06/11/14(火) 第571回 スタントバスドライバー
という事で、アナウンスと表示とがずれているとおちおち眠ってもいられない、という事情がある。止めてほしいとは思っているし、起こすべきでない事は勿論であるのだが、人間の仕事である、どうしてもたまには失敗だってしてしまうのは仕方がないことなのかもしれない。
だが、私の普段利用する、降りてきた踏切の遮断機をバス車体上部にぶつけるとかいうテクニックを見せてくれたりする某バス会社はやはり一味違った。言わば電光掲示板表示とアナウンスとの食い違いなんてのは誰でも起こし得る平凡なミスであるが、ここはその一つ上を行ってくれたのだ。
それと言うのも、
「電光掲示板の示す次の目的地」と、
「アナウンスされた次の目的地」と、
「実際の次の目的地」の3要素全てがちぐはぐになっている
という荒業である。どうだ、これは他のバス会社には中々真似の出来た事ではあるまい。
間違え方もまた豪快であった。アナウンスが1区間分ずれていて、表示が2区間分ずれているとかいう生易しいものではなく、表示とアナウンスは(駅出発→終点到着→折り返して駅まで、という往復路1サイクルで運行している場合の)復路の方のバス停名を示していたのである。つまり、往路走行中の我々からすれば終点近くのバス停名を提示されちゃっていた訳だ(それですら、実際に終点まで乗った事はないのだから恐らくそうであるとしか言えないが)。表示とアナウンスのずれという駄目押し付きで。
流石にあの時は、あまりの展開に驚かされたねえ。アナウンス一つずれるだけでウトウトとも出来なくなるのに、こんな事されちゃあもうそんな悠長な事言ってられなくなる様なもんだけど、いやいや、この時は逆にあまりに展開がレア過ぎて寝る気にはなれなかったね。一体この先どうなるのかと。折角楽しみにしてたのに割とすぐにおかしいと気付いたか正常に戻されちゃったのには残念だったけれど。
つーかあれ、普段からあの路線を頻繁に利用している私だから素直に希少さを楽しんでたけどさあ、万一初めて利用する人とかが乗ってたりしたら混乱とかの話じゃなくなるだろ。やっぱりその辺、先方さんは凄いよなあ。今度はどんな離れ技を見せてくれるんだろうね。
06/11/15(水) 第572回 とろけるヨーグルト
「それは、とろけるヨーグルト……
(お、美味しそう)
……みたいなワックス」
………オエェェェー!!
参照
06/11/16(木) 第573回 遂に来たこの時
PC破損!!
家にはもう一台古いのがあるから更新には事欠かないけども、現行のは修理に出さなければならなさそう。
つー事で、これから決死のバックアップ作業に入るので、本日はここまで。
さあ、完全に死ぬ前に全てのデータを救い出せるのか!? 乞うご期待!!
ねえ、冗談じゃねーぞ。
06/11/17(金) 第574回 大きくなって帰って来いよー
人間誰しも、多少はテンションの高い時と低い時というものがあって、ある程度でも自分でそれをコントロール出来さえすれば人間の人生というやつも後ちょっとばかりは有意義なものにもなろうに、なんて事を考えたりするが、いや、昨日はねえ、そのテンション云々で言ったらハイテンションだった訳。一昨日良い事があったからさ、それを次の日まで引きずってた訳。そりゃあ、気分良かったねえ。ここの所ゲームは出来ないわサイト更新は出来ないわ人様のせいで不当に忙しくなるわ雷なりまくりだわで精神的に相当荒んでたからね。
でだ、そんな余韻もそろそろ冷めようかな、という昨日の夜だ。お風呂を済ませた私は、さて今日の「雑文」でも書くかいと、今日だって「ゲーム日誌」じゃなくて「雑文」の方を書きましょうかいと、テーマは昨夜の津波関連の事にでもしようかなと、そう思ってパソコンを立ち上げたのだ。そしたら。
突然の出来事であった。Windowsやらのロゴから次に個人認証画面に移ったその直後、画面が真っ暗になってしまった。どうしたのか。タッチパッドでカーソルを操作しようとしてみるが応答はない。Ctrl+Alt+Deleteしてみるが応答はない。一応こういう時の慣例としてバシッと一撃叩いてみたが、やっぱり応答はない。
