07/03/17(土) 第691回 封印すべき過去
おい、あの時ネタにした「エコノミークラス症候群」で検索して「エコノミー症候群ではありませんか?」っての、早くも消えたぞ。最後に無理矢理盛り返してみたとは言えそれまでに比べて随分とネガティブな話の多かった過去ログ69の中では珍しく割と純粋なネタであったと言うのにだ。「たかのゆり」に続いてまたしてもネタを潰しやがって。あれじゃ単に「『エコノミー症候群』という言い方は正確ではなくて、正しくは『エコノミークラス症候群』と言うんですよ」という事を親切にも読者へ向けて発信しているだけの事になっているではないか。しかもそういう意図のあるものだと受け取られてしまった場合話は一つ目のリンク先で完結している筈であって、すると二つ目のリンク先はネタ(と言うか文意)には直接関係しない補足的なものだと認識されてしまう訳で、そうなるとあの二つ目のリンクは「『エコノミー症候群』っていう症状名が厳密には『エコノミークラス症候群』である事は一つ目のリンクからもう分かっている事だけど、これも何かの縁だし、折角『エコノミークラス症候群』をよく知る良い機会なんだからついでに勉強していったらどうだい、ほれ、リンクしといたから」という親切を通り越した迷惑なお節介と化してしまうではないか。
不都合はそれだけじゃない。何って、あれじゃあただでさえ下がり止まる気配のなかった過去ログ69の株がこれでまたぐっと下がってしまうではないか。その上個人的に後から過去ログを振り返ってみたりする時に「あっ、この頃はまたやけに酷いなあ」って事でろくに読みもせずにスルーしてしまいたくなるではないか。のみならず律儀に過去ログ1から順を追って読み進めてきた新人さんもここら辺に差し掛かった所でえも言われぬ負のオーラに耐え切れず「もういいや」って事になってしまうではないか。まあ、あれで脱落する様な人なら過去ログ32(特に第315回以降)の時点でとっくに降りちゃってるだろうけども。
けしからん、全くけしからん。こんな下らない事で私に一ネタ分の文章を書かせてしまうとは。全くもってけしからんねえ。
07/03/18(日) 第692回 経営学の勧め
明日はちょっと山の方へ行くのだ。山の方へ行くので、必然交通の便は悪くなりそうなのだ。と言うか、実際に悪くなって、具体的にどの程度悪くなるのかと言うと、向こうでの用事を済ませた段階で、帰りのバスがやって来るまでの時間が3時間かあるのだ。この分だと明日はいつ帰れたもんか分からん。仕方ない、少々高くついてもタクシーの力を借りるべきか。片道510円のバスを数時間待つのと、片道4000円弱は下らなそうなタクシーをすぐにでも呼んで30分程で駅まで向かうのと、どちらがましかと言われると少し迷ってしまうけれども、ここは思い切って3000円で2、3時間を買おうか。少々奮発し過ぎか。しかしタクシーを利用しないとして、私をこうも追い詰めたあれやこれやの状況は私に3時間もの間、一体何をしろと言うのだろう。一つ思い出さなければならない事は、そこは山の方であるから、暇な時間を持て余す私を癒してくれたり、和ませてくれたり、楽しませてくれる施設みたいなものは辺り一帯には皆無であるという事実だ。喫茶店なんて気の利いたもんはないぞ。それもそうだ。あんな所でだ、三年前に定年を迎えた、渋みがかった老年の男性がだ、余生をゆったり過ごそうとか、気が置けない人と静かに語り合って生きていきたいとか思って退職金を元手に喫茶店なんぞ開こうもんなら、割と早めに潰れるだろう。世間ってのは容赦ないね。それで、哀れ老年の男性は一人孤独に余生を過ごす事を余儀なくされてしまうんだな。現実はなんて非情だ。社会人としての一線を退いた一日本人が残りの人生、些細な夢に生きる事も許されないこれが、安部首相が所信表明演説で再三言っていた「美しい国」とやらか。私は何となくそこに一抹の寂しさ、そしてこれから自分自身が関わっていく未来への不安を感じないではいられない。
よし、タクシーで帰ろう。
07/03/19(月) 第693回 迷子の迷子のダメ人間
