06/11/04(土) 第561回 キモいな
「キモい」という言葉が割と一般にまで通じる様になったんじゃないかという位に一部世代の人間の間で蔓延して久しい。ちょっと調べてみるとこの言葉自体は二、三十年程前にはあったというから意外に思ったものであるが、そんな語学研究の見地からの意見は関係なくしてこれはあまり好ましくない傾向であると言える。
「キモい」 それがまだまだ普通の人達にそのまま通じる言葉ではなかった時代、それは「若者」という極めて閉じられた世界の中の人間同士でしか通じ合えないものであった筈で、つまりそれは一般人からすれば単なる「記号」でしかなかった。仮に巷の不届き者から「キモい」と言われる様な事があったにせよ、言われた側が感じるのは漠然とした「嘲笑されている」感でしかなかった事は容易に想像される。
だがそれも今は昔。若者言葉というものがこれまで以上の際立った特徴を持った、言ってしまえば奇異なものとして度々メディアに取り上げられる事の多くなった昨今、必然それら異文化言語が耳に入る機会の圧倒的増加傾向を避けられ得ない世の中にあって、いつしか「キモい」は、依然として限られた人々だけにしか利用されないものでありながら広く日本人の間に浸透する事になった。そしてその流れは、「キモい」と言われた時若者ならずともはっきり「『気持ち悪い』と言われている」と認識出来てしまう世の中を作り出す事となったのだ。それの一体何が好ましくないのか、という事だが、その性質上、あまり宜しくない意味で用いられる事の多い「キモい」であるから、意味をダイレクトに捉えられてしまうよりは多少なりともうやむや感のある方が、実際に言われる立場の人間からすれば相対的に好ましい事は明らかである。
ただ、私が「キモい」の意味を直感で理解出来る風になった事に憂いを感じるのは、何も言われている人がより傷付くからというだけではない。何しろ、「キモい」は客観的立場で聞いてすら若干の嫌悪感を禁じ得ないのだ。
その理由は、「キモい」にそこはかとなく漂う過ぎた独善性にある。「〜って、キモいな」という言葉、若者という生き物の「同志で群がる」という生態及びそこから連想される状況上他人に対して同意を得ようとしているんだなと考えられるこの言葉が、結局は貴方の主観でしかない事に、いささかの憤りを感じてしまうのだ。まあ大体に「キモい」の語源となっている「気持ち悪い」自体がどちらかと言えば主観的に用いる事の多い言葉ではあるのだが、それでも「キモい」をより主観的だと思ってしまうのは、そういった言葉を好んで使う人々が物事を自分中心に考えている(というイメージが私の中にある)事は無関係ではない。
「キモい」という言葉からして(主にメディアから)知りたくもないのに押し付けられた様なものであるのに、それを使って貴方一人だけのものでしかない意見について同意を求められたって困るのだ。まあ、同意を求められているのは殆ど全てのケースにおいて私ではないのだけれど、元が悪口である事が手伝ってその独りよがりな振る舞いに一人で腹を立てる毎日である。つーか、こうして気にもしなくていい事にいちいち愚痴を述べている事それ自体も腹立たしいよ。
独善性が気になるという点では私だって、「JASRACって、キモいよな」という意見があったとすれば、「ああ、それはああいう事やこういう側面をきちんと捉えてみた上での意見であって、ただの安直な悪口ではないんだなあ」と同意するにやぶさかではないのだけれど。ねえ。
06/11/05(日) 第562回 いや本当、キモいな
昨日言った所では「キモい」という感覚は主観による部分がかなり大きい、という事を述べていたが、実際、世の誰もが一様に「キモい」と思うものなんてない。勿論、「キモい」に限らなかろうが世の中の誰もが「凄い」と思う様なものなんてのもないし、同様に世の中の誰もが「怖い」と思う様なものなんてのもないけれども、それは至極当然であるとの前提の上で、そういった感覚に比べてもより個々人の意見にバラつきがあるんじゃないか、と、昨日の論説では言っていたのである。
