07/09/18(火) 第851回 深刻なエラーも些細なミスも
皆の者! いいかよく聞け! 昨日のがあまりに露骨なお手軽簡単ネタ稼ぎ更新だった事は最早私も否定出来ないぞ!
さて、三日前に「普通に」についての話をした。そこから、この一言が極めて多岐にわたる意味を表現するものである事実が明らかとなった。つまり、同じ「普通に」でも「普通に面白い」と「普通に美味しい」とではその「普通に」の意味する所は違うのである。また同じ「普通に面白い」でも、「映画『HERO』は普通に面白い」と「映画『デビルマン』は普通に面白い」とではやはり「普通に」の意味は違ってくる。いや、意外と近いかもしれないがとにかく違ってくる。この要領で考えると、「普通に」の持つ意味のバリエーションは数十や数百といった規模のものでなくなる事はお分かりだろう。何しろ、その後に来る単語の数だけ意味があると言っても過言ではないのだ。その多彩さは「あれ」「これ」などの指示代名詞にも引けを取らない。もっとも指示代名詞が無尽蔵の意味を持ち得る事は当たり前で、その性質上本当は他と比べるべき言葉ではないのだが。
ただ世の中には、指示代名詞でないにも拘らず「普通に」に匹敵する数の意味を持つ言葉が存在する。「パソコンがおかしい」である。
動かなくなった。変な画面が表示される。音が出ない。動作が遅い。とある理由により他者の目に触れる事が避けられるべき画像を誤って壁紙に設定した後それが元に戻らなくなった。かかる具合に、「パソコンがおかしい」は混沌である。ただしそれは昔から混沌だった訳ではない。昔、と言っても10年か、間違いなく20年前までは、もっと正しい使い方をされていた言葉だった筈なのである。しかしWindows95の登場以後、専門知識のない人々にも手軽にコンピュータが扱える時代が到来した事が原因で、人々は際限なく無用な「パソコンがおかしい」を生み出してしまうのであった。
例えば何が理由か、突如アプリケーションが強制終了し長時間データの保存をしておらずつい泣きそうにになった人がお馴染みの青い画面をつかまえてこう言うのである。「パソコンがおかしい」 その瞬間、その人の心の内にこれまで自分に多大な貢献をしてくれた目の前のパソコンへの謝意は微塵とも存在しない。
例えば何が理由か、何処ぞからコンピュータウイルスを持ち込んでしまった人がパソコンの挙動の異変をつかまえてこう言うのである。「パソコンがおかしい」 おかしくなった原因はパソコンよりもむしろ不用意な行動を取ってしまった貴方の方にあるであろうのにだ。
いずれも非はパソコンにのみあるものではないが、しかしこれらは「パソコンがおかしい」点が紛れもない事実であるだけましであるとも言える。酷い時にはこの言葉は、パソコンがおかしくない時にも使われるのである。
例えば何が理由か、さっきまで普通に使えていたキーボードが今やタイプしたキーと全く違う文字を表示させている問題に頭を抱える人が、意味不明な文字列を並べ立てるMicrosoft Office Wordの画面をつかまえてこう言うのだ。「パソコンがおかしい」 その実、パソコンがおかしくなった様に見えるのは貴方が気付かぬ内にNumLockキーを押下したか或いは普段ローマ字入力だったのを何かの弾みでかな入力にしてしまったからで、パソコンは、間違いなく貴方自身から発せられたそれらモード変更の命令に忠実に従っただけだと言うのに。
例えば何が理由か、一日の大半をパソコンの前で過ごす人がエラーメッセージばかりを吐き出す様になったインターネットブラウザをつかまえてこう言うのだ。「パソコンがおかしい」 原因は最早パソコンではなくルータであった。
「パソコンがおかしい」 それは魔法の言葉。
「パソコンがおかしい」 その言葉の下には無限の可能性が眼前に広がっている。
だから、私は切実に願おう。世のあまねく全てのパソコン非専門家が、ちょっとでもその分野に通じた人へ己のパソコンに関する問題を聞く際、単に「パソコンがおかしいんだけど」という言葉でもって質問を完結させてしまわないでくれと。
07/09/19(水) 第852回 別に何でもいいよもう
何故だか昨日は「雑文」のネタを書き終わってから、タイトルを付けるまでに30分も時間を使ってしまった。本気で悩んでいた訳ではないし、片手間に考えていた事もあるからとは思うが、30分は長い。何だったんだろうか。確かに、どういうタイトルを付けるのが最も効果的か、その判断が難しくはあったが。前出の「逆に」「普通に」の流れを汲んで「パソコンがおかしい」としようかとも思ったけども、それだと本文中の当該フレーズ登場時のインパクトが少なからず削がれちゃうしね。まあそんな事はどうでもいいんだ。
