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06/02/11(土) 第371回 「妄想針千本」一周年

遂にこの日を迎えてしまった。昨年の2月12日に当サイトの一般公開を始めて今日で365日目。明日に一周年を控えるという事になった。
思いの外、感慨深い。一年365日の内363日という恐らくこれからのサイトの歴史を見てもないであろう更新頻度への達成感だろうか。
一年前、いよいよサイト公開に踏み切ろうとしている私は何を思ってたっけなあ。そんな事はもう忘れてしまった。大体が開設から一年と一ヶ月と十日たってからの公開だった訳だから、それまでの一年と一ヶ月と十日とは全く異なるであろうサイト運営にあれやこれやの期待と不安を抱いてたんだろうとは思うけれど。それから一年経って、ある期待が期待通りになったりした事もあれば、ある不安が的中する事もあって、期待通りにいかなかった事も要らぬ不安だった事も沢山で。

さて、明日から二年目。私としては「目標現状維持」をモットーとして一年目と何ら変わる事のないサイト運営を心がけ、そして実行していくつもりであるが、その出だしに一ついつもとは違う事をやってみたいと思っている。
とか言って、派手に「一周年記念!!」なんて銘打って何か特別な企画を大々的にやろうという訳ではなくて、ちょいといつもとは趣向の違ったものを、しかしいつも通り「雑文」として書こうかなあと。
全五回、割かし長い期間を想定しているが、かつて全七回にわたった「じゃんけん」関連の話は書き始めた当初一日分の雑文となる予定だった私の事である、いつの間にかしれっと全八回位になってるかもしれないし、一回で終わるかもしれない。

さあさあ、明日からまた、読んだ人を主に後悔させる文章を書いていきますか。いきましょういきましょう。



06/02/12(日) 第372回 妄想

考察、というものを初めて行ったのはいつの事だったか、詳しくは忘れてしまったのだが、四、五年前の夏であった事は覚えている。
題材はFF9。「メネはどうやって『ここほれ!チョコボ』を商売として成り立たせているのか?」であった。
考え始めは何という事もない、他愛ない事をただダラーっと、ボーっと考えていたのではなかろうか。しかし、普段どんなに願ったってこっちを向いてはくれない天啓ってのは下る時には下るもので、そこからある一つの仮説を思い立ったのを機に次から次へと謎が氷解して、一応の解決を見る事になる(それを後から修正する事になるのは知る人ぞ知る所だが今日の所は省略)。
勿論、謎がドミノ倒し的に解決した背景には、その謎自体が小振りであった事が大きいのだろう。それに突如思い浮かんだ仮説を「天啓」とまで言うのもいささか過剰な気はする。ただ、その時初めて物事の矛盾点に突っ掛かり、とことん考察し、果てにそれが解けた時の快感、その感慨に味を占めてしまった私はそれから今の様な粗探し人間に成り上がったと言うか成り下がったと言うかなのだから、例え天の思し召しではなかったにせよ、しかしこれは私の人生に多大な影響を与える事になった重大な事由である。そうだ、その思い付きさえなければこのサイトも存在しなかったのだから。もしそうなっていたとしたら恐らくその時私は今、この間買ったDVDを観てほくそ笑んでいるか、PSPを動かしてほくそ笑んでいるか、FF7アルティマニアオメガを読んでほくそ笑んでいるに違いないのだ。何だ、今の私と何が違うんだ?

「妄想」のページを見るとまずこんな事が書いてある。

「文章内に『ゲーム内や攻略本等から得られる公式情報との明らかな食い違い』が見付かったら、掲示板なりメールなりでご報告戴ければ、該当箇所の修正を検討させて戴きます(事情により修正出来ない場合もあります、悪しからず)」