で、それを受けて思った。「キモい」という感覚に大きく個人差があるのなら、観点を変えればこう言う事も出来る事になると。「一般にはキモくない行為、活動、及びそれに従事する人に対しても『キモい』と思う人は存在するのではないか」
例えば、テレビゲームのやり込みプレイヤー。こういった種類の人は割と多くの人から尊敬を集め易い傾向にある。かくいう私もその一人である。だがテレビゲームをプレイしない人から見てそういった人間はどう映るだろうか。まあ、あまり快く受け取られる事はないだろう。RPGでタイムアタックをしているプレイヤーが幾度も幾度も(ともすればイラつきながら)リセットを繰り返している様を見れば「この人は何やってるんだろう」と思わない筈がないのだ。そしてその見る側の人間がテレビゲーム嫌いであったとしたら。その人は感じるだろう。これまでに目にした他の誰よりもテレビゲームというものに情熱を燃やし、目の前のそれに没頭している一人の人間を見て、「キモい」と。
或いは、勉強の虫。いや、この場合「虫」という表現がそもそも悪いかもしれないが、ともかく一心不乱に勉学に励んでいる人はさてどうか。それは大学受験を控えた高校生かもしれないし、司法試験に向けて頑張っている弁護士志望者なのかもしれない。私は思う、己の目標に向けて脇目も振らず努力する姿の何と美しい事か。自分自身が今「あの時真剣に勉強していれば」と思う事があるからこその思いだ。だが世間はそう感じる人間だけで成り立ってはいないのである。「ガリ勉」という(やはりあまり良い意味には取られない場合の多い)言葉が存在する事からも分かる様に、これを「何あんなに必死になっちゃってんの、キモい」と斬り捨てる輩は必ずや存在するのだ。
これらの例に対しては、「いずれもインドア傾向にあるからキモく見えるのだ」と主張する方がおられるかもしれないが、しかし現実はそういう訳でない事をここで言っておこう。幾らアウトドアに傾倒した人間であろうが、幾ら一般には爽やかと言われる活動をしている人間であろうが、「キモい」と感じる人はどうしたって「キモい」と感じるのだ。例えば釣り人なら、魚がかかるのをジッと待つその姿に対して「何であの人微動だにしないんだろ、キモい」と言われるだろう。スカイダイバーは、何でわざわざ自分から死にに行く様な真似をするのかと、その思想からして「キモい」と言われてしまう。では、陸上競技とかいう何処を取っても爽やかなスポーツを嗜んでいる人なら大丈夫かと言えばそういう訳でもなく、そういった人々は心ない者からの「筋肉質キモい」の一言でいとも簡単に撃沈してしまうのだ。
この感じでいくと、この世の全ての人間は特定の人から見て「キモい」のかもしれない。そう、テレビでよく見るあのタレントも「キモい」 好感度調査常連のあの芸能人も「キモい」 今は亡きあの歴史上の人物だって同じ様に「キモい」し、一国のトップに立つあのお方だって当然「キモい」のだ。
ただ、その中にあっても群を抜いて「キモい」のは、昨日から「キモい」についてグダグダグダグダどうでもいい事を喋り倒しているこの私だけどな。
っていう、オチで締めると思ったでしょ。
いや、思ったんだけどさあ、本当に群を抜いて「キモい」のって私じゃなくて、「キモい」私が書いたこんなにも「キモい」文章をこうして今読んでいる、あな……
あっ、あっあっ、すいませんすいません。起こらないで下さい。申し訳ありませんでした。この通りです、許して下さい。どうかどうか…
あっ、あっ、殴らないで下さい。
06/11/06(月) 第563回 強力寒気到来の原因
昨日の夜から今朝にかけて、そして今夜、この二夜連続で寒冷前線が通過して大気の状態が不安定になって雷を伴う雨が降り、尚且つ明朝はこの秋一番の寒気によって実に今日よりも5℃〜7℃低い気温になる上大気の状態が不安定になって雷を伴う雨が降る、という事らしい。どんなだ。この天気のせいで、本来なら昨日更新しておきたかった「歪曲」が書き切れなかったではないか。いや、これは本当だ。明日は明日で風が強いらしく、ともすると電車がまた遅れるんじゃないかという懸念があるのであるが、その明日は仮に多少(=数時間程度)遅れようが休んじゃならんっつー事で今から憂鬱でならない。流石に運休になるまでの荒れ様じゃなかろうし。
