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08/02/07(木) 第981回 またしても一年越しの決心

私は、またやってしまった。前に7月7日の七夕ネタの掲載タイミングを逸してしまったから月遅れの七夕である8月7日に書こうかどうしようか迷っていたら、7月7日から8月7日までの間が実にひと月もあったもんだからその内七夕ネタの事なんて綺麗さっぱり忘れ去っちゃって実際に8月7日を迎える頃にはその前日に書いた大日本住友製薬劇場の話を更に盛り上げる事ばかりに気が行ってて結局最後のチャンスも逸してしまったなんて事があったけれど、それと同じ轍を踏む事になろうとは。
事の発端は2006年の暮れ頃にまで遡る。ある日、私は一つのアイデアを得た。丁度「雑文」に載せるのに丁度良さそうな、節分関連のネタをである。その当時から掲載ネタに困る様な事はあまりなかったが、ネタはあればあるに越した事はなく、私はその偶然の閃きを純粋に喜んだのであった。
しかし、その話が翌年の2月3日、「雑文」内にて語られる事はなかった。その6ヶ月後、大日本住友製薬劇場の話の続きをする為に七夕ネタを忘れ去っていたのと同様、その日私は前日から続くリクナビの広告の話に集中していたからである。折角の思い付きを利用せずに終わった。その事に気付いたのは例によってひと月以上経過してからの事であった。
「勿体無い事をしたなあ」 そう思ってみるも時既に遅し。何しろその話は明らかに節分特有のある事象についていつもの様に下らない意見を述べるものであり、節分でない日に突然話し始めるには少々違和感を覚えざるを得ないものであったからだ(とか言って、もし書くネタに困る様な事があったら「そう言えば節分の日には云々」という書き出しで強引に節分の話をしただろうけど)。困った事には、この日本という国では節分に当たる日が一年に一度しか巡ってこないのだった。七夕でさえ二度やってくるというのにだ。話によれば「節分」とは「季節の変わり目」という意味があり、それに即して考えれば「節分」は一年に四回訪れるとも言えるのだが、しかし豆を撒き豆を食べる「節分」はやはり一年に一度、2月3日その日にしか行われない行事なのである。過ぎてしまったものはどうしようもない。私は泣く泣くその話を翌年の節分の日まで大事に温めておく事を決意したのだった。
で、この間やってきた今年の節分である。流石に二度は同じ失敗をしまいぞと、一年以上メモ帳に書かれ続けていた節分ネタを紐解く。そして間違いなく節分に関する文章を順調に書き出す。書きたい思いを一年抑え続けていただけに、手の進みはいつもよりか多少良い様だった。ところが、悪魔はそこにこそいた。あまりに順調に話を進めてしまった為に、本論からはちょっとずれた冗長な話でそこそこの分量を書いてしまい、少なくとも暇でなかった私は軽い気持ちで「今日はここで区切りにして、明日本論を書けばいいか」と思い、その日の「雑文」を打ち切ってしまったのである。私もそうまで頭の固い人間という訳ではないから、一日くらいずれて(特に前日の話を引っ張る形で)2月4日に節分の話をしたって全く構わないだろうと思っていたのだ。
ところが、いざ翌日を迎えてみると私には本論を書く事が出来なかった。翌日に迫った大きな責任を伴うイベントを無事に乗り越える為に多量の時間を割く必要があり、あまりサイト更新に執心していられなかった為だ。2月4日、簡素な小ネタを載せたのにはそういう理由があった。
どういった理由があるにせよ一度決意が鈍ってしまうと、後はどんどんと坂を転がり落ちるのが人間である。翌日、この日は帰宅時間の遅れから「雑文」の更新を停止。そして昨日はとある事情から酷く気落ちしていた為にまともなネタを書く気にはなれず節分とは無関係な文章に始終。気が付いてみれば、もう2月3日を4日も過ぎてしまっていた。
2月4日に節分の話をするのはまだよくても、2月7日に節分の話をするのは、さあどうだ。結局私は、一度はメモ帳から抜き出した節分ネタを再びメモ帳にしまい込むのであった。

