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06/11/25(土) 第581回 離別の時

この世知辛いご時世、巷には幾つもの残酷な現実が散在している。学校でのいじめは依然なくなろうともしない。増える凶悪な少年犯罪。景気は着実に良くなっていると言われ続ける一方で相も変わらず増え続ける国債。雇用者達はまるで使い捨てであるかに次々と斬り捨てられ、毎年の自殺者は交通事故によるそれを上回り続ける。温暖化は止まらない。石油は枯渇する。食料が足りない。そしてそれら容赦のない現実が相乗して終わりなき戦争を生む。
世界は残酷だ。人間もまた残酷だ。だが人間は一人きりでは生きていけないという。我々はこの世の中で、どうしたって一握りの悪人を生み出してしまうこんな世の中にあって、善人とも悪人とも知れぬ「他人」との共存を余儀なくされるのである。現実は残酷だ。
だが、私は思うのだ。こうまでに救いのない浮世であるが、その最たるは「Yahoo!ブログ」であると。

「Yahoo!ブログ」は残酷である。何が残酷であるかと言うと、「ファン」がである。
「ファン」とは、開設されたブログそれぞれに儲けられた数値カウンターの事であり、これは当該ブログをお気に入り登録した人の数を表すものである。もしかすると同様の概念が他ブログサービスにも存在するかもしれず、ブログサービスに関して全く明るくない私がその事を知らないだけという事はあり得るかもしれないが、仮に存在するとするなら先に言っておこう。そうした概念を導入している普く全てのブログサービスが同様に残酷である、と。
「Yahoo!ブログ」の、「ファン」概念の無慈悲さは勿論、普段は顔を見せはしない。だがしかし、それはふとした時に牙を剥いて、そのブログの管理者に襲いかかってくるのだ。
「ファン」数の持つ「牙」 即ち、これだ。

昨日 ファン:6
今日 ファン:5

ブログに限らず、ウェブサイトの類のものを運営している管理者の多くは日々のアクセス数を気にかけるものであるが、Yahoo!ブログの管理者の多くは加えてファン数の推移もまた気になるものである。何故ならば、そこに「ファン」という項目があるからだ。
その「ファン」数が、ブログ開設以降地道な更新作業によって少しずつ少しずつ積み重ね、ようやく二桁の大台も夢ではなくなってきたその「ファン」数が、ある日減っていた。これを残酷と言わずして、何を残酷と言おうか。
ブログ管理者は問う。ファンでなくなった、即ちお気に入り登録から自分のブログを除外したパソコンの向こうの、姿見えなき人物に。嗚呼、貴方は、私のブログの一体何が気に入らなくて、そんな行動に出たのですか。そして責める。自分自身を。どうしてその一人を繋ぎ止めていられなかったのだ。もしかしたら、毎日更新を続けていればこの人もファンでい続けてくれたかもしれない。これまで自分が書いてきた記事がやけにつまらなく見える。こんなんじゃ、ファン離れも致し方なしか。でも、これ以上面白い記事なんて自分には無理だ。自分にはブログなんて向いてなかったのか…

ある程度ファン数が増えてしまえば、例えば143人とか、それ位のレベルにまでなってしまえば、それが142になった所でそれが与える精神的ダメージなんてものは皆無に等しいだろう。だが10人にも満たないファンの内の一人がいなくなる事は即ち、ファン全体の10%超を一気に失う事を意味するのだ。ファン数の少なさはある程度そのブログが開設からさほど長い期間を経ていない事を意味すると思われるが、その分だけ思い入れも少ないと見られるブログ管理者がこれを苦にブログ管理を止めてしまうなんて事も、全くもってあり得ない事だとは言い切れまい。

Yahoo!ブログは残酷だ。私は以前、ブログを開設するならYahoo!ブログだみたいな事を言っていたが、この事実に気付いてしまった今改めて考えてみるとどうだ。私には、Yahoo!ブログに手を出すなんて事、出来そうにもない。6人の「ファン」が5人に減る等という恐怖に、どうして耐えられようか。
さようなら、Yahoo!ブログ。もしも私がいつかブログを利用する事があるなら、私は貴方に秘められたる強力な集客力を泣く泣く蹴って、別のサービスへ居場所を求めるでしょう。



