04/10/06(水) 第101回 足元を見おってからに
今朝方は非常に冷えました。元々私は朝に弱く、いざ起床しようと思い立つにはそれ相応の決心が必要だというのに、これに寒さが加わるとなるとちょっとやそっとの事では起きたくなくなってしまいます。現に今日もこの上無く動くのが億劫でしたし。ええ、そりゃ「休みたい休みたい」と、冗談と本気の間位の感情を覗かせつつ。
まあでもだからと言ってそれを理由に電車に乗り遅れたり、その果てに遅刻したなんて事になったとあっては後世までの語り草にもなりかねませんので、仕方なくゆっくりゆっくり動き出す事に。
取り敢えず一旦動き始めれば後は往々にして辛くないものですが、しかし今日は多少事情が異なりました。
先日久し振りに電車に乗ったら見事に乗り物酔いしてしまい辛い思いをした旨の事を書きました。移動時間が半端無いだけに当日は本当に辛い思いをしたんですが、どうやらその日はたまたま身体の調子が悪かった事も重なっていたらしいです。なもので、昨日から一応酔い止め薬を飲んで出かける事を止めていますが、幸いにしてここ二日で目立った異常は来しておりません。
つまり、本日の行きは特急でしたのでその一時間程の間、特にこれといって問題を抱える筈は無く、ゆっくり寝ているつもりだったのです。
しかし、そうはさせまいという良からぬ陰謀を企む者の存在がいたのです。
道中、途中までは寝る気満々でいたのですが、ふと気付くと、車内が非常に寒く感じます。その時かかっていた空調が冷房なのか送風だったのかは知りませんけどともかく冷たい冷たい風が直接、断続的に私に吹きかかっていました。これじゃあ寝れたものではありません。まあ多少は寝ましたけど。
そう、即ち誰あろう車掌さん等を始めとする鉄道会社の方々が何らかの良からぬ陰謀を抱いていたのです。つまり「自分たちは乗客の安全の為に、その乗客達よりも早くから起きて働き、寝る事も許されていないんだからこれ位の憂さ晴らしは許されなければこの世の中がおかしい」と考えた事によるものですね。
この事実に気付いた私は断固糾弾すべし、とも思ったのですが、悲しいかな、私の様な非力な人間にはその自由すら許されていない事を思い知らされました。例えこの陰謀が真実であったとして、その非が完全に相手側にあるものだとはっきりしたとしても、その彼等が動かす電車という乗り物の力を得ずしては今の私の生活は成り立たないのです。そう、私はその鉄道会社に生かされているのだと言って何ら過言ではない身なのであり、そこに事実上糾弾出来る権利は介在していないのです。
そもそも、これも以前から思っていた事ですが、発車が予定より幾分か遅れてしまう場合、いざ電車が発車する予定時間になった時点になって初めてその旨をアナウンスし乗客に明かす事が多々あったりと、多分に私達は足元を見られている様な気になってしまいますねえ。
ちなみに、「貴方は被害妄想にかられている」という意見を否定するつもりは毛頭ありませんので悪しからず。
04/10/07(木) 第102回 田舎者の何たるかを思い知った日
つい昨日某鉄道会社と我々一般市民の立場の違いが生み出す確執とか溝とかについての話をしましたが、本日、そんな鉄道会社に関連する、好ましいイベントと好ましくないイベントがそれぞれ一つずつ発生しました。
まずは好ましいイベントからですが、先日鳥取駅から我が家にかかってきた電話によれば、私は何らかの抽選に当たったか何かで、来たる十月十六日に改正される新ダイヤの時刻表を戴ける運びになったとの事。
その抽選とは定期券を購入した人を対象にしているらしい事は駅員さんの話から何となく分かったものの、一体どの程度の人数に当たるものなのかが分からないので私としてもどの程度喜んでいいのやら迷う所ではありましたが、毎日100km超の長距離移動をしている身であって、ちょっとしたダイヤの変更が大きな影響を与えかねない危険性が十分にある者としては、早めに改正後のダイヤを確認出来るというのは単純に有難いものであります。何故だか今日はいつにも増して窓口が混雑していたので受け取るまでにそれなりの時間を費やしてはしまったものの、喜んで受け賜らせて戴きました。
ちなみに、問題の改正後のダイヤについては、私に大きな影響を与える変化が無かったので一安心でした。
そして続いて起こった好ましくないイベントについて。ホームで特急を待っている時からチラチラ目についてはいたんですけど、まさかそれが電車内にまでズカズカと踏み込んで来ようとは…
何と、テレビカメラらしき物と、そのテレビカメラを肩に担いで撮影しているらしき人と、その手にマイクらしき物を持って今にも実況か或いはインタビューをしようかとしているらしき人の姿が電車内に見て取れたのです。
否、そんな生易しいものではなく、それは突然私の真横に現れたかと思えば、通路を挟んで向かい側にいた方にインタビューらしき事を始めたのです!!