ただまあ、雷もきついけど、でもここいらは明日の昼頃から回復に向かうっていうからそれを思えばまだ救いはある方か。それよりも厳しいのは、寒暖の差だな。今日、明日、明後日の最高気温の推移が19℃→13℃→20℃って何これ。これはあれか、お前は風邪を引けという風に大自然様が仰られているのかな。何度も言っている様に私は例年馬鹿の一つ覚えみたいに秋から冬にかけての時期で風邪を引く人間であるけれど、今年は色々と気を遣ったのが功を奏したか知らないが今日まで風邪らしい風邪にはかからなかったんだ。でもそれは大自然様からしたら、何やってんのと、そういう事なんだろうかね。お前はこの時期に風邪を引いてこその男だろうと。今風邪を引かないでいつ風邪を引くんだと。お前という人間のアイデンティティーは、これから寒くなるって時期に鼻水でも垂らしながら周囲の人間に菌を撒き散らし、多大な迷惑をかけ、もって初めて示されるんだぞ。初冬にティッシュを多用しないkemkamなんてkemkamじゃあないよ。そんなお前には幾許の魅力も見出せやしないな。がっかりだね。失望するよ。お前はただの人間だけど、毎年馬鹿みたいに決まった時期に、俺達の思惑通りに体調を崩してくれるのを見てて、もしかしたら他の奴らとは何か違うんじゃないかと思ってたんだけどな。残念だ。所詮お前もただの人間か。ただな、お前がそう出てくるってんならこっちにだって考えがある。お前が今年は頑として風邪を引くつもりがないって言うんなら、無理矢理にでも引かせてやるからな。覚悟してろよ。
さしずめ、そんな所か。
という訳で、私のせいで明日は日本海側を中心に気温が大幅に下がりますので該当する地域にお住まいの方はくれぐれもお気を付け下さいます様宜しくお願い致します。
06/11/07(火) 第564回 タイムアタック雑文
本日は、明日までに仕上げればならない資料がまだ出来上がっていない関係で、サイト更新作業にあまり時間を割いていられないので、今から10分間だけ時間を持って文章を書き殴り、それをもって今日分の更新とする。はいスタート。
とにかくこういう事態になったのは、あれだけ念を押して日曜日までにはここまでやって来いと言っておいたその人が、日曜日の時点で仕上げていなかったばかりか何だったら今日になってようやく重い腰を上げやがった事に殆ど起因する訳である。前にも言ったが自分の落ち度でない事が原因で不当な程に困窮させられる事の何と理不尽な事か。これで私は私で押しの弱い人間であるからこれと言った文句も言えないし、そんな自分にも失望だ。
しかしとにかく今日は昨日言っていた通りで今年一番の寒さであった。各地で猛烈な荒れ模様を見舞った寒気さんはやはり伊達じゃない。ただ明日は明日で、朝の気温が5℃で日中の気温が20℃だそうであるからこれも困ったものであるが。一体この気温の変わり様に対して私は明日、どんな服装でもって奴めに挑みかかっていったらいいんだろうか。温かい格好をして行けばそれこそ風邪だけは免れようが、でも暑いのもねえ。
んで、寒気と言えば今朝方の雷雨は、思っていた程じゃなかったにせよ酷かったもんだ。何度も述べてきている通り雷が大の苦手の私にしてみればいつ落ちるとも分からない今日みたいな状況なんてのはかなりの地獄。午前5時頃に敏感にも雷の音で目を覚まし、それから幾許かの雷雨タイムを寒さとも恐怖とも知れぬ震えに見舞われながら過ごしていた時には、これから一時間余後に訪れる外出時にもこんな天気だったらどうするんだ自分、と、相当不安に思っていたものである。幸いこの程の雷雲は30分程もして去って行かれたから良かった様なものの、長い目で見れば「外出」と「雷」のコンボにだっていつかは出くわすのだ。考えたくもないねえ。これといった対策もないし。雷鳴ってるからってそれだけで休める様な国でもねえし。
よーし、10分。本日はここまで。また明日。
06/11/08(水) 第565回 世界の命運を握るのは誰だ