さらば節分ネタ。次は2009年2月3日に会いましょう。



08/02/08(金) 第982回 睡眠導入法

非常に寝付きが悪いタチなもので困っている。どんなにどんなに眠くても「それじゃあ寝るか」と布団を敷くといざ布団に潜り込む頃には目が冴えてしまっているという事は確か前に「雑文」にしたためたんだったが、それである。
確かに、眠りに付くまでの時間を長く要しがちな生活はしていると言える。休日は基本的に家に篭もりきりである為に、あまり体力を消費する事がないからだ。しかしそんな私も大抵の平日は一般人よろしく、トルネコ3をプレイしたい欲望も必死に抑えてそれなりの活動をしている訳で、場合によってはほとほと疲れ切って家路に着く事もあるのであり、そうした日にも寝ようとすると決まってその日一番の覚醒っ振りを見せたりするもんだから納得行かないというものである。一方で目覚めの方もそれと同じくらい最悪なものであり、この両者が逆ならどれほどに充実した人生を送る事が出来るだろうと思った事は数知れない。
でもその特質を治すってのは少なくともすぐには無理だから、私にはなるべく早く眠れるテクニックを身に付ける必要が生じる事となった。日本には眠る為の方法として「羊が1匹、羊が2匹」と数える手法が存在して、私もその昔その手法のお世話になった覚えがあるが、何かの折にそれが「sheep」と「sleep」の誤りであると知ってからはどうにもそちらの知識の方が先に来てしまって駄目だ。何か他の方法でなければならない。
布団に潜りながらも寝られずにいる状態というのは時間だけには恵まれているから、その間色々と「どうすれば少しでも早く寝られるか」について思案した中で、私は最近ある一つの方法を編み出した。それをここにご紹介しよう。
まず細い棒状の物体を思い浮かべる。鉛筆やネジや、針金みたいなものであれば何でもいい。恐らく思い浮かべた棒状の物体は貴方の視線に対して垂直に近い角度でそこにあると思うので、それを平行方向へと近似させる。物体の先端が自分の方を向いている状態である。そして、物体の先端を自分の眼前に持ってきた後、若干ピントのずれたその物体に対して焦点を合わせる。気持ち寄り目気味になるという事だ。後は、その物体に集中するのみ。こうだ。これを実践すると、普段よりもスムーズに入眠出来る、気がするのである。是非お試しを。

実に珍妙な方法であるが、私自身、何でこの様な方法を思い付いたのか全く理解出来ない。どうしてそうする事でスッと眠れるのか、或いはそうなっている様な気がしているだけなのか、それは疑問の塊でしかないのだ。
時間を持て余すという事は実に恐ろしい。だから私は明日からの連休の暇をトルネコ3で埋め尽くそうという愚行に出ようとしているんだな。