この事から分かる通り、「雑文」の作成作業はまず本文を書き、それが終わった後でタイトルを付ける、という順に行われている。しかしこれは、以前からそうだった訳ではない。以前、少なくともこの「雑文」がまだ「日誌」というコンテンツ名の下に書かれていた時期は、最初にタイトルを決め、続けて本文を書く事が殆どであった。
しかしある時期からそれが変わった。理由は、折りしも先日「雑文」内で語った「テーマは決めているが、どんな事を書くかは未定」なネタの増加によるものだと思う。前は、それこそまだ身の回りにネタとして載せられる出来事や事件、思想や感想、風景や光景があったし、そもそも「ネタ文章」じゃなく「日記」としての色合いが濃かった事もあって書く事には困らず、書く内容を選択するにしても何を軸としどう話を展開させていくか固まっているものを選び取る傾向が強かったと思う。その方が筆の進み具合が良いからである。つまり書く前から書く内容が大まかに決まっているから、そこからタイトルを容易に想像し事前に付けてしまえた訳だ。
それが段々、書き始める段階では詳細まで深く考えていないネタが頻出する様になった。委細不明ならば、それに即したタイトルなんて付けられる筈がない。ただでさえ、事前に内容が決まっていても書いている内に著しい方針転換を見せがちであった雑文書きを前に、題目一つからタイトルを考え出す作業は困難を極めるのだ。そうした中にあってなお、中々見えてもこない内容を想像しタイトルを前もって付けようとしていた期間もあった。だが折角悩んでタイトルを付けたとしても、その時思っていたのとは全く違う方向に話が進めば結局本文完成後にそれは差し替えられてしまう事となる。こうした事が度々起こる様になって、これはもうやってられないなと現行の流れに移行し、今に至るのである。
今にして思えば、これは正しい判断であった。タイトルとは、それを見る者にその内容の何たるかを知らしめる重要な役目を担う言葉だ。タイトルは、それ一つで後に続く内容を言い表しているか、或いはより引き立たせるものであるべきである。またタイトルは、その媒体に関わった全ての人間が目にする唯一の文字であり、故に大きなインパクトをはらんでいるべきである。場合によってはタイトル如何で商品の売上げに大きく響く可能性もある書籍などでは、内容を全て書き上げた後になって書名を決める事も珍しくないだろう。それと同じだ。タイトルは、事によれば本文よりもずっと慎重に決められるべきものであり、まだ内容に手を付けていない段階という事はつまりまだどんな神がかり的妙案を思い付くかも分からないというそんな状況にあって真っ先にそれを決めてしまうなどあまりにナンセンスな行為だったのである。そんな愚行は、小学校時分の作文だけで十分だ。
となると、私は悩まなければならない。今日また新たに書き上げられたこの「雑文」に、どの様なタイトルを付けるべきか。内容を反映、もしくは引き立て、かつインパクトに富んだ数文字〜十数文字の短い文字列。書籍のタイトルがその売り上げを左右し得るなら、「雑文」第852回のタイトルはその評判や評価を左右し得る。この真理に辿り着いた以上私は殊更に慎重になって、何なら昨日を凌ぐだけの時間を費やす事も覚悟してその作業に取り掛からねばなるまい。
さて、今日はこれにどんなタイトルを付けようか。
07/09/20(木) 第853回 大地震の波紋
あらゆる災害の中で最も恐ろしいものとされる地震。特に日本は「地震大国」という言葉でもって形容される事もしばしばあるほど、それは身近な存在である。
中でも大規模な、いわゆる大地震となると、私くらいの世代の人間などはやはり真っ先に阪神・淡路大震災を思い浮かべる。当時神戸に住んでいた人から当日の様子を聞いた事がある。勿論テレビによってその惨憺たる光景も見た。日本の中にあっても比較的地震の起こる頻度が低い地域に住んでいるからだろう、私が「地震」というものに確かな恐怖感を抱いたのはそれが初めての事であったと記憶している。
その地震が、ある時、「阪神・淡路大震災を連想させる恐ろしい現象」から「己の命をも脅かす恐ろしい現象」へと変貌した。近辺で大地震が発生したのである。