06/11/26(日) 第582回 文化の日も捨てたもんじゃないな

今は懐かしき文化の日の話。
片や巷の人々は金・土・日の三連休のしかも一日目という事で否でも応でも盛り上がり、片や私は文化の日にも休む事が出来ないという絶対的な現実の前に荒れていたりしたそんな中、当日の「雑文」にこそ書いてはいなかったが、ちょっとばかり不思議な光景に出くわしていた。
その日は元々が休みであるという事もあって、いつもよりは随分と早めに帰宅時間を迎えたもので、まだ全然明るい内に駅へと向かうバスに乗り、そして駅へと降り立った。駅、県庁所在地なのにも拘らず手動改札業務でお馴染みの鳥取駅である。
まず私は、駅構外にテレビカメラの存在を認めた。だがしかしこれ自体はそんなに不思議にも思わない事だ。駅周辺でテレビカメラなんてのは、珍しくはあるがこれまで何度か見かけた光景でもある。また何かの取材だろうか、そう思った取材拒否希望体質の私は、いつも通りになるべく遠くからカメラと、その周辺にいる数人の人々を避け、駅構内へと入っていったのである。
しかし、異変は駅構内にこそあった。いつも通りに改札を通っていつも通りにホームへと上がって行く。そして既にホームに入っていた電車へと乗り込もうとするのだが、その時にふと気付く。いつもよりも気持ち人が多い様な気がする。ラッシュ時間帯でもなかろうに。更に、電車が発車して駅を離れようとした所で、ホームにもカメラクルーがいた事に気が付いた。
これだけなら、「鳥取駅でも取材しに来た地元テレビ局の取材班にむらがる多数の田舎者」なんてな構図が浮かびそうなものだが、極め付けは、切符を拝見しに来た車掌さんが乗客の誰かに言ったこの一言である。「珍しいものが見れましたね」
果たして、幾ら毎日の様に見られるものではない事とは言えテレビ局の取材に対してその言葉は相応しいだろうか。声のトーンからしても「良いものが見れましたね」「運が良かったですね」という意味を内包している筈のその言葉に、テレビ局のインタビューなんてものは明らかに不釣合いであるのだ。
一体あれは何だったのか。気にはなったがいちいち車掌さんに聞いてみる事もしなかった私は結局真相を知る事もないまま、しかしその事が気になるあまりどうにも寝られなくなるとかいう事もないまま、その日の内には綺麗さっぱり忘れ去ってこの一件は終わったのである。

で、昨日だ。ご覧になった方はお分かりか、「土曜プレミアム 二夜連続・奇跡の夫婦愛スペシャル 第二夜『遙かなる約束〜50年の時を越えた運命の愛〜』」である。事実を基に作られたこの話そのものは、何年だか前にドキュメンタリー番組で見て、その何年だか後に「奇跡体験! アンビリバボー」でも見ており、クライマックスに鳥取駅での場面がある事だけは知っていたので、もしやという事で見ていたのだ。
白兎海岸が登場していた時点で「これは来るかな?」と思っていたが、それは来た。紛れもない鳥取駅が、そこには映し出されていた。テレビをご覧になった皆様、あれが県庁所在地なのにも拘らず手動改札業務でお馴染みの鳥取駅です。ここ二年半程、いつもいつも私が利用している鳥取の玄関口です。素朴で良い所ですねえ。
やはり身近な場所がテレビ番組、それもニュース中継とかじゃなくしてドラマという形で放送されるというのは変な感じであったが、つーか、そんな事よりも一体いつロケが敢行されたのか、気になるのはそれだ。
そう、そこで、先の文化の日の一件が浮上したのだ。まさか、そうだったと言うのか。すぐさまインターネットで検索した。偉いもので、すぐにあのロケに参加したらしき人のブログがヒットした。それによると鳥取駅でのロケが行われたのは、正に11月3日その日であったという事だった。
つまりあの日私は、当該ドラマの主演であった阿部 寛・黒木 瞳の俳優両名ととんでもないレベルのニアミスをしていたのだった。好きな芸能人というものはあまりいないが、それと同じ位嫌いな芸能人もいない私にとって、と言うかこのお二人に関してならどちらかと言えば好きな部類に入っている私にとって、一目拝見出来るのなら必ずやそうしていただろう。惜しい事をした。翌日は休みだから、何だったら電車を一本遅らせる事すら辞さなかったろうに。

