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07/01/26(金) 第641回 足を止める日

だけれども、今日だって更新。それと言うのも他でもない、昨日とは違って余裕が出来たからね。でもそれも一日と持たんか。あーあ。
風邪はようやく治ってきた模様。昨日の風邪薬によるものかどうかも結局分からなかった異様な眠気事件もあって今日は薬を服用せずして家を出たが、何が何が、それはそれで随分と寝たものだ。移動時間以外は、昨日よりかずっと息つく暇もないスケジュールだったので途中で眠りこけるとかそういう事はなかったが、もとい、出来なかったが。

さて、この間正月を迎えたかと思ったらもう一月も終盤。今後の予定をざっくりと述べてみると、どうもこの先二月、三月、四月、五月と、しばらくは落ち着ける環境にあり付けそうにない。根がのんびりである事が特にゲームのプレイ方針によく表れている私としては辛い日々が続きそうであるが、これも仕方あるまい、重要な局面だ。で、そういった事情から、サイトとの関わり合いの深さを一度見直すべきじゃないかと思った訳で、昨日のあの結局短くもなく終わったあれに繋がるのだけれども。
まあそんな辛気臭い話は昨日だけで十分だからすこし方向性を違えるが、意図して更新しない事に関しては一つ、前々から思っていた事があった。予め更新を行わない日を予告しておけば、その日の訪問者はどの程度減るものなのだろうか。「何でそんな事を気にするの」と言われると答えに窮してしまうけれど、気になったものは気になったんだからしょうがないのだ。
昨日も言及していた様に、当サイトでは過去に四、五日更新を休止した事があって、特に昨年の二月、身内の引越し手伝いで家を空けた時には「明日の更新は行わない」という旨の予告をしていた。

87 → 76 → 83 → 76 → 97 → 86 → 78

上記が、その更新を取り止めた2月25日を中心とした前後三日間のアクセス数の推移であるが、ご覧の通り、その時は別段大きな影響を及ぼした様ではなかった。
だがそれも、考えてみれば当然の事である。何となれば、私が遠路はるばる身内の者の元へ出かける前日の2月24日、翌日は更新出来ないと述べたあの「雑文」を更新したのは夜中になってからの事だったのだから。今や当時の事なんて詳細に覚えている筈もないが、仮にあれを掲載したのが夜10時頃の事だったとすれば、翌25日を迎える前に25日分の更新がない事を知る事が出来たのはそれから僅かに2時間の間に当サイトを訪れた方のみだったのであって、それ以降にアクセスした方の分は否応なく25日分のアクセスとして計上されたのだ。それでいてアクセス数に大きな変化がある筈もないというものである。
という事で今回はその辺りの問題を解決するべく、数日前から「○月×日は更新致しません」と宣言する事で、訪問者の皆様に周知を図ってみる事とした。これなら、目に見えてアクセス数の減りが分かるだろうか。それとも、当サイト位の規模ではこういった呼び掛けもあまり意味を成さないだろうか。
ともあれ重要なのは、「それをいつにするか」だ。先々のスケジュールを入念に見据えて、最も忙しくなりそうな日に決行日を設定する事が求められる。

さてさて、これから多忙になろうかとしているけれどもいつにしようかね。



07/01/27(土) 第642回 ありがたい、ありがたいったらありがたい

つーか、折角更新を休んで連続更新記録を自ずから途切れさせても、それがそのまま翌日以降のネタになっている様じゃあんまり「途切れさせた」っていう意識が生まれないんじゃないかなあ。まあいいや。

