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07/06/13(水) 第771回 生きとし生けるものの避けられ得ぬ戦い

当方、そんなに誰かに対して自慢出来る様な特技を持つ人間ではない。せいぜい、ゲームに関してのみ不必要な想像力を働かせられる事と、その意味すら推し測りかねる無駄に冗長な文章を書ける事くらいなものである。しかし、自慢出来る事に話を限定しないのなら私にも特筆すべき能力は備わっているのだ。それ即ち「寝起きの悪さ」である。
とかく私の寝起きは悪い。どのくらい悪いかって、誰かに起こしてもらわなければ昼過ぎまででも平然と寝てしまっているのが基本だと言ってもいいくらい悪い。実際ある時期まで、私は本気で一人暮らしの出来ない人間なのだと思っていたものである。何しろ、一人では規定の時間に起きられないのだから。仮に自分一人で生活する事になったとすれば、それが学生時分なら大学の講義開始時間を、社会人時分なら会社の出社時間を、いずれも寝たまま迎えてしまう生活が常になってしまうのだろうなと、そう信じて止まなかった。
そしてそれは恐怖でもあったと言える。これまで、見かけ上優等生寄りの人間として地道に積み上げてきた実績の数々も、一人暮らしをする事になった途端音を立てて崩れる運命にあるのだ。遅刻常習犯としてマークされ、評判は驚くべき勢いで急落し、そこが大学なら朝一の講義の単位は取れずしかもそれが必修のものであれば早留年確定、そこが会社なら入社一ヶ月程をして上司にキレられ早クビ勧告。過去にどれだけ輝かしい実績があろうがそんなものは一切関係なくして人生を終わりへと導く恐るべき運命に片足を突っ込んでいる事実には、子供ながらに戦慄すらしたものだ。
ある人はあまりに普通に、随分と釈然としない表情でこう思うだろう。「目覚まし時計をセットしろよ」と。だがそれは稀代の遅刻常習魔kemkamには「常識」として通用しない話であった。無論私とて、「きちんと起きるべき時間に一人で起きられる様になりたい」と思って、枕元に目覚まし時計を設置した事はあるのだ。だが悲しいかな、その目覚まし時計が己の職責を全うする事はなかった。私が次に目を覚ました時に見たものは、昨日起きようと思っていた時間よりも三時間は遅い時刻を示す目覚まし時計だったのだ。どうやら、目覚まし自体は正常に機能したらしいのだが、幾ら鳴り続けても一向に止められる気配のない状況にいよいよ憤慨した身内の者が時計を止めてしまったらしい。そう言われてみれば、私は目覚まし時計の動員をして全く目を覚まさなかった訳ではなく、薄っすらとした意識の中、遠くの方で耳慣れないピピピ音がしばらく鳴っていたのを確かに認識してはいた様なのだが、枕元にあって勿論小さい訳でもなかったあの目覚まし音を「遠くの方で鳴っている」と誤認してしまった事は、自身が「一人暮らしの出来ない人間」である現実を再認識するには十分であった。

して、現在。一人暮らしこそしてはいないものの、ここの所の外泊できちんと起きられている(ただ単に深く眠れていないだけか?)辺り、かつて不安に思った様な駄目人間への一途からは外れた様で一安心している。
だが、「起きなければならない状況」ではない場合、即ち休日等における起きられなさ具合の酷さは昔とちっとも変わっちゃいない。もっとも以前とは違い目覚まし音には普通に気付ける様にはなった(それどころか携帯電話のバイブ音ですら)のだが、いざ目を覚ました後に例外なく襲ってくる「奴」にどうしても勝てないのだ。

奴。即ち、「二度寝の誘惑」
子供時代を脱した今なお、奴との戦いにおける勝率(休日限定)は1割を切る。



07/06/14(木) 第772回 2007年・梅雨入り+吉報

吉報が舞い込んだ。
これで、長らく続いたサイト更新仮停止並びにゲーム断ちの理由である事柄に終止符を打つ目処がようやく立った。
後ひと月か、ふた月か、それは分からんが、確かに終わりが見えた事をここに記す。
長い事私に付きまとった、その具体的な内容についてはいつかの機会に触れるとして、今日はただこの心地良い余韻に浸ろう。

