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06/01/22(日) 第351回 土竜叩き

と書くと何だか物凄い事をしているかの様であるが、何の事はない、「もぐら叩き」の事である。
「土の竜」とは、粋な字を当てたものだなあと思う。しかし仮にも伝説上の生き物、ドラゴンの名を借りようとは思わなかった、あのモグラが、田畑の作物を荒らし回りやがるあのネズミにも似た小さい生物モグラが、これだけ有名でありながら実際に目にする事はまずない様な生物モグラが、ただのチョロプー風情が、つーか懐かしいな、チョロプー、最近はどうなんだ、活躍してんのか、チョロプーに限らずあそこら辺一派の近況はよく知らんけど。
それに幾ら粋だからって、そいつをハンマー片手、或いは両手にビシバシビシビシバシバシビシバシ(フーッ…)バシバシビシビシビシコンバシコン(ムキーーーッ!!)ドム!ドム!ドム!ドム!ドム!ドム!ドム!ドム!ドドドドドドドドドドドドドという塩梅で叩いちゃう訳だから最早そこに竜に対しての尊敬やら敬意やら畏怖やらの思いは感じ取る事が出来ない。

ひ、ひ、酷いよー、と、簡単にモグラの声を代弁させてもらった所でちょっと話は変わるが、「土竜」は「みみず」とも読めるらしい。流石にそれは「土竜=もぐら」以上に非常用であろうけど、でもそれ自体は揺るぎない事実なので、つまり今回のタイトルはそのまま「ミミズ叩き」とも読める事になる。
ミミズ叩き、さしずめこんな感じか。

(えいっ!) プチッ!!

やめなさいやめなさい。



06/01/23(月) 第352回 土龍叩き

モグラ即ち「土竜」と言えば、在りし日のスクウェアが新世紀も押し迫る1999年に発売した「CHRONO CROSS」なる作品にそういう名前のボスモンスターがいる事を思い出した。クロノ・クロスではシナリオの中で「六竜神」という存在と戦う事になっており、彼等はすべからくドラゴンであらせられるからしてその読み方は勿論「もぐら」でなくて「どりゅう」(まあそれですらちょっと考えものである可能性が秘められていなくもない様な気はするもののだ)なのだけれど、でも昨日のことを踏まえるとやっぱお前モグラじゃん、という事になってしまうのだった。あまつさえお前実はミミズじゃん、という事にすらなってしまうのだった。
「六竜神」という、つまり「神」たる存在の一翼でありながらにして、モグラ乃至はミミズと罵られる土竜の悲劇。しかし私はその実情を傍観するにやぶさかでない。何となれば、奴は元々外見からして何やかやと言われても仕方なしな風体をしていたのだ。事実、今日久し振りにクロノ・クロスの事を振り返ってみて、六竜神の内私がその風貌をはっきりと覚えていたのは土竜その人のみであった。そしてその理由が「お世辞にも格好良いとは言えない見た目」だったのだ。いやまあ、見た目の事に言及するなら水竜と緑竜も随分いい勝負だけれど。
うーん、何と言うんだろうな、ぬぼーっとしていると形容するのだろうか、とにかくまあ「お前竜か?」みたいに思うのは確かである。だからと言ってモグラやミミズと比べるのならよっぽど竜の方に似ている事になるだろうけど、それよりももっと大事な事は、こうして土竜の事について色々書いてきて何だがクロノ・クロスに出て来る土竜は正しくは「土龍」と書くのだという事が発覚したという事実だ。
勿論「土龍」は「もぐら」とは読めないし、かかる事実の判明後にそれを「みみず」と読めるとは微塵にも思わない訳で。おいおい、だったら今日私がずっと話してきたのは何だったんだよ。

ちなみに本日のタイトルである「土龍叩き」は「もぐら叩き」ではなく「どりゅう叩き」と読む。
世間的にはこういうのを「誹謗中傷」と呼ぶが、良い子の皆は真似しない様に。



06/01/24(火) 第353回 竜と龍

昨日と一昨日の文章を書いて、至極当然の様に「『竜』と『龍』の違いって何だ」という疑問が私の頭の中に浮上する事となった。
が、漠然とただ「何だ」と言われてもちょっと答えようがないし考えようもない。一つ思い付く所だと「竜」の方が常用的で、「龍」の方は「竜」の旧字体なんじゃないかという考えはあるのだが、実際調べてみると某ウェブ上辞書検索では「龍」に当たる解説がなかったりするし、普通にページ検索してみた所で上記仮説が正しいという感じの事を述べているページもあれば、しかし「竜」と「龍」とは別々の字でどちらも本字とするページもあったりして、結局何が正しいのやら分からず終いであった。
そんな中で、私がこの疑問について達した一つの結論、それがこれである。

