06/03/06(月) 第391回 迷案
「そうか!! 最近は何かにつけて『今は何でも100円ショップで買えるよね』って言うけど、未だに120円払わなきゃ買えないジュースとかを100円ショップで売ったら商売繁盛間違いなしじゃねえ?」
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経 営 破 綻
06/03/07(火) 第392回 iPod nano 2GB飽和
年明けにiPod nanoを買って二ヶ月が経つが、このiPodに入れる曲を管理するiTunesなるソフトのライブラリにようやっとFF1〜10までの曲が揃い踏みした。
あれから一ヶ月。やけに時間がかかってしまった様であるが、これはある程度仕方のない事なのである。
と言うのも、当方典型的なA型人間なのであって、こういった管理作業となると細かな所まできちんとやらないと気持ち悪く感じてしまう為に、全ての曲に対して曲名を始めiPod内での管理に必要な情報をいちいち全て入力していたからだ。そうすると曲目の追加作業にはある程度まとまった時間が欲しくなってしまう訳であって、故にこの少なからず暇でない最中、後回し後回しにしていたらこんな事になってしまっていたのである。
さて、そんな訳で一ヶ月前のあの時点から更にFF1・2(FC・PS)、FF3、FF4、FF5、FF6、FF7、FF8の全曲をライブラリに追加したのだが、その結果全体の曲目数は1150曲、総容量は2.5GBとなり手持ちのiPod nano 2GBには到底全て入り切らなくなる程の曲が集結した。
ふむ、その事自体はあまり深く考えずとも予期していた事態なのであって、これからは定期的に収録曲を取っ換え引っ換えしながらiPodライフを楽しめばいいのであるが、しかし現実にこういう状況に直面した今改めて思う、やはり4GBタイプを買っておくべきだったのだろうかと。
入れたい曲はまだまだある。現在手元にあるものだけでもFFのピアノコレクション、同アレンジ盤、同ボーカルコレクション等々…こうして改めて各種サントラを聴いていると改めて欲しくなった他のゲームのCDもあって、もしそういうものまで集め出せば4GBですら全然足りなくなっちゃう事は明白だから、それだったらここは一発奮起して30GBのものを、なんて事を考えなくもない始末である。
どういう容量のものであれ、入っている曲を一括して聴く事は絶対に無理なんだから、その意味ではiPodに入れる曲の取捨選択作業を厭いさえしなければ2GBのもので十分、ともすればこの間発表された1GBだったかのやつでも十分な筈なのだけれど…うーん。
何か、ただ単に聴く以外にも、より大容量のものが欲しいという宜しくない誘惑を断ち切れる様な楽しみ方を工夫したい所だなあ。
しかし、1150曲とは。その七割程がFF関係のものだと思うと、これは間違いなく凄い事なのだが、はて凄いのはFFの歴史かそれともこれだけFFに入れ込む私か。
ただ今はFFが多い傾向にあるだけであって、他のゲームの音楽も入れていきたいと思っている。DQ、クロノトリガー、聖剣伝説1・2・3、それにゲーム以外にもちらほらあるし。
ただそれだけ入れると、幾ら定期的に内容をチェンジしても中々順番が回って来なかったりする事になるんじゃなかろうか。うーん、容量過多の場合はライブラリの中からランダムに曲を選択して更新するなんていう機能があったら面白いんだけど。
06/03/08(水) 第393回 都会とか田舎とか
一般的に「田舎は良い」と言われる。何が言いのかと言われれば、一言目には自然が豊富だ、二言目には景色が良いだ空気が澄んでいるだ水が美味いだ何だかんだと言われる。
ただ、本当にそうなのだろうか。本当に田舎はそんなにも良い場所なのだろうか。そうたり得るのだろうか。いや、違うのだ。確かに田舎は自然が豊富で、景色が良く、空気は淀んでいないし、水も美味しいかもしれない。だがしかし、他には特に何もないのだとしたら。