結局タクシーで帰った。が、しかし、タクシーの乗車地点から復路の電車に乗る駅まで直接向かうのではなく、タクシーによってひとまず最寄の駅まで送ってもらい、そこから電車で復路スタート駅まで行く事で経費削減を計る事が出来たのは想定外であった。これによって4000円ばかりかかるかと思われていた復路スタート駅までの移動費を1270円にまで抑える事に成功。最終的にバスを待った場合に比べ3時間早く帰路につく事が出来たのだから、1時間のお値段400円と少々也。これは「買い」だったと見ていいね。良いお買い物でございました。まあどうせね、3時間早く帰って来れた所でじゃあ何をして過ごすかと言えば、折角だからああしようこうしよう、何だったら更新ネタの一つでも書き始めてやろうかとか思うだけ思って、で、何もしないままだらだらしている内に終わってしまうのだけれどもね。
しかし、今月に入ってから急激に行動的になったというか行動的にならされている私であるが、こうやって積極的に地元とは比べ物にならないレベルの都会(わざわざこの様な持って回った言い方をするのは、即ちそこが本当の「都会」とは比べるべくもない地である事を意味する)に出ていて、これまで道に迷った事がないのを自分で驚いている。ちょっと油断すれば目的地とは180度違う方向へずんずん歩いていってしまうこの私がである。と言って、見知らぬ駅に降り立った直後の、事前に目印となりそうだとピックアップしておいた建物乃至施設をまだ一つだに発見出来てない時の不安感といったらないが。しかし目的地が見付からなくて1時間さまよったとかそういう事態に未だ陥った事がないというから、私をよく知る人間ならばさぞかしそれを驚くだろう。だもんで、私という人間を一番よく知っているこの私が、こうして驚いているのだ。
先日、駅構内は看板にさえ注視していれば大概の事は何とかなるという点についてはこの身をもって証明した私であったが、それと同時に看板の存在頻度の低い駅構外への苦手意識を再認識した所であった。にも拘らず酷く迷ったりしないのは一重に事前の準備の賜物であると言える。
事前の準備、それ即ちインターネットにおける目的地周辺地図の参照であるが、私はこの歳になってまたこの客観的事実への認識を確かなものにさせられるのである。「インターネットって凄え」 何しろ、地図が見られる。地図が見られるばかりでなく駅からその地点までのルートを表示してくれたりもする。そしてそれを直接印刷出来るときた。それだけじゃない。ルートが分かれば距離、及び目的地到達までの時間が概算出来るけれども、それが分かれば今度は駅の時刻表をすぐさま検索して、最適な電車のタイミングを逆算可能な訳だ。ん? 何かい? 今私はいつになくインターネット入門者っ振りを発揮してるかい? それならそれでいいのだ。これが何も包み隠さずに言う、私の感動だ。
いや実際ね、こんな時代に生まれて良かったと思うよ。もし、もしだぞ、この私がもう10年か前の世代の人間だったとしたらどうなる事か。勿論地図なんてすぐにでも調べられたものではないし、電車の時刻表だってそうだ。無論10年前であろうが必要な物は書店にでも行けば幾らでも手には入るが、変な所でいい加減と言うか、危機感の薄い私は、まるでルート表示のある地図を印刷しさえすれば後はまあ何とかなるだろと思っているここ最近の私であるかに地図を買えばそれだけである程度安心しちゃって、そして安心しちゃっている分わざわざ詳細な道のりもよく確認しないまま当日を迎えちゃって、実際現地を歩いてみた時に勝手の違う現実を思い知るんじゃないのだろうか。で、そんな怠惰な私は、この連続県外遠征の中の何処かで致命的なミスをやらかして、サイトの更新に穴をあける日を作ってしまっている筈である。
サイトを更新出来なかったという事は即ち普通に帰宅する予定だったのに迷子になって帰れなくなったというあまりに情けない事態を迎えてしまったという事を意味するが、これもあながち大袈裟とは言い切れないから恐ろしいものである。
07/03/20(火) 第694回 俺のお家は空の向こう
よくよく考えてもみたら、昨日の「もし私が10年か前の世代の人間だったら」云々のくだりにはやっぱりちょいと大袈裟に言った所があったな。いや、迷子になって家に帰れなくなるとかいう事じゃなしに、10年前ならウェブサイトなんぞ持っていた筈もないって意味で。どんだけ前衛的な人間だったんだと。
って事はだ、別に10年前の私が地図を持つだけ持っているにも拘らず路頭に迷ったとしても、別に失うものなんて初めから何もなかったんだな。ただただ家へと帰り着く事が出来ず、その日予定になかったホテルにて一人さめざめと泣き、生涯ついて回る苦い思い出はしっかと心に刻み付けられるだろうがな。
勿論、私がその本領を発揮すればホテルにすら辿り着けない可能性すら存分に残されている事は自明である。