「竜」よりも「龍」の方が強そう。

一転して真面目な議論でなくなってしまった様で、ここまでそれなりの気概を持って読み進められた方々には誠に申し訳ないのだが、如何せん私の中にはそういうイメージがあるのでどうしようもないのである。とは言えだ、このイメージ自体には賛同する人も結構いるのではあるまいか。何となく「龍」の方が高等で高次な存在である――しかしその実そこに一切の根拠はないのだが――という感覚に同感だと感じる人はそれなりにはいるのではあるまいか。

それがどうであるかどうかに拘らず話を続けるのだが、その観点から論じれば、昨日話題に取り上げた「土龍」は「土竜」つまり「もぐら」乃至は「みみず」と比較した時により高等な生物であると見る事も出来よう。
つまり、
「土竜」がもぐらなら「土龍」はチョロプーである。
「土竜」がみみずなら「土龍」はおおみみずである。
そう即ち、
「土竜」がチョロプーなら「土龍」はインディである。
「土竜」がいたずらもぐらなら「土龍」はキラースコップである。
「土竜」がもぐらの子分なら「土龍」はドン・モグーラである。
「土竜」がはりせんもぐらなら「土龍」はサンダーラットである。
「土竜」がせみもぐらなら「土龍」はトンネラーである。
「土竜」がおおみみずなら「土龍」はサンドマスターである。
「土竜」がサンドマスターなら「土龍」はマリンワームである。
「土竜」がサンドウォームなら「土龍」はランドウォームである。

さて、思い付くだけ書いてみたのはいいのだが、これ全部分かる人ってどれ位いるのかな。まあ大半がドラクエであるけれど。



06/01/25(水) 第354回 「OILOILOIL.」と打つとサザエさんのエンディングの曲っぽく聞こえない

実際にやってみた。

カタ…

カタカタカタカタカタカタカタカタカタ

確かに、「OILOILOIL.」と打つとサザエさんのエンディングの曲っぽく聞こえなかった。


念の為、ノートパソコンでもやってみた。

パタ…

パタパタパタパタパタパタパタパタパタ

………


「OILOILOIL.」と書く際は、ノートに鉛筆でお試し下さい。



06/01/26(木) 第355回 誰一人やった事のない事

こうして日々、人生の中の貴重な時間を無駄に費やし雑文を書いて書いて書き散らしているのだが、もう一年半以上もそういう事をやっていると、ふと思う事があるのだ。
基本的にも何も当サイトはゲームを主に扱うサイトな訳で、種々の検索エンジンにも大抵「ファイナルファンタジーの謎や矛盾を独自に考察しています的なPR文があって来訪者の方々はそれを目にしてやって来るか、或いはゲーム特にFF関連のキーワードで検索した後にここを訪れるのだから、そういった方達にとって殆どゲームとは関わりない話をし続けているこの「雑文」の存在意義はないものに等しいだろう。
サイト管理人である所のkemkamという一青年が「まだサイトを運営する気満々ですよー」という意思を最も顕著に示す事の出来るコンテンツに訪れた未曾有の危機。これは誰あろう「妄想針千本」というサイトを管理運営している私kemkamこそが一番気になる問題なのであるが、残念ながら今日私が話題にするのはその事ではない。これについては後日また改めて触れる事にしよう。

ようやく本題である。
「日誌」として始まり、途中で「雑文」と名を変えて書き散らし続けたこれももう355回目だ。その間私はまこと様々なテーマの下に、随分と好き勝手な事を述べてきた訳だが、しかし時々思うのである、結局私が取り上げているテーマは、過去に誰かしらが扱った事のあるものばかりなのだ。
世界は広い、つーか日本ですら広い。一億人超の人間が生きるこの国にあって、私の様な凡人が考え付く事なんぞ、全くもって目新しくも何ともない事ばかりなのである、所詮は。
第339回から始まった「じゃんけん」関連の話なんてのはもう各所で語られ尽くされてる事だし、第300回に端を発した「最後の鍵とアバカム」なんていうのも、まあこれは結果として第314回〜第320回にも及んだ「愛憎の鍵」なんていうへっぽこ小話を生み出しはしたもののその根底はあくまでも「最後の鍵とアバカム」の比較を論述しているに過ぎなくて、やはりこれもテーマとしては王道だ。何のヒントも前段もなしに、全く自力で思い付いたという観点では初期の名作と勝手に考えている第66回も、いざインターネットで検索してみたらこれがゴロゴロ出てくる出てくる。結局どれを取っても特に独自性溢れる文章なんてありゃしない。
まあ、そもそも自分から「雑」と銘打ってしまってるし、そこで強く「目新しさ」という要素を追い求める必要はないんだけれど、何か、何かしら、一回位は日本国内における話題の先駆者になってみたいなー、なんて事を考える事があるのだ。