08/02/09(土) 第983回 命を賭けてもう一回だけ

「アンコール」という文化がある。主にアーティストが主催したコンサートなどにおいて予定されていた演目が一通り終わり主役の面々が舞台上から姿を消すと、何処からともなく聴衆の方から「もう一度聴かせてくれ」という旨の掛け声ないし拍手が湧き起こりその熱烈な要望に応えて主役の人らが改めて舞台に上がり(大抵の場合一曲や二曲ほどの)再演を行うという一連の流れの事である。
大体どの様な集まりにおいてもこの「アンコール」制度というかその考え方は根付いている様で、大概の場合その声は上がる。こと一定以上の知名度がある(つまり一定以上の「チケットにお金を払ってでも生演奏を聴きたいくらい好きなもんで可能な限り多くの曲目を披露してほしい」と思う様な熱狂的なファンがいる)人またはグループが主役の集まりともなればまず確実に「アンコール」は実施される。あまりに慣例となり過ぎるがあまりに、初めから「アンコール」ありきのスケジュールが組まれたりもする有り様だ。
で、この「アンコール」であるが、私には一つの疑問がある。その性質上、切っ掛けは観客サイドから起こり始めてじわじわと聴衆全体を同じムードに引き込む「アンコール」であるが、それによる再演も終わって今度こそ本当に演者が舞台を去った後に、またしても「アンコール」を求められたりする事はないのだろうか。小ぢんまりとしたライブハウスなどに入った数的にも高が知れている人間ならば、仮にその様な事があってもまだ制御可能であるかもしれない。しかし「東京ドームで5万人の――」などという話を聞くにつけ、思うのだ。その五万人の客がさきほどのアンコールだけでは満足し切れず更なる演目を期待してしまった時、その収拾は果たして付けられるものなのだろうかと。悪い事に、人間とは周りに流され易い生き物だ。例え場の9割が是だと思っていたとしても、残り1割の否派が初めに勢い良く意見を主張すればそれだけで場の空気が否の方へ傾くのは珍しい事ではない。特にコンサートの終演直後というただでさえ聴衆の心が一つになっているタイミングでは、5万人の人間を扇動する事も思うほど難しい事ではないと言える。例え5万人の観客の、4万9999人までが今の再演で満足していたとしても、残りの一人がまだ止まぬ拍手の中やにわにリズムを取って「アンコール! アンコール!」と叫び出したとしたら…
予定にはなかった二度目のアンコール。スタッフ一同は当惑するが、準備出来ないものは仕方がない。観客は三度主役の人が舞台へと登場する事を今や遅しと待っているが、ここは心を鬼にして断りを入れなければならない。「本日の演目は全て終了しました」と。
だが考えてもみてほしい。相手は5万人の観客である。その5万人の観客が、一糸乱れぬ掛け声で「もう一曲聴かせてくれ」と熱望しているのだ。それを遮ってしまうとどうなる。「こうして熱望し続ければもう一度演奏してくれる」と頑なに信じて「アンコール」と叫び続けた彼らが、突然現実を突き付けられたらどうなる。最早最高潮に達した熱気は冷める事なく、うなぎ上りに増し続けた期待感はその分だけ怒りへと変わり、その両者が行き場を失う。そして行き場を失った憤りが、今度は不満として、クレームとして、非難として口から発せられる。そしてそれでもなお動かないスタッフ陣営についには痺れを切らし、客席の前列にいる人間達から徐々に実力行使に出始めるのだ。聴衆の暴徒化である。思い出してほしい。ここは東京ドームである事を。思い出してほしい。ここには5万の熱烈なファンがいる事を。たかがコンサート開催の為に集められたスタッフや警備員に5万人の暴徒は止められまい。かくして人気歌手によるコンサート会場は東京ドーム史上類を見ない阿鼻叫喚の修羅場と化すのであった。

「アンコール」にこれほどの危険性が潜んでいる事は明白である。しかる上は、この様な慣例はすぐにでもなくすべきだ。



08/02/10(日) 第984回 ノンコール

「アンコール」という文化がある。かくかくしかじかで、主役の人らが改めて舞台に上がり再演を行うという一連の流れの事である。
これについて、私には一つの疑問がある。その性質上、観客サイドから湧き起こる「アンコール」であるが、演者サイドがそれ用の演目を事前に用意していたにもかかわらず「アンコール」が起こらなかった場合はどうするのだろうか。とは言え、数十人の客を相手するまだまだ未熟なアーティストならばまだしも、例えば東京ドームで5万人の客を相手にするレベルのコンサートにおいてその様な事が果たしてあるのかと思われるかもしれない。だが悪い事に、日本人とは中々自分の意見を外に出せない国民性を持つと言われる生き物だ。例え場の10割が是だと思っていたとしても、誰もがその意見を主張しないがばかりに是とも否ともつかない何とも中途半端でその場にい辛くなる空気が作り出されてしまうのも珍しい事ではない。観客の多くが更なる演目を期待し、望んでいたとしても、その全員が自分を切っ掛けとする事を嫌い、避け、結果終演直後の拍手喝采も次第に止んで気付いたら「アンコール」を出すのが場違いな空気になってしまったとしたら…
予定にはなかった「アンコール」の中止。スタッフ以上に主役のアーティスト自身が当惑するが、完全に静まり返ってポツポツと帰り始める人すらいるなかでのこのこと出て行っては格好が付かないどころの話じゃない。折角この日は「アンコール」用として特別な演目を用意したのに。これでファンの皆に喜んでもらう筈だったのに。今目の前には思い浮かべたファンの笑顔はなく、ただただ神妙な面持ちで帰り支度を始める人々のとてもコンサート直後とは思えない光景ばかり。自分のこんな思いを誰も理解してくれない事に怒りすら覚えた主役の人は、その感情に任せて舞台へと舞い戻り、実力行使に打って出るのだ。演者の暴徒化である。