いやー、何とか山を越えた。これでこの先一週間かそこらは割かし平穏だろう。この内にこの前書き切れなかった更新ネタを完成させとこう。後あわよくばFF12も。
しかし、何と言っても10分である。いつも「雑文」の更新に充ててる時間からするとかなり短かったけれども、追い詰められてみると何とかなるもんだね(実際、寝る時間ギリギリまでかかってようやく最低ラインを超える質のものが出来上がったので、本来なら昨日分の更新はなしという事にしとくのが大人としての正しい対応だったんだろうけど、でも「タイムアタック雑文」とかいう単語がふと浮かんで来ちゃったんだから仕方がないという奴で)。
それから一昨日のもそうだ。一昨日は昨日みたいな忙しさはなかったんだけれども、音楽を聴く事と集中作業とを両立出来ない私が大音量で音楽聴きながら(雷対策)書いてたんだった。雷そのものとの戦いもある中で、それでもなおタイプ手が順調だったのはやっぱりあれか、あの日書いてた事がいつもに増して出鱈目で無責任感溢れるものだったからか。いや、やっぱり真面目な文章書くよりもふざけた文章書く方が、結果どっちが面白いかとかは別にして気分的に楽だものね。「初冬にティッシュを多用しないkemkamなんて」とか言ってる方がね。
あーあ、いつもあれ位のペースで文章まとめられりゃなあ。そしたら、日々のサイト更新にかける時間は短縮されて、その空いた時間で目下絶好調停滞中のFF12二周目を進められて、今頃には(そういや本当に未クリアで立冬を迎える事になったが)とっくにクリアしており、MGS3S二周目もやって、FF7DCもやって、かなり忘れ気味になっているFF7アルティマニアΩだって読破し、趣味面での充足感を得られた事で生活全体に良いリズムが生まれ、適度に息抜きをしているから業の方も順風満帆になって、その内生活に金銭面での余裕が生まれ始め、それは延いては時間的余裕をも生み出し、そうして少しずつ満ちていく私の幸せが私の周りにいる友人知人に伝わって、またその幸せが友人の友人に伝わり、またそれが友人の友人の友人に伝わり、果てに世界は平和になるんだろうに。
という訳でね、世界はもうしばらくの間はギスギスしますよ。
はい、残念なお知らせでございました。
06/11/09(木) 第566回 時間は無理すれば割けるが、雷は避けられない
昨夜一、二時間程サイトにアクセス出来ない時間帯がありましたが、こういう事も初めてじゃなし。こうなるとインフォシークが潰れる のも案外近い将来なんじゃないかと邪推してみたくもなるけれど、それは流石に言い過ぎか。
ってか、またもや寒冷前線が接近中で雷雨の兆候あり。何なんだろうかここ一週間の天気は。夏場とかよりもよっぽど荒れてる気がするが。
そういう訳で、こんな下らない文章書いてる余裕が真面目にないので今日はここまでという事で、ね。
時間的拘束がある時よりも追い詰められて何も書けないってのは、やっぱりこれ相当だな。
追記:今日分を更新しようとしたらまたサーバーダウンの模様。やっぱり潰(以下略)
06/11/10(金) 第567回 次代の雄は明日動く
ようやく今日から通常営業、と、いきたい所なのだが、依然として天気は回復せず。今夜も、明日も、明後日も大気の状態は安定してはくれないそうで、こんなんじゃこの週末もゲームは出来そうにないだろうかね。辛いなあ。まあ、今週はいつになく忙殺されたから、身体だけでも休めるとしましょうかね。
さて、とんでもない事に気付いてしまった。明日、いよいよ次世代ゲーム機の筆頭「PLAYSTATION3」が発売になるという。
まず何はなくとも驚いた。いつの間にやら、である。「あ、もう発売?」といった感じで割とあっさり迎えたなあという印象だ。これは、私が今年中にそれを買い求める可能性が0であるという事の表れであろうか、それとも世論を的確に感じ取ってのものであろうか。
ただ、このPS3については、これまで身をもって感じてきたどの次世代機についてよりも注目している。何しろ、PS2の時は(インターネット環境がなかった事も手伝って)あまりあれこれと考える事もなくて、何だったらかなり純粋に「ああ、欲しいなあ」と思っていたばかりだったと記憶しているが、今回は少々事情が違うのだ。
