07/01/04(木) 第621回 恐怖の可視化
グラフにしちゃった。
こうして見ると、12月28日の140ってのがちょいとカウントし過ぎだった事を踏まえれば言う程下がっている訳ではない様にも見えるのだけれど、いやでも、それまでのしばらくが安定傾向にあったからこの流れってのは割と凄かったりするのだ、実は。まあその辺はまた今度、公開二周年記念の時にでも。
ってかね、90何人だ100何人だってのはこのサイトの内容からして若干来過ぎ。もうちょっと減ってようやく適正ってとこでしょ。来てくれるなって言ってる訳じゃ決してないし、勿論来てくれるのならなるべく多く来てほしいからこそサーチエンジンに登録とかしてるんだけど、あんまり来られても申し訳ない気持ちになっちゃうと言うか何と言うか。ここの所更新を止めちゃっている間なんてのは特にね。
いやー、ほんと、すみませんです。それ以上に、この期に及んで当サイトに足を運んでくれてありがとうございます。ただ、まだしばらくはつまんないですよ。
とか言っといて、正月休みが終わった途端にアクセス数が回復したりして。
07/01/05(金) 第622回 二輪車運転手に告ぐ
つくづく、バイク乗りに憧れるのである。
これまでの人生、バイクに乗りたいなあと思った事は数知れない。そりゃ勿論、渋滞なんかに巻き込まれた時に延々と連なる車をごぼう抜きにして行くバイクの姿を見る度に、ああ畜生と、あれにまたがっているのが私ならばなあと、そう思ったものであるが、そうした利便性を一切抜きにしても私はバイク乗りに憧れる。単刀直入に言って、バイク乗りは格好良く映るのだ。バイク乗りは、耳で判断する分には「おいおい、やけに吹かしてやがんなあ、うるさい」と不快な気分にさせられる事も多々でありはするものの、目で見る限り彼等彼女等の格好良さったらない。私も乗りたい。何度そう思ったか。特に渋滞なんかに巻き込まれた時には。だが、そうした思いはバイクを気軽に購入する事なんて出来やしない経済状態と、バイク自体の置き場所にも困らざるを得ない経済状態と、バイクの維持費にも困窮する経済状態と、あとは我が身を晒して運転する事にどうしても付きまとう危険なイメージとに阻まれ、今日に至るまで現実化の運びとなる事はないのだった。
バイク乗りは格好良い。何が格好良いかって、カーブ時が格好良い。
バイク乗りの、交差点なり何なりを曲がる時のあの格好良さったら一体何なんだろうか。ただただ、バイクとバイク乗り本人とがカーブする方向へ何度か傾いているというそれだけの事であるのに、私はその佇まいに時には羨望すらするのであった。否、私だけではないだろう。カーブするその行為を事の外格好良く感じるのは、非バイク乗りが、バイク乗りに対して抱く言わば共通の想いだ。バイク乗り自身、自らのアピールポイントがカーブ時であると感じている節もある。
何故ああまで格好良いのか、納得の行く理由なんて分からないのに揺らぐ事もないその事実。だが、私は気付いた。これこそが穴だ。バイク乗りが後続の人間達に見せるあのカーブの格好良さは、格好良過ぎるが故に欠点でもあったのだ。
さて、ここまででも、実際にバイクに乗っている方々や、ともすればそうでない方々から「決め付けてんじゃねえ」とお叱りを受けそうな内容を勇気を持って書いてきたけれど、ここからは更に勇気を振り絞っていくのでそのつもりでついて来てほしい。ただバイクに乗られる方はついて来ないでほしい。何かと言えば、カーブが格好良く見えるあまりか、直進時の佇まいはさほど格好良い様には見えないのだ。いやいやいや、この期に及んで何を気遣っているのか。はっきり言えばいいじゃないか。そうだそうだ、言おう言おう。正直な所、バイクの直進時なんてのは格好悪い方の部類に入る。