発生は昼時か、それを少し過ぎた頃の事であった。発生の瞬間の事はよく覚えている。日付は勿論、曜日まで覚えている。その時私はビデオを見ていた。とあるクイズ番組の特番であった。大きな揺れが来る前に小さな揺れが起こっていたかどうかは記憶していない。多分気付いていなかったのだろうと思う。その為突然凄まじい縦揺れに襲われた形となった私は、まず反射的に手元のビデオデッキリモコンの停止ボタンを押した。これは電話が鳴ったり何なりして急遽席を外さざるを得なくなった時に普段から取っている行為がそのまま表れたものである。その意味する所は、再生しっ放しで場を離れると戻って来た後にその分だけビデオを巻き戻さなければならなくなるどころか巻き戻し中にその先の展開に関わる重要なネタバレ映像の一端を目にしてしまうかもしれないからその危険を排除する為にである(一旦停止させて巻き戻せばその限りではないが、それだと巻き戻し自体の正確性が失われ過度に巻き戻し過ぎちゃったりして余計に煩わされる事になりかねない)。この、人生で経験した事もない揺れに見舞われながらもしっかりとビデオを止めていた事実は、今思えば複雑だ。流石にそれほどの非常事態にもなればビデオの巻き戻しがどうこうといった事よりもっと優先しなければならない事があるだろうに。せめて自分の命を第一に考えてほしかったものである。これでは、突然強盗が押し入って来た時にも取り敢えずビデオを停止させる人間になってしまいかねない。
発生の一瞬が過ぎると、次の瞬間になって頭が地震を認識した。「これは一大事だ」 ここから4〜5秒ほど、私はあまり褒められたものではない行動を取った。意味もなく家の中を走ったのである。今考えても、あの時何故ああいった行動に出たかよく分からない。揺れもまだ収まらない中、激しく動き回る行為は明らかに危険で、周囲の状況によるかもしれないがひとまず静まるまではじっとしているのが得策であろう事は理解に及ばない筈がないのに。あれがパニックか。だとするとこれは非常にまずい。これでは、もしか火事になったりした際にも一旦火元を離れて取り敢えず家の中を走り回ってしまう人間になってしまいかねない。
揺れは依然続いていたが、発生時よりは幾分か冷静さを取り戻すと、ようやく私は自分の身、特に頭部を守れるテーブルを見付けそこに潜り込んだ。だがそれは遅きに失した感があった。それまでで揺れの大半は過ぎ去ってしまっており、テーブルに身を隠して数秒もしない内に第一波は収束を迎えたからだ。しかも、その身を隠したテーブルは元いた部屋とは別の場所にあったものだが、発生時にビデオを見ていた部屋にも十分身体を潜り込ませられるだけの大きさのテーブルは存在していた。
地震は恐ろしい厄災である。だがあくまでそれは、日本の何処かでは起こっていてもテレビの中にあるだけで、自分には関係のない絵空事の様に思っていた。ところが実際にマグニチュード7クラスの地震を間近に起こされると、それまでの自分が如何に愚かだったか、それを認識しない訳にはいかなくなった。
地震は恐ろしい。何しろあの日起こった地震は、実にたったその一回で、いざという時自分自身がただあたふたするのみで判断能力に著しく欠けた頼りない人間と化してしまう現実を曝け出させたのである。
07/09/21(金) 第854回 大地震の恩恵
地震の第一波が収まり切った後はもう地獄の様で、田舎であった事が幸いしてか家屋倒壊やビル倒壊で大惨事などという事態には無縁だったし、幸いにも避難を強いられる様な状況でもなかったが、定期的に微弱な余震が発生する中、いつまたあの様な大きな揺れが起きるかと思うと生きた心地がしなかった。その日最もためらわれたのは風呂である。普段なら当然意識もしない事だが、裸になるという行為が、あまりに無防備なものに思えたからだ。無論、夜中は中々寝付けない。何かにつけ家が軋むからだ。
その地震は深さ10kmという非常に浅い所で発生した為、しばらくは余震の恐怖が続いた。その持続的恐怖心は決して私に平穏な日常を送らせてはくれなかった。何をしていても頭から地震の事が離れないのだ。二、三日活発な活動を見せないでいるから少し安心していると、奴めは震度4か時には5の地震を発生させて皆に力を見せ付けると共に、一旦は収束の方向にあった余震活動を再び活性化させるのだった。