07/03/21(水) 第695回 悪夢再び
明日、4時30分起きが再来。死ぬ。この間23時過ぎから寝始めて翌日気持ち悪い思いをしたから、今日はもう30分早く寝てみるか。ただなあ、今日休みだったから、いつもの分を取り戻そうって事で随分寝ちゃってたぞ。これじゃあ寝ようったって寝られないねえ。ああ、また明日早朝の電車に酔わされなけりゃならんのか。また一日グロッキーか。
おーい、読者よ。昨日は場合によっちゃネタ数稼ぎとも取られかねない様ないわゆる「補足」的内容だったにも拘らず、さっさと寝なければならない今日も短めに終わるつもりであるにも拘らず、どうせ帰宅がいつもより遅めになるであろう明日だって短めに終わっちゃうと思われるにも拘らず、特に気の利いた小ネタも用意出来そうにないが、と言うか現実に今日は用意出来ていないが、だがしかし許せ。変に片意地張って色々頑張ると、死んじゃうから。
私は生きよう、生きようとも。つー事で、おやすみ。また明日。
07/03/23(金) 第696回 人生にゲームオーバーなどない
という事で人生の大ボス戦であったが、非常にマズい感じに終わったのではないかと自負しており、んな事自負してんなと思うと共に、随分と落ち込んでいる訳だ。だもんで、4時30分起き翌日の「雑文」は短文ネタであるどころか更新を取り止めるという最終手段を取って大事に備えていたにも拘らず今日もまたネタを書く気になんてなれないから、今日ばっかりはこれで終わっていいね。
とは言えね、流石にこれだけではあんまりだ。という事で、いよいよ第700回の見えてきたこの「雑文」の今後数日の掲載ネタ傾向を予告しておきましょう。私という人間は割と細かい失敗も後々までウジウジ考えたりする所があるから、それが今日みたいなお世辞にも「細かい」とは言えない局面においてやらかしてしまった失敗だったりすればそのウジウジ感は間違いなく数日居残るどころの話じゃなくて、つまりそんな淀んだ心持ちが酷ければ第705回あたりにかけてまで「雑文」に反映されていくので宜しく。
ああ、とにかく今週は疲れた。今日はさっさと寝て、明日、明後日は今週購入したものの、この日の為に温存しておいたDVDを見腐るもんね。
07/03/24(土) 第697回 自謗自貶
一日経って気分だけは大分落ち着いたので、今日から通常更新といきたい所であるが、多忙である現状そのものはまだしばらく変わりそうにないので、ただただ「雑文」と「俺的事典」ばかりが追加更新され続ける今の状況もまたしばらくは変わらないであろう現実だけはここで述べておこう。
さて、話は一昨日の「雑文」更新を休止した日に戻る。一昨日更新時におけるトップページの「何か一言」欄と昨日の「雑文」でしきりに言った通りで、その日私は翌日に迫ろうとしていた人生の大ボス戦に向けて早くも緊張状態におかれ、その事前準備に追われる羽目になっていた。去年暮れ頃から一ヶ月近く私を悩ませ続けた人生の中ボスと呼ばれる所の壁とは違い、今回は大ボスである。先の中ボスがクロノクロスの地獄の料理長だとするなら、今回は黒龍だ。或いは先の中ボスがロマンシングサガ2のサイフリートだとするなら、今回はダンターグ。はたまた先の中ボスがDQ5のジャミだとするなら、今回はゲマ(PS2版程の大役は任されていなかった方の)であろう。この表現が妥当だとするなら、それは人生で10回も20回も訪れる類のものではない事が容易に想像されるが、具体的にその壁が何であったのかについては、これから何年か生きる中で、今回の失態を完全にひっくり返せるだけのチャンスをものに出来る事があるとするなら、その時に詳しく話す事にしよう。人生で10本の指に入る程の壁という事だと、それだけで自ずと答えは絞られそうなものだが。
で、そんな人生の大ボスであったのだが、前回の中ボス戦と違っているのは、今回は一両日中に決着が着くという極めて短期の決戦であるという事だ。言い換えればそれは、仮に何かへまをする様な事があったりすれば、それによるマイナス点を挽回するだけのチャンスがほぼ与えられないという事であった。そんな状況におかれて、ただでさえその日もいつもよりか多少帰宅時間の押していた私が「さて今日も一言二言面白い事でも言って、皆様のご機嫌をうかがいましょうかね」なんて思いながらおもむろに「雑文」を書けた筈もなかったのだ。
