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06/02/01(水) 第361回 そりゃいかん

人間たるもの、成人を迎えたとなると老いから若きから誰だって「自分、歳取ったなあ」としみじみ感じる事があるだろう。二十代の人間の一体何が「歳取ったなあ」なのかと言いたい方もいるとは思うけれど、そもそもそういった感慨というものは年齢という絶対的数値を鑑みて感じるよりは、むしろ自分よりも若年層の人間達を見る事による相対的相違から導入されるものなのだろうから、それでいけば例え十代の人間であろうが小学生や幼稚園児を見て「歳取ったなあ」と思う事もあると思われるのである。

ところで、私も時々「自分、歳取ったなあ」と感じる事があり、今日もそうだったのだが、でも今日はちょっと酷かった。バスに乗っていて何気なく外を見ていたら公明党代表が写っているポスターが目に入ったのだが、その公明党代表の名前が思い出せないのだ。
で、代わりについ頭の中に響いたのがこれである。

そうはいかんざき!

ちょいとマズいと思った。
前々から「下らない駄洒落だなあ」と思っていた筈であったのに、しかしそのインパクトのない訳ではない一言は確実に私の脳の片隅に居座り続けていたのだ、そしてそれが無意識に表出したのだ。
一政党の代表の名前を失念するというのもアレだが、それを駄洒落で思い出してしまうというのもアレである。
だから思わされるのだった。「自分、歳取ったなあ」

自分よりも遥かに年上の、今年63歳となるお方を見て、である。



06/02/02(木) 第362回 iPod nanoを買う

かねてから「そろそろiPodが欲しいなあ」と思っていて、今年の頭にはその入手を目標として高々と掲げていた私だったが、実はそれから早三日、先月の四日にはiPodを手中に収めていた。
一年の目標の一つを四日で達成である。実に1/90年も経っていない、早い。でもそれには相応の理由があった。何の事はない、私だってこんなにすぐそれを手に入れられるとは微塵にも考えていなかったのだ。
ただ幾ら考えていなかった、予想外の事態だったとは言っても、優に二万円は下らないというiPodを突然誰かからプレゼントされたりなんていう都合のいい話はこの日本の片隅にも落ちていない。少なくとも私の身辺には転がっていない。その割にはiPodを手に入れた二、三日後には突然PSPをプレゼントしてもらったりしているがそれはまあおいておく事として、かかる具合なのであるからしてどうしてもその入手には「購買」という行為に及ばなければならないという事が分かる。
そう、買ったのである。身銭を切って買ったのである。「iPod nano」をだ。容量は2GB、黒色の奴。
いや、「考えていなかった」と言う位なのだから最初から買うつもりではなかったのだ。ただ、ふとした時にたまたまiPodが目に入ってしまって、それでつい手が伸びてしまっただけで。

それはあまりに偶然の出来事であった。
普段インドア派で通っている私がたまたま外へ出かけて、いつもなら例え出かけたとしてもまず立ち寄らない某電気店にたまたま入って、普段来る事がないもんだから何が何処にあるのかよく分からない状況の中何とかたまたまiPodが置いてある所を見かけて、しかもタイミングの悪い事にはその時たまたま普段より二万円程度そうそれは言うなればちょうど「iPod nano 2GB」が買える位多めにお金が入ってしまっていたから。
だから買っちゃったのである。

私は、そうして手元に置かれる事となったiPodに目をやる度に思う。
偶然とは恐ろしいものだなあ。



06/02/03(金) 第363回 iPod nanoを使う

そんな訳でiPod nanoを買ってしまった私である。 ただ、昨日も少し触れている通り私が購入したのは容量2GBタイプのものだったのだが、実は本音を言えば2GBよりは4GBの方が欲しかった。価格と容量、自分の所持する音楽CD、そして用途。あらゆる要素を総合した時、最も良いのが4GBだと考えていたのである。
がしかし、俗世は図らずもそんな私の考えが酷く世間ズレしている訳でない事を証明した。今やmp3プレイヤー界の雄と言われるまでの人気を誇る事も相乗したか、店頭からは私の欲していた「iPod nano 4GB」だけが姿を消していたのだ。流石に注文は可能な状況だったが、その日私はたまたまその店を訪れていただけであり(まだ言うか)、また改めて来るのも面倒臭いなー、なんてな感じだったし、何より今や目の前にまで接近したiPodをこのまま見す見す手放すのは無粋の極まり。結局、半分の容量の物に妥協する形で幕を閉じたのである。
一応4GBの遥かに上を行く40GBなんてのもあったが、事前リサーチでは「壊れ易い」なんて声もチラホラと聞いていたし、流石にそれだけのリスクを負う気にはなれなかったなあ。