「事情により修正出来ない場合あり」と書かれているが、この「事情」 実は第一に「メネ関係の事を突っ込まれた場合」という状況が事前想定されている。
自分で書いておきながら何だが、正直言ってあのシリーズはちょっと私の手に負えるものではなくなっている、これは前にも言った事かもしれない。お恥ずかしい話である、しかしあれは長過ぎた。自分の書いた文章を後々になって読み返したりする事は多々あるが、あれを初めっから最後まで通しで読む気には中々なれないというものだ。これも確かいつだったかに一度言った事だが、「起源」に関しては書き切るだけで二ヶ月もの時間を要した大作なのだから。一ヶ月間忙しくて、もう一ヶ月間ゲームにかまけていた上で二、三日で書いたのではなくて、書き始めてから終わるまでで二ヶ月、である。
「自分でもよく分からないものを閲覧者の人達に読ませるな」 或いはそういう意見が出てくるのかもしれない。しかし申し訳ない事に、返す言葉もないというのが実情であり、実際時々あれは「妄想」のコンテンツの中から外そうかと考える事もある。
現在あれは改訂中なのであり、それが一段落するまでは消さないつもりだけれど、うーん、分からない、いつの間にか消えているかもしれない。消したくはないんだけどね、思い入れはどの文章よりも深いだけに。


さて、ここからは心機一転、「妄想針千本」一周年記念企画第一弾、「祝一周年・私が選ぶ妄想考察ベスト3」のコーナーです。本日までに掲載された文章群の中から、「これは良い」と思った三作品ベスト3をランキング形式で発表していきます。事前に閲覧者諸氏に対して何らかのアンケートを行うでもなく、あくまで自分が勝手に選んでしまうのが味噌である。

第3位 FFT「吹き荒れる受難の嵐」
理論自体は何かと反発されてしまいそうな内容であるが、最後の段落におけるクラウドへの完膚なきまでに叩き潰さんとする突っ込みの畳掛けがお見事。
勿論謎解明に用いた理論は自身が納得したからこそ掲載しているのだけれど、FF7ACやらFF7DCやらの発売があって何かと事情が変わってるかもしれないなあ。一考が必要かも。


第2位 FF10「可及的速やかにアルベド族と会話出来る様になる為に」
甚だ長ったらしいタイトルである。
アルベド語の文字の扱われ方がどうやらおかしいという点に気付いた事もあるけれどしかし、私が推すのは末尾の一文だ。
「しかし、まだアルベド語を理解していない人の方が圧倒的に多い現状において私は、アルベド族とのコミュニケーションにおける現時点での究極の形態が『筆談』である事をここに提唱する」
キッパリと「ここに提唱する」である。断言である。格好良い。何を言ってるんだ私は。ともかく、kemkamさんという人間はこれに始まり「好きなフレーズ」みたいなものが多数存在している。


第1位 DQ8「決して語られない想い」
締めの一文はこれまたちょっとばかりお気に入りなのであるが、これについては「この謎を発見した経緯」そのものを称賛したい。
エンディング中に宿屋で一泊するシーンがあるが、その場面でMPが回復しない。この事に気付き、そしてそれがすぐに「主人公は眠っていない」という事実に直結した時の嬉しさは今でも覚えている。よく気付いたな、自分。




06/02/13(月) 第373回 ゲーム日誌・雑文

現在稼働中のコンテンツの中では最も歴史が古く、また最も更新回数が多いのがこれだ。
書き始めてから一年九ヶ月程経つだけあって、その最中で存在意義や性格が最も大きく変わったコンテンツとも言えるかもしれない。
その事は、歴史の始発点を垣間見る事で或いは明白となろうか。

第一回 このままじゃいかんのだ!!

これを見るだけでも、今の「雑文」との違いは明らかである。
文章が「です・ます調」で書かれている。次第に「だ・である調」のものが増えていき、今では殆ど「だ・である調」一本になってしまった。
「MIDI」なんていう文字列が見て取れる。まあこれは今や歴史の闇に葬られた過去の事なのでよしとする。
「不定期更新」と言っている。いやいや、この「雑文」は今だって不定期更新をモットーとしている。誰に何と言われようと不定期である。
「(笑)」が使われている。当時から乱発だけは避けていたと記憶しているが、今見るとたった一回の出現ですら珍しく感じられてしまう。
ここ最近の文章よりもやや読み易く感じられる。悲しい事実である。当人のスキル的には目立った違いなんてないだろうに、文体が柔らかいか固いかだけでも随分印象が違ってくるもので。
しかし何より私は、内容がとかく「日記的」な事に目を引かれた。まるで普通の日記の様に、その日あった事や、先日あった事等を書いているのだ。最後に落ちを持ってくるという構造自体は既にこの頃から見られたりするけれど、一体いつからここは「ネタ雑文」化したのだろうか。謎である。