ではまた明日。



07/06/15(金) 第773回 結局は、誰かに強制されでもしなけりゃ何一つ一人では出来やしないのさ

ついうっかり「773拍子」とかいう愚行を犯しかけたがそこはぐっと堪えて一昨日の続き。

勝率1割。
勝つべきとされる戦いに身を置く中で、かつてこれ程の失態を演じた戦士がいただろうか。負ければ死が待っているのならいざ知らず、なんぼほど負けようが一向にのたれ死ぬ気配を見せないDQシリーズの主人公面々でさえ、9割方情けない姿を見せに王城へと舞い戻って来る様ではその内魔王討伐の任も解かれてしまうというものである。
だが、私の「二度寝の誘惑」との戦いにおける勝率は前述の通り1割なのであった。もっとも誘惑に負けて二度寝をむさぼる私は死にはしない。だがDQ主人公達とも決定的に違う点が一つある。王様は私の不甲斐無さに嘆いて戦士としての、勇者としての責務から私を解放してはくれない。
私の人生を曇らせる要素は、パッと思い付くだけでも二、三あるが、内一つが「二度寝の習慣化」である事は火を見るより明らかである。とかく、起きられない。二度寝が人生にもたらす損害(基本的には時間に関する)が如何ほどのものか、私にはそれが十分分かっているのに、でも起きられない。気の持ち様とか、そういう問題ではない。何となれば、前日の夜にどれだけ強く「明日こそは目が覚めたらそのまま起きるんだ」と決意していたとしたって、翌朝目が覚めた段階でいつの間にかそれはまるでない事の様になっているのだ。忘れているのではない。しかし気分の著しい変化が見られる。具体的には、「明日こそは起きるんだ」が「まあ別にいいっか〜」となる。その間数時間で私の脳に一体何が起こっているのだろう。気にはなるが、恐らくこれは未来永劫解かれる事のない世界七不思議の一つとして語られていくだろう。狭い世界だ。

とまあ、こう書いているとどんだけ程ダメな奴なんだと思われかねないので改めて弁解するが、あくまでも上記症状が現れるのは休日だったりして起床する必要性に迫られていない日に限っての事である。
これを受けて思ったのである。「二度寝の誘惑」にどうしても勝てない時における私の脳の働きは今もって未解明のままであるが、それが起こるか、或いは起こらないか、それを決めるのは「強迫観念の有無」なのではないかと。
非休日において、上記仮説の整合性を確かにする事は簡単である。もしもそこで再び寝て、予定とされる時間をもそのまま寝過ごし、結果として遅刻してしまえば私という人間に対しての信頼が幾らか失われる事になる。一度失った信頼は取り戻すまでに多くの時間を要するし、そうしている間にも新たに二度寝をして余計に深みにはまり込んでしまうかもしれない。つまり究極的には「ここで寝れば人生設計が狂う」という恐怖。これがあれだけ甘美な誘惑を断ち切っているのだ。そんな私は恐らく、仮に借家一人住まいを始めたとすれば、目覚まし時計なり携帯電話の目覚まし機能なりですんなりと目を覚ます筈である。音を鳴らしっ放しにしておくと、はたまた何度も繰り返して音を響かせると、お隣さんへ多大な迷惑をかける事となりそれが行く行くは様々なトラブルを…と考えると仕組みは同じである。
だとするなら、私が、休日であるにも拘らず一度目の起床で気持ち良く目覚める為に何が必要か、その答えは見付かった様なものだ。とどのつまり、寝たままでいると自身に甚大な不幸が降りかかる様な仕掛けがあればいいのだ。甚大な不幸。例えば、ガンガンに冷える設定温度のエアコンを起床予定時間に起動する様にして、寝ないとどんどん電気代がかさむ、とか。

つか、そんな事するんだったらこの時期暖房設定にでもしときゃ暑くて一発で起きるだろ。



07/06/16(土) 第774回 二度寝推奨論

今日は、第774回という事を鑑みれば、苦沙弥先生の所で飼われている猫の話でもしたかったのだが、残念な事に当方、これまでその猫に関する話を見聞きした経験の無いが故にそれは断念せざるを得なかった。とは言え、これで「残念でした。また明日」とするのはあんまりなので、その代わりとしてまた睡眠に関する話でもさせてもらおうかと思う。