また、地震による日々の生活への影響は単に精神面に限った事ではなかった。その頃私はDQ7をプレイしていた。記憶によれば大きな船が手に入っていたから、もう終盤に差し掛かっていた頃だろうか。当時我が家にあったプレステはかなり末期症状にあってプレイ時は本体の左側面を接地する形で立てないと満足にデータを読み込んでくれず、その時も例によって目の前のプレステは奇怪な格好で読み込み音を響かせていたのだが、それが突然の余震によって倒れたのであった。のみならず豪快に倒れたプレステはその衝撃により、何を間違ったかリセット処理を敢行してしまったのであった。それで無駄になったプレイは高々一時間程度のものではあったが、最早ゲームすら安心して出来ない現実に私はしばし絶望すらしたものである。
結局、ほぼ余震に怯える必要もなくなったのは三ヶ月か、もう少し経ってからの事だっただろうか。ある時ラジオで「これまでは余震の多さから省略していた震度2以下の地震情報を本日から再開する」旨のニュースを聞き、確実に静まってはきてるんだなあと感慨深く思った事をよく覚えている。
そんな、何かと大変な思いをさせられた大地震であったが、たった一つ、悪くないと思えた事があった。連日連夜ずっと地震を警戒し恐怖する日々が続いた影響で、あの雷があまり恐くなくなったのだ。これは驚くべき現象だった。地震雷火事親父とは言うが、本当に地震の恐怖が雷のそれを凌駕、駆逐しようとは思ってもみなかった。こればっかりは、不謹慎にもあの地震に感謝してしまった私である。
だが、今の私が見事にその恐怖心を復活させたのは知る人ぞ知る所だ。一度は何処かへと消え去った恐怖は、余震の恐怖が去って行くと共に帰って来たのであった。出戻りである。
しばらく振りの雷への恐怖心は、以前よりもたくましくなった様に思えた。
07/09/22(土) 第855回 大地震の発声
ところで、地震が恐ろしいものである事は言わずもがなだが、これが強力なものになってくると新たに別の恐ろしさが発生する。強力な地震、いわゆる「大地震」だが、これを口語で用いる際、「だいじしん」と読むのが正しいのか「おおじしん」と読むのが正しいのかがよく分からないのだ。
これは由々しき問題である。例えば知人と雑談中、何かの折に「大地震」という単語を用いる必要性に駆られた時、どちらが正しいのか判断に窮してしまえば私はその一方を選択しそれが正しい事を祈って一か八か発言せざるを得なくなるからだ。しかもその判断は極めて短時間の内に済ませてしまわなければならない。さもなければ突然無口になった私を見て相手は怪訝に思うだろう。話は直前までの盛り上がりが嘘の様に勢いを失い、何処か気まずいままにその日はひとまず別れる事になるかもしれない。場合によっては普通の会話すら満足に出来ない私を見限り、相手は私との交流を一切断絶しようとするかもしれない。大地震が友情を裂いたのである。起こってもいないのにである。
それでも貴方は思うかもしれない。まあそんな事にはまずならないし、第一一か八かどちらかを言ってみてそれが間違っていた所で相手がどうこう思う訳でもない、と。だが、例え貴方がそうであっても、また仮に大地震が友情に終止符を打ったりする事が実際には起こらないのだとしても、私にとってこれは由々しき問題だ。ある日、とあるラーメン屋で「味噌ラーメン バター増」を頼もうとして「『バターぞう』で」と言ったら一瞬の間の後「『バターまし』ですね」と言われてしまった苦い過去を持つ私にとっては。貴方には分かるまい。至って普通に「バターまし」と返されてしまったあの瞬間の苦々しさを。誰にも突っ込まれなかったが故に余計心に響くあの瞬間のいたたまれなさを。ああ、調子に乗ってバターなど増やしてもらわなければよかった。いつもの様にいつもの値段でいつもの味噌ラーメンを食ろうておればよかった。だが時間は元には戻らないのだ。無情にも数分後には、目の前のカウンターにバター増味噌ラーメンが置かれた。店主の人が「はい、味噌ラーメン、バター『まし』です」と言ってラーメンを置いたのが私には当て付けの様にも感じられた。唯一、その時店内に自分以外の客がいなかった事が救いだったが。
あんな思いはもう沢山だ。だからこそ、私は間違える訳にはいかなかった。「大地震」が「だいじしん」か「おおじしん」か、正確に厳密に発音出来る必要があった。
という事で、最近よくお世話になっているYahoo!辞書で「大地震」を調べてみたのだが、すると意外な答えが返ってきた。
なるほど、つまりどちらでもいいという事か。そういう事なら、「大地震」と発言する際にはふっと頭に浮かんだ方で発音すれば、不要な友情の崩壊を招く事もなかろうか。
ほっと一安心した次第である。さて、次は「一段落」が「いちだんらく」なのか「ひとだんらく」なのかという問題についてだが……
