし。これはまさか…!?
と、集中してタイミングをみようかと思った矢先、信号が青になりそれらの車は発射して行ってしまった。
そうなのだ。微妙なタイミングのズレで、時間をかけて徐々に互い違いになっていくケースが多いのだから、万が一タイミングが完全に合っている車と出会えたとしても、それを人間が判断するにはかなりの時間を要する事になり、信号が赤になっている間だけでは圧倒的に時間がたりないのである。
とは言えそれをして「断念」という形で興味がすぐさま無くなる訳は無い。
…どうやら、この疑問は永遠に解決しなさそうである。
04/08/08(日) 第82回 小学六年生とラジオ体操
小学校の夏休みの風物詩と言えば終盤に慌てて片付ける宿題、市販されている参考本を「丸ごと参考にする」自由研究、後書きを丸写しする読書感想文、そして後半になるに連れ休みがちになる傾向のあるラジオ体操でしょう。まあこれらは勿論学校に寄ると思いますし、そうでなくても一部生徒のみに照準を絞っている様な気がしなくもないですが。
その他がどうであったかは今回は置いておくとしまして、ことラジオ体操に関して言えば、私は上記の傾向が見事に当てはまっていた人の一人でした。やはり一回休み始めるといけませんね。その後がもうどうでもよくなってしまいかねないので。
ところがそんな私も、小学校最後の夏休みの年にはそんな事は言ってられなくなりました。何しろ、五年生以下の面々の前に立ってお手本の形で動かなければなりません。更にはその彼等が毎日持参するシートに判子を押すという大役も任せられているのです。六年生各位にかかってくる責任感はそれまでの五年間の比ではありません。ただ単に眠いという個人的な理由だけで休んではいられないでしょう。
という事で、初日は初めての人前であったという事もあり、夏休みだけをとってみてもそれまで二百回は触れて来ているというのに中々に緊張して向かう事となりました。
夏休みに入る前に六年生全員には下級生のお手本となるべくという事で一つ一つの動きが描かれているプリントが配布されておりまして、私も入念に動きや順序を確認して臨んだのですが、その初日、早くも問題が浮き彫りになります。
共感する人も結構いるのではないかと勝手に憶測しているのですが、あのラジオ体操では、お馴染みの体操に入る前にその日その日で違う運動が組み込まれていますよね? 確か。で、その時ラジオからはその動きの説明であると思しき言語が聞こえるのですが、話し手が悪いのか聞き手が悪いのかラジオが悪いのか、それが殆ど聞き取れません。勿論、聞き取れないとなると動こうにも動けない訳でして…
当然ながらその部分は毎日欠かさずあるのですが、如何せん日によって内容が違うので何日聞こうが一向に聞き取れる事は無く、一日一日の時間は短いとは言えしかし連日の様にしてラジオから「1,2,3,4」との声が虚しく響く針のむしろの様な時間を過ごすばかりだったのでした。
さて、この様に大変な思いをして早起きする事の最大の目的はラジオ体操をする事により身体を鍛え健やかに育ち健全な〜云々という所でしょうが、私にとってはここからも勝負でした。いや、もしかしたら本来の目的を二の次にして、こちらの方が主目的だとすら思っていたかもしれません。
判子押印、これです。
折角辛い思いをして早起きしても、シートに判子が押されなければ欠席扱いなのですから重要視してしまうのも自然と言うもの。そしてそれだけに判子を押す役割を担っている人には、わざわざ口に出す事は無くともやはり自然とある事が要求されるのです。
「判子を綺麗に押してくれるかどうか」
そう。如何に綺麗に押印するか。少々大袈裟かもしれませんが、これはその年における数人六年生達全員に与えられ、下級生達が判断する一つのパラメータだと言えるでしょう。
たかが判子だと侮ってはいけません。判子はシートに垂直にして適度な力を込めて押し、鮮やかでブレのない赤色のマークを輝かせてこそ完璧と言えるのです。その時、力を込めすぎると下手すれば判子がズレてしまいインクが伸びて台無しになり、場合によってはひんしゅくを買う事になるでしょう。だからと言ってそれを恐れて力を込めないと、鮮やかには程遠い色しか出ず、更に酷いとマークが擦れてしまい、やはりひんしゅくを買う事になりかねないでしょう。下級生達の信任、信頼、信望を得るのは並大抵の事ではないのです。
誰あろう私自身が折角だから判子を綺麗に押して貰いたい人だったので、これまでの五年間の想いをぶつけるべく、相応の気合と覚悟を持って勝負に挑んだのでした。