それが嫌いである、はたまたそれが怖いという事はそれが気にもならない、はたまたそれが大好きだという人に比べて相当に情けなく見えるであろう事から「私はそれが嫌いだ」という旨の意見を私生活においてあまり大々的に大っぴらに公言するのははばかられてしかるべきだという事は分かっている。だから私はこうしたウェブサイトという場においてそれが大の苦手である事に関する苦労やら何やらを常々吐露しているのである。そして奴は昨日、今年初めて私の前に現れたのだ。即ち、雷である。
今年は例年に比べて雪の量が目に見えて少ない。それこそ「目に見えて」という表現はある種の慣用表現に過ぎず、実際は目にする事もないという位に降らないんですよという事をわざわざ言いたくなってしまう程、本当に降っていない。降っていないものであるから、もしかしたら今シーズンはこのまま乗り切っちゃってくれちゃうのかなと、つまりそれは日本海側に住まう人間にとっては昔からネックであった「雪起こし」にも殆ど遭わずして春を迎えられちゃうかなと思っていたのだ。
それがどうだ、昨日の鳴らしっぷりときたら。幾ら待とうが後から後からやって来る雷雲と、そこから発生して一晩中私の耳を刺激し続けた雷。久し振りに憔悴したな。ちょっとばかりでも音から遠ざかろうと思っておかしな格好になってたか知らないけど、今日はやけに首が痛かったしよう。

最近とみに思うのである。雷が嫌いでない人や、さもなければ雷好きだと仰る人は、自身が雷恐怖症でなかった事に感謝して日々を生きるべきだと。それもそうだろう。仮に自分が雷恐怖症であったらと考えてもみてほしい。雷の襲ってくる頻度は地域により随分とばらつきがあるが、二週間に一回とか、ひと月に一回はその恐怖に見舞われるのだ。それが夏場ともなれば、掛け値なしに毎日が不安の日々である。
雷というもののタチの悪さは、並大抵の事ではそれから逃避する事が出来ない点にこそある。例えば、世には高所恐怖症という恐怖症があって、かくいう私もそれなのであるが、だからと言って私は高所恐怖症でない人に対して「君達、自分が高所恐怖症に生まれなかった事を感謝しなさいよ」なんて事はおくびにも出さないのだ。何故なら、高所へ赴きたくないのなら、我々は比較的簡単にそれを避ける事が出来るからだ。稀に、小学校の何かの授業で屋上へ出てみましょうとか言われたりして高所への移動を強制される事がない訳ではないが、人生においてその様なケースの発生する頻度が雷の発生する頻度と比べるべくもない事は自明である。対して雷はどうだ。我々が雷に遭遇するかどうかを左右するのは一重に雷雲の皆々様が風に乗ってどちらへ動こうとなさるのかにかかっているのであってそこに雷恐怖症人間の意志なんて介在しちゃいない。そして介在しちゃいけない。その気になれば大規模移動を敢行するなりすれば雷雲から逃げ切る事だって出来ようが、雷が起こりそうなその度にそんな大脱走劇を繰り広げていては全うな社会生活を送れよう筈もないのだ。デパートの地下いわゆるデパ地下なぞに逃げ込めば比較的安易に光なり音なりから己を遮断する事も出来るだろうが、私の住んでいる様な田舎にそんな身を隠せそうなデパートなんぞ都合良く設けられてはいないのだ。デパートは田舎に厳しい。
かかる具合に、雷のタチの悪さはさながらシーモアか、或いはうっかり.pdfファイルへのリンクをクリックしてしまった時の読み込み時間かっていう位に筋金入りだ。その雷と相対する恐怖に強制的に遭わされる身にもなってほしいというものである。とは言え、雷恐怖症でない人に雷の怖さを分かってくれと言った所でどうあっても伝わらないのだから、せめて自身が雷恐怖症でない事をありがたく感じてほしいな、と。つまりはそういう事なのだ。

いつになく熱弁を振るった様だが、そんだけ辛いんだって。本当に。
分かっておくれ、実生活中じゃ中々公言も出来ないという現実も含めて、分かっておくれ。



07/01/28(日) 第643回 誰もが誰もの心の友

昨日、我をも忘れる勢いで非雷恐怖症の人達へメッセージを伝えていて気付いた、非雷恐怖症の人は自分が雷恐怖症でない事を日々感謝しろと言うのであれば、自分だって日々感謝しなければならないではないかという事に。

例えば世の中には暗闇に恐怖を覚える暗所恐怖症と呼ばれる人々がいるが、私はそうではない。もし私が暗所恐怖症であったら、毎日まともに寝られたものではなかっただろう。夜中に停電なんて起きてしまったりしたらもう。尚且つそれが雷によって発生した停電だったとしたら目も当てられない。感謝感謝。