さて、そうして私のiPodライフが華々しくスタートしたのだが。2GBである、何を入れようか。
音楽CDはそこそこ持っている方だと自負している。あ、この書き方だと随分持ってそうな印象になるな、何て書けばいいんだ? えーと、音楽CDは人並み以上マニア未満程度持っている。割かし人並みよりである。
これまで再三「ゲーム好きだ」と公言してきた私の事であるから、どうせゲームミュージックばっかりなんだろと思われる方も多いと思うが、実はそんなでもないぞ。確かにゲームミュージックは多いけど、そうでなく普通のCDだって買っている。ただそういうCDについても購入の是非を決定しているのは一般的な判断基準とはちょっと違っているだけだ。
まあその辺りの事はどうでもいいとして、ともかくかように多彩なジャンルが取り揃えられている私の所持CDの中から、今日までに我がiPod nanoに入れられた曲目、それが以下の顔触れだ。
これはどうした事か、軒並みゲームミュージックばかりが並んでいるではないか。まあそこは攻めないで戴きたい。所詮趣味の問題であるのだから。
こうして全体を見てみると、あれだけFFが好きだFFが好きだと言っておきながら、この中におけるFFはそんなに大きな領域を占めている訳でない事が見て取れるが、これは4GBを妥協したが故に生じた問題と言える。既に全体で十作を越えるだけの作品が世に出ているFFであり、尚且つその全てを愛す私である。あるシリーズを選べばあるシリーズを捨てる必要に迫られる状況にあってどれも中々捨て難いものがあるし、2GBを全編植松伸夫氏の音楽のみで構成するよりは、他コンポーザーの方の曲を織り交ぜながらの方が楽しんで聴く事が出来るのは明白だったからだ。
そんな中で、ロマサガシリーズが「Minstrel Song」まで含めた四作品全てが入っているのは目を引く所か。私のFFに勝るとも劣らないロマサガ狂振りがうかがえる一幕である。

さて、先に「我がiPod nanoに入れられた曲目、それが以下の顔触れだ」と言っているにも拘らずアルバム名を列挙した事に疑問を抱いた方がいたかどうかは分からないが、これは別に何かしら間違った事を仕出かした訳ではない。確かに私は自分のiPodへ入れた曲目を過不足なく列挙した。
そう、現在我がiPodには、上記アルバム十一作品に収録されている全661曲が全て入っているのである。
何故か、理由は簡単だ。どの曲をとってもこれといって「嫌いだ」とか「好かない」とかいうものが存在しないからだ。
嫌いに感じる事があまりないというのははて、プラスなのかマイナスなのか微妙な所だが、こと個人的に音楽を楽しむにおいてこれ程幸せな事はあるまい。
だから改めて思わされるのだった。こういう性格だとどうしても選択曲目数が膨らんじゃうんだから、あの時少し我慢してでも4GBタイプを買っておくべきだったのだと。



06/02/04(土) 第364回 瀕死大根

話によれば、あのど根性大根が瀕死の危機にさらされているとの事だ。
確か心ない何者かの手によって折られた葉の部分を市が水栽培していて、その後順調に育っていた筈だったが、どうしたというのか。
事の全容はこうだ。確かにど根性大根の「大ちゃん」は水栽培を始めて以降、葉は伸びるしつぼみは出来るしとその名に恥じない成長を遂げていた。そして先月の下旬頃、種を取るべく更に大ちゃんを元気にさせる必要があった為、専門家のアドバイスを受け土栽培に切り替えた。が、その直後から大ちゃんの葉の頭部が垂れ始め、見る見る内に危険な状態に。慌てて市職員が水栽培に戻し、更に可能な限りの処置を施すも、結局自力再生を断念せざるを得ない状況にまで追いやられたのだった。