いやでも、仮にあの日鳥取駅ホームでの撮影シーンを見られていたとすれば、昨日の放送じゃ既視感があって純粋に感動出来なかっただろうから、その点では良かったのかもしれないけどもね。
いやー、泣いた泣いた。



06/11/27(月) 第583回 まさかお間違えになられた?(笑)

いつ頃からか、Yahoo!検索で適当な単語を検索した時、その単語に誤りが含まれている可能性が考えられるとそれを指摘する意味で

○○○ではありませんか?

と表示される。普段は別にちょっと目をやる事があるだけのものであるが、例えば至って真面目に入力、検索した筈の英単語の誤りを指摘されたりした時の腹立たしさと言うか、悔しさと言うかは尋常ではない。普段Yahoo!検索を頻繁に利用する人の中には、同様の体験をした方も多いのではあるまいか。
この機能、目障りだと思う方もまた、多いのではないかと思う。Googleにも「もしかして:○○○」という似た様な表示がない事はないが、見比べてみればYahoo!のそれの方が一段とお節介で、押し付けがましく、のみならずうっとうしいのは一目瞭然というものである。検索利用のシェア争いではいつだってライバル扱いされるGoogleの方は何とも慎ましやかで、控えめで、何処か日本人気質みたいなものさえ感じられると言うに。
ねえ、日本最大のポータルサイトだっていう事実は誰しも見とめざるを得ない所だけども、それにしたってYahoo!さんも偉くなったもんだなあ、善意の押し売りとは。10周年だか何だか知らんけど、思い上がっちゃいかんよ。

つーか、一昨日の話もそうだけど、何で私はYahoo!さんの戦略とか方針とかに口を出そうとしてるんだろうね。別に義理があるでもないだろうに。



06/11/28(火) 第584回 ちげーよ

たけのやり



06/11/29(水) 第585回 余裕がないねえ

余裕がないねえ。

ヘネ魔石鉱の「最強の矛」くらいないねえ。
1/35神羅兵を持っている事の意味くらいないねえ。
「王女を助け出してくれ」とか言われて荒野に一人ほっぽり出された勇者の所持金くらいないねえ。
「永遠の闇」に関する伏線くらいないねえ。
ラヴォスコアのラスボスとしての貫禄くらいないねえ。
FF6のサボテンダーのHPくらいないねえ。
NintendoDSの店頭在庫くらいないねえ。
ID211のポケステくらいないねえ。
クロノトリガーのマスターゴーレム戦の緊迫感くらいないねえ。
FF1のクリスタルの存在意義くらいないねえ。
FF12のヴァンの存在意義くらいないねえ。
トレードにおける「魔王殿」の資金力くらいないねえ。
Xboxがゲームハード業界トップに踊り出る可能性くらいないねえ。
ビヨンドザビヨンドくらいないねえ。
「スロット」の「ジョーカーデス」くらいないねえ。
ゲーム開始序盤の「アビリティスフィア」くらいないねえ。
FF12の二周目を今すぐにでも終わらせてやるぞっていう気概くらいないねえ。
クリフトがザラキを無駄撃ちしない確率くらいないねえ。
ゼルダの伝説 神々のトライフォースの闇の世界のシャベルゲームのハートのかけらくらいないねえ。


ん? 段々余裕が出て来たか?