昨日は二度寝を悪とし、如何にして阻止するかという観点で話を進めていたが、世の中のありとあらゆる事象がそうである様に、これだって見方を変えれば必ずしも悪とは言えない一面を覗かせるものである。
そもそも、「二度寝は気持ちが良いものだ」という点に立ち返って考えてみよう。そうだ、二度寝は気持ちが良い。それもこの上なく。「本来寝てはならない状況下であるにも拘らず寝る」という行為から来る背徳感、その背徳感からももたらされるのであろう快感を一切抜きにしてもやはりそれは気持ちが良い。さもなければ、わざわざ身を起こす必然性のない休日において、我々が二度寝などというものに全てを捧げる理由は何一つなくなるのだから。
二度寝は無条件で気持ちが良い。それは考えてもみれば当然の事だ。目を覚ましたばかりでまだ眠っていたい身体を、その望むままに休めるのだから。勿論、目が覚めた直後にどの程度の眠気を感じるのかは千差万別だろうが、私の様な人間にとってその瞬間の眠気たるや一日の生命活動におけるどの瞬間に対しても圧倒的だ。即ち私にとって二度寝とは「とにかく寝たい」→「寝る」というあまりに欲望に忠実な、だからこそ究極的に気持ちの良い行為なのであって、それが、時に「特にまだ眠たくもない」→「でも寝る」だったりする事も珍しくないいわゆる普通の「睡眠」とは比べものにならない程魅力的なのは最早自明とも言っていいのだ。
さて、そこで思った。では、何故私は、毎日目を覚ます度に本能から「まだ寝ていたい」と叫びながら、その欲望に身を委ねてはならないのだ。生きていく上で、人間の三大欲求の一つたる睡眠欲を己の自由に満たす事も許されないのだ。頭では分かっている。ただただ猿の様に(語弊があるかと思うが、語弊のない様に受け取って戴けるとこれ幸いである)寝たい時に寝ている様では社会的に没落するのも時間の問題であると。そしてそれは昨日言及した事でもある。だが頭はそうでも身体を納得させるのはそう簡単な事じゃない。現に私は未だに二度寝癖から脱却を図れない。そしてそれも昨日言及した事である。
ここだ。ここで考え方を変えるのだ。身体がどうしても二度寝を欲するのなら、そうさせればいいのだ。私は何も、「二度寝」という行為そのものを律し、禁じまでする必要はなかった。二度寝する事により自らの社会的地位に傷の付く危険性があるとするなら、その危険性が生じないだけの時間的猶予さえあればいいという事だ。
とどのつまり、起きるにはまだ早過ぎる時間帯に一旦目を覚まし、そこから本来起きるべき時間まで「二度寝」すればいい。これなら確実に「とにかく寝たい」→「寝る」の「欲望の赴くままにコース」を堪能出来る。全体の睡眠時間には大した影響もない。誰もが得をし、かつ損をしない珠玉の睡眠欲対策である。

ちなみに、二度寝の末本来の起床予定時間に起床した人には漏れなく次に「三度寝の誘惑」が襲ってくる事になるので今度はそれへの対応について語りたい所であるが、冗長になる。それはまた次の機会にするとしよう。



07/06/17(日) 第775回 はじめてのおつかい

だーれにーもーなーいしょーでー♪
おーでーかーけーしーようー♪



捜索願提出



07/06/18(月) 第776回 これがホントのプチ家出

昨日のはまあ、捉え様によっちゃあ随分と不謹慎ではないかと思われたかもしれないけれども、しかし、誰しも「誰にも内緒でお出かけしよう」と思ったり、或いは実際に行動に移しちゃったりした子供時代はあるものではなかろうか。
私にもある。あれは小学校低学年頃の夏休みだったかと記憶しているが、何かの事で父か母か祖父か祖母かと喧嘩した折に、家出という程の事では全然なかったがちょっとした反抗心から誰にもその旨伝えないまま自宅を出、近所の公園に出かけたのであった。
争い事の原因は最早覚えちゃいない。しかし腹を立てたからと言って「こうなったら少し心配をかけてやろう」ぐらいな事を思って、しかもそれを実践してしまう様な子供だったのだから、まあどうせ下らないわがままか何か、とにかくこちらに非があったのであろう事は想像に難くない。
背徳感から来る快感の話をこの前の二度寝の回で触れていたが、幾ら反撃行為だったとは言え、するべきではなかった事をしているというのは理解していた訳で、この時も心地良い様な悪い様な非常に曖昧でフワフワしたものを感じていた事を覚えている。
その内、己の理不尽さによって湧き起こった怒りの感情も収まってくると、次第にこの様な愚行に出た事を後悔してくるのだが、恐る恐る帰ってみたら、案の定怒られた。その時は引くに引けなかったのか随分と愛想の悪い受け答えをしてしまったけれども、今ならその怒りが痛い程よく分かるものだ。短時間ではあったが、本気で心配をかけてしまったのだろうと思うと、今でもたまにあの日の軽率さを悔やむ事がある。

まあ、30分に満たなかった「家出」時間からして言うほど深刻で重大な話ではなかったのだが、時代や地域性によってはこれでも十分危険を伴う様になったというのが現実である。子供は、安全の為にはあまり一人きりで外出するべきではないが、現実にはそうもいかないケースが多々ある。親もまた、子供を一人きりにさせない様、特に小さい内は常に目を見張らせている位であるべきだが、やはり現実には無理だ。結局どんなに現状を悲観しようと、私には「物騒な世の中になったもんだ」とか、「嫌な時代になったもんだ」とかいう紋切り型の憂いを口にする事しか出来ないのであった。

「時代は巡る」と言う。だとすれば、いつかは、誰もが言う「古き良き時代」なんてものが再来する事になるのかね。



07/06/19(火) 第777回 「777」

7  7  7

おめでとうございます!
100000まいのコインが あたりました!

パーッパパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパーッパパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッ
パッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッパーッパパッパッパッパッパッパッパッパッパッパッ
パーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!


や、や、や……
やったーーーーーーーーーーーーーーーーー!
うははははははははははははははははははは!!
わははははははははははははははははははははははははははははははははは!!
ス、ス、ス、


















スリーセブン!? あれがスリーセブン!?
ウヒョオオオオオオーーーーーーーーーー!!
YEAHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH!!
YEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEES!!
ヒューヒューヒュー!! ワーワーワーワー!!!
ドンドンドン! パフパフ! ドンガラガッタ! ドンガラガッタ!
セ! ブ! ン!  セ! ブ! ン!  セ! ブ! ン!  セ! ブ! ン!
コ! イ! ン!  コ! イ! ン!  コ! イ! ン!  コ! イ! ン!
すけこまし「何が凄い能力だよ! 魔法だよ! ま! ほ! う!  ま! ほ! う!  ま! ほ! う!  ま! ほ! う!

ハア、ハア、ハア……
フーッ……



………セーブしてくるか。



07/06/20(水) 第778回 「778」

7  7  8

ナナ ナナ バー

7  7  BAR



「そっ…そんなっ……まだセーブもしてなぎにゃあぁぁぁぁ!!



全滅した……



07/06/21(木) 第779回 勝手にハンデ戦

昨日、一昨日はやけにお手軽な内容だったなあと思ったろう? まあまあ、第777回、778回なんて二度とない高みだから構わないって事よ。

さて今日は、過去遮断機アタック超チグハグ運行という公共交通機関としてはあるまじき離れ技でお客を迎えている事でお馴染みの某バス会社が久し振りにやってくれたのでその話。
今朝の出来事である。場所は駅前バスターミナル。私は駅前発のバスを待っていた。電車を降りてからそのバスが発車するまで実に30分。大体に田舎故の待ち時間には悩まされるが、中でもこのタイミングは酷い。何しろ電車が駅に着いた正にその時間に前のバスが出て行っちゃう。はあ、もうちょっとこの会社もユーザビリティというものを考えてみたらどうかなあ。客足が客足だから、何処ぞがどうにかなれば経営だって一気に傾きかねんぞ。などという脅迫紛いの愚痴をこぼしつつ、私はバスを待っていた。
その内にバスが来る。しかしこのバスは私の乗りたいものとは路線を違える為にスルーである。しかし、目的のバスは今目の前にいるバスが出て行ったその五分後の発車予定となっているので、このバスがやって来た時はいつも「ああ、もう少しか」という思いだ。
しかしその日は違っていた。一つ前のバスがやって来てからあまり間を置かず、次のバスがやって来てその後ろに着けた。次のバス、即ち私の乗車するバスであるが、それが一つ前のバスもまだ駅を出ていないというのに早スタンバイ状態に入ったのであった。
「幾ら何でもせっかち過ぎるだろう」 そう思ってしまうのも無理はない。バスは、何せ一つ前のバスがまだターミナル内に留まっているものだから、本来の停車枠を随分と逸脱した位置に止めざるを得なくなっているのだ。どれ位逸脱していたかと言うと、恐らくあれはバス一台分はずれ込んでいたのではないかと思う。
そんな異常な状況が、一分程か続いた。これだけ続くと、さしもの私も違和感を禁じ得なくなってきた。後ろのバスの運転手が手元の何かを見ている。時刻表だ。そして運転手は見る見る内に表情を曇らせ、ついには立ち上がってバスを降り前方を睨み付けた。まさか。
その時であった。前方のバスの運転手と思しき人が、おもむろにバスへと乗り込んだかと思いきや、手際良く駅を出発していったのは。遅れ実に三分。何とも酷いものを見た気分であった。常々バスの運行遅れには気を揉まされるものである。しかしそれは通常「やむを得ない事」として表には出すべきでないものの筈だ。だが今日見たそれは、当該バスの運転手が、仲間内との雑談か何かで異様に盛り上がって、自分の担当するバスを一旦乗降所にまで着けたにも拘らず、客だって何人か乗せてさえいたのに、運行を遅らせた、という、明らかな職務怠慢がもたらしたものであった。これに怒りを感じずして、何に怒りを感じようか。あの運転手はばつが悪そうに笑いながらバスに乗り込んでいったが、いやいや、これは事情が事情なら謝罪もんだぞ。時間の流れがゆったりな田舎で良かったなあ。後、通勤時間帯ど真ん中でなかった事も。