それもそうだろう。何せあのバイクというやつは日本語では「二輪車」となる様に二個のタイヤによって成り立つ機械なのであって、それ故自立してはくれないのだ。つまり乗車している間は、走行時を問わず停車時を問わず、常に転倒しない様にバランスを取り続けていなければならない事になる。特に走行時ともなれば一度の転倒は己の命にまで危険を及ぼすだろう。だからバイク乗り達はいつだって真剣だ。いつだって本気だ。掛け値なしに命がかかっているという事情も汲み取れば、その姿は必死であるとも言い換えられるだろう。
場合にもよるが、人の必死な姿とは格好のつかないものである。しかるに、バイク乗りは走行中ならいつどのタイミングを切り取ったって必死なのだ。残酷な様であるが、彼等彼女等が格好悪く映ってしまうのは避けられようのない現実である。これがしかも、バイク本体の格好良さは微塵とも失われないものであるからどうしても相対的に見劣りしてしまう彼等彼女等の境遇は悲惨そのものだと言えよう。
バイク乗りの方々よ、こうまではっきり「格好悪い」と言われて憤慨する気持ちは痛い程分かるけれど、ここは一つ抑えてほしい。私は何も、バイク乗りは運転中常に格好悪いと言っている訳ではないのだ。あくまでもバイク乗りが格好悪いのは直進走行中なのであり、カーブ時に格好良いと言ったのを丸ごと覆してしまったのではないのだ。そう、確かにカーブ時にだってバイク乗りは必死に、何だったら直進中以上に必死になってバランスを取っているのは事実であるが、カーブ時に魅せる格好良さはそんな必死さから漂ってくる格好悪さを優に凌いで余りある格好良さなのだから。
バイク乗りの方々はその辺りを肝に銘じ、バイクでの走行中はカーブ時にこそ周囲の人間に己の勇姿を見せ付け、何よりも安全運転を第一に心掛ける事。
07/01/06(土) 第623回 精神状態崩壊寸前ツンツン頭ソルジャーに告ぐ
そういえばと思って思い返してみると、FF7でバイクに乗るクラウドの事は別段格好悪く見える訳じゃないし、その代わりFF7でバイクに乗っているクラウドのカーブ時も特別格好良く見えたりはしないなあ。何でだろうか。考えてみた。
あまりに超人的な乗りこなし方過ぎて必死にバランスを取っている様には見えない。
バイクがあまり格好良くないからクラウドの格好悪さが引き立たない。
「Gバイク」が面白過ぎてクラウドなんて眼中に入らない。
クラウドが元々格好悪いから目立ったギャップもなくただ気付かないだけ。
グラフィックの質のせいかそもそもバイクに乗っている様に見えない。
大体にクラウドが嫌い。
さもなければ興味がない。
昨日ああは言ったが本当はバイク乗りなんて格好良くも格好悪くもない。
クラウドよりもむしろ神羅兵が格好良い。
ただし赤バイはウザい。
黄バイは黄バイで赤と一緒にトラックに群がっていてキモい。
つーかトラックもトラックでバイクに体当たりするとかいう工夫を見せろよな。
気のせい。
さて、どーれだ(丸投げ)。
07/01/07(日) 第624回 結局正月には何も出来なかった、が
天気予報じゃ吹雪のマークが出てたのに、結局積もりもしなかったな。もう一月も中旬に差し掛かろうかというのにこの天気。どうやら今年の暖冬予報は的中か。いやいや、油断してたらいかんな、我々電車利用族は。ちょっと強力な寒気が来るだけで事前に立てた予定という予定が脆くも崩れ去る事になるんだから。今日だって、雪こそ降っちゃいなかったけど暴風のせいでダイヤは大幅に狂ったとか聞くし。タイミング良く昨日今日明日が休みで良かったよ。
さて、今週はハッピーマンデー法によって月曜日に移動してきた成人の日を含む三連休という事で、普段は憂鬱な気分で過ごす日曜日の夜も幾分かテンション高めになっている方から、一方で正月以降一連で休みだったのが後一日になっちゃって今日から既に憂鬱な学生さんまで様々おられましょうが、そんな中私は遂に動き出します。明日、2007年1月8日、満を持して、二ヶ月か停滞していたアレを再開させます。そう、FF12二周目。