見渡せば何処も彼処も雑踏で、景色と言う景色はビルによって阻まれ、空気は汚染されて尚且つ水も不味い様な地域が仮にあるのだとすれば、そういった所に住む人達は確かに上述した様な「田舎」のイメージを羨望するのだろう。だが、それら要素の代わりに他の全てを失うのだとしたら。
貴方は周囲を自然に囲まれる代わりにコンビニの便利さを手放せるだろうか。ちょいと遠隔地にあって少なくとも「便利」ではないコンビニならあるかもしれないが。貴方は素晴らしい景観を得る代わりにカラオケ等々種々の遊び、種々の楽しみを犠牲に出来るだろうか。虫捕りなら幾らでも出来そうであるが。
いや、何も私は「田舎は言う程良いものでもないぞ」という事を言いたいのではないのだ。まあこれらの内容は事実である部分もあるだろうとは思うが。
重要なのは、上記文章の「田舎」と「都会」との関係を全く逆にしても意味のきちんと通る内容になるという事である。つまり、田舎に住まう田舎人は田舎人でその便利さとか華やかさはでやかさに「都会は良い」と憧れる傾向があるのではと思うし、でも実際に住んでみれば雑踏だの騒音だの、都会ならではの環境にまずは辟易させられるのが常なのである。
とどのつまり、人は生まれ育った地、或いは環境的にそこと近い地域でしか満足に生きる事が出来ないのではないか。田舎人が都会の雑多さにいつまでも慣れないなんて話があるが、一方で田舎を不便利とは一切関係無くその静けさが落ち着かないから絶対に暮らせないと言った都会人がいる事を私は知っている。
さて、そこに来て私の話である。
前々から何かと「田舎に住んでいる」という事を述べてきた私だが、実際には極度の田舎に住んでいるという訳ではない。自宅から歩いていける範囲にスーパーマーケットがあるから日常生活には割と利便性のある方だし、歩くには少々遠いがコンビニもあるにはある(手近には一ヶ所しかない、とも言うがまあ一つあれば十分である)。ただ「都会」とは絶対に言えないだけで。
そんな、日本を「都会」と「田舎」とに完全二分するならやや中途半端さのある地域なのであるが、さてそんな地域に住む人々なら、より都会へ、或いはより田舎へと移住する事が出来るのであろうか。
答えは簡単で、やっぱりそれは容易ではない。コンビニはあるに越した事はないだろうが騒々しいのは好きではないし、もっと娯楽施設が欲しい気もするが騒々しいのは好きではない。んでもって素で水が美味いのは譲れない。つーか、極化していないだけにむしろ完全な都会人や田舎人よりも厄介なのかもしれないなあ。
そんなこんなで「故郷」が個々にとって特別なのはそういう意味もあるんじゃないか、なーんて事を考えていた私だが、したらばふと思った。
これからの人生、ずっとこの地で生きていくのだとして、その何十年という時間の流れの中では慣れ親しんだ地だってより栄えたりより廃れたりする変化は必ずや訪れるのだろう。勿論現在の環境というのもかつての環境が何十年と経って変化した結果である訳で。
そう思えば、ご高齢の方々が「昔は良かったなあ」なんて事を言うのがとても共感出来る様な気がしたのだった。
06/03/09(木) 第394回 珍名さん
一体全体そんなものに流行り廃りがあるのかどうかは知らないのだが、近年は「珍名」即ち「珍しい名前」をお持ちになるお子が多数いるとの事で、これからの教師やらは大変だなあなんて意見が述べられているのをよく見かける。
その名前によっては「ある種の虐待なんじゃないのか」という意見が出る事が珍しくないが、それには同意する事も多い。勿論、ネット上で流れている情報であるからして、大抵は出所なんて分からないしそうであるばっかりに真偽の程なんて全然分からないのだけれど。でも極々一部ながら実在が確認出来る、尚且つ驚愕させられるには十分なケースというものは間違いなくあって、時たまテレビで見る様な事もあるから全てをガセと言って切り捨てる事は絶対に出来ない。だからこそそういう名を進んで付けた親には軽い怒りの念を覚えたりする事も確かにあるのだ。