06/11/30(木) 第586回 心の底からの衝撃

何だか急激に寒くなってきて周りでも風邪を引いてしまった人をちらほらと見かけたりする中、しかし思うのだ。ディープインパクトってのはディープインパクトで良かったよなあ、と。
私は競馬には縁遠い人間で、馬券を買った事はないし、競馬新聞の見方なんてのは当然知らないし、大体にギャンブルって事で自分の方から遠ざけている存在であるのだが、それでもあれだけ騒がれていたものであるからディープインパクトの事は知っている。昨年の菊花賞で史上二頭目の無敗での三冠馬となり、先日のフランスでの凱旋門賞で三位入線、その後失格処分という結果に終わった事がとにかく大々的に報道されたし、この名を知らない日本人というのも今や珍しいのではあるまいか。
で、思ったのだ。ディープインパクトってのはディープインパクトで良かったよなあ、と。
世の中のありとあらゆるものがそうである様に、競走馬にだってピンからキリまである。そして、競走馬の名前にもピンからキリまであるものである。結論から言おう。ディープインパクトは格好良いのだ、名前が。
勿論、その名前に対して「一体これの何処が格好良いのか」といちゃもんを付けたくなる方も多かろう。「ただの単純な英単語じゃないか」と言いたくなる方も多かろう。「同名の映画からあやかっただけだろう」と言いたい方もまた。しかし、そんな反論は以下に例を挙げるこういった名前達の前にはまず何の意味もなさない事を、そういう方達は知るべきだ。例えばあの馬の名前が「プリプリ」であったなら。

私には、想像するだけで恐ろしく思えてならない。無敗の三冠馬として名声を浴び、日本代表馬として凱旋門賞を走ったあの馬の名がもしも「プリプリ」だったなんて事があったら。凱旋門賞のあったあの日、フランスのロンシャン競馬場にはディープインパクトを応援する為に5000人超の日本人が駆け付けたと言うが、プリプリの為にはそれだけの人間は集まらないのだ。ディープインパクトの凱旋門賞優勝を本気で祈り、願っていた人達も、それがもしプリプリだったらそれだけ熱を上げる事もなかったのだ。ともすれば優勝してくれない事を願いすらしたかもしれない。何でって、万が一優勝しちゃって、その名が世界に轟くなんて事があったりしたらどうなる。
それは「プリプリ」に限った事ではない。ディープインパクトが例えば「テルテルボウズ」であったなら。例えば「パパノミセドコロ」であったなら。「オジサンオジサン」であったなら。「ナンヨーノボク」であったなら。「ナンヨーノワタクシ」であったなら。よもや、「ドッコイショ」であったなら。この日本にディープインパクト旋風、もといドッコイショ旋風なんてものは巻き起こらなかっただろう。
だからこそ思う。ディープインパクトの名付け親を私は知らないが、よくぞただの単純な英語を、よくぞ(それなりにしっかりした意味もある)映画名と同一の名を付けてくれた、と。

いやしかし、もしディープインパクトがおかしな名前だったら恐いなあなんて事言ってるけど、本当に恐いのはその例として挙げたあれら名前がことごとく実在する競走馬の名前だって事か。



06/12/01(金) 第587回 さらば老兵

あれだな、今年再認識させられたが、やっぱり12月ってのは損な役回りだな。何しろただ普通に「来る」というだけの、他の11の月と何ら変わりない期間である筈なのに、いざ12月ともなろうものなら人々からはのべつ幕無しに「もう12月かよ」「早えよ」とか、まるで来て欲しくなかったものであるかの様な罵倒の嵐に晒される事になるんだもんな。
そんな師走、巷では今年も新語・流行語大賞が決定したとかで、去年も流行語関連の話を取り扱っていた私は今年も触れてみる気満々だったのであるが、まあそれはまたの後日に。
そんな師走、巷ではいよいよ明日、任天堂の新型ゲーム機「Wii」が国内での発売日を迎えるとかで、いずれにしろ傍観姿勢を崩さない私には出荷数だ、在庫だ、行列組のひしめき合いだ、転売だ、ネーミングセンスが無いだ、Wiiコントローラーがプレイヤーの手を離れてテレビに直撃そして破損だ、そんな事には直接的には関係がないにせよ、やはり気になるその動向。機を見計らってXbox360に端を発したこの程の次世代ゲームハード競争の総括でもやるかい、なんて事を思ってはいた、が、まあ発売が明日という事なら必然今日書ける事でもないのでまあそれはまたの後日に。
そういう訳で本日、流行語大賞とWiiのニュースを押し退けて主役の座を射止めたお題目はこれだ。