更新履歴に残る同ゲームの最終プレイ日は昨年の11月19日。実に50日振りという、一つのゲームにおいては過去最長であろうブランクを経ての再開劇。「今、何処にいたっけ?」 そんな感慨の声がプレイヤーから漏れ聞こえてくる様である。
長かったねえ。50日はねーよ。実際、「人生の中ボス」関係でゲームプレイを封印していた事を除けば、本当にこの50日間、全くゲームがプレイ出来なかっただけの多忙さじゃあなかったろうに。どれだけの時間を無駄にしてきたのかって事だね、これは。
で、その「人生の中ボス」なのであるが、この程遂にプレイ再開という事はようやっと決着したという事、と言いたい所だったのであるが、実際には相当の妥協の結果殆ど中途終了みたいな形で強制的に終わらせた。何だかんだでひと月以上悩まされてたからね。もう限界だったんだね。後、足りない部分はまあこれまでの人生で獲得してきた人徳で何とかするという事で。そんな高尚なもん得てきてねーけど。いやでも実際、合格レベルにまで達してないって事はないだろう。当初自分で立てた目標が、合格レベルを大きく上回ったものであっただけで。そう信じたい。
んで、こんな事を嬉々としてのたまっていると一部の、特によく当サイトへお越しになられている読者様から「おい、つーかお前悠長にゲームしてられるんだったらコンテンツの一つでも更新しろよ」なんて痛い所を突かれる方もおられるかもしれない。いやいや、皆まで仰るな。分かってますとも。やっとの思いで人生の中ボスを撃破したんだから、FF12二周目と共に当サイトも再始動しましょう。
つー事で、別に大々的に発表する事じゃ全然ないけど、明日、2007年1月8日、今年最初の更新により、満を持して、二ヶ月か停滞していたコンテンツ更新を再開します。何を更新するかってのは言わないでおくので、是非明日の更新で期待を外して落胆して戴きたいと思いますよ。で、「おーい、次の更新はいつになるんだよー」って突っ込んで戴く、と。いやいや、これを期にまた定期更新していきたいとは思ってるけども。そりゃこの先どうなるかっていうのは分からないから。 ね、わざわざ太字で強調しておきましたのでね。
ちなみに、「この先どうなるか分からない」のに明日更新するぞ、とか随分きっぱり宣言しちゃっているという事は、既にして文章が八割方完成しているからに他ならない。そら勿論、もしか明日中に完成しないかもしれないんだったら更新を控えてる事なんてひた隠すしかないもの。
いやー、こすいぞ、こすい。
07/01/09(火) 第625回 今こそ言おう
今日は「雑文」の第625回であるが、ふと思った。
ああ、ちょうど25の2乗だなあ。いつの間にかそんなにやってるんだなあ。
そう、今度こそ 。
07/01/10(水) 第626回 50日振りの真実
私は悩んでいたのだ、このままではあまりに時間を無駄にしてしまいかねないと。普段から時間を浪費する事にかけては天賦の才能を持っていると言える私であるが、そんな私でさえそれだけは避けたかったのである。どうにかしなければならなかった。
私はある日、一つの事実に気付いたのだ。そう言えばこの「雑文」ももうすぐ625回に達する。ここで改めてこの回が25の2乗回目である事を述べれば、私はいつかの忌まわしき誤りの呪縛からようやく解放されるのだ。その間100回。約100日。これまでよくぞこの恥辱に耐えてきた。つい、自分自身に言ってあげたくなったものである。
このまま順調に更新出来れば、その日が来るのは1月8日の月曜日。巷が成人の日で、多くの若者が色々と騒ぎながらも人生の次なるステップへ踏み出して行く様に、この老漢もまた一皮剥けようとしていた。が、その日に向かってまい進していた私をふと立ち止まらせたのも、成人の日その日であった。
何を隠そう、昨日の更新ネタをご覧の方ならお分かりの通り、私は卑しくもこの「25の2乗リベンジ」ネタをこれ単独で、つまり一発小ネタとして用いる決心をしていた。もしかしたら「何で」とお思いになる方もおられるかもしれないが、そう聞いてしまうのは野暮というものだと言っておこう。何しろそうする事でその日の「雑文」更新はあまりに楽な作業になってくれるからだ。