一体何を聞いて回っているのかは残念ながら聞き取れませんでしたが、あまり面倒事に巻き込まれたくないと思いつつ「来るな話すな触るな見るな」オーラを沸々と放ちながら無事に何事も聞かれる事無く脇を過ぎ去って行くそれらにチラッと目をやると、地元の民放放送局の名前が書いてあるのが見えました。
んでもって、ここからが田舎者の悲しい性なんですが、内心では間違い無く「来るな来るな」と思っているのに、一方では車内で撮影したこの映像がどういった感じで使われるのだろうかという事が無性に気になり、それだけだったらまだいいかもしれなくても、更にはテレビカメラがこれだけ至近距離にあるという事自体が非常に稀な事象であるが為に向こうの方にいるそれらを何かとチラチラ見てしまうのです。
思わずチラチラ見てしまっている私の事に私自身が客観的に気付いた時、これまで気付きもしなかった悲しい性を思い知る事となったのですが、私が以後この辺りの地方に留まり続ける限り、ここから脱却する事は叶わないのでしょうねえ…
04/10/08(金) 第103回 それは正義の名の下に
「法律」と「正義」がどの程度まで関連性を持っているのか、という議論めいた話を耳にしました。
「法律」というのはまあ大まかに言うと国が定めている規則、規範であり、それはこの日本の中において大きく相反する二つの違う意見を持っている事はありません。
しかし、「正義」というのは全ての人々が各々持っているもので、それには一つとして他の誰かと一致するものは無いと言えるでしょう。僅かな差は勿論の事、対極にある二つの違う見解を持つ二人の違う人間もいたりするのは古来から世の常だと言うものです。
例えばこの世の中には、煙草を好き好んで吸う人間が存在する一方で煙に触れる事すら嫌だと感じる人間が存在します。前者の人間にとって煙草を吸う事は自分にとっての正義であり、後者の人間にとっては煙草を吸わない事こそが即ちそれ正義なのです。又、この世の中には、法律を遵守する事こそが正義だと思っている人間がいる一方で、自分こそが正義そのものであると思っている人間もいます。
なので、一応「法律」とは「正義」に基づいた「正義」を語るものである筈なのに、一人一人の「正義」の定義が異なっている以上は、誰もが納得のいく完全なる法律は制定し得ない事になってしまいます。
という話の最中、
「テレビなんかでは勧善懲悪という形でハッキリと善悪が描かれているけれども、あれで言う所の悪人達からすれば彼等こそが『正義』の体現者なのであって、必ずしも『悪』とされている側を倒した者が『正義』だとは限らない」
という話に。
それを聞いた私はすかさず、それっぽい名前の必殺技が飛び交う特撮物のテレビ番組を思い浮かべたんですが、その後の話で引き合いに出されたのはそういった番組ではありませんでした。
その方によれば、
「例えば水戸黄門。あれだって、『悪人』とされている物共が御老公一行に刀で峰打ちされたり棒で叩かれたりした挙句に印籠の前に平伏させられるけれども、あの印籠が本当に『正義』なのかどうかは分からない」
との事。
なるほどー。とは確かに思ったんですが、同時に、今まで何百回何千回とあの印籠の前に数多くの人々を平伏させてきた訳ですから、流石にそれが真の正義でなかったらマズいよな〜…とも思った私なのでした。
04/10/12(火) 第104回 愛想笑いも立派な武器か
ふとして、特に何の気があった訳でもなく、とある、画像ファイルの取扱いか何かに関する初心者向け解説を目にしたのですが、そこにこんな一節がありました。
Q.友達から電子メールで送ってもらった画像ファイルを見ようとファイルを開いたら、「このファイルは読み込めません」というエラーが出て画像が表示出来なかった。なぜか?