パソコン御大ご帰還

今を遡る事15日。我がパソコンは突如一切の光を発しなくなってしまった。否、危険信号がなかった訳ではないのだ。むしろそれは、随分と前からユーザである私にディスプレイの異常を知らせ続けていた。何故か、画面が赤みがかるという症状をして。
しかし人間とは愚かなものだ。パソコンの利用に際してもそれはあらゆる局面で表面化する。パスワードを紙に書いてしかもそのパソコンにセロテープでもって貼り付ける者、いつかは自分のパソコンも壊れる事が分かっているのに、誰のどんな(データクラッシュにまつわる)悲劇的エピソードを聞いても、実際自分の身に降りかかってこない限りバックアップを定期的に取る事が出来ない者、うっかりNumLockキーを押してしまうと自力では元に戻せない者……そしてそれは私とて例外ではなく、私は目の前のパソコンが割かし前から発してくれていた折角のメッセージを、一つだに受け取らずして後戻りの出来ない状況まで追い込んでしまっていたのだ。
購入から2年半での故障。その期間を考えても、いつ大事が起ころうと不思議ではなかったろう。明らかな危機管理不足。その自身の至らなさが招いた代償は、あまりに大きなものであった。
既にして触れていた事であるが、修理中のパソコンの代替品には元々自宅にあった先代が抜擢された。御歳8歳。Windows98を搭載された老兵。かつてお世話になった物をこき下ろすのは気が引けるけれども、しかし言わねばなるまい。これの使い勝手の悪い事と言ったらもう。
まず(とか言ってもうこれまでに幾つも愚痴垂れてるけど)一つは解像度だ。先代パソコンの解像度は800×600、今のは1024×768。先代のから今のにシフトした時はそれはそれは感動したもんだけど、その逆となると画面がいやに狭く感じていけなかったねえ。
んでもう一つ厳しかったのがメモリか。いつもの感じでテキストエディタ起動して作業してて、ちょっと調べ物って事でブラウザ立ち上げ、資料参照の為にOpenOffice.org起動。更に部分完成したプログラムの動作確認の為にコンパイル……

ガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリ…

まあこれはいつもの事よ、なーんて思ってたら……ハングアップ!!
これだって先代パソコンに分不相応の仕事をさせようとしてしまった私に非はあるんだけれども、一時はこんなんでどうすりゃいいんだろうなあ、って途方に暮れていたねえ。

しかし、そんな日々も今や終わり。今私は、実に半月振りにもなる快適パソコンライフを送っているのであった。
これで、長らく時間がかかりそうだし面倒で保留にしていた考察掲示板への投稿まとめも出来るな。まああれはどんだけの人が見てるもんだか怪しい上にどんだけの人の参考になるもんだかも怪しいけど。それから、これまで遅々として進まなかったパソコン関連の全ての作業が円滑に進められる様になるね。まあ処理速度の向上は必ずしも作業速度の向上に直結する事なんてないんだけど。



06/12/02(土) 第588回 帰って来たスベスベ

先日修理に出して昨日私の下へと帰って来た我がパソコンは、勿論破損したディスプレイを修復なり交換なりする為に出された訳だが、折角の事であるので、これまで二年半の利用によって生じていたその他色々の破損部分もついでに修理してもらう事にした。うーん、予定を三、四日ずれこんだのは、ディスプレイ以外にも細かい注文を幾つか付けたからだったのだろうか。まあそんな事は今となってはどうでもいい事であるが。
破損部分、それは具体的には、「I」とか「O」とか「:」とかのキーがぐらついていたり、スクロールボタンの固定部が完全に壊れて取れちゃってたりしてた部分の事だ。後者はまだしも前者は思いの外タイピング作業を難儀な仕事に化させたもので、いつ以来になろうかとも言う快適タイピストライフを昨日から存分に送っている次第である。
しかし、私がこの程、二年以上振りになる正常な筐体に触れて一番感動した事は、キーがしっかり固定されている事でもスクロールバーが己の指の方にくっついて来ちゃったりしない事でも、また修理前に比べて幾分か明度を増した感のあるディスプレイそのものでもない。そんなものよりも私にとって重大な事由だったのはこれだ。