例えば世の中には尖った物に恐怖を覚える先端恐怖症と呼ばれる人々がいるが、私はそうではない。もし私が先端恐怖症であったら、何らかの試験時には一定の影響を及ぼしそうだ。よく「真面目人間」として通っている私から直接的に勤勉さを示す指標を奪いかねないのだから、それによる問題は計り知れない。感謝感謝。

例えば世の中には自身の身体における特定の一部分が他人から醜いと思われていないかどうかという事に大きな不安を覚える醜形恐怖症と呼ばれる人々がいるが、私はそうではない。もし私が醜形恐怖症であったら、と言うか現実に自身醜形恐怖症に準ずる症状を起こすには十分であろう特徴を持っていたりするのだが、良い具合にずぼらと言うか、極端な「気にしい」でなくて助かった。感謝感謝。

例えば世の中には、家を出た後に施錠し忘れていなかったか等を極度に気にする不完全恐怖症と呼ばれる人々がいるが、私はそうではない。もし私が不完全恐怖症であったら、基本的には心配性なのだからそれと相まって日常生活がもう平穏に暮らせなくなるだろう。感謝感謝。

例えば世の中には、仕事なり勉強なりの最中にそれとは全く関係のない事が頭に浮かんでしまって、本来しなければならない事が一切手に付かなくなってしまうのではとひたすら心配し、結果その心配自体が仕事や勉強を阻害してしまうという雑念恐怖症と呼ばれる人々がいるが、私はそうではない。もし私が雑念恐怖症であったら、普段から雑念ばかりでもう全うな社会生活なんて送る事が出来なかったろう。雑念頭脳万歳。感謝感謝。

昨日もちらと書いた事だが、所詮、これらの恐怖症である人々の苦労なんてものはそうでない人々には伝えようったって伝わらない。どんなに語ったって伝わらないし、ともするとそれを恐怖に感じない人からは「情けない」とかいう侮辱めいた言葉さえ聞かれる事もあるのだから、段々と伝えようという意思は薄れてくる。隠そうと思う様になってくる。これではいけないのだ。恐怖症を蔑視してはならないのだ。理解し合わなければ。その為に、今度は恐怖症でない側の人間から歩み寄っていかなければ。
繰り返すが、どんなに理解しようと歩み寄りに努めたって完全に恐怖症患者の恐怖を理解するのはまず不可能だ。しかしだからこそ、恐怖症でない人間はせめて「もしもそうだったら」と考えて、その場合の苦労、苦難をイメージする事で少しでもそれら症状を身近なものとして感じるべきだと私は思う。もし貴方の中に無上の恐怖を駆り立てる様な存在があるのなら、これら恐怖症の恐怖対象をそれに置き換えて考えてみるのもいいだろう。そうして生まれた貴方のほんの少しの理解は、間違いなく恐怖症患者の一つの拠り所になる。例え直接的な激励でなくたって、自分の励みになる人間がいないのと一人でもいてくれるのとでは心の持ちようが全く違うものなのだ。


まあ、何やかやと言っていて結局私が言いたいのは「雷を怖がるってのは別に情けない事でも格好悪い事でも何でもないだろうって事を分かってくれよ」というこの一言に尽きるのだけれど。
いやーそれにしても、普通の、安寧な日常ってのは感謝する事ばかりだね。感謝感謝。



07/01/29(月) 第644回 人の助言は素直に聞くものだ

帰宅後、しばらく自室にてぼやぼやしていた所、身内の者がどたどたと戸を開け入ってきたかと思えば私にこう言い放った。「インターネットは普通に繋がるか?」
聞き捨てならない言葉ではあった。何しろ奴さんのその言葉からは、私の事を「自宅にいる時間はいつ何時だってパソコンを起動させインターネットに興じている駄目人間め」と思っている事が如実にうかがえたからだ。しかし今そんな話を持ち出して私と目の前にいる身内の者との間でいささかのいざこざを起こしてしまうのは私としても戴けない。ここは素直に、ストレートに質問に対する答えを返す事にした。とは言え、何分自宅に帰り着いてからというものただただぼやぼやとしていたものであるから今日はまだパソコンを立ち上げてすらいない。私は言った。「分からん」
その後の身内の者の話から、ようやく話の意図が見えてきた。どうやら、我が家の電話が朝から繋がらなくなっているらしい。これはどうしたという事で旧日本電信電話公社、現NTTに問い合わせてみた所、朝方の激しい雷雨により各地で電話線の不具合が発生しているという事であった。んで、電話は不通だけどインターネットはどうなんだろかって事で先の質問と相成った訳だ。何もインターネットは私が独占している訳でなし、私が帰宅するまでで幾らでも確認出来た様な事の筈であるのだが、それをわざわざ私の帰るまで待たせる辺りは「自宅にいる時間はいつ何時だってパソコンを起動させインターネットに興じている駄目人間」の面目躍如と言った所か。