「でも考えたからってそれが出来たら苦労ないよなー」「何とかして出来ないかなー」とか思いつつ、しかし特に努力するという訳でもなく(というのがまず駄目なのだという事は勿論分かっているのだが)現実問題として不可能に限りなく近い困難を極める事であろうとの結論を得る私。その内に、こんな事を考える様になった。
今この国に存在しない何かを仮に設定して、それについてデタラメ尽くしでもいいから、つーか本当は存在しないんだから書こうったってデタラメしか書けないのだけれどとにかくそれでいいからズラズラと書けば、その日書いた文章は否応なく限りなき独自性を秘めたものとなろう。
そう、私がここでジョルドリブスの事について書いたり、サッツララーイライの事について書いたり、シーリーリーの事について書いたりすれば…って……

「シーリーリー」ヒットするじゃん。
一つの単語なのかも分からんけど。



06/01/27(金) 第356回 ジョルドリブス

ジョルドリブスが産まれて三年になった。ようやく安定期に入った様だ。この三年、寝る間を惜しんでこいつの傍にい続けた私の、血の滲む様な努力もようやくこれで報われるというものだ。
きっかり四十五分毎にミルクをあげないと133dBという大音量で泣いた挙句にすっくと立ち上がって「い、出雲が俺を呼んでいる…ぉぉぉぉおおお出雲大社ぁぁぁあぁっ! 出雲大社! 出雲大社! 出雲大社ぁ!」と言いながら側中(手をつかない側転)を繰り返しちゃうもんだから寝るに寝られなかった。ただそこは執念である。今日までの三年、私はこいつを一度きりしか泣かせた事がない。たった一度の過ちはあれだったな、閏秒の実施で時間が一秒ずれたあの日。あれにはやられた。

さて、安定期にも入った事だし、そろそろ名前を付けてやらなくてはならないぞ。
と言っても、もう考えてあるんだ。何か最近はブームか知らんけど奇抜な名前が多いけど、そういったともすればおかしいと言えてしまえなくもない名前を授かった子供の身にもなってみなさい? 名前はなるべく普通が一番。って事で名前はこれ。

サッツララーイライ

本当は「たかし」にしたかったんだけど、後から聞いた話じゃそれはジョルドリブスには付けられない名前だって事だったんで、しょうがなくこれにする事にした。
さーて、モノの本によれば「安定期に入ったジョルドリブスはその日から五年は何も食べず何も飲まず、また他人からの干渉を酷く嫌うので絶対に視界に入らない様にして下さい。万が一ジョルドリブスが誰かの姿を見付けると133dB相当の泣き声と共にすっくと立ち上がって『三途の川にダンパフパ! 三途の川にダンパフパ!』と叫びながらアイススケート張りのクワドラプルアクセルを決めまくるので注意しましょう」と書いてあるから、今日から五年は近くに借りたアパートででも過ごすとするかな。
それじゃあまた五年後にね、サッツララーイライ君。


--------------------------八年後--------------------------


ジョルドリブスが産まれて十年以上が経過。遂にサッツララーイライ君に第一次成長期の兆しが見え始めた。
ここまで長かったな…今思えばいい思い出だけど、当時は地獄の様だったミルク飲ませなんてのがあったし、あ、そうそう、十歳になるかならないかになって初めて喋ったんだよなあ。あの時は嬉しかったよ。でも初めて喋った言葉が「た……た…か…し」はないだろお前。その言葉聞いた時心底「しまったなあ」って思ったもの。いや確かにさあ、ジョルドリブスに「たかし」は駄目だってのを聞くまでは「たかしく〜ん、たかしく〜ん、ミルクでちゅよ〜」とか話してたけども。
初めて喋った言葉が、お流れになったとは言え自分の名前だなんて、サッツララーイライ君はどんだけ自己中心的なのよ。これじゃあ晴れて大人になった時が思いやられるなあ…

でも、ま、いいか。
サッツララーイライ君が社会に出る頃にはもう地球なんてなくなってるだろうからなあ。



06/01/28(土) 第357回 私のブログ事情

つい一昨日、「この『雑文』は殆どの来訪者、閲覧者にとって存在意義のないコンテンツなのではないか」「それだけにこの『雑文』には、否、現在『雑文』こそが更新の中心となっている現状を鑑みれば延いてはこのサイト自体に未曾有の危機が訪れているのではないか」みたいな事を書いた。その時はそれ以上話を進める事はしなかったが、今日はその話。