さて、先の「第一回」には「早いとこゲームをプレイ出来る状況にして、日誌のネタに困らない日々を迎えられる様、頑張ります」なーんて事が書いてある。
そうなのである。かねてから「ゲーム日誌」とこの「雑文」とは掲載箇所が違うだけで同一のコンテンツである事を述べてきた私だが、中でも「ゲーム日誌」というのは当時「書くネタに困らない日誌」という位置付けがされていた。
それもそうだ。一応書けるなら毎日書きたい所だけれど、そんな毎日毎日面白い出来事なんてある筈はないから、遠からず「日誌(現『雑文』)」のネタに困るのは明白。しかし「ゲーム日誌」の方はどうだ。少なくともその日のプレイ内容についての事を書く訳だからテーマは決まっているし、何を書けばいいのかと迷わされる事もなかろう。それが、連日ゲームをプレイしていれば毎日書ける訳で、しかもその間「日誌」の方は更新しない。その間に「日誌」のネタを集められれば、プレイ中のゲームが忙しいか何かで出来なかったり、或いはクリアしてしまったりしても当面は凌げるんじゃないか。そんな、つまりは、「繋ぎ」的な役割を持ったコンテンツだったのだ。
しかしどうだ、「日誌」を書き始めて今日まで、一応は「時間はあるけどネタがない」という窮地に追い込まれるなんて事はなかった、幸いにも。去年は割とゲームがプレイ出来ていた方だから、その間に要領よくネタを補充出来たからというのもあったのかもしれないが。しかし昨年十一月から昨日まで、一日のお休みと四回の「FF7AC関連日誌」を除いて「雑文」一辺倒だった事を考えると、最大の理由はそれではない様な気はする。ただ、「じゃんけん」とか「愛憎の鍵」が良い例だが一つのネタで何日かしぶとく継続させるケースが最近は多々見られるのは大きな要因なのかもしれないが。
今日現在、「雑文」ネタのストック数は45。ただ私は基本的に新しく追加されたネタから先に消火してしまうという傾向があるので、「日誌」スタート当時に思い付いたネタが幾つか残っており、そういったものは今更使えないかもしれないので実際はもうちょっと少ないと思う。何にせよ、三月一杯までは「ゲーム日誌」なしでも更新し続けられるという事である。っておい、FF12はどうした。


懲りずにやります「祝一周年・私が選ぶゲーム日誌&雑文ベスト3」

第3位 雑文第269回「手書き日誌」
ノーコメント。


第2位 雑文第167回「モノの数え方」
何となく二位、と感じる人間が一個体。


第1位 雑文第327回「来年は閏年だ」
何か上手く文章がまとまったなー、という感じがしている回。
つーか、どれも似たり寄ったりの文章なんだから、順位付けするのは無理があるね。




06/02/14(火) 第374回 愚痴

歴史としては最も新しいコンテンツという事だが、このコンテンツ程行く先が見えず迷走しているものはないのではあるまいか。
このコンテンツをどう取り扱っていくのか、それに関して生じた迷いの端々は文章内にこそ色濃く残されている。
第1回(FF1・2)に限り文体が「です・ます調」で書かれている。しかもこれ、とある実在する人物それもまあまあの有名人たる人物に感化されて何となくそれっぽくなってしまったものであり、もしかしたらそれが誰の事か、分かる人もいるのかもしれないけれど、まあここで敢えてそれを言う事は止めておく。気恥ずかしいので。
第二回からは最新公開分のものに至るまで「だ・である調」で通しているのだが、しかしそれでもしばらくは何処か喋り口調っぽい感じで書き進められているのが分かる。第一回の名残りだろうと思う。だが、第10回(FF3)ともなるとどうか。「〜だね」だの「〜だぞ」だのいう表現もいつしか消え去っており、流し読む限りでは丸っきり「妄想」やらここ最近の「雑文」と何ら変わりないものとなってしまっているのだ。
こと目立つなのはもしかしたらあまり「雑文」との差異がないのではないか? という事であって、そしてそれは深刻な事態である。例えば先に例を挙げたその第10回、これは「FF3のラストダンジョンが長過ぎる」というテーマであったのだが、しかしこれは別に「雑文」の中で、全く同じテーマとして思いの丈を書き綴っても何ら問題ないではないか。
「ゲーム日誌」が事実上「プレイしたゲームの話をする『雑文』」なのだとするなら、ともすれば「愚痴」とは単なる「ゲームの話をし、かつプレイ日記でない『雑文』」という事にもなりかねない。前々から私はこの事を危惧しているのであった。