07/09/23(日) 第856回 大地震の発掘
以前「雑文」のネタ帳に関しての話をした時に、「近々、初期のネタを1つ使ってみるか」と言った事があったが、実は昨日までの「大地震」ネタがそれに当たるものであった。
前身の「日誌」を書き始めたのはかれこれ3年4ヶ月前。その当時からネタ帳の1行目に書かれ、以来数多くのネタ達を眼下に見つめ続けてきた本コンテンツの影の重鎮。それが遂に解き放たれたのである。
正に感慨だ。そのネタは「日誌」と、続く「雑文」の歴史そのものだった訳で、それを消化した事はこのコンテンツが新たなステージへと歩みを進めた事を意味するからだ。つまり「雑文」は「雑文」であって既に「雑文」にあらず。これは新生「雑文」である。
という事でここからは、新たに生まれ変わった「雑文」でお楽しみ下さい。
先にリンクしたネタ帳関係の話の時には「(随分昔の案だから)書き上げるのに相当の苦労を要する事が想像される」と述べていたが、実際書いてみるとそうでもなかった様に感じられるのは、流石に題材が語っても語り尽くせない類のものだったからか。だが、ネタ帳に「地震情報」と書いた当時の私には、そのたった4文字から3日分のネタを作り上げる事は出来なかったろうな。その辺り、この3年で無駄な文章水増しスキルを身に付けた様だと言える。と言っても、3日目のは完全に蛇足であるが。
それに、ネタ帳には確かに「地震情報」と書かれていたにも拘らず肝心の地震情報に関する話を一切せずに終わった辺り、厳密には昨日までのネタはそれに準じたものではないとも言える。結局、ネタ案こそ3年越しで利用させてもらったが当時の私が「地震情報」という言葉からどういった文章を書こうとしてたのかは謎のままって事だな。3日分も稼がせてもらった以上もうどうでもいい事だけれど。
しかし最近は1ネタから3日分のネタを作り出すのが常套手段になりつつあるな。これで行くと現状ネタ帳にある58のネタで都合178日分の更新を賄う事が出来る訳か。58ネタの中には一言小ネタも含まれてるから、それを無理矢理3日間引き伸ばそうとしたら途中随分スカスカな構成になっちゃいそうだが。
ってかそれより、冒頭のリンク先の前日にもネタ帳関連の話をしてて、そのラストで「残りストック数は、5、60」って言ってるんだけど、あれから五ヶ月経ってまだ目に見えてストック数が減ろうとしないのという事実の方に驚いた。律儀に1ネタ1日で締めてたらこうはいかなかったな。
さて、そんなこんなで新生「雑文」第1回、どうだっただろうか。あまりの変貌振りに、これまでの「雑文」に親しまれてきた方には少し衝撃的だったかもしれない。
だがしかし、時代は常に移り変わるものだ。時には慣れ親しんだ過去を潔く捨て去り、新しい時流に身を任せる事も大事である。貴方もあまり昔の形に固執する事なく、自然に、素直に、新生「雑文」を受け入れては如何だろうか。
07/09/24(月) 第857回 不思議な不思議のダンジョン熱
「FF12 アルティマニアΩ」を購入して三日。まだページは1つもめくられてはいないが、にも拘らず早くも新しいゲームを買ってきた。その名も「ドラゴンクエスト・キャラクターズ トルネコの大冒険3 不思議のダンジョン」である。
前にMPOだのレヴァナント・ウィングがどうだのと言っていたが、結局五年越しの希望をようやっと叶える形となった。というのも、ここ最近自分の中でこの「不思議のダンジョン」シリーズへの熱が再燃しているのだ。
私が同シリーズに初めて触れたのは1993年発売の「トルネコの大冒険」第一作であった。発売からあまり時間が経たない内に手に入れた記憶があるから、それこそ14年前の話だ。ただ当時は、ローグなどという存在を知る由もなく単に斬新なシステムを取り入れたゲームという印象ばかりを持っており、興味を持った切っ掛けも「ドラクエキャラが出ているから」の一点に尽きた。つまりシステム面に特別魅力を感じていた訳ではない状態でプレイし始めたのだが、やってみるとこれが面白い。私はたちまちの内に不思議のダンジョンのヘビーユーザーとなった。毎日毎日ダンジョンに潜っては、やられて帰って来る。その単純な行為の繰り返しが何故だか病み付きになったのであった。
しかし、そののめり込み様も主人公がDQ出身者である事の影響が大きかった。それが証拠に、この作品こそ200回ばかりか挑戦を繰り返してもっと不思議のダンジョンの「奇妙な箱」を持ち帰るまでに至ったのだが、「不思議のダンジョン2」と題されて二年後に発売された「風来のシレン」に興味が移る事はなかったのである。