毎日が何故だかラジオ体操本編そのものよりも緊張する時間帯がある日々。しかしこれまで強く感じてきた想いと、秘めたる覚悟、それに絶える事の無かった緊張が相乗したのか、夏休みに入ってしばらくもすれば、私の判子を押す上手さが期せずしてにわかに話題になった事もあったと記憶しております。判子は何人かいる六年生の誰かの元へ並んで順に押してもらうという形でしたが、数人の少年達は私の良きお得意さんになってもくれました。
連日の事であっただけに、未だにシートを手にして判子を押す時の僅かな緊張感は忘れられません。良い思い出です。
04/08/27(金) 第83回 この日誌の有り様
一昨日の時点で「FINAL FANTASY 10-2 INTERNATIONAL+LAST MISSION」を一通りプレイし終わりまして、次いで二周目が待ち受けている訳ですけれども、勿論ゲーム以外にも片付けておきたい事が幾つかありますので、ゲームが一段落した今、それを片付けようと奮闘している所であります。それに、二周目に入る前に購入済みの「FINAL FANTASY 10-2 INTERNATIONAL+LAST MISSION ULTIMANIA」を読破しなければなりませんので、それを開始するまでには結構時間がかかりそうですね。
という事で、ゲームから離れる間はこちらの日誌を主に更新していく訳ですが、改めてここに至るまでの全八十二回をざっと見てみますと、非常に顕著にある傾向が見受けられますね。
確かこの日誌を始めようと思った当時は、そうは思ってなかったと記憶しているんですが、いざ始まってみると初期の頃から全編を通してそうなってしまっています。
何とかしてそこに繋げられないものかと四苦八苦した事もあったかもしれませんし、転じてそこに繋がらない話題は取り上げるのに抵抗感を感じた事もあったかもしれません。
別にそれが十分な効果を発揮する程上手い文章が書けよう筈もないのだから、別に固執する必要はありませんので、もっともっと許容して広く話題を取り扱わねばならないと感じております。
この日誌に、非常に顕著に見られる傾向、それは、
オチを付けようとしてしまっている事 です。
…で、今日のは?
04/08/28(土) 第84回 白昼の悪夢 〜思い出すだけで鳥肌が〜
買い物に出たりすると子供が騒いでいる光景を目の当たりにする事があります。ふざけている子供、駄々をこねている子供、それらが度を越してしまった事で泣いてしまう子供…と、状況は様々です。
聞いた話に寄れば、私が子供の頃、兄弟を引き連れてレストランに行った時、付近に座っていたご高齢の方が兄弟全員実に行儀が良いみたいな事を漏らしていたのを聞いた…そうな。今現在その面影があるかどうかは知りませんけど。
それはいいとしまして、私の事に限って言うならば、ふざけ合ったり泣き叫んでいてうるさい子供に出会ったとしてもイライラしたりする事はあまりありません。ただし、以前 この日誌に書いた様に、騒いでいる子供に対して「ちょっとかなわないな〜」と、つまり迷惑を被ってしまう事はあります。
それはどんな時かと言いますと、およそ人間が普段使用する事は無いであろう高周波の音を発する時です。子供に対してイライラする事があまり無くても、耳をつんざく様な音を前に顔もしかめず平然としているのは至難の業というものです。何となれば私はそういった、爪で黒板を引っ掻く的な音が嫌いな方でもあります。
爪で黒板を引っ掻く的な音と言いますと、全国的に共通した物かどうかは分からないんですが、円を書くコンパスを入れる入れ物の蓋でやはり黒板であったり、机であったりを引っ掻く音も相当なものがありますね。
あれは私が小学生当時の事だったと思うんですが、何が切っ掛けか授業は既に始まっているにも拘らず先生が一旦教室を出て行った事をいい事に、クラスの大半の人間がコンパスの蓋で机をこするという異常な行動に出た事があります。無論私は被害者ですが。
そりゃもう鳥肌どころじゃございません。ただ、実際にそういう状況になるともう耳がおかしくなってしまうので意外と平常心でいられるかもしれませんけれども。ただ、そうであればそうであったで、後から思い出してしまう際にリアルに再現出来ないばっかりに逆に鳥肌が立ってしまう羽目にもなってしまいます。正に悪夢の様でした。否、未だに悪夢ですね、あれは。
さあ皆さん、貴方の豊かなる想像力で思い浮かべてみて下さい。
コンパス入れの蓋で机をこう…
04/08/29(日) 第85回 イライラした時