正直、現状で解決策は全く見えていない。どうすればあれに「妄想」とも、そして「雑文」とも全く違うと言わしめる程の性格を付けられるのか、悩ましく思うばかりである。
まあしかしだ、これも前に言った覚えのある事だが、例え「雑文」と殆ど変わらない様なものであったとしても、最終的に五十本とか、百本とかの文章が出来上がっていたとしたらそれはもう胸を張って更新を終えられるのだろう。
勿論、今のペースでいけば百本はおろか五十本なんていうのも夢のまた夢の話である。うーん、そもそも大体にして物事をキッパリと否定したりはあまりしない性分なもので、あれこれと文句を言うのは苦手な所なのだが、ふむ、どうせ夢を見るならいっそ、いつか「妄想針千本」のキラーコンテンツに化けるのを夢見て頑張ってしまおうかな。


ノミネートが13作品しかないからどの作品にもチャンスあり!「祝一周年・私が選ぶ愚痴ベスト3」

第3位 第10回「こんなの楽勝ですよ」
まあ、私がプレイしたのは21世紀も迫った頃の話で、色々と情報を知った上でプレイしたんで、本当は偉そうな事を言えた立場じゃないかもしれないけれど。


第2位 第13回「マニュアルターゲット機能」
卑しいまでの戦略説明は最早被害妄想。
いやしかし、ここで改めて言っておくけれども、「非オートターゲット」というのはそれ独特の面白みが間違いなくあったのであります。


第1位 第12回「イヴァリースのハローワーク」
シルフィの境遇に一票。
いやでも、考えてみれば酷い勘違いをした彼女にも相当の非はあるんだろうけど。




06/02/15(水) 第375回 俺的事典

FFに登場する様々な単語の中から何か適当なものをピックアップし、その単語を批判的に突っ込むという、そしてそれだけという至極単純なこのコンテンツであるが、開始から今日までで実に734語を掲載した。継続は力なりである、塵も積もれば山となるである。確かこれを始める際は「一人で1000語いけたら凄いなあ」と思っていたと記憶しているが、現在の一日二語ペースで進むとすれば達成まで後133日、いつの間にやらそれが現実的なものになっていたとは。感慨である。

さて、当サイトの全コンテンツを知る所にある方であるなら、恐らくこの「俺的事典」なるものについてはこう思っているのではと思う。「一番手軽に更新出来るコンテンツだ」
何を隠そう、それは事実である。場合によっては一言ピシャッと述べてしまうだけで掲載してしまえるからだ。
ただ、いつもいつもそうという訳にはいかないのがこれの怖い所である。キャラクター名や地名(フィールド上の地域名を除く)等、ゲーム上における活躍の場が多々あったり、その単語一つから頭に浮かび上がる事象が数多くある様な言葉ならいい。しかし、あまりにマイナーな単語の説明を迫られるとしたらどうか。ある特定の言葉に突っ込むのなら、まずその言葉が何を表しているのか、詳しく知っている事が必ずや要求される。そんな中で、シナリオに深く関わらない、さして有名でもない単語を前に、私が出来る事はあまりにも少ない。突っ込もうにも、突っ込み所すら中々見付からないのだ。
「ゴージュシール」(FF8モンスター)はまだいい。でも「ゴージュシールのカード」の一体何に突っ込めばいいと言うのだ。
「フニクリフニクラ諸島」(FF8地域名)は名前がかなり特徴的だからまだいい。でも「トール半島」(同地域名)の一体何に突っ込めばいいのだ。
「連鎖消し」(FF8G.F.のアビリティ関係)はそれでもちょっと苦しかったがまだいい。でも「ワン」(同カードゲームのトレードルール)の一体何に突っ込めばいいのだ。
かかる具合に、突っ込み所の見付け難い単語を掲載する時に限り、このコンテンツは鬼と化してしまうのであった。