そこで、思ったのだ。このネタを成人の日に放出するのは勿体無い所業ではなかろうか。もう少し言えば、このネタを休日に放出するのは勿体無い所業ではなかろうか。一年も前に言っていた事だが 、小ネタは単なるネタの一種であるだけに留まらず、忙しい日に出してこそその真価を発揮するものだと言っていいだろう。それを、ただでさえ平日よりはよっぽど時間のある事が多い休日に行使していいものだろうか。勿論これは人によって感じる所が違うだろうが、私は、元々あったある程度の余裕の幅が多少広がるのと元々作れそうになかった余裕が生まれるのとなら、断然後者を優先しよう。
しかし、後者を優先したからこそ困った。このままでは折角の小ネタ、そしてその小ネタから生まれる若干の時間が「成人の日」という国民の祝日に吸収されてしまう。そして私は尚且つ、いよいよ忙しさも増してこよう日から普通サイズの「雑文」をいそいそと書く羽目になってしまう。いや、「羽目」と言うと何だ、こいつ嫌々毎日書いてんのかと言われそうなものであるが、とにかく、この事態はどうにかするべきであると判断された。とは言え、ただ「平日に小ネタを持って行きたい」というだけの事で更新を一日休んで、日付を一日ずらすのは戴けない。これだけ続けちゃうと、っていう幾分まずい症状も出てきているのだが、そうでなくとも書く時間自体はあるのだし。だからと言って、ネタの方を一日ずらして第626回に「昨日は〜」と始めるのもどうか。やはりこれは、何のこだわりか、キッチリ第625回のタイミングでビシッと決めておきたかった。何せ第625回なんていう回数に達するコンテンツは今後二度と現れないであろうからだ。このネタを行使する人生最後のチャンスを中途半端に終わらせてはならないのだ。
そして私は、苦悩の果てに一つの結論に至るのである。「『ゲーム日誌』の方を更新すればいいじゃないか」 かねてから同一コンテンツ扱いの「雑文」と「ゲーム日誌」の内、ここ七週間ピクリとも動きを見せない方を月曜日にでも更新出来れば、更新を止めず、ネタの投入タイミングをずらす事もなく、「雑文」第625回を平日にて迎えられる。しかもおまけにゲームも出来る。何処を取ってもメリットばかりの妙案を却下する必要なんてある筈もなかった。
そんな訳で、趣味の観点でサイト作成と双璧をなしているとばかり思われたテレビゲームも、最近ではサイト更新の為の道具になったりするんだね。
「時間は有効に」という事を学んだ所で、今日はお開き。
07/01/11(木) 第627回 めげるな野村
随分と、アテネからも北京からも、トリノからもバンクーバーからも遠い時期にこんな話をするのは何であるが、と言うか別にオリンピックに限った話という事でも全然ないのだが、それはともかくオリンピック出場選手が日本を発つ前の記者会見なりでその意気込みを述べる時に、「金メダルを目標とする」旨の発言をやけにぼかして表現するのが前々から気になっていた。
例えば、ある選手は記者から「目標は?」と聞かれて「全力を出し切って、一番良い色のメダルを取れれば」などと答えるのだ。また別の選手は同じく「目標は?」という質問に対し「これまでの練習で得たものを全て発揮して、表彰台の一番高い所に立てれば」などと答える。何故、こんなに回りくどいのだろうか。何も記者達は、これから世界のトップランカー達との厳しい争いに漕ぎ出していこうかとしている貴方達に今更日本語の語彙力テストを敢行している訳でも何でもないのだ。そりゃ金メダルを獲得すれば、女子柔道の谷亮子(旧姓 田村亮子)選手が二大会連続銀メダルの後三度目の挑戦で悲願の金メダルを獲得して話題になったりその次の大会でまたしても金メダルを獲得して話題になったりし、同選手ばかりがフィーチャーされるその影に隠れてしまいさえしない限りは必ずや人気者になれようが、その上喋りが達者なら選手を引退してしまった後の人生も最早安泰と言えよう。だが、単なる「金メダル」という単語をそんな風に言い換えてみたって、誰一人と「洒落た表現してくれるねえこの畜生めが」とか思ってくれる事はないよ。