月日が経ち、時は1999年、チュンソフトから「トルネコの大冒険2」が発売されると、「不思議のダンジョン」ファンと言うよりは「トルネコの大冒険」ファンであった私はすぐにでもそれを欲しがった。当時プレイしていたゲーム等々のタイミングが影響して実際に購入したのはPS2が世に出て、更にFF10を一通りプレイした後の事だったと思うが、ともあれ私はそれをプレイし、クリア、更にいつだったかにここにしたためた通りの鬼畜の限りを尽くしたプレイによって全ダンジョンを制覇した。
それから更に数年。割と最近の事になるが、とっくの昔に発売になった「トルネコの大冒険3」を欲しい欲しいとは思いながらも、他にもプレイしたいゲームが次々現れる中で購入のタイミングを完全に見失っていた頃、その代わりという訳ではないが久し振りに初代「トルネコの大冒険」をプレイしてみる事にした。この頃は埃を被っている事も珍しくなくなったスーパーファミコンを取り出して来てである。
そこで、私の「不思議のダンジョン」の原点に立ち返ってみた時、気付いた。やけに簡単にクリア出来る。当時100回以上の挑戦でようやく手にした「しあわせの箱」や、更に100回以上の挑戦を経て手に入れた「奇妙な箱」が、通算で僅か15回程度の挑戦の内に入手出来てしまったのだ。この時になって私は、ようやく同ソフトのパッケージに書かれていた「プレイヤーがレベルアップする」という言葉の意味を真に実感したのであった。
そしてそれに気付いた瞬間、私は「トルネコの大冒険」ではなく「不思議のダンジョン」というゲームシリーズの魅力に取り憑かれる事となった。一般的RPGとは一線を画す常にどんな事故が起こるか分からない緊張感。時に理不尽な程に襲い掛かる危機。それを辛くも打破した時の達成感。そして、プレイヤーのレベルアップ。私は不思議のダンジョン歴15年を控える中で遂にその面白味を理解したのである。
そうなれば後はもう、階段を転がり落ちる様に不思議のダンジョンの世界に嵌まり込んでいくのみだ。特に何処かで述べた事もなかったがそれから私は、これまで敬遠し続けてきた「風来のシレン」シリーズに手を出し、手始めに第一作をプレイしていた。
そのプレイ自体は、FF12が停滞していたのと同様の理由によって頻繁に中断を挟んだりしていたが、FF12再開に伴ってこちらも火が付いた様な勢いで再開。最後のダンジョンに当たる「フェイの最終問題」まで攻略し終わると返す刀で第二作の「月影村の怪物」(ゲームボーイ)の中古品をネットで探し出し調達。これもまた最終ダンジョンである「月影村出口」の攻略をもってそのプレイを終了した。これがつい数日前の話。
順当に行けば次の「シレン」はNintendo64のソフトという事になるが、残念な事に当時任天堂を裏切ってSONY陣営に荷担した私の家にNintendo64は置かれていなかった。ならば買えばいい話なのだが、例え価格自体が安くたってソフト一本の為にハード一個を買うというのはどうしてもためらいがある。大体に、ハードが占めるスペースの問題もそろそろ考えなければならないくらい自室にはamazon.co.jpの箱が幅を利かせていた。これではしょうがない。私は泣く泣くNintendo64版「シレン」の即時購入を諦め、Wiiのバーチャルコンソールに登場してくれる事を願ってひとまず手を引く事にしたのであった。
そこで、その代わりにプレイする「不思議のダンジョン」作品として浮上したのが件の「トルネコの大冒険3」だったという訳だ。これ以上のタイミングはない。最早私にその購入を思い止まらせる理由などなかった。
という事で、既にしてプレイを開始している次第である。五年も前の作品という関係上、わざわざ「ゲーム日誌」の方に書き起こしたりはしないが。まあ、「不思議のダンジョン」シリーズの慣例でこういったソフトはいつをもって終わりとするのか決め難いから、前言ってたみたいにこれはこれとして、更に別のゲームを同時進行していくのがいいと思うね。MPOか、はたまたPS2版DQ5か。それもまた近い内に決めよう。
っと、その前にアルティマニアΩを読まなきゃならんのか…
07/09/25(火) 第858回 黒マテリアの持ち腐れ
ちょっと待て!
大変な事に気付いてしまった…「FF12 アルティマニアΩ」を読まなきゃならん読まなきゃならんと言っているが、そんな事より私は「FF7 アルティマニアΩ」を読まなきゃならんのではないのか?