スベスベ御大ご復活

そう、タッチパッドのスベスベコーティングが、あのスベスベコーティングが、今ここに完全な姿となって復活したのだ。
これは感動的出来事ですらあった。以前に書いた事であるが、このスベスベコーティングの剥がれは最初はタッチパネルの中央部にほんの小さなものとして現れ、その後も構わず摩擦し続けた事により見る見る内に巨大化したのだ。もしそこでカーソル操作その他をマウス(購入済)に切り替えていればそれ以上の惨事だけは免れたであろうが、しかしタッチパネルを使い続けた結果、末期には本当に酷い事になっていたものだ。時には油でも塗って滑りだけでも回復させようかなんて事も思った程であった。それが完全復活を果たしたと言うんだから、どうだ、感動的と表現するしかあるまい。え? 分からないって?
でだ、あまりの感動から、以前の愚行を反省していないかの様にタッチパッドを卒業しようとしない私である。カーソルを動かすのにスベスベ、カーソルを動かす必要がない時もスベスベ、何だったら電源入ってなくたって何となくスベスベ。この分だと、改めてコーディングが剥がれてしまうのは一回目の時よりももっと早いタイミングでの事になるかもしれない。いやでも、私はそれでもいいのだ。私にとって大事なのは、復活したスベスベを今度は長期間保持する為に使用を控えていくよりも、復活したスベスベを最大限活用して、その度にスベスベに触れる事の出来る自分を幸せに思う事にこそあるのだ。スベスベ万歳。スベスベよ永遠に。

読者をかなり置いてきぼりにした感はあるが、そんな事は知らん。



06/12/03(日) 第589回 2005年の流行をおさらいする

そういう訳で、去年もやったが先日発表された今年分の新語・流行語に目をくれる事なく去年の新語・流行語を振り返って、それからの一年を総括してみよう。何かと「選出されたら翌年は消える」との呼び声高いこの賞であるが、去年の10傑はさて。

小泉劇場
まあ、小泉さん自身は今年9月で退陣すると明言していたからそれそのものが次第に記憶から薄れ無くなっていくのは当然か。
つーか、これが大賞だったか、という印象。政治に暗いからか。

想定内(外)
小泉劇場と並んで大賞受賞。とんでもない消え方していったな、会社共々。

(以下トップ10を50音順で)

クールビズ
これを一年ばかりで消してしまわれちゃ困るというもので。ウォームビズ共々、もっと社会に浸透して行けばと思うものだね。だってほら、ねえ、昨今の環境問題がどーたらで、ねえ。いや別に、ネクタイをするのがあまり好きでないという個人的な意見を言っているのではなくしてね。

刺客
面白いもので、丁度一年経ったかっていう頃に造反議員の復党が決まって、勢い立場が危うくなったんだねえ。流行語恐るべし。

ちょいモテオヤジ
聞いた事ないぞ。「LEON」とかと無縁だからそれもしょうがないのか?
「ちょいワルオヤジ」の方なら一時期さんざんテレビで耳にしたけど、それも既にして食傷気味であるし、そういう意味では消えたと見られるのかどうなのか。あまりに事情を知らなさ過ぎる。
あ、そう言えばここの編集長が退社する直前にスタッフの引き抜きとかいった問題で出社停止処分食らったりしてたっけか。それがじゃあ何だと言われても困るけれど。

フォーー!
はい出た。ね、去年の予言が当たってたね。今こんなのオチになんて使えないよ。
いやーしかし、綺麗に去って行った印象が。

富裕層
うーん、あんまり聞かないな。所得レベルの違いについては最近じゃもっぱら「格差」っていう、今年の流行語もあった表現で聞く事の方が圧倒的に多いんじゃなかろうか。そう考えると、見事に「格差」に取って代わられたという点では、これも見事に消えたと。