さて、ここで問題。以上の話から、「もしかしたら今日一杯はインターネットを利用する事が出来ないかもしれない」事を把握した私は、咄嗟に何を考えたでしょーうか?
  1. ちょっとした暇潰しが出来ないじゃんよ。かと言ってゲームをプレイするだけのまとまった時間はないし…
  2. 困ったなあ…家に持ち帰ってやるつもりだった調べ物が出来ない…
  3. 今日あの人にメールで連絡する予定だったのになあ…
  4. お、これでもし本当に繋げられなかったら、今日はサイト更新しなくても済むぞ

ヒント:断じて4.ではありません



07/01/30(火) 第645回 変人を卒業する日

昨日の問題の正解は1.です。
誰が何と言おうと1.です。

さて、私は思ったのですよ。三日前、それから一昨日と、雷が嫌いだって話から恐怖症への理解を皆様何卒っていう話へと展開させた訳だけれども、さしずめ私は毎日毎日「雑文」に幾許かのネタを盛り込んだ文章を掲載しなければ言い様のない不安に駆られてしまう恐怖症、これを何と称すればいいのか分からないのだが言わばサイト放置恐怖症みたいなものなのではないのかなと。それは「恐怖症」とはちょっと違うか。恐怖症と言うよりは強迫観念みたいなもんかな。とにかくそれではないかと。
症例は大きく二つ。連日更新し続けなければならないのではないかという思いに捉われる。そして、何かと忙しくさっさと切り上げる事が望まれる為冒頭で「今日は短めに」と宣言しておいたのにだらだらと話し込んでしまい結局いつもと目立って変わらないだけの量に仕立て上げてしまう。
これはまずい傾向だ、って事でこの前「近々意図的に更新を行わない日を設ける」としたのだけれども、結局それもいつやるもんなんだか怪しい。だがこのままずるずるとじゃあ、いつ手遅れになるもんだかも怪しい。だからまずは、今出来る事から始めなければと思うのだ。
今出来る事、それは、現時点まででこれと言ったネタが存在したか否かを問わず、「今日はここで終わり」と宣言して未練なく強制的に作業を終える事である。
して、今日はお終い、と。こうして私は、一歩真人間への道を歩むんだね。

なーるほどー、と、一人納得しつつ、気の変わらない内に本日はフェードアウト。



07/01/31(水) 第646回 変人になる日

変人を卒業して新たに真人間kemkamとして生まれ変わったのが昨日の事であった。なのに、である、折角生まれ変わった所で何なのだが、今日で一月を終えて多忙と多忙の谷間に入り込み少し落ち着いたので、一時的に変人に戻らせて戴く事とする。
という事で、以下変人kemkamの戯言。




















ウヘッヘヘヘヘヘヘッヘッヘヘヘエヘヘヘヘヘエヘエヘエヘヘウフフフフヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒイヒヒヒフヒフヒフヒフフフフフフウフフフフフウヘヘフフヘヘヘヘヘヘヘヘエエエッヘエヘヘヘイヒヒエヘヒヘヒハヒフヒハフフフウフフフフウッフウッフフーフーハッヒフッヘホーホホホホオホホホホホホ、オホ、オホ、オホホ、、、、、、、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ、アッハハハハハハハハッ、イーッ、イーッ、ウ、ウ、ウウウウウウウウヒョオオオオオオオオオオオオホホホホホホホホホホホホホホヘヘヘヘヘヒヒヒハハハハハハハ…ハハ…ハァ………………ククククククククククッククククク





うん?
















ミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミ



07/02/01(木) 第647回 新手のサイバーテロリズム

当方、「かまいたちの夜2」のプレイ経験はないんですけれども。

まあ、何と言うか、思う。この「雑文」っつーコンテンツはテロだなと。もっとも私がこうして日々垂れ流している文章は、「テロリズム」という言葉の意味を杓子定規に解釈した時に現れる「政治的目的」とかいう言葉とは無縁の公害であるが、時に破壊活動的衝動を起こしてしまう、また読む側の視点ではそれが見られてしまう事のあるという点では正にテロリズムだ。
昨日の「『変人』っつったってそりゃ『変人』の意味が違うよ」ネタはあまりにストレートだったが、ああまででなくとも「ことしたの」とか「ジョルドリブス」とか「愛憎の鍵」(全七回)とかなんてのもかなりテロだと言える。実際、昨日のネタなんかは訪問者の方々にとっても相当きついものが(無論、色々な意味で)あった筈で、結果それが幾分かの苦痛をもたらしたとするなら、私はもうこれに読者への攻撃意思の存在を認めない訳にはいかなくなるのだ。
困った事には、これら文章をしたためているサイト管理者本人が、ある程度こうした無差別テロを容認している姿勢が見受けられる。そして実際の所も、嫌いではない。むしろ好きな方だ。ああしたネタは明らかに他の一般的なネタや、はたまたこれと言うネタもないただただ普通の日記などとは比べ物にならない程に他人には受け入れられないものだという事は十分分かっているし、その性質上どうしても客離れを引き起こす可能性がある事も重々承知しているし、見てて嫌悪感を覚える文章とそうでない文章となら常に後者を掲載する事を心掛けた方が人間としては好ましい姿だという事もしっかり理解している。だがしかしこうも思う。たかが個人のウェブサイト、見に来てくれている方々の事は常々有難く思っているけれども、必要以上にその人達を意識していてもしょうがないと。こうした場ですら変に気を遣ってやりたい事も出来ないのではしょうもないと。まあ「ミミミ」が私のやりたかった事だったのかどうかはそれとは別の話であるが、ともかくそうであるから、私はふいに思い付いた事から何から全部ここに出してしまうのだ。それが、時には常識を少し(「日記」扱いの文章としてはかなり)逸脱しているものだったりする、と。

上記の様に書くと私の起こしてきた数々のテロ行為は「たまたまそのネタを思い付いたから載せた」とも受け取れるけれど、いやどうだろう、本当にそうだろうか。私は何処か、自分の中にこうしたネタを掲載する事への喜びみたいなものがある様な気がしてならない。何しろ、そうしたネタで更新してからの一日は普段とは少しばかり気分が違う。
そう、気分が違う。具体的には、ワクワク感と言うか、ゾクゾク感と言うか、そういった感情が込み上げてくる。読み手の事をこれっぽっちも考えていないという意味で随分と敵意をはらんだ形で迎え、時には明快なオチも付けずに後味悪く終わるあのネタを今、誰かが実際に目の当たりにしてるんだと考えると、それに対するリアクションがこの目に見えようが見えまいが私は僅かばかりの悦楽に浸れるのだ。十分な説明が全くもってなされていない難解な、或いはただ意味不明なだけの文章を目の前に今、誰かが顔をしかめていると考えると……!


っておい、何か本当に変人化してきたぞ。



07/02/02(金) 第648回 ただただ見てーるー

とどのつまり、反省はしてない、と。
そりゃそうだろう。サイバーテロと言えば、この間Yahoo!ブログかどっかのPR欄に出てたリクナビの広告の方がよっぽど悪質だったし。あの、やけに眼力鋭い目が一つ、こっちを見てるやつ。何度か見たけど全然慣れなかったな。あれは心臓に悪いって。
天下のYahoo!さん並びに天下のリクナビさんがああいった、心臓の悪い人には大真面目に言って良くないであろうレベルのテロ行為に踏み切る位だから、高々その何十万だか何百万だか分の一の人しか見ないサイトがあの程度の暴走をする分にはさして問題となる筈もない訳ですなあ。

……うーむ、ここで実際にその「目」画像を引用しようと思ったのだが、いざという時に見付からないもんだから今日はこんな中途半端感を残しつつ終わり。
リクナビの広告を存じない人にとっては一から十まで意味の分からない文章で失礼。



07/02/03(土) 第649回 もう見た?