それに、この表現は何処か金メダルという至高の目標から少しばかり目を背けてしまっている様な印象も受けまいか。多少言い過ぎかとは思うが、はっきりと目標を名言しない姿勢がどうも、結果その目標を達成出来なかった場合の体の良い言い訳を用意しておく様に見えてならないのだ。「いや、自分、『金メダル取る』なんて言ってませんでしたし」的な。「私にとっては、この何年間の努力で勝ち取ったこの銀メダルこそが、自分にとって最も素晴らしい色のメダルです」的な。いや、実際にそんな風な事を言った選手が過去にいたかどうかは知らないし、いたとしてもそれが言い訳であったとはそんなには思わないけれども。
でもそう考えると、やはり「〜でも金、〜でも金」シリーズでお馴染み女子柔道の谷選手は凄いんだと思わざるを得ないのだ。自ずからまず逃げ道を断つ。中々出来た事ではない、スポーツに限らずともである。この姿勢から溢れ出る並々ならぬ意気込みを感じたからこそ、我々は谷選手の事を心の底から応援する事が出来るのだろう。
ただまあ、個人的には谷選手ばかりでなくて、アテネオリンピック前に「金メダル以外はいらないという強い気持ちで臨む」と言い、そしてその言葉を現実のものとした男子柔道野村忠宏選手の事も応援してほしいのだが、競技後の扱いのみならず記者会見からして谷某選手に持って行かれてしまって肝心の記者会見の光景とかその力強い言葉とかが全く印象に残ってない以上、無理な話か。
頑張れ野村。
07/01/12(金) 第628回 自己PRは掴みが勝負
つーか野村選手は私なんかに言われなくたって十分頑張ってるよ。
そんな事より考えたのであるが、どうしても「金メダル」の事を変に凝ってるのか凝ってないのかよく分からない言葉でもって表現したいのなら、いっそもっと飛び抜けた言葉を使った方が、より聞き手にインパクトを与えられるという意味で、延いてはそれが後々まで印象に残せるという意味で有効なのではないか。例えば、
「目標は?」 「徳川の埋蔵金を目指します!」
こうだ。「埋蔵金」というワードから直接的に大判小判の金色を想像し、かつ多くの人々の夢であるこの伝説と重ねる事で金メダルの獲得は自分にとって掛け替えのない夢である事をアピールし、尚且つ埋蔵金の中でも最も国民に浸透しているであろう徳川埋蔵金を引き合いに出す事でその夢のでっかさを伝える。完璧である。これまでこの埋蔵金の発掘を目指した計画がことごとく失敗してきたという事実が、早くも金メダルの獲得を逃しそうな気配を漂わせているという点だけが気になりはするが。
勿論他にもある。以下に列挙してみよう。
「目標は?」 「79番目の原子にこそあり」
「目標は?」 「セレブとやらがやたら好き好んで収集する色ですかね」
「目標は?」 「300万円です!」 ※金メダル獲得者に与えられる報奨金の額が300万円
「目標は?」 「表彰台の一番高い所に立つ事です。何故って? それはそこに表彰台があるからだ」
「目標は?」 「金です、かね」
「目標は?」 「金本位制の時代に生まれていれば、必ずや人々から羨望されたであろう人物になる事です」
「目標は?」 「それは金、銀、銅…全ての色に含まれていますね」
「目標は?」 「『どちら様も!! 笑ってヨロシク』でトップ賞を取る事かな」
「目標は?」 「成田さんの様に長生きして、いつかダスキンのCMに出る事です」
「目標は?」 「北朝鮮の総書記の様な素「会見を中止しまーす!!」 ザワザワガタガタ
「金メダル」という概念の存在する大会に出場する選手各位におかれては是非ともこれを参考にして戴いて、来るべき記者会見の時に備えるべし。
07/01/13(土) 第629回 何故か倖田來未の話