そして、舞台上でありとあらゆる不満をぶちまけた主役の人は、それに立腹した5万のファンに飲まれましたとさ。



08/02/11(月) 第985回 三年やっ太郎

嘘だろ…今日でサイト公開丸三年とか…

という訳で三年経ったのだが、丸二年から丸三年までの間がその前の一年や、更にその前の一年と比べて異様に変化のないものであった事は、当サイトのごひいきさんであればあるほどご存知の事と思う。
何しろ、この一年で更新した「雑文」「俺的事典」以外のコンテンツは「愚痴」が一回に「歪曲」一回。他には需要の存在すら怪しまれる「ポポロ通信」をこの間始めて現在せっせと記録を増やし続けているだけ。これだけだ。結局「妄想」は、このサイトの看板であると言われ続けながら何一つ新たな動きを見せようともしないのであった。何という年刊コンテンツ。何という冨樫義博。
私自身は、更新ペースなんぞ気にしなくても出来る時にすればいいというスタンスでやってはいるが、流石に一年で二回しか更新されないとなるとこれは「サイト全体がもう死に体になってしまっている」と言われてもしょうがないかもしれない。一方で日刊コンテンツの方はこの一年の内に350回程度も更新されたというのに。
実際どうなんだろうか。この一年、ほぼここと「俺的事典」の方だけを更新する状態を持続する中、一年以上前からご覧になって戴いている人はありがたい事におられるが、そういった方達はこの現状をどう思って、そしてどの程度非日刊コンテンツの更新を楽しみにしているのだろうか。ここで一丁、久々にアンケートでも設けて「このサイトに最も期待しているコンテンツ」はどれか聞いてみようかなと思ったりもしたが、聞いてみた所で、それが「妄想」だったらもう一年以上新作を待たせ続けている自分に嫌気が差してへこむし、それが「雑文」だったら「ああ、やっぱりもう更新もされないコンテンツは見向きもされなくなるんだなあ」とへこむし、とどのつまり大衆の意見がどう転ぼうが自分は勝手にへこんで行く事が分かり切っているので止めた。来年聞こう。

過ぎた事をうだうだと語って暗くなってばかりもいられない。先を見なければ。という事で四年目の展望についても書こう。
三年目は酷い有り様になってしまったけれど、四年目は更に厳しい情勢になるだろうと予告しておく。「妄想」などのコンテンツが落ち着いてしまってなお更新ペースのほとんど鈍る事のなかった日刊コンテンツに今年は大打撃が襲うであろうという事だ。
再三述べた引越しの件でどれだけ更新が停滞するのかもそうだが、新年度以降どの様な生活スタイルになるのかが未だに分からない。「俺的事典」も更新する暇がないほど――などと言うとそれは最早過労死の危険すらはらむレベルのものの様だが、短期的にはそんな日も訪れるかもしれないし、時間そのものはあっても慣れない生活から更新の気力が出ないなんて日もあるかもしれない。既にして外泊意外の理由で更新をお休みする日が三年目にも何日か見られたが、その傾向が強まるかもしれないという事だ。少なくとも、四年目の更新回数は過去最も少ない数字を記録する事だけは確かだろう。

まあつまり、これまでの事とこれからの事、全てを総合するとこういう事だ。「三年目とあんま変わらない」
四年目もどうぞ宜しく。



08/02/12(火) 第986回 激しい消費も止まらぬ成長曲線

一周年記念、二周年記念の時には各コンテンツに対する所見をわざわざ日毎に分けて仰々しく述べていたが、満足に更新もされていないものについて言いたい事など流石にないので今年はそれもやらない。でも逆に言えばそこそこ更新されているものについては言いたい事も流石にあるので「雑文・ゲーム日誌」と「俺的事典」についてはやっぱやる。という訳で今日は「雑文・ゲーム日誌」である。