しばらくすると、ある一つの事実に気が付いた。画面は真っ暗になった訳ではない。よくよく見ると、ちゃんと認証画面が表示されているではないか。そこには、普通に明るさ調節した場合における一番の暗さをを遥かに凌ぐ暗さで、だがしかしちゃんと普通の、いつもみるお馴染みの画面が表示されていたのだ。それが証拠に、キーボードを叩くときちんと文字が入力されたらしき事が見て取れた。
結論から言えば、ディスプレイが壊れたという事だったらしい。明るさ調節しても全然反応がなかったし、ライトに異常を来したか。ともかく、ハードディスク関係のトラブルでなかったらしい事は、瞬間私を安堵させるには十分な事実であった。
とは言え、昨日はそこからが地獄だったよそれはそれは。殆ど見えない画面を前に重度の近眼よろしく目を近付けて必要データを根気よくバックアップする作業のどれだけ厳しかった事か。
ただまあ、そんな苦労の甲斐もあって、消えちゃ困るデータについては粗方CDへ落とし込んだ上で今日、無事に修理に出せたのでそれは良しとしようか。確実に目には悪かったろうけどな。
話によれば、順調に修理が行われれば一週間程度で終わるとの事。という事は、再来週の初め辺りに受け取りってとこか。
それまで約10日。しばらくは旧パソコンを使っての作業となる。辛抱だねえ。我慢だねえ。
あれ、いつぞや振りのハイテンションは何処行った。
06/11/18(土) 第575回 WindowsXPをこんなに愛しく思った事はないよ
折角降って湧いたネタなんだから大事に扱おうじゃないかって事でもう一日ばかり引っ張ってみるのだが、思い起こせば、先日お亡くなりになられたパソコンを買ったのは2004年の事であった。で、今使っている旧パソコンを買ったのは確か1998年だかの話。という事は何とまあ、日々とてつもないスピードで進化するコンピュータ業界の歴史を6年も遡ると言うのである。OSはWindowsXPからWindows98へと移行した。必然的にがた落ちするコンピュータの処理速度。遅々として進まない作業。失われていく時間。募るイライラ。
いやいや、確か、このサイト開設初期の頃はまだ普通にこのパソコンを使ってサイトを更新していた筈であるのに、技術の進化を身をもって体感した人間はたった二年でこうも変わるか。まだ修理に出して一日かそこらしか経ってないのに、早くも限界が見えてきたぞ。今もってWindows98及び1998年製造のパソコンをご利用の方々、すみません。
いやでもさあ、私がこうして憤慨しているのは、単に処理速度の遅さだけが原因じゃないんだ。何しろXPから一挙に98にって言うんだから、一昨日まで6年前のパソコンで動かす予定なんてあった筈もない一部プログラムを動かす為の環境をこっち側で再現するのが大変で仕方がないのだ。
例えば、どうしてもPowerPointファイルを参照、編集する必要があったのだが、このパソコンにはどうやら入ってない。無論、入ってないからって10日間何もせずにぼやぼやしてたら色々ととんでもない事にもなりかねない訳で。しょうがないので、そのちょっとした編集の為だけにOpenOffice.orgをインストールする羽目になった。まあ、インストール自体は手間でも何でもないけどさ、如何せんパソコンがパソコンなだけに時間を食うんだこれが。
これで今度はJavaの開発環境を整えなきゃいかんのだよな。他にもあれやこれや。これ、その内時間よりも空き容量の方を気にしていかなきゃならなくなるんじゃないのか。
まあ、大丈夫か。いざとなったらOpenOffice.orgをアンインストールすりゃいいや。粗方役目も終わったし。
06/11/20(月) 第576回 「576」
ぬかった…
前回の雑文って第575回だったから、それとかけて俳句ネタ辺りで行けてたのに。目の前の惨劇にばかり目が行っちゃってた俺の馬鹿馬鹿。
とは言え折角のネタをスルーしちゃうってのはあまりに勿体ないのでここで一句。
iPod
充電出来ぬ
もどかしさよ
字余り。
06/11/21(火) 第577回 有限資源の使い道
その事に気付いたのは昨日、今週もいよいよ始まり世の誰もが昨日までの天国であるかの日々に分かれを告げ、ある者は気持ちも新たに、ある者は眠気の覚めやらぬ顔で、ある者は心底面倒臭そうな面持ちで迎えたのであろうあの月曜日の事であった。iPodが充電出来ない。