ねー。そろそろ分かって来たかな? この「雑文」に、ある日とある話題でネタを書いた翌日同じテーマでもう一つネタを投入してくる「更新ネタ稼ぎ」紛いの行動が多々見られる傾向が。
して本題。
今「倖田來未と言えば?」と聞くと巷からはこぞって「エロい」「エロカワいい」「エロカッコいい」「エロカッコカワいい」「カッコカワエロエロい」といった声が返ってくるのだろうか。それとも、それももうちょっと過ぎてしまったブームなのだろうか。その「エロなんちゃらい」でトップアーティストの仲間入りを果たした今となっては、彼女がFFなんちゅうオタクゲーム(っていう洒落もある意味洒落に聞こえないFF10-2の現実)の主題歌を歌っていたという経緯を知る者は少数派であろう事と思う。そんな中で、そういった時流なんてものには全く関係無くして、世のミュージックシーンにひたすら疎く、かつゲーム狂の私にとっての倖田來未と言えばそれは勿論FF10-2なのである。いや、なのであると思っていたのだが、最近ふと自分の中の、倖田來未に対して抱くイメージに変化が生じている事に気付いた。
確かに、彼女に対して持った一番最初のイメージと言えば、それは紛う方なきFF10-2の、有り体に言ってレンその人であった。人の抱く第一印象ってのはそれはそれは強烈なものであるのか、それから「キューティーハニー」くらいまでの間、テレビで姿を見ると咄嗟にFF10-2を連想していたものである。
それが、今はない。倖田來未の書き間違いやすさ満点の字、その響き、はたまた声、そのどれを見聞きしても、そこからFF10-2という作品を連想する事がいつしかなくなった。
何故か。考えなくても一向に構わなかったが、考えてみた。「real Emotion」が真の第一印象ではなかったからではないか? よくよく思い出すと、私はFF10-2前に既に彼女の存在を知っていたのである。確か主題歌を倖田來未が歌うという事実を知った時に、「今回は割かし有名な人が歌うんだなあ」と感じた事を記憶している。つまり私はFF10-2プレイ以前の段階で彼女に対し何かしら別のイメージを持っていたから、FF10-2での事はその後一年程度しか頭に残らない程度の印象であった、と。
こうも考えられる。FF10-2がクソゲーだったからではないか? よくよく思い出すと、私はFF10-2の事を「LAST MISSION」まで含めてそれなりに面白く遊んでいたけれど、世間の評価はすこぶる悪い。知人の評価もすこぶる悪い。そうした、FF10-2についての酷評を何度となく耳にする内に、自然と自分の中でその存在を消してしまっていたのではないか、と。
ただ、私は本当はこう思う。「エロなんちゃらい」の勢いがとてつもなかったのだと。氏の「エロなんちゃらい」にまつわる躍進は、そりゃとんでもないものがあった。当方氏の楽曲については「real Emotion」と「キューティーハニー」以外全く知らないに等しい位の音楽馬鹿であるが、一時期は毎日の様にテレビで見かけたものだ。世の男性諸氏の目を引き、世の女性諸氏にも多大な影響を与え、昨年末には「エロなんちゃらい」が流行語に選出されるなど、それらの社会現象レベルの活躍が、FF10-2を過去のものとして私の中から追いやったのではないか、そう思うのである。
実際彼女は、既にして「エロなんちゃらい」路線からして飽きられ始めている感こそあれど、しかし確かに一時代を築いた。そう思えば、売上げ本数235万本のFF10-2時代を、多くの国民をも動かした「エロなんちゃらい」時代が駆逐するなんて事は極めて自然な流れだったと納得出来る気がする。
