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07/04/09(月) 第711回 人を差さない人差し指

JRの主要な駅などには各種列車の乗車券や特急券、また一部列車の指定席券を取り扱う「みどりの窓口」なる窓口があって、JR西日本にはその窓口とほぼ同等の役割を担う自動券売機「みどりの券売機」が設置されている。
数年前からJRの利用頻度が急激に増した私は、窓口の方よりはもっぱらこの「みどりの券売機」を利用する人間である。何となれば、列車によっては係員の人からいちいち聞かれる事になる「お煙草は?」「お支払いは現金でよろしいですか?」等の煩わしい質問(各々の問答一つ一つはそうまで煩わしくもないが、毎日二セットこなすとなれば話は別)が、機械相手ならば全て自分の中だけで解決出来るからだ。それと、1000円幾らの切符に対し10000円札で支払うなどした露骨な両替紛いの行為に出る場合にも機械相手ならば一切の遠慮なくして行えるという利点もある。また、やはり対人間の方がよりきめ細かな対応をしてもらえるといった心理からなのか、窓口に比べ券売機の方が比較的すいている事が多いのも私がそちらを好む大きな理由の一つだ。
かかる具合に私は日頃から「みどりの券売機」のお世話になっているのであるが、先日この券売機の利用中にある事件が起こった。

私はいつもの様に――あの時は確か帰りの切符だったであろうか――を買い求めようとして、最早お馴染みとなった券売機の前に立った。その駅には「みどりの券売機」が二台設置されているが、私が利用するのはもっぱら向かって右の方の機械である。何故かと言えば、何が理由か、向かって左の方の機械は時折サービスを停止している事があるからだ。
これからいざ切符を買おうとして、何なら画面にタッチしようと利き手の人差し指を差し出そうとしている所でその画面に「現在お取り扱いを中止しております」的な文章が表示されているのに気付いた時の格好悪さったらない。大人にもなると人は何かしら確固たる目的でもなければわざわざ人差し指を立てる事もなくなるものだが、切符の取り扱いを一時的に止めている以上本来なしたかった目的を達成する事の叶わなくなってしまった私はその瞬間において「ただ意味もなく人差し指を立てているだけの人」である。そんな「ただ意味もなく人差し指を立てているだけの人」な私は、目の前の券売機で切符を買えないと知るや不用意にも立ててしまったその指をいそいそとしまう羽目になるのだ。
何か「さてやろう」としていた行為を予期せぬ事態によって止めざるを得なくなるという事の格好悪さについてはお分かり戴けよう。かてて加えて私は意味もなく人差し指を立てていたのである。ああ無情。神は私を見放したもうた。非情なもんだね。日々お国の為にお国の為にと真面目に実直に生きている青年にこの様な仕打ちとは。まあそんな嘘を平気でつくから見放されるのかもしれんけど。



07/04/10(火) 第712回 気分屋券売機

しまった、期せずして人差し指を立てるだの何だのというどうでもいい話を盛り上げていたら、本来話したかった「ある事件」の事をすっかり忘れていた。今読んでみたら消化不良感の物凄い、何とも後味の悪い文章だな。

