07/04/30(月) 第731回 国賊
そうか、分かったぞ。4月29日が「昭和の日」になってそれによって日を移る事になった「みどりの日」が5月4日に落ち着いたのは誠に残念な話だが、しかしそれはもう決まった事なのだから今更我々があれこれ言った所でどうしようもない。そうじゃなく、「昭和の日」が制定されたというその事実にこそ目を向けるべきだったんだ。
そう、「昭和の日」とは、言うまでもないが昭和天皇の誕生日であり、19年前までは天皇誕生日とされていた日の事である。従ってこの日は1989年、年号が平成に改められ、天皇誕生日が今上天皇の誕生日である12月23日へ移ると共にただの平日と化す筈の日にちであった。しかし現実にはそうはならず、1989年以降4月29日は「みどりの日」として、そして今年からは「昭和の日」として、祝日という立場を保ち続けた。ここで重要なのは、これまではあり得なかった「天皇誕生日の重複」が名目はともかくとして事実上は起きているのであり、そうした前例がある以上それと同様の法改正が今後再びなされないとは限らないという事だ。つまり、今の12月23日も今
これ以降の文章はあまりに不謹慎に過ぎるため削除されました。
07/05/01(火) 第732回 膿を取り除け
昨日「雑文」を書き終わって気付いたが、前にも似た様な事やってたな。懲りない奴め。
さて、この「雑文」も(ふと思ったが、これまで何度こういう書き出しで本題を切り出しただろうか)夢の大台第1000回へ向けて一日一日一歩ずつ着実に前進している中で、一昨日第721回〜第730回分が過去ログ73へと移行する事となった。んで、これは「禁煙セラピー」についてのネタを書き始めた辺りから徐々に思い始めた事なのであるが、そしてまたもや自画自賛めいた内容になってしまって申し訳ないのであるが、過去ログ73はここ最近の中ではかなり秀逸な出来に仕上がったなあと自負している。
無論、私にとっては、である。またいつか書いていた様に、二年程前と比べて最近はネタの選定に苦慮する傾向が強まった(=ストック内に良質のネタが少なくなった)事実も考慮しなければなるまい。あくまでも最近では、という事なのだが、これは私にとっては嬉しい事であった。まだやれるな、という事らしい訳で。
ただまあ、世の中そんなに甘くないもので、ネタが10個も集まれば面白いものからそうでないものからアレがどうするものから色々集まる訳で、過去ログ73にも紛れ込んでいやがった。第727回である。あからさまにネタ臭のプンプンなものがあって、ネタ的とは言え真面目そうな題目を真面目そうな論調でもって語る一見真面目なものがあって、筆者の意図が容易には読み取れそうにない様な訳の分からないものがある中で、ただ一点から発せられるこの世のものとも思えない淀み切った負のオーラ。振り返ってみればまだ一週間と経っていないあの日の事を私はまだ引きずっている。つまりそれは、あまりその事を思い出したくもない私が、あの第727回という回を少なくともしばらくは自分の目から遠ざけておきたいと思っている事を意味する。延いては、その第727回の掲載されている過去ログ73そのものまでをも。例え過去ログ73がどれ程素晴らしく思えるものだったとしても。
過去に自分が書いた「雑文」をふとした時に見返してみる事はよくあるが、このままでは過去ログ73全10回分はその中に幾つかの名作を閉じ込めたまま私の中では永遠に封印されたままとなってしまう。最早私に出来る事は一つであった。可及的速やかに、六日前私を落ち込ませ、一時的とは言えどん底感を味わわせた最たる原因を取り除くのだ。して、可及的速やかに過去ログ73の第727回を読んでも精神的ダメージを被ってしまわない心を勝ち取るのだ。さあ頑張れ俺。頑張るのだ俺。明日からでも。今日からでも。一刻も早く、まずは立ち上がるだけ立ち上がらないと。今なら間に合う。さあ。さあ。
まあさ、今日の文章が第727回とは別の意味で今後振り返るに耐えない内容になっている事は薄々感付いてたよ。
07/05/02(水) 第733回 337リターンズ
今日だって「何を書こうかな?」なーんて事を考えている訳だが、今日はいつもとは少し事情を違える。何が違うのかって、その重大問題を現在進行形で考えている。もう9時も30分を過ぎようとしているから、この期に及んで迷っていると時間も勿体無いからという事でこうして見切り発車に出てみた訳である。
さて、何を書こうかな。一つ思い付いたのは、今日は第733回で、この「733」という数字を逆から読むと「337」になるから、第337回に掲載されたあの伝説的意味不明低俗ネタ(でも私はそんなに嫌いじゃない)を再来させてみようかという案だったのであるが、流石に「『733』を逆から読むと〜」なんてのは強引に過ぎるかなあ、とも思っており、決断に至れないでいる。
でも、他に気の利いたネタもないから、やっちゃうか。この場に「ピッ」を都合733個連ねたその光景は、現在我がネタ帳に長きにわたって眠り続けている数々のネタに増して気の利いてない、ともすれば迷惑なものだという事は分かっているが。
よーし、やると決めたら、やろう。善は急げと言うしね。突っ込みも耳に入らない内に、さん、はい。
ピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッビッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッ七ッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッ(あー、俺何でこんな事やってんだろ)ピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッピッ
ピ〜ッ!!