今期は、特に初めの半年はゲームにすらかまけてられない生活が続いていたから必然「雑文」中心の更新なっていたが、その傾向が落ち着いてくるや堰を切ったようにゲーム人間へと成り下がりちょくちょく「ゲーム日誌」の方も更新される様になった。でも去年プレイし、その旨「ゲーム日誌」に反映したゲームはと言えば実はFF12二周目ただ一つで、この一年での更新回数は振り返ってみれば17回程度。一方で「雑文」の方はと言うとこれが327回だったらしいというから、印象に比べて思いのほか書いたなあという所である。もっとも「ここ半年は随分ゲームに傾倒しちゃったなあ」という印象を抱くのに一枚噛んでいるのはFF12二周目よりもトルネコの大冒険3の方なので、その辺りが「ゲーム日誌」に全く表れないのも至極当然の事なのであるが。
いやしかし、それにしても、327回。言い方を変えれば、327ネタ。こうして数字にしてみると、いやはや書いたもんだねえ。「ゲーム日誌」と「雑文」を合わせた総合更新回数は過去最も少なかったけれども、「ゲーム日誌」が停滞した分を考えると「雑文」単独の更新回数はサイト公開三年目にして最高を記録した事になる。となると、そこで気になるのがネタ帳に溜められているネタの消化具合。折りしもこの二年、この話題を扱う毎にその時点でのネタストック数を記録していたので、今年もそれに倣って数えてみる。
二年前は45、一年前は53で、その間285回の更新を挟んだ上でその数はやや増となっていた。あれから一年、史上初の更新回数300超を記録してさてストックは減ったのか? はたまた流石に減ったのか? その数は……54! やや増!
恐るべし我がネタ帳。使えども使えどもネタの減る気配なし。それどころが次から次へと新たなネタが湯水の如くあふれ出すそれは桃源郷かはたまた夢の国か。などと言うとそれだけ書いてなおネタの尽きない発想力か何かを自慢している風にしか聞こえないが、本当に恐ろしいのはネタ数が減らないという表面上の事実ではなく、「327回の更新を経てもなおネタのストックが減らないくらいに一つのネタで二日、三日の更新を稼ぐという商魂たくましい精神」の方である。


さて、折角327ネタもあるんだったら今年もやらざるを得ない「祝三周年・アンケートは取らないのに相も変わらず私ばかりが選ぶゲーム日誌&雑文ベスト3」
公開三年目のネタから。


第3位 雑文第807回「地球の皆は心の友」
最近更に脚光を浴びるこの話題に対し、個人的な意見は何一つ挟み込んでいないのがミソ。


第2位 雑文第939回「英雄の力を貴方に」
閃き一発。単純明快。やっぱり小ネタは印象に残り易い。


第1位 雑文第797回「男達よ、野生に目覚めよ」
「雑文」はバカバカしさに溢れているほどいい。この翌日に書いた第798回と併せてどうぞ。




08/02/13(水) 第987回 目下目標達成中

淡々と、「雑文」以上に淡々と更新し続けること1059日。本日付けでその掲載単語数は2161語に達した。
ここまで来ると、もう大分誇れると思い切って言っちゃってもいいんじゃあるまいか。2161語とか、FF10のインデックス収録単語数が2426語だというんだから、最早「俺的事典」が一つの事典レベルのものになった様なものだ。あのコンテンツはディレクトリ構造が“personal_dictionary/a/a.html”みたいにhtmlファイルが行ごとで個別のディレクトリに分けられており、それっていうのはコンテンツ立ち上げ時に「将来、行単位でページ分割するには量が多過ぎるくらいにまで単語数が増えた時に、頭文字単位での掲載へ移行するに当たってファイルのトップからの深さとかを変えたりしないで済む様に」と思っての準備だったのだが、それがいよいよ現実味を帯びてきた様で嬉しい限りだ。だって、まだページ内に10か20程度しか単語がないにもかかわらず一丁前に一つのディレクトリを占有するだなんてまるで意味がない措置であるかの様だろう。実際その段階においては全く意味を成さないし。冒頭の様に全ページの単語数を確認する為に一旦全ての行のファイルを開こうとするにもいちいちそれら行ごとのフォルダを経由しなければならなくて甚だ面倒臭いし。
薄々気付きながらも、これまで見て見ぬ振りをしてきたが、いつか話した「雑文 過去ログ一覧」ページと同様、一部の行のページは相当に量が膨れ上がってしまっている。特に「さ行」なんてのはそれだけで340語も載っており、頭文字ごとに区分する形態への移行がすぐにでも求められる。「俺的事典」の改革の時は近いだろう。