話は変わるが、もしこの「俺的事典」の更新模様を日々ご覧になっている方がいるのだとすれば、その方はこんな事を疑問に思った経験がおありかもしれない。

「この人は一体何を基準に新しい単語を選んでいるのか?」

先に少し挙げた例からも分かるが、この事典の中には「ルカ」(FF10地名)、「アグリアス」(FFT人名)と言った有名な言葉から、「聖なるトーチ」(FF7アイテム)、「マギステルシールド」(FF10防具)と言ったマイナーな言葉まで、非常に幅広く単語を取り扱っている。その単語がマイナーであればある程その解説が難しくなるのは先に述べた通りであって、それを嫌うのなら単にそういった単語を避ければいいだけの話なのではないか、そこは管理人の裁量一つなのではないのか、なのに何故「あまりにマイナーな単語の説明を『迫られる』としたら」なんていう表現を使うのか。そこを疑問に思う人がいたりするかもしれない。
ただその理由は単純である。それは、新たに掲載する単語の決定手順を知る事で明らかとなろう。以下がその手順である。

攻略本を手に取る→巻末の索引を開く→目を閉じる→適当な箇所を指差す→その単語に決定

単純明快の一言だろう。この方法を取っているからこそ、やけに説明し辛い単語に行き当たってしまう場合が発生する訳だ。ちなみにこの様な方法で通している訳は、自分で好きな単語を選んでしまうとどうしても偏りが出てきてしまって、目標を1000語とするなら終盤が相当大変な事になっちゃいそうだなー、と考えたからであって、更に公平を期す為に一度選んだ単語は絶対に取り止めない事にしている。

一見最も楽そうなコンテンツに隠された苦労。
今後も、その苦労を背負って、これまで通り何も変わらず追加更新し続ける所存である、まずは目標1000語を目指して。


734エントリーもあると全部なんて到底見切れません。「祝一周年・私が選ぶ俺的事典ベスト3」
単語自体にリンクが張れないので、この場で解説文を引用します。

第3位 オールド (FF5)
対象を徐々に老化させ、能力値を下げる時空魔法。地味な魔法に見えて実はレベル5。消費MP4。
まあ、私が言いたい事は一つである。ガラフにだけは使わないでやってほしい。死んじゃうから。


第2位 ガントレット (FF6)
「武器を両手で持てる様になる」と言うが、そもそも片手で持てているものが両手で持てない事の意味が分からない。
盾を持たない事への不安感でも解消してくれるのかな。違うか、盾どころか何一つ装備してなくてもいいんだし。
じゃああれだ。両手持ちの正しい構え方か何かが書いてあるんだ。短剣とか難しそうだし。


第1位 フニクリフニクラ諸島 (FF8)
天国に一番近い島に程近い諸島。
もしこの名前が、この諸島を発見した人名に由来するとすれば、その人物の人生は惨憺たるものだった事だろう。




06/02/16(木) 第376回 アクセス数

一周年記念と題して昨日まで、各コンテンツへの秘めたる思いやら何やらを色々書いてきたが、今日はその締め括りにアクセス数についての話でもしたいと思う。「雑文」か何かのネタの材料にするといった場合以外は努めてアクセス数に関しての話をしてこなかったけれど、いい機会であるし。

という訳で、まずは昨日までのアクセス数のグラフをご覧戴こう。上が日毎のトータル数、下がユニーク数である。



一年分を一挙に振り返ると流石に「色んな事があったなぁ」という感慨に包まれるといった所であるが、今日はそんな中でも、グラフ内に日付を記してある6/18、10/3、10/31の事について触れよう。

さて、その事実すらこのサイト内で話題にした事はなかったが、当サイトはYahoo! JapanのYahoo!カテゴリに登録されており、その登録日というのが6/18の事だった。
グラフからは当日の盛り上がり振りが見て取れるが、所詮それは一週間程度で収まる一過性のものである。ここで特筆したいのはそれではなく、登録の前後におけるアクセス数が激変している事だ。今もってYahoo!内「ファイナルファンタジーカテゴリ」からの訪問者は、他のどのリンクからの訪問者数よりも多く、Yahoo!の凄さをこれ以上なく体感した一件であった。