先日から自分だけが大騒ぎの(実際データ消滅とかいう大惨事には一切なってない訳なのでその実妥当と言える)パソコン故障騒動は、ただただ、主にパソコンを用いて行う作業――サイト更新や諸々の資料作成、幾分かのプログラミング等々――の進捗効率を多少下げる程度の影響しか及ぼさないものと思っていたのに、それは間違った認識であったのだ。
iPodが充電出来なくなったという事くらい、一体何だと思われるかもしれないが、しかしこの事実は、今の私にとって重大な事由である事はここで強く述べておきたい。
いつだったか、私はiPodを用いて電車やバスでの移動中なりに音楽を聴くという行為を、「所詮は受動的行為なのであって、その行為に意義があるとは言い難い」なんて斬り捨てつつ移動中に本を読む事の素晴らしさみたいなものを偉そうにも説いていた。当時の私だったらば、或いはiPodが充電出来なかろうが大して痛手にも感じなかったのかもしれない。
だがそれも今は昔。最近の私は本を読む事の有用さ(普段時間がなくて読めない分やはり貴重だ)はまだしっかりと堅持しつつ、でも同時に音楽を聴くという行為に打って出る事が多くなってきている。いや、読書との両立なんていうケースを考えなくとも、何とも眠くて本なんて読んでられね―よという時に音楽は音楽にしかなし得ない至高の安らぎを与えてくれる事だろう。かかる具合に、やっぱりiPodはまだまだ私の生活に潤いを与えてくれる必須アイテムであるのだ。
そこに来て、充電出来ないときた。これは困った。我がiPod nanoのバッテリーは、毎日充電してた様なものなのであまり意識的になった事はないが、恐らく7、8時間かそこらという所だろうか。対して、日々の移動にかかる時間は眠ってばかりの往路を省いて考えるにしても週12時間には恐らく上るだろう。明らかに足りないのであった。
この問題を解決する手段の一つには、一日当たりの音楽再生時間を一時間前後に抑えるという考え方はあろう。幸いにもCDアルバム一枚に収録されるデータ量は一時間程度である事が多いから、中途半端な所で終えなければならなくなる様な事もそうは起こらない筈だ。
だがしかし、現実はそうはいかない。実はこの件の抱える問題は移動時間長に対するバッテリーの不足というただそれだけの事ではない。むしろ帰りの電車内で音楽が聴けないなんてのはどうでもいい事だと言ってもいいだろう。
真に重要なのは私が、購入からもうじき一年になろうかとしているあのiPod nanoを雷雨発生時の拠り所としている部分があるという事実である。そう、何度も言う様に大の雷嫌いの私は、最近では雷が鳴ったとみるやiPodをやにわに取り出し、いつもより気持ち大きめの音で音楽を聴く事である程度不安感を和らげる事がよくあるのだ。
言わば「奥の手」 しかるにその手段を自由に行使出来ない(何故ならばそもそも雷雨というものは二、三日にわたってその「起こり易い日」が連続する事が珍しくなく、そうなると限りあるバッテリーを温存する算段も必要となってくる)現実に直面した私の苦悩は、想像に難くあるまい。いや、難いか。
とにかくだ、早いとこパソコンが修理し終わってくれないと、時間が経つ分だけ色々大変な事になりそうだ。何か、早速明日には荒れ模様の天気とも言うし…
06/11/22(水) 第578回 ガリガリ君デジタル
昨日のネタを書き上げた頃になって気付いた。もしかしたら、私はとんでもない勘違いをしていたかもしれない。再三iPodが充電出来ない充電出来ないと言っていたが、よくよく考えてもみればWindows98では諸々の操作編集こそ出来ないかもしれなくてもUSBポート自体はあるのだから、充電だけであれば出来るかもしれないのだ。
充電さえ出来るのなら、ここ数日私を悩ませていた問題の一つはひとまず解決の運びとなる。
やってみた。
(新しいハードウェアが検出されました。必要なソフトウェアを探しています)
ガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリ……
う、うわー! CPU使用率が! ただでさえ遅い処理速度が!!