それを証明してくれるのかどうなのか定かではないが、確かに、FF主題歌担当以後に強烈な印象を残す大活躍をしていない方の印象は未だその担当作品のままなのだ(そんな活躍を本人が望んでいたかはともかくとしてだ)。「Eyes On Me」以外の事をまず知らないフェイ・ウォンは私の中では今もFF8だし、トワ・エ・モワ自体は辛うじて知ってたけど何分生まれる前の話だから詳しくはなく、まさか「のび太のドラビアンナイト」の主題歌を担当してたなんて子供時分の私に分かった訳もそれからずっと記憶していた訳もない白鳥英美子さんは私の中ではFF9寄りだし、RIKKIもやっぱり「素敵だね」しか知らないから私の中では未だFF10だし、アンジェラ・アキも私の中じゃこの先ずっとFF12なのである。
07/01/14(日) 第630回 何処からともなくこのページへやって来た全ての人へ
つーかいつから「くぅちゃん」の名は例のチワワの事でなくエロなんとかの歌手の人の事を指す様になったのか。ああ、去年だか一昨年だかにあの問題のあれがこうなってチワワの方がその世界から消えてからか。
さて昨日深夜、人生の中ボス出現以降停滞していた「謎・矛盾群」のページの更新(主に考察掲示板への投稿整理)を敢行した。ひと月以上作業を止めてしまっていて、その内にログまとめを再開するのが段々と面倒になってきていたけれど、このままずるずると先延ばしにしていたらその内「どうせあんなページ目にする人なんて数少ないだろうし、一々コピペするのも一仕事だし、いっそ消しちゃうかー」なんてな事になってしまう危険性がかなりあった中、ギリギリで踏み止まれた様だ。やっぱり、あそこを参照した上で掲示板の方へ書き込まれる方もたまにおられるし、そうして書き込む方がたまにおられるなら参照している方自体はもうちょっといる筈だし、そう考えるとすぐには消してしまえないなあ。先日雑談掲示板の方で起こったログ消失事故がいつ考察掲示板の方にも飛び火するかは分かったもんじゃないのだし。
そのログ消失事故であるが、あれが恐らく、ここ最近一層激しさを増しているスパム投稿の影響によるものである事は薄々感付いている。感付いているなら、また同じ徹を踏む事のない為にも何かしら対策すべきであるのだが、時間がない。否、時間がないのではなくて、掲示板にスパム対策を施す位の時間なら仮に取らざるを得ないのだとすれば取れるが、取れた所でその時間をウェブサイトの掲示板如きに使うのもなあー…って事で別の、もっと有意義な事に走ってしまうのである。ゲーム(FF12二周目)とか。ゲーム(MGSO)とか。ゲーム(LOZTP)とか。よく分からんな。と言うかそれ以前にゲームなんてしてねーけど。いや、してねーって事はやっぱり掲示板にスパム対策を施す位の時間さえ取れないって事なんだって。そんな訳で、もうしばらくはお見苦しい点ご容赦を。定期的にしっかり消していくので。
とにかくスパムの量は中々に酷い。日に一回〜数回程度手作業削除の為に掲示板に寄るのだが、その寄った正にその時間に投稿されたものを目にする事が珍しくないのだから、かなりのものだとうかがえる。この分じゃ確かに、十分な対策をしてない限り放置したらすぐにでもスパム投稿で埋まっちゃうわな。これまで何度も掲示板のログが何ページ分にもわたってURL文字列で埋め尽くされた惨状を目にしたけれども、よくよく考えてみたら当サイトにおいてだって所用で家を一日空けたりした場合とかなら、帰って来た時には同様の有り様になっている事は全然あり得なくはないのか。リンクをクリックする行為ってのは思った程気軽なもんでもなくて、人はその先に自分の興味ある事柄があると期待されるからこそそれを求めて一手間をかける訳であって興味のなさそうな事は基本的にどんどん切り捨てて次の情報へと移っていくのだから、そう考えると、折角掲示板へのリンクをクリックしてくれたのに広告ばかりだった、なんてのはお客様に対して失礼にあたる訳だ。事実、私もそうした光景を見ると少しばかりか残念に思うから。
うーん、だとしたら、言っておこうかな。
折角クリックして戴いたと言うのに、こんな雑文をお見せしちゃってすみません。
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