という、復習の為のミニクイズ的問題が出題されており、それに対し「画像の保存形式」がどうだ、「画像を取り扱うソフトウェア」がこうだ、という説明が少しあった後、最後に「誤答例」として、
「パソコンが壊れた!?」
の文字列が。勿論それだけならいざしらず、その下には、
(この誤答例で笑えなかった人は、しっかり勉強し直しましょう)
とありました。
私はと言えば、そこに書いてあった殆どの事は理解していた筈で(隅から隅まで見た訳ではないので実際は分かりませんが)、先の問にも適切な回答が出来た筈ですが、しかし残念な事に最後のフレーズに笑いをこぼす事は無かった為、この言葉に素直に従って行動するとすればもう一度勉強し直さなければなりません。
それどころか、このままでは恐らく何度入念に勉強を重ねても合格には至らないでしょう。
私の笑いのツボが一般と比べてどうであるかはいざ知らず、もし初めて見た時に笑わなければ、以降は既に経験している事項である事も重なって、より笑わせる事は困難になってしまうでしょう。
そもそもこの一連の文章を考えた人は一体何の確信と自信とがあってそう書き添えたのでしょうか…
ともあれ、このままでは何度画像ファイルの事を勉強しても、万が一それが高じてプロに匹敵する知識を得るに至ったとしても、或いはプロそのものであったとしても、大半の人間が(あくまでも私見ですが)笑えなかった度に始めから勉強し直すという無限ループに陥ってしまいます。
もしかしたらこの問題は、画像ファイルの事をマスターさせようとしている様に見せかけて実は、「愛想笑い」という、現代社会を生きる上では必須とも言える一つのテクニックをマスターさせる為に用意されたものだったのかもしれません。
04/10/14(木) 第105回 ニヤリとすると言うよりは
まあ、ご存知の方は多いと思われますし、同時に、FF10及びFF10-2好きの方であればその殆どがそれに対して何か思う所があるのではないでしょうか。
そうです。最近某社が発表した新自動車「TIIDA」の存在の事です。ティーダ、と言われれば英語の表記は「Tidus」なのだから文字として見る限りそんなに某ティーダとの関連性を意識しない方もいらっしゃると思われ、又それは、FF10のインターナショナル版をプレイしているかどうかに殆ど左右される為に当然である事なのですが、一方音で「ティーダ」と耳にするとどうしても少なからず反応してしまう人はかなりの数に上るのではないでしょうか。
何を隠そう、私がそんな一人であります。テレビをつけている時、ふとCMでこの単語を耳にすると、どうも咄嗟にテレビの方を向いてしまうんですよね。向いてしまう時は既にCMも終わり際。一瞬だけ見える「TIIDA」の文字に「あぁ、また負けた…」と思った事度々です。
果ては街中にデカデカと「ティーダ誕生」と、ご丁寧にもアルファベットではなくカタカナで書いてあるものですから、そりゃまあ一瞬目を奪われずにはいられず、それに留まらず色々とゲーム内のあのシーンやそのシーンが浮かんできてしまう始末です。
後、某CMでFF10-2最強モンスターのトレマが出没しているのをご存知の方もやはり多いでしょう。流石にあれは前置きがある感じなのでそうそう何度も不意打ちに遭う事はありませんでしたが…しかしどうしてもそのCMを見る度にあの熾烈なる戦いとか、あの特徴あるかすれ声を想起してしまうのは避けられないのです。
とまあこの様に、突然にしてFF10情報が街に溢れかえった訳ですが、うーむ…他意がある訳ではないので(前者にしろ後者にしろ、何処まで他意がゼロに近かったのかは怪しくも感じられるものの)ニヤリとする感じではないですねえ…
どちらかと言えばいちいち反応してしまうんでちょっと大変ですねえ。ようやく最近かなり慣れてはきたものの…しかしやはり文字としてカタカナで「ティーダ」と書かれているその凄まじいパワーにはまだ勝てる気配がありません。しばらくは定期的に耳にし、目にする度にピクッとなってしまいそうです。
04/10/15(金) 第106回 アイフルのCM「ペンキ篇」
もう随分前の話、アイフルのCM「帰宅篇」の事に関して私は、いずれチワワへの情熱が高じて身を滅ぼしてしまうのではないかとその現状を憂い、次のバージョンでもいつも通りの微笑ましい光景が見られる事を心から思っている旨の事を書きました。
その事を話題にしてから早四ヶ月と半年。遂に公開となった新バージョンのCMの映像を見、取り敢えずホッとした私がいた事は言うまでもありません。しかし同時にどうしても気になる点がその新CMにはありました。
そう、前回の事からすれば当然の疑問とも言える事ですが、前回くぅ〜ちゃんと共に清水家へやって来た、あれだけの数の子供達と思しきチワワ達は、今回において何処にも姿を現わさないのです。
一体どういう事か? あの子供達はどうなっているのか? あのペンキで塗られている部屋は、くぅ〜ちゃんの為の部屋なのかはたまた奥方や子供達を含めた皆の為の部屋なのか? 前回の事をあれだけ憂いていた私としては当然気になってしまう部分です。