触れてはいけないものに触れてしまった気がした。それと言うのも思い起こせば私は公開一周年を迎えた頃にはもう当該書籍について言及しているのだ。過去ログ38って。今過去ログ86に入ってんだぞ。倍以上経っちゃってるじゃないの。
購入から一年半経って今やウィザードリィの小説三冊とMGSのシナリオブック三冊とゼル伝ふしぎのぼうしの攻略本とMGS2の攻略本とMGS3の攻略本とFF12アルティマニアΩと幾許かのDVDケースの下敷きになっているFF7アルティマニアΩ。いけません。これはいけません。読みましょう。可及的速やかに読みましょう。ね。
しかし、発売時期的にDCFF7の販促の意図もあったのであろうこの本を読んだ所で、思わずDCFF7をプレイしたくなってしまうかもしれないとなるとそれは困る。何せつい最近新しいゲーム買ったばっかりだからさあ。同時進行でもう一本買うかもとは言ったけどDCFF7以外にも欲しいソフトは幾つかあって、ここでその候補を増やされるのは本意ではないと言うか何と言うか。とどのつまり悩みの種でしかなくって邪魔なんだね。二本の内の一本を諦めて一本のソフトを得るのと、十本の内の九本を諦めて同じ一本のソフトを得るのでは後者の方がより大きな未練を抱えてしまう事は火を見るより明らかだもの。だからまあ、ひとまずもう少しだけ我慢して戴くという方向で。
え? FF12アルティマニアΩを読んだってレヴァナント・ウィングをプレイしたくなるかもしれない点では同じだろって? いやいや、まあそうかもしれないけどそちらさんは先日発売のFF7CCと、ほぼないとは思うが一応FF7BCと後目下絶賛発売中(スクウェア・エニックス談)のポーションも併せて欲しくなるかもしれない可能性がある訳だからここはグッと堪えて戴くという事で。
え? こちとら発売から何ヶ月か買い手がつかなかった中でようやくAmazon御大のダンボール箱に入れられて何処ぞの家に送り届けられ「ああ、これで自分も書籍として一人前の仕事が出来るんだなあ」と思っていたのにそれから一年半も部屋の隅に追いやられただけでなく上から上からどんどん新参の本やら何やらを置かれてついには買い主にすらその存在を忘れ去れちゃってたんだから世に出てまだ10ヶ月程度でしかもこの家に来て一週間も経ってない様なひよっこの事よりも自分の方を優遇してしかるべしだろうって? いやいやまあまあ、世の中には何かの拍子で二年や三年放ったらかしにされる物だってざらにあるんだし、その点そちらさんは今日私が思い出した事で手に取られる見込みが立っただけでもまだ良かったと考えて下さいよ。酷いケースだと買ったはいいけど買った時点で満足しちゃって封も開けてもらえない物達だって一杯いるんだから、
…ってそれはファミコンミニ「ゼルダの伝説」「リンクの冒険」の事かああああ!
07/09/26(水) 第859回 ぷん論
「おかあさんといっしょ」というNHK教育テレビの番組がある。日本の子供なら誰もが見ていたであろう幼児向け番組である。
私も、子供時分にはよく見ていたものである。あまりに昔の事過ぎて最早歌のおにいさん、おねえさん、並びに体操のおにいさん、おねえさんの顔は思い出せないが、「あ! い! う!」という曲があったのと、エンディングテーマが「さよならマーチ」だとかいう曲だった事を何となく覚えている。ただ、何故か家にこの番組関連のカセットテープが数多くある為、今でも曲を色々と聴く事は出来る。「ドラネコロックンロール」とか、「パジャマでおじゃま」とか、「だんだんだんだん」とか。今は全てが懐かしい。
人形劇(と言うか着ぐるみ劇)は「にこにこぷん」の時代であった。じゃじゃまる〜、ぴっころ〜、ぽ〜ろり〜♪である。これが一番記憶にあるな。あまりによく見ていたし、一時期などは枕がにこにこぷん柄のものであった位なので、これが終わって新しいシリーズが始まっても(「ドレミファどーなっつ」とかいうのだっけ)それを「おかあさんといっしょ」の1コーナーとして認める事の出来ない自分がいた。
いや、ここははっきり言ってしまおうではないか。今もって「おかあさんといっしょ」と言えば「にこにこぷん」でなければ許せないと。何が「ドレミファどーなっつ」だ。何が「ぐーちょこランタン」だ。そんな軟派でなあなあなお話は要らんのだ。運動会で順位付けしないとかいうぬるま湯に浸かった様な育てられ方をしている子供が多いこのご時世、「おかあさんといっしょ」に必要なのは仲良し同士が仲良く遊んで仲良く終わるだけの緩い劇なんぞではなく、多少の殺伐さをはらむ緊張感を持ったストーリーだ。つまりそれは「にこにこぷん」の「ぷん」の部分であり、具体的には主要三役の一角ぴっころによる「どんぴょん」なのだ。