と、いう事で本題。
ある日の帰りがけ、私はいつもの様に「みどりの券売機」の前に立って、乗車券と、その日は確か特急電車による帰宅だったから併せて特急券を買う為の操作を始めた。購入する券の種類を選択、降車駅を選択、乗車日を選択、乗車列車を選択、乗車車両(自由席)を選択、購入する券(特急券のみか、乗車券込みか)を選択、復路切符を購入するかを選択。指定席を取る訳でもないのに操作項目は割と多いが、そこは伊達に毎日操作している訳でない私は慣れた手付きで素早く料金支払い画面にまで到達した。丁度定期が切れていて、普段なら特急券のみの購入でよかった筈が乗車券共々買い求めなければならなかった為に多少手間取ったか分からないが、ほぼ予定通りである。
して、支払いへ。料金は3000円強だったろうか。それを確か10000円札で支払った。程なくして会計処理が行われ、券売機は切符取出し口から乗車券及び特急券を、釣銭返却口から紙幣と硬貨とをそれぞれ出力した。ここも想定通りの展開である。
ここで私は、まず釣銭を財布にしまい込む作業に取り掛かった。まずは紙幣から。何となれば、紙幣を取り出すまでの間、眼前の「みどりの券売機」は引っ切り無しに「お札を、お取り下さい」なる音声を流し続けるからだ。一回や二回ならまだいいが、何度も何度も言われると段々「分かった、わーかったから」ってな事になってしまう。一方で何故かこの券売機は「切符を、お取り下さい」とは連呼しないものであるから、私は常々釣銭紙幣から受け取るのである。かかる後に釣銭硬貨を、うっかり落として周囲に派手な音を響かせたりしない様注意を払いながら財布内へ収納。
そうしていよいよ券類の受け取りなのだが、事件はここで起こった。先程来切符取出し口から半分だけ顔を覗かせている二枚の券をいざ手にしようとしたその時、それら券が取出し口の中へと吸い込まれていったのである。あれ? と思うが早いか、その券売機はエラーを発生させたと言わんばかりの少々うるさめな音を鳴らし始めた。
瞬間、私が混乱状態に陥った事は言うまでもない。何せこんな事が起こったのは明らかに今までで初めてである。切符の取出し口が同時に切符の挿入口にもなっている事は知っていたから「切符が入っていく」という事象そのものについて理解出来なくはなかったが、誤って奥へ押し込んだ訳でもない切符がひとりでに吸い込まれていったというその現実を論理的に説明出来るだけの知識と、それを肯定的に受け止められるだけの器量を私は持ち合わせていなかった。
数秒経つと、私は更に重大な事実に気付く事になる。お金は出したのに切符がない。そう、その券売機は、私から3000円少々のお金を出させるだけ出させておいて、本来ならそれ分の対価として提供しなければならない筈の切符はと言えば頑として客に渡さないのだ。金だけせしめておいて、しかし依然として我が物顔でエラー音を発し続ける券売機に、私は怒りさえ覚える思いであった。だが、もしか私のせいで機械が壊れたという事にされ、更に修理代を弁償しろなどという羽目になってしまったらという可能性が頭の中に浮かんだ時、3000円をドブに捨ててさっさとこの場から逃げようかとも思ってしまった気弱な私である。
結局、程なくして異変を察知し駆けつけた窓口担当の人に事情を説明し、時間も押し迫っていたという事で乗車券と特急券を別途発行してもらって事無きを得た。最後まで原因不明だったのが心残りであるが、自分に非があるでもないのに3000円をドブに捨てずして済んだだけでよしとするか。いや、本当に私に非がなかったのかどうかは分からんのだが。

つーか、何が何だか分からない事だらけで、ただただ券売機への憤りが募るばかりの一件であったが、しかし私は、券が吸い込まれたタイミングに関してだけはあの券売機の事を評価したいと思うのである。釣銭に手を出している間はびくともしなかったのに、券を取ろうと手を差し出した瞬間に中へと吸い込まれていった券。茫然自失の私。あの瞬間だけ、やけにコントだったもんなあ。