以上の理由から、一昨日の更新を取り止めたのは仕方のなかった事だと言える。だがしかし、かなりの英断だったとも言える。何度も言うだけ言ってはきたが、サイトを持っている事で人生を棒に振るなんて事があってはいけないのだ。本当に大変な時は一日二日くらいあっさりと頭の中から消し去ってしまって構わないのだ。こと今回に関して言えば、私の判断は世間的にも「是」だったと言い切る自信さえある。
とは言え、常識的に「更新を休んだ事」を褒めるという行為は少々の違和感を禁じ得ないものである事は事実で、だからなのか別に一昨日の私の英断を特別褒めてくれる方もおられない。
しょうがない、ここは私が私を褒めておこう。いやー、あんたは偉いな。人生の大ボスを前にしてまず頭に浮かぶのが「具体的にどうすればいいか」じゃなくて「『雑文』の更新止めようか、どうしようか」なんだもんな。感心しちゃうね。一度死ぬといいよ。
07/03/25(日) 第698回 そこまでして更新するか
使えるネタは無駄には出来んという事でまだ先日の「雑文」更新停止関連の話を引っ張る意地汚い私であるがそれはともかく、昨日あれだけの事を言ってのけている一方で「俺的事典」はと言えば目の前に迫ってきているとされた人生の大ボスの姿なぞには目もくれずに通常更新が敢行されていた事に疑問を抱いた人がもしかいたかもしれない。繰り返しになるが、勿論私はあの日自身に与えられたただでさえ短い時間の全てをそのボス戦対策に費やすべきであったにも拘らずだ。しかし私は現実に「俺的事典」を更新した。ネタは「ヴェグナガン(脚)」と「ミミック」であっただろうか。
何故私はこの二語を追加更新する事が出来たのだろう? 「俺的事典」が「雑文」に比べて気軽に更新出来るコンテンツであるからか? いや、違う。「俺的事典」と「雑文」を比べた時に短時間で更新出来る傾向がより顕著なのが前者である事は否定しないが、しかし私は不意にマイナーな単語を選択してしまった時に勢い更新難易度を上げてくる「俺的事典」の厄介さを知っている。特に目下更新中であるFF10には他シリーズに比べセットされているアビリティ内容が異なるだけの強烈な個性を持つでもない装備品が多数存在しており、そのせいで一単語あたりにかかる平均の時間は長めなのだ。それだけじゃなく、何かと負けず嫌いの私が運悪く深みにはまれば、場合によっては後に引けなくなってずるずると時間を浪費してしまうかもしれない。無論そんな事があっては、人生の大ボス戦に惨敗を喫してしまう運命が前日にして早決定してしまうのだ。
以上の事からも分かる通り、あの日は明らかに「雑文」と共に「俺的事典」の更新を休むべきであった。そしてそれは、あの日サイトを更新する段階の私自身もよくよく分かっていた事だった。では何故。このままでは、「本当は『雑文』含め普通に更新出来るだけの余裕は十分あったにも拘らずネタ温存の為にズル休みしてたんじゃねーか」と思われてしまっても仕方はあるまい。ここは釈明しなければなるまいか。
ぐだぐだと、大層な事を述べてきた様だが、答えは簡単である。あの日の「俺的事典」のネタは私が帰宅した時点で既に完成していた。もっと言えばその日私が家を出る時にはもうそのネタは用意されていたし、その日私が起きた時にはもうそのネタは用意されていたし、前の日に私が寝た時にはもうそのネタは用意されていた。実を言うと、「俺的事典」に掲載するネタは掲載日の前日に書かれているものなのだ。例えば今日は「ハルシアン」と「防御率」についての突っ込み解説が載せられているが、あれを書いたのは今日ではなくて、昨日の更新を終えた後の事なのである。
だとすれば、何とも話は簡単だ。私はあの日、翌日の試練の事を思えばほんの2、30分すら人生の大ボス戦以外の事に時間を費やしているべきでないと判断した瞬間に、今日は、前日には完成させていた「ヴェグナガン(脚)」及び「ミミック」ネタを掲載するだけの更新としよう、と決意したのだ。決意してしまえば後の話は早いもんで、私はただトップページの「何か一言」欄に「明日は大変なんですよ」的な事を書いたかと思えばさっさとファイルをアップロードして更新作業を終えたのである。その間、「何か一言」欄への文章入力時間を加味したとしてもほんの1分か2分。しかし皆様には、最低限のものではあれ当日更新の最新ネタをお届け出来た。本当に時間がなさげな時、ただ更新をストップさせる前に行う最後の足掻きである。