この手の話では引き合いに出され易い「悪魔」君なんてのは先に述べた「実在が確認出来るケース」の最たるものと言えようか、現実のものとなりはしなかったと言えどもだ。未だに「珍名」トピックにおいて語り草にされる事があるんだからそりゃもう当時人々に与えたインパクトは大きかったのだろうね。まあ、私が言いたい事はこれまで極めて多くの人達が言ってきた事だろうし、ここでは特に触れない。
で、こういった話題で一度その例に六字や七字程度の「長い名前」が挙がると誰か一人は「テストの時不利で可哀想」とか言うのだけれど、こればっかりは果たしてどうなのだろうと思ってしまう。
名前というのは一生ものだろう。してその長い名を授かって被る最大の害は本当に「テスト」なのか。と言うか、「テストで名前を書く」局面というものが本当に被害たり得るのだろうか。
私はそうは思わない。名前が冗長である事によって強いられる苦難、苦痛は他にも幾つだってあるのではないか。まあ個人の性格によりけりだろうが仮に私がそうだとしたらテストで失う十秒二十秒ぽっちよりも自己紹介の方がよっぽど嫌に感じるのではと思う。片や殆どが学生時代までで終わる事であって、片や死ぬまで付きまとうものであるし。それに大学受験とかいうレベルの試験ともなれば開始前に名前を書いておける時間が取られているものだし。それにそれに、たった二十秒程度の時間があるかないかでテストの結果や延いてはその後の人生の明暗が分かれる人なんてそういるもんじゃないぞ。
名前そのものがガセかもしれないのだからそんなムキになって「私はそうは思わない」なんて言ってもしょうがないかもしれないのだが、ただ別の名前についてではなまじ「虐待」だの「可哀想」だの「子供の人生を何だと思ってるんだ」だのいった本気さの感じられる意見をよく見聞するだけに、一方で長い名前となるとさして重要でない「テストで不利」を連想するのはいささかズレがあるのではないのかなあ。そう考えてしまうのである。
って、普通の名前全開の私が言ってもなあ、という感じなのだけれど。
いやしかし、自分の名前を「どうかなあ」と思った事も昔はあったかもしれないが、今となっては親に感謝だなあととみに思う。やっぱりね、一生添い遂げるのにほんのちょっとでも苦労を伴わせてしまう様な名前は、名前に適しているとは言えないよ、多分。
あれ、そうなると「テストで不利」ってのもちゃんとした批判の理由になっちゃうのか?
06/03/10(金) 第395回 類似品
昨日の話に関連するが、「ある種の虐待なんじゃないのか」と言いたくなる名前と言えば、「兄に類似しているから」という理由で名付けられてしまった某ゲーム会社の有名キャラクターの弟、ルイージの事を忘れてはならない。
彼は悲惨だ。何しろ「兄に類似している」事がその名の由来の全てなのだ。マリオ兄弟の親がどんな人であるのかはよく知らないが、しかし私は彼の両親に対して言いたい。それはあんまりだろう。
貴方は、産まれて来た赤ん坊を見て「マリオに似ているなあ」と思ったという事か。つーかマリオだってルイージだって同じ貴方達の遺伝子を継承しているのだからある程度似るのも当然だろうし、それ以前に産まれたばかりの赤ん坊はマリオとルイージに限らず他の子だってあまり見分けが付くものではないだろうに。貴方達の考えからすれば、世の普く第二子、第三子はルイージという事になってしまうではないか。
兄マリオの存在なくしては規定される事のない名、ルイージ。これを虐待と言わずして何と言う。通り名を「ジャイ子」と言い、某人気漫画のメインキャラクター剛田武の妹ですらそれは本名ではないというのに。
兄がいる事でしか己の存在を証明出来ないかの如くな名前を授けられたルイージ青年。「名は体を表す」とはよく言ったもので、やがてその青年は正にその名が示す通りの運命を辿る事になるのであった。