07/04/11(水) 第713回 その中に入り込んだ者は二度と出て来れないという

思い付いたネタはその日の内に消化、つまり使用する事が多い。ただ一旦「ネタ帳」の中に落とし込んで当日を終えてしまうと、一転そのネタはネタ帳の中から出て来なくなってしまう傾向がある。
これは何故か。考えてみて、「新鮮味」なのではないかと思った。何か使えそうなネタを思い付いた場合、同日中ならば「新鮮味」を感じる事もあってそのネタは本来のレベルよりも幾分か良質なものであるかの様に思え、よって「じゃあそれについて書こう」という気にもなるものである。が、これが日をまたいで一旦気分をリセットしてしまうと、「新鮮味」という鎧を引き剥がされたネタはどうも、何となしに、ありがちなものの様に感じられてくるし(実際そうそう奇抜な事を思い付ける訳もないのでネタ帳に連なるネタ群は往々にしてありがちなものである)、昨日のちょっとした盛り上がりも何処へやらで、勢い「『雑文』のネタに使ってやろう」という意気込みは消沈してしまうのであった。夜中、一時の勢いのみで書き上げたラブレターは翌日改めて読んでみたらお世辞にも相手に渡せたもんじゃなかったなんてのは有名な逸話であるが、それに似たものなのかもしれない。勿論、「折角溜まったものをそう安易に使っちゃうのは勿体無いから」という単純な理由も相乗してはいるだろう。
ともかく、ネタ帳に現時点で5、60か書き溜められているネタ達は、それを書き込んだ瞬間こそ「またちょっと面白い事思い付いちゃったなー」的な事を思われていた筈であったのに、今やどれもがどうもパッとしないものに見えてしまっているのが現実だ。
そしてそれは、非常にマズい現実であった。ネタのストックが5、60あると言うと随分なものの様に聞こえるが、その実それらの殆どは自分でも「どうなんだこれは」と少なからず思っているものばかりなのであり、いざ書こうとする時にもちょっと考え直してしまったりして、結局ネタの選定に時間がかかってしまう事になるからだ。なまじ量が多い為に最近その傾向はより顕著になってきていると言える。

私は痛感した、このままじゃいかん。もっとストックされたネタを行使していかなければ。
ただ、既にネタ帳の中で何度も目にしているネタについて改めて「新鮮味」を感じたりとかする事はちょっと無理そうだから、せめてネタ選定に悩まされる時間を節約すべく、ストック数を減らす事に努めなければならないだろうか。そう思った次第である。
で、本日の内容に至る。残りストック数は、5、60。



07/04/12(木) 第714回 ネタスタック

言っても昨日のは、古いものから筆頭に下へ下へと行く程に新しいものが連なっていく「ネタ帳」の下から二つ目にあったものを出したに過ぎず、そういう意味では比較的「新鮮味」のあるネタだったと言えるかもしれない。そうじゃなくて、本当はもっと古い、もうカビが生えちゃってる位のやつを奥の奥の方から引っ張り出して来ないといけないってのに。
倉庫行きのネタと言えば丁度一ヶ月程前に一日で「雑文」ネタを4つ思い付いたなんて無邪気に喜んでいた事があったが、あの時の4ネタも今日までに使ったのは2つまでで、残り2つはいつ来るやも知れない活躍の日を待ってるっけか。
更に奥の方へと目を凝らしてみれば、いつだったかから「第500回を迎えた時に書こう」と思ってたのに何が理由か華麗にスルーされちゃって、以降今日に至るまで日の目を見る事のなかったネタもある。第500回からでさえもう7ヶ月経ったから、計画してた頃からすればもう10ヶ月か1年近くは温存している事になる。別に「第500回」って事にかけたネタでも何でもなかったから、いつ放出しても構わなかったものの筈なのに。ってか、第500回って何書いてたんだっけ? →→→第500回「祝500回」 ……あー、なるほど。

つーか、こういった事を言い始めちゃうと、究極的にはこのコンテンツを始めた当初からネタ帳の最深部に居座り続けている、即ち3年近く眠り続けているネタもあるという話に辿り着いてしまう事になる。
「新鮮味」をなくしてネタ帳に蓄積され続けるネタ達であるが、やはり3年も熟成されると(3年も無視し続けていると、とも言う)印象が一回りして逆に新鮮だな。近々、初期の頃の着想から1ネタでも書き出してみるか。
うーん、書き上げるのに相当の苦労を要する事が容易に想像されるぞ。ある程度時間がある時に取り組まないと。