当サイト内でPS3についてはFF13と絡めて第429回 、第430回 、第431回 で書いているが、そこにもある通り、というかこうしてわざわざ引き合いに出してみなくたってお分かりである様に、今回は「PLAYSTATION」にとって一つ正念場と言えるポイントだ。もしかしたら今回――それはそれこそ明日かもしれない――を境に、ソニーがゲームハード業界の第一線を退く事になるかもしれない。仮にそうなったとしたら、PSをプラットフォームとしたあれやこれやのゲームソフトはどうなろうか。
まあPSが死んだ所で、かつて任天堂からソニーへと場を移し、今もって「最も売れているハードで出す」という精神らしいDQシリーズであるかの様に、しれっと別のハードへ新天地を求めていけばいいじゃないか、と思われる方もおられるかもしれないが、そこは大人の世界、中には色々あったりするものだからあまり話は簡単じゃないというものだ、と思う、知らんけど。
と言うか、そういう先々の話とか業界内部の話とかを考えなくとも不安は一杯だ。単純にPS3自体に深刻な問題が発生してしまったらと考えれば。何だ、これについてもかねてから発熱がどうだ、消費電力がどうだ、恒例の時限式自爆装置がどうだと騒がれているけれども、そういった懸念が明日以降、割と早い時期に表出してしまったとしたら。考えるだけで心配である。
万が一にもそういう事になったとすれば、一年としていた様子見の期間をどうしてももう少し長めに取らざるを得なくなるだろう。がしかし、その期間中にも容赦なく報告される不具合の数々。世間的にも買い控えが進む中、私だけが意気揚々に(当初発表よりも安くなったとは言えまだまだ気軽に買える訳のない)PS3を購入出来る筈がないのだ。どうして、そんなリスクを負う事が出来るだろう。
そう、PS3の失権。それはそのPS3というハードで発売される予定となっているFF13やFF13のヴェルサス、それからMGS4、のみならず是非ともやってみたいと思っていた…えー……えーっと、あのー……とにかくそれら作品を実際にプレイ出来る日そのものが直接的に遠くなっていく事を意味するのだ。だからこそ思う、どうかトラブルよ起こってくれるな、と。
……ってかね、そうは言うけど、やっぱりPS3でやりたいゲームがFF13とMGS4だけじゃトラブル云々とは関係なしに買うのを躊躇しちゃうかも。
06/11/11(土) 第568回 PLAYSTATION3発売
そんな訳でPS3発売の今日、田舎なんかじゃ目立った動きがあった訳ではなかったが、所によっては騒ぎもあったりした様で。それもそうかねえ。初回出荷台数が10万台だ9万台だとかいう事じゃねえ。何かこれについても色々と話を聞くけど、凄いのは、そのいずれの話を聞いてもPS3に対する心象が下がるばっかりっていう現実だよね。
さて、とんでもない事に気付いてしまった。勿論、今日発売のPS3の事についてである。
この程のPS3には、諸々の事情によってコントローラー(「SIXAXIS」)からデュアルショック機能が取り除かれる事となった。この話を聞いた時は、「別にPS3のコントローラーで振動機能が使えないのなら、PS2のコントローラーでプレイすればいいよな」とか思っていたのだけれど、よくよく調べてみたらPS3にはPS2以前のPSコントローラーを接続する端子がない為、どうやらPS3では振動機能を一切利用出来ないという事らしい。
で、それを受けて思ったのである。これは単なるポーズなのではないのだろうか。PS3で振動機能付きのプレイが楽しめなくなったその仕様は、当初からの狙いだったのではないのだろうかと。つまりこうだ。もしかしたらPS3では、今でこそまだ振動機能を搭載してないがその内いきなり機能を復活させてきて、それまでに発売したソフトの内の一部を「振動機能付き版」として再発売するつもりなのではないか。そう思ったのである。それはあたかも、かつてのデュアルショックバージョン発売に至ったバイオハザードシリーズの様に。それをやれば事実上売上げを底上げする事も出来る訳だ。人気作品は二度売り付ける、という魂胆である。バイオハザードの夢よもう一度。いや、バイオハザードがデュアルショックバージョンの発売によって作品全体の売上げをどの程度伸ばしたのかは知らないが。