と、それに際し、私がそんな事を考えていたなんて事は間違い無く知らないとある方が、つい一昨日何の他意も無くこんな話をしたのです。
「あのCMって、犬が大勢の家族を連れて帰って来てさあどうする!? っていう内容だとは思うんだけど、私としては、あの仔犬達を売ればお金になると思うから、あれは金融機関のCMとしては間違ってると思うんだよね」
そういう話じゃないだろう。とは咄嗟に思ったものの、「宣伝」というあの映像作品の大前提を全く無視して考えるのであれば、その方が言っている事が事実なのは確かです。
私はそうでないと信じて止みませんが、でももしかしたら…
04/10/22(金) 第107回 トラブル続きで初めて尽くし
先日日本に上陸した超大型の台風は列島に近年でも大きな部類に入る被害をもたらす事となりました。そんな台風23号は、ここら辺りにも猛威を振るったのであります。
恐らく上陸に向けたコースを辿るであろう日を明日に控え、私はとある事がとても気がかりでした。前回の台風は確か早々に東の方へ進路をとった為に、電車の遅れ等といった影響は、私が移動する範疇内においてはありませんでしたが、どうやら今回は前回よりも接近しそうな感じで、しかもその威力は前回の比ではないとか。そうともなれば、今回こそは電車に何らかの影響が出てしまう事は避けられない。最悪の場合、鳥取に行くだけ行って帰って来れないという事態が発生する事も十分起こり得ます。台風の年間上陸数が過去最多を更新中の今年、どちらかと言えば今までの台風で何事も無かったのはどうしてかと思わされる位で…
そんな思いを秘めながらの当日、願わくば早朝から暴風吹き荒れる天気に恵まれて電車が全線ストップになってくれてればとの淡い期待もありましたが、そんな思いも虚しく無事に電車は鳥取へ向けて出発する運びになってしまいました。
今の所はダイヤも正常そのもの。これだったら、後はいつもの如く意外と台風が東の方へそれてくれさえすれば、今回もあんな不安やこんな不安は杞憂であった、となるのではなかろうか…そんな期待感も芽生え始めていました。
ところが、残念な事に日頃の行いが悪いのか、いや、この場合は当日私と同じ電車に乗っていた全ての人々の行いが、総合的に見てマイナス側へ偏っていたという事になるでしょうが、何と台風とは全く関係の無い事故により電車がストップしてしまいました。
「遅い! 遅いよ!!」どうせ止まるのなら私が電車に乗る前にしてほしかったものです。まだそんなには強くないものの風雨である中、こんな何処とも知れない田舎の片隅で止まってくれても何にもならないではないですか。
様々な事情により十数分程度電車が遅れるなんていう経験は、毎日の様に長距離間を移動していれば何度となくしていますが、「事故」というはっきりとしたアクシデントにより長時間足止めされてしまう経験はその日が初めてでした。しかもそれが何とも運の悪い事に、やはり初めてその日の内に自宅へ帰れなくなるかもしれない日に重なって起きようとは…
結局電車は一時間程度止まっていました。その末にいよいよ動き出す段となったんですが、次なる災いが降りかかります。この一時間で急速に雨、そして風が強まった事により、鳥取県東部に暴風警報が発令したとの事。
こうもなると、既に事故によって大幅にダイヤが乱れている上に運休する電車が少しずつ現れ始め、無事に鳥取へ到着出来るかどうかをまず問わなければならなくなります。もし何とかこのまま電車に乗っていて鳥取に到着出来たとしても、帰りは絶望的になるでしょう。
といった訳で私は決めました。もうその日は潔く帰路に着く事を。
ところが、それを決断した所で即帰宅、ハイ終わり、という訳にはいきません。何故ならば、私が今しがたまで乗っていた電車は先に発生した事故現場を少し過ぎた所にある駅に停車するので私は当然の如くそこで降りたんですが、何とそれから間も無くして又しても電車がストップしてしまったのです。
電車で事故現場を通った時に警察官の姿を何人も確認出来ました。更に駅構内に流れていたアナウンスでは「再び現場検証が始まった」とか何とか言っていましたので、何かと時間のかかりそうな問題の様です。
しばらく次に到着する電車の目処が立たない時間が刻々と過ぎるだけでしたが、普段は全く来る事の無い地域だけに、極めて方向音痴で尚且つ極めて慎重派の私は、暴風雨である事を差し引いても「ちょっとそこらへ」と気軽に外へも出れません。ただひたすらに下りの電車が来るのを待つのみです。
で、やはり一時間程度経った頃でしょうか、ようやく下りの電車が一本発車するという事で、私は期せずしてたった50km程度を四〜五十分かけて移動するだけの為に初めて寝台列車に乗る事になったのでした。
とはいえあの寝台列車…普段私が乗っている快速であったりとか特急であったりとかよりも遥かに揺れていた様な気がしますが…本当にあれで寝台の役割を果たせているんでしょうかね?