07/04/13(金) 第715回 遠回りの自愛

気付いたら間近に迫っていた資格試験の勉強全然してない。こりゃ今回は落ちるな。それもこれも先月から慢性的に続く忙しさでそっちに割くだけの時間がなかったせいだ。無念だねえ。ま、ゲームにかまけてて落ちるってのかよりはずっとしょうがない事情がある訳なのだからそんな気落ちする事もないけど。ってか、今から落ちる事に落ち込んでたりするのもこれまたしょうがない事なのだけれども。でも落ちるよなあ。落ちる公算の高い試験の為に休日を一日潰してしまうのってどうよ。何と生産性のない行為か。たまに試験開始時刻から殆ど時間も経ってなくてろくすっぽ答えてられてもないであろうにも拘らずさっさと試験会場から出て行ってしまう人がいるがその気持ちを今回身に染みて感じそうだよ。それでも、安くはなかった受験料の事を思えばどんな難敵だっておいそれと諦めたりは出来ないから、そんな私はどうせ時間ギリギリ一杯まで目の前の問題用紙と睨めっこし続けるんだろうけどね。

で、試験を受け終わったら、試験中から薄々気が付いていた「これはダメっぽいな」感が一挙に現実感を増して私を襲うのだろう。いつもの様にくよくよと落ち込む私の姿が今から鮮明に見える。何せ私は試験当日を迎える日まで、勉強が面倒臭いからとただ遊んで暮らしていた訳ではないからだ。もっとも、遊んで暮らす事の許されなかった最大の原因は再三言ってきている通りでこの程の資格試験とは全く別の所にあるのだが、それをして休日はきちんとあったし、ある日を除いて出先で泊り込みという事もなかったし、つまり自由時間というものは毎日僅かばかりでも存在したのに、じゃあ何故もう3ヶ月近くもFF12二周目が進んでないんだと言われれば、それはそういった時間の多くをこの試験の為に費やしてきたという背景があるからではないか。丁度この前「この100日間の空き時間を集めればFF12二周目を終えられたかもしれないのに」なんて事を書いていたが、あんなのはネタの一部として書いたちょっとした誇張表現で、実際の空き時間には割と頑張ってた方だと思うんだよ。それでも両者を共に解決・達成出来る方向へ向かわせられなかったのは「時間の使い方の下手な人間」というくだりが大袈裟ではないか、仮に大袈裟であったとしても少なからず的を射たものであったからだ、とも思うが。

んで、そんな落胆模様も日を追う毎に段々と影を潜め、しばらくして立ち直った私は何の期待感も持たずして結果発表の日を迎える事だろう。資格試験に限らず高校や大学の受験だってそうだが、受かっているだろうか、落ちているかもしれない、頼むから受かっててくれ、などと思いながら迎える発表の日のドキドキ感たるや大変なものだ。その緊張からくる身体的負担、精神的負担も計り知れないと言えよう。それを今回は感じなくていいっていうんだから、なんて身体に優しい行いなんだろうね。

もうさ、そうやって慰めていくしかない訳よ。



07/04/14(土) 第716回 お上の犬

第二次世界大戦中、旧ソ連軍は「対戦車犬」なる動物兵器を開発し、ドイツ軍と戦ったと言われる。戦車の下に餌を置き、戦車に潜り込む事を教えられた犬が爆弾を背負って敵軍の戦車下へ突撃、すると起爆装置が作動し、犬もろとも戦車を破壊するというものである。何とも残酷で、そして恐ろしい計画であるが、実戦においては怯えて逃げ帰ってきた犬が自陣で自爆してしまったり、或いは自軍の戦車に潜り込んでしまったりという失敗もあったとされる。
そして、明日に試験を控えている今、私の心境はこの対戦車犬そのものであった。本人の思いとは裏腹に押し迫る敵。明らかに身の程に合わない強敵に立ち向かっていく様。本人の意思がどうであるかに拘らず虚しく散るという現実。そして、仮にその現実から目を逸らし、目の前の敵から逃げてみたってやはり散る。

荒んだ心はこんな風にやや不謹慎な話の持っていき方をさせもするが、しかし事実だ。だが事実は事実なりに、どうせ散るなら派手に散れと、最後の足掻きをするつもりで、明日は特攻をかけてくるとするか。
見事に散った私の様子はまた明日に。