衝動的になって何らかの事件を起こしてしまうという事は何も今に始まった事ではありませんが、それを「キレる」という言葉で表現しているのを度々聞く様になった通り、若者を中心にその衝動性が色々と問題になっています。
そんな中、昨日 も騒いでいる子供の話で言っていた通り、私は普段あまりイライラしている事がありません。
ただそれは生活における全時間の中においてイライラしている時間が殆ど無いという意味であり、時間を問わなければ、回数的に言えば中々にして腹を立てたりする事があるかもしれません。熱し易く冷め易いと言った感じでしょうか。
しかしそれが本当に冷め易いものでして、何とも良い事に、苛立ってくると「あー、駄目だ駄目だ」とすぐに自制がきくんですよね。であるからして、時間に換算したときの割合というものはかなり小さい値を誇っていると自負しております。
ではどんな時に苛立ってしまうのかと言いますと、基本的にイライラする時というのは自分の思惑通りにいかない時だと思うんですけど、完全に自分の意思しか働いていないゲーム中とかでもそうなってしまう時があります。
特にゲーム中においてそれが顕著にみられるのは、繊細な操作を必要とするものでしょうか。FFで言うならFF10の「とれとれチョコボ」で0:0:0以下の記録を目指している時とか、FF10-2の「避雷塔調整」で七番の避雷塔の完全調整に挑戦している時とかですね。そういった時、かなり感覚を掴んできて惜しい記録もちょこちょこ出る様になってきたのに、ふとして気を抜いたのか平凡以下の記録が何故か出てしまった瞬間は危ないです。まあすぐに平常心に戻れはするのですが。
人によっては、「そうして無理から怒りを抑えている人こそ、積もりに積もったそれが爆発した時が本当に恐ろしいのだ」と言うでしょう。
それは正論です。実際にそういう人はいます、残念ながら。
しかし私はそう言う方に向けて言おう。「極めて正しい面を持つが故に、私は断じてその意見を否定するつもりは無いが、貴方がその意見を私個人に当てはめようとするなら、私は全力で異を唱えよう」と。
怒りを単純に外部へ向けて放出するのではなく、抑え込んでいる訳でもなく上手く消し去る事が出来る人間がいる事、それからこれはちょっと公言するには時期尚早かもしれないし色々と反論を買う事になると思うので言わないけれど、後幾つかの事、これを私は密かながらに自分の人生をもって証明したいと本気で考える、事がある。
それが証明出来た所で、誰しもがそれを可能にする訳でない事は勿論分かってますし、的確に学べば出来るという訳でも多分ないのではないかとも思いますけど。
何だか自分を「特別な人間」と謳っているかの様ですねえ…
「人間は一人ひとり違うのだから」と言ってしまえばそれまでですが。
でも、私という人間の特殊性を、ほぼ文字でしか表現出来ないこういった場で表した時、果たして周りの人々がどう思うのか、というのに興味は、ある。
まあ、言わんけど。
04/08/30(月) 第86回 ロート製薬のロゴ
四月に入ってからそれまでの生活とは比べ物にならない位テレビから離れた生活を送っていた訳ですが、その間にかのロート製薬のロゴが変わっていました。
世代的にど真ん中でこそなかれ、あまり訳も分かっていなかったであろうとは言え子供ながらに楽しんでいた記憶のある「クイズダービー」を見ていた私にとってはかなり違和感のある光景でしたね。
それを最初に知ったのは某テレビ番組の冒頭で流れる例の「ロート、ロートロートォ〜♪」だったんですが、それを最初に目にした時、「何かのパロディーか!?」と半ば真面目に思ったのは私だけではない…筈。
だからってもうそのロゴに慣れてしまった今、「前のロゴを思い出してみて下さい」と言われても全然出てこないんですけど。
そんなもんですよね。ロート製薬のロゴに対する思い入れなんて。
「クイズダービー」に関しても覚えている事と言えば、見ていて私が唯一正解した問題の答えが「ストロー」だった事とはらたいら氏位ですしね。
04/08/31(火) 第87回 ビデオテープのラベル
以下は某社製のビデオテープに付属されているラベルの一部と、それぞれにおける用途です。
大好き!…大好きな番組等を録画したビデオテープに貼るラベル
返して!…知人に貸す際、絶対に返してもらわないといけないビデオテープに貼るラベル
消すな!…間違えて消されては困るビデオテープに貼るラベル
見るな!…どうしても誰かに見てもらいたいビデオテープに貼るラベル
04/09/01(水) 第88回 奇跡の代償