オープニングテーマでも言われているではないか、「時々あっち向いてぷん」と。つまり有り体に言って喧嘩であるが、その喧嘩こそが大事なのだ。些細な事からお互いにいがみ合って、いつもは言えない本音を吐露し、相手の胸中を余す所なく受け止めた上で最終的には理解し合い、より堅固な友情を築くのである。喧嘩も出来ない友達なんて真の友達じゃない。一般に友人と親友は別個のものとされるが、では親友にあって友人にないものはと言われればその一つは言いたい事を言える、即ち事によっては喧嘩にまで発展し得る間柄だと思うのである。その事を「にこにこぷん」は教えてくれた。もとい、「ぷん」は教えてくれた。今の私があるのは「ぷん」のお陰であったと言っても過言ではないだろう。もしこのコーナーのタイトルが「にこにこぷん」ではなく「にこにこぶん」だったら私は事ある毎に拳をぶんと振りかざす極めて暴力的な人間に育っていた筈だし、また「にこにこふん」だったなら何かと他人を鼻で笑う嫌味ったらしさこの上ない人間になっていたであろうし、仮に「にこにこにこ」だったりなんかしたら愛想笑いばかりが上手く世渡り上手で中身の無い人間が出来上がっていたに違いないのだ。「にこにこぷん」が今日の私を作った。かようにも人に対して誠実で、正直で、実直である私の人格は「にこにこぷん」によってもたらされたのである。
NHKの「おかあさんといっしょ」関係者は、すぐにでも現在放送されている「ぐーちょこランタン」のコーナーを「にこにこぷん」に変更すべきである。「ぐーちょこランタン」にしても「ドレミファどーなっつ」にしてもまともに内容を見てみた事はないが、見た事がなくったってタイトルを一瞥するだけでそこに「にこにこぷん」における「ぷん」の要素が存在しない事は容易に分かるからだ。
07/09/27(木) 第860回 「ピタゴラスイッチ」も他人事じゃないんだからな
ところで「おかあさんといっしょ」と言えば、ふと何の意味もなく「おとうさんといっしょ」という言葉が思い浮かんだりした事があるのだが、この下らない発想が実はとんでもない問題を内包している事に気付くまでに時間はかからなかった。何故、「おかあさんといっしょ」は「おかあさんといっしょ」であって、「おとうさんといっしょ」ではないのか。
昨今の男女平等に関する議論は、様々な法整備等が整い始めている事により一時期よりは落ち着いた様に思うが、しかし未だ社会のあちらこちらで声高に叫び続けられている。そうした中で時世はより男女を男女というだけで分け隔てたりしない事を理想とする体系へと姿を変えていく。「女は云々」「女だから云々」という言葉は最早過去の遺物とされつつあるのだ。
だが一部には、過剰に男尊女卑だと言われ敏感に世論を反映させてしまった結果逆に女尊男卑の色合いを持つ様になってしまったものもある。これまでの日本では社会のほぼ全てが男によって回されてきた(とされていた)から、それと女の地位との差分を埋めようとする段階で「この程度じゃまだ男優位だな」といった考えがあったからなのかどうなのか、ともかくバランス取りに失敗して女が優位となったケースもあるという訳である。その中で男尊女卑だ男尊女卑だと騒がれる以前からほぼ男の介入する余地のなかった女一番の世界はと言えば、男の参画が広く一般化するものかと思いきや女の社会的地位向上に伴ってむしろ余計に女中心の傾向を強くしたりした(デリケートな問題だから一応書き添えておくが、その限りでないケースも存在する上で、である)。
そうして起こった、今はちっぽけなひずみが時と共に肥大していくとどうなるか。かつて、そして今、女性が男女差別問題を叫んだ様に、いつか、男性が男女差別を叫ぶ時代が訪れるのではないか。「まさかそんな」と思われるかもしれないが、「男女平等」を大儀に掲げて作られた社会への不満が、「男女不平等」の風習の下に作られた社会への不満よりもずっと簡単に爆発しないとは限るまい。名目と実情があまりにかけ離れていれば、今の時代にはあり得ないかも知れない「男性の男性による男性の為の男女差別論議」も当然起こり得るのである。
そして、もしそれが現実となった時、いよいよ危機に瀕するのが「おかあさんといっしょ」だ。もうお分かりだろう。だが改めて言おう。何故、「おかあさんといっしょ」は「おかあさんといっしょ」であって、「おとうさんといっしょ」ではないのか。その後の展開は容易に想像される。「父親の立場を軽視している」「子は母親のものだとする不当な決め付けだ」「これを見て子供が父親嫌いになったらどうするんだ」「この様な、子供に悪影響を与えかねない番組は即刻打ち切るべきだ」 そして同年、日本PTA全国協議会発表の「子供に見せたくない番組」ランキングの第4位辺りに「おかあさんといっしょ」がつけ、その煽りを受けて翌年度の番組改変期に50余年の歴史を終える事になるのである。
なまじ国民的番組に成り上がったばかりに、それだけ多くの人々を敵に回す事となった「おかあさんといっしょ」 悪い事は言わない。時論が「女尊男卑反対」の声を色濃くする前に、番組タイトルを「おやといっしょ」に変えるべきだ。
ただそれがあまりに味気ないからって間違っても「おとうさん・おかあさんといっしょ」なんてタイトルにしては駄目だぞ。そんな事したら今度は「何故『おかあさん』が『おとうさん』の後になっているのか」を初めとする女性の方々からのクレームが付く事になるんだからな。
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