といった訳で、私は台風の影響により家を出てから帰宅するまでの四時間余りの時間を無駄にしてしまったのですが、実はこの話、この日限りで終焉を迎えた訳ではないのでありまして…
続く。
04/10/26(火) 第108回 強制送還させられる
実に台風の悲劇があった日の翌日、帰りの電車の中でそれは起こりました。
その日乗っていた電車は特別急行略して特急。ただ、特急とは言っても、信号待ちであるとか、行き違いの電車待ちであったりとかで停車する事も珍しくはありません。少なくとも私が乗っている特急では、ですが。
なもので、その日電車が止まった時も、その時点ではさして何とも思っていませんでした。
ところが、私が異変を察知したのはそれから間も無くの事でした。単に電車がいつもより明らかに長く停車している、という事も確かに異変ながら、電車の最後尾の席に陣取っていた私は、その更に後方で車掌さんが他所ととっている連絡の内容を僅かに聞き取る事が出来た為により早くその異変を感じ取る事になったのです。
それによれば、まず明らかに普段より頻繁に、また細めに連絡を取り合っている状況が感じ取れます。内容としては、断片ずつしか聞き取れないものの「点検」がどうの、「遅れ」がどうのと言っております。どうやら面倒な事になっている様だとの判断を下すにはそれで十分というものでしょう。
こういう事態に面した際、一体何が起こった結果電車が止まっているのかという情報が乗客にもたらされるまでには往々にして結構な時間がかかるもので、結果として、私の様に頻繁に取り合っている連絡を聞いていなかろうが徐々に車内に不穏な、イライラ、ピリピリとした空気が広がっていくのは最早避けられません。勘弁願いたいものです。不確実な情報を安易に垂れ流すべきでないという事であるのだろう、という事は重々理解出来る事ではあるのですが…
結果としては、前日の台風の影響があってか、軽い土砂崩れが起きたとかで、線路の点検作業をしていて、あまつさえそれが予定していたよりも大幅に時間がかかってしまった結果起きた事態だった様で、停車時間は一時間半程度に上りました。その日は台風一過で素晴らしく晴れ渡っていて、停車していた間も月が綺麗に見えていたんですが、停車した直後と再発車した時点においてその位置がはっきりと視認出来る程度西側へ傾いていたのが印象に残っています。
一時間半という時間は、特に自分が好きな事に没頭している時等は非常に短く感じられる時間ですが、電車内という閉鎖空間において、再発車する直前まで時折流れる「発車の目処は立っておりません」との、無情報に等しいと言えるアナウンスを聞かされ続け、夜であるが為に周りの景色もろくに見えないとなると、途端にしてそれはとても長く苦痛な時間に変貌します。私もそうでしたが、あの時電車に乗っていた人の殆どが疲労感を覚えた事でしょう。
その後電車は順調に走ったんですが、実はこれが事の全てではありません。最後の最後に追い討ちの様にして、駄目押しの様にしてそれは襲いかかって来たのです。
目的地ももうすぐ。疲労感を鬱積させながらも、私が降りる一つ手前の駅で停まり、そしてそこを出発した直後、電車内に流れたのです。「この電車は、特急、○○号、鳥取行きです」とのアナウンスが。
その瞬間、車掌さんが間違えた事に気付いた方は多かったと思いますが、一方、一時間半停車していた電車の中で待機し続け、一時は疲労もピークに達した人の内で、咄嗟に「ここまで来て鳥取に返されるのか!!」と突っ込みたくなってしまった不届き者は私だけだったのではないでしょうか。
いやいや、本当に体力的にも精神的にもきつかったんですってば。
本当は突っ込む気力なんて無かったんですって。
04/10/29(金) 第109回 地元に潜んでいた諸悪の根源
「とっとり」を漢字で書くと「鳥を取る」なんですが、「取る鳥」だと勘違いしている人は多いらしく、様々な事情で「鳥取」と書いてもらわなければならない状況になったり、そういった議論になったりした際には間違った認識を持っている人が現れる、というのはよくある事だそうです。