彼が歴史の表舞台に出始めた頃の作品、「スーパーマリオブラザーズ」を見れば一目瞭然である。「マリオ兄弟」というタイトルからも分かる様に主役はあくまでも兄であり彼はいつだって二番手。ピーチ姫を助ける気は満々であると言うのに、マリオとは違って自分は兄と一緒でなければ冒険へ出る事が出来ない。走る速度やジャンプの最高到達点等々、身体能力はそれこそ兄に類似。ファイアフラワーを得てファイアルイージ(と言うのか?)になった時の姿がファイアマリオと全く同じである点は皮肉にすら感じられる。
続編の「スーパーマリオブラザーズ2」ではマリオとの差別化が図られ、ようやくそれまでの苦労が報われたかに思えたがタイトルは未だマリオ優遇。3になると再び彼にとっての冬の時代が訪れる事となった。
「兄さんさえいなかったら…」なんて事を彼が思ったりしたかどうかは分からないが、しかし同情の念は禁じ得ないというものか。
近年、兄から随分と遅れを取ってようやっと「ルイージマンション」なる作品で主役を張る事が出来た彼だが、その夜明けはまだまだ先の事となろう。
彼には今後も道を外れる事なく、いつか兄を上回れる事を夢見て頑張ってほしいものだ。
06/03/11(土) 第396回 粗悪品
昨日と一昨日の話に関連するが、「ある種の虐待なんじゃないのか」と言いたくなる名前と言えば、「悪者だから」というただただそれだけの理由で名付けられてしまった某ゲーム会社の有名キャラクターの一体何に当たる存在なのかよく知らないのだけれどワリオの事を忘れてはならない。
やっぱりヒーローにはライバルの存在が不可欠の様で、でもそんな事を言ってしまうとクッパの立場はどうなってしまうんだと思ってしまうのだが、ともかくそんな訳でこの人は登場した。初出は「6つの金貨」だったっけか。
いやしかし、歴史的にはマリオ兄弟よりもよっぽど後の事なのに、その割には「ワリオランド」だの「メイドインワリオ」だとかって冠番組ならぬ冠ゲーム幾つか持っちゃって、それを考えるに付け私は思うんだね、早ルイージの先を行っちゃってるじゃないのって。
やはりルイージは哀れだ。いつもマリオの後を行く永遠の二番手だと思っていたら何処の馬の骨とも知れない奴が颯爽と自分を追い抜いて行っちゃったんだから。彼の胸中は察するに余りある。
思い起こせば、今は懐かしき「スーパーマリオワールド」じゃあどこだったかの城を攻略した後のデモで「がんばれマリオ! がんばれルイジ!」とか言われてたな。酷い話だよなあ。
…あれ、ワリオの話はどうなったんだまあいいか。
06/03/12(日) 第397回 持論色々
いつの頃からだろうか、こうやってサイトを運営する上でまるで「決め事」の様に思っていた事がある。「攻略系コンテンツやデータベースは作らない」 このサイトの公開を始めた去年二月時点ではまだはっきりと思っていなかったと思うけれど、でも半年前頃には確かに思っていた。
私は、このサイトにFFの攻略情報を載せない。今までがそうである事は明らかだけれど、多分これからもそう。このサイトは所々これでもかって程に深いのに幅としては随分狭いなあ、なんて事を思ったりもするけれど、でも新コンテンツ案を練ったりする際に「攻略」の二文字が浮かぶ事はない。
理由は簡単だ。もし、私がこれから攻略系コンテンツを作るとして、それに臨んで完成するものはと言えばたかが知れている。現時点で存在する攻略系サイトに及ぶべくもない様な、言わば中途半端なものしか生み出す事が出来ず、その上を行こうなんてもっての外。にも拘らず時間はかかる。情報転載を許可している既存サイトからありったけの情報をかき集めれば短時間でかなりの質のコンテンツが出来る事とは思うが、それだったらそれをやるのは私でなくたっていい。他の人がやっても全く同じものが出来る訳だし。
私は、「やるんだったらとことんやる」と考えるタイプの人間だ。一度手を付けたゲームは出来る限りクリアする私のテレビゲームに対する精神にもそれは表れているが、中途半端な事はあまりしたくない。そして折角やるんだったら、誰もやっていない事をするか、もしくは一番上を目指したい所。だが、何か奇抜なアイデアを出せる訳でもない私が攻略系コンテンツを作った所で、それはどんなに頑張っても既存のものを超える事は絶対にないのである。