ブログ
ブログの利用者数が去年から今年にかけてどう推移したかは知らんけども、まだ廃れちゃいないね。
一方、便宜上同様のものとして扱う事にするが今年は「ミクシィ」が台頭。ただ私としては、「ミクシィ」の方が早く勢いを失うんじゃないかと思っているんだけどどうだろうね。ああ、でも「ミクシィ」限定じゃなく「SNS」全体で見たら分からんか。いずれにしろ、そのどちらにも関係してない私の知る所じゃあないが。

ボビーマジック
流行語に選ばれるだなんて縁起の悪い。そのせいか今年はBクラスにまで落ちちゃった。
こうなると来年の「シンジラレナ〜イ」の日本ハムが心配。いや、新庄だ小笠原だとかいう話を聞くと、本当にこれは危ないぞ。

萌え〜
どうなんだ、これは。流石に「ちょいモテオヤジ」程度以上には知っているが、自分は勿論周りにも実際にこの言葉を用いる人がいないから現状を知り様もない。情報求む。あ、やっぱりいらない。


という事で去年のトップ10について見てみると、よく分からん「萌え〜」を除けば「クールビズ」と「ブログ」以外の7つが消えたかその危機に瀕しているという事になった。とは言え「小泉劇場」は半ば自然な流れであるし、「刺客」については消滅危機と言うのは過ぎた表現である感はある。が、その他の凋落振りと言うかは割かし酷いな。流行語の呪い未だ衰えずか。

さて、一転して話を今年の流行語に移すとどうだろう。今回もまた、激しい凋落振りを見せてくれそうなメンバーがチラホラといる様な気はする。誰とは言わないが……あっ、いや、何とは言わないが。



06/12/04(月) 第590回 人生の中ボス現る

そろそろアレなので、こちらでも弁明しておく事とする。ここの所、「雑文」「俺的事典」を除くコンテンツの更新が滞りに滞っている件についてである。
更新を義務化する事だけは避けたいのでそうはしておらず(にも拘らずこれの更新を義務化している節がある私であるが)、実は言う程深刻に考えてなんてないのだが、どう見ても現状はサイト開設以降最も悪いと言わざるを得ない。当サイトのメインコンテンツという位置付けの「妄想」なんてのは、今年一年で一体何作分更新出来たろう。現実を知るのが恐いので数えないが、まー少ない事は容易に想像出来る。何しろ自分自身の事である。だがよもや、現在進行中の「ゲーム日誌」の更新まで滞ろうとは。
パソコン御大ご帰還の回で掲示板の投稿をまとめる作業もまた滞っている事を述べていたが、現状を言えば返信も最小限に留めている状態である。それ程、困窮こそしていないが(だからこそ今日だってこうしてパソコンに向かっているのだが)、重要な局面を迎えているという事である。
ひとまずここで宣言しておこう。コンテンツの更新の方は、今私が直面している課題が解決の運びとなるまで差し控える。恐らく、その間はゲーム、つまりFF12二周目のプレイも封印する事となる。「雑文」及び「俺的事典」の更新に充てられるだけの時間自体は相変わらずあるのでここの更新の方は懲りもせずやるだろうけれども、でもまあその間についてはこの二つで持たせようという事で。ね、割と重大な事を言っている様でいて、よくよく考えてみたらこれと言って状況が大きく変わる事じゃあないんだけれどもね、でもけじめとして一応。

こういう状況に立たされて強く思うのは、事典の他にもう一つ位、30分か1時間程度で更新が出来る様なコンテンツがあったら良いのになあ、という事か。本当は、「歪曲」が元々そういう役目のコンテンツになるつもりだったんだけどなあ。開始から9ヶ月経ってまだメルモンドにいるぞ、あいつら。いつ終わんの。目下ツィッタ大草原に停滞中のFF12二周目じゃあるまいに。
あー、何か手軽なコンテンツの良い案、浮かんで来ないかなー。妙案ってのはいよいよ追い詰められた状況になって生まれるものだと言うけど、そろそろ出て来てくれんもんかね。
無理か。多分10日後にはこれが第600回を迎えるだけの余裕がまだあるんだもんなあ。

まあ取り敢えず、現状の課題を一刻も早くやっつけられる様、頑張ります。今日はこれまで。


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