10/3のは、こうして見ると分かり難い変化だと思うが、よく見て戴けるとグラフがガクッと下降しているのが分かる事と思う。この日に一体何があったか。
忘れもしない。またYahoo!絡みになってしまうが、Yahoo!検索の検索システムが変更された日である。これは恐らく、Yahoo!カテゴリに登録されているサイトの管理者ならばかなりの大打撃を被った日だったのではなかろうか。
それまでYahoo!検索では、あらゆる検索結果よりも優先してYahoo!カテゴリ内の検索結果を一番に表示していた。これが意味する事はつまり当サイトを例に挙げて言うと、「FF」やら「ファイナルファンタジー」やらといったキーワードでの検索で「妄想針千本」なるサイトが二ページ目辺りに現れるという事である。
これが、新システムでは「ページ検索」と「カテゴリ検索」が別々のものになった為に、デフォルトでカテゴリ内を検索しない様になった。サイト名にすら「FF」「ファイナルファンタジー」等の単語を用いていない当サイトがそれらキーワードでのページ検索で上位に引っ掛かる筈がないので、その日を境にそれらワードでの検索で当サイトに辿り着く人が文字通り激減したのであった。
これが与えた影響はかなりのもので、総アクセス数は六、七割程度に、新規訪問者に関してはそれまでの半分程にまで減少した。
ちなみに、グラフを見ると程無く以前の水準に回復したかの様に見えるかもしれないが、これはたまたまその時期に各種検索エンジンサイトの登録情報を更新し、検索結果の上位に表示される様になっていたからで、根本的に事が解決したという訳ではない。それが証拠に、今もまだ昨年九月末辺りのアクセス頻度までには達していない。

そして、10/31であるが、これは全くもって突然の出来事で、ただただ驚く外なかった。現在運営されているFF12関連サイトの中ではかなり有名なのではと推測する(いつもの如く事前情報を絶っているのでFF12サイトの事はよく分かっていない)「FinalFantasy12.org」さんの中で当サイトの事に触れて下さったのだ。
これについては多言を控えるけれど、しかし感謝感謝の極みである。81.studioさん、ありがとうございました。

といった事で、大まかにはそういった事のあった一年であった。喋りたい事はもうちょっとあったのだけど、まああまり冗長になり過ぎるのも何なので今日はここでお終い。続きはまた一年後にでもしよう。


「祝一周年・ユニークアクセス数ベスト1&ワースト1」

第1位 2005/6/19(日)・2005/10/31(月) 326人
Yahoo!カテゴリ登録二日目と「FinalFantasy12.org」さんへの掲載初日が奇しくも同着一位。
面白い事もあるもんだなあ。


最下位 2005/4/15(金) 4人
翌日のユニークアクセス数は24人なので、16日に検索エンジンの登録情報を更新したか。
ちなみにこの日更新の「雑文」はこれ

さて、次回から通常更新の予定。



06/02/17(金) 第377回 狙いでなしに

そう言えば、公開二年目に突入したのを記念してという訳でもないのだが、当サイトにも一応はあった大小二種類のバナーの内、大きい方つまり200×40サイズの方のバナーをこの程改めた。
それがこれである。



背景にズラズラと並ぶ文字列の中、中央にどどんと「マル妄」の一字。他のサイトさんのバナーが何やら趣向を凝らした絵だったりする中で文字一本である。インパクトがあるかどうかは分からないが、少なくとも潔い、しかも無駄に。
さて、何故今回バナーを変えようという事になったのかだが、その事に触れる前にまず以前までのバナーをご覧戴きたい。



見て戴ければ分かる事であるが、これは一言にノイズが酷い。画面を下方向から見るとそれはより顕著となろう。このノイズが前々から気になっていたのだが、しかし時間もなかったしアイデアも特になかったので、何となしにずっと使い続けてしまっていたのだ。
勿論、ノイズの存在はこのバナーの作成時から感じていた事ではあった。しかしバナーを作成する時点においてbmp形式で保存したいわゆる所の「原画」に当たるファイルは既に削除済みで、手元にあるのはどれもこれもノイズ入りのjpg画像のみ。その上何しろこれと言ってアイデアが特になかったのがダメ押し要因となって、まあしょうがないかという事になったのである。
しかしこれがどうか、実際に検索エンジンサイトに登録なぞして、他の並居るサイトさんのバナーと並べられてしまうと、その無残さ、酷さたるや、である。或いはこのバナーのせいで先方の検索エンジンサイトさんに迷惑をかけているのではと心配になった程だ。
そんな訳で、新バナーをもってようやっとそういった心配から解放されたかどうか、それは分からないけれど、でもこれからの事は別にいいんじゃなかろうか。だって私は恐らく異質なのであろう事を承知で、敢えてバナーから絵を完全排除したのだ。これは私の意志なのである、そういう「ポーズ」なのである。対してあれは敢えてそうしているのでも何でもなく、私の意思にそぐわぬものであった訳で。