ちょっと前の話になりますが、夏の高校野球の地区予選がいよいよ始まるという段になり、地区毎のトーナメントの組み合わせが決まり、私の母校は一回戦で地元では有名な高校と当たる事になったのですが、その際テレビで「強豪同士の対決」という表現がされているのを聞き、この上ない違和感を覚えた事があります。
相手の高校こそ「強豪」の二文字で形容するに足りて当然の活躍を何度となくしてきていますが、我が母校がその相手の高校と同じレベルの表現をされているのは我ながら聞き捨てならず、「本当にいいのか?」と、「相手に失礼ではないだろうか?」と感じてしまいました。
それというのも、私の知っている限りでは我が母校はどちらかと言いますと「弱小」と表す方がしっくりくるのでありまして、甲子園なんて夢のまた夢、初戦突破が叶うかどうかという様なレベルの高校なのです。
そんな高校が何故「強豪」と称される様になったのかと言いますと、それは去年の夏の事、我が母校は高校野球地区予選で例年に無い活躍振りを見せまして、私自身あまり積極的に関心を寄せていなかったので詳細には覚えてないのですが、とにかく県内ベスト四辺りまでは勝ち進めたのです。例年の成績が例年の成績だけに地元の盛り上がりと言ったらありませんで、「もしかしたらもしかするかも」なんていう甲子園ムードまで漂い始めてしまう始末。当の現役高校生ともなれば選手達は勿論の事、それに留まらずとも空前の応援ムードが漂っていた事でありましょう。
結局我が母校は甲子園には届かなかったのだけれど、この一回の「奇跡」がいけなかった。人間とは本当に欲の尽きない生き物でありまして、ただの一度でも良い成績を収めようものなら、必ずは次はそれ以上の成果を期待してしまうものなのです。
一人の人間の勝手な憶測ばかりが飛び交う意見になってしまいますが、それでは多大な期待を背負う事になる選手達が可哀想な気がしてしまいますね。詳細な事は全く知る由もありませんが、昨年活躍したメンバーは少なからずその年で卒業する三年生に寄っているでしょうから翌年もそのレベルの活躍を見込むには少々厳しい気がしますし、その年の大躍進を切っ掛けに将来有望な一年生が入って来るなら別だとは思いますが、僅か数十キロと離れていない場所に真の「強豪」校が存在してしまっていますので、そういった有望な人材はそちらへ流れて行ってしまいますし…
対戦相手が悪かったという感も否めない点ではありますが、今年の母校は一回戦敗退。そこには「強豪同士の対決」という表現とはかけ離れた一方的な試合展開がありました。
何に詳しい訳でもない私が勝手に昨年の大活躍を「奇跡」と称するのはいけませんけれども、僅か一年で去年の栄光の影すら見えなくなってしまっているというのは事実。
そりゃまあ応援はしていますし、期待もせずにはいられませんが…やっぱり私としてはそれまでの歴史の方がまだ重く存在している様な気がしますねえ…
何より不憫なのは選手達ですよ。一つだけ突出した記録が存在してしまっている事で、もしこれからどんなに活躍する事が無かったとしても、「今年こそ“あの”記録を超える」というはっきりとした壁が立ちはだかり続けるのですから…
04/09/02(木) 第89回 FFXI tv
私がFF11のサイトへ行く時と言えばまだまだ実現には遠いそれを目の当たりにしてただただ羨む時なんですけれども、最終的にはどうせ虚しい気分になるのだろうとは分かっていながら昨日久し振りにFF11のサイトへ行ってみましたら「FFXI tv」なるものがありました。
この「FFXI tv」はまあ言わばまだFF11をプレイ出来ていないという憂き目に遭っている人々に向けた映像なのでありますからして、私が見ずしてどうなろう、という事で見てみたのですが…やはり最後に残るのは、一匹のモンスターに対してパーティーメンバーが一斉に殴りかかる光景を見て「さながら弱いものいじめの様な…」と一瞬思った事を除けば羨ましさと空虚感だけですね。心の底からこれだけプレイしたいという想いを表に出しているのに、一歩たりともその実現に前進しないまま時間だけが経っていくという現実を改めて実感してしまう瞬間であります。
いよいよFF11拡張データディスク第二段である「プロマシアの呪縛」の発売も押し迫ってきております。それを目の前にしてFF11との距離が開いていく一方の一FFファンが思う事はただ一つ。「このままではさほど時間をかけずして挽回不能な程に自分とFF11との差が開いてしまいかねない」