普段なら更新後、翌日に掲載する「俺的事典」ネタを書くのだが、勿論その日はそんな下らない事に勤しんでなぞいなかった。その分次の日は(その日はその日で帰宅時間もそこそこ遅かったと言うのに)当日掲載分と、更に翌日掲載分の計四語について書かなければならなかったが、またいつ今回の様な不足の事態に陥るとも限らない。こうした余裕は常に持っておくべきであろう。
普段1時間とか2時間は下らないサイト更新作業がほぼ0に抑えられるのだから、やはり「最後の足掻き」は本当に本当の最終手段だけにその威力たるや絶大だ。
目下の問題は、そうして可能な限り多くの時間を得た結果があの体たらくだったという現実だがな。
07/03/26(月) 第699回 嘘もあまりに飛び抜けてれば清々しい
「つーか昨日の話が本当ならさあ、『雑文』も掲載日の前日に余裕を持って書いてりゃあ良かったんじゃないの? そうしてたら例の日には『俺的事典』ばかりでなくって『雑文』も込みでさも普通であるかの様に更新出来てた訳だし、どうせ毎日書くって点では同じ事なんだし」
「いや何言ってんの。『雑文』ってのは時事ネタが多分に含まれるから一日遅れの掲載じゃ意味がないんだよ? そこの所ちゃんと理解してから物を言ってくれないと。『雑文』ってのは、時事ネタが、多分に、含まれるんだから」
07/03/27(火) 第700回 「ハムレット」3幕1場
王子は言った。「特急電車の禁煙車両における窓側の席が満席であった場合に、禁煙車両の通路側席を取るか、喫煙車両の窓側席を取るか、それが問題だ」
ここひと月東奔西走していると長距離間を移動する特急電車に乗る機会は随分とあるが、そこでこんな状況に出くわす事がある。いつもは禁煙車両の窓側席を指定する私であるが、座席指定が発車直前のタイミングだったり、いわゆる通勤時間帯にぶつかるタイミングだったり、例え世間的に休日とされるだったとしても運が悪ければレジャー客が大量にいたりして、その禁煙車両窓側席が全て予約されているのだ。
私は煙草を吸わない。どちらかと言えば嫌煙家である。主にネット上で最近目にする事のある、まるであまねく全ての喫煙者を排除したいかの様なまでの拒絶反応を示す事は流石にないが(気が弱いせいもあって、相手に「鬱陶しがられてるな」と思われない様に咳が出そうになるとそれを何とか堪えようとする程)、煙草の煙を吸わないでいられるならそれに越した事はないかなとは思う。
しかし、矛盾する様であるが、私は煙草の煙が嫌いな訳ではないのだ。詳しく言えば、私が嫌いなのは煙草の煙を体内に取り入れる事によって被る害なのであって、煙の香りに関して言えば好きな方なのである。咳こそ出るが。父が愛煙家で、子供の頃から煙草の煙と共にあった影響だろうか。
で、だからこそ迷う。禁煙車両に乗りたいのは山々である。しかし禁煙車両にはもう通路側の席しか残っていない。窓側の席と通路側の席とでは、どちらがより効率的に身体を休められるのかは自明だ。しかも今回のケースでは移動にかかる時間が軒並み長いのだ。仮に一時間移動するとして、その時窓側に座っているか通路側に座っているかによる身体的負担の差がそれ程にはないのだとしても、それが二時間になれば話は違う。三時間ともなればもう。
ならば、昨今の健康志向の高まりによる禁煙ブームの影響か比較的人の少ない喫煙車両に行って、悠々と窓側の席を陣取ろうか。先にも述べた通り煙がそんなに苦になる事はないのだし。ただ、まあ大袈裟かどうかは個々人の判断に任せるけども明らかに身体には悪い。風通しは良くはないから空気がこもるし。
即ち、少々疲れたっていいから健康を取るか、少々肺に悪くったっていいから身体的負担の軽い方を選ぶか、という事であるが、私は結局後者を選んだ。やっぱり窓側の席の威力ったら凄いもの。壁に寄りかかれるだけでその旅路はどんだけ程潤いに溢れたものになる事か。その恩恵によって得られる疲労回復量の為なら、少々の健康なんぞ喜んで捨ててくれよう。大体にね、煙草の煙だけ徹底して避けられたって車の排ガスとかで日頃から肺は痛め付けられてるしね。そういう問題じゃないか。
ところで、こういったやむを得ない状況で喫煙車両の窓側席を予約したとしても、例えば特急電車の始発駅から乗車予定の場合は少し早めにホームで並んで禁煙「自由席」車両に乗り込めば「健康」も「疲労回復量」も、その両方を手中に出来るだろうに、そうはせずにきちんと指定を取った席に座る辺りは、うーん、A型人間だねえ。
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