私は悩んでいた。否、厳密には今だって悩んでいる最中だ。私は、昨日見付けられなかったリクナビの広告画像を発見してしまったのだ。
これが、昨日の「雑文」を書き切る前の事であったなら、私はこうまで悩む事はなかっただろうし、そうする必要もなかったろうに。何故なら、昨日自分自身で述べていた様に、仮にそうだったなら私はその画像を昨日のネタのオチにでも引用して事を終えていたであろうから。
何にしろ、タイミングが良くなかった。当該画像を発見した私は早速とばかりにそれを保存した後、咄嗟にこの様な事を考えてしまったのだ。「この画像を掲載する事が、そのまま一つのネタになるんじゃーねーの?」

kemkamという人間の意地の悪さは特にここ数日で随分と明かされてきたものであるが、皆様にはここで余計にその思いを確かにして戴こう。私は、今日のネタのトップに例の画像を載せようかという衝動に駆られたのだった。
この「雑文」というコンテンツの構造上、最近更新されたネタはページのスクロールなしで訪問者の目に触れる仕様になっている。クリック一発で最新のネタをお届け。ウェブサイト製作におけるユーザビリティの基本的な考えの一つだ。そのネタのしかも冒頭に、昨日「心臓に悪い」とまで言い放ったその画像を用いる事で皆様にも些細な驚きをお届けしようかと、私の中の悪戯心が思わせたのだ。
だがしかし、そうする事について戸惑いもなかった訳ではなかった。その事は、少なくとも今こうして本日の「雑文」ネタを書いている途中である私よりも、既にして完成された文章のここまで読み進めてこられた皆様の方がよっぽどよく知っている事実である。もしか本日のネタの冒頭に画像が載せられていないなら、私は思ったのだ。心の準備もなしに心臓に悪い事すら懸念される画像を皆様にお届けしてしまって本当に良いのか? 確かに、ハイパーリンクのクリックは基本的には自己責任だ。そして私は確かに、読者に「このネタからは敵意が感じられるなあ」と受け取られかねない文章を載せる事にあまり抵抗感はない。だがしかし、読者に対して直接的に危害を与えかねない文書を載せる事は全くもって本位ではないのだ。当サイト訪問者の中には多分いないだろうなあと思っていたセンター試験受験者が実際にはおられたのと同様に、当サイト訪問者の中に多少心臓の弱い方がおられないとは限らないのだ。この歳で人を殺したくはない。60歳になれば殺したくなる訳でもなかろうけども。

とどのつまり、ネタの冒頭に例の画像を用いるのは断念せざるを得ないという結論に達した。
だが、冒頭でなければ? 心の準備もなく画像をお見せする事が避けられるべきであるのなら、予め心の準備を促した上で当該画像の掲載されているページへのリンクを提示すれば問題ではあるまい。
という事で、私と同様に、かつ私よりもよっぽど簡潔にその画像への感想を述べておられる方のYahoo!ブログ記事(画像付き)
なお、リンク先において貴方に如何なる損害が生じても、当方は一切の責任を負いません。


よーし、このお約束の一文を書いとけば大丈夫だろ。
煽りに煽りまくったせいで実際に見てみたら期待外れもいい所だったなんて事になったら本末転倒だがな。



07/02/04(日) 第650回 そりゃまずい、リアルで

期せずして変人系の話が続いたので、過去ログ65分も今回がラストである事だしもう一日ばかり変人振りを発揮して過去ログ65を「変人ネタ集」にでもしてみようかなと思ったのだが、いざ書こうという段になって、残念ながら私も言う程変人ではなかったのか、もうこれといってネタがない事に気が付いた。
あれー? 「何で自分はこう何をするにも、いわゆる『普通』じゃないのかなあ?」なんて事は常日頃思ってた筈の事だったのに。どうしてここ数日で二、三、どちらかと言えば「雑文」を書いている内に即興的に思い付いた事柄を挙げただけでネタ切れになっちゃったのか。
ああ、そうか。普段感じている「変人さ」ってのがことごとくリアル過ぎてサイト上で公表する事を人間としてためらうべき事ばかりだからだね。

色々と追い詰められているので、本日はこれにて。


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