「俺的事典」の改革と言えば、今年に関しては単語のより機械的な選出を始めた事が一番である。コンピュータってのはいいね。迷いがないもの。索引の何処かをでやっと指差してそこが「鯨の髭(FF9・武器)」だった時に思わず「うっ、こんなんの一体何に突っ込めばいいのさ」とか思っちゃってついついその上の「クジャ」に指を動かしたくなったりなんてしないもの。いや! そんな事はこれまでした事ないけどね! 丁度単語と単語の間辺りを指してしまった時につい突っ込みやすい方を選んだりした事はあったかもしれないが。
とにかく、さんざ言ってきた事だが、決してぶれる事のない決断力で確実に一つの単語を選んでくれる仕組みを取り入れた事で、見る分にはこれといった変化がなくとも、やってる方としてはそれ以前とは比べ物にならない健全さとやり甲斐を得られた。この収穫は大きい。勿論、それによってこれまで無視を決め込まれ続けてきたFF1〜3が晴れて更新対象となった事も大きい。
で、そのFF1〜3について先日それぞれ20単語ずつ掲載し、三日前から通常の更新形態に戻したのであるが、単語の掲載サイクルをこれまで通り10日単位にするか、それともこの前言っていた様にもっと短い日数で次々回していくか、それをどうしようか悩んでいる最中である。取り敢えず半分の五日ごとくらいで変えてみるか。そしたら一ヶ月ちょっとで一通り更新されるから、取り敢えず引越し前にどんな感じか振り返る事が出来るでしょ、多分。

ところで、FF12やらFF1〜3やらに傾倒してしばらくの間その他の作品から離れていたら、いつの間にかFF4DSなるものが世に出て純正SFC版FF4の情報を見付けるのが困難になっていたのだがどうしたものか。
恐るべしスクウェアリメイク商法。


さて、「祝三周年・私が選ぶ俺的事典ベスト3」は…2000以上のエントリーをいちいち見てみるのが流石に手間なのでやめ。三年目の更新分を別に分けてたりもしないし。



08/02/14(木) 第988回 期待の新人伸び代なし

今日は公開三年目のアクセス数動向に関するお話…かと思いきや「ポポロ通信」のお話。な、何だなんだその目は。こいつだって、まだ立ち上げからひと月も経ってない様な新参だが、れっきとした一つの更新対象なんだぞ。それを皆、ポポロが剣を持てないわ盾を持てないわ矢を撃てないわ砲弾を転がせさえしないわ12歳にもなるのい文字を読めないわ書けないわの体たらくだからって無闇にきつく当たっちゃって。皆もうちょっと大きな心で彼の冒険心を受け止めてあげるべきだ。さもなければ、満足に武器や防具を扱う事も出来ない子供を魔物の巣へ放り込んだかつての勇者のお供を非難するべきだ。

サイトのコンテンツの更新が滞りがちになる頃か、その少し前から思っていた事がある。「『俺的事典』とは別に、30分かそこらで一回分の更新が出来るコンテンツがもう一つあればなあ」 その意味で「ポポロ通信」は私にとって非常に望ましいコンテンツだと言える。一回の更新分を書くのに割く時間が30分であるかどうかは分からないが、ゲームのプレイ中、その時々で少しばかりコントローラーから目を離して軽くメモを取っとけばそれで事足りてしまうからだ。更に、こと不思議のダンジョン系ゲームの様な、決して熱くならず常に冷静でいる事が求められるゲームにおいては、その行為が一旦ゲームから離れる事が高ぶった気持ちを落ち着けてくれる効果も期待され、もう何から何まで私の為にこそあるコンテンツだと言っても過言ではあるまい。
だけれども、そんな待望のコンテンツが満を持して誕生したのとは裏腹に、「これでしばらくはサイトも安泰だな」とならないのは、やはりその需要のほどが原因か。あれはトルネコの大冒険3という、かろうじてスクエニが一枚噛んでいるゲームのプレイ履歴を並べ立てたのみで技術的知識や解析的データの類を載せている訳ではないから実は「トルネコ3ファン」にとっても覗くだけの価値はあまりなく、つまり「大のトルネコ3好きな基本FF好き」の人にしか意味のないページなのであり、その定期更新をして「サイト運営してるなあ」なんて感慨を得られる筈なんてないのだ。
でもやるぞ。やめないぞ。あのページの存在意義は自分の異世界冒険記録を誰かに見てもらいたい事よりもむしろ、その立ち上げ時にも言及していた通り「異世界の迷宮をプレイする事によって溜め込んでしまったストレスを少しでも発散する」為にこそあるのだから。この間98Fで死んだ時も割とすぐ次のプレイを始めたけど、あのショックを一人で抱え込む事になっていたとしたら少なくともその日一杯はもう見たくもないって状況になったと思うもの。だって98Fだよ? 全99Fの。そこそこ順調に95Fほどまで降りられた時には「ついこの間『ポポロ通信』なんてページを用意したのに、それからすぐクリアしたんじゃあ見ごたえがなくなるなあ」なんて思ってたのに。お陰様でまだまだ絶賛更新中でございますよ。昨日も81F死という記録が新たに刻み込まれましたよ。この野郎。
厳しい道のりだなあ……でも98Fの惨劇から僅か10回足らずの冒険で再び深層まで潜れた事を考えると、クリアは遠くないのかもしれない。そう信じたい。