七三三 (ななひゃくさんじゅうさん)拍子、終わり!!
当該ネタを行使する上で唯一の、誰が何と言おうと唯一だった問題である迷惑さを解消する為に、文字サイズを随分小さくしておきましたよ。そんな所に、1年と4ヶ月前からの成長を感じ取りつつ、それでは皆さんまた明日。明日は何を書こうかな? ま、明日考えればいいか。
07/05/03(木) 第734回 注文が多岐にわたる料理店
「乃至」
突然、その文字は私の視界に入ってきた。飲食店の看板らしい。
「乃至」 一体それは何なのだろうと私は考えた。「中村」とあるなら私は「ああ、この店の主人は中村さんという人なんだなあ」と思っただろうし、「ラーメン亭」とあるなら「なるほど、ラーメン屋か」と思っただろう。はたまた「ラーメン中村亭」とあれば「ほほう、中村さんという人がやっているラーメン屋なのか」と。
だがしかし、その看板にあったのは主人の名前でも専門分野でもなかった。「乃至」 ご丁寧に振り仮名まで振ってあった。「ないし」 言い換えれば「または」或いは「或いは」 何という接続詞。この店の主人は、一体どういう思いを込めてこの言葉を看板に掲げたのであろうか。
「乃至」 その言葉を杓子定規に受け取るならば、その店は直前の何かと直後の何かとを繋ぐ架け橋である。ではここでいう「何か」とは何だろう。「乃至」が食事処と思われる以上やはりここでは、飲食に関する事について述べられていると考えていいだろう。
「乃至」という言葉の性質上選択者はそのどちらかを選び、どちらかを捨てるという事を無視してはならない。つまり「乃至」前にある要素と「乃至」、そして「乃至」後にある要素とは左から右へ時系列順に並んでいる訳ではなく、あくまでもまだ未定の事象について論じているのである。
では、食事に関する取捨選択とは何か。これを「何を食べるか」の選択だと結論するのに時間は要しまい。
ここまでの話を総合するとこうだ。
「今日は何を食べようか」→「ラーメンかカレーライスがいいね」
即ち、
「今日は何を食べようか」→「ラーメン『乃至』カレーライス」
更に「乃至」が特定の場所にある店屋である事を踏まえるとこうなる。
「今日は何を食べようか」→「(ラーメンにするかカレーライスにするかを)『乃至』に行って決めよう」
ここで、「乃至」が飲食店と思しき施設である事実に立ち返れば、上記文章の意味はより明白となる。ラーメンを食べるかカレーを食べるかを、飲食店に行って決めるという事はそう、今天秤にかけているメニューが共に「乃至」にあるからに他ならない。無論、「乃至」にあるのはラーメンとカレーばかりではないだろう。人々は「うどん『乃至』そば」で迷った時も「乃至」へ行く。そこにはうどんもそばもあるからだ。「親子丼『乃至』寿司」で迷った場合も「乃至」へ行く。当然、そこには丼物も寿司もある。のみならず、「フレンチ『乃至』イタリアン」で迷った場合でさえ「乃至」へ行くだろう。「乃至」はフレンチを、そしてイタリアンをも扱う店であるからだ。そう、「乃至」は世の中にあるありとあらゆる食事メニューを網羅した、オールマイティーな料理店だったのである。
田舎町に店舗を構えた多くの飲食店がそうである様に一見小ぢんまりとした外観でありながら、その実態は地球上に存在するどんな料理ですらも用意出来る摩訶不思議な飲食店「乃至」
興味ありだな。今度、寄ってみるか。
07/05/04(金) 第735回 新たなる可能性へ
問題:今日は何の日?