「ポーズ」と言えば、当サイト内にはもう一つだけ、何らかの狙いでなく、かつ「うーん、これはどうなんだ」と唸ってしまうものが存在する。
当サイトのサブタイトルである。即ち「マニアーズが祈らば」の事でありそしてこれ、お世辞にも中々格好良いとは言えない、ともすればダサい、つーかともしなくてもダッサい、しかも一見さんはおろか常連の方々にすら意味が分からないものなのだがしかし、これは「敢えて格好悪い感じのを」なんて事を念頭においてそんなタイトルを付けている訳ではないのであった。
いや、意味はちゃんとあるのだが、まあそれは秘話という程の話でもないのでよしとするにしても、あまりに格好悪過ぎてマイナスイメージに繋がる様なら、サブタイトルは止めにしようかなあ、とは思ったりしている。



06/02/18(土) 第378回 恐怖の曲

前に、子供の頃は「だんだんだんだん」という曲が恐怖の対象でしかなかった、という話をした事がある。大きい音が苦手なものだから、曲の中でその名の通りだんだんだんだん音が大きくなっていくのに耐えられなかったのだ。
「何故大きな音が苦手なのか」というその理由を考えず、ただ「大きい音が苦手だ」という点のみに着目する限り、例え私以外の全ての人間がそれを「不思議だ」「変だ」と言おうとこの現象はごく普通のものである。それは私が雷や花火大会を嫌うのとほぼ同義だ。
しかしこの世の中には、他のどんな恐怖感情と併せて考えても説明付けられない「恐怖の曲」が存在する。DQシリーズの呪いの曲である。否、より適切に言うなら「セーブデータが消えてしまった時の曲」である。

この曲は怖い。何が怖いのかよく分からないが怖い。
シリーズによって若干違ってくるものの、しかしこの曲は確かにややおどろおどろしい感じではある。しかしそれは人が顕著に恐怖を感じるものと言えるだろうか。その問いには違うと答えざるを得ないのだ。何故か。DQのナンバリングシリーズは今や計八作登場しているが、その中でもこの曲をより怖く感じるのは、音による表現の幅が広がったPSでのDQ7、PS2でのDQ8であるよりはむしろ、FCのDQ3だったりする。つまり私が恐怖の対象としている音は言わばただの電子音、あまりゲームに明るくない人にとっては「ピコピコ」というぞんざいな擬音一つで片付けられてしまう様な音に過ぎないからだ。
やはり「セーブデータが消える」という衝撃的事件が相まってこその恐怖感情なのだろうか。いやしかし、こんな話もある。ある日、部屋の中ではしゃいでいた(子供時分の話である)のが祟ってFC版DQ3のソフトに勢いよく玩具のサッカーボールが激突、中のセーブデータの生存は絶望視される事態が起こった。しかし私はそれを受けて特に落ち込むでもなかった。何となれば当時そのソフトの中にはどうしても残しておきたいデータがなかったからだ。にも拘らず、私はセーブデータが無事だったかどうか、確認する事はしなかった。それどころか、以降数ヶ月にわたってDQ3をファミコンに挿す事すらしなかった。何故か。次にそれを起動させた時、まず一番に「あの曲」が流れる可能性が濃厚だったからに他ならない。
「音を消していればいいじゃないか」という意見もあろうが、しかし私は種々の「エラーメッセージ」も苦手(そういったメッセージを目の当たりにするとえも言われぬ気持ち悪さを感じる)だったりするので、中々そういう訳にもいかなかったのであった。そこまで不安視して結局データは一つたりとも消えてなかったんだからお笑い者となってしまったのだが、いやしかし、ねえ。

偶然にも今、テレビで「恐怖を引き起こす遺伝子が存在する」なんて事をやってるのを見た。そうだ、恐怖というものは何もトラウマを始めとした「過去の経験」から来るものが全てという訳じゃない。個人ではどうにもならない様な、遺伝子からくる恐怖だってあるのだ。
事によると、私の「呪いの曲」に対する恐怖が我が子以降の子孫へと遺伝したりするなんて事はあるのだろうか? 私自身の結婚予定はまだないが、その時期によっては、子供が十分成長した頃にまだDQが残ってる可能性は十分過ぎる程ある。そんな中で、我が子が「呪いの曲」にどんなリアクションを示すのか? 興味のない事もない。
現実的には、こんな些細な恐怖が遺伝するなんて事はないのかもしれないが、万が一我が子が私と同じ様にそれを「怖い」と感じたとしたら? 本人は堪ったもんじゃないだろうが、私はちょっぴり嬉しくなるかもしれない。