07/04/15(日) 第717回 争えば、死

FF6の崩壊後の世界にはピーピングベアというモンスターが登場する。HP1という貧弱に過ぎる体力に加えどうも周囲の環境と体質とが合わないのか、出会った傍から地形効果によるダメージで次々と倒れていくどうしようもない奴である。
ある時私はこのピーピングベアというモンスターについて、とある疑問を持った。今も世界の何処かで1の地形ダメージを喰らって死んでいっているのであろうピーピングベアであるが、そうして放っといても個体数を減らし続ける中で、どうして彼等は絶滅してしまわないのだろうか。
一度に生む子の数がマンボウの産む卵並に多くて繁殖のスピードが固体減少のスピードを大きく上回っているのか、とは思ったのだが、バトルを通して見る限り彼等の寿命は明らかに1ターンに満たない。当然、親が親なら子も子で崩壊後の自然環境にはそぐわない体質をしているのだろうから、それからすれば仮に1体の親ピーピングベアから3億体の子ピーピングベアが生まれたとしたって、数秒としない内に子供達は死滅してしまう筈なのだ。そして後に残るのは1体につき1乃至2の値が積もりに積もった3〜6億の経験値のみ。悲劇の死を嘆く母は、我が子が残してくれた経験値を糧に涙を拭って強く生きていくのかと思いきやその母もまた死去。やはりどう考えても、彼等が、少なくとも少し歩き回っていれば簡単に出会える程に繁栄出来たとは思えないのだった。

しかし、ここで私は一つの事実に気付く。ピーピングベアがひとりでに息絶えてしまうのは地形ダメージによるものだったが、地形ダメージはバトル時にのみ喰らうものなのではないかという事を。我々で言う所のスリップ状態がバトル終了と共に解除されて通常の状態に戻る様に、ピーピングベアも普段は(最大HPこそ1ながら)ごく普通の暮らしを送っているのではないか、そう思ったのだ。
だとするなら、彼等が絶滅の危機に陥らないのも不思議ではない。だがしかし、同時にこうも思った。彼等は確かに普通に生活出来ている様だが、返して言えば彼等は、ひとたび何者かと戦う事になった瞬間、死ぬ運命にあるのだ。
これはかなりの恐怖ではないか。自身が望むか望まざるかに拘らず、戦いに巻き込まれようものなら、死ぬのだ。大抵の相手を前にどうあっても勝つ術のない彼等が己から戦いを仕掛けるなどという事はあり得ないだろうから、普段、不意に天敵と遭遇しない様、常に周囲への警戒を怠る事の出来ない実情が浮かび上がる様だ。いつもは何処ぞの穴ぐらか何かで静かに隠れているのだろう。だが、ただただ隠れ続けてもいられない。彼等も生き物である以上、何かしら栄養を摂取しなければ戦わなくとも死が訪れてしまうからだ。餌を得る為、どうしても定期的に外界へと繰り出さなければならない。勢い危険は増すだろう。どうか、誰も俺の前に姿を現さないでくれ。しかし、そんな願いも虚しく彼は、この荒廃した世界を闊歩する物好きな冒険者と出くわしてしまうのであった。

しまった――

全てが、遅かった。彼の頭の中に、これまでの人生の思い出が走馬灯の様に駆け巡る。親父からは何度も言い聞かされてきた。揉め事には関わるな。不穏な空気を察知したらすぐにその場から消えろ。逃げるが勝ちだ。さもなければ、死ぬ。逃げるんだ。とにかく、逃げろ。弱虫だって言われてもいい。死んでしまってはどうしようもない。全ての争いから逃げて、逃げて、逃げ続けろ。そして生きるんだ。
親父は毎日、自分達家族の為に外で餌を取って来てくれた。夜、「ただいま」と帰って来るのを毎日楽しみにしていたものだ。しかしある日、親父は帰って来なかった。次の日も、その次の日も、親父は自分達の下へ帰っては来なかった。お袋はただ、「お父さんはもう帰って来ない」と――
しばらくして、何処ぞの冒険者が、俺達の持っているエリクサーを狙って、集中的に狩りの対象にしているという噂を聞いた。どうやら親父も、運悪くその冒険者と出くわしてしまった様だった。それもそうだ。戦いに巻き込まれたら死は免れないとは言うが、俺達ピーピングベアも立派なモンスターなのであって、そんな俺達の天敵なんて風変わりな人間を除いて他にそういるもんじゃない。俺はそいつらを憎んだね。憎んだとも。何度この手にかけてやろうと思った事か、そしてその度に、そうは出来ない現実に涙した事か知れない。
今、目の前にいるのが親父を殺した冒険者なのだろうか。俺には分からない。でも、もしそうでなかったとしても、たかがエリクサー如きで俺達の平穏な生活を奪った人間共に一撃だけでも喰らわせてやれるかと思うと、俺は本