最近、たまにこんな事を考える。「この『雑文』をブログにしたらどうなるだろう?」
既に述べている様に、ここに来る人達の殆どにとって、このコンテンツはあまり意味も価値もないものである。であるからして、基本的にここに書いた事について掲示板或いはメールにてその感想が寄せられるという事はあまりない。サイト公開から間も無く丸一年を迎えようとしているが、「雑文(日誌)」に関する話題をお寄せ戴いたのは四度か五度だ。本格公開初日の「日誌」が第128回だったから昨日までで全229回分、期間にして約一年、攻略系サイトじゃないにしては多分少なくはないと言えるであろう(いや、詳しい所の平均とか相場とかは知らんけど)だけの人に来て戴いている中で四、五回。どうか。これをどう考えるかは個々人の判断に任せるとするが、少なからず多くはない事がうかがえる事と思う。
それ即ち、「雑文」たるコンテンツがFFとか「考察」とかいう事に全く関係していないからという理由に帰結するのであって、だからこそ思うのだ。「この『雑文』をブログにしたらどうなるだろう?」

前にこんな事を書いた。「『Yahoo!ブログ』を利用していればほぼ無条件に数人以上の読者を獲得出来る」
最近はあまりYahoo!ブログの新着記事を読む事もなくなったが、恐らく今もその現状に大きな違いはないのではあるまいか。だとすれば、私の様な人間だってあそこでブログを立ち上げれば、後は全く宣伝しなかろうが幾許かの人が投稿記事を読んでくれるのである。
さて、その時私の投稿した記事にコメントはつくのだろうか? あくまで投稿する記事はこの「雑文」に書いてある様な事で、殆どゲーム関連の話をしないのであれば、そのブログを訪れる大抵の人は前知識がないか或いはゲーム情報を求めてやって来たのではない人達である。そんな状況にあって、私の書くバカだったり、回りくどかったり、訳が分からなかったり、稀に狂気だったりする文章に対して感想や意見は寄せられるものなのだろうか、もし寄せられるのだとしたら、どういう感じの、どういう内容のものが寄せられるのだろうか? 最近とみに気になるのであった。

図らずもこうして約三ヶ月程ゲームを全くプレイ出来ない状況におかれて、ゲームのプレイ日誌なしでもそれなりに一日一回更新が可能な事が証明されたので、ブログに移ったからと言って即書くネタに困りはしないであろう。
とは言え、ここの「雑文」乃至は「ゲーム日誌」をブログ化する事はまずないだろうけど、何処かでこっそり実験してみたりするかもね。まあ流石にここを更新しつつ別ネタをブログで、なんて事が出来る程時間的精神的余裕がないのは自明なんで、その時は過去ログのリサイクルになっちゃうだろうけど。



06/01/29(日) 第358回 山はいいよねぇ

「クロノトリガー」の話。

時はA.D.600年、デナドロ山の山頂にマモという名の魔物がいた。
この魔物、こよなく山を愛するという風変わりな奴で、口を開けば「山はいいよねぇ」「いいんだなこれが」と言っていた。

と、ここでふと思った。
何処でだったかは忘れたけど、あの世界にはピアノ弾きのマモなんて奴がいたなあ。確か客からリクエスト聞いてピアノ奏でてたっけか。もしかしたらマモという種族は魔物でありながら、元来音楽を愛する種族なのかもしれない。

そんな事を考えていた時、突如として私に天啓が下った。
マモが音楽好き…その仮説が正しいのなら、もしかするとデナドロ山にいたあの山好きマモは、「山が好き」だなんて一言も言っていなかったのかもしれないぞ。
そうだ、彼は音楽好きだったんだ。彼は最初から音楽の素晴らしさを我々に伝えようとしていたんじゃないか。そう、

「YAMAHAいいよねぇ」


…「いいんだなこれが」



06/01/30(月) 第359回 孫と子供と祖先と先祖

前々から思っていた事がある、「先祖」と「祖先」と「子孫」が紛らわしい。
何だい何だい、お前等、揃いも揃って、全部で九文字もあるのに「さ行(濁音含)」と「ん」しか使ってないじゃないか。
どれについても意味が似たり寄ったりなのがまた紛らわしさをこれでもかと言わんばかりに増長している。皆様方においてはどうだか分からないけれど、私はこれらの言葉を扱う際、一度頭の中で意味を確かめてからでないと自信が持てなかったりする。
「子孫」はまあいいが、「先祖」と「祖先」の使い分けがどうもよく分からないのも紛らわしい事甚だしい。
気になるのでYahoo!辞書検索してみた。