06/02/21(火) 第379回 宣言:FF7AC日誌は…

…昨日ので終わりです。ヒィ、すみませんすみません。特典DVD関連の話をするまで実に一ヶ月以上の時間を空けておきながら、何か特別な事を喋るでもなく昨日ので終わりです、すみませんすみません。

いやしかしだ、現実的な事を言うとだ、まだあれから第7回以降も書いていきたい気持ちこそあれどだ、でもFF7ACをもう一回悠長に見ていられるだけの余裕が残念ながらないという事なのだ。これはしょうがない。何せ忙しさのピークを越えて早二週間は経とうかという頃なのに、未だ満足にゲームも出来ないのだ。まあ、これはとかく時間を無駄にしがちな私自身の問題なのであるが。

ところで、NintendoDSにて「スーパーマリオブラザーズ」の新作が発売されるとの話を耳にした。(参照)
リンク先で紹介されている画像を見れば分かる事だが、2Dである。そして、「スーパーマリオブラザーズ」なのであった。何の事はない、一言で言うなれば欲しくなったのである。
我々ファミコン世代の人間にとって、「スーパーマリオブラザーズ」こそが至高のアクションゲームだと言う人は少なくなかろう。私はまあ至高とまでは言わないけれど、しかしやはり長きにわたって、今なお魅力を感じ続けている作品でありシリーズである。
1、2、3、そしてワールド、今だってたまにFCやらSFCやらを引っ張り出してきてプレイするこれらを、今までに通算で何度クリアしたか知れない。私はアクションの超人ではないから俗にスーパープレイと言われる様な芸当こそ身につけられなかったが、しかし常人は常人なりに、何らかの禁止事項を作る等したプレイだって楽しんだ程だ。
その、新作なのだ。欲しくならない訳がない。これだから任天堂は凄い。これだけ強力な財産は他のメーカーにはないからなあ。
さて、もしこのソフトを購入するとなった場合、一つ問題があって、何かと言えばそもそもNintendoDSを持っていないのだが、さてどうしたものか。
近く発売されるLiteを買おうか。いやいやいや、まだ新マリオは発売日も未定なんだから焦る必要はなかろうか。

前述の通りそもそもゲーム自体中々出来ていないのに、新たなゲーム機の購入を考慮したりする私。
気を付けろ、傍で殆ど動かしてもらってないPSPが泣いてるぞ。



06/02/22(水) 第380回 ピリリと辛味の〜ネコ型ロボット〜♪

アニメ「ドラえもん」が新声優陣に変わって久しい。そう言えば、もうそろそろ一年になるのか。
今更そんな話か、と思われるかもしれないが、仕方のない事ではある。何となれば、アニメ「ドラえもん」がテレビ朝日系列で放送している関係で、ここらの地方での放送は平日のしかも夕方なのであって、それが原因でまず同アニメをテレビで見る機会がないからである。即ち、声優陣が現在の面子に交代してから、その人達による「ドラえもん」を私はまだ数回しか見られていなかったのである。
そんな訳なので、偶然放送日の夕方に自宅にいて、尚且つたまたまテレビを点け、その時タイミングよく「ドラえもん」がやっていたりすると、私は今でもついつい「おっ、ちょっとどんな感じか聞いてみようか」ってな具合で「ドラえもん」を見始めてしまう。水田わさびさんのドラえもんを聞きながら、しかし同時に慣れ親しんだ大山のぶ代さんの声を思い出してみたりしつつ「ドラえもん」を見てしまう。大原めぐみさんののび太を聞きながら、「何処となく旧出木杉君っぽいかなあ」なんて事を考えたりしつつ一つ目の話を見てしまう。ドラミちゃんとか、たまにしか出て来ないサブキャラはどんな感じになってるんだろうとかいう事も気にしたりしつつ二つ目の話も見てしまう。
そんなこんなで、いつの間にかエンディングまでずっと「ドラえもん」を見てしまうのであった。

なるほどなるほど、さては、
声優陣交代の真の理由はそれだな!?(違)


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