えーっと、今日は…5月4日だから…「国民の休日」か……あ、待てよ、4月29日が「昭和の日」になった事で「みどりの日」になったんだったっけ? いや、あれは来年からだったか? 確か制定が2005年の事だったから…今年からだったっけなあ。ああ、分からん。「国民の休日」か「みどりの日」か…「国民の休日」か「みどりの日」か……どっちだ!? 「国民の休日」乃至「みどりの日」……あっ。
そうだ、乃至へ行こう。
07/05/05(土) 第736回 無論本当は知らない。未プレイどころかFF12二周目も終わってないのだから
「こどもの日」って子供達を祝う日だったっけ、それともその子供達を生み育ててきた母親に感謝する日だったんだっけ。子供か母か…子供か母か……子供乃至母……えっ? もういい?
さて、今日は「オチ」というものについて。
オチとは即ち一つの流れを持つ文章や、或いは物語などにおける結末部分を言う。例えばそれがこの「雑文」の様に、文章に幾らかの面白味が含まれている事の期待されるものだとすれば、そのオチには読者をクスリとさせる何らかの仕掛けが要されるだろう。またあまねく全てのオチは、必ずや避けられなければならない大きなリスクを共通して持つ。ネタバレである。
あるネタに対するあるオチが例えどんなに秀逸なものであったとしても、そこに至るまでの流れを全て把握し切らない内にオチを知ってしまった場合、その面白さは驚く程激減するものである。明らかにネタバレに当たる為背景色で記述する事にするが例えばFF10なら、ティーダが祈り子の見る夢で『シン』を倒すと共に消える一方でユウナは結局死なないなんて事を知ってしまっては感動もへったくれもなくなってしまう事は想像に難くあるまい。それがしかも消えたティーダは続編のFF10-2で割とあっさり復活するなんて事まで知ってしまったとしたらもうプレイ意欲の持続すら危うくなってくるであろう。
同様に、MGS3なら実はロシアに亡命したザ・ボスは政府の命によって偽装亡命を図りロシアで工作活動を遂行する筈だったがヴォルギンが核を放った事が原因で祖国へ帰る事が許されなくなり、スネークによって殺されなければならなくなった、なんてくだりはしかるべきタイミングで知ってこそ涙なのであるし、DQ8なら姫は馬で最後には主人公と駆け落ちの末結婚するなどという展開を知ってしまえばあまりにありきたり過ぎて興ざめ確定だろうし、はたまたこの間発売のFF12レヴァナントウィングなら の が の挙句に してしまい、最後には で の の に の の を とかいう事は時期的な関係もあって口が裂けても言えたものではないのだ。
ネタバレは楽しみを根こそぎ奪い取ってしまう。もし貴方がFF10、MGS3、DQ8、FF12RWを未クリアで、なおかつ今後プレイする予定が多少なりともあるのなら、興味本位で上記虫食い部分を選択反転させてみたりするべきではないと、そう述べておこう。
07/05/06(日) 第737回 何という愚論
ところでオチと言えば、元は日記的役割を担っていたこの「雑文」がいつ頃からかネタ掲載の場へと変遷を遂げて以降、常にある事に気を遣って日々の文章を書く様になった。オチの位置取りだ。
昨日の本題でもあったが、しかるべき流れの果てに行き着いてこそ活きるオチを先に知ってしまう事ほど残念な事はない。それはオチを知ってしまった者にとっても、作り手にとってもである。本来楽しめたかもしれなかった筈のものが楽しめなくなった。本来楽しませられた筈のもので楽しませられなくなった。これは双方にとって非常に不幸な事だ。我が「雑文」が読者の方にとって楽しめる筈のもので、読者の方を楽しませられる筈のものだと言い切れるかどうかはまた別の話であるが、しかし一般的に言ってオチのネタバレとはそれに関わる全ての人間にとっての損害であり、故に私もそれに留意した「雑文」の在り方というものを考えるべきだと思うのである。
そこで冒頭の話題に戻る。オチの位置取り。即ち、オチとなる文章を何処に掲載するか。私は常々、心の準備なく突然目に入ってしまう可能性のある位置にオチを持って来ない様にと思って文章を書いている。