せん-ぞ【先祖】
1.家系の初代。祖先。
2.その家系に属した過去の人々。祖先。

何か二度「祖先」なんて言われると、「先祖っていうのは祖先の事なんですよ〜」と言い聞かせられている様でもあり、何処となく気持ちが良くない。まあそれはどうでもいいが対して「祖先」はこうだ。

そ-せん【祖先】
1.家系の初代。
2.家系の先代以前の人々。
3.一族のもと。

当然の様にして似た感じの言葉が並べられていたのだが、こちらに「先祖」という添え書きがなかったって事は、こっちの方が幾らか常用的だという事なんだろうか。何か意味も一つ多いし。
と、ここでふと思った。「先祖」と「祖先」という関係があるなら、もしかしたら「子孫」に対して「孫子」なんてものもあるんじゃないのか? と。実際、「そんし」と打って「孫子」に変換出来るらしく、ここは早速調べてみる事にした。

そん-し【孫子】
1.孫武または孫○(そんぴん)の敬称。
2.中国、戦国時代の兵法書。一巻一三編。呉の孫武の著といわれる。成立年代未詳。始計・作戦・軍形・兵勢などに分け兵法を論じる。「呉子」とともに孫呉と並称される。一九七二年に発見された竹簡により、現在の「孫子」は孫武の「孫子兵法」の一部であり、別に孫○の「孫○兵法」が存在したことが解明された。
※○は「つきへん」に「賓」

……ええっと、何か貴方だけ場違いみたいですからお帰り戴けますか?



06/01/31(火) 第360回 小ネタをそっと懐に忍ばせて

何処に繋がるとも知れないURLばかりをこれでもかと羅列するだけの、恐らくは何らかのソフトを介して行っているのであろう書き込みがこの所激増した関係で腸が煮えくり返っていたので、掲示板のアドレスを変更してやった。はっはっは、これでしばらくは手出し出来まい。ったく、こっちは近年稀にみる忙しさでその掲示板への返信すら満足に出来てないってのに、そんな中で私の手を煩わせるなっての。

そう、何てったって忙しいのである。でもそれも今週一週間限りになりそうだ。とか言って、幾ら私がニート志望だからって別に来週からニート化する訳ではないのである程度忙しくなくなるだけなのだけれど。
正直、そんな状況の中でこう性懲りもなく「雑文」と「俺的事典」を更新している自分を「これでいいのか本当に自分は」と思う時はなくはない。実際毎日サイトに手を加えている事で、少なからずも本来やらなければならない事に支障をきたしている現実は否めないのだ。
ただそんな時、苦境に立たされる私を救ってくれる存在もいる。それが「小ネタ」だ。
どうも自分はやや文章に凝ってしまう傾向があるらしく、読むだけなら別に何かしら特別な訳でもない文面でも、やけに時間がかかっていたりする事があり、そのせいで「雑文」を書くのが中々の作業になってしまう場合が多い。
しかし小ネタなら、一言で振って一言で落とすだけで全てが成り立つ「小ネタ」なら、その二言に凝ったとしてもそれに要する時間は高々数分〜十分だ。これによって得られるアドバンテージの大きさたるやいちいち説明するまでもないだろう。
こうした文章を毎日書くに当たって、どうしても訪れる「多忙な日々」を、双方を両立しつつ乗り切る為には、普段から上手い具合にそうした「小ネタ」を用意しておく事が重要な手段となろう。あまり忙しくない日はなるべく小ネタの放出を抑え、ここぞという時に満を持して出し、そして自分に本来課せられている作業に集中するのだ。
何と完璧な、何と抜かりない計画か。もうじき公開開始から一年を迎える当サイトが、ほぼ毎日この「雑文」と「俺的事典」を主に更新してこれた秘訣はそこにこそあったのである。

ただ、私はある二点だけとても残念に感じる。
一つは、このサイトの管理人たる私がさほど我慢強い人間ではなかったという事。そのせいで折角「これは」という小ネタを思い付いても、ここ最近の様な忙しさに追われる前にそのネタを消化してしまう。
もう一つは、このサイトの管理人たる私がさほど器用な人間ではなかったという事。そのせいで折角今日は、

サイトを毎日更新し続ける秘訣。それは…
忙しい日は小ネタで切り抜ける事だ!
そんな訳なんで、今日はこれでお終いとします。

位で終わっていた筈なのに、気付いたらこんなにも長くなってしまっていた。


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