FF11の稼動が順調で、それに伴ってどんどん拡張されていくのは好ましい事ではあるんでしょうけど、それと共に前進出来ていない人間から見ると危機感は募る一方です。何とかしなければとは思っているのですが…
まあそんな虚しさやら絶望感やらに苛まれる結果となった訳なんですけれども、唯一この「FFXI tv」を見て良かったと思った点は、通信回線の点で難があった事で多分に途切れ途切れの映像ではありましたが、久し振りにFF11宣伝担当片山氏のお姿を図らずも拝見出来た事でしょうか。
04/09/03(金) 第90回 ゼルダの伝説と私
以前 にGBAで「ファミコンミニ」と称し発売されたファミリーコンピュータの移植ソフトの事を知り、GBAの本体すら持っていないにも拘らずソフトだけでも購入してしまおうかと考えた事があるという話をしましたが…それが本当に現実のものとなってしまいました…
あの日誌を書いてからamazonさんにて今回のファミコンミニ第三弾がどういうラインナップであるのかというのを調べたのですが、そこで「リンクの冒険」が発売されるという事を知り、大の「ゼルダの伝説」好きである私の血が騒いでしまったのです。
しかし、衝動に任せて「リンクの冒険」を購入しようかとは考えたのですが、それに向かって動くにはある一つの壁が存在していました。
それは、まあ全く問題ではなかったとは言いませんが単に金銭面に関しての事ではなく、又、「リンクの冒険」がさながらFF2の成長システムの様に、他のシリーズ作品とは全く異なるシステムを採用している事でもありませんでした。最早そういったものを欲求が超越してしまっているのです。
では一体何が問題だったのか、それは、ファミコンミニ第一弾の時に発売されたシリーズ第一作である「ゼルダの伝説」に関してでした。折角、今現在ファミコンと言うハードではまずプレイ不可能であろうと考えられる「リンクの冒険」を入手出来るチャンスが訪れたのだから、こうもなったらシリーズの原点である「ゼルダの伝説」も欲しい所と考えるのは当然の事です。しかし当の「ゼルダの伝説」のソフトはファミコンミニ第二段の発売開始の時点で製造中止になっており、既にamazonさんでも取り扱われておりません。
その上で、わざわざシリーズ中では異色の作品である「リンクの冒険」をもプレイしたいと考えるのは、「シリーズを制覇したい」という願望から来るものが大きいですので、第一作目である「ゼルダの伝説」を購入出来ないという事は、言ってしまえば「リンクの冒険」の購入意義をも失ってしまいかねない事態な訳なのです。
しかし、こんなチャンスはもう二度と訪れるものではないかもしれない。どうにかして「ゼルダの伝説」を購入出来ないだろうか。流石に一般の店頭で扱っている事はもうないでしょうから、ネット上で探し回りましたとも。
ファミコンミニシリーズの人気の高さを考えるともしかしたら正式に製造中止になるまでよりも遥かに猶予時間が少ないかもしれないという危機感もあった中、これは執念の一種か、或いは意外とある所にはあるという事なのか、運良く某所でまだ在庫が残っているのを発見出来たのです。しかもどうやら中古ではない!!
どの様な考え方をすればその在庫を発見した瞬間に躊躇出来ましょうか…という事で、今私の手元には「ゼルダの伝説」と「リンクの冒険」の二つのソフトが、まだ見ぬGBA本体と共に起動する日を今か今かと待っています。
ソフトを二本、衝動的に買ってしまった事は問題かもしれませんが、ソフトを先行して購入した点に関しては問題だとは思いません。この二つのソフトに関しては入手可能時期がかなり限られていて、実際「ゼルダの伝説」の在庫を発見した某所でももう同ソフトの在庫は無い様ですし、それに、これら二ソフトを購入しなかったとしても、GBA本体は後々「FFT-A」をプレイする為に買う事になったでしょうからね。
更に更に、今月中にもGBASPが値下げされるらしいではないですか。勇み足で早急に本体を購入しなくて良かったというものです。戦略勝ちです(オイ)。
という訳で「ゼルダの伝説」と「リンクの冒険」関係の話は大体決着したんですが、「シリーズを制覇したい」という願望の下にこれらを購入したという事で、今度はNINTENDO64やゲームキューブの方で発売されたソフトの方が一層高い壁となって立ちはだかりそうです。
ゲームキューブの方は「FFCC」もあるからいいかもしれませんが、ゼルダの伝説の為だけにNINTENDO64本体を購入するのは流石に厳しいものがありますしねえ…
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