さて、私がこの件で最も不憫に思うのは大ちゃん本人ではない。これまで大ちゃんを甲斐甲斐しく見守り、育ててきた市職員の方々でもない。ましてや道端に大根が出来た事が大々的に報道されると見るやすかさず便乗商売に走る業者関係の人々でもないし、そういった人達よりは純粋に大ちゃんの事を思っていたであろう分可哀想であるとは思うが大ちゃんと出身を同じくする地元住民の方々でもない。そうではなくて、大ちゃんを土で栽培する様市職員にアドバイスした某専門家その人である。
この人は不憫だ。何せ良かれと思っての助言が完全に裏目に出た形となってしまったのだ。実際本当に大ちゃんがしおれ始めた原因が土栽培へ移行した事にあるかどうか私には分からないのだが、各種報道を見る限り受け手側が「何やってんだその専門家は」と思うのは確実と言える。しかも今回は相手が大ちゃんであるだけに、その影響も計り知れず、ともすればおかしな汚名を着せられる事にすら繋がりかねないのだ。

どうやら現在、何とかして大ちゃんのDNAを後世に残すべくクローン複製を試みているらしいが、この計画が成功の内に終わる事を祈るばかりだ。
さもなければ、日本中に「大ちゃんを殺した専門家」の名が轟く事になろう。



06/02/05(日) 第365回 瀕死アザラシ

そう言えば私は、ど根性大根関連のニュースと平行していつも那賀川のナカちゃんの事を話題にしていた訳だが、ど根性大根が虫の息な今、最近ではとんと聞かなくなってしまったナカちゃんはどうしているのだろう。
よもやナカちゃんまで…なんておよそあり得ない心配もしつつ調べてみたが、最も最近で今月の二日に目撃されているらしい。元気そうで何よりであった。

さて、2月5日である。そしてFF12の発売日が3月16日。当日まではまだ38日ある。その間このサイトでは何をするか、大まかな予定が定まったのでご報告しておく。
まず取り敢えずの忙しさから解放されての先陣を切って「愚痴」を更新する。ネタは未定。日付も未定、でも明日か明後日頃になるものと考えている。
次に「妄想」新作を一発。実は去年(「魔導工場に消ゆ」を書き始めるよりも前)に書き始めたはいいもののしばらく断筆する事になってしまったネタがあるのだが、今回もそれはおいておいて新たに別のものを書き始めるつもり。
その後に「白い悪魔Ω」の第六章を更新。改訂作業を始めてから既に相当の時間が経っており、このままだと本当に一年作業になりかねなくなっているのを危惧してはいるのだが、やっぱり「妄想」或いは「愚痴」の新作の方を優先させたいよなー、と思っていると中々手を付けられないのであった。反省してます。嘘です、あんまりしてません。

どう考えてもFF12発売以降は初回クリアまでそれにのめり込んじゃう事になるが、しかしまだ一ヶ月以上もあるのでそれまででも何か一つばかりゲームをプレイしたい所だ。何しろもう三ヶ月もゲームプレイしてないんだから。最後にプレイしたロマサガMS四周目クリア時点での「雑文」が第272回とあった。その日から殆ど「雑文」の方だけを更新し続けて本日365回である。書き過ぎ。
まあでも、実はプレイしたいゲームは今現在手元にあるので、もうちょっと身辺が落ち着いたら「ゲーム日誌」の方に新しく書き始める事になると思う。お楽しみに、してなくてよし。

さあ、当サイトも久々に再始動だな。
…ってあれ、いつだったかも同じ事言った覚えがあるけど、このサイトはいつ休眠状態に入ったんだ?