具体的には、出来る限り、このページを開いたそのままの状態ではオチ部分が表示されない様、つまり画面を幾らかスクロールして初めてそれが現れる様に意識している。文章量が一定以上になれば自然とオチは画面外へ押し出されるのでその場合は何ら考える必要もないが、さもなければ、意味もなく改行を設けるとか、滅多にない事だが途中の強調文を大文字にしてみるとか、そうやって文章全体の縦幅を少しでも伸ばそうとしてみるのだ。ローカルファイルで見る分にはオチが画面内にあっても、サイト上でならページ最上部の広告によって下へ弾き出されるな、なんていう計算は日常茶飯事である。とかいう事を書いている内に、今日の文章もそろそろ画面外へはみ出し始めたかな。
と、ここまで書いてふと気付いた。ブラウザの文字サイズなんて人それぞれだから、幾ら私の環境でオチ部分が画面外にあろうと、他の、より小さなサイズに設定している人からしたら「何言ってんだ最初から見え見えじゃねーか」って事になるわな。
偉そうに自論を述べて、ただでさえ「で?」と言われかねない内容であったにも拘らずその挙句に論理の破綻が明るみに出た為本日はお開き。ま、私が利用するブラウザはスクロールバーを最上部に移動させた時に「縦幅を少しでも伸ばそうとしてみるのだ」ぐらいまでが画面内に表示される程度の文字サイズで設定されているという事が分かっただけ良いよね、という事にでもしといてくれ。
07/05/07(月) 第738回 読書困難
ところで「しかるべき流れの果てに行き着いてこそ活きるオチを先に知ってしまう事ほど残念な事はない」と言えば、どうしてそんな、言ってしまえばどうでもいい事に気を遣うのかというと、私自身がよくそれをやってしまう人間であるからに他ならない。
と言って、それは一昨日話題にした様なゲームに関するネタバレではない。未プレイのゲームに対する私の関わり方の徹底され様は知る人ぞ知る所であろう。最近多忙によりゲームから離れていて少しずつその傾向に変化が見られ、「買ってプレイしてみても良いかな」程度の作品ならネタバレしちゃっても、とまで思う様になってきたが、FFとかDQとかMGSだとかいういわゆる本命の作品についての事前情報遮断姿勢は健在である。そんな私に、ゲームにおけるネタバレはまだまだ縁遠い存在なのだ。
そうではなく、私がよくやってしまうのは本やウェブサイト上で文章を読んでいる際に頻発する。流石に主題の結末(有り体に言って大オチ)を不意に知ってしまう事はまずないが、例えば本で言うなら、ページ前半を読んでいるのについ目がチラッとページ後半の方を捉えてしまったりして、一瞬ながらも、半ページから一ページ分先の流れを知ってしまう事があるのだ。
たかが一ページかそこら先にある展開を知ったからと言ってじゃあそれが何なのかと思われるかもしれないが、ここははっきり言おうではないか。これは貴方が思うよりもずっと大きな問題であると。
何故ならば、先の展開が目に入った瞬間、反射的に「ああっ、見てしまった」と思うばかりにむしろその内容は頭に焼き付いてしまい、その箇所まで読み進める間は見てしまった内容の事がどうしても気になってしまうからだ。所詮高々一ページ程度ならすぐにでも追い付くと思われるかもしれないが、これが本一冊につき一度か二度程度ならともかく頻発すると言うのだから話は別である。しかも私自身、他人に比べ文章を読むスピードが遅い人間である為に、個々の「チラッ」によって頭の中を無用な事で一杯にしてしまう時間が無駄に長いのも、この問題を無視出来ない大きな要因であると言えるだろう。仮にもこちらは活字を読む事で少しばかりでも日頃のストレスから逃れ、辛い現実を忘れ、多少なりともリラックス出来ればしめたもんだと思って読書に勤しんでいるというのに、その端々でこれをやられてしまっては逆にストレスを抱え込む結果になってしまうではないか。そんな馬鹿げた話はないのだ。