まあそれでも、「正しい漢字を書く」という事すら日本国民のどれ程が出来たものかが怪しい都道府県も極一部には存在する中、漢字だけはしっかり認識されていて、尚且つその順序が逆であっても十分言わんとしている事が伝わるだけましなのかもしれませんが、それはあくまでも鳥取県民ではない人間の意見に過ぎません。一般に田舎人であればある程郷土愛が強い傾向がある、という、何の裏付けも無く誰の賛同も得られ無さそうな私見一辺倒のデータに依存して考えるならば、地元人にとって間違った認識を持っている人が結構多く存在してしまっている事実は、そう簡単に容認出来るものではない事でしょう。
まあ、「何で『鳥取』を漢字で正しく書けないのか」との疑問を批判として主張出来るのは、鳥取は勿論の事ながらそれ以外の四十六都道府県名を正しく漢字で書ける人に限られてしかるべきだと思われるので、多くの方がここでその資格を失う事になるだろうという事でそれはいいんですが、それだけでは漢字に達者な方達の気を沈めるには到底至りません。
いや、その資格がある以上、無理に抑える方向で考える必要は無いんですけれども、鳥取の田舎性を考えると、そうとう表立った宣伝活動を行わない限り、この日本からその認識違いを完全に取り除く事は出来ないでしょう。ともすればそれは残念な事に無駄な主張となってしまいかねません。
そもそも、この問題をあまりにも軽視した結果か、或いは元々地元人では無いのか、鳥取の鳥取市の鳥取駅周辺という、県内のあらゆる場所の内でも県外からの人の目に入る頻度が最も高い地域の一つにおいて「とっ鳥」という言葉が名前に入っている、恐らく焼鳥屋さんか何かと思われるお店が存在してしまっています。これでは「とっとり」を「取鳥」と勘違いしている人が日本からいなくならないのも当然かと言われて仕方無いというものです。
そこでどうですか、この現実を憂いている鳥取県民の皆様方。その間違いに直面する度に強く外へ向けて真実を提唱するのもいいですが、まずは内から改善を図ってみては? 例えば「とっ鳥」だったりする勘違いの元を正そうしたならば、そこに築かれたる信念は必ずやこれまでとは違った結果を貴方達にもたらす事となるでしょう。
とか、何とも無責任な事を言ってみたりしているこの私も、こうした事を題材として日誌を書き綴る事で、少しでもこの誤認を少なくしたいと切に願っている人間の一人なんですよ。
※この話は八割型フィクションです。
04/11/02(火) 第110回 20=1!
随分前の話になりますが、「何故2の0乗が1になるのか」という事をこの日誌に書いた事があります。
それにつきまして、先週縁あって数学を大学で実際に教えている方とお話させて戴く機会がありましたので、まことに僭越ながら上記の事柄に対する私の意見は、認識として間違っていないかどうかを聞いてみる事に。
結論から言いますと、「それで問題無いと思います」との事。おお!! 何とも心強い後ろ盾でありましょうか。これ以上のお墨付きは無いというものです。
まあ、全世界規模なら当然であるかもしれなくても、この日本の中をして同一の事に対し異なる定義、意見を唱える数学者の方々とかはいらっしゃる状況なのでしょうから、誰もが正しいというものではないのかもしれませんが、少なくとも考え方として間違っていなかったという事が知れた事は良かったです。無駄に結構時間をかけて考えたものだっただけに喜びもひとしおというものです。
ちなみにその時その方から聞いた話によれば、ある数の0乗の定義は以下の様にして説明するのが(その方の言う所の)一般的であるそうで、ここにそれを書いておきます。
「am+n=am×an」という指数の性質を利用すると、axは次の様にして表せる。
ax=ax+0
ax=ax×a0
a0=1
というもの。おぉ、何とも私の意見と比べるとスマートで、尚且つ分かり易いですねぇ。何もその方に対抗しようとなんて思える筈がないのでそれはそれでいいのですが。
ともかく、私の意見に何物にも代え難いお墨付きを戴いたのは紛れも無い事実。という事で皆さん。これから生きていく中でこの疑問に突き当たり悩んでいる青年諸氏を見かけたら、某大学教授の後ろ盾があると思って自信タップリに語ってあげて下さい。
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