06/02/06(月) 第366回 2006年新企画案

昨日書き忘れていた事があったので今日は昨日の続きをば。

えーと、予定通り「白い悪魔Ω」第六章の更新まで漕ぎ着けられた暁には、ようやっと、新コンテンツの方を進めていきたいなあと考えている。構想約半年、そこそこの小型企画である。
これまで散々「新コンテンツ案はあるんですけど」「新しいコンテンツをやりたいんですけど」的な事を言ってきて、ここでやっと始めるぞという事を発表出来た訳なんだけれども、ただ予定通りに事を進めるなら今日明日にでもスタート出来るという訳ではなくて、とは言えこれ以上引っ張る事になってしまうのも何なので、せめて何をするかだけでも記しておく事とする。
やる事は割と単純で、FFシリーズのストーリー解説、である。いや、「解説」よりも「紹介」と言った方が近いだろうか。そのストーリー紹介を、する、予定。ゲーム開始時からエンディングまでシナリオの順に沿って、まあ一更新一イベント位のペースで、ちょこちょこと、こんな感じのストーリーです的な事を、書く、というか、書いてみる、予定。
ただ一つ、万が一にも変な期待を持たれると後々ガッカリされるのが辛かったりするので言っておく。FFのストーリーに沿ってFFのストーリーを書く予定だけど、誰が書くってこのサイトの「雑文」並びに「愚痴」並びに「俺的事典」を管轄している所のこの私が書く訳だから、少なくともまともな、真正面から受け止めた様なものは出来上がらない。その点だけ留意して戴きたい所存である。後、予定は未定と言うけれど、本当にこういった感じの事をやるのかどうかはまだ確実な事ではないという事も併せて留意して戴けるとこれ幸いである。

ああそうだ、新コンテンツの話とは全然関係なくなるけど、FF7ACの限定版おまけディスクを見なきゃいけないんだ。結構前に知人から貸してもらって以降放置しっ放しで…
…いやいやいや、悪いのは私ではないのだ。私だってなるべく早く返そうと思ってだな、忙しい合間を縫ってこれまでに二度見ようと思ったさ。でも何故かその二度とも天気が悪い日で、見てる途中で雷鳴が轟いたんだよ、雷に襲われたんだよ、この極度の雷恐怖症たる私が。
雷に鳴られちゃあもう精神的に悠々とDVD観てる余裕なんて残らないから、しょうがなく今度にしようって事になったのである。二度もである。

嗚呼、何故に私はそんなに不運なのか。こうなったらこのおまけディスク観る時は何が何でも晴れた日か、妥協して曇りの日にしてやるもんね。



06/02/07(火) 第367回 おまけディスクが遠い

昨日チラッとおまけディスクが雷に阻害されて中々見られないという話をしたが、実際の所「FF7ACの事を書いてます」とトップページの方にある筈の「ゲーム日誌」は既に最終更新から一ヶ月も経ってしまっているのであって、これじゃあいかんという事でもう今日の内に見てしまおうと決意した。
ところが、これが何の冗談でもないのだが、いよいよ見ようかなという段になって雷が鳴ったのである。しかも今回はかなりタチが悪く、約一時間にわたってのべつ幕無しに

これを書いている今は取り敢えず雷、雨共に収まっているが、またいつ鳴り始めないとも分からないので、少なくとも今日一杯はおまけディスクの方を起動させられそうにない。
二度ある事は三度あるなんて言葉もあるが、流石にこんなに続いてしまうというのはどういう事か。ここまでの不運さとなると逆に誇りたくもなってくるけれど。

つーか、割と心に余裕がないので今日はここで締め。また明日。



06/02/08(水) 第368回 眩いばかりに輝く太陽の光は、だがしかし死ね

こんな経験はありませんか、「shine」という英単語を見て瞬間ドキッとさせられたという。
「光る」という意味を持つこの英単語「shine」は、一度ローマ字読みをしてしまうと「死ね」と読めてしまいます。「死んで下さい」「死んで戴きたい」の命令形「死ね」 明らかにこの日本社会における禁忌の一つだと言い切れる一言「死ね」 正直手元のキーボードで「shine」とタイプする事すら若干はばかられてしまう位、それ位この一言は他人に対し決して言ってはならない文句です。
加えて、日本人は総じて英語が苦手な傾向があって、英単語のスペルを覚える際は無意識にローマ字読みで認識し記憶してしまう事も珍しくないと聞きます。つまり、「shine」が目に入ると少なくともその一瞬、どうしても頭に「死ね」という言葉が浮かんできてしまうそうなのです。
小中学生の教育現場に詳しいとある人から、こんな話を聞いた事があります。英語の時間、英単語の発音練習の時、とある男の子がこの「shine」を間違えて「死ね」と読んでしまったそうで、勿論本人には全くもって悪意はなかったのでしょう、しかし時として子供は残酷なもので、その日から彼は何かにつけ周りから「死ね」「死ね」と言われる様になってしまったと。イジメです。こういったイジメを受けたのは彼だけではなくて、単に名前の中に「光」という一字が含まれていただけで同様の仕打ちに遭った子もいたらしいという事です。
かつて「名探偵コナン」の中でこれに関係する様な挿話があったかと記憶していますが、その話にも似た現象、事態が現実に起きているのです。それ程までに「死ね」というこの簡潔な言葉の中には、極めて残酷な響きがたたえられているのです。
だからなのかどうか、私には分からないんですが、いつだったかの学習指導要領改訂の時から、中学校では「shine」の単語を扱わない様になったそうです。嘘です。