この一件は、バスの乗客達の中に混乱が生じその利用に著しい不都合が生じたり、はたまた乗客に命の危機が迫ったりする事よりはよっぽど小さな事件だったかもしれないが、重要なのは、私は今、以前程には当該企業のバスを利用していないという事実だ。頻繁に県外遠征に出ている今、私がこの会社のバスに乗るのは週に一度か二度。その中でまたもや不祥事現場に出くわしてしまったのだから、社全体では一体どんだけやらかしちゃってるのか、その実態は把握し得まい。

世の中、バス会社は幾つもあるだろうけれども、こうまで話題性に溢れる会社はそうはないだろうなあ。
惜しむらくは、そのバス会社との付き合いも今年度限りになりそうだという事。寂しくなるねえ。



07/06/22(金) 第780回 眠れぬ獅子

今朝方の大雨につい目を覚ましてしまうとそれから眠るにも眠れなくなり、雷の一発さえ起こってはいなかったにも拘らず音ばかりが気になって結局そのまま朝を迎え、予定よりも著しく睡眠時間を削るという憂き目に遭った。そのせいで今日はいつもに増して眠いのなんの。最終的な睡眠時間は普段の生活からしてあり得ない程のものって訳でもなかったのだが、「雨のせいで全然寝られなかった」という、つまり「俺は被害に遭ったんだ」という思いが胸の内に少しでもあると、「しょうがないよな」とか思うからか知らないがひたすらに眠くなってくるんだな。いつまで経っても眠気の覚めないその全責任を雨に押し付ける様はまるで当たり屋の如くだ。「俺ぁあんたのせいで二時間も眠りを妨げられたんだぞ」と。「こんな状態じゃ頭も体も働いちゃくれねぇよ」と。「そうなると必然成果は目に見えて減るし、こりゃどう見ても損害だな」と。「本当ならその分賠償を請求する所だけれども、お前ただの雨だからどうせビタ一文払えないんだろ」と。「じゃあ、お前のもたらしたこの眠気に俺が幾ら本能のまま従おうが、文句の一つもあるまいな」と。もっとも、昼時に本能のまま寝てみた所で文句を言うのは雨じゃなく、私の今朝方の事情なぞ知ったこっちゃない「人」なのだがな。

結局今日は昼休憩時に軽い仮眠を取っただけで終日眠いままに終わった。そんな、傍から見れば特に変哲もない一日に、私は己の無力さを感じるばかりであった。私は確かに眠かった。だが眠れなかった。慢性的に襲う眠気の責任を全て朝方の雨に転嫁してなお私は眠れなかった。何故か。弱者だからだ。
この世の中には二通りの人間が存在する。人を使う人間と、人に使われる人間である。大多数の人間は後者に属し、甲斐甲斐しく働き、或いは学ぶ。そして一握りの前者に属す人間は、それら多くの人々を従え、統べ、自身の野望の実現にまい進したり、時に世界を動かしたりする。では私はそのどちらだ。悲しい事に、後者だ。前者として存在する事を今の世は許してくれない。人の上に立つだけの器を持たず、人と同じ考え方を持ち、思い切りに欠け、判断力を欠き、求心力に乏しく、前衛心もなく、そしてこんな風に己を卑下する瞬間でさえこうして非生産的行動に時間を費やすばかりの私はいつまででも前者の人だ。
「使われる人間」に求められるものは一つである。「使う人間の意のままに動く事」 私が、休憩時間外にその目をやにわに閉じるという行為はつまり、私で言う所の「使う人間」の意向に沿うものでは恐らくなかった。無論その辺りを直接問い質してみた訳ではない。何となればその様な問いを浴びせかけるという事それ自体が既にして「使う人間」の逆鱗に触れる愚行であるからだ。
「使う人間」の意に反した行動を取る事で何が起こるかは想像に難くないが、戒めの意を込め敢えて分かり易い例を挙げるとすればそれは一般企業における「解雇」に当たる。私はどうしたって今日、睡魔との戦いに敗れる訳にはいかなかったのだ。全ては弱者であるが故に。

似た様な概念に近年よく言われる「勝ち組」「負け組」なんてのがあるが、それで言えば、今回の話を至って真面目に読んでしまった人は「負け組」に一歩近付いちゃったから気を付けるんだぞ。


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