という事で、ハード側に訪れる事が想定される苦戦をある程度ソフト側で補えるという画期的なアイデアであるが一つ問題なのは、デュアルショック機能自体は権利関係によってそっくりそのまま復活させる事が出来ないという現実だ。
いやしかしこの現状にあって、恐らくSCE陣営は今新たな振動機能の実現に尽力しているのではないか。そしてそれは、いざハードが(ことWiiの登場後に)苦境に立たされた時、日の目を見る事になろう。
うーん、一体どういう形での振動機能になるのかね。ただ振るわせるだけじゃ現行のデュアルショックを上回る衝撃なんて与えられ得ない訳だから…いよいよ軽い電流でも流して表皮そのものに痛覚を通す刺激を与える位しなきゃならんか。
06/11/12(日) 第569回 kemkamはグローバリゼーションレベルがあがった!
随分と久し振りに本格的な英文を読む事になってしまって、ただいまてんてこ舞いしている最中である。つくづく英語は駄目だねえ。一時は原文を全部Wordファイルか何かにコピーして、それをhtml形式で保存して、サイト内の何処かにでもアップロードして、それをウェブ翻訳サービスで翻訳してやろうかとも思ったけれども、いやいや、流石にそれは反則気味なので止めておいた。やはり何かとグローバル化だ、異文化交流だと言われる昨今(それにしたってちょっと前の話か?)、英語を修得している事によって得られるアドバンテージは、ある程度有効活用していこうという積極性こそ要るとは思うがかなりなものであると言えよう。
そうだそうだ、ここは自力で読み解いていこうではないか。そうする事で、自分の中に僅かばかりであるにしても経験値を溜めていこうではないか。勿論、そこいらのRPGとは違って折角溜めた経験値も時間と共に失われていくであろう。普段英字新聞でも取っている訳でなし、毎日インターネットに興じているからと言って海外のサイトを覗いてみたりする訳でなし、むしろ適当にリンクを踏んで飛んだページが英語ばかりだったら題字すら見ずに即刻戻ってしまう私にはレベルアップという概念すら無縁であろう。実際に、いざ久方振りになる英文に触れてみたら何がスラスラと読めたものかという感じだったではないか。で、折角今回の英文を根性で全て和訳し切れたにしたって、それを期にじゃあ本格的な英語の勉強でもしよう、なんて事を決意するかと言われれば、絶対にそんな事はないのだ。そんな私に、レベルアップ等という現象は生涯かかってもお目にかかれないものであろう。
レベルアップ。テレレレッテッテッテー♪ あの素敵な音楽を聴く事は私には叶わないのだ。自分自身の怠惰が祟って、私はいつの世にもグローバリゼーションのレベル1に留まり続ける運命であるのだ。しかし世は非情である。これだけ国外との関係性を密にしようという機運の高まっている近年にあって、我々は日本人でありながらいつ英語を話さなければならない状況に遭遇するのか分かったものではないのだ。事実、東京だのいう都市圏でなくたって私の生活圏ですら外人の方をお見かけする事は思う程珍しくもない。
そう、例えばいきなり出くわすのだ。「Could you tell me where the station is?」とかいうベタもいい所なセリフを発する外人の方に。あたかも、RPGで言う所のモンスターとのエンカウントであるかに好ましくないものとして。そしたらどうするか。まず、慌てるだろう。それもそうだ、私を誰と心得ているのだ。グローバリゼーションレベル1の駄目人間であるぞ。相手は生まれも育ちも英語圏なのであろう強敵。さながら私は、余裕しゃくしゃくといった笑いを浮かべたゲマに挑みかかる非力な子どもである。或いは、正体を現した竜王と戦うレベル16以下の勇者である。念願のアイスソードを手に入れたガラハドと言い換えてもいい。かようにも弱き存在である私は、もしもその様な場面に対峙してしまったとしたら、すぐにでも敗北を宣言しなければならないのであった。こんな感じで。