本日、FF12を予約しました。うーー、早くプレイしたいなー。



06/02/09(木) 第369回 何とか続けられそうだ

あー、後から気付いたけど、昨日のはエイプリルフールネタにした方が良かったかなあ。まあいいか、「なーんて、嘘でした〜」とかいう風におちゃらけるにはあまりに振りが重いし、さして構造が秀逸な訳でもないし。って、ん? 同じ様な事、前も言った事がある様な? まあどうでもいいか。

という訳で、2006年のエイプリルフールがもうすぐそこにまで迫ってきていた事に気付いたのであるが、そう言えば私は去年のエイプリルフールでこんな事を言っていた。

「じゃあ来年のエイプリルフールにこの日誌を書く機会があったら、これでもかって位嘘ばっか書いちゃろ」

そしてこうも。

「オイそこ、『来年まで続いてるかどうか怪しいもんだ』とか言わない様に」

まあそんな事を抜かしていながら、勿論それから一年後まで(サイト自体が終わる事はまずなかったにしても)「日誌」なるコンテンツが残っているかどうかなんてのは分からなかったし怪しかったのだが、漫然と継続していたらいつの間にか現実的なものになっていたんだなあ。ちょっとばかり感慨である。
オイ、いつか「来年まで続いてるかどうか怪しいもんだ」と言ってたそこの君。私はやるぞ、どうやらやっちゃうぞ。これを機に肝に銘じておきなさい、根拠ない無責任な否定的決め付けはよくないと。うはは、ざまーみろ。

まあね、現実味溢れる事を言えば、

去年の4月1日からずっとこのサイトに来てくれている人なんていないんだろうけどな。


※参考資料:2005年4月1日にトップページのアクセス解析を踏んだ人の数
延べ人数:23人
実人数:17人



06/02/10(金) 第370回 主人公とは何だ?

ゲーマーたるもの、何らかのゲームをプレイする上ではほぼ必ず「主人公」なる存在に触れる事になろう。FFを例に言えばそれはクラウドでありラムザでありスコールでありジタンでありティーダでありユウナの事である。DQを例に言えばガイラでありアルスでありエイトでありえにくすでありああああの事である。
ある時ふと思った。「主人公とは何だ?」 勿論それがゲーム、否ゲームのみならずテレビや映画や小説等、一体に物語と呼ばれるものにおける中心的登場人物の事を意味しているのだという事は私にだって分かっている。しかしだ、こういう観点で考えるとさてどうだろう。

主食とは何だ。主な食の事である。
主目的とは何だ。主な目的の事である。
主成分とは何だ。主な成分の事である。
では主人公とは何だ? それ即ち主な人公の事ではないか。

ここで「はて」となるのであった。「人公」とは何だ。そんな言葉聞いた事ないぞ。念の為辞書を引いてみるもやはりそんな言葉は見当たらない。
「人公」という二字熟語として存在しないという事は、この二文字はどうやら別々のものとして扱われるものの様だ。つまり「人」と「公」 主な人と公、である。
しかし疑問は尽きない。「公」とは何だ。「人」はともかくとして「公」とは何だ。すかさず辞書を引いてみた。「国家や社会の全体に関係する事柄」とある。甚だ抽象的である、これでは話にならないではないか。よしんばこれで正しいのだとしても、では「主な国家や社会の全体に関係する事柄」とは何だという話になってしまうし。
と、ここで私はある事に気が付いた。そうか、これは「公」として見るんじゃない。さっき「人公」という言葉がなかった為にこの二文字を分割したのと同様に、「公」の文字として意味の通る解釈が出来ないのならこれを更に分割させればいいんじゃないか。そう、「ハ」と「ム」である。
謎は解けた。
主人公とは何だ? それ即ち「主な人とハム」である。もしくは「主なハムの人」である。

別所哲也さん主人公抜擢おめでとうございます。


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