だから私は、製作者の個性が表れ難い(レイアウトを除くかもしれない)「攻略」「データベース」といったコンテンツの作成に苦手意識を持っており、自サイト内でやる事は多分ないだろうなあと思いつつ、「文章」というその人の個性しか出ない道具を用いての「妄想」やら「雑文」やらを更新していくのだった。先に「誰もやっていない事をしたい」と述べたが、自分の頭で考えた文章とは即ち、一応は自分にしか書けないものだと言えるのだろうから(その文章を載せるコンテンツ自体を独自性溢れるものに出来るのならばそうしたい所なのだが、やっぱりそれを考案するのは私には無理)。
ただ最近になってふと思った。「俺的事典」なんてのは、「俺的にまとめる」という触れ込みにもある通り己の文章を用いてはいるが、しかしその中身は「データベース」そのものではないか。つまり、「攻略」というサイトコンテンツのジャンルそのものが苦手なのではない。今まさに自分が自分の言葉を用いて「データベース」を作成している様に、己が文章をふんだんに盛り込みさえすれば「誰もやっていない攻略コンテンツ」も或いは作れるんじゃないか、と。
そんな経緯があって企画し、そして本日無事に走り出した新コンテンツは、今日までの間に随分毛色を変え全くもって攻略コンテンツではなくなってしまったが、この「歪曲」、どうか長続きしてほしいものだ。いやいや、長続きさせるとも。あんま面白くなくても。
今回残念ながら日の目を見る事にはならなかった攻略コンテンツも、いつかやれるといいね。実際のプレイの参考になんかひとっつもならない様なやつ。
ま、今日からコンテンツを五つ動かす事になった訳だから(「ゲーム日誌」と「雑文」は一つ扱い)、これ以上稼動コンテンツを同時に抱える事にはならないと思う。早くともいずれかのコンテンツが一つ以上更新を終えてからだろうね。よっぽど奇抜なアイデアが思い付いたら別だけれど…はて。
06/03/13(月) 第398回 98%の冗談と2%の本気話
昨日の「雑文」を書き終わって「久し振りに『雑文』でただの一つも冗談の入り混じってない文章書いたなあ」としみじみ感じていたのだが、はて、前回そんな文章を書いたのはいつの事だったろう?
気になったので日を遡って調べてみたら、第321回「結婚披露宴が好きだ」だった事が判明した。
実に77回振り、期間にして三ヶ月振りである。従ってその間の文章は誰が見てもふざけているか、基本は真面目だけどほんのちょっとだけネタ的一言が入っているか、意図して真面目に見える文章を書いているかのいずれかである。「雑文」読者諸氏におかれては、何かの間違いで今後読むに当たっての参考となれば幸いと。
いやしかし、第321回の前に書いた真面目話が第288回「続・美しい日本語って何?」だったという事は、こと最近100回分の「雑文」においては、その内のおよそ2%だけでしか本気の話をしていなかったという事になる。
殆ど毎日書き続けてきたこの100回、この間、私は一体何を考えながら生活してたんだろうか。
06/03/14(火) 第399回 二十代男性の決意
来る今週の土曜日にJRのダイヤが改正されるという事で、割と電車の運行時間に日々のスケジュール調整を左右されている私としてはこれはいつだって気になる話題なので、本日、改正後の時刻表を入手、早速来週以降の生活がどんな感じになるか確認してみたのだが。
いやはや、私の関わり合いになりそうな全ての運行電車において大きく変化したりはしてなかったのは良かったのだけれども、殆ど全てについて数分〜十数分程度遅れる方向へ変わっていく模様。
微妙に押していくんだなあ。これで去年やら今年初めやらよりももっと忙しくなったらどうなるんだろ。