という訳で、歴史も浅いので特別書く事も思い当たらない「ポポロ通信」をどうぞ宜しく。
ちなみに、異世界の迷宮をクリアしてもまだトルネコ3には未クリアダンジョンが二つ残されており、まだまだしばらくの間「ポポロ通信」は続いていく事になると思われるのでそこの所も是非宜しく。



08/02/15(金) 第989回 退廃の原因

そんな訳で気を取り直して、年に一度のアクセス数まとめ。

2007/02/12〜2008/02/11


今年も取り立てて補足を入れる様な一日単位の変化は特になし。
それよりも今回気にかけていたのは、非日刊コンテンツが次第に年刊化していくのに対してアクセス数がどれだけ正直に答えているかという所である。その点に着目してこのグラフを全体的に見てみるとどうだろうか。終わり1/3辺りにおいて、やや落ち込み気味な感じに見える。
もっとその傾向を分かり易くする為に、より期間を広げてここ二年間のアクセス数推移をまとめたグラフも用意した。それがこれだ。

2006/02/12〜2008/02/11


うーん、余計分かり難いか。しかしこのグラフには、明らかにここ2、3ヶ月は一昨年の8月頃に端を発した一つのピーク時ほどの勢いが失われている事実を如実に物語っている。もっともそれと重なるくらいの期間、各種ゲーム系検索エンジンサイトに登録した当サイトの情報を更新していない(何故なら本コンテンツに一切手を付けていないにもかかわらずさも「更新しましたよ」といった感じで検索結果のトップ付近にしゃしゃり出てくるのがためらわれたから)ので、単純比較も出来ないのだけれど。
勢いが失われていると言ってもやはりその差は顕著であるとまでは言えず、それは言ってみればこういう事でもある。「あれだけ更新しなくてもこのくらいか」 まあこのくらいに止められた最大の要因は日刊コンテンツの存在にあるのだろうとは思うが。サイトの目玉が更新されるに越した事はないが、完全停止してしまわないのならそれがサブ更新だろうが取り敢えずは気にしない、という事か。或いは、いつの間にやら当サイトの目玉が「妄想」から「雑文」ないし「俺的事典」に遷移した事の表れか。よく分からん。
何度か言及していたが今よりもうちょっとアクセス数の多い傾向があった時期(いわゆるピーク時)に私は「もう少し訪問者が減ったくらいが丁度いい」と思っていたから、今直面している減少傾向について焦りとかを感じる事はないのだが、事実として多少なりとも減っているという事は、このまま改善案を模索しなければずるずると減り続けていくのが容易に想像される訳で、となると何もしないでいるというのも考えものだ。だがしかし、ならば何をすればいいのか!? あ、なるほど、トルネコ3をひとまず休めと。そりゃごもっとも。

アクセス数改善の為にはトルネコ3を犠牲にする必要がある。道のりは果てしなくそして険しい。
取り敢えずもう一年様子見てそれから考えるか。


「祝三周年・ユニークアクセス数ベスト1&ワースト1」

第1位 2007/04/01(日) 177人
嘘だっ!!
…まあ実際、JavaScript無効のアクセスを幾つもカウントしたんだろうから、全くもって信用出来ない数字なのだが。

最下位 2007/07/25(水) 83人
当日の時間毎アクセス数を見てみると7時〜17時の間の訪問者人数が0人だった。
何があったんだ? と思って当日の「雑文」を見てみると……
ちなみにこれを除くと、次に少なかったのは2008/01/03(木)の90人。いずれにしろ少なくない。これが来年どこまで下がっているかが見物だな。




08/02/16(土) 第990回 需要

Q.あなたはどちらを支持しますか?

HD DVD2.1%
Blu-ray Disc0.3%
その他97.6%


※「その他」の内訳
DVD76.5%
どちらでもいい12.6%
Blue-ray Disc4.5%
VHS3.9%
β0.02%


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