外人「Could you tell me where the station is?」
私「Your states to make what, you know!」
※参照
06/11/13(月) 第570回 バスは心臓に悪い
毎日路線バスに揺られる生活を続けていると、時折正面に表示されている電光掲示板の「次のバス停」と、「次は、○○○○です」の様にアナウンスで伝えられる「次のバス停」とが1つずれていたり、食い違っていたりする場面に出くわす事がある。
これは、帰りの際は除くとして、行きの時には基本的にウトウトとしており、「そろそろ起きなければ」というタイミングを随時流れるアナウンスにて判断している事の多い私にとって、かなりの痛手にもなりかねない現象であると言っていいだろう。何しろ、(アナウンスの方がずれている場合には)自分の現在位置が耳へ入ってくる情報のみでは知覚出来ないのだ。例えばバス停1つ分ずれているならずれているで、だったら、アナウンスされたバス停の1つ先なり後なりが次に停まる場所なんだな、と思えば良さそうなものであるがそうもいかない。如何せん私はウトウトしようとしているのだ。ウトウトしている時というのは起床直後の状態にも似て、判断能力が著しく低下する事がよく知られているが、そういった状態で本来とは違うバス停名を聞かされて、即座に本来のバス停への情報修正が頭の中で行えるかと言われればそれは怪しいと言わざるを得ないのである。
対して己が置かれている状況はと言えばどうか。仮に幾許の睡眠時間を得たいと思うばかり、ずれているアナウンスを耳だけで聞こうとしてうっかり本来降車する予定であったバス停を通り過ぎてしまったとしたら。流石は田舎だ。対向のバスなんてものが都合よく即座にも現れてくれる筈はないのだ。バス停1つ分の距離であれば徒歩移動の方が幾らも速いだろう。だがしかし、最善の策を講じ歩く事にしたって、渋々走ってみたって遅刻は確定である。寝坊した訳ではない、電車も正常に運行した、だのに最後の最後で(完全には)寝てもないってのに乗り過ごし。一旦は目的地にまで最接近を果たしたのに華麗にスルー。そんな格好悪い事があってたまるか。だから、こういうケースに遭遇すると私はおちおちウトウトともしていられなくなるのである。
アナウンスを愚直に信じた結果乗り過ごしてしまうのは、アナウンスが本来の位置と比べて遅れている場合に限られはするけれども、じゃあその逆で、アナウンスが現在位置よりも先行していたら別に問題はないのかとなると、そういう訳にもいかなかったりするから厄介である。
何せ、本当はまだ目的地じゃなくて、繰り返し乗ってる分「まだ降りる所じゃないな」って事が何となく身体でも分かってるのに、不意に目的地名がアナウンスされたら驚かされちゃうでしょう。「驚く」ってのは一般には心臓に悪い事だから、即ちこれは宜しくない。更に事によると、慌てからついビクッとなっちゃうかもしれない。「ビクッとなる」のもこれまた心臓に悪いからやっぱりこれも宜しくない。どうだ、アナウンスが先行しているという現象は乗客の心臓にこんなにも負担をかけているんだぞ。これを問題として提起せずして何を提起しよう。いずれにしろ、遅刻と比べたら随分と重要度が落ちた気がしないではないけれども。
いやいや、でもだ、さっきウトウト中は判断能力が鈍るって言ったけど、下手したら誤った判断を下して目的地前なのにも拘らずそのまま降りてしまったりするかもしれないからやっぱりこれは大問題だね。誰に何と言われようとも大問題だね。うむ。
ともかくかかる具合に、私にとってバス内に流れるアナウンスの重要度は往路に限り高い。だもんで、バスの運転手さんにはくれぐれも電光掲示板表示とアナウンス内容との同期を取る事に常々気を遣って戴きたいものだ。
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