今の、毎日長い事移動時間を費やす様な生活になっていつしか二年。取り敢えず今の所はやって来れているけれど、それがこの先も続けられるとは限らないのは勿論の事。途中何度か近場の方に引っ越そうかなんて事も考えたのだけれど、実の所今の生活が続くのは後長くて二、三年だって事は分かってて、その後何処で何をするかはまだ未定なのだけれど少なくとも今の生活サイクルはリセットされるのだから、二年やって来れて後半分程なら引っ越さずとも何とか…といった感じである。
多少移動時間がかさんだとしても引っ越さねえという究極の出不精振りが遺憾なく無遠慮に発揮されており、流石にこれは自分でも度が過ぎてるなとは思うのだが、それを改善する方向へ持っていかないという私。これ程のダメ人間もそうはいまい。
まあこんな話をすると、「忙しい大変だ」と言えど、サイト持ってしかも更新してるだけの余裕はあるじゃないかと皆様方は言うかもしれない。いやしかし勿論、私もそんなにはダメじゃないから身を削ってまでやろうとは思わない。過労気味ともなろうなら、まずはいの一番に「雑文」と「俺的事典」の更新を止めて英気を養いにかかろうとも。その日が休みの日ならお気に入りのDVDか何かを見て馬鹿笑いしながら時間を食い潰そうじゃないか。更新休止は勿論一日とは限らない。三日かもしれないし、一週間かもしれないし、月単位に及ぶかもしれない。
いいじゃないかいいじゃないかそんなだって、ね。私はそうやって末永い事このサイトをやっていきたいと思っているのだ。
そうだな…三十代になるまではやるよ。ほんとほんと。更新休止期間が設けられる事前提でなら。
まあね、これまではっきりとした年齢公表した事ないからそれが後何年だかも分かんないけど。
06/03/15(水) 第400回 FF12発売前日
あれよあれよという間にいよいよ明日、FF12が発売という事になった。一ヶ月前になってからというもの突如待ち遠しさが増した影響で感覚としてはその間結構待ったもんだけど、やっぱりいざその日を迎えたとなると早かったな。予定では「歪曲」の第2回更新をした位で迎えるつもりだったのだけれど。
巷ではもうフライングして手に入れたプレイヤー勢によって怒涛の様に攻略されてるのだろうね。でもまあ私としては、特に慌てる事もない。amazon予約だから慌てようにも慌てられないとも言うかもだけど。正規の発売日に至ってから「さあ」と腰を上げてゆったりプレイしたいもんじゃないの。amazon予約だから明日からプレイ出来るかどうかも怪しいかもだけど。
いやいやまあまあ、FF12についての情報が世間に流れ始めたその日以降今日まで、自分の中で頑なに守り通してきた「FF12情報禁止令」は私が一周目のプレイを終えるまで続けられるのだから、発売日当日からプレイし始める必要性なんてないのだ。私はただ、ネットサーフィン中にうっかりネタバレ情報を知ってしまったり、或いは知人等々から要りもしないシナリオ展開なぞを聞いてしまったりする事に細心の注意を払っていさえすればいいのだ。折角の新作、ゆっくりプレイしようじゃない。
さて、ここでお知らせ。
amazonからFF12が届き次第それのプレイに入りますが、プレイ開始からクリアまでの間、そのプレイに関しての事を綴っていくであろう「ゲーム日誌」と「俺的事典」以外のコンテンツの更新を停止します。
これについてはかなり迷ったんですが、やはりFFの新作、集中して一気にクリアしてしまいたいと思った次第です。
三月中のクリアを目指してますので、もしそれが達成出来るのなら三月も残り半分、「停止」と言いつつも最近の更新間隔からすると結局特別変化らしきものがなく終わったりするかもしれません。
どうぞ悪しからず。
振り返ってみると去年ロマサガMSの一周目をプレイしていた間は一応その他コンテンツの更新も並行してやってるんだなあ…それだけゲーム時間を削りつつやってたって事か。
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