結論:iPodは充電出来ない。
06/11/23(木) 第579回 心労患者
皆さん、ねえ皆さん、今日も今日とて勤労に感謝し、生産に感謝しつつ勤労に従事してますか。日本人は大変だねえ。一体この日本に、国民の祝日にも国民の祝日らしく過ごせない国民がどれだけいたもんだか。
しかし不思議なものである。前述の様な事を言っておきながら私は私で今日一日家に篭もりっ切りであったのだが、こうして丸一日分自由時間が増えても身の回りの「消化しなければならないタスク達」の状況に大した変化が見られない。責務を問わず遊びを問わず、己に課せられているあれやこれやの課題が丸一日経っても目立って進んだ様に見えないのだ。
普通なら平日であった筈の曜日が休日になったからと言って、そうした日を丸ごと遊んで過ごしてしまうとは限らないのが世の常という奴で、人によってはそうした日だって変わらず日常の激務に立ち向かわなければならず、そういった状況が広く蔓延する世の中にあって私も(激務とまでは言えないにしても)今日はガリガリうるさい低機能パソコンの前で始終しかめっ面をしていた。さすれば、今日という日は「休日」というのが名ばかりであってその実体は平日そのものだったんだから、その前後で身の回りの状況に大きな変化なんて一見起こり様もないのであるが。しかしさにあらず、私にとって日々大きなウェイトを占め続けている「移動時間」なるものが根こそぎ取り払われた事により得られる都合五時間、この五時間こそ、今週の木曜日が休日と化した事の直接的な、掛け替えのない、あまりに大きな恩恵なのだ。
実際、五時間はでかい。五時間あったら何が出来る? 東へ旅に出れば京都辺りまで行けるか。韓国辺りなら往復だって出来そうか。映画なら二本も見れるし、音楽CDならFFサントラレベルのものでも一作分丸ごと聴ける。FF1やFF2位であれば初めからプレイしてクリアする事だって不可能じゃないだろう。のみならず、世界史の授業なら5コマ分も消化出来るじゃないか。休憩時間も切り詰めたら6コマだ。
五時間はでかい。なのにだ、その五時間を使ったって身辺の状況に目立った変化は現れない。どんだけ程、時間の使い方が下手なんだろうと、ただただ失望するばかりだ、勤労感謝の日にだ。
ただ、良い事もあった。思った程、天気は崩れなかった。
06/11/24(金) 第580回 趣味にだって本気でぶつかれ
「妄想」だの「愚痴」だの「歪曲」だの、ここの所めっきり更新速度の落ち切ったコンテンツ達はともかくとしても、この「雑文」については毎日書くって事であまり多くの時間を割きたくない事もあり、基本的には書き上げた後にいちいち推敲してみるとかいう事をしない。そうして出来上がった時点の形を留めたままサーバ上にアップロードされ皆様の目に入るその「雑文」を、次に私が目にするのは翌日、その日の分の「雑文」を書こうとこのjournal.htmlファイルを愛用のHTMLエディタで開いてみた時、という事になる訳だ。
今も昨日の文章を振り返ってみたのだけれども、どうだ、改めて見てみると、昨日はかなり疲弊していたと見える。あんな文章載せて良かったんだろうかね。
ところで、推敲をしないという事は、必然当該文章内に含まれる誤字・脱字率は大きく跳ね上がる事になる。自分でもタイピングしながら結構気を遣っているつもりなのだが、それでも出て来るものは出て来るのだ。誤字があると起こり得る問題というのはまあ幾つかあろうが、いずれの問題にせよ読み手にちょっとばかりの負担を強いてしまう事になるだろう。ただでさえ読み難い文章が、今なら誤字付きで三割増しの読み辛さになっております、というやつである。本当、すみません。
またこういった様に、オチ近くになってやらかす誤字というのは、読み手にとってどう受け取られるものなのかはよく分からないが、少なくとも書き手にとっては大打撃だ。あれじゃその日のネタ自体がもう台無しじゃないか、と。いや、読み手だって同じ様な事を感じていたろう。「あーあ、やっちゃったよ」なんてな事を思っていた筈であるのだ。
誤字の発生を完全に食い止める事はまず無理である以上、ある程度の混入については諦める方向で考えて、じゃあ発見したらしたでその都度修正すればいい話ではある。あるのだが、それならそれで今度は私が往々にして、
「面倒臭い」
「後で直しとけばいいや」
「まあこれ位のミスはあったってねえ」
とか言ってそれを放っておくもんだから始末が悪い。つーか、三番目はアウトじゃないか。
こんな事じゃいかん、それは分かっているのだ。たかがウェブサイトなんだからそれなりに適当な心持ちでやってりゃいいとは思うけれど、こうした所でついつい出てしまういい加減さというのが実生活にも影響し表れて来ないとも限らない。やはり己を律し、己を変えていくのなら、自身にとって最も制約が緩い趣味や遊びに関するレベルから意識を変えていかなければならんのだ。遊びでない事についてなら(当然の事として)作成した文書についてはきちんと推敲し、文法や誤字・脱字のチェックを怠らないが、個人的な趣味なら別にどうでもいいでしょ、なんていう半端な考えではいつまで経っても半端なまま。やはりこれからは、趣味に関してだって自分に厳しく当たり、誤字を見付けたらその度修正していく心意気を持つべきだろう。
ただ、件の「起こらないで下さい」については、それ自体をネタとして扱ったからという事で今後敢えて修正もしないけどね。
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