或いは、具体的にこういう場面を想像してみると上記現象の問題点が浮き彫りになろうか。例えば推理物の小説を読んでいるとして、登場人物である所の国田某が単独で行動しており、明らかに不穏なシーンに差し掛かった所でページをめくるとついつい左側のページに目が行っちゃって、で、そこにはこう書いてあったのだ。「死んでる…」 瞬間、私は悟るのだった。ああ、国田某は死ぬのだ。これから僅か二ページの展開の内に死ぬのだ。その内容的ネタバレを引き起こしてしまった事に心底失望すると共に、一方では気になり始める。国田某はどの様にして殺害されるのか? 国田某は殺されるまでの一連の流れの中で何らかのアクションを示したか? 「死んでる…」の台詞を発したと目される第一発見者は一体誰なのか? そうした事を気にかければかけるだけ、本来読書に向けなければならない集中力は見る間に消え失せて行き、大体に遅い読書スピードは余計に遅くなっていくのだ。繰り返すが、こういった事が読書中に頻発する。上記の例はかなり極端なものかもしれないが、この現象の持つ決して無視出来ない問題がお分かり戴けただろうか。
無論、そんな事で頻繁にストレスを感じていてはまともに本も読めたものではないから読書中はその旨細心の注意を払っている事は払っているのであるが、しかし眼球運動を100%意のままにするのは思いの外難しい。先の展開を目にしてしまう事がストレスの蓄積に繋がる事を知っているから「見ちゃいけない」と意識的になるのだが、そう思ってしまう事でむしろ目がそちらへそちらへと動きたがってしまうのである。場合によっては一旦見ちゃって、一度は瞬時に目を離したものの、そこまで読み進めるのを待てずにもう一度そちらへ目を向けてしまったりする事もある。
当該問題について無意識になれれば一番良いコンディションで本を読める事は分かっているし、私自身読書を開始してしばらくはその事を忘れていられるのだが、長時間読んでいればどうしたってその内思い出してしまうし、仮に思い出さなくとも自然と先のページを見ちゃって強制的に「あ、見ちゃいけないんだ」という事を思い出させられてしまうものだから、うーん、読書とは難しいものだね。
結論:読書止めれ
07/05/08(火) 第739回 もう神ですら救えない
もう少し、昨日までのネタバレ関連の話を続けるのだが、しかしまあ人間の目ってのは上手い事出来てるんだなあと思わされるのである。
普段あまり意識的になる事はないだろうが、視力とは視界全体において一定のものではない。焦点を合わせている箇所については鮮明に見えるが、少しでも焦点から外れた所は大まかにしか見えないのだ。文章を見ればそれは顕著である。ある文字を見つめていればその文字については普通に読める事と思うが、その文字を見つめつつ周囲の文字を読もうとしてもそれは容易ではない。近接する文字ならばまだ何とかなるが、10文字程も離れてしまうともう無理である。
生物学的に、どうしてこの様な機能を持つ様になったのかはよくは知らない。しかし今重要なのは焦点周辺しか鮮明に見えない事の理由ではなくその事実そのものだ。こうした特性を持っているからこそ、我々は読書時の小規模ネタバレを普段は避けていられるのである。これがもし、人間の視界における鮮明な範囲がもっと広かったとしたら(そういう人は実際にいるらしいが)、読書にかなりの集中を要するだろう。さもなければただ普通に読んでいるだけで次々と先の展開が目に飛び込んできてしまうのだから。
人間を、約半数の日本人が趣味としている読書(情報元:全国の企業採用担当者)について、その楽しみを最大限引き出す様な作りにした辺り、神様も粋な計らいをしてくれるじゃないの。神よ、貴方のお陰で、私は今日も長い長い移動時間を有意義に過ごす事が出来ます。今日だって私はこの推理物の小説を片手に…
チラッ
ぐああ。
07/05/09(水) 第740回 kemkam戦攻略
近々、具体的には一両日中に何か不安な事を抱えていると分かり易く士気の下がる私であるが、今がそうだ。今夜から明日にかけて通過する寒気を伴った低気圧が例によって雷を伴う雨を降らせるとの予報を聞き、例によってその雷の発生を不安がっているからである。丁度明日、出かけるタイミングに被ってきたらと思うと憂鬱でならない。
私を敵視する者へ。私に敵対する者へ。もし私と何らかの形で一戦交える事があったら、その際には寒冷前線の一つでも戦地の傍へ持って来る事をお勧めしよう。それだけで貴方は戦いを有利に進められるか、或いは私の戦線離脱による勝ちが約束されるであろう。
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