今日も、ピーピングベアは何も出来ぬまま死ぬ。
しかし今日出会ったピーピングベアは、何処か満足気な表情を浮かべていた様に見えた。



え? 資格試験の手応え? 聞くなよ。



07/04/16(月) 第718回 寒気から貴方に送る

毎日長距離間の移動を強いられている人間にとって、気温変動への対応は少しばかり厄介に思う所がある。特にこの時期は厄介だ。日中は暖かくなる、と言われていても私が家を出るのはまだ日も昇り切らぬ早朝なのであってまだ肌寒く、だからという事で少し暖かい格好をしてしまうと日中気象庁の予報通り見事に上昇した気温がビシビシと私を襲うのである。
冬なんてのは、その意味ではまだ良い方だ。冬場の早朝と言えばおいお前ふざけてんのかとつい口走ってしまいたくなる程の寒さに身を震わせなけりゃならない環境であるが、日中幾ら気温が上がろうったって結局寒いのに変わりはないんだから、出かける側の立場の人間としてはとにかく寒さ対策に気を遣ってさえいればいいのだから。同様にして、夏なんてのも全くもって問題ない。何しろ朝から暖かく、つーか暑く、今しがたまで寝付けなかった程のその暑さに、数時間後にはやって来るであろう地獄をただただ憂えていればいいのだ。
しかし春先ともなれば打って変わって状況は不利になる。朝は寒いのに、昼は厚着じゃ割かし暑い。しかし昼間の気温に合わせた装いでいて風邪を引いてしまったりするのもつまらないからどうしたって朝方の、出かけるタイミングに合わせた出で立ちでなければならないというこのジレンマ。本当に些細な事だが、この時期はそれが毎日の様に続く訳で結構こたえるものがあるのだ。寒さは、お日様さえ昇ればすぐにでもなくなるのにね。
そんな私だから、今日みたいに不意に寒気が襲来して、周りから「今日は寒いなあ」とかいう声を度々聞く様な日はちょっとした幸せを感じないではない。「俺はそんなに寒くないもんね」と思っては密かな優越感に浸るのである。

誰か、こんな寂しい私に少しまとまった幸せを下さい。



07/04/17(火) 第719回 もう来ない

まだかなまだかなー♪
学研の、おばちゃんまだかなー♪

http://book.asahi.com/news/TKY200504220253.html


おばちゃん…



07/04/18(水) 第720回 悟れ! ダメ人間

普段強気に出られない私が珍しくビシッと思いの丈を相手にぶつけてきたのだが、そう熱弁を振るってきた事によっていつにない満足感が得られたものかと思いきや、あまりになりふり構わなかった言動が今にしてみれば恥ずかしいやら何やらで結局もやもやしたものが残っている。性に合わない事はするもんじゃないな。
でも、性に合った事をするならするで、それはつまりあまり自分の意見を押し通さなくなる人間になるという事を宣言している様なもので、結局それでは日々鬱積するあれやこれやのわだかまりを胸の内に溜めていく事になりはしないかって? それは勿論そうだ。ただ、そういったいわゆる鬱憤は定期的にでも吐き出してしまえばいいのだ。
何処にどうやって吐き出すかって? そりゃあんた、ここでこうやって吐き出すに決まっているでしょう。

ゲームがやりてえぇぇぇ〜!!!


あーら随分控え目なストレス発散だこと。ゲームやりたいゲームしたいとは常々言っているが、案外まだ禁断症状が出ちゃったりするとかそうまでの状況ではないのか。
ま、四ヶ月半で二日しかゲームしてなけりゃ、段々達観してもくるわな。


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